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「野蛮なインディアンは殺されて当然だ」? お前等鏡を見ろ!

Stephen Gowans 著、Patriots, Traitors and Empires: The Story of Korea's Struggle for Freedom のレビュー。



 「いじめられる方にも責任が有る」などと云う人が、私は嫌いだ。「あいつはいじめられて当然だ」「いじめられる方もいじめられる様なことをするのが悪い」などと云うのはまだマシな方で、いじめる方ではいじめていると云う意識が完全に欠落していることが多いので、「いじめ?そんなの何時起こってるの?」と云う反応も珍しいものではない。私はそうした発想は昔から嫌いだ。例えばヒジャブは女性の人権侵害だと信じるのはその人の自由かも知れないが、だからと言ってその人がそれを理由にヒジャブを被っている女性を殴ったとしたら、頭がおかしいと思う。だがいじめの現場では屢々同じ様なことが起こっても、当事者達が気が付かないことが多い。話はそう難しいものではなく、自分が者の立場に立ってみた時のことを考えれば、何かおかしいこと、良くないこと、道徳的に許されざることが起きていることに気が付くのは、子供にだって出来る。だがいじめられる対象は自分達より絶対的に劣った存在であって、相手の立場に立って考えてみる必要性などそもそも無く、いじめる方に適用される基準といじめられる方に適用される基準が全く異なったものであると云う前提が共有されていれば、その子供でも気が付く筈のことが容易に見過ごされてしまう。いじめる方から見ていじめられる方に何か過失や欠点や短所が有るからと云って、その人に理不尽な暴力を揮って良いと云うことにはならない。肉体的・精神的・経済的・社会的・政治的、どんな暴力であっても同じことだ。どんな人にだって、別の人から見れば過失や欠点や短所が必ず有るものだし、百人居れば百以上の評価基準が有るものだ。互いの違いが暴力を正当化出来るなら、地上に平和など訪れない。互いの違いを受け入れた上で平和的な共存を図るのが、人類の知恵と云うものではなかろうか。

 そんな訳で、私はいじめを肯定する人に対して異議を唱える。いじめている方がいじめられている方に何か文句が有ると言うのなら、先ずは相手の首を絞めているその手を離せ、と私は言う。いじめを止めろ。何もかも、話はそれからだ。「でも」とか「だって」など知らん。理不尽な暴力を揮っている方が無条件で悪いのだ。いじめを目にしたら、私は取り敢えずいじめられている方の味方をすることにしている。「いじめは悪い」と先ず言えない人は、結果的にいじめを肯定しているのと同じことだ。中立や公平を気取って不介入を決め込む様な人は、消極的にいじめに加担していると私は思う。

 今述べた様に、いじめとは想像力の非対称性に支えられたヒエラルキー内で発生する一方的な暴力のことだ。そうした二重基準が常態化した状態を、私達は通常「差別」と呼ぶ。差別は良くないことだとされている。人種、性別、宗教、民族、社会的・経済的地位等、個々人をその属性によってカテゴライズして見下す行為は、今尚厳然として行われているが、今日ではそれを公然と口にすることは一応憚られると云う風潮が有る。今挙げた様な属性に関する差別に関する批判は既に数多く為されているが、多くの人々が見過ごしているのが、国による差別だ。私が言いたいのは他国からの移民や難民に対するケースではなく、「道徳的に劣った国」に住んでいると云う理由で、その国の人々が皆洗脳されていて、自立して物事を考える能力が無く、自由や人権に対する意識が低く、人間として当たり前の合理性や欲求や喜怒哀楽を持っていない、と見做すタイプの差別のことだ。これは西洋至上主義社会(日本の様な名誉白人社会も含む)では余りに広く普及している差別なので、殆どの人が気が付いていないが、差別されていることに気が付いている人々からすれば明白な話で、白人社会こそが世界で唯一正気であり、分別を持ち、人権意識が高く、自由や民主主義の何たるかを理解しており、道徳的に優れていて、他の「劣った」社会を導く義務と責任を負っている、と云う態度は、傲慢な差別以外の何物でもない。個人を直接差別すれば今日では顰蹙を買うが、間に国家と云う媒体をひとつ挟んでやるだけで、人は簡単に他者を見下せる様になる。

