キューバの恋人 / Kyuba no koibito / La novia de Cuba / Cuba No Koibito [日本映画]
第8回ラテンビート映画祭のオープニング作品、『キューバの恋人』を観てきた。下記のcinematopicsにあるとおり製作当時でも自主上映で、Marysolさんのブログによればキューバでも長らく公開されず(⇒ 紹介「アキラの恋人」プロジェクト|MARYSOL のキューバ映画修行)、アマゾンじゃ2万円なんていう値がつけられている、そういう作品なので、今回を見逃したらきちんと映画館で観られる機会なんてもう無いかもしれない。
今日(16日)の上映(10:45~)にはもう間に合わないと思いますが、ラテンビート映画祭はこのあと京都~横浜と移動するので、この機会に是非。
・キューバの恋人 - 映画作品紹介
1969年/日本/101分
配給:黒木プロダクション
製作:キューバ国立映画芸術協会作品
ハバナにやってきた日本青年アキラが、現地でタバコ工場の女工マルシアと会う。彼女は民兵でもあった。キューバの革命精神に奉ずる彼女と、彼女に愛を説くアキラのあいだの齪賠。そしてアキラが彼女に追いすがるうち、キューバという幻の革命の聖地の、貧困と明るさの実相がドキュメントされる(キューバの記録映像も盛り込まれる)。採取された現地音楽と松村禎三の音楽の調和も見事。同作は自主上映により公開された。
・Kyuba no koibito (1969) - IMDbには「Language: Japanese」とあるけど、これは間違いだな。津川さんのセリフも込みでほぼ全編スペイン語だったと思う。
あらすじ キューバの恋人 - goo 映画
一九六八年の夏。キューバで漁業指導員をしているアキラは、ハバナの下町で混血娘マルシアに出会った。彼女は、煙草女工であり、銃を巧みに使いこなす筋金入りの女民兵でもあった。アキラは、故郷に旅発つマルシアの後を追って求愛の旅に出た。瀕発する反革命の陰謀に対する厳しい警戒態勢をとる灼熱のキューバの奥深くへと。無償で残業労働をする工場労働者たち。チェ・ゲバラ部隊の戦車兵たちは、広大な原野を開墾している。……略……
このgooの解説文、「……ん?」と思った。なんか、「二人は激しく求めあった」というできごとの順番が違うような……。私の記憶が間違ってるのかも。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
面白かった。
津川さんのトークも面白かった。
銃を持って「バンバーン」「バキューンバキューン」「ダダダダダダダダッ」って戦争ごっこ、革命ごっこ。アキラは当時の「日本; 日本人」。
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Comments
昨夜のメモを羅列してみる(読み取れないのは想像で補いながら):
・「いちいちかっけえ」とまず最初に書き殴ってある。出だしっから津川雅彦がいちいちかっけえ。それで顔が綺麗。手が大きくて指が逞しくて。たまらん。
・上述のgooの解説文に「反革命の陰謀に対する厳しい警戒態勢」とあるけど、町なかに貼られていた「もっと警戒、もっと革命」っていうポスターはこれでしたか? 私は字幕に気をとられてポスターそのものをよく見てなかった。
↓
Mas vigilancia, mas ofensiva, mas revolucion : 28 de septiembre,... Art
・ビーチでマルシアの美しい肢体にみとれるアキラ。マルシアは「革命の起こる前は黒人やムラートや貧乏人はこのビーチに入れなかったのよ」と言う。「私はキューバが大好き。10年前からこの祖国が大好きなの。つまり革命の後のキューバがね」とも。「革命が無かったら私のような貧乏な家の子は学校にも行けなかったのよ」とも言っていた。
・61年4月にグアテマラから反革命軍がやってきたけど3日で撃滅してやったわとマルシアが言っていたのは、プラヤ・ヒロン(ピッグズ湾)事件
→・Embassy of Cuba in Japan - キューバ共産党第16回大会にあてた中央報告
……略……米政府が組織し、資金供与されたプラヤ・ヒロン(ピッグズ湾)傭兵上陸事件……略……革命を破壊し、米州機構(OAS)を使ってキューバ支配を復活させようとする計画……略……
・「闘う目標もないくせに。敵もいないくせに。敵と闘うということがあなたはわかってない。あなたの敵って誰なのよ。敵を討つ(撃つ)こともできないくせに何が《愛》よ!」とマルシアがアキラに言い放つ。ぐうの音も出ないわ。
・モンカダ兵営襲撃とかの話
・「兄はバチスタに殺された」「革命のために死んだのは私の家族だけじゃないから」「どれだけの血が流れたか」。
・「君が一人でこうして生きて来なきゃいけなかった、そのことだってもう十分に大きな犠牲だろ」とアキラ。
・カストロが驟雨の中、何時間も演説する。雨に降られたら降られたで、スピーチの内容を「このとおり、南部はこんな気候条件・地理条件だから理想の開墾地とはとても言えなかった。土地開墾の作業は困難を極めた。こんな海に近い低地の湿地ではトラクターだってぬかるみに沈んでしまうし。それでもわれわれは一年で6000(?)ヘクタールを開くことを達成したのだ!」という具合に持っていく“即興性”のようなもののパワーを感じるシーンでした。
当時の情勢についてなにか説明がありそうな書籍としては……読んでないからわからないけど……この辺りですか?
