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カテゴリー「社会批評」の71件の記事

2019年2月 1日 (金)

首相文書アーカイブ法案の必要について

 国会では国民民主党の玉木雄一郎氏が演説草稿のためにタブレットを利用するのは当然だと主張している。野党の側がどのような文房具を使うかは野党の側の自由であろうと私も思う。
 ただ答弁する大臣及び役人の側が用意した文章は、すべて紙として残すのが行政府の義務であろう。答弁資料と口頭答弁の録音資料は行政府の国会に対する責任として保存すべきものであり、それは行政府から国会のアーカイヴズ、つまり国会図書館に引き渡すべきものであり、その際、国会図書館の側には正確な引き渡しが行われているかどうかをチェックする十分なアーキヴィストの要員が保障されなければならない。そもそも、そういう国会アーカイヴズをいつまでも国会図書館にゆだねておいていいかどうかも問題となる。これは国権の最高機関である国会にふさわしいアーカイヴズのあり方の問題である。
 こう考えてくると玉木氏の問題提起は、国務大臣の答弁資料のアーカイヴズとしての保存一般の問題に繋がっていく。玉木氏も、文房具の問題から、国政にとってより根本的な、この問題に議論を広げてほしいと思う。
 さて、国務大臣の国会関係史料という場合に、鍵になるのは首相の国会での演説と答弁などのデータアーカイヴの問題である。
 周知のように日本では国務大臣の国会での発言のために、国会前日は霞ヶ関の省庁では、終夜、電気がつきっぱなしで、また深夜帰宅のためのタクシーが客待ちをしているという。これは無駄遣いであり、そもそも異常な事態である。イギリスの国会の答弁の様子をみていると、脇から役人が助けをだすなどということはありえない席の配置になっている。そんなに広くない会議室で2メートルも離れていないところで面と向かって質問と答弁、議論が行われる。机もないからメモなども自由には使えない。事前のレクチャーは別として答弁メモなどは作ってもしょうがない訳だ。だから、霞ヶ関が終夜明るいなどと言うのは、常識的には国辱ものの風景である。内閣は無能ですということの表現のようなものだ。
 とくに問題となるのが首相の国会関係文書であろう。福田康夫前首相が首相が退任する際に公文書を保存するルールを作るべきであり、記録を残すルール作りと首相専属の「記録担当補佐官」の創設を提言した。自分の在任期の文書は段ボールに入れて持ち帰ったというのは驚きの話しで、こういうのは平安時代の役所文書の処置の仕方である。たとえば愚昧記という貴族の日記の用紙は検非違使庁の貴重な文書が使われているが、これは記主が検非違使別当をやっていたときの文書を持ち帰って自分の日記の用紙にした訳である。
 これが変わっていないというのは驚くべきことだ。福田氏はご自分の経験と見聞からして、このままでは首相文書は廃棄や散逸してしまうという。福田氏が「日本の政治、行政のトップの記録は残して当然だ」と述べるのは正論である(毎日新聞2019年1月19日)。福田首相は就任直後に公文書保存に意欲をみせた。そのとき歴史学界が大きな期待をよせたことを覚えている。
 そもそも、首相文書は国民の税金をつかって作成されたものであるから、在任中に書いたもの、口述したものはすべて公文書である。アメリカ大統領の作成文書は在任期間中のすべての行政文書が(メモもふくめて)アーカイヴされるのは有名な話である。アメリカの大統領の文書は「大統領記録法」によって細大もらさず保存される。大統領の時間はすべて公的なもので高い金で国民が買い上げたものであるから、詳細な記録が必要であり、その職務遂行に関して作成・入手された文書となれば破棄するのは犯罪である。それゆえにホワイトハウスのスタッフは大統領に関する記録を分類してファイルを作り、厳密に保存されるのだ。それをアーカイブするための大統領の名前を付けた図書館がアメリカ各地にある。
 日本でも同じものが必要である。急ぎ、首相文書アーカイブ法案を議員立法で作ったらどうであろうか。なお、首相文書の公開には主題によって一定の年限が必要になることはいうをまたない。ただし、それには例外を設定してほしい。つまり首相文書アーカイブ法案には、国会での演説・答弁に関する文書、メモなどはすべて即時にオープンすべきである。これは国民が自分たちが時間雇用している首相が何を考えているかを時々刻々正確に認識するのは当然の権利だからである。
 なお安倍首相の演説メモや答弁メモには振り仮名がふってあるというのがもっぱらの噂であるが、それがどの程度のものであるかにかかわらず、これもすべて即時に公開すべきものである。
 是非、与野党をとわず、できるだけ早く議論してほしいものだ。少なくとも「改憲」の議論よりは先であろう。

2018年10月31日 (水)

聖徳太子の憲法17条の「和を以て尊となす」は民主主義か

 稲田議員の国会質問について毎日新聞の取材をうけてお答えしました。ただし、デジタル版などに掲載されたのは、このまったくの一部ですので、ここでオープンしてしまいます。

民主主義とは平等な諸個人が出自・職業・民族などの相違をこえて宗教・思想・信条などを含むすべての尊厳と自由を行使することであって、そのようなシステムが一応現実化したのは20世紀の普通選挙権の実施以降です(平凡社『大百科事典』民主主義の項目)。

 しかし、現在でもたとえば男女平等の規定の追加が何度も妨げられたままで民族の平等規定も存在しないアメリカ憲法のようにひどい憲法も存在する状態です。

 ですから、そういう民主主義が前近代の世界にはどこにも存在しなかったことはいうまでもなく、たとえばギリシャのデモクラシーも市民=奴隷主相互の平等にすぎません。

 いわれる聖徳太子の憲法17条の「和を以て尊となす」は『論語』の一節、儒教思想ですので民主主義とは関係がありません。『国体の本義』も、その本質を「君臣相和」「上に立つ者と下に立つものの和」であって「理性から出発し互いに独立した個人の協調」とはまったく違うものとしています。『国体の本義』は五箇条の誓文のいう「公論」も同時に出された宸翰に「百官諸侯卜広ク相誓ヒ」とあるのを中心に説明しています。『国体の本義』は戦争中の国定思想でしたが、これらの説明は正しいでしょう。

 問題はこのようなシステムとしての民主主義でなく、思想としての民主主義が日本にあったかどうかですが、東アジアで民主主義的思想の側面をもつといって問題ないのは、私は『老子』の思想であると考えています。しかし『老子』の思想は日本ではなかなかそのような形では受容されませんでした。また同じく『国体の本義』が日本の思想の基調をなした諸思想のうち、儒教と仏教を誉めあげながら『老子』の思想は「歴史的基礎のない個人主義におちいった」としているように前近代の日本国家は老荘の思想を拒否していたというのが正しいでしょう。

 その意味では言説としての民主主義は日本ではなかなか難しい運命を歩んできたというのが妥当だろうと思います。

2017年4月18日 (火)

戦前社会には家族国家論というのがあった。

 戦前社会には家族国家論というのがあった。「国家は家族のようなものだから我慢、我慢」という論理である。国家と家族は違うから、こういう論理はもちろん成り立たない。しかし、当時は、国家のイメージは家族のイメージと同様に分かりやすかったのであろう。

 現在の国家はいってみれば「非家族国家」。その意味は、家族の中ならできないような常識はずれのことをやっても平気な国家という意味である。あるいはすでに家庭も崩れているから「現代家族国家」でもよいという意見もあるかもしれない。たしかに政治家たちの姿をみていると「家族・親族」の中のおかしなオジサンという感じも強い。

