「雑誌化」する世界 変われない雑誌 のりピーの「手記」を取った編集者が勝ち組か!?
資本主義の崩壊、政権交代……。世界は音を立てて崩壊し、風景はめまぐるしく変わっているのに、マスコミだけは変われない。
小泉改革でも、再販制度は構造改革されなかった。
デフレでも価格破壊は起こらず、人員削減だけがリストラとなったため、雑誌の労働環境は最悪だ。
二人でやる仕事をひとりでやらなくてはならないわけで、当然、紙面のクオリティーは落ちる。
読者の生活は苦しくなる一方なのに、一食抜いて雑誌を買ってくれた顧客は愕然とする。
「面白い記事が一本もない!」
世界は「雑誌化」しているのに、雑誌だけが変われない。
たとえば、ブログ。お気に入りの書き手のブログを集めれば、その日に起きたことが、さまざまなレトリックで読め、まさに「雑誌」なのだが、雑誌は「雑誌の文体」を書き手に押し付ける。
雑誌が失った最大のものは、自由とチャレンジ精神である。
たとえば、「109」に代表される若い女性向けの服や靴の売り方も典型的な「雑誌化」だろう。
さまざまな「デザイン」を世界中からかき集め、常にバリエーションを確保し、売れない商品はすぐに撤去し、売れ筋だけを3ヶ月間売る。
一番長生きな商品でも、わずか、3ヶ月である。
その裏には、搾取、子どもの強制労働など、問題山積なんだろうけど、
まさに、雑誌でしょ?
雑誌はそういう努力をしているか!?
てゆーか、逆行しているよ!
同じ情報源に500人も集まって、同じ絵、同じ言葉を伝えているだけなんだから。
のりピーの「手記」を取ったやつが勝ち組か!?
それこそ、想定の範囲内だろう。
雑誌には「まっとうな異論」がひとつもないから、雑誌を読んで、
「誰も私の気持ちがわからない」
そう思う人こそ、まっとうだ。
「雑誌は大衆を誘導し、画一化しようとしている」
この見解もまっとうでしょ?
わしらは「敵意」を持たれている。
その認識から、出直すしかない。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント