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2024/11/04

この国の精神  思考停止社会(2) ―情動とは何か―

この国の精神  思考停止社会(2) ―情動とは何か―

秋 隆三

 

感情とは何かという課題は実に難しい。古来、様々な宗教、思想、哲学の目的は、感情とは何かを究明することであった。人間社会は、まさに感情の渦であり、様々な問題の解決にとって、まず感情の問題を解決する必要があった。

 

<ロシアの核使用確率は20%以下?>

 

ウクライナ戦争、イスラエル・パレスチナ戦争等は、まさにこの感情のぶつかり合いと言っても良い。ところで、ウクライナ戦争であるが、弾薬庫の爆撃以来、ウクライナは次の弾薬庫に向けた攻撃を行っていない。なぜ、攻撃しないのか? ドローンがなくなったのか? どこからか圧力がかかって止めたのか? 単なる政治的パフォーマンスだったのか?

ロシアのICBM発射試験爆発前後に、北欧では大気中のプルトニウム濃度が異常に高くなっていることが観測された。原子力発電所の放射線漏れか、核弾頭からのプルトニウム漏れか。そこで、核爆弾の仕組みを少し調べてみた。

 

核爆弾には2種類あるようだ。広島型は、ウランだけしか利用できない比較的単純な方式であるが、長崎型はウランにもプルトニウムも利用可能な方法であり、現代ではこれが主流となっている。プルトニウムは、原子炉で産生されるので、原子力発電所があれば簡単に手に入る。この長崎型原爆は、丸い形状で、外側を通常爆薬で覆い、コアの部分にプルトニウム、コアの中心部にイニシエータを配置し、外側の火薬を爆発させて爆発圧を中心部に集中させることでプルトニウムを超臨界にし、中心部のイニシエータによって中性子を発生させ、核分裂が生じるという仕組みである。このイニシエータに用いられるのが、ポロニウムという物質だがこれは自然界にも存在し、ラドンに多く含まれる。ポロニウムはアルファ線を発生し、アルファ線がベリリウムに照射されることでベリリウムが中性子を放出する。ポロニウムが発生するアルファ線は10cm程度しか飛ばない。ベリリウムをアルミ箔などで覆っておくとアルファ線の影響を受けることがないので密着させても問題はない。このポロニウムで有名な事件は、英国でおきたロシア人のスパイ暗殺事件である。ポロニウム210の半減期は130日程度と言われているので、核弾頭に搭載するイニシエータは、4ヶ月程度を最大として交換管理する必要がある。つまり、核弾頭には装備せず、必要に応じて装着する。保管されているイニシエータは4ヶ月毎に交換する必要がある。半減期を超えたポロニウムは、原子力発電所の原子炉内に入れると1ヶ月程度でポロニウム210に回復する。

 

核爆弾を管理することは容易ではない。ロシアには、1万発を超える核弾頭があると言われているので、これらを常時利用可能にするためには、1日あたり200発程度のイニシエータの交換が必要となる。こんなことは、ロシアの経済力では到底不可能である。おそらく、2030発程度は、いつでも利用可能にし、後は、利用する時にイニシエータを製造装着することになるだろう。

さらに、今回の核弾頭搭載ミサイルの爆発事故のように、ミサイルの管理不良は致命的な問題となる。発射失敗すればそこで核爆発を誘発する。

核弾頭ミサイルを使うことなどは、どう考えても現実的ではない。核爆弾を使うとすれば、爆撃機からの投下が最も実現性が高い。これも、ロシア領内で撃墜されれば、自国内で核爆発を起こすことになる。

 

このように考えると、核爆弾を使うということは、一か八かの賭けになる。口で言うほどの脅しにさえならない。ロシアが使う確率は、20%以下といったところが妥当なところだろう。それも命がけだ。

 

<米国大統領選挙目前>

 

米国大統領選挙の世論調査では、トランプが誤差の範囲だがやや有利だ。トランプは、この1ヶ月ぐらいの間に相当変わった。何が変わったかと言えば、一つは人相である。あの人を見下すような視線から、人に寄り添うような視線に変化した。さらに、あのきついジョーク(ローストジョークと言うそうだ)の連発である。まず、マクドナルド・ハンバーガー店での手伝いだ。ハリスよ、お前は、こういう仕事をしてたんだって? 本当か? 次いで、ゴミ収集車に乗って「共和党支持者というゴミを集めるか」と演じる。米国人は、こういうジョークが好きなのだ。イギリス人ならばさしずめきついブラックジョークで一発食らわすというところだろう。これが、トランプの本来の良さである。暗殺事件が、彼の死生観を彼本来に戻したのかもしれない。

こうなると、トランプが勝つかもしれない。トランプが大統領になっても、政治・経済等はそれほど急に変化はしない。なにしろ、トランプはアメリカンドリームを背負って立つ商売人なのだから。しかし、時間とともに、トランプ流が発揮されるだろう。未来はさておき、今、現実の問題への対応力は、トランプが優れているからだ。今、目の前の問題を解決することで、未来は変化する。トランプが大統領になると未来のアメリカは変わるかもしれない。

 

<感情とは何か?>

 

核爆弾と聞いただけで、危険なもの、戦争に負ける、といった思いが直感的に浮かぶ。核に関する感情的反応である。同じように、トランプと聞いただけで、拒否反応を起こすのは、まさしく感情である。

 

脳科学の先駆者に、オランダの脳科学ダマシオという学者がいる。彼の著作「感じる脳」(ダイヤモンド社、2005年、田中三彦訳)によれば、我々が「感情」と呼ぶものは、実は、「情動」と「感情」という機能で構成されたものであると言う。

この本は、少々やっかいな本である。オランダの哲学者スピノザの言論を引用しつつ脳科学について解説するというややこしい論法を用いている。

スピノザは、1632年オランダで生まれた。同年には「正義論」で有名なジョン・ロックも誕生している。スピノザ誕生の前後100年は、科学、文学、哲学、宗教、政治等、大革新の時代であった。ルターの宗教改革が終わり、イギリスではトーマス・ホッブズが「リバイアサン」を発表し、清教徒革命が起こり、シェークスピアがひたすら恋の苦しみと親子の情に悩み文学・演劇に打ち込んだ。スペインでは、セルバンテスが日夜空想を膨らませ、イタリアではガリレオ・ガリレイが地動説を唱え、バチカンを震え上がらせた。フランスではルネ・デカルトが「我思うゆえに、我あり」と叫び、近代哲学的方法論を論じる。絵画では、レンブラントが活躍し、物理学では、ニュートンがリンゴの落ちるのを見て引力を発見する。そして、フランス革命、アメリカ合衆国の独立へと続いていく時代である。

 

ダマシオが、スピノザを「情動と感情」の科学的解説に取り上げたのは、それなりの理由がある。一つは、両者ともオランダ人でありユダヤ人である点だ。16世紀後半からスペイン、ポルトガル系ユダヤ人が、オランダあるいはネーデルランド諸州、プロテスタント系国家に大量に移動している。16世紀末に太陽の沈まぬ国といわれたスペインのフェリペ2世が異教徒不寛容主義をとったためである。スピノザの父親もポルトガル系ユダヤ人の移民だし、勿論、ダマシオもユダヤ人である。ローマ時代以後の歴史を見ると、大陸の国家が異教徒不寛容主義をとると、必ずと言って良いほど国家が崩壊する。グローバル社会は、信仰の自由を必要とする。二つ目は、スピノザが近代哲学の道を切り開いたという点である。地動説から天動説へ、ニュートン力学の発見等々、自然科学が学問として独立する。これまでの、宗教観が根底から揺さぶられた。スピノザは、汎神論を掲げ、一神教的神を否定する。絶対的真理、絶対的理性が存在すると信じるところに精神の自由はない。オルテガの言うように、科学の進歩は精神の自由を根源とするのだ。

 

<情動とは何か?>

 

ダマシオは、「情動」と「感情」は別物、つまり、心の反応プロセスが異なると言う。

「情動」は、人が生きるために必要とする自動化された生命調整装置なのだとしている。つまり、高度に進化した「人」になる遙か前の原初的生命体において、脳は存在しないが生命管理のための機構、ホメオスタシス機構を獲得した。この、ホメオスタシス機構を理解しなければ、感情のメカニズムを理解することはできない。

結論を先に言えば、我々の脳の内部には、体全体はおろか、脳そのものにさえ集中的な制御機構は存在しないということである。コンピュータがCPUという中央処理装置とソフトによって制御されているが、こんな仕組みにはなっていない。つまり、脳の各部は勝手に機能しているのである。これと同じような機構は、森林生態系にも見られる。生命体が勝手に森林の中で生きているが、森林はある程度一定状態を維持する。近年、土壌菌のネットワーク構造が森林生態系の状態維持に重要な役割をはたしていることが発見された。脳の中では、神経細胞とホルモン等の化学物質が、ニューラルネットワークを形成している。

 

ダマシオは、情動のプロセスを樹木の下部から上部の枝へと伸びる構造に例えている。もう少しわかりやすく言えば、「インプット→評価反応→アウトプット」が自動的に行われる最も原始的な層から徐々に上位の層へとインプット→アウトプットのネットワークが伸びていく。最下位の原始的な層は、体内の生命活動(代謝)、感覚諸器官からの信号、免疫系信号等である。その上に「苦と快」と結びつく行動(反応)がある。この反応は、人間では感じることができるし感じた内容を言葉にすることもできる。例えば、苦しい、快い、やりがいがある、苦痛だ等である。ここまでの反応は、日常茶飯事に見られるものもあるし、目には見えない反応もある。前者は、傷を受けた手をかばう等であり、後者は免疫系の反応である。こういった反応は、苦を形成する基盤となっている。これらの上のレベルにあるのが、「動因と動機」(drives and motivation)と呼ばれる領域である。例えば、空腹感、喉の渇き、好奇心、探究心、気晴らし、性欲等である。エネルギーが不足するという動因によって空腹感という動機が形成されるというように。「欲求」と言っても良い。「欲望」は意識的感情であるとすれば、「欲求」は、ある特定の動因によって活発化する行動的状態(空腹感等)であると言える。

そしてこれらの上位に「情動(狭義の情動)」が存在する。喜び、悲しみ、恐れ、プライド、恥、共感等であり、これらの上の最上位に感情があることになる。

 

少し難しくなってきたが、ここまでが情動というものであり、これらのすべての仕組みは、DNAによって、生まれると同時に、あるいは直後に、学習することなく確実に作用するようになっている。泣きわめくとかしくしく泣くといった反応の形態は、生まれた時にすぐに作用するようにできている。さらに驚くべきことに、自動的、定型的パターンとなっており、一定の条件下で作動する。しかし、経験、学習によってなぜ泣くかが変化する。

 

ここまでの反応は、外界、内部の環境変化が生命に関わる場合、生命体はその変化を検出し、自己保存、効率性にとって有益な状況となるように反応(構造変化を起こすわけではない)する。

 

情動の反応において、その構造は極めて複雑である。つまり、我々の内外で起こる環境変化は、一つのインプット・反応・アウトプットだけではなく、極めて大量の情報で構成されているからだ。

狩猟採取時代の人間の情動と、現代社会における情動では、使わなくなった情動もあるし、新たに必要となった情動もある。しかし、遙か昔の情動が失われたわけではなく、どこかに残っている。

 

今回は、ダマシオの「情動と感情」の一部の紹介にとどまったが、次回は、欲望、感情について整理してみよう。

 

2024/11/04

2024/09/24

この国の精神  ―思考停止社会(1)―

この国の精神  ―思考停止社会(1)―

秋 隆三

 

<世界の動向と思考停止社会>

 

思考停止社会を支配するものは何か? 感情が支配しているのだろうか。だれも考えない民主主義社会において、米国では大統領選挙、我が国では総理総裁選挙が行われる。

 

米国大統領候補、トランプとハリスの討論会を少し聞いてみた。このトランプという男は実に面白い。銃撃事件で一命をとりとめるほどの運の強さを持ちながら、その主張・言動は、銃撃前と後ではほとんど変わらないのである。運の強さは、この男の経歴をみても明らかである。これほど運の強い男はめったにいるものではない。一国のリーダー、企業のリーダーに必要な能力を一つあげるとすれば、頭の良し悪しは並程度、人格もほどほど、倫理観もそこそこでよいとすれば、運の強さである。運の強さとは何かと言われれば答えに窮するが、強いて言えば、時期を得た決断力(直感力)とよい結果を得ることのできる確率の高さと言えるだろう。かのローマにおけるカエサルのように。

リーダーに求められる最大の要件は、一か八かの決断である。運の悪いやつをリーダーにすると、大体失敗する。銃撃事件で一命をとりとめる等は、そこら辺にごろごろしている話ではない。とてつもなく運が強いこの男を大統領にしないとすれば、よほどおかしな国民である。

しかしである。これほどの体験をした人間は、自分自身の生について少しは考えるのが普通であり、体験後の生き方、考え方が変化するのが普通である。つまり、体験を通して、新たな知性のネットワークが生じるのである。これまで知らなかったことに気づき、少しでも知性を働かせ、自己と他について考えるはずである。どうも、トランプという男は孔子の言う「知」を体感しなかったようである。一方のハリスはどうかと言えば、さっぱりわからない。ただ、なかなかいい顔である。美人というわけではないが、人に安心感を与える顔である。つまり「顔施」がある。政治家にはなくてはならない要件である。日本の総理大臣候補では、高市(ほどほどの顔施)、林、茂木といったところだろう。

 

米国大統領は、現時点では、多分、ハリスで決まりだろう。それにしても、ウクライナ戦争を米国はどうするつもりなのだ。私が、このブログで述べたように、この戦争を終結させる唯一の手段は、ウクライナが受けている悲惨さをロシア国民も共有することである。まさに、そのように進み始めたが、これに対して米国は、相も変わらず、長距離兵器の使用を認めない。ロシアの核使用を警戒してとのことだが、こんなことが起こるわけがない。民主党には、へんてこりんな考え方をするエリートが沢山いる。

 

