写真1●ミラクル・リナックス取締役CTOの吉岡広隆氏
写真1●ミラクル・リナックス取締役CTOの吉岡広隆氏
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写真2●アプレッソ副社長CTOの小野和俊氏
写真2●アプレッソ副社長CTOの小野和俊氏
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 ITpro EXPOの「X-over Development Conference」2日目は,ミラクル・リナックス取締役CTOの吉岡広隆氏(写真1)とアプレッソ副社長CTOの小野和俊氏(写真2)の対談で幕を開けた。テーマは「Web 2.0時代のソフトウエア開発者の生き方」で,起業,キャリア形成,人間関係などをテーマにディスカッションを行った。両氏とも米国駐在後に創業という経歴をたどったせいか,二人の発言には共通点が少なくない。

 対談は,起業に至った経緯の披露から始まった。吉岡氏は日本DEC,日本オラクルを経て,2000年にミラクル・リナックスの創業に参加した。日本オラクル時代は,米Oracleに駐在し,Oracle8の開発に参加していた。一方,小野氏は1999年にサン・マイクロシステムズに入社,間もなく米本社に開発者として駐在した。その後,2000年に23歳でアプレッソの創業に参加。現在は,データ連携ソフト「DataSpider」の開発に携わっている。

米国での経験が転換点となった

 吉岡氏は,米国滞在中にNetscape CommunicationsがWebブラウザ「Netscape Navigator」のソースコードを公開したことに衝撃を受け,「価値観が変わった」と当時を振り返る。実は吉岡氏はその前,日本DEC在籍時代にWebブラウザ「Mosaic」を日本語化して社内で公開し,「それまでのソフトウエアとは性格が違うと感じた」という経験をしていた。

 Netscape Navigatorのソースコード公開を目の当たりにした吉岡氏は改めて,従来型開発との性格の違いを強く感じ,「インターネットという広い舞台でオープンにソフトウエアを開発する世界が目の前に広がった」と語る。吉岡氏はその後帰国し,Linuxディストリビューションを販売するミラクル・リナックスの創業に参加した。

 一方,小野氏は,「コンピュータ関係の企業で米国に行かせてくれそうなところ」という理由で最初の就職先をサン・マイクロシステムズに決め,入社して間もなく米国駐在になった。駐在中に小野氏は,あるプロジェクトで「徹夜しなければ間に合わない」という状況に追い込まれたのだが,そのときにマネージャが「スキーに行くから準備しろ」と命令したという。最初は何かの聞き間違いかと思ったが,後になってマネージャの意図を理解した。人間が徹夜するときは,やらなくてもいいことまでやろうとするものだということを見抜かれていたそうだ。この経験から「こんな開発スタイルもあるのか」と驚いたと語る。

 その後,小野氏はキャリアを積み,米国の企業から誘われたが,ほぼ同時に新事業に出資するという人物が現れ,起業して今に至る。起業のときは不安や恐れもあったが,「米国に残って英語ができるようになって,JavaとXMLを使ったシステム開発に携わって,それで結局何になる?」と思い,さらに「失うものは何もない」ことに気づいて起業を決心した。

抜きん出た部分を作れ

 引き続き,開発者としてのキャリア形成というテーマで,両氏が技術力を身に付けるに至った経緯を語った。小野氏は「まず友人3人の中でXMLの仕様に最も詳しい人間になろうと決めた」という。それが達成できたら同期入社の人間の中で最も詳しい人間になる,日本のサン・マイクロシステムズで最も詳しい人間になるという具合に,目標を少しずつ大きくしながら実力をつけていった。小野氏はこの方法を「ラストマン戦略」と呼んでいる。誰かが困ったときに,最後に当てになる人間になるという意味だ。

 吉岡氏は日本DEC時代の業務が「日本語化」だったことを明かし,最初は正直に言ってつまらなかったと語った。しかし,日本語化作業に精通していくうちに,日本語,中国語,韓国語(どれも2バイト文字)を共通して処理する部分を作成するなどして実力をつけていった。その後,日本オラクルに転職した後も,「文字コード,日本語化に関するコードを誰よりもたくさん書いた」と語る。両氏とも得意な部分を作り,そこに力を傾けて,抜きん出た存在になっていったわけだ。

 ここで,吉岡氏は「得意な部分を伸ばすのはいいが,資格を取るのはあまりよくない」と発言した。情報処理技術者試験やOracle Masterなど,資格取得のために努力している人には理解しにくい発言かもしれないが,吉岡氏の発言の意味を小野氏は,「見方を変えれば,資格を持っているということは,その人は取替え可能だということだ。資格程度では証明できないほどのエキスパートになろうということだ」と説明した。

ネットで情報を発信しよう

 最後に,対談のテーマはネットを通した人間関係に移った。まず,両氏ともネットを利用して人脈を作ろうと強く意識したことはないと語った。両氏とも「まずは自分が情報を発信することから始まる」と強調した。そうすれば,同じことに興味を持っている人が情報を持って集まってくるのだと言う。

 吉岡氏は,10年ほど前にWebブラウザ「Mozilla」の内部構造を解説するWebサイトを作っていた。そして,2~3日前にNetscape Navigatorのサポート終了を機に開かれたパーティーに参加したところ,「参加者のほとんどが自分のことを知っていて驚いた」。情報を発信し続けることの大切さを語るよい例と言える。

 吉岡氏は最後に,「つらいとき,壁にぶち当たったときには,そのことを伝えてほしい。同じ境遇にいる人が共感し,新たな人の輪ができるかもしれない」と語って対談を締めくくった。