リユース品の販売店をチェーン展開する企業には、本やCDのように、ジャンルを絞って展開しているところもありますが、トレジャー・ファクトリーの場合は、衣料品や日用品、スポーツ用品など多岐にわたっています。なぜ、幅広い商品を扱うのでしょうか。
野坂:リユースの根本は、いろいろなアイテムを買い取りし、買いたいというニーズとマッチングさせるところにあります。そのマッチングは、世の中の変化に合わせて変えていく必要があります。
洋服などはまさにそうです。1995年の創業時には、不要になった服を売るという文化はそれほどありませんでした。不要な服とは、捨てる服のことだったのです。ところが10年くらい前からは、買ったばかりでも着ない服は売るという、世の中の文化が出来上がってきました。これなら、服に特化した店でユーザーのニーズを掘り起こせるだろうと、服に特化した新しい業態をつくりました。
潜在していたニーズの芽が出始めたときに、その芽があるならと、ニーズを大きく顕在化させるような業態をつくっていく。私たちがやってきたことは、こういうことだと思っています。
現在は、服に関しては価格帯を、300円くらい、2000~3000円程度、1万~2万円の、3つに分けています。もともとは、1つの店の中でゾーンを分けていましたが、現在は別業態の店にしています。服に関しては現在、4業態があります。
スマートフォンのフリマアプリを使い、個人間で服を売買するケースも目立ちます。どうご覧になっていますか。
野坂:我々も、ネットで販売するのに適したものはネットで、店舗で売るのに適したものは店舗で売るように、それぞれ力を入れていきたいと思っています。
リアルの店舗の良さは、いろいろなものの中から選ぶワクワク感があるところです。ものを買うことにプラスアルファとして選ぶ楽しみを提供できるところに価値があると思っています。ですから、ネット上の取り組みも、リアル店舗の魅力も両方、磨いていきたいと思っています。
今、物流が大きな社会問題になっていますが、地域ニーズがあるものはその地域で循環させ、そうでないものは広く流通させていく、それが究極のエコロジーです。リユースを考える上では、この両立が必要だと思います。
初めての海外出店先として、タイを選んだ理由は何でしょう。
野坂:米国には、ガレージセールの文化があります。要らなくなったものは、個人が家の軒先で売るという文化が広くあるんです。一方、企業には、在庫を寄付すると税制上優遇を受けられるという利点があり、その受け皿となるNPO(非営利組織)が発展しています。
国の特色や文化によって、成り立つリユース店の形態は異なってきます。日本で培ったビジネスモデルを世界に展開する先として、まずタイが適していると判断しました。今後さらに地域にカスタマイズした形を模索し、世界のリユース品の流通に貢献していくことが目標です。
創業前には、多くのリユースショップを回られたそうですね。
野坂:そこで、中古品をもっときれいに展示すればもっとお店は増えるだろうと思いました。きれいに売るビジネスをやろうと考えたのですが、創業してみると思っていた以上にモノの回転が早く、商品をきれいにする時間がないことが分かりました。「早くきれいにする」のが成功への第1ステップでした。
今では当たり前ですが、当時のリユースショップは、商品に値札が付いていないのが当たり前でしたから、それを改めました。それから、保証を含めた接客サービスを整えました。たくさんのお店を実際に見て、この3つがしっかりしているリユースショップはうまくいっていることが分かったからです。
勉強のために回った店の方からは、創業についてだいぶ反対もされたそうですね。
野坂:(リユース業が)うまくいくわけがないと止められました。くじけそうにもなりました。しかしその先には、誰かにとって不要になったものを、お金を出して買いたいというニーズがあることは確信していましたので、どうやったらできるのかを考え続けました。
最初に事業計画書を書いた時点では、資金は700万円必要だったのですが、700万円ないと何もできないわけではなく、30万円でできるところからスタートを切ろうと考えました。ただ、事業計画があったおかげで熱意を伝えることができ、家賃をかなり安くしていただいたこともあります。そういう好意を受けるたびに、何が何でも成功させなくては、という気持ちになりました。
大学を出てすぐ創業することに、ご両親は何とおっしゃっていましたか。
野坂:親は「やるのは自由だし応援するけれど、自分でやれ」という感じでした。父は商社に勤めていたのですが、会社人間らしくないタイプで、バイタリティーがありすぎる人でした。きっと、起業していたらうまくいっていたと思います。一時期、帰郷してスポーツ用品店を開こうと考えていたこともあったようです。
私はその分、父が経験していないことに挑戦して、自分の道を切り開こうと思っていました。実は、最初はスポーツ用品に特化したリユースショップをやろうかなと思っていたんです。父は5年ほど前に脳梗塞で亡くなりましたが、上場したときにはとても喜んでくれました。
野坂社長のお子さんはまだ学生だそうですが、将来、どのようなことを期待されますか。
野坂:息子が3人いるのですが、親の仕事を継ぐのは大変だと思うので、私がしてきたように、何か新しいものを自分で生み出して、その道を行ってもらえればと思っています。
私自身も、会社の基盤ができたので、またいろいろなチャレンジをしていきたいと思っています。例えば、新しい地域で新しく店を出すときには、知名度がありませんから、創業のときと同じような体験ができます。それが徐々に知ってもらえるようになっていく喜びというのは何にも代えがたいものがあります。今、そういう仕事に取り組んでいる社員のことを、うらやましいと思うこともありますね。
(構成/片瀬京子 編集:日経トップリーダー)
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