「9・11」でもない。「リーマン・ショック」でもない。「ユダヤ・ロビー」だ。マスコミは1995年に死んだ
「闘う編集者」がまだ、いると思っていた。
1995年、死体だらけの神戸を這いずり回っていたときのこと。
文藝春秋社『マルコポーロ』の仕事だった。
わしはまだ、ジャーナリズムを信じ、身内に死者を抱えている人に声をかけた。
片っ端から、とはできなかった。未熟なのよ。
「失礼だろ」と思ってしまうのよ。
どうしようもない思い、ってのはあるよね。
理不尽に人間が死んだんだから。
大量に。
その直前、『マルコポーロ』は何を書いたのか?
ナチによるユダヤ人に対する大量虐殺、「ホロコースト」はなかった、と書いた。
表現の自由か?
わしはそう思わない。
その記事によって、どうしようもない思いで頭をかきむしるおびただしい数の人間がいるから。
『マルコポーロ』が潰れて、編集長の花田さんは、わしになんの説明もしてくれなかった。
しばらくして、わしは、東京ドームに巨人―阪神戦を観に行った。『ナンバー』の編集者に言えば、文藝春秋社が押さえてあるシートがかなりの数あって、わしは仕事でその席に座った。
前の列が全員白人で、頭に小さい帽子をかぶっていた。
ユダヤ教の人たち。
それも驚愕だったが……。
腰が抜けたのは、わしが「闘う編集者」だと思っていた人間が、「ユダヤ・ロビー」を接待している。ビールを配っているんだよ!
わしは編集者の奴隷で、編集者は、
「雑誌を潰さないと、すべての自動車の広告を取り下げる」
そう言ってきたユダヤ・ロビーの奴隷なんだよ。
元『マルコポーロ』の編集者は、連日、「ユダヤ人の歴史」の講義を受けさせられ、夜は接待。男芸者だ。
そんなマスコミから、9割搾取され、人間扱いをされなかったわしらライターは、どうするればいい?
どうしようもない思い。
つまり、書けない。マスコミには。
企業犯罪は書けない。ベンツ、BMW、オペル……。
テレビで仕事をしたくないのは、これらドイツ企業が、報道番組のスポンサーになっているからである。
そして、自動車の大量生産に代表される資本主義は崩壊した。
マスコミは、今こそ、奴隷をやめるべきだろう。
目を覚ましてください!
「反原発」を明言した社民の福島代表は偉いよ。
時代は変わっているんだよ。
活字ジャーナリズムは、企業に対する言論の自由を取り戻すべきである。
わしはまず、山口県の原発建設をめぐる漁民と中国電力の闘いについて企画を出したんだが……。
講談社、返答せい!
ダメすか、やっぱ?
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