英国のEU離脱を問う国民投票が、いよいよ今週23日に実施される。労働党の女性議員殺害事件で、両陣営の選挙活動が一時停止し、各地で繰り広げられた政治家たちの舌戦も、事件後の週末はさすがに控えめであった。事件までの世論調査では離脱派がじりじりと残留派との差を縮め、一部調査では多少のリードもしていたが、殺害事件後の世論がどう動くのかは、投票日までの動向を見守りたい。調査によっては、残留派巻き返しの様相も呈している。
この離脱騒動では、離脱派の掲げる「誇大キャンペーン」の中で、英国がEUへ支払っている拠出金の額を大げさに伝えていることが知られるようになっている。また、残留派がEU離脱で被る打撃の経済的な数値を発表しても、数字ばかりを投げつけられる市民からは、一体何を信頼したら良いのか分からない、という混乱の声も聞こえる。そもそもなぜ英国がEUを離れたいのか、確固たる理由も見えにくい。残留派は主に貿易や雇用など、EUから得られる経済的な恩恵を争点としているのに対し、離脱派は移民問題や主権を前面に打ち出している。
非常に分かりにくいこの選挙の「そもそも、なぜ」を、若い人の視点で紐解いてみようと思う。一部政治家たちの欺瞞については前稿(「英国の女性議員殺害が問う“憎悪扇動”の大罪」)で書いたので、ここでは触れない。
投票のカギを握る若者
英調査会社YouGovによれば、これまでのところ、一般的に低所得層や高年齢層ほど離脱に投票する傾向にあり、中間層以上や大卒者、若年層ほど残留を支持する傾向がある。また、地域によっても差は生じており、都市圏や、大学のある町では残留派が多いのに対し、地方では沿岸部など、圧倒的に離脱派の多い地域もある。
投票のカギを握るのは、10〜20代の若年層とされている。英調査会社IpsosMORIによれば、去年の総選挙では18〜24歳の投票率が43%だったのに対し、65歳以上では78%だった。若者たちが投票するかどうかで、結果が大きく変わってくると見られている。
英国のEU加盟(当時はEC)からは43年が経過しており、若年層はEUの枠組み内での英国しか知らず、取材を通して出会った人たちの中には、EUなしの生活など考えられないと訴える若者も少なくない。
こうした若者たちは、実際、離脱問題をどう捉えているのか。
残留派若者「EUの希望や多様性を失いたくない」
6月初旬、若者たちで賑わうロンドンのカムデン・マーケット周辺の残留派キャンペーンに足を止めた20代の英語教師の女性は、この選挙戦が始まるまで意識したことのなかった「自分はヨーロッパ人なのだ」という気持ちが、最近になって強くなったと言う。EU域内での移動の自由の恩恵を、今後も継続して受けたいと語った。
「絶対残留すべき。ドイツやフランスへただ(観光などで簡単に)行くことができるだけでも良い事だし、できるならあちらへ行って働く選択肢も保ち続けたい。この選挙戦が始まるまでは、私たちは英国人だ、としか考えていなかったけれど、今では自分も英国より大きな存在、EUの一部なのだと実感している。それに、EUは人権を大切にしている。個人情報保護など、英国はどこまでプライバシーを守ってくれるか分からないが、EUならちゃんと守ってくれると信じている」と話した。
同じ場所で話を聞いた27歳の男性は、EUに残りたい理由を次のように語った。
「僕は、ベルギー人と英国人のハーフで、生まれて間もない頃を除きずっと英国に暮らしている。だからミックスの文化で育ったけれど、一部は英国、一部は欧州、そして更にグローバルなアイデンティティーを持っていると思っている」
「英国には今、沢山の異なる人たちが暮らしている。もう、英国人であるということは、白人でキリスト教徒だということではなく、様々な文化を尊ぶということなんだ。EUは未来の世界の縮図だと思うし、そうであってほしい」
