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2024年12月23日 (月)

森崎めぐみ『芸能界を変える』

Geacodqbgaa39_a 森崎めぐみさんより『芸能界を変える たった一人から始まった働き方改革』(岩波新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.iwanami.co.jp/book/b654992.html

芸能界、それは自由で華やかな憧れの世界。しかし一歩その中に足を踏み入れてみると、そこは将来への保証など存在せずハラスメントが横行する、無法の世界だ。しかし、このままでいいのだろうか? 俳優でありながら法整備とルール作りに奮闘した著者が、芸能界のこれまでを鋭く批判し、これからのあるべき姿を描き出す。

森崎さんは自ら俳優として活躍しながら、自営業者だからと権利を奪われてきた芸能人のために活動してきた方です。

本ブログでも、もう4年半前になりますが、脇田滋編著『ディスガイズド・エンプロイメント』を紹介した時に、コメント欄でやりとりさせていただきました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-99cb38.html

本書でもっとも迫力があるのは、労災保険の特別加入めざして厚生労働省とやりとりする下りですが、その背景には、労働者じゃないからと労災保険の対象にならなかった芸能関係者たちの労災事故の積み重ねがありました。本書の90ページから22件が並んでいますが、

1 1963年 戦争映画の撮影中に俳優O氏が爆薬に直撃し両足が吹っ飛んだ。

2 1964年 川で映画の撮影中に脱獄囚役の女優T氏と俳優A氏が手錠をつないだまま川を渡っていくシーンで行方不明になりふたりとも死亡

3 1984年 オートバイと乗用車二台の併走シーンのリハーサル中に転倒し、14メートルの距離をスリップして倉庫の門に激突しスタッフ一名が死亡

8 1988年 映画『Z』の殺陣のリハーサル中に、出演者の俳優が真剣を小道具の刀と間違え使用し、相手役の俳優が死亡

11 1990年 映画『T』のロケ撮影中に滝で俳優H氏が溺死

・・・・

この方々の思いが森崎さんを駆動してきたのかも知れません。

ところで、芸能人の労働者性の問題は、本ブログでだいぶ前から繰り返し取り上げてきたテーマでもあります。

せっかくなので、いくつか御蔵出ししておきます。

芸人は民法上れっきとした雇傭契約である件について

都内某所で、雇用類似の働き方について議論することがあり、ひとしきり例の吉本興業の件についても話題になりましたが、そもそも社長が「クビだ」と言っているその「クビ」とは、雇用契約を解除するという意味すなわち解雇なのであろうか、とか話は尽きないわけですが、そもそもボワソナードが作成した旧民法では、相撲、俳優、歌手などの芸人は立派な雇傭契約であったということが、必ずしもあまり知られていないことが残念です。

第12章 雇傭及ヒ仕事請負ノ契約

第1節 雇傭契約  

第260条
 使用人、番頭、手代、職工其他ノ雇傭人ハ年、月又ハ日ヲ以テ定メタル給料又ハ賃銀ヲ受ケテ労務ニ服スルコトヲ得  

第265条
 上ノ規定ハ角力、 俳優、音曲師其他ノ芸人ト座元興行者トノ間ニ取結ヒタル雇傭契約ニ之ヲ適用ス

よく読むと、俳優や音曲師その他の芸人と雇傭契約関係にあるのは座元興行者とあるので、芸人を抱えていて様々な興行に送り込む芸能プロダクションは、雇用主自体ではなく労務供給事業に当たるのではないかという説も出てきて、ひとしきり談論風発しました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-dc7b.html (タカラジェンヌの労働者性)


うぎゃぁ、チケットのノルマが達成できないと「タレント契約」打切りですか。

これは、古川弁護士には申し訳ないですが(笑)、歌のオーディションでダメ出しされた新国立劇場のオペラ歌手の人よりもずっと問題じゃないですか。

売り上げノルマ達成できないからクビなんて、まあ個別紛争事例にはいくつかありますけど、阪急も相当にブラックじゃないか。これはやはり、日本音楽家ユニオン宝塚分会を結成して、タカラジェンヌ裁判で労働者性を争って欲しい一件です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-8a7f.html (ゆうこりんの労働者性)


Enn1108161540005p1_2この「実態は異なる」という表現は、労働法でいう「実態」、つまり「就労の実態」という意味ではなく、業界がそういう法律上の扱いにしている、という意味での「法形式の実態」ということですね。

そういう法形式だけ個人事業者にしてみても、就労の実態が労働者であれば、労働法が適用されるというのが労働法の大原則だということが、業界人にも、zakzakの人にも理解されていない、ということは、まあだいたい予想されることではあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-f75b.html (タレ・スポの労働者性と育成コスト問題)


これは、実は大変深いインプリケーションがあります。芸能人やスポーツ選手の労働者性を認めたくない業界側の最大の理由は、初期育成コストが持ち出しになるのに足抜け自由にしては元が取れないということでしょう。ふつうの労働者だって初期育成コストがかかるわけですが、そこは年功的賃金システムやもろもろの途中で辞めたら損をする仕組みで担保しているわけですが、芸能人やスポーツ選手はそういうわけにはいかない。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-d5d3.html (芦田愛菜ちゃんの労働者性)


20110920_ashidamana_02芦田愛菜ちゃんが労働基準法上の労働者であることには何の疑いもないからこそ、上の労基法61条5項をすり抜けようとして、こういう話になるわけですね。

そして、そうであれば、そもそもの労働時間規制が「修学時間を通算して1週間について40時間」「修学時間を通算して1日について7時間」であり、かつ小学校は義務教育ですから、その時間は自動的に差し引かれなければなりませんから、上の「朝から晩までずっと仕事漬けの日々」というのは、どう考えても労働基準法違反の可能性が高いと言わざるを得ないように思われます。