 こういう国家がはじまったのはもう30年前か、中曽根某氏が「絶対に消費税は上げません。この顔が嘘をつく顔にみえますか」と大見得をきって選挙に勝ち、手のひらを返したようにではななく、手のひらを返して消費税を導入して以来のことである。政治家はうそつき、常識はずれというのがあれ以来決定的になった。「うそつきは泥棒の始まり」という人生訓の効き目が一挙になくなった。道徳を人並み以上に強調していた政党が社会倫理を壊した。この政党はなにしろ「道徳教育法案」というのをだした。たしか私が小学生のころのことである。小学校時代の恩師が怒っていた。倫理を壊し家庭を壊してきた人々、「非家族国家」であれ、「現代家族国家」であれ、そういう国家を作ってきた人々である。

 そういう人々を、それでも選出し続けていたから、こういうことになる。日本社会はつねに上からくずれるから、あるいはこれは国民の高等戦術か。

 二〇一一年六月の再掲

2017年4月17日 (月)

「無知が先か、無責任が先か」

 国家中枢部の状態について「これは無知のせいなのか、無責任のせいなのか」ということを考えさせられるというのはきついことである。

 もちろん、「無知が先か、無責任が先か」という言い方にはやや語弊がある。いうまでもなく、「知があればよい(賢ければよい)」、「責任をとっていればよい」ということではないからである。

 また、「無知が先か、無責任が先か」というのは、「鶏が先か、卵が先か」というのと同じことかもしれない。そして、こういう鶏・卵問題には通常、より根本的な問題があるということが多い。無知が中枢に侵入するというのは、いわば「無知」が社会的に浮上するという動力が働いているということである。その動力が何かということを、よく考えてみる必要があると思う。その側面からみれば、「無知」「無責任」が社会の中枢で脚光を浴びてしまうのは、同じ構造によるものだろう。

 しかし、それにしても、やはり「無知が先か、無責任が先か」というのは重要な問題だと思う。そして、どちらかといえば、これは「無知」が先なのではないか。「失敗学」という考え方があるが、「無知」というのは、そこからいえば「失敗」の初期条件だろう。
 「無責任」というのは、どちらかといえば「結果責任」に関わることで、うまくいっているうちは、「無責任」は問われないで済んでしまうことも多い。そういう局面が、これまで多かったのだろう。間違った初期条件から出発して、「責任」を取っていると、結局、「無責任」になるという訳である。

 日本の政治風土を「無責任の体系」として特徴づけたのは、よく知られているように、丸山真男であるが、ここから考えると、むしろ「無知の体系」というものが日本社会に根づいているということの方が重大な問題なのかもしれない。
 
 ともあれ、問題は日本社会の「体質」とか、社会風土、文化意識、政治意識などといわれる問題ではなく、社会のシステムや構造の問題、上の言い方では「無知」が中枢に押し上げられるような社会的動力の問題である。これをキチンと考えておかないと、私たちの国家は国際的に恥をかくということになりかねない。これも日本的な「恥の文化」かも知れないが、ともかく信じられない話である。

 以上、再掲。二〇一五年七月より。

2017年4月14日 (金)

朝鮮半島情勢、政府と野党は全力で軍事危機を避ける対応を

 朝鮮半島で緊張が高まっている。明日15日が韓国の大統領選挙告示、かつ北朝鮮の故金日成主席の生誕105年に当たる。北朝鮮の核実験の可能性が指摘されており、アメリカ・北朝鮮・韓国・日本の間で緊張が高まっている。米ジョンズ・ホプキンズ大の北朝鮮分析サイト「38ノース」は13日、北朝鮮北東部の咸鏡北道・豊渓里にある核実験場で核実験の準備が完了したとする衛星写真の分析結果を示したという。北朝鮮がどうでるかはわからないが、緊張が高まっただけに状況は軽視できない。

 北朝鮮とトランプは、両方とも何をやりだすかわからない。トランプの背後には確実にアメリカ軍部と兵器産業がいる。湾岸戦争、イラク戦争以来、押さえ込まれていた軍部のなかに、ブッシュの下での戦争の全能感が復活している。彼らはシリア・アフガン・東アジアの各所で戦争体制を構築しようとしている。アメリカはいわば戦争慣れしており、とくに東アジアを自由行動可能な勢力圏と軽くみている。偶発事件が起こりうる。

 政府は急ぎ韓国政府と協議し、アメリカに対して、「日本・韓国の頭越しでの火遊びは許さない、軍事的対応を行なうな」などの申し入れを行わなければならない。実際に戦争被害が起きる可能性があることを正面からみてほしい。トランプの戦争では何も解決しない。そもそもトランプは支持率を落としており、戦争をアメリカ国内へ向けての宣伝のためにやっていることは明らかだ。

 また民進党・共産党・社民党・自由党など日本の野党は、アメリカ・韓国の戦争反対の勢力に対して、急ぎ共同メーッセージを発してほしいと思う。今後の状況を観測しようというのではなく、最初に明瞭な姿勢を示すことが大事だろう。これは国民は誰も異論がない。そして、トランプに対応する上では国際的連携をとることが決定的に重要であり、国際的な理路がみえないままでは状況は悪化する。

 東アジアで戦争が実際に問題となるのは、60年代のベトナム戦争以来である。アメリカでは、第二次世界大戦における太平洋戦線の記憶は遠くなっており、またベトナム戦争の記憶も後景に退いている。この中で、アメリカでは、世界をヨーロッパを中心にみる傾向が強くなっている。ヨーロッパ→イスラエル→パレスチナ→中東という視線だ。しかし、現実には、アメリカの世界戦略は、むしろ逆の方向、つまり太平洋→日本→インド洋という空と海の軍事網によって支えられていることはいうまでもない。

 心配なのは、アメリカの反戦争勢力も、同じようなヨーロッパ中心の視線をもっているようにみえることである。彼らは、バーニー・サンダースをふくめてアジアの状況についての認識に敏速さを欠く。これはアメリカの戦争が中東を中心としていたことの影響でもあるが、同時に、アメリカの反戦争の勢力の間ではアメリカのベトナム戦争への総括が、アジアへの目を深める形で進んでこなかったことを意味するのではないかというのが心配である。東アジアに対する認識が弱い状態が続いている。

 野党は、合同でまずアメリカの民主党に対して直接に呼びかけてほしいと思う。アメリカ民主党の一部はシリアへの爆撃を支持したが、現在、アジアでの戦争には賛同しないと考えられる。万が一の状況の混乱の前に、理路をはっきりさせることが重要だと思う。

 日本の国際的な位置と責務はきわめて高い。アメリカとの間では、各政党は、すでにそういう直接の議論を恒常的にもっていく責任がある。

2016年3月15日 (火)

国家は抽象物であることについてーー天皇機関説についても考えた

「保育園落ちた 日本死ね!!!」と題したブログ記事について、次のようにツイートしたところ、急に「何をいっているんだ」という意見が集中して驚いた。

「日本」というのは実態ではなくて抽象物なので、それを中傷することは人を傷つけない。抽象物を中傷されたということで傷つくのは傷ついた側が間違いなのだと思う。保育園という実態が背後にあり、怒る愛がみえるのが、このフレーズの天才的なところ 。

 いうまでもなく、国家とは抽象物である。国家が人格性をもつかどうかというのは、国家論にとって本質的な問題である。国家は人格性をもたない、法人格と具体人格は違うという見解をベースにして美濃部達吉の「天皇機関説」があるのはよく知られた話しである。天皇は国家を代表する人格として存在しているが、それは国家の機関の一部として、機関の象徴として存在しているものであって、王として実際の人格とは区別されるものであるという訳である。