第二次世界大戦におけるヨーロッパ戦線への米国参戦などそのいい例である。ホロコーストが行われていることを米国民主党政府は、国民にはひた隠しにし、優生学(本ブログの「恐怖の思想」で解説)という似非科学に政府、学者、経済人がずっぽりと浸かりドイツと戦おうとはしなかった。

 

それとも、今、ロシアが負けるとだれか困る者がいるのであろうか。ヨーロッパのエネルギー供給に支障を来し、経済状況が悪化することを恐れている(ドイツのように)とか。あるいは、ウクライナやロシア及び旧ソ連圏を徹底的に疲弊させることで膨大な利益を上げるとか。陰謀論はいくらでも書けそうであるが、まさかそこまでのことはなかろうと思うが。

あるいは、ウクライナあるいはロシアのうまい負け方を考えている奴が米国ホワイトハウスにいるのだろうか。日本は、第二次世界大戦で如何にうまく負けるかが戦争の決め手であると考えた。旧日本軍部と官僚の一部のような奴らが、米国ホワイトハウスにいるのかもしれない。もしいるとしたらとんでもない奴らである。戦争は、一度始めたら止められないだから。

考えてみると、米国は、第二次世界大戦以後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争、イラク・アフガン戦争と20年ごとに戦争をしている。ジャーナリズムが煽りたてる分断されたアメリカ社会は、建国以来続いている。この自由的民主主義国家が分断社会を団結国民社会に変えるためには、戦う以外には方法がなかったのかもしれない。

 

ウクライナは、武器・弾薬、長距離ミサイル、誘導弾の国産化に総力を結集しなければ勝てない。他国からの供与を当てにして長期戦に勝てるわけがない。ウクライナは即刻国家総動員体制をとり、通常経済を停止し、完全な戦時経済に移行する必要がある。農産物の輸出だなどと悠長なことを言っている暇はない。資金は借りまくれ。武器弾薬、農産物、エネルギー、輸送に全ての労働力を結集・分配しなければならない。ロシアのあらゆる軍施設、インフラ、流通網、行政機構への攻撃を開始する必要がある。

 

大統領選挙、総理選挙からウクライナまで一気にきてしまったが、国際問題の専門家なるものが、ウクライナ戦争の行方を何も解説しない。戦争というものをどのように考えるべきかは、報道番組をみてもさっぱりわからない。彼らもわからないのである。戦後、それも学生運動、ベトナム反戦運動の経験のない専門家なるものに戦争の思想などわかるはずもないのである。つまり、思考、知的思惟のネタという近代思想材料を仕込んでいないのである。これが、思考停止ということである。

 

脳科学の進歩>

 

学生の頃から、情報技術・社会の先端を走ってきたが、現代社会をみると、何とも、不思議な思考停止の様相が見えてきた。

政治の話をしない国民。会話もなくスマホにかぶりつく国民。やたら旅行をしたがる人間。僅か10%の需要増加で米がなくなる日本。5%の給料アップでありがたがる労働組合。円安が進めば日本売り、円高が進めば株価が下がると騒ぎ立てる日経新聞。たかが数億円のパーティー収入に右往左往する自民党と野党。増税だともっともらしく演説する総理大臣。どこのTVも朝から、食い物だ、絶景だ、旅行だと、馬鹿まるだしのワイドショー。そうかと思えば、ネットニュースでは、病気と健康の話ばかりだ。

耳垢はとらなくても自然に出るともっともらしく解説する耳鼻科広告。そんなわけないだろう。学術論文のどこにもそんなものは載っていない。耳の穴が蠕動運動するわけがない。耳垢が外にでるとすれば気圧の差が要因である。さらに、自転車が前立腺に悪影響を及ぼすという医院広告に至っては、あきれかえるばかりだ。15年前ぐらいに米国の学会での報告があったが、すぐに大規模疫学調査の結果が報告され、全く嘘であることが証明された。医者が、何の疑いも持たずにこういった嘘情報、似非科学情報を信じ込む等は、科学者として恥ずべき行為である。科学を志したものならば、ちょっと考えればわかりそうなものだが、権威ある学会誌に載ると何の疑いもなく信じ込む。思考停止状態になっている。記憶している知識、経験した知識のみで判断し、知性は働いていない。知不知、知の知が機能していないのである。孔子が喝破した知の思想は的確であった。

専門家さえ思考停止をしているのだから、一般国民全体が思考停止状態に陥るのは当たり前である。

ところで、こういった脳の働きに関する科学、脳科学は、近年、急速に進歩した。死人の脳をいくら解剖してもわからない。かといって生きている人間の脳を開けて見ることもできない。コンピュータ、センサー等電子機器の発達が、生きた脳の観察を可能にし、脳科学を飛躍的に進歩させた。といっても、未だ記憶のメカニズムさえその機構は不明である。最近、脳から直接、記憶されている言葉の信号を読み取り、解読に成功したという論文が発表された。詳細はわからないが、脳の信号パターンの一部の解読に成功したのかもしれない。

 

脳科学の歴史>

 

人間の精神性が脳によるものではないかという疑問は、ギリシャ時代からあったらしい。しかし、その後、心は心臓にあるということになった。さらに、おかしくなったのは心身二元論という、心と身体は別物だという思想(哲学)が生まれた。哲学とは、そもそも脳の働きを究明するものである。人の感情とは何か、知性とは何か、人はなぜ悩むのか、人はなぜ飽くなき欲望を抱くのか、人は何のために生きるのか、等々、哲学は、ギリシャの昔からつい20世紀初頭まで、堂々巡りと過去の論説否定という思考を繰り返し、時には道徳倫理の思想・実践となり、時には政治思想として戦争を引き起こし、時には宗教的神秘性を秘め、時には文学的創作を生み革命にまで発展した。

 

考えること、つまり思考・思惟とは、脳の働きのことであるが、よく考えてみると、日常の生活で行っている思考とその結果についてもわからないことばかりである。感情と思考とは同じなのか、意識的な思考・行為、無意識の行為とは何か、等々。

ギリシャ哲学では、有名なのがプラトンの洞窟の比喩である。人間の思考というものは錯覚なのだという比喩である。ソクラテスは、不知の知といった。知らないということを知っているということであるが、年代から見て孔子が遙か昔に言っているので、ここらあたりについてはちょっと検討の必要がありそうだ。アリストテレスは、人間が正しく生きるための、徳、善、幸福、欲望等々について論究し、息子が「ニコマス倫理学」としてとりまとめたとされている。内容は、かなり面倒くさく、かつ現代脳科学からみればハチャメチャなところは致し方ない。現代では、ほとんどが脳科学の領域である。孔子は、徳について論じ始めてから、感情の論究については諦めている。つまり、脳で生じる現象のほとんどを論理的に説明することはできないとさとったのだろう。当然である、やっと脳科学がその端緒についたのだから。

 

西洋哲学が、この後、19世紀まで、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の神と人間の思考との関係で右往左往し、感情と知性の関係の論理的追求を続けることになる。一方、東洋哲学の儒教と仏教では、勿論、思想的混濁は歴史的に見られるものの、混濁の都度、基本原理としての古典に戻ることで、感情の論理的・哲学的究明へ踏み出すことはなかった。これが、西洋文明を特徴づける科学性と東洋文明における精神性の差異である。

 

哲学が感情と知性の理論的究明へと急速に進むのは、ルネサンス・宗教改革を経て17世紀中葉のスピノザ(汎神論で有名である。オランダの哲学者だが、時代(1600年代)からみてオランダ東インド会社がもたらした儒教・仏教思想の影響がなかったとは言いがたい)の登場以後のことである。一方、脳科学は、19世紀にようやく脳神経細胞を明らかにした。イタリアの神経学者・解剖学者であるカミッロ・ゴルジは、細胞の染色法を開発し、顕微鏡でニューロンを見た最初の科学者であった。

 

脳の研究は、精神病の原因究明として進められた。精神病者と健常者の脳を比較することで、脳の部位の機能を解明しようとするものだった。

1800年代後半には、夢分析で有名なフロイトが登場する。意識と無意識の究明である。脳は、無意識でも働きがあることがわかったが、意識とは何かについては全くわからなかった。当然である、記憶のメカニズムそのものがわからないのだから。

1950年代になって、やっと記憶機構がわかってきた。それは、海馬の発見である。海馬の切除や海馬損傷患者が言葉の記憶ができないことを突き止めたのである。今から、僅か70年前に言葉の記憶機構の解明の端緒についた。孔子から2500年後であり、つい最近のことなのだ。それでも、まだ脳内の記憶の方法は解明されていない。勿論、意識などは到底わからない。

 

<現代脳科学の挑戦>

 

今の経済、例えば消費経済、ネット経済等は、もはや脳科学により解明された消費意志決定メカニズムを基礎としなければ到底解明できない。このことは経済問題だけではなく、政治、社会、道徳・倫理、芸術等、人間行動のあらゆる分野に及んでいると考えられる。

ということは、資本主義、民主主義等の政治思想の論究においても脳科学が解明している部分を前提として進めなければ、論理性を示すことができないことを示している。

 

前述のように、1950年代になってやっと記憶機構にたどりついたが、人間の精神と行動について、1920年代には、社会心理学として究明されていた。フランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボンの「群衆心理(講談社学術文庫 櫻井成夫訳」である。同時代には、スペインの哲学者オルテガがこの時代に誕生した大衆に迫っている(「大衆の反逆」)。群集心理というよりは、群集化理論とでもいうべき論考である。

脳科学に迫ったのは、「情動と感情」の解明に挑んだ、ポルトガル生まれのアントニオ・R・ダマシオの著作「感じる脳」(ダイヤモンド社、2005年、田中三彦訳)であろう。ホモサピエンスとして進化した人間の感情とは何かを克明に観測し、かつ統計学的な解明を試みた。

イタリア人のマッテオ・モッテルリーニは、経済学的知識を基に「世界は感情で動く」(紀伊國屋書店、2009年、泉典子訳)を発表した。人間はそれほど理性的に行動してはいない。感情が社会を動かしていることを論破した。

スウェーデン人のアンデシュ・ハンセンは、スマホにより思考停止状態に陥る人間の脳のメカニズムに迫った(「スマホ脳」 新潮新書、2020年、久山葉子訳)。

脳科学の研究成果が、単行本として世界で出版されるのは、2000年代以降であると言っても良い。しかし、「意識」については、まったくわかっていなかった。現在もわからないのだが、今、この難問に挑戦している研究者が日本にもいる。渡辺正峰の「意識の脳科学」(講談社現代新書、2024年)である。

 

こうやって文献をみると、脳科学はかなりわかってきているのではないかと思われるかもしれないが、実は、極めて部分的であり一部なのである。従って、上記文献を読み終えても、シナリオ(論点)が明確ではないために単なる知識の羅列となってしまい、それらの知識をどのようにとりまとめるべきかは、全て読者に委ねられることになる。

そこで、これらの文献を参考にしながら、思考を停止した現代社会の様相を基に、上記文献の知識を応用して一つのシナリオを考えることとした。

次回は、感情が社会を動かしているかを中心に考えてみることにする。

2024/09/23

2024/07/18

この国の精神  ―思考停止社会 序―

この国の精神  ―思考停止社会 序―

秋 隆三

 

私に残された時間も僅かとなってきた。かつて、若い頃には、時間を感じるということはほとんどなく、無限にあると思っていたが、老いてみると、時間が目の前に迫ってきて、狭い空間に閉じ込められているような感覚に陥る。

こういった時空感覚に対して、思考には制約がない。一つの「なぜ」が次ぎの「なぜ」を生じさせる。思考を停止したときに「死」がやってくるのだろう。カントの言う、無限の理性の本質はどうもこの辺にあるらしい。

 

<コロナ後遺症>

コロナ感染症もそろそろ終焉を迎えそうだが、これでコロナウイルスがなくなるわけではない。有史以来、日本人には4種のコロナウイルスが住み着いていることは、かつて説明したが、これに1種が加わり、5種のコロナウイルスが未来永劫住み続けることになった。

コロナワクチン(mRNA)の後遺症に関する論文が文芸春秋4月号に掲載された。1年半前から、私が体感したことに見事に一致する。参考までに、一部を引用しておく。括弧内は、論文数である。

「ワクチンによる副作用の上位10疾患は、(1)血小板減少(557)、(2)頭痛(455)、(3)心筋炎(344)、(4)血小板減少を伴う血栓症(328)、(5)深部静脈血栓症(241)、(6)ギラン・バレー症候群(143)、(6)静脈洞血栓症(143)、(8)アナフィラキシー(140)、(9)リンパ節腫大(132)、(10)血管炎(129)」

私の症状は、溶連菌感染症、筋力低下、心房細動である。ギラン・バレー症候群の軽い症状に似ているが、ギラン・バレー症候群と断定するためには、それこそ大変な検査が必要になるので、病院は診断しようとはしない。血栓症も同様である。よほど重篤にならない限り検査はしない。コロナ感染症対策が、果たしてこういった後遺症の発症と比較して適正であったかどうかの評価は難しいが、mRNAワクチンについては今後も研究が必要であろう。

 

<ウクライナ情勢>

ウクライナ、ロシア双方とも弾切れで膠着状態に入った。「もしトラ」の影響からか、EUが防衛費の増額、武器・弾薬の域内生産の増加を相次いで実施した。当たり前だろう。このEUなるものの、言い換えればヨーロッパ民主主義のいい加減さは驚くべきものである。NATO予算の40%以上を米国が負担しているというから、トランプでなくとも「いい加減にしろ」と言いたくなるのは当然だ。これは、日本に対しても同じである。バブル経済の崩壊以後、金融引き締めと円高で最悪の事態を招き、デフレが30年も続いた要因の多くは、日本の経済学者・財務官僚なるものの似非科学にあることは明らかであるが誰も責任をとろうとはしない。これも民主主義である。それはさておいて、ウクライナ戦争をどのように終わらせるかが問題である。ロシア本土攻撃もこうなってはやむを得ないかもしれない。ロシア国民においても戦争の悲惨さを共有するしか方法がないのかもしれない。国家のリーダーの責任である。

 

政治思想とは何か?>

 

