そんな時代の男性側の最適戦略というのは、結婚への期待は持たせつつ、結婚はしないというところだろうな。
セックスしようが、同棲して家事労働しようが、男は婚姻届に判を押さない限り結婚する義務はないし、それで別れたところで責められることはなにもない。
私は恋人がいる人が嫌い。
結婚している人が嫌い。
子供がいる人が嫌い。
親に愛されている人が嫌い。
わからないだろうな。幸せそうなカップル、夫婦、親子の光景を見て、
あんたたちが当たり前のように手に入れているものが手に入らずに苦しんでいる人間がいるなんて、
わかりもしないんだろう。
この子を殺したら親がとても悲しむだろう、と思いつつ。
「現代の消費すなわち過剰消費」みたいな極端な言説は何とかならないのかなあ
こういうニュースよく見るけど、なんで外国人=優秀という前提が信じ込まれているのか全く謎。
言ってる事はわかるけど
そういうのは女という業者同士のカルテルが守られてた時代に有効なのであって
そこで1業者だけ「結婚の約束してくれるまでやらせない」って言ったって
それはよほど他の業者と差別化できるような何かを持っていない限り
「変な女」として跳ねられて終わりだと思う。
生物学の学生って数字を扱う部分、「どういう実験モデルでどういうデータをとって、どういう統計処理をしたら」という部分をすっ飛ばしたがる気がする。
学生が教授の研究内容を手伝うスタッフみたいな位置づけのところに入ると、卒研(卒論)の題材がほぼ自動的に決定する。
卒論がそのまま成果発表だとか資料の一部になるから教授は容赦なくダメ出しするし、論文としての体裁がなってないものなんてその場でゴミ箱に放り込まれる勢いで叩かれるぜ。
そらそうだろ。
所有する意味は自分以外の人間がそれを独占してしまう環境があって初めて認識されるんだから。
他に独占されてしまう状況になければ元から自分がそれを独占しているに等しいんだし、独占欲・所有欲は現れない。
インディアンの部族の話にしても、破壊することで他の人間には得られないものにしてしまうことで自分の占有を恒久的なものにしていると見ることができる。
生命活動は総じて欲求を基にしていて、それを満たすための活動であるという前提が頭から抜け落ちてるんじゃねーの?
そういう視点に立てば、無駄遣い、衝動買い、全て当然の行動であり、意味があるものと見ることができる。
それを経済活動と混同して認識するとお前のようなことを考え出す。
まず生徒をゴミクズのように見下してる。不良や低学歴には差別的蔑視。
そんで自分は陰で性犯罪に近いような事に手を染めてたりもする。
で、やっぱり不良達を蔑視してる。
あと、昨今の設定では不良グループ内に1,2名クールで美形の知性派が居て
これは中学以前の時に何かがあって人間不信かつ人間味を失っているけど
(そんな氷のような彼・彼女を唯一受け入れたのは勿論心温かい不良!)
本気出すと東大卒の教師を軽く見下して馬鹿に出来るほどの知能を発揮する。
だから日本の大学は入るまでが大変なだけって認識が強い(というか大半の事実)なんだろうな。
そのあたりがモラトリアムだなんだと言われる所以か。
元増田も今投下してる内容に肉付けする程度で心配する必要ないのかもしれんな。
不良高校の生徒を改心させていくようなドラマがよくある。
1)事件が起きる
2)不良が弁明
3)周囲の人々は聞かない
4)不良「周りは俺らの言うことを信じねぇ」
というのが見受けられる。
言わせてもらうと、信じてもらえないのは当たり前だろ、と思う。
今まで、色々な悪さをしてきて都合のいい時だけ信じろと言ったってそれは虫のいい話。
この場面を見る度にイライラする。
それに同情する教師にもイライラする。
教師「あの子たちを信じてあげてください」
もうバカだよね。
不良になるってのは「楽になる」「恰好がつく」等のメリットと引き換えに「社会的地位」のようなものなどをリスクとする。
これをハイリスクローリターンと考えるかローリスクハイリターンと考えるかは人それぞれだが
結局「楽になりたい」という理性や自制心が無い人が不良へとなる。
リスク0で「楽になる」なんて無理な話だ。
欲しいものは手に入れた瞬間、どーでもいいものと成り下がっていく。
私たちが欲しいと思っているものは、みんなが持っているモノ。みんなが欲しているもの。
ブランドのバッグ、ファッショナブルな服飾、立派な家、等々。
世界に自分ひとりしかいなくなったとしたら、欲しいとも思わないものばかり。
他人の目があることによって初めて成立するような価値。
多くの「価値があるモノ」に何故価値があるのかを知らずに、それを妄信する私たち。
それを所有することによって、自分に取り込むことによって、自分の価値、自分の力を証明しようとする。
あるインディアンの部族は自分の大切な財産を他人の前で破壊することによって、自分の力を示すという風習を持っていたらしい。
現代の過剰な消費はそれに似ている。
過剰とも思える浪費、消費に私たちが煽られるのは、経済を回すため。
でも、もっとマシなモノやサービスで経済を回すことができないものか、と思う。
http://anond.hatelabo.jp/20110216204432
http://anond.hatelabo.jp/20110216194259
けっこう前だけど、このへんで語りつくされてるよ
恋愛はその事前交渉。