 「劣った」存在とされるのは大抵決まっていて、帝国主義や新植民地主義の標的にされる国々だ。「敵は悪者だ。野蛮で劣った存在だ。我々とは同等の権利と尊厳を有していない者達だ。だから善意に溢れて道徳的に卓越した我々が彼等から自らを統治する権限を奪い、正しく導いてやる必要が有るのだ」と云う訳で、まぁこれは500年前にアメリカ大陸を侵略した征服者や宣教師達が「野蛮な人食い人種」の神話を広めて、自らの侵略事業を正当化したものの現代版だ。世論を納得させるには支配に正義のマントを被せてやらなくてはならない。我々が他国に不当に干渉するのは、人類文明をより高い状態に引き上げる為に必要なことなのだ、と云う訳で、昔は「神の福音」だったものが、今は「自由」や「民主主義」や「人権」に変わっただけだ。外見が変わっても、支配と暴力の構図は基本的に変わらない。虐げられる者には虐げられねばならない理由が存在せねばならないのだ。黒人男性は白人女性をレイプするものだし、生活保護を受給する黒人のシングルマザーはキャデラックを乗り回している。だから彼等を酷い目に遭わせるのは理不尽な仕打ちではなく、正義の実現なのだ。こうした差別は戦争プロパガンダに於て特に顕著だが(日本帝国の場合だと「暴支膺懲」とか「鬼畜米英」とか)、アメリカ帝国が冷戦後も永久戦争体制を継続して新冷戦体制が定着している現在、それは最早日常の風景の中に広く浸透している。

 道徳的に劣った存在だと見做された国の人々には、「我々」と同等の人間らしい特性を想定する必要が無い。彼等には理性や知性も無く、人権意識も道徳的感情も無く、その代わりに権力欲や支配欲、他者を痛め付けたり踏み躙ったりして快楽を覚えたりするソシオパス的気質はふんだんに持ち合わせていることになっている。そうした歪曲されたり誇張されたり、或いはあからさまな嘘に基付くイメージは、主に西洋の諜報部やメディアによって意図的に広められたものだが、嘘も百回繰り返せば人々の心性の底深くに根付く様になる。TVを点ければそこからは、ロシアや中国やイランやシリアやその他の国々が狂っているとしか思えない残忍非道な所業を繰り返していると云う大嘘が大量に溢れ出して来る。論理的に考えればそれらのお話は屢々辻褄が合わず、全く支離滅裂なことも多いのだが、何しろそれらの国々は通常の人間の理解を超えた存在なので、論理的に理解する必要が無い。どんなに馬鹿げたことや事実に反することを吹き込まれても、想像力の非対称性を内面化した人々は、疑問を持つことが無い。「ああ、ああした狂った連中ならどんなことでもやりかねない」で、何となく納得してしまう。上から言われたことならどんなことでも、全く裏付けの無い話や信憑性の疑わしい話であっても、直ぐ様真実として受け入れてしまうのだ。それは普通は「洗脳」と呼ぶのではないだろうか。差別を内面化した人々は、洗脳されているのは「彼等」の方だと信じている。だがそれは鏡を見たことが無いからだ。”Loyal Citizens of Pyongyang in Seoul”と云うドキュメンタリーで、ソウルで何年も暮らしているDPRK(朝鮮民主主義人民共和国)出身の人(所謂「脱北者」、北から南へ逃げて来た人ではなく、北へ帰りたいのだが南で足止めを食らって帰らせて貰えない人)が、「南の朝鮮人は余りに深く洗脳されているので、真実と嘘、正常と異常を区別出来ない(で、北について言われたどんな話でも疑わずに信じてしまう)」と語っていたが、これを聞いてどう思うだろうか。北の朝鮮人は余りに深く洗脳されているので、自分自身の住んでいた国についてすら真実を知らず、北に一度も行ったことの無い南の朝鮮人の方が、北の生活のことをよく知っているのだろうか。そう思うとしたら、そう判断する根拠は何だろうか。

