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中川清 (彫刻家)

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中川 清(なかがわ きよし、1897年明治30年)5月21日 - 1977年昭和52年)3月11日)は、大正から昭和にかけて活動した日本彫刻家[1]

経歴

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当時の滋賀県坂田郡西黒田村(後の長浜市)八条町に生まれる[2]。若くして美術に才能を発揮し、1915年には17歳で二科展に洋画を出品して初入選を果たした[2][3]東京美術学校彫刻科に学んで1923年に卒業し、さらに研究科、別科に在籍して修業した[3]

1924年、第5回帝展に「腰かけた女」が初入選して以降、帝展への出品を続け、1927年第8回帝展で「立女」が特選となり、1937年からは文展無鑑査となった[3]

第二次世界大戦後は、日展に出品を続けるとともに、審査員を務め、1958年に評議員、1969年に理事となり、1973年に参与となった[3]。この間、「あるく」で1963年日本芸術院賞を受賞した[3]

おもに、「堅実な写実技法による人体裸像や、肖像彫刻を制作した」と評され[1]、肖像彫刻では「三木武吉像」(香川県高松市)などが知られるが[3]、動物の写実彫刻や仏像なども手がけた[2]

脚注

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  1. ^ a b 中川清(2)」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E6%B8%85%282%29コトバンクより2022年12月26日閲覧 
  2. ^ a b c 日展彫刻家の作品展示 ニシマサ郷土資料館で中川清展”. 近江毎夕新聞 (2012年1月23日). 2022年12月26日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 中川清”. 東京文化財研究所 (2021年12月10日). 2022年12月26日閲覧。 - 出典:『日本美術年鑑』昭和53年版(258-259頁)