歴史は一度も「死」によって書かれたことがない
今の日中関係に死があるか!?
ない。皆無。
中国人船長が故意に船をぶつけてきた、ってだけの話だ。
でも、この対立の解決策は戦争しかないのよ。
あるなら、コメントください。
銃口が火を噴けば、戦争だ。
戦争になったときに、まず、最初に、人間の死から目をそむけるのは誰?
劣勢の国家である。
国家には歴史を書く人間がいて、それはまず、マスコミである。彼らは死を書くかもしれないが、死の数には触れない。
人類は物の数が数えられないのか!?
死だけは数えられないらしい。
私は死にしか興味がない。数人の死をポケットに入れて持ち運んでいる。ポケットから出して対話するために。
死とはそういうものであり、多分だが、「死の総数」に意味はないのかもしれない。
でもね、あなたが抱える死を、小泉純一郎くん、バラク・オバマくん、菅直人くん、小沢一郎くんと語り合って、しみじみできるか!?
権力は死を考えない。
そこが根本の問題だ。
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