 前置きが長くなったが、そう云う訳で、DPRKは帝国主義勢力によって最も手酷く差別されている国のひとつだ。目先の例を挙げると、日本のTVや新聞では連日の様に「北朝鮮のミサイルの脅威」だの「核の脅威」だのが報じられ、それに対する「抑止力」の強化が国会で叫ばれている。馬鹿じゃないの!?と言いたくなる。加害者は圧倒的にこちら側であって、被害者は向こう側だ。DPRKが何故核開発やミサイル実験を繰り返すかと言えば、そんなものは自衛の為に決まっている。何しろ祖国の独立解放を望む何十万もの朝鮮人を虐殺し、1950~53年の間に全人口の1割から2割もの人々を死に追い遣っただけではまだ飽き足らず、DPRKからの再三の停戦や緊張緩和の申し出を黙殺するか拒絶するか約束しながら一方的に破るかし(そしてそれをDPRKの方が悪いかの様に主張し)、「核保有国は非保有国に対して核による威嚇を行なってはならない」と云う核不拡散条約の決まりなどお構い無しに核による先制攻撃や報復攻撃を明言し、自分達の方こそ世界最悪のならず者国家であるにも関わらずDPRKを「悪の枢軸」呼ばわりして対話や交渉を拒否し、「北朝鮮を消し炭に変えてやる」だの「北朝鮮をこの世から消し去る」だの、最上級の挑発的な表現で脅迫を繰り返し、毎年大規模な軍事演習を繰り返して「何時米軍が休戦条約を破って侵攻して来るかも知れない」と云う軍事的圧力を掛け続けているアメリカ帝国は、朝鮮戦争の終結を望んでいない。共和党政権だろうが民主党政権だろうが関係無く、飽く迄「北朝鮮を滅ぼす」と云う路線に固執しているのだ。「北朝鮮が先制攻撃を仕掛けて来るかも知れない」などと本気で信じている人は、DPRKの立場になって考えてみたことが一度も無いのだろう。そんなことをすれるのは米軍に攻撃の口実を与える自殺行為だとDPRKは十分承知している。彼等には狂気の自殺願望が有るとでも云うのだろうか。核兵器開発を放棄したイランやリビア、或いはゴルバチョフが一方的に核兵器を削減したソ連が辿った運命を見れば、軍事的・経済的にワシントンからの絶え間無い攻撃と圧力に曝されているDPRKからすれば、「核抑止力を持つ以外に自国を守る方法は無い」と考えるのは極く自然な流れだ。しかも米軍主導の軍事的挑発は軍拡競争を誘う罠だ。十分な防衛力を持つ為に、既にGDPの15~25%を軍事費に充てることを余儀無くされていたDPRKにとってみれば、防衛力を維持しつつ民生方面に向ける予算を確保する為には、核兵器とそれを運ぶミサイルの開発は、このジレンマを解消する為の非常に合理的な判断だったと言える。私は核兵器の無い世界を望んでいるが、それしか自国を確実に守る方法が無いのであれば、私だって核開発を選択するかも知れない。世界中の他のどの国よりも抑止力としての核を必要としているのはDPRKだ。「北朝鮮は核開発を即刻停止すべきだ」と主張する人は、核が無ければDPRKがこの先どうなるのか、一瞬たりとも真剣に考えたことは有るのだろうか? 核が無ければ殆ど効果の無い通常兵器の軍拡競争に巻き込まれて疲弊させられた挙句、軍事的または経済的に滅亡させられる運命しか待っていない。「道徳的に劣った北朝鮮が滅ぼされるのは当然だ。どの国にも等しく認められるべき自衛の権利は、北朝鮮に対しては認めるべきではない。道徳的に優れた米国は寧ろ積極的に北朝鮮を侵略すべきだ」とでも言いたいのだろうか? DPRKの人々が日々味わっている恐怖と苦難に対して、少しでも同情や理解を寄せる人間らしい心を持った者は、最早日本には残っていないのだろうか?