 コロナパンデミック、第三次世界大戦の危機をはらむウクライナ戦争、パレスチナと、この数年の間に世界を震撼させる出来事が相次いでいる。

 

戦後生まれの私は、昭和の高度経済成長、バブル後の長期デフレ経済の両方を体験した。さらに、上記の二つ世界事変である。天変地異も、阪神・淡路大地震、東日本大震災と二つの大震災を目にした。70年以上生きるということは、何時の時代でも、この程度の出来事に直面することである。

さらに、今、中国経済が危うい。これも経済学者が、日本への影響は少ないと言うが、経済は経済システムの価値認識だけで動くわけではない。大きく変化するのは、経済合理性という価値観以外の価値判断・認識によるものである。ケインズも言っている。経済学は科学ではない。倫理学だと。

 

中国経済の低迷は、不動産不況が直接の原因ではあるが、それは目に見える一部の現象にしか過ぎない。要は、マンション需要を遙かにこえて建設したことだが、それだけではない。例えば、鋼材の生産量は既に世界需要を遙かに超えている。太陽光パネル、リチウム電池、白物家電品、衣料品、素材・部品等々、ほぼ全ての工業製品・部材・日常品が過剰に生産されている。足りないのは食品・農水産物ぐらいだ。経済装置にブレーキがついていないのである。ブレーキとは、精神である。

 

中国共産主義は、かつてのソ連のような計画経済であった。ところが、かの鄧小平が、改革開放を宣言し、共産主義国家でありながら資本主義経済を導入した。それが、中国の経済成長につながったことは言うまでもない。

中国の資本主義システムには、シュムペータが言うように、ブレーキ機構が内在されていない。シュムペータは、資本主義システムが自ら変化し、経済を加速させ、新たな経済システムへと転換していくのは、ブレーキ機構があるからだと言う。ブレーキのない自動車を想像してみよ。アクセルペダルを踏むなどは、恐ろしくて到底出来ない。ブレーキ機構が備わっていて、それが正確に作動することを前提条件にアクセルペダルを踏み込み、加速させることが可能なのである。経済を加速させるためには、ブレーキ機構がなくてはならない。

中国経済は、経済システム内にブレーキ機構が存在しないのである。こういったシステムを資本主義システムと呼べるかと言えば、ノーである。強いて言えば、共産主義体制における半自由経済システムである。民主主義は、資本主義システムを前提条件に成立する。資本主義システムは、あらゆる社会政治システムの前提条件なのである。共産主義を前提条件として資本主義システムが成立することは、論理的にも、感情的にも成立しないことを中国経済は示している。

 

さて、ここでわからないのが、共産主義、社会主義、民主主義、資本主義と、常識のように報道されるこれらの社会・政治思想の真の意味である。19世紀後半以来、これらの良いこと(主義)については、多くの思想家によって論じられてきた。しかし、真の意味、真の定義が存在するかどうかは甚だ疑問である。真の意味が存在するのであれば、その意味は具体的に何か、存在しないのであればなぜ存在しないのか。

19世紀欧米の大衆社会において、これらの主義が当然の如く大衆によって叫ばれ、知識人は煽るように○○主義、シュギ、しゅぎと唱えてきたが、果たしてどこまでこれらの思想の真実を伝えられていたかは、いくつかの文献をあたってみても見当たらない。

 

社会主義、民主主義、法治主義、資本主義、自由主義等々は、人間個人の問題ではない。もちろん、人の生においてこういった思想とその制約は様々に関連する。人の生の制約として関連するものは、国家経営、つまり政治でありその思想は政治思想そのものである。

民主主義は、すべての先進国が民主主義だと言われているが本当なのか? 民主主義の具体とは一体何なのかは誰もわからないのではないか? 資本主義はどうなのだ。1991年のソ連崩壊をもって社会主義が失敗し、資本主義が勝ったと言うが、本当なのか?

マルクスは、資本主義は自己崩壊を起こし、社会主義へ移行すると予言した。逆の現象が真であったのか?

資本主義とは一体何者なのか?

21世紀に入って金融資本主義が世界の悪のように言われ、資本主義経済システムが生み出す格差社会が問題となり、金融資本が世界を支配すると言う。

 

最近、トランプが盛んに演説の中でディープステートと叫んでいるが、某衛星放送の報道番組が、このディープステートを取り上げた。この放送では、ディープステートは陰謀論であることを前提として報道していた。日本の報道番組もここまで落ちたかと呆気にとられた。ディープステートなるものの存在は確かに疑わしい。Qアノンなどと同じように、でっち上げ、嘘、フェークまみれかもしれない。ネット社会の中で、出ては消える噂話といえばそうかもしれない。報道の姿勢として、仮にも前米国大統領、現最有力大統領候補が発した言葉であるからには、陰謀論であるか否かは別としても、ディープステートなるものが生まれた背景、実体の存在についての疑義についての考究がなくてはならない。さらに言えば、政治思想における陰謀論的推論は、何もディープステートに限ったことではない。第二次世界大戦前夜のドイツ・ヒットラーの演説においても同様の手法はあった。日本においても、臥薪嘗胆、五族協和、八紘一宇等々、陰謀論といえなくはない用語は新聞紙上に踊っていた。最近では、プーチンのナチズムや、米国におけるパレスチナ擁護派における反ユダヤ主義等であろう。

 

思考停止社会>

 

スマホ社会だ。わからないことがあればネットで検索すればたちどころにわかる。さらにAIの登場である。ネットがあれば、この世の中でわからないことは何もないという錯覚に襲われた。

話は変わるが、以前、マイクル・クライトンの「自由にものがいえない社会」について論じた。1992年の地球温暖化問題以後、世界の民主主義国家では、温暖化について自由にものが言えない「恐怖の時代」を迎えた。自由にものが言えない社会は、個人の思考を停止させ、社会全体が思考停止社会へと向かう。SDGsなどは、その典型的な例である。

 

日本では、バブル経済の崩壊と地球温暖化問題が同時に起こった。偶然といえば偶然である。世界は、1995年のウインドウズ95の登場でネット社会へと移行し、2007年のApple iphoneの登場以後、本格的ネット社会が始まった。実質的にはこの10年間がネット社会である。あまりにも社会変化のスピードが速すぎる。考える暇もなく、社会が変化する。社会全体ではなく、情報社会の変化でしかないのだが。情報社会が変化すれば、人間関係も変化すると人間は錯覚する。

 

政治思想の真の意味とは何かを考える前に、こういったネット社会という現代を思考停止社会という観点から様相を少し探る必要がある。なぜなら、思考停止した人間は、感情で動くことになるからである。果たして、社会は、感情で動いているのか、それとも知性が働いているのか。

まず、感情とは何かから考究する必要がある。

 

2024/07/14

2023/11/09

この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―エピローグ―

この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―エピローグ―

秋 隆三

 

昭和歌謡曲に随分と長い時間がかかった。まだまだ足りない。膨大な数の歌謡曲である。一体、世界の国、民族で、日本の歌謡曲と呼べるような音楽スタイルのものがどれほどあるのだろうか。

スペインのフラメンコ等は、歌謡曲ではなく民謡である。日本であれば津軽じょんがら節や、追分等と同じような分類であろう。

1800年代初頭に完成するヨーロッパ楽曲、つまり、モーツアルト、ベートーベンに代表される作曲家によって成熟・完成した音楽技術、12音階、和声、記譜法が、明治文明開化とともに輸入され、江戸時代の長唄・小唄、明治期の浪曲、民謡等と融合しつつ、昭和の大衆社会への移行とともに出現したのが歌謡曲ではないかと考えられる。

欧米では、オルテガの言う大衆社会は日本より数十年早く出現している。フランスのシャンソン、同じ語源をもつイタリアのカンツオーネ等は、その典型的な例である。これら以外にもポルトガルのファドがある。

古くは、吟遊詩人が自作の詩に曲を付けて歌っていたものと思われるが、上記いずれの国の歌謡曲にも独特の曲調と詩を引き立てるコブシが見られる。コブシなどはないという専門家なるものもいるかもしれないが、詩という言葉には、必ずイントネーションがあり、微妙な装飾性が備わっているものである。言葉のリズムと抑揚が旋律を生み出す。

 

昭和歌謡曲は、まさに昭和に入ってから創作された日本独自の楽曲と言えよう。中山晋平という作曲家がいる。昭和3年に小学校教員を退職し、日本ビクターの専属作曲家となって、有名な「波浮の港」を作りヒットする。翌年には「東京行進曲」が発表されている。この昭和初期には、古賀政男、古関裕而等の作曲家が相次いで出現し、日本の昭和歌謡曲を洗練し、成熟させていくが、作詞家の活躍があってこそとも言える。明治以来、昭和にかけて、日本文学における詩人の活動はめざましいものがあった。

 

<オルテガと大衆社会学>

 

さて、オルテガの「大衆の反逆」にインスパイアされて、昭和歌謡に挑んできた。何ともまとまりのないものになってしまったが、大衆が嗜好するもの等は、オルテガの言うように「波のまにまに漂っている」に過ぎないのである。

ホセ・オルテガ・イ・ガセットは、明治16年(1883年)にスペインの高名なジャーナリストの息子として、スペイン・マドリードで生まれ、昭和30年(1955年)に72歳で没している。第一次世界大戦前のドイツに2年間留学し、カント哲学、フッサールの現象学等を研究したと言われる。19歳で学士号、21歳で博士号を取得している。現代とは、大学制度が異なるとは言え、一人の天才と言えよう。

オルテガは、「大衆の反逆」に見られるように、自らの思想を体系的・論理的に説明しようとはしていない。思想というものを理性だけで説明することは不可能であり、感性(情動)と理性の相互作用と考えていたのではないかと思われる。理性には限界があり行きつく先は無限だとするカントの純粋理性批判、フッサールの主観哲学・認識哲学に通ずるものであるが、オルテガは、真理を追求する哲学ではなく、浮き草の如き今を生きる人の思想に着目した。「生」きるということは、現実問題なのである。過去でもなく未来でもない。だからといって、「人は何故生きるか」という真理を必要としないわけではない。人が生き抜くためには、思想が必要なのだと言うのである。それも、自由で民主的な社会に生きる大衆が重要なのだと。

 

オルテガが、「大衆の反逆」をまとめた時代は、1920年代後半である。第一次世界大戦が終わり、ロシア革命・ボルシェビキの台頭・ソ連共産党独裁政権の誕生、ドイツナチス党の躍進、それこそヨーロッパ全体が揺れ動いていた。この時代のヨーロッパを、EH・カーは、「危機の20年」と呼んだ。

さて、オルテガが生まれた1880年頃とは、イギリスはヴィクトリア朝であり、エジプトの軍事占拠、アイルランド農業恐慌・国民同盟発足、スーダン戦争等、現代にまで影響を及ぼす植民地問題が吹き出している。フランスは、第3共和制時代であるが、パリ・コンミューン後、王政復古の失敗・共和制の復活と混乱するが、もっぱら国内法の整備に集中している。

1898年には、米西(アメリカとスペインのメキシコ湾での戦争)戦争が勃発し、スペインはキューバ・フィリピン・プエルトリコを失っている。この戦争によりキューバとフィリピンは独立に向けた紛争の時代を迎える。スペインは、この戦争を契機に王政は衰退し、1909年にはカタルーニャ(バルセロナ)で「悲劇の一週間」と呼ばれる労働争議が発生する。1931年にはスペイン革命により共和政国家となる。

 

こういった歴史を見るたびに感ずることだが、先人達はよくもこのような激動の中を生き抜いたものだと思う一方、戦争や紛争の当事者以外の人達にとっては、どこかで何かやっている程度の認識であって通常の生活にはほとんど影響がなかったとも思えるのである。勿論、後年、長い時間を経過して一般人にも何らかの影響、例えば社会思想・制度、経済、科学技術等を通して影響を及ぼすことになるのだが。

ウクライナ紛争に続いてイスラエル紛争が発生した。これらの地域以外にも紛争の可能性の高い地域は、この日本の近くにもある。我々の日常生活とはほとんど無関係なところで殺し合いをしている。今の我々の世界認識と変わらない状況が第一次世界大戦後のヨーロッパ大衆にもあったことは確実である。ついこの間、千万人とも言われる戦死者を出した戦争があったにも係わらず、大衆の認識とはこの程度のものではなかったか。オルテガは、このことに気がついた。気がついてみると、何とも恐るべきことである。さらに恐ろしいことは、19世紀社会のような少数の支配者による国家ではなく、大衆支配社会でかつ、人類の理想とも言える自由主義的民主主義国家こそが最大の危険国家であることである。

 

オルテガは、ナチズムを最も危険視し、警鐘を鳴らし続けていたが、「大衆の反逆」が出版されて2年後、ドイツではヒトラー率いるナチ党が第1党に選出された。ドイツ国民は、民主主義という多数決方式によりナチ党の議会議員を選出したのである。首班指名を控えた19327月、ヒトラーは次のような演説をした。

 

「(権力者は)国家が覚醒に向かうことを恐れながら、彼ら(権力者)は民衆を立場の異なる人々に対しての敵対心や優越感を持たせるように仕向けていった。都会が田舎を見下し、給与所得者は公僕を見下し、手作業をする者は頭脳を使う者を見下した。ババリア人(ドイツ南部の人々)はプロイセン人(ポーランド周辺の人々)を見下し、カトリック教徒はプロテスタント教徒を見下した。見下される側もまた、自分たちを見下す側を同様に見下していた。

・・・・・

我が人種は国内で活力を使い果たしてしまった。今の外の世界に残っているのは空想のみである。文化的良心、法治国家、世界の良心、会議に出席する大使、国際連盟、第二インターナショナル、第三インターナショナル、プロレタリアートの団結…このような空想による希望のみが残った。世界も我々をこの空想に基づき扱っているのだ。

・・・・・

国家が階級や地位、職業によって分断されることになってしまった。このような事態の積み重ねによって、輝かしい経済の未来を約束していたはずの我が国の権力者による政策は、完全に失敗に終わったのである。

