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日本と中国の友好を願って活動する日本中国友好協会玄界灘(宗像・北粕屋)支部

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日中友好協会恒例の好評「暦」1200円が出来ました。
今年の表紙は古い街蘇州の航空写真。中国全土の自然と人が登場しています。
四川省地震支援も兼ねて多くの人に購入して欲しいと思っています。
希望者は支部事務所52-1246か
石津宏介携帯09084092254にお電話下さい。


<10月26日の出来事>
日中友好協会玄界灘支部が依拠している宗像・福津、あるいは津屋崎を紹介宣伝する二つの行事があった。
   <午前中>
第19回九州実業団女子駅伝大会支援ボランティア活動に玄界灘支部としても3人申し込んでいた。支給された揃いの帽子とシャツを着、黄色の旗を指揮棒にして、応援する人たちの整理を担った。午後三時からのテレビ放送も聴いた。宗像福津の紹介は、来年になるともっともっと豊富になることを確信させた。駅伝大会がよくぞこの地へ来てもらったという感じだ。
   <夜>
津屋崎千軒藍の家で、津屋崎を応援するロックコンサートが開かれた。日中友好協会玄界灘支部員2人も参加。「人が人として人らしく生きる」津屋崎への想い願いが披露された。肝腎のロックでも、「ルイジアナママ」や「ダイアナ」などを和製プレスリーさんと懐かしさを覚えつつハミングしていた。


替え歌「露営の歌」について (岩佐 英樹)
「露営の歌」は1937年(昭和12年)、日本軍が戦争を中国全土に広げた盧溝橋事件(支那事変)の年に生まれた。作曲は甲子園高校野球の「栄冠は君に輝く」を作った古関裕而である。この歌は日中・太平洋戦争中、最も歌われた戦時歌謡の一つである。出征兵士を送り出すとき、決まってこの歌が歌われた。しかし、歌う庶民の心はうらはらである。戦争が始まると死ぬのはしがない庶民である。藤井忠俊は著書「国防婦人会」の中で「戦争になると貧乏人から死んでいくという説は、私も信じることができる」「徴兵では貧困層からの徴集率が高いこと、それがそのまま前線に出るので戦死者にも貧困家庭のものが多いという因果関係なのである」と述べている。軍国主義一色のなか庶民は気持ちのやり場が無い。こんな屈折した気持の中で生まれたのがこうした替え歌で、子どもの口を借りて徐々に全国に広がっていった。

負けてくるぞと勇ましく  誓って国を出たからは 手柄なんぞは知るものか
退却ラッパ聞くたびに   どんどん逃げ出す勇ましさ

勝ってくるぞと勇ましく  誓って国を出たからは 手柄たてずに支那料理
進軍ラッパ聞くたびに   まぶたに浮かぶ支那料理



11月3日(土)午後16時~18時 福岡市市民会館 
北京風雷京劇団公演いよいよ開幕
観劇御希望の方は至急連絡を!!
今からでも間に合います。希望者は周りの日中友好協会会員か、0940-52-1246(ニーハオ玄海事務所)あるいは090 8409 2254(石津宏介携帯)に御連絡下さい。

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