 この点に関しては多少説明が必要かも知れない。2022年の特に9月以降の流れは、国際社会に於ける核の脅威の実態について、日本人の殆どが全く何も理解していない現状を浮き彫りにした。ロシアのプーチン大統領は先制核攻撃の可能性を口にしたことなど一度も無いのだが、「ロシア軍が核攻撃して来るかも知れない」と云う西洋の馬鹿げたプロパガンダを、多くの日本人があっさり鵜呑みにしたのだ。ロシアの核使用についての方針は従来から別に変更などしていない。ロシアが核攻撃を受けるか、通常兵器であっても国の存亡に関わる程の攻撃を受けた場合には核を使用する、と云うもので、つまりはMAD(相互確証破壊)の原則に基付く抑止力としての、言い換えれば使わないことを前提にした核を想定している。2022年10月にロシア軍が行った核演習も、抑止力としての戦略核の演習だった。だが同月に行われたNATOの演習では戦術核、つまり「限定的な使用」を想定した「使い易い核」の演習が行われた。今まで核による先制攻撃を再三口にして来たのは米軍とNATOの方であって、ついでに言うなら実際に核兵器を使用したことが有るのも米軍だけだ。プーチンの「あらゆる手段を用いる」と云う発言は、その少し前に英国のリズ・トラス首相候補(当時)が政治集会で、いざとなったら自分は首相として核の使用を躊躇わない、と発言したことを受けてのもので、つまりは「あんたら核を使うとか息巻くのは結構だけど、ロシアを核攻撃したら、核による報復を受ける可能性が有るってことをちゃんと理解してる? 核戦争になったら人類滅亡するかもだけど、あんたら後先考えずに好き勝手なことやるから心配だよ」と念を押したまでの話に過ぎない。きちんと行間を読んで、それまでの状況全体を理解している人であれば中学生でも理解出来る話だと思うのだが、頭に血の昇った人々にはそれが出来なかった様だ。2022年になって初めて核戦争の可能性を実感したと言う人達は、ワシントンが歯止めとなる軍事条約から次々に撤退し、「使い易い核」の開発を進め、中国やロシア等に対して大規模な軍事演習や軍の配備や軍事的挑発を狂った様に繰り返して、核戦争の可能性が冷戦時代よりも寧ろ高くなっていた現実など、全く目に入っていなかったのだ。個々の情報は或いは目にしたことが有ったかも知れないが、点と点が繋がっていなかったのだろう。「自国に対して核兵器を使われるかも知れない」と云う恐怖に怯えていた国々はDPRKだけではないのだが、彼等の懸念は殆どの日本人の関心の外だった訳だ。核兵器の無い世界は私だって望んでいるが、それを実現したいなら先ずすべきことは、DPRKに核開発を止めろと言うことではない。それは銃を突き付けられている人に向かってホールドアップしろと言うのと変わらない。現実に世界各国を侵略しまくっている軍事的超大国に、国際法を守れ、他国を侵略したり威嚇したりするなと先ず要求しなければ、何も始まらない。その為には先ず現状を正しく理解する必要が有るのだが、これがまた絶望的だ。

 ロシア軍の特別軍事作戦を非難する人は多い。だが冷静に考えてみて欲しいのだが、20世紀の歴史を知っている人であれば、2022年2月の時点で、キエフによるロシア人絶滅作戦が再起動したことに加えて、キューバ危機(正確にはトルコ=キューバ危機)を上回る核衝突のリスクが目前に迫っていたことは、火を見るよりも明らかだ。ロシアが軍事介入を行わなければ、ウクライナを舞台に第二のキューバ危機が起こり、ロシアのみならず全世界が核の対決の恐怖に怯えることになっていたかも知れない。全世界の人々は寧ろ機先を制してこのリスクを(一時的にせよ)取り除いてくれたロシア軍に、寧ろ感謝しても良い位ではないかと私は思うのだが、不思議なことにこの事実に思い至った人は極くごく少数らしい。少なくとも日本では殆ど見掛けない。これは現実に核の脅威に怯える人々の具体的な苦悩が全く見えていなかったことを意味する。現実を全く無視して核廃絶を唱えることは欺瞞ではないだろうか? 2022年以降、戦争反対を唱える人の多くが、実際には自分が第三次世界大戦を支持していることを理解していない。