・・・・・

全てのドイツ人が、同じ目的に向かい、運命を共にできる共同体をもう一度この国に誕生させることこそが我々の願いなのだ。」

(引用元 https://imasenze.hatenablog.com/entry/2018/01/22/112507

 

国家分断論、空想的世界論、運命共同体論・・・現代社会のことではない、90年前のドイツのことである。

ジャーナリズムが盛んに取り上げる欧米における分断社会論、地球温暖化論・AI社会論にみる空想的世界論、ネット社会に対応すべき新たな共同体論、これらは現代最先端の社会議論である。どの議論をとってもニュースに表れるのは根拠の薄いものである。

 

オルテガは、ヒトラーと同時代の社会人について、次のように書いている。

「・・・・あらゆる時代とあらゆる民族の「貴族」に特徴的な傾向が、今日の大衆人の中に芽生えつつあることを示すことができよう。たとえば、勝負事やスポーツを人生の主要な仕事にしたがる傾向とか、自分の肉体への感心・・・とか、女性との関係におけるロマンティシズムの欠如とか、知識人を楽しみの相手にしておきながら、心の底では知識人を尊敬せず、召使いや警吏に彼等を鞭打つように命ずるとか、自由な議論よりも絶対的な権威の元での生活を好む、等々といったことである。」

 

現代は、以上のことが大衆人に芽生え始めているのではなく、大衆人に完全に定着し、これらのことなしに大衆人の「生」は存在しないところにまで行き着いている。

 

ウクライナ戦争をみれば一目瞭然である。プーチンの演説と政権のプロバガンダはヒトラーを想起させ、権威に漬かりきりのロシア国民においておやである。ウクライナのゼレンスキーはどうかと言えば、自国で武器の生産さえできないのにどうやって戦争をするというのだ。戦争の覚悟があるのならば、ヒトラーが言ったように、まずは運命共同体とともに武器の生産に邁進しなくてはならない。ウクライナ国民にしても同様である。

世界のジャーナリズムの論調は、武力による侵略は許さないというものであるが、武力なしの侵略というものはそもそも存在しないのである。

今回のパレスチナ紛争に至っては、もはやなにをか言わんやである。元来、イスラエルとパレスチナは、同一の地域の住民である。3千年前から住民同士であったようだ。あえて民族と言わないのは、ユダヤ民族とは遙か昔はユダ族のことであったようだが、ユダヤ教の信者をユダヤ人と呼ぶようになった。現代では先祖がユダヤ教の信者であった場合にもユダヤ人と呼んでいるようである。

イスラエルは政教分離であるが、憲法上は国教が定められており、福音ルーテル教会である。ルーテルとはルターのことであり、プロテスタントである。しかし、国民の70%以上は、ユダヤ教信者である。

イスラエル国家というものは完全な分断国家と考えた方が現在の紛争について理解しやすい。パレスチナ人、あるいはパレスチナ人の居住地域をイスラエルと融合すると、建前である政教分離政策を実行せざるを得なくなる。分断社会の混乱の極みとなるだろう。ユダヤ人の国家という暗黙の理想が崩壊するのである。

 

こういった戦争の解決策はあるのだろうか。オルテガが言うように、歴史的教訓、既存の手法・技術では解決しえない新たな問題であり、試行錯誤以外に手はなさそうである。

オルテガは、人類は理想的な政策手法を獲得したかに見えて、実は、とてつもなく複雑怪奇な「生」に突入し、精神・思想という知的生命体が元来、進歩・進化させなければならない分野が退化・後退するのではないかと危惧した。オルテガの大衆社会論が発表されて90年を経て、このことが現実問題となってきたのである。

「大衆の反逆」は、様々な視点から大衆を観察している。この大衆社会論を議論するには、オルテガが書いたと同じだけのページが必要だろう。「大衆の反逆」の最後は、「国家」と「世界」についてであるが、この項については、この昭和の大衆精神とは別に考えることにし、終わりにオルテガの言葉を引用することにする。

 

「人間の生は、望むと望まざるとにかかわらず、つねに未来の何かに従事しているのである。だからこそ、生きるということは、つねに休むことも憩うこともない行為である。なぜ人々は、あらゆる行為は、一つの未来の実現であることに気づかなかったのだろうか。・・・・・・・・・つまり、人間にとっては、未来と関係していないものは全て無意味だといえるのである。」

 

2023/11/09
2023/08/23

この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―昭和50年~昭和63年―

この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―昭和50年~昭和63年―

秋 隆三

 

<欲望の時代の始まり:昭和末期>

 

昭和40年代から50年代初頭にかけて、東大紛争後に過激化した日本赤軍事件が相次ぎ、よど号ハイジャック、リンチ殺人、浅間山荘、ダッカ日航機ハイジャック事件等が起こった。

現代の状況を思えば、すごい事件ばかりであったが、何故か風が通り抜けるように過ぎていった印象しかない。大衆の日常生活とはあまりにもかけ離れていたのである。

庶民にとっては、こういった殺伐として事件より、昭和48年末にはじまる第一次オイルショックの方が衝撃であった。第4次中東戦争の勃発により、原油価格が瞬時に4倍に高騰した。全国のスーパーからトイレットペーパーがなくなったのだから驚きである。

ウクライナ戦争で石油価格が高騰したが、せいぜい2倍程度である。今から50年前には、想像を絶する価格高騰があったのだ。

昭和53年には第二次オイルショックが発生し、この時は原油価格が2.7倍に上がった。原因は、イラン革命、イラン・イラク戦争であった。

 

第一次オイルショックに先立って、昭和48年2月に、外国為替が固定相場制から変動相場制へと移行した。1ドル360円が一気に270円台に突入し、さらに昭和60年のプラザ合意によって1ドル240円台の為替レートが200円まで上がり、5年後には120円台にまで上昇する。昭和後期は、まさに為替戦争の真っ只中にあった。

 

バブル景気は、昭和61年から平成3年までを言うようだが、既に昭和40年代後半からその兆候が現れ始め、昭和50年代後半には土地価格の急騰などの土地バブルが始まっていた。といっても、土地価格の上昇は、戦後ズーッと続いていたのであるが。

 

現在の円安動向がどうのこうのというが、この程度の為替変動などは、この昭和後期では変動でも何でもなく、日常茶飯事の些末な変動にしか過ぎなかったのである。

 

このバブル経済は、1億総国民が欲望の渦に巻き込まれた時代であった。株だ債券だ土地だと目の色を変えて追いかけた。勿論、バブル経済の危険性について冷静に考える人達もいたことは確かだが、儲けられるときには儲けておこうというのが大衆の精神であった。まさに、NHKが言う「欲望の資本主義」の様相が大衆にまで及んだのである。

 

オルテガは、「大衆の反逆」において、「たしかに人類の新しいそして比類なき組織への移行過程でもありうるが、しかし、同時に、人類の運命における一つの破局ともなりうる」と言っている。人類を日本大衆と置き換えても良い。オルテガは、1930年代のヨーロッパは、危ういとしてこういう表現をしたのだが、人間の進歩には必ず退化と後退の危険性が伴うと言いたかったのである。オルテガは続けて言う。「なぜならば、個人的であれ集団的であれ、人間的であれ歴史的であれ、生というものは、この宇宙において危険をその本質とする唯一の実態だからである」と。

生命体というものは、人間であれ動物であれ、昆虫であれ植物であれ、命あるもの全て、生きていることそれ自体が奇跡なのである。

 

こういったバブル景気のさなかに、エズラ・ヴォーゲルが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を出した。大衆は、この本のタイトルだけで満足した。大衆だけではない。ごく少数の指導的立場にある、官僚、企業経営者、学者までもが有頂天になった。日本型経営は正しいと。しかし、この時代の世界の技術は、情報革命の真っ只中にあった。パソコンと通信である。特にアメリカは、1995年に発売されるWindows95に向けて必死の投資が続けられていたのである。バブル崩壊とともに、日本は退化と後退の闇穴へと落ちていく。

 

昭和50年以後、昭和最後までの歌謡曲も、これまた、これでもかと言わんばかりの多さである。

かなりはしょってしまった。この時代は、とにかく忙しかった。連日の徹夜などは当たり前であり、現代の働き方改革等は夢の又夢であった。聞いた覚えがある曲は沢山あるが、強く印象に残る曲は少ない。原因は、多忙にあると思うが、次から次へと出てくる歌謡曲の多さであろう。ニューミュージックでは、ただただ言葉で飾る恋病歌や叙情歌である。演歌からニューミュージックまで、曲調もまた多様となっていた。

記憶に残る歌謡曲を拾い上げることにした。

 

<昭和50年~昭和63年の歌謡曲

 

(170)心のこり(昭和50年)

作詞:なかにし礼、作曲:中村泰士、細川たかしがやけに明るい声で高らかに歌う、女性の失恋の歌である。女性の失恋は、失意のどん底にあるのではない。ケセラセラ、明日があるのである。

https://www.youtube.com/watch?v=tntpuvs2byY

 

(171)さだめ川(昭和50年)

作詞:石本美由起、作曲:船村徹、ちあきなおみが歌ってヒットする。島津亜矢版と聞き比べをどうぞ。

ちあきなおみ

https://www.youtube.com/watch?v=Yi_XTGZxXf4

島津亜矢

https://www.youtube.com/watch?v=x1eF89Vs2gM

 

(172)釜山港へ帰れ(昭和47年韓国、昭和52年日本)

大韓民国の歌謡曲が日本でヒットした初めての曲である。

元詞・作曲:黄 善友 日本語詞:三佳令二

渥美二郎版

https://www.youtube.com/watch?v=C3ARKfqp1EY

島津亜矢

https://www.youtube.com/watch?v=q3aBXAPN6Is

チョー・ヨンピル版

https://www.youtube.com/watch?v=zNXctKc4gkA

 

(173)中の島ブルース(昭和50年)

作詞:須田かつひろ/作曲:吉田佐、内山田洋とクールファイブが歌った。

https://www.youtube.com/watch?v=M8-pqLIimfs

 

(174)およげ!たいやきくん(昭和50年)

作詞: 高田ひろお、作曲:佐瀬寿一、フジテレビの『ひらけ!ポンキッキ』で子門真人が歌って450万枚を超える大ヒットとなった。子供向けの楽曲が何故これほど売れたのか。団塊世代が生んだ子供達が幼年期となり、第二団塊世代による需要増が見込まれるようになったのかもしれない。

https://www.youtube.com/watch?v=Cfz3CcmTROY

 

(175)北の宿から(昭和50年)

作詞: 阿久悠、作曲:小林亜星、都はるみ67枚目のシングルである。演歌というよりは、ニューミュージックというジャンルであろう。

https://www.youtube.com/watch?v=QKmma_bRdQE

 

(176)津軽海峡冬景色(昭和52年)

作詞: 阿久悠、作曲: 三木たかし、石川さゆりが歌いヒットした、

https://www.youtube.com/watch?v=nIN8pXMsl9U

 

(177)夕焼け雲(昭和52年)

作詞:横井弘. 作曲:一代のぼる、千昌夫が歌ってヒット。

https://www.youtube.com/watch?v=suUUNwXGtH4

島津亜矢

https://www.youtube.com/watch?v=E5ImxQrfDtk

 

(178)北国の春(昭和52年)

作詞:いではく、作曲:遠藤実、千昌夫が歌い、日本だけでなくアジア全体でヒットした。

若い頃は、遠藤実の曲をそれほどいいとは思っていなかった。しかし、今回、昭和歌謡曲を整理すると、この作曲家がただものではないことを知った。日本語の詩・言葉を、無理なく曲へと変換する名人ではないだろうか。この曲もそうだが、美空ひばりが歌った「哀愁出船」などはそれを端的に示している。

  哀愁出船(昭和38年)

   作詞:菅野小穂子、作曲:遠藤実

   美空ひばりが紅白歌合戦でオオトリで歌った貴重な映像つきである。これは美空ひばり生涯の中でも逸品であろう。

  美空ひばり

https://www.youtube.com/watch?v=8RD4sSVZdsc

島津亜矢

https://www.youtube.com/watch?v=9GPhkS0sDXA

 

船村徹が作曲した「哀愁波止場」(昭和35年 石本美由紀作詞)という曲がある。船村徹と遠藤実は昭和7年生まれの同い年である。この両曲は、実は、Bmというコード進行でほぼ同じである。遠藤実が、船村徹の「哀愁波止場」のコード進行にインスパイアされたかどうかはわからないが、同じようなコード進行であっても全く違う曲になっている。どうぞ、聞き比べを。

美空ひばり

https://www.youtube.com/watch?v=S0WqvSXazdk

島津亜矢

https://www.youtube.com/watch?v=gND5TjN9ieM

 

(179)与作(昭和53年)

作詩・作曲、七沢公典、歌:北島三郎。

https://www.youtube.com/watch?v=7pF0GoFnjIg

 

(180)舟歌(昭和54年)

作詞:阿久悠、作曲:浜圭介、八代亜紀が歌って大ヒットする。

https://www.youtube.com/watch?v=_hO22b2gcYY

 

(181)奥飛騨慕情(昭和55年)

竜鉄也作詞・作曲・歌。累計販売数300万枚以上と言われている。

https://www.youtube.com/watch?v=c_qKXOFVOI0

竜鉄也は独特な声で歌っているが、曲はなかなかなものである。

竜鉄也が作曲し、美空ひばりが歌った裏町酒場という曲がある。(作詞、さいとう大三)これも、いい演歌である。

美空ひばり版(昭和57年)

https://www.youtube.com/watch?v=BT6o8ZHa_NE

島津亜矢版

https://www.youtube.com/watch?v=4qUN3IRbdAI

 

(182)望郷酒場(昭和56年)

作詞:里村龍一、作曲:桜田誠一、千昌夫が歌った。

https://www.youtube.com/watch?v=36sjcPtSI3U

島津亜矢版。これがいい。

https://www.youtube.com/watch?v=srdsn5afi3s

 

(183)昭和流れうた(昭和60年)

作詞:いではく、作曲:遠藤実、森進一が歌ってヒットした。「いではく」は遠藤実の弟子である。母の好きな歌だった。

https://www.youtube.com/watch?v=yMmJhdEyszQ

 

