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■ 川井の巨漢


■ 川井の巨漢_a0115014_11111716.jpg

 幕末のことだ。
 川井のお堂に容貌魁偉の大男が寝ていた。
 村びとは強盗か山賊かと怪しみ恐れた。
 沢田長左衛門という旦那が、この大男を家に連れこんだ。
 よく漢詩を書く。
 一升も大酒を飲んで大の字に寝る。
 名まえや生まれを尋ねても笑って言わない。
 「こんな無頼漢を」
 と家の女たちは眉をひそめた。
 沢田は、ひとかどの人物とみて、ねんごろに扱った。
 ひと月あまりたった。
 「世話になった」
 そう言って出てゆこうとする。
 沢田は正体を明かしてくれるよう頼んだ。
 すると、
 「わしが書いたものを江戸へ持っていったら、知るものもあろう。
 いつか、わしが何ものかを知るときもあろう」
 それだけ答えて大男は飄然と遠野のほうへ歩み去った。
 「あれは南洲だったろう」
 だれ言うとなく、そんな噂が広まったころ、南洲こと西郷隆盛はすでに死んでいた。
 その後、西郷隆盛の弟の従道(つぐみち)が盛岡に来た。
 沢田は会って昔の一事を話し、その書いたものを見せた。
 従道は言った。
 「たしかに兄の筆跡だ」
 何年前のことかを聞いて、
 「ちょうど兄が大島を逃れて行方不明になっていたころだ」
 と言い、
 「兄が世話になった」
 と挨拶した。
 沢田の家では、この筆跡を大切にし、長左衛門が上京すると従道が手厚くもてなしたという。

 この話は小笠原善平「寄生木(やどりぎ)」にも小島俊一「陸中海岸風土記」にも出てくる。
 それぞれ「岩手日報」記事と「南洲川井来遊記」をもとにしている。
 ここではとりまぜて紹介した。
 西郷隆盛は薩摩藩の下級武士だった。
 藩主島津斉彬(なりあきら)の目にとまって側近に抜擢された。
 斉彬の急死で失脚し、奄美大島に流される。
 このとき、行方をくらましたことがあったらしい。
 復帰して維新で大役を果たした。
 その後、ふるさと鹿児島に帰って西南戦争を起こし、城山で自刃。
 一代の英雄として伝説も多い。
 鹿児島で死なず、悠々自適に生きているという噂も、根強く残っていた。


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by miyako_monogatari | 2009-02-11 09:15
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