ニュートンと贋金づくり・その3

前日のつづき。

ニュートンと贋金づくり―天才科学者が追った世紀の大犯罪

ニュートンと贋金づくり―天才科学者が追った世紀の大犯罪

 

贋金づくり黄金期到来

戦争、借金、通貨下落で1690半ば贋金づくり黄金期到来。だがチャロナーは裏だけでなく表からも造幣局に狙いをつけ、隆盛する出版業にのって

『100万ポンドの増税法案成立に謹んで反対する理由』というタイトルのパンフレットで、貨幣の供給不足から生じた歳入の不足を増税で補うのは誤りではないかという、目新しげな持論を展開した。(略)
[さらに数ヵ月後]
自分が専門知識を有するテーマに取り組み、『貨幣の削り取りおよび偽造防止法案を成立させるための提案』というタイトルで、その知識を明らかにしてみせた。(略)それは、速やかな改鋳を行い、従来より軽い硬貨を発行すべきだという提案だった――その通貨価値は法的基準の三分の二程度としており、ニュートンと同様の考えだった。貨幣価値を低下させれば、非合法的な削り取りの利益はなくなると、チャロナーは主張した。
[これが先の大蔵卿モンマス伯爵の目にとまる。権力の座に復帰したい彼は自分の後任者の弱点を見つけようと躍起になっていた]
(略)
通貨下落の一端を担っている――造幣局の無能ぶりを厳しく非難する証言を枢密院で行うことになった。
 まさに、目を見張るできごとだったに違いない。流れ者の見習い職人で、性具を売り歩いていたような男が、クリストファー・レン卿が設計したホワイトホール宮殿の会議室に足を踏み入れたのだ。チャロナーは、国王と話ができる人物たちに話をすることになった。自分が財政の仕組みを充分理解していることを証明し、さらに、自分の専門知識によってイングランドの貨幣制度の中心から悪を追い出せると彼らを説得できれば、最終目的に王手をかけたも同然だ――造幣局の本体に入り込むこと、それが彼の最終目的だった。
 だが、チャロナーが期待したほどは、ことはうまく進まなかった。(略)さらに詳しく報告するには、まず現金が必要だった。(略)
[しかし、またしても好機、イングランド銀行が業務開始、銀行券はまさに天からの贈り物だった。偽札で利益を得、捜査を開始した銀行側に仲間を売り]
チャロナーは、表のロンドンと犯罪の影が漂う裏社会の境界を、当時の誰よりもうまく泳いでいた。(略)利益を手にしてから陰謀を教え、裏切るという二重の窃盗によって――イングランド銀行から多分に感謝され、あろうことか、さらに200ポンドの報酬を受け取った。調子に乗ったチャロナーは(略)「でっち上げの貢献をするという常套手段」をさらに推し進めた。1695年11月、彼は偽造銀行券の脅威への対処法をいくつか提案する手紙を銀行に送った。彼の考えは銀行家たちを唸らせるものだった。なかでも、総裁のジョン・フビロン卿は積極的にチャロナーを支持し、チャロナーが次にニューゲイト監獄へ投獄されたときには、釈放されるように尽力したほどだ。

造幣局監事となったニュートン

新任の監事は、鋳造プロセスの性能を一つひとつ点検し、溶融の工程をつぶさに観察(略)彼は錬金術の研究をしていたときと同じように、道具の性能も細部まで完全に把握した(略)坦禍は「新しいものなら重さ800ポンドだが、一ヵ月から六週間程度使用すると650から700ポンド、あるいはそれ以下の重さとなる」ということを明らかにした。
(略)
万力のアームを回転させるスピード次第で造幣局の硬貨製造の速度が決まり、他のすべての工程は、人間の筋力とねじの回転力が耐えられる最大のスピードで打刻を続けられるように進めなければならなかった。(略)彼は硬貨一枚を打刻するのに要する時間を計り、必死にプレス機を回転させる一つの作業班がどれくらいの時間で消耗し尽くすかを確かめた。
(略)
 できあがった銀貨は、1696年の秋以降、ロンドン塔から国民の手へと速やかに豊富に行き渡り、世間の深刻な不安感は収まった。通貨問題による暴動は起きなかった。ロンドンの貧しい人々が、ジェームズ二世の返り咲きを求めて蜂起することもなかった。

通貨関連犯罪も扱う事になったニュートン

[金型紛失]事件に関わった者はみんな、ニュートンから繰り返し容赦なく詰問され脅されて、最後には白状した。しかしチャロナーだけは、犯罪的陰謀を企てているのは造幣局そのものだという説を曲げず、ニュートンも彼の主張を覆させることができなかった。(略)
金型紛失事件の場合、ウィリアム・チャロナーは、自分を罪に陥れる金型と、用心深く、安全な距離を保っていた。(略)
 安全な立場のチャロナーは断固として関与を否定し、自分の罪を造幣局に押しつけて、ロンドン塔内の醜聞を正すためにニュートンの力になろうとまで言ってのけた。自分が推薦する人物を迷わず雇えばそれでよいのだと、チャロナーは告げた。その人物とはトマス・ホロウェイ[かつての贋金作りの仲間]で(略)監督官として造幣局で働くというのだった。
 ニュートンはその話に乗らなかった。犯罪取り締り人となってまだ一ヵ月もたっていなかったが、容疑者に「助太刀」をしてもらうなどもっての外だとわかっていた。
[結局チャロナーは釈放]

チャロナー再登場

1697年2月、チャロナーは、造幣局における不正疑惑を調査する下院の特別委員会に姿を見せた。(略)造幣局の職員には硬貨偽造を見破る能力がない、それどころか目の前の硬貨製造ラインを利用して最先端技術による削り取りに加担までしているという主張だった。(略)
 チャロナーが言うには、「造幣局ではこれまでに大量の贋金が作られており」、造幣局の誰かが外部の者に金型を売り、「現在のわれわれの通貨は非常に不誠実に鋳造されているため、簡単に質が衰え、価値が下落し、偽造される」ことがすでに明らかになっている。
 困ったことに、チャロナーの主張の少なくとも一部は事実だった。金型は、造幣局の外へ密かに持ち出されていた。偽造硬貨を作っている者もいた。造幣局の各職員は、チャロナーが言う通り、「自分の利益ばかり考えて」職務を遂行していた。そもそも、最上級職である長官、トマス・ニール自身が不正を行い、改鋳の間もすべての硬貨について上前をはねており
(略)
[チャロナーは偽造不可能な硬貨製造の新技術を披露し監事官ポストを狙う]
ニュートンは下院への返答に、「チャロナー氏が前回の下院議会開催中に委員会に現れたのは、造幣局を非難し中傷するのが目的です」と書いた。ニュートンの返事はかなり低姿勢で、普段の尊大な調子と比べれば不自然なほどだった。(略)
実はニュートンは、一年前のロンドン塔の金型が紛失した厄介な件以来、ウィリアム・チャロナーのことはほとんど忘れかけていた。けれども、チャロナーを称賛する議会の報告書は、大きな傷口となった。何ページも続く反論の下書きにはびっしりと文字が書き込まれ、線で消した上に怒りに任せて書きなぐった細かな字があり、大きなインクの染みもあちこちにあって、ニュートンの内なる怒りが現れている。彼は、チャロナーの「名誉毀損にあたる印刷物」で受けた「中傷」と侮辱について不満を述べた。だが一方で彼は、公には口をつぐんでいた。辛抱強く待ち、観察を続け、彼も彼の諜報役たちも、ロンドンのあらゆる場所で目を見開き、耳をそばだてていた。

うわっ、まだ終わらない。明日につづく。