 日本が抽象物であるとは、日本国民が国籍をもつという形で形成された存在であることである。私は、歴史家のなかでも「民族」ということをもっとも突き詰めて考えた一人、網野善彦さんが、民族というのは、結局、国籍などの国家との関係だといったことは正しいと思うようになった。

 国家の構成員が国家を自己自身の構成物(哲学用語でいえば抽象物)として扱う権利をもつのは当然である。国家は構成された公共圏である。国家の主権者であるとは、構成物たる国家から自由に、それを批判する権利をもつということである。そこでは国民はたとえば、戦争犯罪など、カント的にいえば国家の非人倫的性格や行為を糺断する権利をもつ。また国家に対する革命権・抵抗権をもつというのも、近代法、近代憲法の基本原則である。これらの糺断、抵抗、革命などの権限の根本には、国家に対する諸個人の優越、国家に対する倫理的糺断の精神的自由がある。それ故にこそ、その表現の自由、言論の自由が主権者の権利の基礎にすわるのであって、その自由の範囲はきわめて大きい。

 国家というものが抽象物であるからこそ、それに対する糺断、批判、罵倒は、表現・言論の自由となるのである。こうして、「日本死ね」という表現は表現の自由の一部を構成する。最低の人間的常識さえもたない国家は社会的に存在する意味はないという糺断である。近代法原則の下では、それが表現の自由であることは認めなければならない。「抽象物を中傷されたということで傷つくのは傷ついた側が間違い」というのはそういうことである。
 
「保育園落ちた 日本死ね!!!」
何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
昨日見事に保育園落ちたわ。
どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。
子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
何が少子化だよクソ。
子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからwって言ってて子供産むやつなんかいねーよ。
不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。
オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。
エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ。
有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。
どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。
ふざけんな日本。
保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ。
保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
国が子供産ませないでどうすんだよ。
金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから取り敢えず金出すか子供にかかる費用全てを無償にしろよ。
不倫したり賄賂受け取ったりウチワ作ってるやつ見繕って国会議員を半分位クビにすりゃ財源作れるだろ。
まじいい加減にしろ日本。

 このブログの文章は、無能・無責任で余計なことばかりをやっている国家に対する怒りの表現である。実際、保育所に入れない乳幼児がたくさんいて、いったいどういうことだ。「保育に欠ける」という状態は許されないというのが法律ではないか。それを守らない自治体や政府はいったい何をやっているのだ、「馬鹿め、ボケ」という批判と母親の行動は、2・3年前から存在し、東京の各区で不服審査請求が行われたのはよく知られたことである。

 そういう状態が存在することは、最近、国会で内閣が検討の必要を認めていることに明らかである。全国で何万もの乳幼児が保育所に入れないでいるというのは、客観的な事実であり、それが放置され、実態に変化がないことについて、怒りを表明するのは、タックスペイヤーとして当然のことである。

 個人に対して「死ね」といっているのではない。「何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ」と抽象物を罵倒しているのである。抽象物を罵倒することで、強い意思と感情を表現するというやり方を承認する。それによって問題が抵抗権・革命権にまで無用に拡大することがないようにし、それによって、できる限り社会の安穏を保証するというのが国家と言論の自由の関係の知恵なのである。そのためには国家を抽象物として捉える法的態度が必須となる。

 もちろん、これは国家の内部的関係に関わることであって、国際的関係になれば、国家と国家のあいだ、国民と国民の間は実態的な関係となる。それ故に、我々は、たとえばアメリカ・韓国・中国の国家・国民を抽象物としてあつかうことはできない。日本国民が「アメリカ死ね。韓国死ね」などという権利は存在しない。それは我々の構成物ではなく外からは一つの実態だからである。それは歴史のなかで相互的な関係として実態として存在している。しかし私たちは日本に対してはそれを構成物として扱う憲法的権利をもつである。

 なおもう一つ付け加えて置かねばならないのは「国土」は構成物ではないことである。国土は自然であって、我々の前提である。国土は我々の前提であり、それへの「骨肉の愛」は、この国土を嫌いだ、もう見たくないという感情はふくむが、我々は、そこから、結局、逃れることはできない。それは身体から逃れることはできないのと同じことである。国土の前では怒りは無意味であって、そこでは怒りは国土を壊す者、たとえば原発をつくって国土を毀損した無知・無責任な人間に対する怒りとなるほかはない。現在、我々がもつ怒りは、自然を破壊したものへの怒りと、無知・無責任な姿をさらしている構成物としての国家の現状に対する倫理的糺断の双方をふくまざるをえないものとなっている。原発事故に対する国会事故調査委員会の委員長の怒りをみれば、その事情がよくわかると思う(福島原発「国会事故調」元委員長の告発!「日本の中枢は、いまなおメルトダウンを続けている」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48136)。

 最近いただいた小路田泰直・住友陽文氏など編の『核の世紀ーー日本原子力開発史』(東京堂出版)の小路田論文を読んでもそう思うが、あらためて美濃部達吉の「天皇機関説」の意味を考えなければならないと思う。

 歴史家として、社会科学者としては、美濃部の議論の全体に賛成できる訳ではない。しかし、大正デモクラシーの時期に、この考え方が、いわゆる明治憲法についての基準的な解釈となったことはよく知られている。それに対して、天皇機関説を論難するということで日本の無謀な軍国主義と「天皇主義」は始まった。それは「日本を抽象物として扱う」ことへの軍部・極右による攻撃から始まった。右のブログに対する攻撃は論理的には同じことをやっているのである。

 この天皇機関説攻撃に社会がなびいてしまった状況が、無能・無謀・無責任な人間が戦争犯罪を遂行する基礎となったのであって、これは天皇家自身が批判と反省を表明したところである。

 この経験が、日本国憲法の天皇条項に反映していることはいうまでもない。そこには連続性がある。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」などの条項である。

 私は、歴史家として、王権というものが未来永劫に持続するものであるとは考えない。しかし、ともかく、これらの天皇条項を見るたびに、その背景に美濃部の天皇機関説をみる、そして国家を、「日本」を抽象物として扱う歴史的な省察が当然の法的態度となるための知的諸条件を蓄積し、伝えていくことの憲法的義務を感じる。

2016年3月 3日 (木)

サンダースはまだ勝利の可能性も。

 スーパーチューズデイの結果は下記の表の通り(washingtonpost.comのThe race to the Democratic nomination のデータから作成した)。全体としてクリントンは1052、サンダースは427と半分の開きがあるが、実はクリントン支持の代議員のうち特別代議員(党員大会で選出されないインナーメンバー。Unpledged delegates。誓約していない自由判断権をもつ代議員)が457人であるから、党員大会レヴェルでいえば、595対405(特別代議員22を除く)という数値で、まだ引き離されては居ない。サンダースは健闘した。
Supatuesdai

 世論調査の示すサンダースの全国的支持率はクリントンと並んでおり、それは維持されるだろう。もちろん、獲得した代議員の数は(スーパーデレゲート問題もいれて)少ないが、しかし、マサチューセッツで投票率でタイにもっていったのは大きい。私には確定できない情報だがビル・クリントン自身がマサチューセッツで投票妨害に似た行為をしたというが、クリントン側も実は必死だろう。

 マサチューセッツで勝っていれば、州の数ではタイに近くなったことになる。アメリカは合衆国という性格を維持しており、州の数のもつ政治的な意味は大きい。これはサンダースが大統領選挙という政治的局面で完全に生き残ったことを示している。


 サンダースの大統領を目指した全国的運動は、昨年初夏に始まったものに過ぎない。それがここまで来たことについて、クリントン政権の下で労働省の長官(1993 to 1997)をつとめたロバート・ライヒが次のように述べている(Democracy Now,2016,3,1。ロバート・ライヒは、現在、カリフォルニアのバークレーの教授)。

