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2010年7月30日 (金)

法相の死刑見物

 法相が選挙に落ちて、アイシャドウが悲しげになったなあ、と思っていると、今度は死刑を見物して、はずしたアイラインまで引いて、不気味なことだなあ。

 そんな空っぽの心を抱いて、図書館へ。

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う Book 死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

著者:森達也
販売元:朝日出版社
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 これを読んでます。

 実に興味深いのが、明治大学「拷問博物館」にある「鉄の処女」についての短い記述である。

 高さ2・5メートルの女性像。中は空洞になっていて、無数の針が内側に突き出している。針は微妙に急所をはずす位置に配置されており、この拷問具の中に入れられた人間は苦痛とともにゆっくりと死に向かう。

 16世紀、ヨーロッパの産物で、わしは勝手に「”魔女”が入れられたんだな」と解釈していた。

 宗教が生み出したものだろう、と。

「ここに入れてやる!」という脅しに使われただけで、実際に拷問を受けた人間はほとんどいない、という説もあって、根拠は資料の少なさだ。

 残っている資料は、1515年の一例のみ。

 誰が入れられたと思う?

 偽貨幣を作った男なのである。

 この『死刑』という本は、法律、哲学、文学からではなく、この記録から語り起こしたほうがずっとわかりやすい、とわしは思う。

 現在の死刑とは、国家による殺人である。

 現在の国家とは、ひとつの政府、ひとつの中央銀行、ひとつの紙幣を基盤としている(民族、宗教から語り出すからめんどくさくなる)。

 現在の死刑とは、国家を破壊する人間への罰である。

 オウム事件以降、殺人事件は減っているが、死刑判決、死刑執行は増えている。

 オウム事件以降、死刑廃止を支持する日本人は半減した(無論、世界規模では死刑はすごい勢いで減っている)。

 司法の民主化であるはずの裁判員制度は、厳罰化(国家権力の強化)に拍車をかけている。

 死刑がなくては不安な社会、とは、すなわち、国家の危機なのではないか?

 みなさんは不安ですか?

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