『アメリカの外交政策―歴史・アクター・メカニズム』
『軍事力と現代外交―現代における外交的課題』
『カリブ海のドン・キホーテ フィデル・カストロ伝』
Posted by: Reine | Friday, September 16, 2011 11:06
津川さんのお話( 書き取りが追いつかなかったので聞き間違いもあると思う)
・全編とおして観るのは実は初めて。初めて観てみたが、40年強経ってやはり老いたかなというのが気恥ずかしかった。映画の中では自分はけっこう“イイ男”だったので、今こうして登壇するのが恥ずかしくなった。(←今も変わらず魅力たっぷりですよとアルベルト。実際、そうだし)
・ヒロインのObdulia Plasencia プラセンシアさん、キューバの人からは何故もっとbonitaな女性を選ばなかったのかと質問されたものだが、僕たちからしたらプラセンシアさんは非常にbonitaだったじゃないですか。腰がきゅっとくびれていて、たいへん美しい。だけどキューバの人からしたら、bonitaとはつまりもっとこういう(ボリュームのある体つき)のことを言うのだと。
・「今じゃプラセンシアさんも立派なbonitaらしいですがね」。
・太鼓をどんどこどんどこ叩きながら、トラックを何キロも連ねて記念祭の広場に向かう民衆の陽気に圧倒された。あの地響きを聴きました。村人が体中をリズムにして愉しそうに踊るんだね。あれがまさに“ラテンビート”だね。ホテルに夜遅くに着いたけれども、通りの賑わいにつられるようにまた繰り出したものですよ。
・カストロはスピーチのたいへん上手い人だった。リズミカルな演説というか。(言葉はわからない僕が)音だけ聞いていたってグッと迫ってくる演説。
・群衆に向かってこう問うわけです、「君たちはその武器を何のために持っているのだ。敵をやっつけるために持ってきているんだろう!? もしも君たちが俺のことを気に入らないなら、俺を敵だと思うんなら、その武器で俺を撃てばいい!」って。演説に命を賭けている、その指導力というかオーラというか……。画面でこうして見ていても感じられただろうけど、生で見たら迫力が、それはそれは凄いものだった
・僕らの行った年の前年は3日間、前々年は7日かそれくらい、カストロの大演説があったらしい。なぜ3日もスピーチをするのかと。「だって皆さんが学がないからなんですよ。だから私はこうして話しかける必要があるのだ。教育が行き届いて皆さんがもっともっと教養をつけたら、私の演説など1日で済ませられる」とね。
・( このエピソード、書き取りが追いつかなかったのであやふや )
カストロが大学を訪れた時に(?)大学生が(?)カストロ賛辞のスピーチをしたんだが(?)、カストロがその演説を制止して(?)その原稿に目を通したら(?)、原稿にはいわゆる“朱”が入っていたと。それでカストロが言ったことには(?)、「俺はこういうのはイヤだ(?)」「共産党はこんな風に人の自由を束縛するんだ(?)」と(?)