まあ、みんな分かっているけれども、それを言ったら大変なことになるからと、敢えて言わないでいるという状況なのでしょうか。

ところで、それにしても、芦田愛菜ちゃんのやっていることも、ゆうこりんのやっていることも、タカラジェンヌたちのやっていることも、本質的には変わりがないとすれば(私は変わりはないと思いますが)、どうして愛菜ちゃんについては労働基準法の年少者保護規定の適用される労働者であることを疑わず、ゆうこりんやタカラジェンヌについては請負の自営業者だと平気で言えるのか、いささか不思議な気もします。

ゆうこりんやタカラジェンヌが労働者ではないのであれば、愛菜ちゃんも労働者じゃなくて、自営業者だと強弁する人が出てきても不思議ではないような気もしますが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-6d6a.html (正規AKBとバイトAKBの処遇格差の合理性について)


2040819_201408110738045001407721125ふむ、さすがに労働基準法には違反しないようにと、細かく考えられているようですが、この有期雇用契約による非正規労働者たちの時給1000円という処遇については、正規AKBメンバーとの業務内容等の相違に基づき、合理的な説明がちゃんとできるようになっているんですよね、秋元さん。

なお、『ジュリスト』2024年12月号に掲載した判例評釈「アダルトビデオ女優の労働者性とアダルトビデオプロダクションの労働者供給事業該当性-アダルトビデオプロダクション労働者供給事件」では、昭和29年の最高裁判決を引用しつつ、次のように論じています。多分、タイトルだけ見てアダルトビデオ女優だけの話だと思われているのでしょうが、実は全芸能人に関わる話なんです。

労働判例研究 アダルトビデオ女優の労働者性とアダルトビデオプロダクションの労働者供給事業該当性-アダルトビデオプロダクション労働者供給事件

 確定した判例たる職業安定法違反被告事件(最一小判昭和29年3月11日刑集8巻3号240頁)は、旧遊郭地帯の待合業者に接待婦(売春婦)を紹介した事案について、「[職安法]5条にいわゆる雇用関係とは、必ずしも厳格に民法623条の意義に解すべきものではなく、広く社会通念上被用者が有形無形の経済的利益を得て一定の条件の下に使用者に対し肉体的、精神的労務を供給する関係にあれば足りるものと解するを相当とする」と判示している。
 この拡張労働者概念は、公衆道徳上有害業務への職業紹介という局面について刑事法上の適切な結論を導き出すために作り出されたものという印象を免れないが、最高裁判決が「[職安法]5条にいわゆる雇用関係とは」と大きく論じている以上、職安法の適用全般にわたってそのように解釈されるべきものと理解すべきであろう。おそらく多くの労働法研究者に認識が共有されていないが、最高裁は職安法上の労働者性について「広く社会通念上被用者が有形無形の経済的利益を得て一定の条件の下に使用者に対し肉体的、精神的労務を供給する関係にあれば足りる」と、極めて緩やかな経済的従属性によって判断するという枠組みを70年前の段階で確立していたのである。これは職業安定法違反被告事件(最三小決昭和30年10月4日刑集9巻11号2150頁)でも確認されている。
 その論理的帰結は極めて重大である。職業紹介、労働者募集、募集情報等提供、労働者供給、労働者派遣といった労働市場ビジネスにおける労働者概念が極めて緩やかな経済的従属性によって判断されるのであれば、現在フリーランスの紹介や募集といった形で行われているビジネスモデルについても、「広く社会通念上被用者が有形無形の経済的利益を得て一定の条件の下に使用者に対し肉体的、精神的労務を供給する関係」の仲介である限り職安法が適用され、したがって同法に基づく許可や届出なしに事業が行われているならば同法違反ということになるはずだからである。最高裁は職安法63条2号に限定した労働者概念ではなく、同法の定義規定たる5条(現4条)の解釈として判示しており、これは今日まで変更されていない。・・・・

このように労働者供給元・供給労働者関係該当性を諾否の自由のある弱い拘束性でもよいと広く捉える考え方は、Ⅰでみた職安法上の労働者性を広く捉える考え方と組み合わせるならば、職安法63条2号の公衆道徳上有害業務に限らず、広範な分野に労働者供給の存在を認めることに帰結する。なぜなら、本判決がいうように「他のプロダクションとの間でアダルトビデオ女優の活動が禁止されていたこと」、「違約金条項や損害賠償条項の存在」、「出演料の金額を知らせていなかった」等によって、アダルトビデオ女優の供給労働者該当性が容易に認定できるのであれば、アダルドビデオではない一般の女優や男優も含めて、およそ現在の芸能界における芸能プロダクションと所属芸能人の関係はことごとく労働者供給元と供給労働者の関係であると認定できそうである。本判決のロジックは公衆道徳上有害業務に限った話ではなく、職安法44条違反という一般条項にも関わるのであるから、公衆道徳上有害でないから普通の芸能プロダクションは大丈夫というわけにはいかない。・・・・ 

本判決は供給先との間で指揮命令関係を認定するに当たり、「求められた演技に対する拒否ができた、あるいは演技における裁量の余地があった」としても指揮命令関係があったとしているが、もしそうなら現在の芸能プロダクションに所属する芸能人の演技行為はことごとく指揮命令関係ありといえてしまうであろう。本判決は職安法63条2号に限らず、職安法44条違反として労働者供給一般について上のように判示しているのであるから、上記昭和29年最高裁判例と合わせて考えれば、公衆道徳上有害であろうがなかろうが、厳密な指揮命令関係が認められなくても、現在の芸能プロダクションに所属する芸能人の演技行為はことごとく労働者性ありと判断されるべきという理路になってしまいそうである。・・・ 

残念ながら現在までのところ、この問題に反応した人はいないようです。

 

 

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