 「私はクリントンの政府の中にいた。キャビネットの中にいたが、ワシントンの外側にいる人こそが、変革をおこし、動員し、組織し、エネルギーを発揮することができる。内側は特別な利益に支配されていて、そこでは何も起こらない」「議会を抜本的に変革しなければならない、アメリカの権力構造を根本的に変化させなければならない。サンダースはその運動を始めた」「彼は、自分をこの運動に乗っかっているに過ぎないことを自覚している。このキャンペーンはサンダースのものでも、サンダースのためのものでもない。アメリカの寡頭制による政治の金権支配を破るための運動であって、まだどうなるかは分からないが、民主党大会は、この反エスタブリッシュメントの運動に巻き込まれるだろう」「未来にとっての意味は大きい。多くのアメリカ人が、政治的なエスタブリッシュメントが駄目になっているといっているのだ」。

 ロバート・ライヒがサンダース支持の立場を明らかにしたことは驚きを呼んだというが、私は彼が、ようするに「ともかく運動が始まった。ここに賭けるほかない」といったことの意味は大きいと思う。

 重要なのは、サンダースの支持の動きは、民主党の内側のみでなく、外側に大きな支持基盤があることで、スーパーチューズデイの結果は、この運動基盤が相当の分厚さをもち、今後も確実に継続することを示した。これはサンダースにとっては段階を画する勝利である。サンダース陣営はトランプに勝てる候補はサンダースだという主張を繰り返しているが、そこには相当の説得力がある。これがアメリカの現代政治史においてきわめて大きな変化であることは否定できない。

 いわば、これで蓋が取れたのだろう。もちろん、民主党内ではまだ蓋が残っている。それはスーパーデレゲートの存在であって、ライヒも「彼らはインサイダーの人間であって、彼らがいるということ自体が、民主党が時代の変化がわかっていない証拠だ」と強調している。

 民主党が党員集会における得票数に比例して代議員数をわりあてるようになったのは、J・ジャクソンの要求によったものである。そのとき、ジャクソンはスーパーデレゲーツの人数を減らすことをも要求したが、それは部分的にしか実現しなかった。現在のところ、クリントンのスーパーデレゲーツは453人(全体の代議員数の一割、過半数の五分の一を越える)、サンダースは、22人であるという。いま、この蓋の存在が問題になっている。

 この蓋を維持したまま、民主党が進むと、これは長く続いたアメリカの民主党・共和党の二大政党制それ自体に明瞭な亀裂が生ずることになるだろう。サンダースの動き自体が状況によっては、第三党の形成に進む可能性も高い。サンダースの主張はそもそも民主党の枠内には収まらないのである。

 問題は、いくつかに絞られていくが、もっとも重大なのは、アメリカにおける人種問題をどう考えるかである。南部、テキサス、ジョージア、サウスカロライナでのアフリカ系アメリカンのサンダースに対する支持は期待ほど伸びなかった。ここがどうなるかが決定的である。

 これはまずはアメリカ南部のアフリカ系アメリカンの人びとの意識と生活の現状から
考えて行かねばならないが、それは次ぎにゆずって、ここではアメリカの対外政策との関係で考えてみたいと思う。

 というのは、これもDemocracy Nowで聞いた公民権運動の活動家、ブラックコミュニティの組織者、ケビン・アレクサンダー・グレイの発言が印象的であったからである。彼はジェシー・ジャクソンのそばにいた活動家で、アミー・グッドマンのインタビューに対して、「サンダースはキング牧師と一緒に歩いたことを強調するが、ブラックのコミュニティに入ってきていない。そもそもキングは人類の普遍的な価値についての発言をベースに行動しているのに、サンダースはそうでない。サンダースのパレスティナへの立場も不明瞭だ」という。

 このDemocracy Nowのインタビュー記事の題は「バーニー・サンダースは北部白人のリベラルくさい選挙運動をサウスカロライナでやっているのか?」というもので、グレイはようするに、サンダースはアメリカの白人の知識人リベラルの運動の枠内にあって信頼できないというのである。サンダースがブラックのコミュニティに入ってきていないということをふくめて、そこには十分な理由があるに相違ないが、しかし、グレイのいうのは、端的にいえば、サンダースがキング牧師のI have a dreamの演説の場に自分が参加していたと宣伝するのを聞くのは愉快でないというのである。

 私は、サンダースとアフリカ系アメリカンの公民権運動の指導者が一緒に進んでいってほしいと思う。公民権運動が、マーチン・ルーサー・キング牧師と非暴力学生調整委員会(SNCC)を中心にして進んだことを前提として、その歩みが政治的な果実をもたらすことを期待したいと思う。

 しかし、これは難しい問題である。しばらく前のエントリー「B・サンダースがアフリカ系の支持を集める条件」で書いたように、サンダースはユダヤ系のニューヨーカーである。ユダヤ系の知識人とアフリカ系アメリカンの政治的融合と連携が、どこまで深いところで可能かという問題は単純な問題ではない。これはアメリカの政治、さらには文化それ自体において大きな試金石である。

 私は、サンダースより少し下の世代だが、それを考えるときに想起するのは、公民権運動の時期のブラックパワーの運動、典型的にはブラック・パンサーとマルコムX師の運動のことである。あの時期、キング牧師は大きな尊敬を集めていた。私はキリスト教系の大学にいたので、その雰囲気がよくわかる。

 しかし、キング牧師は、その晩年にはブラックパワーの運動の側からの強い批判を受けていた。ブラックパワーの運動は、端的にいえばアメリカに対する拒否、自己の祖先がアメリカに奴隷として売られてきて、そのシステムに乗ってアメリカが発展してきたこと事態への全面拒否の運動であった。それはアフリカ復帰の運動でもあった。奴隷制と奴隷制からの解放運動の記憶は、まだまだ強くアメリカのなかに生きていたし、人種差別は公然たる事実であった。その中でのブラック・パンサーとマルコムX師の主張には強い説得力があったのを覚えている。

 サンダース、そして彼に象徴される私などと同世代の人びとが、このブラックパワーの問題について、いまどう考えているのかを聞きたいと思う。少なくとも問題は、そこから解きほぐされねばならないと思う。

 端的に言えば、サンダースは、そろそろアメリカという国家が「移民国家」であるという根本問題にふれる形で自己の対外政策を発表しなければならないはずである。

 移民国家アメリカでは人種差別構造とアメリカの対外政策は深く関係しており、サンダースはそこに踏み込まずに説得力を確保できない。

 そして、私見では、その基本は、アフリカがアメリカ合衆国の「古い故国」( Old Homeland)であることをみとめることである。「移民国家」アメリカ合衆国にとっての故国はヨーロッパだけではないということを明瞭に認め、それを基準にしてアフリカとの新しい関係を政策構想として打ち出すことである。

 ヨーロッパは、16世紀以降、アフリカを収奪し、多くの人びとを殺害し、人びとを奴隷にしてアフリカから引き離した。その中心になったのは、海賊・人売りたちだったが、近年の歴史学は、当時のヨーロッパ自体が世界史的に見てもっとも野蛮な帝国であったことを確証する成果をあげてきた。これは大陸に対する犯罪として南アメリカにあおけるスペインの悪魔的所行にならぶものである。このヨーロッパ批判の歴史意識をアメリカ人が常識としてもつことが決定的な意味をもっている。

 それを移民国家アメリカに住む人種のすべてが共有することからアメリカの対外政策は構築される必要がある。ヨーロッパから、アフリカ系アメリカ人を購入した合衆国の建国者たちもほめられたものではない。しかし、すでにアフリカ系アメリカ人にとってアメリカは故国である。アメリカにとって、アフリカ系アメリカ人は歴史によって迎え入れられたもっとも重要で力強い構成員である。その観点から、キング牧師の展開した公民権運動がアメリカの歴史のもっとも誇るべき一章であることを明瞭にすることだ。