都市部に暮らす若者層の意見としては、概ね一般的な調査分析結果と同様の回答だ。彼らはEUの理念に託されている希望や、多様性を失いたくないという思いで残留に票を投じると言う。また、前述の女性は離脱が及ぼす経済的な打撃についても言及し、予測のつかない「離脱後」への不安も語っていた。
しかし、同じロンドン市内の中心部で訪れた離脱派の活動で、今度は全く逆の意見が、同世代の若者から聞こえてきた。
離脱派若者「最初は移民にワクワクしたが、現実は違った」
市場で街頭活動をしていたのは、ビジネスマンや、超党派議員および支援者らで成る離脱派キャンペーン団体、リーブ(Leave=離脱)・EUのサザーク地区を担当するアレックス・ポッキンスさん(22歳)だ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で政治学を専攻し、去年卒業。現在は公共セクターで働いている。
これまでに離脱派の市民に何人か話を聞く機会があったが、多かれ少なかれ、主流離脱派の政治家らによる誇大キャンペーンに煽られ、彼らの主張そっくりの受け答えをしていた。しかし、アレックスさんは自分の言葉で冷静に、なぜ英国が今EUを離脱すべきだと考えるのか、経験を基に話してくれた。
大学進学以来ロンドンに暮らしているアレックスさんだが、出身はイングランド東部のピーターバラだ。ここは、EUがポーランドなど東欧諸国に拡大した2004年からのおよそ10年間で移民が急増し、英国内で最も急激な人口増加を経験した街の一つである。東欧からの移民は主に野菜や花の農家などで単純作業を行い、勤勉かつ低賃金で働くことを厭わないことから、雇用主からは重宝される一方、街では社会的な統合がうまく行かず、しばしば問題が指摘されてきた。
アレックスさんにとっての最大の懸念事項は、やはり移民政策だ。彼自身の経験として、東欧からの移民に対して持っていた期待と、その後の失望を語った。
「当初、地元では移民の人たちはどんな人たちなのか、とても好奇心も持っていたし、ワクワクもしていた。何かこれまでと違ったことが起こるのではないかと期待していた。でも、地元の小さな街に移民は次から次にやってきて、技能も持たず、英語も話さず、街に溶け込もうともせず、隔離されたコミュニティーに暮らしていた。犯罪歴の有無すらチェックできない。彼らの国より賃金の良い英国に来たがる気持ちは良く分かる。でも、制限なしに受け入れられるほど、大きな街ではないんだ。病院も、学校だって作らなければならない。ロンドンのように、すでに多くの外国人が暮らしている所とは違う」
離脱派若者「移民問題を語ると一方的に差別だと言われる」
こうした地元の深刻な懸念を、行政もメディアもこれまで全く気にも留めず、人々の不満は段々と蓄積して行ったとアレックスさんは語る。
「ピーターバラでは異常な移民増加が起きた。不安に思う事は誤りではないのに、移民問題そのものを語ろうとすると『お前は外国人恐怖症だ』『不寛容だ』『移民じゃなくて経済が問題なのだ』と一蹴され、黙らされてきた。離脱に動いたことで、僕らの言い分にも一理あると思ってもらえるかもしれない。移民への不満を言う人々は無視され、頭が悪いのだという目で見られてきた。そうした気持ちが溜まっていったと思うし、EUそのものや、運営にも不満があると思う。自分の国の政策を自分たちだけで決められないのだから」
アレックスさんの言う政策とは、例えば農業や漁業などに関するものだ。特に漁業に関しては、EUの共通漁業政策(CFP)のため英国が独自に漁獲量を設定することができないなど、不満は高い。最近、漁業関係者で成るEU離脱のためのグループまで設立された。アバディーン大学の講師らが行った調査では、実に9割の漁業関係者が離脱を希望しているという。
ロンドンの大学でアレックスさんは、英語も堪能で、将来英国に貢献できる程の技能や知識を持つ優秀な人材に多く出会い、こうした人たちが、EU市民でないという理由だけで英国に留まれない事にも疑問を感じ始めた。現行法上、EU市民は英国で働く権利を自動的に得られるが、EU域外からの移民に対しては、増加する移民を削減する目的で、ビザの取得が近年厳しくなっている。
