25年年金法改正の論点@『労基旬報』2025年1月5日号
『労基旬報』2025年1月5日号に「25年年金法改正の論点」を寄稿しました。
執筆時点ではまだ最終決着していなかったところもかなりあり、昨日取りまとめられた「社会保障審議会年金部会における議論の整理」よりも若干古い情報になっているところがあります。
今年の通常国会に提出される予定の年金法改正案は、短時間労働者への適用拡大を始めとして労働法政策と関連する論点が多く、年の初めに若干整理しておきたいと思います。実は、ちょうど5年前の『労基旬報』2020年1月5日号に「2020年年金法改正の論点」を寄稿していますので、5年ぶりの年金法改正に合わせて5年ぶりの年金解説ということになります。直接に法改正に向けた審議は昨年7月3日から社会保障審議会年金部会(学識者19名、部会長:菊池馨実、部会長代理:玉木伸介)で開始され、2024年財政検証結果を確認した上で、被用者保険の適用拡大、いわゆる「年収の壁」問題、在職老齢年金等について議論を重ねてきました。本稿執筆時点ではまだ部会報告に至っていませんが、今後改正法案を作成して今年の通常国会に提出される予定です。ただしこのうち最重要事項である適用拡大については、2024年2月から「働き方の多様化を踏まえた被用者保険の適用の在り方に関する懇談会」(学識者17名、座長:菊池馨実)が開催され、2024年7月3日に議論の取りまとめがされていました。以下では、各問題の歴史的経緯にさかのぼって今日の問題を考察し、改正の方向性を論じていきます。なお年金財政の問題などマクロ的論点には触れません。・短時間労働者への適用拡大等まず、適用拡大の中でも最も重要な短時間労働者の取扱いですが、そもそもの出発点は1980年6月に出された3課長内翰で、所定労働時間が通常の労働者の4分の3未満のパートタイマーには健康保険と厚生年金保険は適用しないと指示したことです(厚生年金保険法の条文上には根拠がありません)。この扱いがその後パート労働者対策が進展する中で見直しが求められるようになり、2007年には法改正案が国会に提出されましたが審議されることなく廃案となり、ようやく2012年改正で一定の短時間労働者にも適用されるようになりました。その適用要件は、まず本則上、①週所定労働時間20時間以上、②賃金月額88,000円以上、③雇用見込み期間1年以上、④学生は適用除外というルールを明記し、附則で当分の間の経過措置として⑤従業員規模301人以上企業という要件を加えたのです。その後、2016年改正でこの⑤の要件について、500人以下企業でも労使合意により任意に適用拡大できるようになりました。2020年改正では、上記③雇用見込み1年以上の要件を撤廃するとともに(これにより原則通り、2か月以内の期間を定めて使用される者のみが除外されます)、上記⑤従業員規模要件については、2022年10月から従業員101人以上企業に、2024年10月から従業員51人以上企業に段階的に拡大することとされ、既に昨年10月にこの段階に到達しています。今回の見直しは、この最終段階到達以前に開始されたことになります。昨年7月の「議論の取りまとめ」では、まず基本的な視点として「国民の価値観やライフスタイルが多様化し、短時間労働をはじめとした様々な雇用形態が広がる中で、特定の事業所において一定程度働く者については、事業主と被用者との関係性を基盤として働く人々が相互に支え合う仕組みである被用者保険に包摂し、老後の保障や万が一の場合に備えたセーフティネットを拡充する観点からも、被用者保険の適用拡大を進めることが重要である」と、被用者保険の大原則を述べた上で、「労働者の勤め先や働き方、企業の雇い方の選択において、社会保険制度における取扱いの違いにより、その選択が歪められたり、不公平が生じたりすることのないよう、中立的な制度を構築していく観点は重要である」と論じ、この関係で近年政治家によって取り上げられることの多いいわゆる「年収の壁」問題についても、「賃上げが進む中で、短時間労働者がいわゆる「年収の壁」を意識した就業調整をすることなく、働くことのできる環境づくりが重要である」と述べています。「年収の壁」には税制上のものと社会保険上のものがありますが、ここでいう「年収の壁」とは、上記②賃金月額88,000円以上要件が年収換算で約106万円となり、これを超えると保険料負担が生じ、手取り収入が減ることから「年収の壁」と呼ばれているものです。いうまでもなく、厚生年金に加入すれば手取りが減る一方で将来の年金額が増えますから、手取りだけでメリットデメリットが判断されるわけではありません。それを前提として、短時間労働者については具体的に次のような適用範囲の見直しを提起しています。