 2022年に激化(「開始」ではない)したウクライナ紛争は、西側/西洋の自称自由民主主義陣営なるものが、帝国主義陣営、新植民地主義陣営、新自由主義陣営、ナチ陣営に他ならなかったと云う現実をこれまで以上に浮き彫りにした。「日本は戦後70年間ずっと平和で」云々とか仰る自称平和主義者の方々は、日本の平和なるものが、米軍の永久戦争体制の一翼を担うことによって可能となって来たものであって、日本人の払っている税金が世界最悪の侵略軍の数々の非人道的違法行為を支えていると云う現実をどう捉えているのだろう。自分達が触知可能な範囲内で直接被害に遭うことさえ無ければ、戦争は起こっていない、他国で何十万人、何百万人が殺されようとが、そんなことは自分達には全く責任の無い話だ、と割り切って平然としていられるのだろうか。それもまた差別だと私は思う。他国の人間も自分達と同じ人間だと考えていれば、一体どうしてそんな無情で無関心でいられるのだろう。無論、それらは政治家やメディアが人々を意図的に無知な状態に留めておいているからだ。だが、「騙されていた人々には全く責任は無い」と言い切れるだろうか。先にも述べた様に、新冷戦プロパガンダは穴だらけで、他国の人間もまた自分達と同様の人間なのだ、と云う発想が出来ていれば、必ず「何かおかしい」と気が付く筈だ。気が付かないと云うことは、日々の報道の下劣な差別的眼差しを内面化してしまっていると云うことを意味する。良心を持った人間であれば、どうしてその様な無知の檻の中に自分を閉じ込めて安穏としていられるだろうか。特定の状況に於ては、無知とは無責任の一形態に他ならないのではないだろうか。だが実際問題として、DPRKと今尚続く朝鮮戦争の現実の姿を知る為に入手可能な情報は、日本では余りにも少ない。

 DPRKに関するデバンキングを行なった本は、探せば何冊も有る様だが、私もそれ程多くは知らない。日本語で読めるものとしてはブルース・カミングス教授の著書が何冊も邦訳されているが、これらはどちらかと言えば専門家向けで、やや高価で入手困難なものも多く、それに学者らしく中立を気取りたがるところが有る。「要するに、結局誰が悪いの?」と問うならば話は単純で、侵略者が悪いに決まっていると思うのだが、その辺りの批判の立脚点が、本書は実にはっきりしている。それに私よりずっと社会主義については詳しいYoutubeチャンネルの Hakim さんが、本書を「最初に読むならこの一冊」と薦めている。本書は、西洋で流通している加害/被害の構図が完全に転倒したプロパガンダを引っ繰り返してみせる試みだ。西洋の植民地主義/帝国主義勢力はこの種の嘘が非常に上手い。「ウクライナを捨て駒として利用したNATOによるロシア侵略」も「ロシアによるウクライナ侵略」に引っ繰り返され、少なくとも西洋では殆どの人がこの物語に全く疑問を抱いていないが、これは古典的な西部劇に典型的に見られる転倒だ。「野蛮なインディアンが善良な開拓民達を遅い、勇敢な騎兵隊が助けに駆け付ける。」状況の全体を見てみれば無論開拓民は嘘吐きの侵略者であって、騎兵隊は残忍な弾圧者、アメリカ先住民はジェノサイドの被害者だ。

 日本のネトウヨはDPRKの悪口を言うのが大好きだが、無論日本は朝鮮半島のことについて偉そうにあれこれ説教出来る立場ではない。朝鮮半島を侵略し、主権を奪って支配したのは日本帝国だ。第二次大戦によってこの植民地支配は終わりを告げることになったが、代わりにやって来たのがアメリカ帝国だ。実際に血を流して満州や朝鮮半島を解放したのはソ連赤軍だが、米軍が後からのこのこやって来て、アフリカの植民地の様に38度線で半島を二分して、南半分を強権的に支配した(しかも米軍は御丁寧にも、ソ連が日本に宣戦布告する丁度前日を選んで、戦略的には意味の無いウラン原爆を広島に投下し、その後量産可能なプルトニウム原爆を長崎に落として大勢の日本人を虐殺し、ソ連を威嚇してからこれを行った)。日本帝国の支配から解放されて歓喜した朝鮮人達は自発的に委員会を立ち上げ、自分達で新たな国作りをする意欲に燃えていた。ソ連は朝鮮人の自主性を尊重したが、南のマッカーサー元帥は朝鮮人の自主性を認めず暴力的にこれを弾圧し、抗日ゲリラ戦の英雄である金日成が当選するのが確実な南北統一選挙の実現を全力で阻止した。この結果、何十万人もが赤狩りの犠牲になって殺されて行った。この時に米軍に協力したのが、曾て日本帝国に協力して自国民弾圧に加担した売国奴達だ。御主人様が変わってからも彼等は何の問題も無く転身を果たし、金日成に率いられて日本の植民地支配と戦ったゲリラ兵達やその支持者達、つまり祖国の解放と独立を求める愛国者達を排除した(これには朝鮮を支配する帝国からアメリカ帝国の属国に身を落とした日本の戦犯達もまた密かに協力した)。米軍は本国から、ワシントンでロビー活動を行なっていた李承晩を連れて来てやらせ選挙で大統領の座に据え(1904年以来朝鮮半島には居なかった李承晩は95%もの支持率を獲得したことになっている。茶番と言う他無い)、彼の残忍な反共独裁恐怖政治を「民主主義」だと主張した。この分断の中で、北に残っていた売国奴達は皆南へ逃げ、南の愛国者達は北に逃げることになった。こうして、他国の支配を退け祖国の民主的な独立を目指す愛国者達の国、朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)と、帝国が売国奴達に支配させる傀儡国家、大韓民国(ROK)が誕生することになった。