(184)お久しぶりね(昭和58年)

作詞・作曲:杉本真人で小柳ルミ子が歌った。それほどヒットしたわけではないが、杉本真人の作曲であることから掲載した。こういう曲も作っていた。なかなかの曲ではないか。

https://www.youtube.com/watch?v=PA_uw20Qc38

 

最近、杉本真人にはまったので、続けて三曲掲載しよう。

冬隣(昭和63年)

作詞:吉田旺,作曲:杉本眞人、歌:ちあきなおみ

https://www.youtube.com/watch?v=K7K1EYgB3T0

これも「ちあきなおみ」版と言われているがどうも違うようなのだが?

https://www.youtube.com/watch?v=-7UKbfEC1vM

紅い花(平成3年)

作詞:松原史明,作曲:杉本眞人、歌:ちあきなおみ

https://www.youtube.com/watch?v=l2Lr4S8lmXo

吾亦紅(2007年)

作詞:ちあき哲也,作曲・歌:杉本眞人

https://www.youtube.com/watch?v=cs_pCM7Q7Jo

 

(185)ラブ・イズ・オーヴァー

作詞・作曲:伊藤薫、台湾の歌手欧陽菲菲が歌った。

https://www.youtube.com/watch?v=ioCsP0m_d-E

 

(186)雪国(昭和61年)

作詞・作曲・歌:吉幾三。

https://www.youtube.com/watch?v=bqEJ2O4nigQ

 

(187)天城越え(昭和61年)

作詞:吉岡治,作曲:弦哲也、石川さゆりが歌ってヒットする。

https://www.youtube.com/watch?v=cwL09UKDqdI

 

(188)みだれ髪(昭和62年)

作詞:星野哲郎 作曲:船村 徹 歌手:美空ひばり

https://www.youtube.com/watch?v=WSHdsS0ms7E

 

いよいよ昭和最後に、美空ひばりの2曲である。

愛燦燦(昭和63年)

作詞・作曲: 小椋佳

https://www.youtube.com/watch?v=nMXQUl-2M7E

 

川の流れのように(昭和64年、平成元年)

作詞:秋元康,作曲:見岳章

https://www.youtube.com/watch?v=e79qXOB7nrs

 

<ニューミュージック>

 

(189)我が良き友よ(昭和50年)

作詞・作曲:吉田拓郎、かまやつひろしが歌ってヒット。

https://www.youtube.com/watch?v=XExjTr9HYkI

https://www.youtube.com/watch?v=j1qdEYacGpY

 

(190)酒と涙と男と女(昭和50年)

作詞作曲:河島英五、河島英五が歌ってヒットした。どうしようもない寂しさの時、男は酒をあおって寝、女は泣きつぶれて寝るという。本当か?

https://www.youtube.com/watch?v=Uxy9Keo_KVc

 

河島英五が歌ってヒットした「時代おくれ」という曲がある。昭和61年にリリースされたが、日本酒のコマーシャルソングであったそうだ。

作詞:阿久悠、作曲:森田公一

河島英五版

https://www.youtube.com/watch?v=FPzjn9iogxc

玉置浩二がカバーしているがこれがいい。

https://www.youtube.com/watch?v=2mVwR15KamU

 

(191)シクラメンのかほり(昭和50年)

作詞作曲:小椋佳、布施明が歌って100万枚を超える大ヒットとなる。

https://www.youtube.com/watch?v=wGVVJXvSWC0

 

(192)無縁坂(昭和50年)

作詞・作曲・歌:さだまさし。

https://www.youtube.com/watch?v=kiXvdDhUJ3A

 

精霊流し(昭和49年)

https://www.youtube.com/watch?v=YYdv1XrCqX8

 

案山子(昭和52年)

https://www.youtube.com/watch?v=q-YWPosTX1M

 

関白宣言(昭和54年)

https://www.youtube.com/watch?v=tsXkp9FVzgg

 

関白失脚(昭和54年)

https://www.youtube.com/watch?v=pq9hnKyZtuU

 

雨やどり(昭和52年)

https://www.youtube.com/watch?v=C_5AcQyINh8

もう一つの雨やどり

https://www.youtube.com/watch?v=C_5AcQyINh8

 

(193)わかって下さい(昭和51年)

作詞・作曲・歌:因幡晃でヒットした。

https://www.youtube.com/watch?v=3OCZluBj2xQ

ちあきなおみ版である。これがいい。

https://www.youtube.com/watch?v=V8C__pkd4jM

 

(194)あんたのバラード(昭和52年)

世良公則作詞・作曲、世良公則&ツイストのデビュー曲。

https://www.youtube.com/watch?v=OKl-WniLtzs

 

(195)ホームにて(昭和52年)

中島みゆき作詞・作曲・歌。中島みゆきの隠れたヒット曲である。

https://www.youtube.com/watch?v=FfwQVTa-9l0

昭和50年代から中島みゆきが注目されヒット曲を量産していく。

アザミ嬢のララバイ

https://www.youtube.com/watch?v=uGnyHf1cm-0

時代

https://www.youtube.com/watch?v=Ry_bpaKDcAo

ファイト

中島みゆき版

https://www.youtube.com/watch?v=gYzaUDa4A90

吉田拓郎版  これがなかなかいい。

https://www.youtube.com/watch?v=S8GVuQhf7WQ

 

(196)青葉城恋歌(昭和53年)

星間船一作詞、さとう宗幸作曲・歌。

https://www.youtube.com/watch?v=u-GYBCktieU

 

(197)いい日旅立ち(昭和53年)

谷村新司作詞・作曲、山口百恵が歌ってヒットした。国鉄の旅行キャンペーンソングである。

https://www.youtube.com/watch?v=QKjLZkAdDus

 

山口百恵が登場したので、さだまさしの「秋桜」も挙げておこう。

https://www.youtube.com/watch?v=mBmp1ThfGt0

 

(198)季節の中で(昭和53年)

松山千春作詞・作曲・歌。

https://www.youtube.com/watch?v=QHQvJd1cg-0

 

(199)贈る言葉(昭和54年)

作詞:武田鉄矢、作曲:千葉和臣、海援隊が歌った。

https://www.youtube.com/watch?v=9c5SbpPMUEE

 

(200)恋人よ(昭和55年)

作詞・作曲・歌、五輪真弓。

https://www.youtube.com/watch?v=qhsEV3SAT4w

 

(201)昴

作詞・作曲・歌:谷村新司。これもアジア全域で歌われたロングヒット曲である。

https://www.youtube.com/watch?v=VMhAgFIgfpg

 

(202)なごり雪(昭和50年)

作詞・作曲:伊勢正三、かぐや姫、カバーイルカでヒット。

https://www.youtube.com/watch?v=H2TR3oEA13o

雨の物語(昭和52年)

https://www.youtube.com/watch?v=OKN_zkHcEs0

 

(203)俺ら東京さ行ぐだ(昭和59年)

作詞・作曲・歌:吉幾三

https://www.youtube.com/watch?v=UzRVEQDxiOo

俺はぜったい!プレスリー

https://www.youtube.com/watch?v=7OareNAj6fc

 

(204)ワインレッドの心(昭和54年)

作詞:井上陽水,作曲:玉置浩二、安全地帯。

https://www.youtube.com/watch?v=IbdcIIY3_EU

 

メロディー(昭和61年)

https://www.youtube.com/watch?v=nIACxpcD4r4

 

 

<戦後昭和とは?>

 

歌謡曲を通して戦後昭和の様相を見てきた。戦争で失った350万人を超える命と引き替えに、戦後は「進歩」こそが正義であるとして突き進んだ。思想・制度は、自由主義的民主主義国家先進国であるアメリカの借り物でよい。経済を立て直し、貧乏からの脱却こそが進歩だと。

戦後昭和は、奇跡的な経済回復を成し、昭和末期のバブル経済により世界第二位の経済大国に上り詰めた。

破れかぶれに歌った「リンゴの唄」に始まる大衆歌は、昭和40年代にフォークへ、50年代にはニューミュージックへと変容する。

この日本にオルテガの言う「大衆」と呼べる群衆が誕生するのは、この戦後昭和期になってからである。昭和40年代末の赤軍事件を最後に、この国では政治的思想に基づくテロは起こっていない。平成に入ってからオウム真理教事件が発生するが、政治性の微塵もない。

昭和末期には、日本の科学技術は世界でも有数のものとなっていた。つまり世界でも有数の文明国となっていたのである。オルテガが言うように、昭和50年代以後に誕生した子供達にとって、文明の諸原理はどうでもよく、文明の産物にこそ感心がある。これは、現代にも通じる。スマホという文明の産物には熱中するが、スマホという文明の諸原理には感心がないのである。2000年代に入ると、当時の10代後半、20代、30代の若者達の純粋科学に対する関心は極めて低くなった。オルテガが「大衆の反逆」を書いた1930年代のヨーロッパも同じであった。

 

歌謡曲を聞いていると、ニューミュージックというジャンルにおける言葉の多さが気になってしょうがない。これでもかと日本語ばかりではなく、英語も交えてやたら沢山並べ立てる。これは、現代歌謡でも同様である。考えようによっては、言葉はどうでもいいのだ。歌には言葉が必要で、ハミングだけでは物足りないからではないかと思える。

日本語の詩には韻がないので、言葉の持つリズムが唄になる。それが、言葉と一緒になって心に響く。つまり、感情を揺り動かす。中脳から直接大脳前頭葉に延びるニューロンに信号が走り、言葉の意味を瞬時に解読するのである。

人間だけが理解する音楽とは、こういうものではないだろうか。

 

戦後昭和の歌謡曲を随分聞くことができた。ついでに、ギターで弾き語りをしていると、老化した自律神経が再生されるような気がする。

 

次回は、エピローグとして、オルテガをまとめることにする。1930年代ヨーロッパの大衆の精神と、ウクライナ戦争下の現代大衆は、よく似ているのである。歴史は必然であり繰り返すことはない。しかし、精神の退化・後退はあるのである。

2023/08/12
2023/07/14

この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―昭和42年~昭和49年―

この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―昭和42年~昭和49年―

秋 隆三

<昭和40年代とは?>

 

やっと、昭和40年代に入ることができた。歌謡曲を聞いていると、聞いただけで何となく納得してしまい、その時代とは何だったのかと考究することを忘れてしまう。オルテガの言う大衆とは、こういうものなのだろう。

 

昭和46年に丸山真男の「日本の思想」(岩波新書)が出版された。丸山が書いたのは、昭和32年から34年頃であるが、昭和30年代、40年代の思想界について論じたものと言えよう。

122ページまでは、かなり専門的であり、丸山の思想研究の総括とも言うべき論点が整理されているが、なかなかに読みにくい。第3章「思想のあり方」(昭和32年岩波文化講演会の収録)についてからが、丸山の本音が見えてくるところである。

丸山は、第3章冒頭で「人間はイメージを頼りにして物事を判断する」として次のように述べている。「こういうふうにして何となくいつの間にか拡がっていったイメージがほんものから離れて一人歩きする・・・・・・・。自分が環境から急激なショックを受けないように、あらかじめ個々の人間について、あるいはある集団、ある制度、ある民族について、それぞれイメージを作り、それを頼りに思考し行動する・・・」

現代脳科学においても同様に説明できるが、急激なショックというわけではなく、人の記憶や思考というものは、抽象化された言葉でなされているので、例えば、赤いリンゴも黄色いリンゴもリンゴとして記憶し、リンゴの味やにおいも同様に抽象化された記憶なのである。丸山が言うイメージとは、記憶と思考における抽象性と捉えられよう。これは、人工知能のディープラーニングにおいても同様である。こういったメカニズムがAIと脳とで同じかどうかはわからないが。

しかし、世の中がますます複雑怪奇になり、多様になると自分の抱いているイメージでは感覚的に現実を確かめることができなくなる。つまり、環境が複雑になると、われわれと現実の環境の間に介在するイメージの層が厚くなってしまい、固まってしまうのだと丸山は言う。そして、ついには、無数のイメージが独自の存在、つまり化け物と化してしまう。簡単に言えば、「アメリカとはこういう国だ」という場合である。

丸山は、このあと日本思想の特殊性について、有名な「タコツボ」型文化の解説を始める。

一方、同時代の会田は、「日本のナショナリズム」を力説する。ナショナリズムを欠いているということがどれだけ世界史的にみて特殊なことかと言う。そのとおりであろう。

丸山は、日本の特殊性について、学問や組織が過度に専門化していく問題は世界共通だが、日本の機能集団の多元的な分化は、それとは別の、人間をつなぐ伝統的な集団や組織というものがないことだと言う。欧米には、教会やサロンがあるが日本にはそのようなものはない。個別の機能集団がタコツボ化していくと、集団間相互のコミュニケーションが失われ孤立化する。戦前には、「天皇制」によって国民的意識の統一を図っていたが、戦後にその結び目がほぐれてしまったと言う。

タコツボ化した機能集団の集まりである日本にナショナリズムなど育つはずがないのである。

この状況は、バブル崩壊後にさらに激しくなった。経済のグローバル化だ、中国進出だ、アジアだと世界に飛び出した企業集団は、丸山の言うタコツボ文化を保ったまま飛び出した。機能集団とは別の日本人としての共感、統一感、精神、思想の何も持たずにである。勿論、アメリカ人にそれがあるかと言えば、明確なものを指摘することは難しいだろうが、機能集団以外のコミニュケーション手段、例えば、クエーカー教徒であるとかクリスチャン等がある。

 

さて、昭和40年代の世相はどうだったろうか。ベトナム戦争が激しさを増し、学生運動は過激さを増していた。経済は、高度経済成長の真っ只中である。物価、地価はどんどん上がるが、給与も上がる。団塊世代が成人となり、膨大な労働力が供給されると同時に、消費も一気に拡大する。

 

