2021年03月31日
読書離れ対策の基本は、読者(読書好きな人間)を育てること
病に「根治療法」と「対症療法」があるように、難題に対する「対策」にも、根本的な対策と、目先の問題に対する場当たり的な対処があると思います。
「読書離れ」「活字離れ」に対する最も根本的で基本的な対策は、読者(読書が好きな人間)の数を増やしていくことにあると思います。
即効性があるかどうか分からない、地道で、しかも「継続していかなければ意味のない」対策ではあるのですが…これを疎かにして場当たり的な対策ばかり取っても、根本的な解決にはならないと思うのです。
では、どうすれば読者を増やせるのか――そのヒントは「読書が趣味」という人々の、読書の原体験の中にあるように思います。
読書好きな人間が、どうやって読書を好きになっていったのか――それを解析することができれば、読書好きな人間を増やすヒントになるはずです。
たとえば自分の場合は、まだ文字も読めないような幼い頃から「夜寝る前の読み聞かせ」で本(当初は絵本)に触れてきたことが、「読書好き」の根底にあるような気がします。
我が家には、親戚から譲り受けた「世界の童話全集」のようなものがあり、それを夜眠る前に母親に読んでもらうのが習慣となっていました。
最初は母親の方から始めたことでしたが、成長するにつれ、自ら「読み聞かせ」をねだるようになりました。
思えばそれは、ただ単純に「物語が好きだった」だけでなく、「読み聞かせ」という「母親とのコミュニケーション」を楽しんでいたのではないかと思います。
(暗記してしまうほど好きだった絵本もわざわざ読んでもらったり、読む本がなくなると「絵の入っていない大人の本で良いから読んで」とねだったり、小学校に上がり母親が仕事の忙しさを理由に読み聞かせをしてくれなくなった時には「暇な時に録音したので良いから、朗読を聞かせて」と言っていたほどです。)
しかし、その読書経験が「本への親しみ」を生んだのは事実です。
小学校に上がる頃には既に、自分の中には「本は楽しいもの」という「刷り込み」がありました。
「本を読むこと」に対する拒否感は全く無く、むしろ自らすすんで図書室の本を読み漁っていました。
それと自分の場合、伯父(←童話全集をくれた親戚です。)が高校の国語教師だったり、その影響で父も文学をリスペクトする人だったり(←子どもに「お前は将来作家になれ」と言うほど)で、周囲に元々「読書好き」が多かった、というのも理由のひとつという気がします。
「本は価値あるもの」「本はおもしろいもの」という意識を、周囲から自然と学んでいったわけです。
(ただ、祖母は「目が悪くなるから夜に細かい字を読むな」という人でしたが…。)
そして何より、本を読み漁る過程で、数多くの魅力的な本、おもしろい本、人生や生き方を変えてくれるような本と出逢えたことが、読書好きを決定づける要因だったと思っています。
「読書が好きになったきっかけ」は、人それぞれだと思いますが、少なくとも自分の場合は「幼い頃から本に触れてきたこと」「周囲に本好きな人間が多かったこと」「自分にとって“価値ある本”と出逢えたこと」が主な理由かと思います。
より多くの人間の「読書好きになったきっかけ」「読書の原体験」が分かれば、より「読書好きな人間を増やす方法」が分かってくるのではないかと思っています。