2020年07月07日

既知の情報でも“読書”する価値はある

通販サイトで自己啓発本などのレビューを見ていて思うことがあります。
 
「手に取った本に“未知の”情報や考察が書かれていないと、ガッカリする」人が多いのだな…と。
 
読んだ本の内容が、全て「既に自分が知っている情報だった」あるいは「既に自分がたどり着いた思考だった」場合、「その本を読んだこと自体を後悔する」「時間の無駄だったように感じる」人が多いように感じます。
 
確かに、本を読む目的が「未知の情報や考えと出逢うこと」なのだとしたら、そうなるのでしょう。
 
ただ…自分の場合はちょっと違います。
 
もちろん、未知の情報や考え方が載っていた方が嬉しいことは当然なのですが…
 
もしそこに、未知のことが全く書かれていなかったとしても、その読書を無駄だったとは思いません。
 
なぜなら、自分の場合、読書を「自分と世間との思考のズレのチェック」にも使っているからです。
  
自分の場合、本に書かれている考え方が“自分が既に到達していた思考”と同じだった場合、“安心”します。
 
自分の思考が「世間や他の人の考えていることと、それほどひどくズレてはいなかったのだ」と確認できて、ホッとします。
 
また「これを考えているのは、自分ひとりだけじゃなかったんだ」と安堵します。
 
通常、他人の頭の中身は見えませんし、それを自分の頭の中身と比べてみることも、もちろんできません。
 
ですが、本という媒体を通してなら、他人の考えがある程度読めますし、それを自分の考えと比べてみることもできます。
 
そうやって自分と他人との違いや共通性を“確認”するための作業としても、“読書”を使っているのです。
 
…もちろん、そうやってチェックして「同じ考えの人がいる!」と安心できたところで、その本に書かれた考え自体がマイナーなものだったら、結局自分もマイノリティでしかないわけですが…
 
それでも「ひょっとして、こんなこと考えてるのは世界中で自分だけなのかも知れない」という孤独感からは解放されるので、そこは良いのかな、と…。
 
他にも同じ考えの人がいるという事実は「こんな思考に到達できるなんて、自分ってなんてスゴイんだ」といった傲慢さを諫める効果もありますし。
 
自分の場合、何となく「世の中には自分レベルの人間なんて山ほどいる」「上には上がいる」ということを確認したくて読書しているような所がある気もします。
 
自分ひとりの狭い世界に閉じ籠もってしまうと、いつの間にか、自分が世界の中心や頂点にいるような“錯覚”に陥ってしまう気がするので。


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