成功した起業家が陥る‘ブラック企業’への道
労働調査会のHPに載っている「労働あ・ら・かると」に、日本人材紹介事業協会の岸健二さんが「成功した起業家が陥る‘ブラック企業’への道」というエッセイを書かれています。
http://www.chosakai.co.jp/alacarte/a12-07.html
・・・今年は、なぜか相談に応じた方々が皆「自分が勤めた企業はブラック企業なのではないか?」という疑問を抱いてのご相談でした。
・・・ご相談者の勤務先はいずれもここ10年20年で起業から急成長し、中には上場を果たした企業もあります。お話に共通するのは、創業者が経営陣として君臨しており、「創業時の起業家精神を忘れるな」と良く口にしているということです。もちろん企業を立ち上げ、発展させていく精神力をはじめとした様々な努力には、本当に心から敬意を表するものですが、困ってしまうのは、「創業時には、小さな賃借事務所に寝泊まりして、家には帰らず頑張ったものだ。(だから君たちもそのように働いて欲しい)」と言い、現実にそのように忠実に「滅私奉公」した急成長期からの社員を重用するので、経営幹部になった急成長期に「苦楽を共にした戦友」達も、同じことを新入社員たちに強要している体質があり、そこに何の疑問も抱かないことです。
いやあ、これはまさに、わたくしがブラック企業の一類型として提示した「強い個人型のガンバリズム」ですね。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/alter1207.html(日本型ブラック企業を発生させるメカニズム(『オルタ』2012年7-8月号 ))
強い個人型ガンバリズムが理想とする人間像は、ベンチャー企業の経営者だ。理想的な生き方としてそれが褒め称えられる。一方、ベンチャー企業の経営者の下にはメンバーシップも長期的な保障もあるはずもない労働者がいる。しかし、彼らにはその経営者の考えがそのまま投影される。保障がないまま、「強い個人がバリバリ生きていくのは正しいことなんだ。それを君は社長とともにがんばって実行しているんだ。さあがんばろうよ」と慫慂される。こうして、イデオロギー的には一見まったく逆に見えるものが同時に流れ込むかたちで、保障なきガンバリズムをもたらした。これが現在のブラック企業の最も典型的な姿になっているのではなかろうか。
こういうベンチャー型ブラック企業に対する岸さんの感想:
もしご相談者の勤務先の経営者の方とお会いできる機会があれば、「雇う側」と「雇われる側」には大きな立場の違い(労働基準法をはじめとするさまざまな労働法の適用の有無)と責任の種類の違い(ハードソフト両方の働く環境を整備する義務責任と、職務を忠実に行う義務責任)があることについてお話できたらなぁと、つくづく思います。
私もつくづく思いますが、しかしながら、、「雇う側」と「雇われる側」をごっちゃにするところに、ベンチャー企業や、とりわけそれを礼讃する低級マスコミの議論の特徴があるので、言ってもなかなか理解されないでしょうね。
また、人材からのご相談をお受けしていて思うのは、もう一つの「ブラック企業」の特徴として、経営陣に「経営に強大な権限を持つ一方、株主、雇った人びと、その企業の製造物や提供するサービスの利用者、延いては社会全体に対して重い責任も負っている」という根本的な責任の自覚がないということです。そして、責任は他人や組織内の弱者(名ばかり管理職など)に押し付けているという点がどうしても見えてきてしまうのです。
今回ご相談に応じた若い人材の方々の勤務先の経営者は、まるで自分の責任は全くなく、当事者意識は全くなくて責任はすべて「現場管理職」にありとの言動をしたそうで、その管理職の訴えに聞く耳を持たなかったそうです。
この辺もいかにも、という感じです。
しかし、岸さんは最後に、そういう企業に入ってしまう学生さんたちにも厳しい目を向けます。
一方、新卒で就職活動をされる学生さんの中には、テレビ広告でよく見かける企業や、企業家精神にあこがれて応募入社される傾向も見て取れるのが事実でもあります。
マスコミによく登場し経営について弁舌さわやかな言辞を弄している経営者が経営している企業に於いて、一方では過労死や個別労働紛争が多発したりしていることもよく指摘されています。このような情報の公開を、どう実現していくかが事態の解決に役立つようには思いますが、皆さんいかがお考えでしょうか?
ほらほら、そこのシューカツ産業にいいように操られて「テレビ広告でよく見かける企業や、企業家精神にあこがれ」たり、「マスコミによく登場し経営について弁舌さわやかな言辞を弄している経営者」にあこがれたりしている、そこの無考えな学生さんたち。
こういう本当にあなた方のことを考えて言ってくれている言葉にきちんと耳を傾けましょうね。
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