まず①週所定労働時間20時間以上要件については、雇用保険法の2024年改正で週所定労働時間20時間以上から10時間以上に拡大したこと(施行は2028年度)から検討の必要性も指摘されましたが、「雇用保険とは異なり、国民健康保険・国民年金というセーフティネットが存在する国民皆保険・皆年金の下では、事業主と被用者との関係性を基盤として働く人々が相互に支え合う仕組みである被用者保険の「被用者」の範囲をどのように線引きするべきか議論を深めることが肝要」として、「雇用保険の適用拡大の施行状況等も慎重に見極めながら検討を行う必要がある」とかなり否定的なニュアンスの強い先送りとなっています。この点は年金部会の議論でも同様で、今回改正の論点ではなさそうです。次が「年収の壁」がらみの②賃金月額88,000円以上要件ですが、「議論の取りまとめ」では両論併記的であったのですが、年金部会ではこの要件の撤廃に舵を切ったようです。そもそもこの賃金要件は、これよりも低い賃金で被用者保険を適用した場合、国民年金第Ⅰ号被保険者より低い負担で基礎年金に加え報酬比例部分の年金も受けられることから、負担と給付のバランスを図るために設定されたものです。一方で、最低賃金の引上げに伴って週労働時間20時間以上であれば賃金要件も充たすようになってきています。また、社会保険関係の「年収の壁」としては、健康保険の被扶養者の年間収入が130万円未満であることも重要です。年金部会では、就業調整に対応した保険料負担割合を変更できる特例が検討されています。被用者保険の保険料は原則として労使折半ですが、健康保険法において、事業主と被保険者が合意の上、健康保険料の負担割合を被保険者の利益になるように変更することが認められています。これに対し厚生年金保険法では、政府が保険者とされており、健康保険法のような保険料の負担割合の特例に関する規定はありません。そこで、被用者保険の適用に伴う保険料負担の発生・手取り収入の減少を回避するために就業調整を行う層に対して、健康保険組合の特例を参考に、被用者保険(厚生年金・健康保険)において、従業員と事業主との合意に基づき、事業主が被保険者の保険料負担を軽減し、事業主負担の割合を増加させることを認める特例を設けることが提起されています。これに対して④学生適用除外要件については「就業年数の限られる学生を被用者保険の適用対象とする意義は大きくないこと、実態としては税制を意識しており適用対象となる者が多くないと考えられること、適用となる場合は実務が煩雑になる可能性があること等の観点から、本要件については現状維持が望ましいとの意見が多く、見直しの必要性は低いと考えられる」と否定的結論ありきです。段階的に拡大してきた⑤従業員規模要件が今回改正でも最大の論点ですが、「議論のとりまとめ」は「労働者の勤め先や働き方、企業の雇い方に中立的な制度を構築する観点から、経過措置である本要件は撤廃の方向で検討する必要があるとの見方が大勢を占めた」と述べ、「他の要件に優先して、撤廃の方向で検討を進めるべき」と、明確に撤廃の方向に舵を切りました。もっとも、新たに適用対象になる中小零細企業に対しては、「必要な支援策を講じ、事業所の負担軽減を図ることが重要」であるとしています。年金部会でもほぼこの方向で議論が進められており、これが2025年改正の目玉になることはほぼ間違いないでしょう。・個人事業所に係る適用範囲短時間労働者の適用除外が1980年の3課長内翰で始まった(相対的に)新しい話であるのに対して、個人事業所への適用問題は1922年の健康保険法制定時にさかのぼります。一定規模以上の特定業種への適用という形で始まった被用者保険は、段階的にその適用範囲を拡大してきたのですが、1985年改正でようやく法人については従業員規模にかかわらず適用されることになったのですが、個人事業所は依然として5人以上でなければ適用されない状態のままです。なお、適用事業が未だに各号列記となっているために、各号列記に当てはまらない飲食サービス業や洗濯・理容・美容・浴場業など非適用業種では、法人でない限り5人以上事業所であっても適用されないという状況でした。これはさすがに問題ではないかということで、前回の2020年改正では、そのうち弁護士や公認会計士など法律や会計に関わる業務を取り扱う士業については、適用業種に追加するという微細な改正が行われています。年金を扱う社会保険労務士もこれに含まれます。この問題について「議論のとりまとめ」は、「労働者の勤め先や働き方、企業の雇い方に中立的な制度を構築する観点や、強制適用となる業種の追加が断続的に行われていた 1953(昭和 28)年までと比べると、我が国の産業構造が変化してきたこと、業種については制度の本質的な要請による限定ではなく合理的な理由は見出せないこと等から、まずは、常時5人以上を使用する個人事業所における非適用業種を解消する方向で検討する必要があるとの見方が大勢を占めた」と、非適用業種の解消という方向を明確に打ち出しています。