生みの母に会いたくて仕方ありません
Q
先日サロン・ド・シマジにお邪魔したものです。楽しい時間をありがとうございました。先生に選んでいただいた万年筆、大切に使います。
さて質問です。生みの母に会いたくて仕方ありません。私が生まれる前に親が離婚し、父方の祖母に育てられました。祖母は厳しくも愛情をもって育ててくれ、とても感謝しています。私にとっての母親は祖母だと思っています。ですが、私を置いていった実母の年齢に近づくにつれ、なぜか一目会いたいという思いが出てきました。顔も知らないのに会っても嫌な思いをするだけでしょうし、祖母を裏切る行為だとも思いますが、どうしても探したいと思ってしまいます。この考えを消すにはどうすれば良いですか。
(26歳・女性)
シマジ:相談者は26年の人生を歩み、母親が自分を生んだ年齢が近づいてきた。自分はどんな女性から生まれ、彼女から何を受け継いでいるのか。それは自分がいかなる人間であり、今後どんな人生を歩むのかという切実な問いにもかかわる問題だから、生みの母に会いたいという気持ちはよくわかる。
だが、この世の中には、会わないほうがいい人というのがいる。知らないままにしておいたほうがいい謎というのがある。実現しないほうがいい願いというものがある。これがそのケースだよ。
ミツハシ:相談者がまだお腹の中にいるときに、相談者の父母は離婚したと言っていますから、これはかなり珍しいケースですよね。しかも、産んだ娘を夫方に渡して、以降一度も会っていない。相当複雑な事情が絡んでいそうですね。
いずれにせよ、これは会うべきではないね
シマジ:離婚協議に当たって娘への面会を禁じられたのかもしれない。だとすると、離婚は、母親に何らかの責任があった可能性が高い。
ミツハシ:どのような事情なのだか相談文に書いてないのは、そのあたりのことを相談者がきちんと聞かされていないからなのか、事情は知っているが、ここに書くのは相応しくない、あるいは、はばかられると感じたからなのか……。
シマジ:子供からすれば、なぜお母さんがいないのかというのは、とても疑問のままにはしておけないはずで、当然、おばあちゃんや父親に「どうしてママはいないの?」と聞いたはずだ。そこで相談者の成長段階に応じた説明があったと思うね。だから、これまで聞かされてきた離婚の事情に完全には納得できず、産みの母に会って話をしてみたいと思ったのか、離婚の事情を飲み込んだうえで、血のつながった母を恋しいと思ったのか、そのどちらかだろう。だが、いずれにせよ、これは会うべきではないね。
生みの母は、どんな事情があれ、相談者のもとから去る決断をしたんだ。腹を痛めて産んだ子を捨てる。これは母性という本能に反することであり、半身を奪われるような痛みだ。でも、相談者の生みの母はそれを選んだんだよ。もし、それが半ば強いられたものだとしても、彼女は二度と娘と会わないと決め、それを26年間貫いてきた。そうして生きてきた女性にとって、言葉は悪いが自分が大昔に捨てた娘というのは、邂逅を手放しで喜べる相手ではないだろう。
「極道辻説法」にも似たような相談があってね
ミツハシ:生みの母も、娘のことを忘れようと苦闘してきたかもしれませんね。
シマジ:残酷なことを言うようだが、生みの母の今現在の姿は、相談者が想像しているものとは全く違ったものじゃないかな。20代で娘を手放した女性がその後どんな人生を歩んだか。その可能性の中には、過酷で不幸な道のりだってある。それは人生において知らなくてもいいことの一つだと思うね。
ミツハシ:生みの母を知らないまま生きてきた相談者のことですから、当然、そうした可能性も考えたでしょう。「顔も知らないのに会っても嫌な思いをするだけでしょう」という冷静な判断もしている。それでも、やはり人の情として、探して会いたいという気持ちが抑えられないのだとしたら、どうすればいいと思いますか。
シマジ:実は、「週刊プレイボーイ」の「極道辻説法」にも似たような相談があってね。今東光大僧正が明解に回答しているんだよ。
その相談は、自分が養子に出されたことを知った若い男が、自分の本当の両親に会いたいというもので、今さんは劇作家の長谷川伸のエピソードを紹介していた。長谷川伸は幼い頃に捨て子みたいになって母親と離れ離れになったんだ。それが後年、長谷川伸として作家として有名になって、母親の居場所が分かり、会いにいった。49歳のときの話だそうだ。
ミツハシ:長谷川伸と言えば『瞼の母』ですよね。
シマジ:『瞼の母』は、長谷川伸が母親に会う数年前の作品でね。母を死ぬほど恋焦がれ、瞼に浮かぶ母のイメージをもとにして書いた作品だ。だが、その後、あれだけ恋しく思った母に会って、長谷川伸は大いに失望した。
今大僧正はつまらないセンチメンタリズムだとおっしゃっていた
ミツハシ:年老い、落魄して見る影もなかった?