「特にコモンウェルス(英連邦)出身で、英語も堪能、未来の銀行家や医師と成り得る技能を持っている人たちは金銭的にも自立しているのに、こうした人たちに国境は閉ざされている。一方で、スキルの低い人たちが誰でも入国でき、賃金の低下を招いてしまう。今の移民政策は非生産的だ」
「生活が豊かで、安全な地域に暮らしていれば、カフェやバーで仕事を得るために競争しなければならないなんてことはないだろう。貧しい人たちは、こうした低賃金、低技能の仕事を得るために必死だ。だからマイナスイメージも増幅されると思う」
「(EUに国境を閉ざすことに対して)差別的だとは思わない。英国は欧州諸国を優先しているが、一方で移民のコントロールをするために、世界の他の国々の人たちは拒否しなければならない。こうした人たちは、アフリカ、アジア、カリブ諸国などの人たちで、必ずしも白人ではない」
インタビューの最後でアレックスさんは残留派について「できれば、国民投票の後にはみんな仲良くして欲しいと思う。同じ英国民なんだ。これからも一緒にやって行かなければ」と語った。
投票の行方は依然として不透明
離脱を巡っては若い世代同士であってもこうして意見が真っ向から対立し、投票の行方は未だ不透明だ。一部の政治家たちが繰り広げてきた過剰、そして過激な舌戦とは裏腹に、国の行く末を真剣に考える若者たちの姿に、どちらの結果になったとしても、彼らの手による分断的なキャンペーンを乗り越えた国づくりを期待したい。
実は、アレックスさんに出会うまで、正直、筆者は離脱派の言い分は、世界がグローバル化する中で取り残されたと感じる、地方在住の白人たちの憂さ晴らしの側面もあるのだろうと推察していた。本当は移民の人たちときちんと向き合いたかった、というアレックスさんの言葉は重く響いた。だからと言って、国境を閉ざすことが問題の解決だとは思わないが、グローバル化による多様性がもてはやされる一方で、地元の人々の生活や思いがないがしろにされる事態は、コミュニティー全体の問題として打開して行かなければならない、とも感じている。
筆者は300もの言語が話されると言われるロンドンに暮らして10年になる。ここでは、自分が外国人だと感じたことがほとんど無い。この10年、それが当たり前の生活だと思って暮らしていたものが、今回の取材を通じ「外国語なんてもう聞きたくない。自分の国にいるのに、外国に暮らしているみたいでもうたくさんだ」と言う言葉を初めて何度となく聞き、愕然とした。
少なくともロンドンに関しては、それこそが国際都市の恩恵だと思ってきたからだ。しかし、ロンドンは長い時間をかけて移民が半分以上になった国際都市だが、ピーターバラの様な地方の小さな街には、数年で突然外国人が一気に押し寄せたのだ。地元の人たちが戸惑うのも無理はない。
不満が噴出し、離脱を望む地方の人たちが、全て差別的であるわけでも決してない。取材を受けてくれた人たちは、皆一様に日本人である私たち取材班を歓迎し、自宅での撮影を引き受けてくれたり、あちこち取材に同行してくれたりして、経験談を話してくれた。アレックスさんが東欧の移民について話していたように、他に取材を受けてくれた、外国人慣れしていない人たちも「日本人ってどんな人たちだろう」と興味津々で会いに来てくれ、数日間の取材期間中、日本語を懸命に覚え、毎日片言の挨拶をしてくれた人たちもいる。
大学院時代、ロンドンではない、主に白人労働者の多い街で1年暮らした経験から、ロンドンと地方との格差を知っていたつもりでも、多様性を負担に感じている英国の人たちがこんなにも多いことを、今回は思い知らされた。「英国は、一体誰のもの?」という問いが、この数カ月、幾度となくよぎりもした。
6月23日、英国はどんな決断を下すのか。離脱が投げかけた「英国の形」の行く末を見守りたい。
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