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■ C58283号の悲劇


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 太平洋戦争の、さなかのことだ。
 三月に、めずらしいほどの大雪になった。
 その大雪の夜、蒸気機関車C58283号は、盛岡から山田線を宮古へ向けて出発した。
 機関士は加藤岩蔵、機関助士は前田悌二。
 引いていたのは空(から)の貨車だった。
 ライトが照らしだすレールの上には、積もりに積もった雪。
 なおも荒(すさ)ぶ吹雪。
 汽車は、なかなか進まない。
 途中の駅にとまって、朝を迎えた。
 ふたたび発車した蒸気機関車C58283号は、大雪を押しわけながら進んだ。
 難所の大峠(おおとうげ)を越えた。
 トンネルの先に鉄橋があり、大きくカーブを描いている。
 カーブにさしかかったとたん、機関車が大きく傾いた。
 あっというまに数十メートル下の閉伊川原に落ちた。
 雪崩(なだれ)で橋げたが崩れ、レールが宙吊りになっていたのだ。
 加藤機関士が重傷を負った。
 前田助士は手を負傷した。
 身動きのできない加藤機関士は、駅まで事故を伝えるよう、前田助士に指示した。
 前田助士は迷った。
 加藤機関士をおいていけば、助けを呼んでくるまでに、傷と寒さで死ぬ。
 事故を知らせなければ、また事故が起きる恐れがある。
 二重の事故だけは防がなければならない。
 前田助士は、加藤機関士をおいて、最寄りの平津戸(ひらつと)駅に向かった。
 ところが、積雪にはばまれ、歩こうにも歩けなくなる。
 負傷した手では雪をかくこともできない。
 無理をすれば雪のなかで自分も行き倒れる。
 重傷の加藤機関士につきそって救助を待つしかない。
 そう判断して、前田助士は事故現場にもどった。
 傷の手当てをし、石炭の燃え殻を運んで加藤機関士の体を暖め、自分の服を脱いで着せかけた。
 つぎの川内駅に汽車が着かないので、保線区員が出動した。
 二時間後、転落したC58283号を発見した。
 駅に連絡がとられた。
 前田助士は助けだされた。
 加藤機関士は、助からなかった。
 閉伊川に落ちた蒸気機関車C58283号は、戦争が終わってから引き上げられた。
 修理されて、山田線に復帰した。
 前田助士は機関士になった。
 前田機関士は、このC58283号を運転することになった。
 詳しく事故の経過をつづった記録が注目されて、「大いなる旅路」という映画になった。
 そして、山田線から蒸気機関車のすがたが消える最後の日まで、前田機関士とC58283号は、いっしょに働いた。
 宮古駅前の広場に、C58283というナンバープレートをはめこんだ石碑がある。
 「超我の碑」といって、この脱線転落事故のようす、加藤岩蔵機関士と前田悌二助士の名を刻んでいる。
 助士から機関士になって定年まで機関車を運転した前田さんは、宮古の人だ。


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by miyako_monogatari | 2009-02-12 12:45
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