 米軍に支援された南の軍は北へ軍事攻撃を繰り返し、数ヶ月に及ぶ攻防の後、北の民主主義国は遂に外国の支配者を半島から駆逐すべく、反撃に乗り出した。ここに朝鮮戦争が開始された。朝鮮半島の外ではこの構図は完全に逆転され、日本を含め西洋諸国では「朝鮮人が朝鮮を侵略した」と云う、聞くも馬鹿馬鹿しい話が罷り通っている。北はソ連に洗脳されて、世界に共産主義の福音を広めると云う狂信に駆り立てられるか何かして、南の民主主義国に対して「挑発されざる侵略」を行ったことになっているのだが、史実は全くの逆だ。アメリカ帝国はとにかく知覚管理が上手い。自らの非道な侵略戦争を、民主主義と国際法を守る為の正義の戦争だと自国民やその属国臣民達に信じさせることに成功したのだ。

 尤も、この嘘がどれだけ自覚的に広められたのかについては議論の余地が有るかも知れない。ヴェトナム戦争も朝鮮戦争と似た構図の戦争で、旧宗主国(この場合はフランス)からの解放を求めるヴェトナム人に対し、新たな帝国(アメリカ帝国)は南に残忍な独裁者の支配する傀儡政権を作ってこれを民主主義だと主張し、「ヴェトナム人がヴェトナムを侵略した」と云う物語を広めて、北のヴェトナム人やその影響力から南のヴェトナム人を「守る」べく、北や南のヴェトナム人を無差別に殺しまくった。だが米軍のシンクタンク、ランド研究所の報告書に拠れば、ワシントンの連中は、ヴェトナムの共産主義者達は世界に共産主義イデオロギーを広める為ではなく、外国の侵略から祖国を守る為に戦っているのであり、従ってこの戦いを諦めることは絶対に無いと云うことを、ヴェトナム戦争の末期に至るまで全く理解していなかったことを示唆している。つまりヴェトナム人が理解不能なモンスターではなく、自分達と同じ人間であると云うことを理解していなかった訳だが、侵略戦争と云うのは正に想像力の非対称性に支えられていることがよく解る。相手を自分達と同等の存在だと信じていないからこそ、平気で残虐なことがやれるのだ。20世紀に於て共産主義とは多くの場合、反植民地主義や反帝国主義を言い換えたものに過ぎなかったが、この反共(=植民地主義/帝国主義)プロパガンダの影響の根強さは、冷戦後の21世紀になっても、ワシントンやロンドンの諜報部から発せられる同様の反ロシア・反中国・反DPRK等々の様々のフェイクニュースを、如何に多くの西洋人があっさり信じ込んでしまうかを見れば窺い知ることが出来る。アメリカ帝国の一極覇権の新自由主義秩序に服従せず、敢えて逆らおうとする国々は、「我々」と同じ人間の住む国ではないのだ。それは蔑まれ、見下され、強権的に「保護」なり「制裁」なりを与えられなければならない、野蛮人の国なのだ。「野蛮なインディアン」が抹殺され周辺化されなければならなかった様に、彼等もまた実力を以て「我々」の支配する世界秩序から排除されねばならない、と云う訳だ。