昭和歌謡もこの時代に突入すると同時に激変することになる。これまでの演歌は影が薄くなり、ムード歌謡、日本型シャンソン、フォークへと多様化する。

それでも、昭和30年代後半から、三波春夫の歌謡浪曲は爆発的なヒットを放つ。忠臣蔵を題材にしているが、この時代の企業組織の拡大・成長に伴う組織と個人の葛藤や、組織強化のイメージと重なるものがあったに違いない。忠臣蔵は、現代においても暮れになると必ずと言って良いほどTVドラマで放送される。日本大衆の精神は、それほど変化していないのかもしれない。

 

それでは、昭和42年から49年までの歌謡曲を見ていこう。歌謡曲とフォークを分けて整理した。

 

<昭和42年~49年の歌謡曲

 

(112)あなたのすべてを(昭和42年)

佐々木勉 作詞・作曲で歌も歌っている。恋病であるが、この時代に入ると、恋に落ちる歌がはやりだす。歌謡曲というよりは、フォークの先駆けとも言える。

https://www.youtube.com/watch?v=LwcSpXN_UXQ

 

(113)粋な別れ(昭和42年)

浜口庫之助作詞・作曲、石原裕次郎が、主演映画「波止場の鷹」の主題歌として歌った。石原裕次郎主演の日活映画は、この時代すごいもので、1年に6作ぐらい制作されている。石原裕次郎の声質がずば抜けている。

https://www.youtube.com/watch?v=13jGH-JcOzI

ちあきなおみ版である。ちょっと面白い。

https://www.youtube.com/watch?v=5MvXDyHWY00

 

 同年の映画「夜霧よ今夜も有難う」も、浜口庫之助の作詞・作曲である。この歌も裕次郎にぴったりである。

https://www.youtube.com/watch?v=rVG3x1BsE-4

 

(114)君こそわが命(昭和42年)

作詞は川内康範、作曲は猪俣公章で水原弘の奇跡のカムバック曲である。この曲も恋に落ちる曲である。昭和20年代、30年代の失恋とは違う新たな恋病の歌謡曲である。

https://www.youtube.com/watch?v=PljdauSi1wY

 

(115)こまっちゃうな(昭和41、42年)

遠藤実の作詞・作曲で山本リンダが歌って100万枚を突破した。遠藤実がこんな歌も作曲するのかと驚きである。

https://www.youtube.com/watch?v=pIAo-CxHKiM

 

116)小指の想い出(昭和42年)

作詞:有馬三恵子、作曲:鈴木淳、伊東ゆかりが歌ってヒットした。これも、昭和の新しい恋病の歌である。

https://www.youtube.com/watch?v=tS24d0fCFfA

 

(117)三百六十五歩のマーチ(昭和43年)

作詞:星野哲郎、作曲:米山正夫、水前寺清子が歌いヒットした。ベトナム反戦運動等、そろそろ社会が騒がしくなり始めた頃であるが、何とも明るく、しっかり地に足をつけて頑張ろうという歌である。水前寺清子の明るい声質とぴったりフィットした。

https://www.youtube.com/watch?v=BCk5t8DTzRs

 

(118)世界は二人のために(昭和42年)

作詞:山上路夫、曲作・編曲:いずみたく、佐良直美が歌いヒットした。どちらかと言えばフォーク調である。

https://www.youtube.com/watch?v=434GlcJIVbY

いいじゃないの幸せならば(昭和44年)もヒットした。この詩は、面白い。

作詞:岩谷時子/作曲・編曲:いずみたく

 https://www.youtube.com/watch?v=_0ZcktxfF-g

 

(119)ブルー・シャトー(昭和42年)

橋本淳作詞、井上忠夫(当時。後に井上大輔)作曲、ジャッキー吉川とブルー・コメッツが歌いヒットした。GS(グループ・サウンズ)が、僅かな期間であるが流行する。

https://www.youtube.com/watch?v=52YWxKiVr1o

 

(120)伊勢佐木町ブルース(昭和43年)

作詩:川内康範 作曲:鈴木庸一 編曲:竹村次郎、青江三奈の再起ヒット曲である。この時期、ご当地ソングが流行する。

https://www.youtube.com/watch?v=s-dLf7e3cH4

 

(121)命かれても(昭和42年)

作詞:鳥井実/作曲:彩木雅夫 森進一が歌った。この時期、森進一が活躍し、数々のヒット曲が生まれる。

https://www.youtube.com/watch?v=99YRi4YNktI

  盛り場ブルース

  年上の女

  一人酒場で

 

(122)ブルーライト横浜(昭和43年)

作詞:橋本淳/作曲・編曲:筒美京平 いしだあゆみが歌ったご当地ソング。

https://www.youtube.com/watch?v=F8RPkEl6pyM

 

(123)星影のワルツ(昭和43年アレンジ版)

作詞:白鳥園枝/作曲・編曲:遠藤実 千昌夫 アジアでもヒット

https://www.youtube.com/watch?v=sQUosDz7w8g

 

(124)いい湯だな(昭和41年、43年)

永六輔作詞、いずみたく作曲、昭和41年にデューク・エイセスが歌っている。群馬県のご当地ソングとしてリリースされたとのことである。昭和43年にザ・ドリフターズが歌い、「8時だよ全員集合」で使用してヒットする。

https://www.youtube.com/watch?v=UcqfxF-cJOo

 

(125)今日でお別れ(昭和42年、44年再発売)

作詞:なかにし礼、作曲:宇井あきら、菅原洋一が歌った。

https://www.youtube.com/watch?v=nnYHCEO1sLA

 

(126)座頭市

川内康範作詞、曽根幸明作曲、勝新太郎が歌った。

勝新太郎主演で26作シリーズ映画の主題曲。主題曲は、その作品によって様々であり、この歌は後年作られた。

 

(127)東京でだめなら(昭和44年)

作詞:星野哲郎、作曲:首藤正毅、水前寺清子が歌った。東京でだめなら名古屋があるさ、名古屋がだめなら大阪があるさ・・・と夢さえあればどこかで花が咲くと歌う。現代では、とても考えられない歌である。

https://www.youtube.com/watch?v=fDlXNacri1k

 

(128)長崎は今日も雨だった(昭和44年)

作詞:永田貴子,作曲:彩木雅夫、内山田洋とクール・ファイブの最大のヒット曲。

https://www.youtube.com/watch?v=YGfseX5WdVE

 

(129)港町 涙町 別れ町(昭和49年)

浜口庫之助作詞作曲、石原裕次郎が歌った。

https://www.youtube.com/watch?v=3ziMhYBGs2g

 

(130)港町ブルース(昭和44年)

作詞:深津武志/補作詞:なかにし礼、作曲:猪俣公章、森進一が歌ってヒットした全国港町を網羅したご当地ソング。

https://www.youtube.com/watch?v=LMaLeZAJEIU

 

(131)男はつらいよ(昭和44年)

作詞:星野哲郎,作曲:山本直純、渥美清が映画「男はつらいよ」の主題歌として歌った。26年間に48作が公開された。

https://www.youtube.com/watch?v=qjd-4rrX1K8

玉置浩二が歌っている。

https://www.youtube.com/watch?v=EHl1BbyChnI

 

(132)希望(昭和45年)

作詞:藤田敏雄、作曲:いずみたく、編曲:川口真 岸洋子が歌ってヒットした。

https://www.youtube.com/watch?v=fSbTj_zl1CE

 

(133)京都慕情(昭和45年)

作詞:ザ・ベンチャーズ、訳詩:林春生,作曲:ザ・ベンチャーズ 渚ゆう子が歌ってヒットした。

https://www.youtube.com/watch?v=zekvNWZlStM

 

(134)知床旅情(昭和35年、46年)

森繁久彌が作詞・作曲、森繁久弥が歌っているが、46年に加藤登紀子が再リリースして140万枚を売る。

森繁久弥版

https://www.youtube.com/watch?v=tfjKZD03Ox8

加藤登紀子版

https://www.youtube.com/watch?v=OGXCachBfYY

 

(135)また逢う日まで(昭和46年)

作詞:阿久悠 作曲・編曲:筒美京平、尾崎紀世彦がうたって大ヒットする。

https://www.youtube.com/watch?v=CCUN3658HKU

 

(136)よこはま たそがれ(昭和46年)

作詞:山口洋子/作曲:平尾昌晃、五木ひろしと名前を変えてやっとヒットした曲である。

https://www.youtube.com/watch?v=tPCWCN1QoGA

 

(137)わたしの城下町(昭和46年)

作詞:安井かずみ。作曲:平尾昌晃、小柳ルミ子が歌いヒットした。オリコン121位の記録がある。

https://www.youtube.com/watch?v=UaKe0TwITlc

 

(138)おまえに(昭和41年、47年)

岩谷時子、吉田正、フランク永井が歌い、昭和52年に再リリース、ロングヒットの代表作である。

https://www.youtube.com/watch?v=GgX0WMrmH1c

 

(139)喝采(昭和47年)

作詞:吉田旺、作曲:中村泰士。ちあきなおみが歌い大ヒット。

https://www.youtube.com/watch?v=tOGB74vILT0

 

(140)せんせい(昭和47年)

作詞:阿久悠,作曲:遠藤実、森昌子が歌った。山口百恵、桜田淳子とともに「花の中三トリオ」。

https://www.youtube.com/watch?v=EYnuZLPbTsE&list=PL188D7F83B63C222F&pp=iAQB

 

(141)どうにもとまらない(昭和47年)

作詞:阿久悠,作曲:都倉俊一、山本リンダが歌った。何とも言いようのない歌である。

https://www.youtube.com/watch?v=ceC9CXXDAto

 

(142)五番街のマリーへ(昭和48年)

作詞・作曲: 阿久悠(作詞); 都倉俊一、ペドロ&カプリシャスが歌ってロングヒットとなる。

https://www.youtube.com/watch?v=CxKS8mFGRTw

 

  ジョニーへの伝言

https://www.youtube.com/watch?v=vz5k2UrrYoQ

 

(143)花街の母(昭和48年)

作詞:もず唱平,作曲:三山敏、金田たつえ

https://www.youtube.com/watch?v=i7MUz-7Gzt8

 

(144)昭和枯れすすき(昭和49年)

作詞:山田孝雄、作曲:むつひろし、さくらと一郎

https://www.youtube.com/watch?v=iHpdxhwgJpA

 

(145)二人でお酒を(昭和49年)

作詞・作曲: 山上路夫(作詞); 平尾昌晃、梓みちよ

https://www.youtube.com/watch?v=NE3ttugoKq4

 

 

<フォーク・ソング 昭和42年~49年>

 

(146)この広い野原いっぱい(昭和42年)

小薗江圭子の作詞、森山良子の19歳のときの曲である。

https://www.youtube.com/watch?v=BZBbi7bUa3M

 

(147)帰って来たヨッパライ(昭和42年)

作詞:フォーク・パロディ・ギャング(松山猛・北山修)、作曲:加藤和彦、編曲:ザ・フォーク・クルセダーズが歌った。アングラフォークと呼ばれる。

https://www.youtube.com/watch?v=HgW5KUyJarw

 

  イムジン河(昭和43年)

  作詞・作曲: 作詞:朴世永、松山猛(訳詞)

https://www.youtube.com/watch?v=0MdCLjr9STs

 

(148)山谷ブルース(昭和43年)

作詞:平賀久裕・岡林信康、作曲・編曲:岡林信康

日本のフォーク・ソングとして、高石ともやの「受験ブルース」と共に大ヒットした。

https://www.youtube.com/watch?v=6n4mJsMi81g

 

友よ(昭和44年)

歌:岡林信康. 作詞:岡林信康. 作曲:岡林信康

1969年、新宿駅西口地下広場で展開されたベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)で歌われた。歌った記憶がある。

https://www.youtube.com/watch?v=MOOpLHTV8Go

 

(149)受験生ブルース(昭和43年)

作詞:中川五郎/作曲:高石友也

https://www.youtube.com/watch?v=_VpFqy3f7ok

 

(150)自衛隊に入ろう(昭和44年)

作詞:高田渡、作曲:ピート・シーガー(アンドラより)。この高田渡という歌手は何とも言えないムードがある。

https://www.youtube.com/watch?v=QfffBvRhlNA

 

(151)風(昭和44年)

作詩:北山修、作曲:端田宣彦 シューベルツ

https://www.youtube.com/watch?v=ugtGClQLUdQ

 

(152)白い色は恋人の色(昭和44年)

作詞: 北山修、作曲: 加藤和彦 ベッツィ&クリス

https://www.youtube.com/watch?v=aF5ATASda74

 

(153)白い珊瑚礁(昭和44年)

阿久悠、田辺信、ズー・ニー・ヴー

https://www.youtube.com/watch?v=oHfiHKjkhAw

 

(154)白いブランコ(昭和44年)

作詩:小平なほみ、作曲:菅原進、ビリーバンバン

https://www.youtube.com/watch?v=b4iMbJi_-2c

 

(155)アンドレ・カンドレ(井上陽水)/カンドレ・マンドレ(昭和44年)

作詞・作曲:マンドレ(井上陽水) 井上陽水のデビュー曲、昭和46年に井上陽水として再デビュー。

https://www.youtube.com/watch?v=vcOr3y_MPSw

傘がない(昭和47年)

https://www.youtube.com/watch?v=bnEX9lJACKU

夢の中へ(昭和48年)

https://www.youtube.com/watch?v=zIxBzIgdPeE

心もよう(昭和48年)

https://www.youtube.com/watch?v=9TWH8nj7dFM

 

(156)時には母のない子のように(昭和44年)

作詞:寺山修司/作曲:田中未知、カルメン・マキ

https://www.youtube.com/watch?v=TuN03KG8Ymk

 

(157)ひとり寝の子守歌(昭和44年)

作詞:加藤登紀子,作曲:加藤登紀子

https://www.youtube.com/watch?v=hfYDxsH7xr4

 

(158)フランシーヌの場合(昭和44年)

いまいずみあきら作詞、郷伍郎作曲、新谷のり子 プロテスト・フォークの代表作

https://www.youtube.com/watch?v=fIYFbDQPNJg

 

(159)真夜中のギター(昭和44年)

作詞:吉岡治/作曲:河村利夫、千賀かほるが歌いロングヒット

https://www.youtube.com/watch?v=SZALv1S3NUM

 