・チェコ侵攻の時もカストロはソ連を批判していたね。キューバはソ連から支援をもらっていたにもかかわらず、だ。
・いっぽうでカストロはチェコも批判するんだ。「チェコもチェコだ。新型の兵器なんかをどんどん作ってスイス(?)だのどっかに売っているくせに、キューバには旧い武器ばっかり寄越しやがって。キューバにも新しい武器をよこさんかい」と。キューバに流れてきていたのは、だって、なんとサンパチですよ。
Reine注: サンパチってなんだ? ウィキペディアだけどこれなのだろうか? ⇒ ・三八式歩兵銃 - Wikipedia
・(津川さんのお話 つづき)
カストロの「俺の手でやったんだ」「キューバの人の自由を俺が守るんだ」という強烈な自負は凄いと思ったね。
Posted by: Reine | Friday, September 16, 2011 11:31
津川さんは、登壇するとここまで↑一気に語った。と、ここで「お。そうだ、通訳してもらわないと」と思い出した様子。通訳さんが苦笑。客席もくすくす。「今までんとこ、ぜんぶかい!」という空気。
そこから質問コーナーに:
1) 津川さんの中ではこの作品はどのような位置づけだったか
⇒ そういう難しいことはあまり考えてなかった。素敵な思い出だったけど。僕の映画人生なんてたいしたことない。その中の位置づけなんて考えたことがないんです
2) 《真っ赤っかな黒木さんと津川さん》という組み合わせが面白かったです
⇒ 実際やるまでに色々あったし、チグハグしていたことはあったんですよ。こっちはキューバに行って“御奉仕”をするわけだけど、フジテレビとの仕事も入っていて、(スケジュールの問題で???)帰国しなきゃいけないかった。
今日そこにも来てるけど達ちゃん(鈴木達夫)が「フジテレビとかけもちなんかよして、ずっとキューバに居ろよ」なんていろいろ言ってくれたよ。
真っ赤っかな黒木と、とおっしゃったけど、ノンポリのアキラの役の僕自身が「アキラ」そのものだったからね。黒木さんもそれでいいんだと言ってくれた。それがよかった。
あの頃もしも(キューバ政情を)理解しろと言われていたとしても、当時の僕の頭脳じゃあキューバ革命なんて理解できなかっただろうと思う。
3) アキラはずいぶんmujeriego(プレイボーイ)でしたね
⇒ 当時の日本人男性の姿としては、あんなのは無かったでしょう。
キューバではこうするもんなんだと言われたので、3日でやり方を覚えましたよ。とにかく見つめろって教わりました。喫茶店でもどこでも、いいなと思う娘がいたらとにかく見つめろと。じーーーっと見つめてる。何十分でもその子の姿を目で追っていれば、いつかはチラッとこちらを見てくれる。見てくれたらニコッと笑えと。
日本だと女の人に声をかけるなんてことをすれば「失礼ね!」となったわけだけど、あちらでは自分の魅力を認めてくれたということに対してまず「ありがとう」と言われる。「ありがとう、でも私はダメなのよ…」と続くわけだ。
女の人の受け止め方が日本とは違ったから、それで僕もナンパをできましたよ。
4) スペイン語がお上手でしたね
⇒ スペイン語は全くわからなかったのだけど、幸いスペイン語は発音が易しいからなんとかなった。撮影期間が2ヶ月もあったので、滞在の後半には自分でもおもしろいくらいわかるようになったし、女性とも仲良くなったというわけです。
5) (キューバの方?が質問)
第二次大戦から20年ちょっとという時期に公開された作品だったわけですが、その当時の反響はどんなものだったのでしょうか。
『日本の夜と霧 [DVD]』なんかもそうだったけど、「赤い映画」となれば日本では一般上映などされなかった時代です。この作品も話題にはならなかった。ヒットしたかしてないか、データもまったくわからないです。
こちらは“マルシア”を日本に呼んで宣伝活動をしようということで、僕自身もチケットを売ったりしてがんばりましたけどね。あの頃、「40万円もあればマルシアを呼べるよ」って土本さんに騙されましてね、僕はその40万、まだ返してもらってません! (会場に笑い)
ここで津川さんが、「“代々木(共産党)”で上映してくれただけじゃなかったかな」というようなことをコメントしていらしたけど、あれはどうも津川さんの記憶違いではないか、この作品に代々木はノータッチだったと思う、という説もあります。
Posted by: Reine | Friday, September 16, 2011 11:54
撮影の鈴木達夫が遠縁の“おじさん”なので、この上映後、当時のスタッフの方々とお食事に行くという場に図々しくもついていきました。