 それを正面からみとめ、歴史の負債を歴史の促進要因に転化するほかに道はないということを確認するべき時期だ。ヨーロッパは19世紀以来、第二次大戦後にいたるまでもアフリカで多くの人を殺害し、アフリカの富を奪ってきた。現在のアフリカ諸国がかかえる問題や紛争は、歴史的にみれば、ほとんどすべてが、そのときの大規模な戦争被害と環境破壊に根をひいている。イギリス・オランダ・ベルギー・フランス・ドイツなどの国々とアフリカとの関係は深い闇をかかえており、彼らがアフリカにかかわる際には、必然的にその歴史的責任が問われることになる。もちろん、アメリカもアフリカとの関係でさまざまな問題を抱えているが、しかし、国家としての関わりはヨーロッパほど深く長い闇を抱えているのではない。アメリカは、国内の人種差別を徹底的に解消した上でという留保がつくとしても、アフリカとの関係で、もっとも主要なプレーヤーとして行動する「権利」をもっている。

 その意味で、サンダースは、まずブッシュ政権が開始したアフリカへの軍事的関与(それが現在のアフリカの軍事枠組みの基本をなしている)を徹底的に再検討するところから出発しなければならない。現在のアメリカの政治的・経済的な力の総力をあげて、アフリカの安定と復興に貢献し、アフリカとの経済的・文化的な交流を平和のなかで強化するという政策を明瞭に打ち出すことだ。

 アメリカの世界政策、外交政策の揺れ方の常道からいって、サンダースあるいはその運動を表現する第三政党は、一種の「新しいモンロー主義」、平和のためのアメリカ大陸主義ともいうべきものを打ち出さざるをえないだろうが、その時には、アメリカの「Old Home Land」はヨーロッパだけではないということを宣言することがどうしても必要だろう。

 そして、その際に忘れてはならないのは、ユダヤ系アメリカ人にとっての故国は決してイスラエルではないということをあわせて宣言することだ。これをサンダースができるかどうか。私のような学者(しかも専攻は日本史の奈良・平安時代という学者)には政治の具体的な動きは予測不能であるが、その余裕が、これからの選挙戦のなかでできるかどうかは、ある意味で非常に大事だと思う。

 アメリカはイスラエルよりも多くのユダヤ系の人びとを構成員の一つとする国家である。彼らの故国はヨーロッパ大陸そのものなのであって、ナチス、ヒトラーと、ソビエト全体主義、スターリンが、そのヨーロッパにおけるユダヤ系の住民組織を破壊したのである。

 アメリカのユダヤ人社会がそこを振り返って、イスラエルは決して「Our Old Home Land」ではないということが決定的な意味をもっている。ヨーロッパは、まずパレスティナの人びとの故国であった中東アラブ地域の全域を破壊し、その歴史的しっぺ返しであるかのようにして、第一次大戦、第二次大戦という戦禍のなかに突入していった。おの全体を歴史的に総括するべき時期が来ているのである。

 なおDemocracy Now(http://www.democracynow.org/)は面白い。英語の勉強になる。インタビューの起こしもついている。日本語版もできて、大学生たちが翻訳に参加しているらしい。一見をおすすめします。

2016年2月23日 (火)

紀元前後から4回目の大地動乱の時代がくるのかどうか。

 火山学・地震学の人には怒られるのではないかと思いますが、私は、大地動乱の時代が日本列島にはだいたい700年周期で起こるのではないかと考えています。

 それは3,11のような東北地方(奥州)巨大地震、そして南海トラフ巨大地震、さらに富士の噴火が200年ほどの間に連続するということによって特徴づけられる大地動乱の時代です。

 これは紀元前の富士の噴火、分厚い津波痕跡を残した南海トラフ巨大地震と奥州津波、次ぎに8世紀から10世紀の、南海トラフ巨大地震、869年奥州大津波、そして、富士五湖を形成した富士噴火に続きました。

 その約700年後にも戦国時代から徳川初期にかけての大地動乱の時代が続きました。享徳の奥州津波、宝永の南海トラフ巨大地震と富士噴火です。

 2011年の3,11は869年の奥州津波とほぼ同規模といわれており、今後30年で相当の確度で発生するといわれている南海トラフ巨大地震は大きくなるのではないかという予測もあります。そして、その前後に富士噴火があるのではないかというのは、大げさないわゆる「世を騒がせる」発言のようですが、まだまだ先のことではありますが、一つの可能性としてありえないことではないと考えるに至りました。
 
 紀元前後から4回目の大地動乱の時代ということになります。

 それを考える上で、示唆的なのは、最後にも引用しますが、1985年に『正論』175号に乗った下記の益田勝美氏の警告です。

 「時を定めず断続的に火を燌く山々をもつわたくしたちの国は、その各地のマグ マの神とどうつきあって生きるかが、歴史的大課題である。ひたすら忌み恐れて祀った昔とかわり、現代的に科学的なつつしみ深い対し方が必要ではなかろうか、と思う。こんど大島でもあわてて観測機器を追加配置したが、全国の火山地帯にはもっと大規模な観測網を敷く必要があろう。火山国だから、これは不可欠・不可避のことだ。それと、気がかりなのは、現在の 大島を見ても、機器の 針が描く波線ばかりに頼りすぎていること。火山地帯には、常時、パトロール隊を置き、人間の五官を総動員して歩き回って見張るべきだ。たとえ物入りでも、手は抜けない。科学の力と人間の力を組み合わせて、全体的に見るべきだろう」(『正論』175号)。

 この益田の提言を考える上で、重要な著作が、最近、二冊、刊行されました。一冊は、これまでほとんどの人が知らなかった上記の文章を、青土社の編集者の榎本周平氏が確認して、そのほかにも知られなかった文章をふくめて、編集した、益田のアンソロジー『日本列島人の思想』です。

 そしてもう一冊が、このアレクサンドル・ワノフスキー『火山と日本の神話』です。
Wanofskicci20160222

 この本は私も出版に関わっていますので、こちらから紹介しますが、丁寧につくられていて良い本だと思います。

 これに関わった最初は、急に社主の方からメールが入って、ワノフスキーの本について読んでほしいということでしたので、本書に収録されている1955年に出版された『火山と太陽』のコピーを送ってもらって、読みました。そして自宅近くまで来てくれたので会って、感想を伝えたことでした。

 あとがきに「無名の亡命者による古事記研究を紹介したところで読んでくれる人がいるのだろうかという疑問は、この企画の初めから消えることはなかったのですが、各分野の一線で活躍しておられる専門家に現代的異議を認めていただいたことで、こうした形での出版が実現できました」とあるように、最初にお会いしたときは、この本の価値を評価できるかという質問でしたので、価値があること、そして出版するのならば『火山と太陽』は全文を入れた方がよいと伝えました。全文が第一部としておさめられています。

 第二部は、宗教哲学の鎌田東二氏(京都大学)、地質学の野村律夫氏(島根大学)、そして私の解説で、私は、「歴史学からみる火山神話」という文章を書いています。小見出しをあげますと「すべてを火山から考える、天孫降臨についての独自の主張、ワノフスキー古事記論の限界と問題点、歴史学にとっていま必要なこと」ということになります。