 DPRKやロシアや中国が軍事的覇権国家であり、世界支配を目論む悪の帝国であると本気で信じている人は、鏡を見たことが無い人だ。と云うよりも、鏡を見ないよう仕向けられている現実に気が付いていない人だ。日本やROKの民主主義や経済的繁栄は、朝鮮半島に黒焦げの死体の山を築いた蛮行の上に成り立っていると云うことを、どれ程の日本人が気が付いているだろうか。戦後の日本とROKは共にアメリカ帝国の属国仲間、売国奴仲間とも言えるが、日本はCIAが作った自民党が支配する限りに於てしか「民主主義」は許されず、ROKは周知の通り、強権的な軍事独裁政権の時代が長く続いた。新自由主義の時代にそれが緩んで来たのは、愛国者勢力が減じて最早強権政治の必要が無くなって来たからだ。そして両国が「奇跡の成長」を遂げたのは、ひとつには宗主国であるアメリカ帝国が、資本主義は共産主義よりも経済的に優れていると「証明」する必要が有ると考えていたからだ。実際には両国とも、国が主導する計画経済や、基幹産業やインフラの国有化や半国有化、保護主義的政策等、経済成長を遂げた時代には実際には社会主義的な路線を取っていたのであり、実態は精々が「社会的修正を施された資本主義」だったのだが、それでもそれらは資本主義なのだと主張された。更に偽善的なのは、日本の経済発展の契機は朝鮮戦争時の「朝鮮特需」、ROKの経済発展の契機は「ヴェトナム特需」とでも呼ぶべきものであって、両国共に米軍の侵略戦争から経済的恩恵を受けて来たことだ。私が中学校の教科書で初めて「朝鮮特需」のことを知った時には、「隣国の戦争で自国の経済的発展の足掛かりを築くなんて、日本と云うのは何と浅ましい国なのだろう」と思ったものだが、そうした感想を抱く日本人はどうやら超少数派だった様だ。被害者の苦難に思いを馳せるのは、「普通の日本人」のやることではないらしい。人間らしい共感力を欠いた人々の住む国など、とてもよそ様に自慢出来る代物ではない。

 他方DPRKの方では冷戦期には寧ろROKよりも生活水準は高かったのであって、経済状況が悪化したのは共産主義経済圏が崩壊して立て続けに自然災害に襲われ、更にアメリカ帝国が主導する制裁やCIAの経済破壊工作が強化されてからだ。DPRKは「軍事的に転用可能なものは全て禁じる」と云う名目で経済封鎖を被っている訳だが、原理的に軍事的に転用出来ない民生品等何も無いのだから、実質的に殆どあらゆるものが輸出入を禁じられている訳だ。朝鮮半島は日本と同じで資源には乏しいので、海外貿易を封じられれば経済発展は大きく制約を受けることになる。「北朝鮮の経済政策は失敗だ」と主張する人は、失敗するよう外部から強力な圧力を受け続けていると云う現実を無視している。出典は失念したが確かカストロの発言で、「欧米は自分で人を水に突き落としておいて、『見ろ、あいつは上手く泳げないぞ』と嘲笑うクセが有る」と云うのが有ったと思う。「北朝鮮は貧乏だ」と嘲笑う人はこれと同じで、自分達の国々が相手に対して何をやっているかが全く見えていないか、棚上げにしているのだ(その点でロシアと中国が最近対DPRK制裁から距離を置き始めたのは良い展開だと思う。寧ろ両国が欧米と足並みを揃えて、こうした非人道的な経済的ジェノサイドに加担していた方がおかしかったのだ)。

 DPRKには確かに外部から見てエキセントリックな所が多々有る。だが「北朝鮮の軍事的脅威」については、末の述べた様に主客が転倒された全くの捏造だし、DPRKは国際社会に対して、自らが主導する「ルールに基付く秩序」やら「世界に対するリーダーシップ」を厚かましくも要求したことは一度も無い。朝鮮半島全体が外国の支配から脱し、自国が平和に発展することを望んでいるだけだ(「一国二制度」の様な譲歩を提案した時さえ有ったのだ)。数々の国際法違反の軍事的侵略を行なって来ているのは米軍の方であって、ROKの方も、自国を除けばヴェトナム・アフガニスタン・イラクと、3つもの非道な侵略戦争に加担している。「世界の平和と安全」にとって現実に脅威となっているのは北と南、果たしてどちらだろうか。

