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■ 宮古海戦


■ 宮古海戦_a0115014_135059.jpg

 まだ未明のことである。
 薄暗い東の空の下に、重茂(おもえ)半島が横たわっている。
 その尖端、閉伊崎の岩かげから、一艘の船があらわれた。
 みよし(へさき)を転じると、閉伊崎をかわし、鍬ヶ崎の港をめざして、黒煙をはきながら進んでくる。
 それは大きな黒船――軍艦だった。
 一本マストにはアメリカの星条旗がかかげられている。

 このとき、港には、政府軍の艦隊が集結していた。
 旗艦の甲鉄をはじめとする軍艦4隻・輸送船4隻の計8隻。
 いちばん大きな甲鉄が、外がわで錨(いかり)をおろしていた。
 乗員たちは、すでに、みな起床している。
 めずらしいアメリカの軍艦が入ってくるのを、甲板から興味ぶかげに見守っているものも多い。
 すると、軍艦が急に速度を増した。
 同時に、一本マストにかかげられていた星条旗が、するする降ろされる。
 かわりに日章旗が昇っていく。
 ――敵だ!
 そう気づいたとき、砲声がとどろいた。

 急接近してきて砲撃を始めたのは、幕府軍の旗艦である回天だった。
 回天の目的は政府軍の甲鉄を分捕ること。
 砲弾は甲鉄の船腹に命中した。
 新式の鉄船に当たった旧式の大砲の弾は、跳ね返って海に落ちた。
 甲鉄艦上をはじめ政府軍は、蜂の巣をつついたような大混乱におちいった。
 回天が甲鉄にへさきを乗り上げるようにして接舷する。
 同時に甲鉄より3メートルも高い舷側から、抜刀した斬り込み隊が、ばらばらと飛び移る。
 あわてながらも甲鉄の乗員が必死で応戦する。
 くりだしたのは、最新鋭のガットリング機関砲だ。
 6本の銃身が束になって大きな弾を連射する。
 幕府軍は、この最新兵器の存在を知らなかった。
 掃射をあびて斬り込み隊はなぎ倒される。
 ほかの火器も、矢継ぎ早に斬り込み隊や回天にむかって放たれる。
 回天の艦橋にいた艦長が銃弾をあびて即死。
 もはや甲鉄を奪いとるという目的の実現は無理だと悟った回天は、甲鉄から離れる。
 みよしをめぐらし、港を出ると、浄土ヶ浜半島の汐掛け鼻をかわし、日出島の浮かぶ北へ針路をとった。
 罐(かま)の火を落としていた政府軍の軍艦は、すぐに追撃できない。
 蒸気の圧力が上がり、回天を追って港を出たときは、すでに2時間がたっていた。

 鍬ヶ崎や宮古の村びとは、突然に沸き起こった砲声・銃声に動転した。
 いまにも頭の上に砲弾が落ちてくるのではないかと恐れおののいた。
 銃弾が何発も民家に飛びこんで弾痕を残した。
 きなくさいにおいと煤煙がたちこめるなか、政府軍の負傷者が戸板に載せられて、ぞくぞくと本陣や遊郭に運びこまれる。
 横たえた布団が、たちまち鮮血に染まる。
 血のにおいがすると言って、そのあと客が近づかないので、廃業に追いこまれた妓楼もあった。
 政府軍の本陣は、和泉屋という、宮古一の豪商の家におかれていた。
 いまの七滝湯のあたりだ。
 激闘は終わった。
 日本初の洋式海戦として知られ、戊辰(ぼしん)戦争の帰趨(きすう)を決したともいえる宮古海戦。
 それは明治2年3月25日――新暦でいえば、1869年5月6日のことだった。


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by miyako_monogatari | 2009-02-11 20:48
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