 最初の「すべてを火山から考える」という節の最初の部分だけを引用しておきますと、次のようになります。
 ワノフスキーの論文「火山と太陽」は興味深いものである。それは倭国神話のすべての側面、その本質に火山神話をすえて考えようという立場の宣言であった。同じような主張を最初に明瞭に述べたのは、おそらく寺田寅彦が一九三三年に書いた論文「神話と地球物理学」であろう。寺田という と「天災は忘れた頃に」という名言が有名であるが、私は、この寺田の論文の価値はきわめて高いと思う。寺田の論文は素戔嗚尊についての記述が 詳しいとはいえ、「国生神話」「出雲神話」その他の論点についてもふれており、ワノフスキーはこの寺田の論文をうけて、その議論を展開しているといってよい。両者を並べて読むことによって、私たちは、この国の神話研究の問題点を探り、それを発展させていくための示唆をえることができると思う。

 とはいえ、ワノフスキーの視点は、寺田の地球物理学的な視座とはまったく異なっていた。それは若い日にみたという何処か異国の火山噴火らしきものの夢に発した詩人的な直観によるものである。しかし、神話の世界を知るためには直観なるものも有効であろう。その意味ではワノフスキーが日本神話を火山的モチーフの観点から再検討しようとしたことは価値あるものであると思う。

 「倭国神話のすべての側面、その本質に火山神話をすえて考えよう」という立場は益田勝美も似たような立場をとっています。それは本書の日経新聞での紹介(2月7日)にもある通りですが、ただ、益田の見解はおもにオオナムチ(=大国主命)が火山神であるということを中心としています。

 それに対して、ワノフスキーは「国生神話」は大地の女神イザナミ(伊邪那美) が子どもを産むようにして、列島を噴火によって生みだしたということであり、スサノヲ神話は(素戔嗚)はスサノヲが火山神であり、同時に地震の神であることを示している。また、天孫降臨は天上の神話世界と火山神話世界の相互作用を描いたものであり、その舞台は九州の火山地帯にある。そして、出雲がもう一つの神話の主要な舞台として、それに対置されるのは、出雲火山帯の存在に理由があるということになる。

 つまり、実際上、倭国神話のすべての物語に火山神話が深く関わっているという想定を述べています。右の文章の冒頭で「それは倭国神話のすべての側面、その本質に火山神話をすえて考えようという立場の宣言であった」ということになります。

 ただ、これは「想定」であって、十分に倭国神話のテキストを分析したものではありません。率直にいって、そこで述べられているのは発想であって、学術的な作業ではないと思います。しかし、右にまとめたように、倭国神話の多くの側面について、これを全面的に述べたという点で、ワノフスキーの仕事が独創的であったことは否定してはならないと思います。学者は、おうおうにして証拠を細かく具体的、専門的に論じないと評価しようとしませんが、発想と議論の方向を示すことには独自の意味があると思います。今後の研究にとっては、かならず参照の対象として読んでおくべきものであると思います。

 なお、そういう記述のよいところは、ペースに乗ってしまえば読みやすいということで、このワノフスキーの文章も読みやすいものです。ただ、どこに意味があって、どこが思いこみによるものかを明瞭に区別しにくいことに注意しておく必要があります。ですから、読み方としては、興味をもった方は、右の拙文「歴史学からみる火山神話」でふれた松村武雄・益田勝美などの仕事とあわせて点検することが必要だと思います。学術的な分析としては不十分なものであることをふまえた上で読むべきものです。

 なお、第三部のワノフスキーの評伝は興味深いものです。この部分は、出版社社主の蒲池氏が早稲田の滝波秀子氏への取材をもとに執筆したもので、ワノフスキーがロシアにおける革命運動に参加していて、レニンとも面識があったこと、日本に亡命してきてからは北一輝・大川周明などの右翼関係者との関係が強かったことなどが、これも分かりやすく書かれています。

 とくに興味深いのは、北一輝が強い火山幻想をもっていたこととワノフスキーの仕事の関係が示唆されていることで、これは一九世紀世紀末から二〇世紀にかけての非合理主義と神秘主義をめぐる思想史にとってはきわめて興味深い問題だと思う。(史料的に可能ならば)さらに詳細な研究が望まれるところだが、北一輝の火山幻想が法華経に登場する火山幻想にベースがあったというのが興味深い。これについてはシン東風「仏典に見られる『大地震動』」があって、仏典の世界観の特徴であることがわかるが、北一輝の法華経は、宮沢賢治の法華経信仰にもつらなり、宮沢の火山幻想にもつらなっていく。

 ただ本書で最大の読み物はやはり第二部の鎌田氏と野村氏の文章であろう。

 野村氏の文章は、出雲の地質学的な分析にふれたもので、これはさらに本格的な分析が望まれるところである。私見は「石母田正の英雄時代論と神話論を読む――学史の原点から地震・火山神話をさぐる」『アリーナ』18号で述べたが、私も、出雲神話の分析にはこれが必須なのではないかと思う。


 そして、鎌田氏の文章はインタビューであるが、本書は、ここから読むことをお薦めする。インタビューであるだけに分かりやすく、倭国神話を火山神話を中軸にとらえるべきであるとしたワノフスキーの仕事にプライオリティを認めるべきであることなど明解な指摘がある。

 私はこのインタビユーを読んで、鎌田と中上健次の対談『言霊の大地』に進み、強いショックをうけた。この間の研究は、火山神話から神道論へという益田の議論にそって進めてきたが、その道を鎌田氏がすでに早くから歩んでいたことを知らなかった。宗教学・歴史学・人文学の世界というものは広く深いものだと思う。ここで底を打つことができたかどうか、私には分からないが、ともかく大きなショックであった。

 さて、鎌田氏のインタビューで、とくに共感したのは、先行する学説として益田勝美氏の仕事をあげ、結局、益田の仕事を折口信夫の仕事より高く評価すると述べているところである。私もそう思う。折口は「恐るべき神」の存在を示唆していはいるが、具体的な言及はなく、火山を中心とする「自然神」については、基本的に益田に依拠して考えていくほかない、それ故に神道についてもそうだと思う。これについては、拙著『日本史学、基本の30冊』(人文書院)で、安藤礼二氏の『場所と産霊』を紹介するなかで、「折口が「産霊」という神名を本居宣長の見解にしたがって「物を生成すことの霊異なる神霊」と理解し、さらに「結び」「縁結び」に引きつけて敷衍した自体は、ムスヒのヒは清音であることが論証されており、すでに学術的にはなりたたない見解である(溝口睦子『王権神話の二元構造』)。安藤はこのことにふれていないが、まず本居の見解自体も錯誤であって、ムスヒとは「蒸す火光=熱光」、つまり雷電の光りを意味すると述べた。

 折口信夫の「ムスヒ=結び=愛」という議論は折口の神道論の中枢をなす議論であるが、むしろ「ムスヒ=蒸す火光=熱光=雷電光=火山雷」というのが事実なのである(保立『歴史のなかの大地動乱』)。

 以上、簡単な紹介となったが、本書の次には、益田勝美の『火山列島の思想』と、さらに益田勝美『日本列島人の思想』(青土社)に進まれるのがよいと思う。前者は著名なものであるが、入手しがたかったものが、最近、講談社学術文庫で新刊された。しかし、とくに注意しておきたいのは、冒頭でふれた『日本列島人の思想』である。『火山列島の思想』の続きとして重大なもので、これまで知られていなかった文章を含み、益田の仕事を追っていく上で必須の著作である。