 DPRKに内政面に於て外部の者には不可解に映る点が有るからと云って、それらが同国に対するアメリカ帝国の度重なる軍事的挑発や恫喝外交、経済的ジェノサイドを正当化するものではないことは言うまでも無い。最初に言った様に、「いじめられる方にも責任が有る」などと云う者はいじめに加担しているのと同じことだ。先ずはいじめを止めろ、話はそれからだ。それに内政面に於ける様々な人権弾圧の話も、その多くは誇張されたり文脈から切り離されて歪められたり、或いは全く捏造されたものだ。それらの告発の殆どは、北から南に逃げて来た「脱北者」の「証言」に基付いているのだが、ROKには日本帝国植民地時代の治安維持法にも似た思想犯罪取締法が21世紀の今になっても生きていることを、どれだけの日本人が知っているだろうか。新自由主義の天下になって強制収容所や秘密警察の出番は減ったかも知れないが、社会主義的な思想を口にしたり労働運動を主導したり、北について好意的に言ったりすることは以前として国家保安法に抵触する犯罪行為と見做される可能性が有るのであって、南に来た北の市民は強制的に南の市民に登録されてしまう訳だが、北出身の人が差別や監視や投獄を避けて生きたかったら、北についての悪口を言うしか無い(無論勇敢にそれに逆らう人達も居る様だが少数派だ)。そんな圧力下での「証言」に、一体どれだけの信憑性が有るものだろうか。南が北について主張する人権弾圧は、南の状況をその儘投影したものではないのか? 再度強調しておくが、朝鮮戦争は今尚終わっていないのであって(北の方では強く停戦を望んでいるが、南を支配するアメリカ帝国はそれを望んでいない)、戦時には「敵」を悪魔化するプロパガンダが横行するのは当たり前のことだ(だから今日のウクライナ紛争に於て、ロシア・メディアの西洋に関する節度有る報道には本当に驚かされる)。

 DPRKは無論完璧な国ではない。そんな国など存在しない。だが完璧ではないことを理由に不当な扱いを正当化したり見過ごしたりするのであれば、そんな連中は差別主義者だ。故アンドレ・ヴルチェク氏がこの件について痛快なエッセイを書いているが、細かい話は全て後回しで良いのだ。大まかな方向性さえ間違えていなければ、良心と人間性を備えた人は、虐げられた誰かの味方をすることを躊躇うべきではない。「誰でも同じ人間同士だ」と云う前提さえ体得していれば、細かな差異などどうでも良いではないか。

 繰り返すが、私はいじめは嫌いだし、いじめを正当化しようとする者も嫌いだ。そして周囲を見れば「いじめなんか起こってる? 寧ろこっちが怖い目に遭わされてるんじゃない?」などとトンチンカンなことを言う人ばかり。だから私は超少数派であることを寧ろ自分から買って出ることにしている。他の誰も言おうとしないのなら、私が言おう、「DPRKをいじめるな。話が有るなら先ずいじめを止めろ。そして相手をちゃんと、自分達と同じ様な人間の住む国として見ろ。そして嘘吐きの嘘に騙されるな。」ジャン・ブリクモン氏の言う「自覚無き帝国秩序の手先達」に取り囲まれて生きて行くのはうんざりだ。「野蛮なインディアン」を蔑視するのは当然と心得る様な非人道的な連中が人権だの平和だの民主主義だのを語るこの偽善のデマクラシーにもうんざりだ。ちゃんと事実を見よう。想像力を鍛えよう。そして理不尽に虐げられた人々の味方をしよう。
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川流桃桜

Author:川流桃桜
一介の反帝国主義者。
2022年3月に検閲を受けてTwitterとFBのアカウントを停止された為、それ以降は情報発信の拠点をブログに変更。基本はテーマ毎のオープンスレッド形式。検閲によって検索ではヒットし難くなっているので、気に入った記事や発言が有れば拡散して頂けると助かります。
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