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日本と中国の友好を願って活動する日本中国友好協会玄界灘(宗像・北粕屋)支部

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     日中近現代史と自然・文化を楽しむ

                台湾の旅

●旅行期間 4泊5日<2014年3月3日(月)7日(金)> 

                 <特 長>

○日中近現代史の接点~蘭・西・日の植民地支配と民衆の抵抗の足跡を探る

○麗しのフォルモサ・台湾~景色よし!料理よし!人の暮らしも文化もよし!

○協会らしい台湾省の旅~支部が計画立案した観光も歴史も満喫できる旅


●旅費 140,800円(デラックスホテル、地域々々の有名料理を堪能)

                 <主な探訪地>

○政治経済の中心地・台湾北部~故宮博物院、総統府、2・28記念館(1947年、台湾民衆の抗議運動と大弾圧事件)、紅毛城(1626年、サントドミンゴ城)、明石元二郎碑

○3000m越す台湾山脈~霧社(巡検-山胞抗日起義記念館)、日月潭(景勝地)

○豊穣の台湾中部~八卦山古戦場、鹿港(最古の貿易港)、北回帰線

○南海に開く台湾南部(海峡越えた漢族の故地、蘭植民地時代の古都)

台南市=オランダ植民地・安平古堡(1824年・ゼーランジア城)・プロビデンシャ城(1625年)→石崁楼(1875年)、延平郡王祠、鄭成功(1624~62年)の足跡、五妃廟(明王朝5妃)
八田與一館、抗日烈士余清芳記念碑(パタニー事件1915年)、億載金城(1895年)

高雄市~寿山公園、六合二路の夜市
 
屏東県  琉球国漁民遭難(1971年)の墓、牡丹社事件(187年)=「台湾出兵」(石門古戦場、日本軍「討蕃軍本営地」碑)
  
恒春市 最南端の墾丁・鵝鑾鼻(ガランピ)灯台(彼方はバシー海峡、フィリピン)

         <主催・日中友好協会玄界灘支部>


「台湾の旅」参考資料

映像

悲情城市」(1989年制作、台湾映画)「セデック・バレ」(2011年制作、台湾映画)「JAPANデビュー、第1回・アジアの“一等国”」(2009年4月、NHK)

書籍

台湾史小事典」(中国書店)  呉密察・監修  遠流台湾館・編著
歴史地理教育・特集 台湾を知っていますか」(2013年6月号) 歴教協
図説 台湾の歴史」(平凡社)周婉窈       県立図書館福津市図書館
「ワールドガイド 台湾」(JTBパブリッシング) 県立図書館、
地球の歩き方・台湾」(ダイヤモンド)      県立図書館、福津市図
「観光旅行でない台湾」(高文研)         福岡市立図書館
「蘭領台湾史」(汲古書院)林田芳雄        
県立図書館
「台湾からの手紙」(草の根出版)早乙女勝元          福津市図
これならわかる台湾の歴史Q&A」(大月書店)三橋広夫     福津市図
台湾植民地統治史」(梓書院) 林えいだい       日中文化センター
「台湾総督府」(教育社・歴史新書)  黄昭堂台湾~四百年の歴史と展望~」(中央公論社・中公新書) 伊藤潔
台湾~人間・歴史・心性~」(岩波新書) 戴国煇
新聞
西日本新聞(2013/6.17)「台湾先住民、時代に翻弄~誇りは脈々、息づく日本文化」
西日本新聞(13/6.17~20)「先住民の里を歩く~台湾仁愛郷から。全4回」
西日本新聞(13/8.20)「旅・台湾 上台南~歴史と美食に出会う街」
西日本新聞(13/9.1~3)「『親日』台湾の今~歴史教科書問題から。全3回」

<資料は追加して掲載していきます。書籍や記事のご紹介をお願いします> 

秋から春まで支部行事が目白押し~

支部の今秋から来春への取り組みは以下のようになっています。

行事・催事 日程 場所

写経納塔前のつどい(済)   9月29日(日) 鎮国寺

大西広講演(済)       10月25日(日)午後6時半 ふくとぴあ

北京風雷京劇団(済)    11月24日(日)午後1時 福岡市民会館

台湾旅行の募集期間 10月~1月20日

暦「中国悠久の旅」普及期間 10月~12月

2013年忘年会 12月15日午後5時 帰郷

講座「台湾の地理/歴史」 2月8日(土)2時 ふくとぴあ会議室

台湾旅行実施 3月3日(月)~7日(金)

お花見。よっちゃん祭 4月上旬。4月下旬 宮地岳神社津屋崎漁港

中国料理を楽しむ会 5月

(原稿は早くにもらっていたのですが、公開が遅くなりました。ひとみ)

行ってきましたコーナー

炭都・筑豊の歴史は
朝鮮人同胞の血と涙の歴史でもある


金光烈氏(青丘歴史文化研究会名誉代表、福津市在住)
金先生は1928年生まれ。現在86歳です。1943年(昭和18年)、15歳で日本に渡りました。
苦労の末、大学を出て、教師として日本各地で朝鮮民族の民族教育に尽くされました。
そうした中で、戦時中強制連行された朝鮮人の実態を、特に福岡県筑豊地方において具に発掘、研究されました。
本紙でも紹介したように、11月8日、福岡市のココロンセンターで「戦時、筑豊貝島炭坑で何があったか~朝鮮人同化政策の実態」という先生の講話がありました。以下、講話の一端です。

名前もなく「朝鮮のヤツ」とだけある某寺の過去帳、貝島炭坑(旧宮田町)ではひもじさのあまり「渋柿を取った」というだけでたたき殺された朝鮮人のこと(貝島の重役会議の記録簿)など驚くべき差別の実態が紹介された。私もかつて宇美町で「朝鮮人を殺した」話を聞いたことがある。

一方で貝島は内鮮一体の国の号令下、「朝鮮人の日本語普及に努力した」と会社の担当日本人を顕彰する碑を朝鮮人労働者の寄付で建立するという茶番もおこなった。これは会社の労働対策上「命令や指示」の必要があって日本語を学ばせたにすぎないのに、朝鮮人内通者を使ってこんな画策をしたのである。

元来朝鮮人の儒教思想は「孝(・)忠一致」(「孝」が先)で親元を離れるのをよしとせず、反する者は「不良」と見られる。彼らはほとんど「募集」「官斡旋」「徴用」で日本に連れて来られたのだが、実態は強制連行と同じである。その上、渡日も離日も渡航証明書が必要で、日本人が移動自由であったのと大いに違っていた。近代の筑豊における朝鮮人の足跡は古く、大韓帝国時代の1899年の過去帳に朝鮮人名があり、その根は深い。

“炭都・筑豊の歴史は朝鮮人の血と涙の歴史”でもある(い)


金光烈著「『内鮮融和』美談の真実」(緑陰書房) 2500円>