シマジ:それが、そうではなく、母親はクリスチャンの家庭に入り、いい家庭のご隠居さんになっていた。その姿が長谷川伸を大いに失望させたそうだ。「もう二度と会いたくない」と言っていたそうだよ。
ミツハシ:悠々自適の母親を受け入れられなかったんですか。
シマジ:小さい頃から苦労に苦労を重ねて、義理と人情の股旅物で、アウトローや弱者の人生に光を当ててきた長谷川伸からすると、母の姿は理想として思い描いていたものと余りにかけ離れていたんだろうね。
このエピソードを踏まえて、今大僧正は母に会いたいという心はつまらないセンチメンタリズムだとおっしゃっていた。ちょっと引用しよう(『毒舌 身の上相談』の該当ページを開いて)。「そんなことで悩んでちゃあバカだ。やっぱり養ってくれた母こそが本当の母親なんだ。仏法で言うと、そういう因縁なんだ。赤の他人が人の子供を一生懸命育ててわが子のようにしてくれているという因縁の貴さがわからなきゃあ、いつまでたっても悩むことになる。そこを悟れ!」
相談者の場合は赤の他人ではなく、祖母がここまで養ってくれた。これもそういう因縁だったということだよ。やはり貴い因縁だね。自分でも書いているように、相談者にとって母親はただ一人、おばあちゃんだけだ。その気持ちをしっかりと持って、生みの母親への未練を断ち切るために、相談者は今大僧正の墓をお参りするといい。
全力でおばあちゃん孝行をしなさい
ミツハシ:前回(「虚無さま、ようこそ」と仲良くしてあげなさい)と同じ回答ですね。
シマジ:困った時の大僧正頼みだ。それくらい霊験あらたかだからいいだろう。相談者は今さんの墓の前に立ち、「生みの母に会いたいという気持ちを捨てます」と宣言しなさい。そして「私をここまで育ててくれた祖母だけが母親だと思います」と誓いなさい。
そして、祖母がご健在なら、これから一生懸命おばあちゃん孝行に励むことだね。母の日におばあちゃんと一緒に旅行に行くといい。もしかしたら、おばあちゃんは相談者が幼稚園の頃には、毎日送り迎えをしてくれたんじゃないかな。そして、小学校時代は、若いお母さんたちに混じって授業参観や運動会に来てくれたはずだ。本当だったら、もう楽隠居して悠々と余生を愉しめる年齢のときに、おばあちゃんは、毎日、相談者のご飯を作り、衣服を洗濯してくれ、進学や就職のことも心配してくれたんじゃないか。
高齢の女性が、20代、30代のお母さんと同じように家事をして、子育てをするというのは、肉体的にはかなりきつい仕事だったはずだ。その意味でも、おばあちゃんが相談者に注いでくれた愛情に対して、常に感謝の気持ちを忘れてはいけない。おばあちゃんは何を喜んでくれるか、おばあちゃんの恩にどうやって報いるか、それを一生懸命考えて、行動に移しなさい。おばあちゃん孝行を相談者の遊戯三昧にすればいい。おばあちゃんのことをもっともっと考えれば、生みの母親のことに囚われる気持ちは薄れていくと思うね。
もし、残念ながら、おばあちゃんがご存命でないならば、相談者は足しげく墓参りにいくといい。命日はもちろん、月命日には欠かさずお墓に行き、声に出しておばあちゃんに感謝の言葉を述べなさい。
それから、相談者は「生みの母」という言葉を使うのをやめたほうがいいだろう。「生みの母」と言う言葉には、「育ての母」とは違うもう一人の母親というニュアンスが含まれている。それが今大僧正言うところのつまらないセンチメンタリズムを生む原因にもなる。「生みの母」ではなく「生物学的な母」あるいは「私の受精卵の卵子部分」とでも言い換えるか。
ミツハシ:「私の受精卵の卵子部分」ですか。即物的ですね。
シマジ:そう、この即物的なニュアンスがセンチメンタリズムの解毒になるかもしれない。女は子供を産んだから母になるのではない。わが子を慈しみ育てることによって母になるんだ。相談者にとって、生物学的な母親の痕跡はDNAの半分に過ぎない。
相談者という一人の人間がいまここにいるのは、受精卵のDNAの塩基配列のおかげではなく、無力な赤ん坊の時代から手塩にかけて育ててくれたおばあちゃんのおかげだよ。全力でおばあちゃん孝行をしなさい。おばあちゃん以外に相談者の母親はこの地球上に存在せず、相談者が一目会いたいと願っているのは、単なる他人であると悟りなさい。未練を断ち切ってくれ。
本記事は、 nikkei BPnet から転載したものです
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