「本当の意味で世界を変えられるのはコードだけ。コードとインターネットの力で,10万人を驚かすことができた」---はてな 取締役最高技術責任者 伊藤直也氏は9月7日,イベントITpro Challenge!でこう語った。アルファギーク(技術の方向性を指し示す先鋭的なエンジニア)の代表格とも目される伊藤氏は,意外にも「ネトゲ廃人(ネットワークゲーム中毒者)」で「不満を会社のせいにしていた甘ちゃん」だったという。
ネトゲにはまった「何も生み出さない3年間」
伊藤直也氏とコンピュータの最初の出会いは早く,幼稚園の時に父親が買ってきた8ビット・パソコンで,雑誌に載っていたゲームのプログラムをキーボードから入力して遊んでいたという。だが,中学や高校の頃それほどコンピュータにはかかわらず,大学に入学して「ディアブロ」や「ウルティマオンライン」にはまり,一日中ネットワーク・ゲームに没頭した。「何も生み出さない3年間だった」(伊藤氏)。
4年生になり,研究室に配属されて本格的にコンピュータを使い始める。それでも,コンピュータ技術者としてそれほど優秀ではなかったと伊藤氏は振り返る。
卒業後,大手ISP(インターネット・サービス・プロバイダ)に就職する。500人の社員と,それと同じ規模の協力会社員がいる会社だった。あるとき,上司に言われた一言に激しく反発した。「うちにプログラマは必要ない」。必要なのは外注を管理するマネジャだと。
「違う!と思った。コードでなければ世界は変えられない。ネットワーク・ゲームは,ビットとバイトの世界で実現されている。コード+インターネットを組み合わせれば,一人の力でたくさんの人を驚かすことができる」(伊藤氏)。しかし「会社ではコードを書かせてもらえない,会議が多すぎる,と不満ばかり言っていた」(同)。
「実力のなさを,会社のせいにしていた」
転機になったのは,ある日,友人の優秀なプログラマと交わした会話だった。伊藤氏が「それは1カ月かかるよね」と思ったプログラムを,そのプログラマは「いや,3日でできるよ」とこともなげに言う。
「今まで実力のなさを,会社のせいにしていた。つまるところ,リスクをとってない甘ちゃんだったと気付いた」(伊藤氏)。
そして2004年,伊藤氏はベンチャー企業であるはてなに入社した。「背後に誰もいない。言い訳できない。会社が,と言おうとしても7人しかいない。会社=お前だった」(伊藤氏)。仕事もパンパンにある。コードを書くななんて誰も言わない。
「ベンチャー礼賛論もあるけど,現実はたいへん。売り上げがないと会社の雰囲気も悪くなってくる。苦しい。でもその中に楽しさがある」(伊藤氏)。
自分が作ったはてなブックマークで,10万人を驚かせた
そして伊藤氏は,ソーシャル・ブックマーク・サービス「はてなブックマーク」を作った。「ISPでブログ・サービスを立ち上げたけれど,中は他社のソフトで,ブログ・サービスの開発者のように言われると心苦しかった。はてなブックマークではひどいコードもたくさん量産したけど,それでも,10万のユーザーを驚かせることができた。僕が作ったサービスですと胸を張って言える」(伊藤氏)。
「なりたいと思っていた自分になれた。でももっとこうなりたいと思うようになった」(伊藤氏)。アプリケーションだけではなく,サーバーやネットワークのインフラに関わるサービスも作れるようになった。でもOSや言語も可能なら作ってみたい。「技術を使う会社から作る会社になりたい」(伊藤氏)。伊藤氏は29才で,同い年にスーパーハッカーやバイナリアン,自分よりももっとすごい技術者がいるという。「いきなり頂上を見ると萎える。でも,コンプレックスは成長の兆し」