 『日本列島人の思想』の冒頭に入れられた、益田の著作集(全仕事)にも収録されていなかった文章の冒頭を、以下、引用しておく。

 「時を定めず断続的に火を燌く山々をもつわたくしたちの国は、その各地のマグ マの神とどうつきあって生きるかが、歴史的大課題である。ひたすら忌み恐れて祀った昔とかわり、現代的に科学的なつつしみ深い対し方が必要ではなかろうか、と思う。こんど大島でもあわてて観測機器を追加配置したが、全国の火山地帯にはもっと大規模な観測網を敷く必要があろう。火山国だから、これは不可欠・不可避のことだ。それと、気がかりなのは、現在の 大島を見ても、機器の 針が描く波線ばかりに頼りすぎていること。火山地帯には、常時、パトロール隊を置き、人間の五官を総動員して歩き回って見張るべきだ。たとえ物入りでも、手は抜けない。科学の力と人間の力を組み合わせて、全体的に見るべきだろう」(『正論』175号)。

 この益田の提言は1985年のものだが、これはいまこそ熟読の価値があると思う。私は、益田の仕事は「古代を対象とする歴史学が学ぶべき、文学史研究においてほとんど唯一といって良いほど屹立した仕事である」と考えているが、ここにはともかくも筋道を通そうという体系的で、強靱な思索がある。体系というと、なにか自己から離れたもののように思うが、しかし、そうではなく、思考の筋であり、樹木のようなものだ。根っこであり、幹であり、そこから枝に通っていく樹液のようなものである。

  ワノフスキーの本書から、益田の『日本列島人の思想』『火山列島の思想』へ進んでいくことは、人文科学にも体系性があるのだ、そして体系があるということは、それがたんなる教養ではなく、現代の実践的な問題に連なるということなのだということを実感していただく上で重要だろうと思う。

2016年2月10日 (水)

【B・サンダース】2月10日のツイート


What we need is a national health care system that puts people ahead of profits and health ahead of special interests.

利潤より前に国民を優先し、一部の利害でなく人びとの健康を優先するのは当然だ。だから国民健康保険制度がが必要なのだ。

When two-thirds of American seniors rely on Social Security benefits for most of their income, we must expand Social Security - not cut it!

アメリカの高齢者の 3 分の 2 が、その収入のほとんどを社会保障給付によっているときに、社会保障を拡張すべきことは明らかだ。それをカットしようなどということはありえない!

Bernie SandersさんがThe Associated Pressをリツイートして次のように述べました。

The Supreme Court's decision is deeply disappointing. There's no time to spare in the fight to combat climate change
最高裁判所の決定のあたえる失望は深い。気候変動と向き合う運動は時間との争いになっている。

The Associated Press @AP
BREAKING: Supreme Court agrees to halt enforcement of sweeping plan to address climate change until after legal challenges are resolved.
 最高裁判所は法的な問題のゆくえがはっきりするまで気候変動を焦点とする抜本的な方策の強化をストップすることを認めた。

2016年2月 8日 (月)

21世紀はテロの時代になるのかどうか。

 20世紀は「世界戦争の時代」といわれた。しかし、これと対比すると21世紀はテロの時代になるのではないかというのが最大の懸念である。もしそういうことだとすれば、ちょうど2001年におきた9,11テロによって、テロの世紀の開始が画されていることになる。

 これを考える場合には、二度の世界大戦はかってない破壊的なもので、しかもそれ以外にも20世紀の歴史はおそろしいものであることをもう一度くわしく記憶しなおさなければならない。それを前提としないでは、テロの時代というような時代の特徴付けが正しいかどうかを考えることはできない。

 木畑洋一『20世紀の歴史』(岩波新書) は、20世紀の歴史がジェノサイドと大量迫害殺人、戦争の歴史に満ちていることを示している。この本を読んでいると、これらの戦争・抑圧・内戦にともなう死者の数を数えることは歴史家にとってもっとも大事な作業なのだということを実感する。現代史家の視線は確実なもので、これは基礎的な歴史知識であり、歴史像の基礎であると思う。

 たとえば、私は、第二次大戦後に「二度目の植民地征服」といわれるイギリス・フランス・オランダなどのヨーロッパ列強を中心とした植民地体制の再建の動きがあったこと、その中で大量迫害死があったことを系統的な知識としてはもっていなかった。木畑によって紹介すると、インドネシア独立戦争では、オランダ側がインドネシアのナショナリストに極端な暴力をもってのぞみ、インドネシア側で戦闘員が4万5千から10万人、非戦闘員が2万5千から10万人死んだ。インドシナ独立戦争ではベトナム側の死者が20万人とも40万人ともいわれ、フランス側では、フランス人2万、外人部隊(アフリカ人をふくむ)1万5千、(ラオスなどをふくむ)現地召集が4万6千人の死者である。インド独立は平和的な権力移譲であったといわれるが(私もそう習った)、現実にはこの時のインド・パキスタン分離のなかで暴力事件が多発し、その過程での死者は50万から100万と推定されている。インパ分離がイギリスの植民地支配維持の思惑に一因があったことはよく知られている。アルジェリアでは、フランスのアルジェリア民族解放戦線の動きと悪名高いフランスのOASの攻撃によってアルジェリアの側の死者数は30万から40万に達したという。そして、アフリカのケニヤにおけるマウマウに対するイギリスの攻撃は10万から30万のキクユ族の死をもたらした。これに1948年のイスラエル建国にともなう「大破局・ナクバ」と第一次中東戦争による死者が加わるのである。

 もちろん、ソビエトによる東欧に対する社会帝国主義支配によっても多くの死がもたらされ、さらにスターリン・毛沢東の指示によって発生した朝鮮戦争も、第二次世界大戦後の戦後体制における陣地確保としては、同じ文脈で理解できる(シベリア抑留も同じ要素をもつ)。

 植民地体制からの開放と独立が、この「二度目の植民地征服」を乗り越えることによってようやく実現されたということを忘れることはできない。私は、1948年生まれで、いわゆるベビーブーム世代であって、第二次世界大戦、アジア太平洋戦争の実態的な記憶はないが、しかし、この「二度目の植民地征服」に関わる記憶は、自然に自分のなかに入っていることを確認した。インドシナのディエン・ビエンフーの戦いの写真や、映画『アルジェの戦い』の記憶は、やや遅れながらも、我々の世代の記憶のなかに根付いているのである。我々の世代は、その延長線上でベトナム戦争をうけとめたのであろうと思う。

 話がずれたが、この意味では、木畑が、20世紀がどれだけの犠牲をもって19世紀、1880年代からの「帝国主義の時代」を乗り越えたかを強調することの意味は重大である。木畑はホブズボームが1914年以降、ソビエトの崩壊までを「短い20世紀」=異様なる時代として総括するのに反対し、1880年代からの「長い20世紀」のもたらしたものを、ともかくも肯定的に考えなければならないという論調を展開する。ホブズモームの理解は端的にいってヨーロッパしかみていないという批判は正しい。世界全体をみて、巨大な犠牲と巨大な変化を確認したうえで議論を展開する木畑の意見を「楽観主義」であるということはできないと思う。私にはまだまだ20世紀におけるジェノサイドと大量迫害殺人、戦争の歴史の詳細を実感するだけの体系的な知識はないが、木畑のいう意味での帝国主義と植民地体制の時代を乗り越えたのだという指摘の意味は重いと思う。

 しかし、その上で、木畑の指摘をこえて考えなければならないことも多いと思う。

 それは第一に、歴史をみるスパンの長さに関わっている。つまり20世紀を人間の異様なる大量死の時代として考える場合には、それが16世紀の世界資本主義の原始的蓄積の時代におけるアンデスとアフリカにおける大量虐殺以来の歴史の到達点であったということを考えなければならないと思う。16世紀以降、人類の歴史は大量死という異常事態がいつ起こるかわからない。それが日常の風景である時代に入ったのである。そして、それは1945年における「核時代」の開始によって現在も続いているのである。