(160)竹田の子守歌(昭和44年)

採譜したのは、作曲家の尾上和彦 森山良子、赤い鳥等が歌っている・

場所は、京都市伏見区竹田と言われる。

https://www.youtube.com/watch?v=1IeuDyR3ax4

 

(161)誰もいない海(昭和42年、43年、45年)

作詞:山口洋子、訳詞:ジェリー伊藤、作曲:内藤法美、トワ・エ・モワ、越路吹雪が歌った。

https://www.youtube.com/watch?v=TdRQE_dLgxs

越路吹雪版

https://www.youtube.com/watch?v=pLNw0I4Kt4Q

 

(162)酔いどれ女の流れ歌(昭和45年)

みなみ らんぼう作詞作曲、森本和子が歌った。

加藤登紀子版

https://www.youtube.com/watch?v=fVF8sD4FMnc

 

(163)イメージの詩(昭和45年)

作詞:吉田拓郎,作曲:吉田拓郎 吉田拓郎のデビュー曲。

https://www.youtube.com/watch?v=Jp24mwqQ9WQ

結婚しようよ(昭和47年)

https://www.youtube.com/watch?v=ryutpbPwrz4

旅の宿(昭和47年)

https://www.youtube.com/watch?v=i0IvbEXMRsY

 

(164)花嫁(昭和46年)

作詞: 北山修 、作曲: 端田宣彦・坂庭省悟、はしだのりひことクライマックス

https://www.youtube.com/watch?v=c38bMZzPGm0

 

(165)神田川(昭和48年)

作詞:喜多条忠、作曲:南こうせつ、南こうせつとかぐや姫

https://www.youtube.com/watch?v=JSgyHiKESGw

 

(166)白いギター(昭和48年)

作詞:林春生/作曲・編曲:馬飼野俊一、チェリッシュ

https://www.youtube.com/watch?v=QwTWA60blbA

テントウムシのサンバ(昭和48年)

https://www.youtube.com/watch?v=1KNX3_REMOk

 

(167)愛のくらし(昭和46年)

作詞:加藤登紀子、作曲:アルフレッド・ハウゼ

https://www.youtube.com/watch?v=Gl_6vLHLegM

黒の舟歌(昭和49年)

作詞:能吉利人,作曲:桜井順、加藤登紀子

https://www.youtube.com/watch?v=lsZdcs-USwQ

 

(168)襟裳岬(昭和49年)

作詞は岡本おさみ、作曲は吉田拓郎、森進一が歌ってロングヒット。

https://www.youtube.com/watch?v=ROsl65oxb2w

 

(169)精霊流し(昭和49年)

さだまさし作詞作曲、グレープ歌。さだまさしの実質デビュー曲となった。

https://www.youtube.com/watch?v=4QEgGwZRIK8

 

 

<ベトナム反戦運動、全共闘等々>

 

この時代、ベトナム戦争が泥沼化し、学生・若者を中心に反戦運動が広がった。フォークソングは、言わば社会的抵抗運動の声とも言える。

昭和40年にベ平連が誕生し、昭和49年に解散となる。ソ連のKGBの資金が入っていたとも言われる。

昭和43年の東大安田講堂事件、新宿騒乱、昭和44年の新橋事件は、テレビで実況放送されるなど学生を中心とする運動は過激さを増していた。

学生運動の背景は、極めて複雑である。戦争反対、平和運動、大学自治等の問題も確かにあったが、急速な経済成長による所得格差・貧困問題もあった。

 

オルテガは、この時期の40年前、遙かスペインの彼方で、せっせと次のような論文をしたためた。「ヨーロッパに、数年前からいろいろと「奇妙なことが起こり始めている」として、サンディカリズム(労働組合主義と訳されている)とファシズムを挙げ、「サンディカリズムとファシズムという表皮のもとに、ヨーロッパに初めて理由を示して相手を説得することも、自分の主張を正当化することも望まず、ただ自分の意見を断乎として強制しようとする人間のタイプが現れた」ことを発見した。そして、大衆である平均人は、「自分の中に「思想」を見出しはするが、考える能力をもたない」と断言する。大衆の「思想」が「真の思想ではなく、恋愛詩曲のように言葉に身をつつんだ欲望に他ならない」とする理由は、「意見は主張するが、あらゆる意見の主張のための条件と前提を認めようとはしない」ことであると言う。

戦後日本は、アメリカ流の自由主義的デモクラシーを突き進んだ。昭和40年代とは、この自由主義的デモクラシーにおける政治権利の最も混乱した時代とも言える。オルテガは、自由主義的デモクラシーについて、見事に以下のように解説している。

「政治において、最も高度な共存への意志を示したのは自由主義的デモクラシーであった。自由主義的デモクラシーは、隣人を尊重する決意を極端にまで発揮したものであり、「間接行動」の典型である。自由主義は、政治権利の原則であり、社会的権力は全能であるにもかかわらずその原則に従って自分を制限し、自分を犠牲にしてまでも、自分が支配している国家の中に、その社会的権力、つまり、最も強い人々、大多数の人々と同じ考え方も感じ方もしない人々が生きていける場所を残すよう努めることである。自由主義とは至上の寛容さなのである。」

省略せず全文を載せたが、オルテガは、この結論にいたるまで、あえて焦点をぼかしながら説を展開するとい独特の書法をとっている。

自由主義的デモクラシーを、「人類がかくも美しく、かくも矛盾に満ち、かくも優雅で、かくも曲芸的で、かくも自然に反することに到着したということは信じがたい」と評し、「その同じ人類がたちまちそれを廃棄しようと決心したとしても別に驚くにはあたらない」ことだと言う。人類が自由主義的デモクラシーに到着したこと自体が奇跡なのである。サンディカリズムであろうとファシズムであろうと、近年のロシアの専制国家であろうと、どんな国家が出現しても不思議でも何でもないのである。

オルテガは、「大衆が何らかの理由から社会的な生に介入した時は、常に「直接行動」という形を」とると断言する。直接行動とは、「従来の秩序を逆転し、暴力を唯一の手段と宣言する」ことであり、自由主義的デモクラシー社会においては、この「直接行動」が公然と認められた規範として現れてきたと言う。1930年代のヨーロッパでは、ナチズムが力を付け、「ほとんどの国において、同質的大衆が社会的権力の上にのしかかり、反対派をことごとく圧迫し、抹殺」していると論じる。

 

昭和40年代は、平和運動、学生運動、社会主義活動等が入り乱れて社会を騒がせていたが、こういった活動は、大衆の中では少数派であり、多数の大衆は「直接行動」には見向きもせず、日々の生活と経済活動に追いまくられていた。マスコミが、こういった状況を社会変動として大々的に報道しまくった。

 

この時期の歌謡曲をみると、フォークソングという新しいジャンルが登場するが、これも1960年代後半のボブディランの影響を受けたものを日本流にアレンジすることから始まっている。しかし、昭和40年代後半のフォークには、政治的においは全くなく、恋歌、叙情歌とオルテガの言う、言葉に身をつつんだ日本歌謡へと変わるのである。

 

丸山の言う「タコツボ」化した機能集団、会田の言う「ナショナリズム」なき大衆の精神は、いよいよ欲望の極致の時代へと突入する。

次回は、昭和50年から昭和63年までの昭和最後の14年間を見ていくことにしよう。

 

2023/07/08

2023/07/14

この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―昭和33年~昭和41年―

この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―昭和33年~昭和41年―

秋 隆三

 

<昭和30年代とは>

 

なぜ、昭和33年から昭和41年までを一つの区切りにしたかと言えば、まず、昭和33年には売春防止法が施行されたことがある。

売春は、江戸時代にも禁止令が出ているが公娼制度は、取り締まり外地区として存在し、この売春防止法が施行されるまで、公娼制度は存在していた。ちなみに、小笠原諸島では昭和43年まで、沖縄では昭和47年まで公娼制度があった。世界では、売春の合法化が進んでいる。組織的売春は人権問題はあるが、個人が売春をビジネスとするのには問題はないという考え方である。ヨーロッパのピューリタニズム、プロテスタンティズム等の厳格なキリスト教徒ではかつて、夫婦となるのは子供を生むためであり、夫が性欲を満たすためには売春宿に行っても良いという風習も存在したようであるから、売春が社会的に公認されていたのであろう。結果として、梅毒が猛威を振るうのだが。

売春はさておいて、大衆の倫理観に大きな影響を与えたと考えられる年が昭和33年である。

 

昭和41年は、戦後20年の一つの区切りと考えたからである。昭和22年生まれの団塊世代が高校を卒業し、就職、大学へと進んだ年である。大量の団塊世代が東京、大阪に集中する。一極集中が本格的に始まった。

 

戦後20年を経た昭和40年代に入ると、戦後社会、戦後思想とは何か、日本人とは何ものかをテーマに多くの著作が発表されるようになる。昭和46年には、丸山真男の「日本の思想」が出版されるが、これは昭和32年から34年頃に書かれたものである。昭和47年には、会田雄次の「日本人の意識構造」が出版された。これも昭和40年から41年にかけて書かれた論文を編集して出版している。

会田雄次の「日本人の意識構造」(講談社現代新書)の前半部90%は、ほとんど読む必要はないが、後半176ページ「日本ロマンティシズムの復興」あたりから、会田雄次の本領が発揮される。

 

会田雄次は、富永健一が戦後20年を、5年毎の4期に分けて論じた四段階区分論を取り上げて、戦後20年を次のように論じている。「昭和20年から25年までの第一期は、アメリカの占領政策そのものも「容共」的であって、日本の思想界は社会主義社会の実現のため確実に歩をはこんでいると自覚された」と言う。会田は、昭和24年の自らの体験、「大学生がたずねてきて、大学の授業で教授から「君達が卒業するときには日本が革命が起こっているだろう」と言われたが先生はどう思うか」と尋ねられたことを挙げている。経済の混乱が、革命が起こるという錯覚を起こさせたと言う。次の第二期は、体制派が自信を取り戻し、極左との闘争の時期にあたり、現実政治に埋没して思想にまでは達しなかったとしている。進歩的知識人という言葉も生まれている。この時代の社会学者、思想家の特徴は、戦前からの論壇人が容共的左派思想やリベラリズム、あるいは体制的ナショナリズムと右往左往し、思想的究明の方法を見付けられずいたことである。

清水幾太郎、日高六郎、福田恆存、丸山真男、小林秀雄等々、この時代の知識人なるものを挙げるとキリがないほどに多数に上り、それも全て戦前からの知識人と言われる人達である。この時代のかれらの著作を読むと、最終的には思考停止状態で終焉を迎えている。オルテガに言わせれば、自分の中に「思想」を見いだしはするが、考える能力を持たない状態に陥る。意見は言うが、意見を主張するための根拠を見いだしてはいない。こんな思想は、「恋愛詩曲のように言葉に身をつつんだ欲望」だと、オルテガが切って捨てる。これが大衆の「思想」なるものなのである。無常なるものを追求するのであれば、坊主にでもなればよいのだが、それも出来ずにいた。

話はそれるが、小林秀雄の「本居宣長」という著作があるが、彼は、この著作において何を主張したいのかさっぱり解らない。また、数学者の岡潔との対談集「人間建設」に至っては、双方、まったくかみ合わない。岡潔が、研究心の衝動を情動というのに対し、小林は何の反応も示さない。自然科学の究明心を、小林は自らの情動で理解できないのである。

 

話を元に戻すとしよう。こういった、右往左往する思想について、会田は、「もともと日本の学問も思想も、自分自身で思考できず、独立できず、たえず先進国の権威に依存しなければならぬという性格を持っていた」と言う。そのとおりである。

昭和30年代に入ると、これまでの左派の思想が急速に後退する。スターリン批判、東欧圏の反ソ運動が要因であるが、社会主義社会に対して不安を抱き、保身に走る知識人が多く存在したことも事実である。この時期は、朝鮮特需もあり飛躍的に経済成長し、所謂サラリーマンと呼ばれる新たな階層が出現する。やっと、オルテガの言う大衆が日本に出現しはじめたのである。

会田は、「病的なまでの日本人の戦争反対感覚・・・・アメリカへの従属体制に反対するナショナリズム」が、様々な思想をもつものを一つにまとめたと言う。

それにしてもだ、この右往左往する知識人や教育者に教えられた若者達の思想というものが、ほとんど瞬間的とも言える時間で喪失する昭和戦後中期というのは、実に不思議な時期である。戦前から続く、日本の学問、思想的究明の浅薄さが、この時期に全て露呈したのである。オルテガが言うように、教養は思想であるが、この時期の若者はその教養さえ教えられなかったとは言えないだろうか。

現代ではどうだろうか。論文を英語で書くのだそうだ。日本語もろくに書けない研究者が英語で書いてどうするのだ。時代は変わっても、日本の学問業界は、何も変わっていないのではないか。このことは、会田も後段で語っているので、その時にまた論じることにしよう。

会田は、昭和35年以降の思想について、「日本人が求めつつあるものは、日本人同士の互いに肌のあたたかみを感じるような連帯感であり、共同感覚である。それは日本というものへの誇らかな賛歌であり高らかな希望の歌」だという。日本人が共通に抱く感情であるが、感情だけに浸ってられなかったのもこの時代の事実であり、現実世界は、この時代以後、近代資本主義、自由主義、民主主義と大衆を取り巻く思想は、めまぐるしく変化する。

 

<60年安保と歌謡曲

 

昭和35年、日米安保条約を巡り、全学連は、安保阻止のため国会突入の大規模デモを決行する。これに対して、岸政権は、警察では人手が足りず、やくざ・暴力団・右翼に協力を要請した。これが、日本の組織暴力団を生み出すきっかけとなった。自民党と反社会組織との関わりはここから始まると言って良い。バブル経済の崩壊、つまり、昭和末期までこの関係は続くことになる。

この政党と組織暴力団との関係というものは、日本だけではなく欧米も似たり寄ったりである。最近では、ロシアのプーチンとオリガルヒ、ワグネルとの関係みたいなものである。

 