これに対して5人未満の個人事業所については、「中立的な制度を構築する観点から本来的には適用するべきとの意見や、事業所の事務処理能力とは切り離して検討し、別途支援策を講じた上で次期制度改正において対応すべきとの意見があった一方、対象となる事業所が非常に多いため、その把握が難しいと想定されること、国民健康保険の被保険者のうち一定の勤労所得を有する者が被用者保険に移行することとなれば、国民健康保険制度への影響が特に大きいこと等から、慎重な検討が必要との意見もあった」と両論併記ながら消極的な姿勢がにじみ出ています。「常時5人以上を使用する個人事業所における非適用業種については、5人未満の個人事業所への適用の是非の検討に優先して、解消の方向で検討を進めるべきである」との結論からは、今回は非適用業種の解消に集中するという意図が伝わってきます。なおその後には、多様な働き方を踏まえた被用者保険の在り方として、フリーランスやプラットフォームワーカー、複数事業者で勤務する者の問題も論じていますが、なお中長期的な論点という位置づけで、今回の改正ではまだ本格的な論点にはならなさそうです。・在職老齢年金の見直しかつては、高齢期の就労と年金受給の在り方といえば、年金支給開始年齢の引上げが最大の論点でした。1994年に定額部分の支給開始年齢を段階的に60歳から65歳に引き上げていくという年金法改正がなされ、これを援護射撃するべく同年に65歳までの継続雇用を努力義務とする高年齢者雇用安定法の改正がされるとともに、高年齢雇用継続給付が雇用保険法に規定されました。また2000年に報酬比例部分の支給開始年齢をやはり60歳から65歳に引き上げていくという年金法改正がなされ、労働法サイドでは2004年に65歳継続雇用の原則義務化(労使協定による例外あり)、2012年には65歳継続雇用のほぼ完全義務化がなされています。しかし現在は、年金支給開始年齢を70歳に引き上げていくという政策はとられておらず、制度上年金を受給できる60歳代後半層の高齢者の就業を促進するという政策が2020年高齢者雇用安定法改正によってとられるようになっています。もっとも、制度上年金を受給できるからといって、受給しなければならないわけではありません。むしろ2004年改正で導入された繰下げ規定によって、就業し続ける65歳以上の高齢者が受給年齢を繰下げることによって、その年金額を増額することができるようになっており、2020年改正で繰下げの上限年齢が75歳に引き上げられました。この点は今回は論点になっていません。一方、2020年改正の検討時に打ち出されていながら、最終的に腰砕けになって改正案から消えたのが在職老齢年金(高在労)の見直しです。これが問題になるのは、上述の繰下げ支給に対する邪魔者になるからです。本来、繰下げ支給とは、受給開始を繰下げた分だけその後の受給額が増えるはずです。ところが、繰下げ支給制度と在職老齢年金制度を掛け合わせると、在労で減らされた分は(本来受給できた分ではないので)受給開始後戻ってこないことになってしまうのです。これでは、受給を繰下げようという意欲が大幅に減殺されてしまいます。そこで、11月25日に提示された事務局案では、案1:在職老齢年金制度の撤廃、案2支給停止の基準額を(現行50万円から)71万円に引上げ、案3:支給停止の基準額を62万円に引上げ、の3案を提起しています。しかし、野党の反対が強いことから、今回もその見通しは不透明です。・労使団体の意見年金改正に対しては、経団連と連合がそれぞれに意見を公表しているので、ざっと見ておきましょう。経団連は9月30日に「次期年金制度改正に向けた基本的見解」を公表し、その中で「働き方に中立的な制度の構築」という観点から、被用者保険のさらなる適用拡大に賛成しています、まずは第1段階として企業規模要件の撤廃や個人事業所の非適用業種の解消を実現し、第2段階として次々回の2030年改正で労働時間要件や賃金要件の見直しを行うとしています。また第3号被保険者を縮小していき、将来的な検討、再構築を求めています。また在職老齢年金については、今回は対象者の縮小にとどめ、2030年改正で廃止に向けて本格的に検討すべきとしています。一方連合は10月18日の中央執行委員会確認で、全被用者への被用者保険の完全適用と第3号被保険者制度の廃止を打ち出しています。また「年金部会の検討事項に対する連合の考え方」ではこれに加えて、在職老齢年金について「「厚生年金保険の適用要件を満たさず加入していない人や賃金以外の収入がある人との公平性を確保するため、事業所得、家賃、配当・利子など、総所得をベースに、年金額を調整する制度」や「働きながら年金を受給する人の支給停止分を部分繰下げ扱いとし、一定の増減率を乗じた額を退職時に受給できる制度」などに見直す」と述べています。
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