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2024年12月19日 (木)

定松文さんによる拙著猛批判

9_212x300 日本フェミニスト経済学会の学会誌『経済社会とジェンダー』の第9巻に、拙著『家政婦の歴史』の書評が載っているということに気がつき、早速読んでみました。恵泉女学園大学の定松文さんという方によるかなり長い書評なのですが、拙著とは問題意識が違っているからなのでしょうが、かなり激しい批判を頂いています。

濱口桂一郎著『家政婦の歴史』 定松 文(恵泉女学園大学)

全体の半分以上は拙著の内容説明に充てられていて、6ページ目から「本書の意義と問題点」の指摘に入ります。最初のところは、「 本書には家政婦に関する労働行政の資料をまとめ上げたという重要な功績があり、この点は高く評価すべきであろう」とか「労働行政史として参照すべき著書であることに揺るぎはない」とお褒めの言葉を頂いていますが、そこから猛然と批判が始まります。

 本書は「家政婦は本来であれば労基法の適用対象であった」という主張を行政の立場からまとめるものであり、その枠組みにおいては、家事使用人を適用除外のままとする仕組み、構造的差別が明確になったと読み取れる。しかし、フェミニストそしてジェンダー研究者としての視点から本書を読めば、家政婦を「家事使用人という烙印をおされ」(237 頁)という表現をしつつ、日本社会において家事労働者がかかえる労働問題をこのような帰着点においてまとめることには大きな疑問がわき、また憤りを禁じ得なかった

私の議論の仕方は、定松さんにとっては「憤りを禁じ得な」いようなひどいものだったようです。

それは具体的にはどういうことか?

第一に資料に関して家事労働分野に関する先行研究への言及がほとんど見当たらないことである。・・・

先行研究は、確かに女中と家政婦を分けて行政史を研究していないが、それは、派出婦/家政婦と女中とが区別できない存在であることをとらえる視点に、重要な意味があるためである。

これはまさに問題意識の違いなのですが、本来女中とは区別される存在であった家政婦が女中扱いされるようになったのはなぜなのかという問いが、今回の過労死事件を受けて私が追及した最大の問いなので、その両者が「区別できない存在」であるという視点こそが重要だと言われても、それでは私の抱いた誰も答えてくれない問いが全く無意味であると言われているに等しいと感じます。

 第二に、本書が上記のように家事労働を包括してとらえる視点に欠くことは、派出婦/家政婦と女中という二つのカテゴリーの区分化の背景を見るという点では効果的かもしれないが、それ以外のさまざまな家事労働者職の見落としにつながっている。

実は編集者とは、家事請負サービスや個人請負といったさまざまなビジネスモデルが出てきているのをどう扱うかという話もしたのですが、あくまでも今回の過労死事件判決の原因を探るという一点集中型の本にしたかったので、あれやこれやの話題はあえて取り上げませんでした。

 本書の議論の前提にあるのは、あくまでも労働基準法である。貫かれているのは、どのような雇用・業務命令関係の下にあるかによってしか労働者をとらえない視点であり、実際の労働内容については目が向けられない。

正確に言えば、労働基準法をはじめとした労働法制における女中と家政婦の位置付けの推移に焦点を絞っています。それがわたくしのエクスパタイズであり、それを超えた分野に下手に手を出していい加減なことを書かない方が良心的だと考えたからです。とはいえ、実際に本を読んでいただければ、さまざまな資料を使って「実際の労働内容」についても記述が盛り込まれていることは理解いただけると思うのですが、行政が作成した資料と新聞記事と同時代の小説の引用では、「目が向けられない」という評価になってしまうのでしょうか。

 第三に、本書には、国際的動向からみた家事労働者の位置づけについての議論が抜け落ちている。そのことは家事労働者の問題が人権問題であるということの認識の欠落を示しているといってよいだろう。

結局、今回の過労死事件判決をどのレベルで批判すればお気に召したのかということなのでしょう。なまじ労働法の実務の感覚に近いところにいると、余りにもそもそも論過ぎて裁判官から玄関先で一蹴されてしまうような高邁な議論だけが唯一正しい議論の立て方であって、裁判官が立脚している法理論体系それ自体の中に一蹴できないような矛盾を見つけ出し、そこをぐりぐりと追求する様な世俗的で泥臭い議論の仕方は「人権問題であるということの認識の欠落を示」すものであるという発想は、大変麗しく素晴らしいものであるとは思いますが、それのみが唯一の真理であり正義であるとまではいえないようにも思われます。

51sgqlf3yol_sx310_bo1204203200__20241219094901 定松さんの批判は大変身に染み入るところがあり、いろいろと考えるヒントも頂きましたが、結局のところ、はじめに書いたように、問題意識の違いというのは想像以上に大きなものなのだなあ、と感じたところです。拙著のような議論でこそ、今まで関心のなかったこの問題が「刺さる」人もいれば、全く逆に「憤りを禁じ得な」い人もいるということが分かったことが、最大の収穫であったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

> 家事請負サービスや個人請負といったさまざまなビジネスモデルが出てきている

> どのような雇用・業務命令関係の下にあるかによってしか労働者をとらえない
> 実際の労働内容については目が向けられない
> 家事労働者の問題が人権問題であるということの認識の欠落を示している

むしろ、「射程が賃労働だけなのは、どうなのか」ということでないでしょうか。
主婦は、賃金が払われないが、何某かの対価も得ている。本質を抽出すると、指揮
命令関係ではなくて、「賃金だけに限らない待遇」に対する交渉力の強弱に注目を
すべきであり、典型的には、主婦を含む家事労働者の交渉力を如何に高めるか、を
議論すべきである、ということなのかもしれません。

「ジェンダーの観点がないから、アクセプトすべきでない」とか、
「性加害監督の映画とタイアップした経緯のある曲は、地上波放送すべきでない」とか、
まあ、そういうのと同じ感覚なんでしょうね

> 披露宴で別れの歌を歌わない配慮
https://x.com/84Bk11EGHBj5cz9/status/1872237101762449717

> 大学は、異端の考えが攻撃される場としての中世モデルに戻りつつある
https://www.rodo.co.jp/column/177681/

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