 第二は木畑のいうように本当に「帝国主義」の時代は終わったとまでいえるのだろうかという疑問である。私には、湾岸戦争とユーゴスラビア爆撃は欧米が集団的な帝国主義のイデオロギーと体制を再建したもののように思えるのである。それは古典的な領土分割をともなう帝国主義ではないが、資源独占という意味では、以前として膨脹主義的な未来予測をともなっている。将来を見越した地政学的な勢力圏を確保しようという点では相似した衝動がいまだに諸列強を支配しているようにみえる。それは科学技術と情報技術の知財化のネットワークの経済構造(情報資本主義・知識資本主義)に支えられているだけに不可視の部分が強くなっているが、現実には諸列強世界の帝国的な構造は継続しているというほかないのではないかと思う。

 第三は、それにかかわってそもそも帝国・帝国主義というものをどう考えるのかという問題があると思う。19世紀以来の帝国というものはレーニンの古典的な定義をどこまで維持すべきかは別として経済構造に基礎がある。その膨脹主義が資本主義的な事業拡大の無限の衝動に源由があり、それにもっとも適合的であるというハンナ・アーレントの理解は正しいと思う(『全体主義の起源』)。

 しかし、帝国主義には歴史的な基礎がある。前近代の帝国の基礎があるのではないだろうか。木畑は、帝国を「帝国意識」の問題として描くが、「帝国意識」の源由にあるのは、歴史である。

 こういう観点から言うと、アメリカには、ヤンキー帝国主義のニュアンスがある。ネイティブ・アメリカンズに対する抑圧、アフリカ人に対する奴隷化、南アメリカ支配とアンデス文明に対する虐殺行為の歴史的由来をひく帝国主義である。そして、ヨーロッパ(EC)にも「ヨーロッパ帝国」のニュアンスがあると私は思う。ブローデルやウォーラーステインは12世紀以降のヨーロッパに「帝国性」をみとめず、「世界=経済」構造とするが、しかし、現実には、相当の帝国性があるというのが、近年の歴史学の意見である。外部から客観的にみれば、キリスト教主義を背景とする集合的帝国ー「自由貿易帝国主義」(普通は19世紀についてのみいわれるが、むしろ帝国化がヨーロッパ内戦と外縁拡大によって固定しなかったという要素を重視したい)を考えて何の問題もないと思う。そしてこの帝国が、それに対応して生まれたイスラムの諸帝国の歴史的由来を主張するのが現在の中近東における支配システム(板垣雄三のいう「中東国家体制」。サウジアラビア・カタル・アラブ首長国連邦など)である。2012年の歴史学研究会大会全体会での長沢栄治報告は2011年の「アラブの春」が対峙した中近東の支配体制を欧米帝国主義諸国に従属的に同盟し、危機を自己培養し、腐朽しつつ展開している「アラブ諸国家システム(アラブ的全体主義)」を描き出した。残念ながら、長沢報告を聞いた後も十分な勉強をしておらず、確信をもっていうことはできないが、私は、このブロックも一種の帝国性をもっているのではないかと思う。彼らには世界をみる帝国的な視線と生活様式がある。そもそもイスラム帝国はヨーロッパと同じように一種の多元性をもっていたのではないか。ヨーロッパを「世界=経済」構造とするのは一種のヨーロッパ中心主義ではないかと思う。
 なお、日本については、江戸時代、早くからヨーロッパ(オランダ・ロシアその他)が日本を世界の「七帝国の一つ」(あるいは「六」「十一」とも)とみなしていたという問題がある。江戸期国家もそのような自己認識をもっていたことが明らかにされており(平川新『開国への道』小学館日本の歴史十二、2008年)、それが明治国家の帝国意識にかかわっていることも明らかである。

 十分な知識のないことを述べたが、「21世紀はテロの時代になるのかどうか」を歴史学的に考える場合には、こういう諸問題への見通しが必要なのではないかと考えている。ともかく、依然として持続している帝国の構造こそが、その内部に暴力とテロをやしなう実態であろうと思う。21世紀がテロの時代になるかどうかは、その帝国の構造がどうなるか、どこまで精算されるかにすべてかかっている。そしてそこでは16世紀以来の世界史を理解する歴史像を人びとがどうかたるかも大きい。

 長沢氏は「アラブの春の擁護、民主化支援を介入の正当化の根拠として、覇権主義的な秩序の再編が、現在試みられているのである。たとえばサウジアラビアに対するドイツ。メルケル政権による戦車供与や治安訓練などがその一例である」とし、さらに「社会的混乱を助長することによって、専制的権力の維持・強化をはかる旧体制側の伝統的戦術こそが宗派主義の扇動であった」「19世紀の東方問題以来、この地域における宗派主義の策動は、欧米の介入とたえずむすびついていた」と述べている。
 
 20世紀から残された「帝国主義」は、たしかに木畑がいうように大きく乗り越えられた。20世紀の巨大な犠牲と巨大な変化は、それだけの意味をもっていると思う。それ故にこそ、その実態と戦争の責任を世界的な記憶の構造のなかに定置することが必要なのである。南京大虐殺における殺害の数について、中国政府において30万という演説があったのに対して、日本政府の官房長官がもっと少ない、事態を誇張していると主張したという問題が最近報道された。歴史家から言わせれば、20世紀における大量殺害の歴史はもっとも慎重な議論が必要な問題であることを自覚できない政治家というのは語義矛盾である。少なくとも、このような主張は、南京大虐殺の人数を20世紀のなかで考えるという視野が必要だろうと思う。そのとき、世界各地でおきたジェノサイドと大量殺害の数とくらべて、結局、「それはどこでもあることだ」という姿勢に落ち着いてしまうのか、それとも20世紀という時代がどういう時代であったかを正面から考えるという姿勢をとるかが大きな岐路になるように思う。
 そして、そのような省察なしには、「21世紀はテロの時代になる。20世紀の血塗られた歴史が、その方向への呪縛としてはたらく」ということであろうと思う。
 
 それにしても、フランスにおけるテロに対するフランス国家の対応をみていて、ヨーロッパの時代の終わりを感じる。彼らはヨーロッパに内在する16世紀以来の歴史的責任という感覚が薄い。湾岸戦争に荷担した歴史的罪悪さえもわすれているようだ。その無知と厚顔は計り知れない。
 なにしろ木畑がいうように、2005年、フランスは「フランス人引き揚げ者のための、国民の感謝および国民的支援に関する法」なるものを公布し、アルジェリア戦争のフランス側軍人や引き揚げ者を顕彰したのである。これはさすがに世論の批判をあびて一部撤回されたが、ようするにアルジェリア問題は依然として続いている。彼らはサルトルの思想レヴェルさえ維持することに失敗しているのではないか。

 私たちの世代は、どうしてもヨーロッパの文化・学術・思想についての信頼が深かった。ともかくそれにどっぷりつかっていたのである。私は、ユーゴスラビア爆撃のときにちょうどベルギーにいたが、そのとき、ドイツのハバーマスが爆撃を支持する意見をだしているのを知って、ヨーロッパ思想の混迷状態の深さを知った。おそらくそれがまったく解決されないままなのであろうと思う。

 長沢氏は、報告で、アラブの春と東日本大震災(原発事故)をならべて、「これらの二つの出来事が日本とアラブにとってどのような意味をもつのか。それぞれの社会でどのようにして未来の起点と扱われるべきなのか。歴史学者は、重要な問いに答える責務を負っている。私たちには、この経験に根ざした未来への答えを世界に示す責任がある」としている。一部ではあれ、限られたものではあれ、ユーラシアの東端にいる私たちだからこそ見えてくるものがあるはずだと思う。

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