「おまえはスペイン(スペイン映画)のことばっかり知ってて日本(日本映画)のことは知らないな」と呆れられ叱られっぱなしの2時間でした。
達ちゃん(我が家ではそう呼ばれてる)に言い訳したいのは(って、ここに書いても伝わらないのだけど)、私はイベロアメリカ映画作品を一つ観てここに書くのにどんなに軽く済ます作品でも6時間、多い時は30時間、いやもっと、何日もかかっているからね。イベロアメリカ映画だけで手一杯なんだ。日本映画を観る時間は私はいまは作れないんです。
というわけで、昨日のその席では、達ちゃんや当時の製作スタッフの皆さんにいろいろ指導されました。
1) 「ジャングルの中をさ、マルシアが疾走するシーン、あれ凄いね。どうやって撮ったの」←っていう、失礼千万な直球の質問を素でやらかした私ですが、
「あれはクレーンを使った/革命でアメリカと戦いになる前はアメリカの映画製作はキューバによく来ていたから、当時の機材なんかがそのまままだ残ってた/それらを使ったところも少しはある」ということでした。
2) 「ラブシーンに行く前、よかっただろ」と言う達ちゃんに対し、「ラブシーンの前ってどんなだったっけ?」とまたもや無礼千万な私。
「すーっと登っていっただろ」。「あ、すーっと登っていって、フワーーンと上から映すやつ?」「そうそう」「あれ、凄いね! ああいうのってどうやって撮ったの?」(←だから失礼だ)
「階段をのぼっていくんだよ」
「階段登ったの?カメラ持って?」
「そう。カメラ持って。あの作品はほとんど手持ちだよ」
「………私はたぶんものすごい失礼なことをこれから聞こうとしてるんですけど……ス、スタビライザー的なものは……」
「そんなものあるかよ!」(←呆れすぎて声がひっくり返っちゃってる)
「いや、だから、今だったらスタビライザーを使うとこだろうけど当時はどうやってたんですかってことを……だってあれ全然揺れてなかったじゃん!」
と、ここでスタッフの方が「ああいうのをね、機材に頼らずともね、肌の感覚というのかな、人間の生理感覚というのかな、そういうのでもってすーっときちんと撮れてしまうのが鈴木達夫なのよ」と説明してくれた。
3) 「あの居酒屋の喧嘩のシーンあったでしょ。おばちゃんとアキラの。あれってシナリオがあったりするの?」
「お前ね……(…なんか絶句してる…)……ああいうのにシナリオがあると思って映画を観てんのか?」と、すごい呆れよう……。
「いや……だって……『ここで津川さんを突き飛ばしてください』くらいのことはあったわけでしょ?」「ああ、まあ、そういう“現場のシナリオ”はあったよ、たしかに」
※ あのおばちゃんは、1) 一応役をつけた上で撮影現場となるあの酒場に連れて行った人だったのか、2) 撮影しようと入った酒場でそこにいたおばちゃんを選んでお願いしたのか、それがどっちだったかは皆さん思い出せなかったです。
※ 裏話(?)といえば、「あのおばちゃん、たしか、やりすぎちゃったんだよな」と思い出してくれた方がいらした。
どうも喧嘩のシーンであのおばちゃんがどんどんヒートアップしてったもんだから、周囲の人の中には笑い出しちゃった人もいたような記憶がある、と。
「え?じゃあ、あのシーン、よ~~~く見たら、もしかすると人だかりの外側の方の人で笑っちゃってる人が映ってるかもしれないわけですか?」「もしかすると、ね」。
だそうだ。
Posted by: Reine | Friday, September 16, 2011 12:19
こんにちわ
キューバの恋人の記事、キューバとカストロファンの立場から嬉しい思いで読んでいました。私は関西の人間なので、津川さんのトークショウには参加できませんでしたが、こうしてブログ上で紹介されているのを拝見できました!ありがとうございます
僕は既にDVDでみているのですが、来週劇場でも観ようと思います。ブログには既に感想を書いているのですが、もし宜しければ、ここに書かれているのを基に感想を書いても宜しいでしょうか?
同じスペイン語圏の映画好きなので今後もちょくちょく遊びに来ます
Posted by: Venceremos | Friday, September 16, 2011 17:27
Venceremosさん、こんにちは。
どうぞどうぞ、こんなあやふやな記述でも何かお役にたてれば幸いです。
私はキューバ映画はまだまだ全然といっていいほど数を多く観ておらず、またキューバという国についてもきちんと知識を得てきていないので、もっと勉強が必要です。これからもいろいろアドバイス・コメント等、お待ちしております。よろしくお願いします。
Posted by: Reine | Friday, September 16, 2011 19:01