安保闘争の前年は、皇太子殿下の結婚があり、開かれた皇室として広く国民に宣伝される。

昭和39年には、東京オリンピックが開催された。東洋の魔女、柔道、体操日本等々、日本の活躍は、否応無しに国民大衆の愛国心・ナショナリズムをかき立てた。

 

ところで歌謡曲と言えば、東京オリンピックに関しては、テーマソングである東京五輪音頭ぐらいであり、時代の変化を感じさせるような曲は全くと言って良いほど見られない。

占領政策が終わり、社会主義思想の流行に陰りがみえ、工業生産が活発となり、労働者がサラリーマン化し、資本主義・自由主義思想が盛んになるにつれて、大衆の共感を得るような歌謡曲が売れ始める。それも、全ての国民に向けてではなく、例えば「高校三年生」の団塊世代向けの青春歌謡、戦前世代向けの演歌といったように市場が絞られるのである。昭和41年に、マイク眞木による「バラが咲いた」がヒットし、フォークのはしりが登場する。洋楽も全盛である。

 

とりあえず、私が選んだこの時期の歌謡曲である。

 

<昭和33年~昭和41年の歌謡曲

(67)おーい中村君(昭和33年)

作詞:矢野 亮 作曲:中野忠晴 歌唱:若原一郎

新婚サラリーマンのハッピーな歌謡曲である。サラリーマン時代の始まりである。

https://www.youtube.com/watch?v=Ysu1HXk9bcE

 

(68)だから言ったじゃないの(昭和33年)

作詞:松井由利夫 作曲:島田逸平、松山恵子

恋病にはめっぽう強くなった女の歌である。

https://www.youtube.com/watch?v=Ce2m476JrsI

 

(69)星は何でも知っている(昭和33年)

歌:平尾昌晃. 作詞:水島哲. 作曲:津々美 洋

後に新しい昭和歌謡の代表的作曲家となる平尾昌晃の歌手デビュー曲である。

昭和35年には「ミヨちゃん」がヒットし合計200万枚を突破した。

https://www.youtube.com/watch?v=EH52VsFaJ60

https://www.youtube.com/watch?v=EH52VsFaJ60

 

(70)無法松の一生(昭和33年)

作詞:吉野夫二郎、作曲・編曲:古賀政男 村田英雄のデビュー曲である。

この年にはヒットせず、昭和37年の「王将」がミリオンセラーとなってこの曲も相乗効果でヒットする。歌謡浪曲のはしりとなる。

https://www.youtube.com/watch?v=qe4fSip2Abc

https://www.youtube.com/watch?v=a3K32Tk8fYo

島津亜矢

https://www.youtube.com/watch?v=mjhUg_ltPh8

 

(71)泣かないで(昭和33年)

和田弘とマヒナスターズ 作詞:井田誠一、作曲:吉田正

ムード歌謡の始まりである。

https://www.youtube.com/watch?v=075vKtVHAy4

 

(72)あいつ(昭和33年)

旗照夫 作詞:平岡精二、作曲:平岡精二

歌謡曲というよりも、日本版シャンソンといった方がよいが、歌謡曲の新しいタイプが登場する。ちあきなおみ版がすばらしい。

https://www.youtube.com/watch?v=AgIK-_264To

ちあきなおみ

https://www.youtube.com/watch?v=GG4zjEFcaTA

 

(73)大利根無情(昭和34年)

作詞:猪又 良 作曲:長津義司歌手:三波春夫

どちらかと言えば、戦前のリバイバル的な歌謡曲である。実は、この時期は、戦前の歌謡曲が爆発的にヒットする。軍歌、演歌等が、戦前世代が歌い始めた。製造業、金融業、土建業等々、企業規模の拡大に伴う日本的経営・組織管理において、戦前の共感が最適であったのである。

https://www.youtube.com/watch?v=AzaLvd4MMQY

島津亜矢

https://www.youtube.com/watch?v=gn2WwDdTg8k

 

(74)黄色いさくらんぼ(昭和34年)

作詞は星野哲郎、作曲は浜口庫之助 スリー・キャッツ

昭和34年最大のヒット(25万枚)。NHKは、歌詞に使った「ウフン」を卑猥と判断し、放送禁止とした。それにしても、とんでもない曲が出てきたものだ。浜口庫之助は、新しいタイプの歌謡曲を次々と生み出したこれも昭和を代表する作曲家である。

https://www.youtube.com/watch?v=uggdCW52YLU

 

(75)ギターを持った渡り鳥(昭和34年)

作詞:西沢爽/作曲:狛林正一、小林旭

https://www.youtube.com/watch?v=4YODCtSQVlk

 

(76)黒い花びら(昭和34年)

永六輔作詞、中村八大作曲で水原弘が歌って大ヒットとなる。八六コンビの誕生である。

「黄昏のビギン」も同時に創られたが、黄昏のビギンがヒットするのは10年以上経ってからである。

https://www.youtube.com/watch?v=INGcQ3CsVmg

 

(77)古城(昭和34年)

三橋美智也 作詞:高橋掬太郎,作曲:細川潤一

三橋美智也の曲は、この時期に多く発売され全てヒットしている。この曲は、発売年300万枚を突破し、おそらく日本記録ではないだろうか。三橋美智也のレコード販売枚数は、累計で1億600万枚に達したという。

それにしても、こんな曲が何故ヒットしたのか良くわからない。明治末から大正年代の人達に爆発的に受けたのかもしれない。単純に郷愁とは言いがたい。この時期、戦前には確かに存在した何かが失われつつあったのである。

https://www.youtube.com/watch?v=_ky9DxHeb_o

島津亜矢

https://www.youtube.com/watch?v=7D4ckxeY9X4

 

(78)南国土佐を後にして(昭和34年)

作詞・作曲: 武政英策、ペギー葉山

ご当地ソングのはしりとも言えよう。

https://www.youtube.com/watch?v=1JcGhhPM3YQ

ペギー葉山のヒット曲には下記の曲もこの時期である。

学生時代(昭和39年)

作詞・作曲: 平岡精二(作詞・作曲) ペギー葉山

https://www.youtube.com/watch?v=UEnsPCL9bAY

 

(79)僕は泣いちっち(昭和34年)

守屋浩 作詞:浜口庫之助,作曲:浜口庫之助

浜口庫之助の、これも変わった歌である。守屋浩というのは独特の歌い方をする。

https://www.youtube.com/watch?v=O_8vnblfDMo

 有り難や節(昭和35年)

作詞=浜口庫之助/採譜=森一也/補作・作編曲=浜口庫之助、守谷浩

これは面白い。ふざけているのではないかと思うかもしれないが、浜口は、おそらく世相を笑い飛ばしたのである。

金がなければくよくよします。女にふられりゃ泣きまする。

腹が減ったらおまんま食べて、命つきればあの世行き。

デモはデモでもあのこのデモは、いつもはがいてじれったい

早く一緒になろうと言えば、デモデモデモと言うばかり

 

安保反対デモで世の中が騒がしくなった時期であるが、大衆にとっては、またデモか程度だったのかもしれない。

https://www.youtube.com/watch?v=7oZq9SLr96k

 

(80)山の吊橋(昭和34年)

春日八郎、作詞:横井 弘、作曲:吉田矢 健治

https://www.youtube.com/watch?v=nbSuqmATyQc

 

(81)哀愁波止場(昭和35年)

美空ひばり、作詞:石本美由起、作曲:船村徹

演歌に「哀愁」はつきものになる。美空ひばりがうまい。

https://www.youtube.com/watch?v=S0WqvSXazdk

島津亜矢

https://www.youtube.com/watch?v=gND5TjN9ieM

 

哀愁出船(昭和38年)

作詞:菅野小穂子 作曲:遠藤 実 オリジナル歌手:美空ひばり

美空ひばり

https://www.youtube.com/watch?v=8RD4sSVZdsc

島津亜矢

https://www.youtube.com/watch?v=17Ih-PfkGzs

 

ひばりの佐渡情話(昭和37年)

作詞:西沢爽、作曲・編曲:船村徹 美空ひばり

美空ひばり

https://www.youtube.com/watch?v=A1R0vxMHAzA

 

(82)アカシアの雨がやむとき(昭和35年)

作詞 : 水木かおる/作曲 : 藤原秀行 西田佐知子の歌謡曲デビューである。

https://www.youtube.com/watch?v=Mvu9_zDrYBQ

この曲の前にコーヒールンバを歌っている。

井上陽水版

https://www.youtube.com/watch?v=LTbaGdPiN1s

 

(83)潮来笠(昭和35年)

作詞:佐伯孝夫/作・編曲:吉田正 橋幸夫のデビュー曲である。

この年には、ダッコちゃんブームが起きる。何とも不思議な社会現象である。何の変哲もないビニールの人形が爆発的に売れるのだから、世の中というものはわからない。

https://www.youtube.com/watch?v=NGTEOCsd5kg

 

(84)ガラスのジョニー(昭和36年)

作詞:石浜恒夫、作曲・歌:アイ・ジョージ

https://www.youtube.com/watch?v=u0A2E-YnuaQ

 

(85)誰よりも君を愛す(昭和34、35年)

作詞:川内康範、作曲:吉田正 松尾和子・和田弘とマヒナスターズによるムード歌謡。

https://www.youtube.com/watch?v=YkaPTZIkCkA

 

(86)月の法善寺横町(昭和35年)

作詞:十二村哲、作曲:飯田景応、藤島桓夫が歌った。関西弁が登場する歌謡曲はこれが最初ではないだろうか。

https://www.youtube.com/watch?v=jyVF-DeOD4s

 

(87)上を向いて歩こう(昭和36年)

作詞:永六輔、作曲:中村八大、坂本九が歌い、世界で1300万枚以上売れた。

NHK「夢であいましょう」でテレビ初披露された。玉置浩二版が面白い。

坂本九 版

https://www.youtube.com/watch?v=SPWDhYiHl44

玉置浩二版

https://www.youtube.com/watch?v=yNwj9Yoilik

 

同年、「見上げてごらん夜の星を」もリリース。

作詞:永六輔 、 作曲:いずみたく

島津亜矢

 https://www.youtube.com/watch?v=7R0y7b2TD28&pp=ygU244Gh44GC44GN44Gq44GK44G_44CA6KaL5LiK44GS44Gm44GU44KJ44KT5aSc44Gu5pif44KS

 

(88)おひまなら来てね(昭和36年)

作詞:枯野迅一郎、 作曲:遠藤実、五月みどりが歌ってヒットした。この時期以後、昭和を通して、夜の商売、新宿・銀座がはやり出す。

https://www.youtube.com/watch?v=WO6RLTTvoTc

 

(89)川は流れる(昭和36年)

作詞:横井弘、作曲・編曲:桜田誠一、仲宗根美樹が歌いヒットする。

https://www.youtube.com/watch?v=3O5zNfaC7kI

 

(90)北上夜曲(昭和36年)

作詞:菊池規、作曲:安藤睦夫

ダークダックス、多摩幸子&和田弘とマヒナスターズ、菅原都々子の競作。

リバイバルブームに火をつけた。前述のようにこの時期から戦前の歌がはやりだし、旧制高校寮歌等が歌われた。歌声喫茶でもはやった。

https://www.youtube.com/watch?v=3120-ipPwLU

 

惜別の歌

作詞:島崎藤村,作曲:藤江英輔、中央大学学生歌

小林旭版

https://www.youtube.com/watch?v=Cw0Gpv_kgWY

ちあきなおみ

https://www.youtube.com/watch?v=7MC3n4hh_J4

 

(91)刃傷松の廊下(昭和36年)

作詞:藤間哲郎、作曲:桜田誠一、浪曲師の真山一郎が歌ってヒットした。歌謡浪曲のはしりである。

真山一郎版

https://www.youtube.com/watch?v=a5nJ5NIrNMw

島津亜矢版

https://www.youtube.com/watch?v=Sl-3QoiZVk8

 

 歌謡浪曲は、三波春夫が昭和39年から忠臣蔵を題材に爆発的なヒットとなる。

 

(92)スーダラ節(昭和36年)

作詞:青島幸男、作曲:萩原哲晶、ハナ肇とクレージーキャッツが歌い大ヒット。昭和のサラリーマン世相を表現した。

https://www.youtube.com/watch?v=Y-_AKuZefSM

 

(93)寒い朝(昭和37年)

作詞:佐伯孝夫、作曲・編曲:吉田正 吉永小百合のデビュー曲である。

https://www.youtube.com/watch?v=ezQUhHyFdps

翌年には、「いつでも夢を(昭和37年)」がリリースされる。

作詞:佐伯孝夫、作曲・編曲:吉田正 吉永小百合、橋幸夫の歌

https://www.youtube.com/watch?v=0jknQa9Ipws

 

(94)なみだ船(昭和37年)

作詞:星野哲郎、作曲:船村徹 北島三郎の実質デビュー曲である。

北島三郎版

https://www.youtube.com/watch?v=AAFyzw74BrM

島津亜矢版

https://www.youtube.com/watch?v=r0hSdELHtPI

 

ギター仁義(昭和39年)

作詞:嵯峨哲平,作曲:遠藤実 

北島三郎版

https://www.youtube.com/watch?v=wGfuDpmEuN8

島津亜矢版

https://www.youtube.com/watch?v=huOYJ6mnvC0

 

函館の女(昭和40年)・・・・ご当地ソングの代表的作品。

作詞:星野哲郎,作曲:島津伸男

https://www.youtube.com/watch?v=-9zU8Rk6f_g

 

(95)美しい十代(昭和38年)

作詞:宮川哲夫、作曲:吉田正 三田明

御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)につづく歌手の登場である。

https://www.youtube.com/watch?v=TGZBCg7wMRg

 

(96)高校三年生(昭和38年)

作詞:丘灯至夫、作曲:遠藤実、舟木一夫が歌い、高校生に市場を絞って累計230万枚を売る大ヒットとなる。この時期になると、歌謡曲のマーケット指向が顕著になる。

https://www.youtube.com/watch?v=JMhxfAurkKc

 

(97)ああ上野駅(昭和39年)

作詞:関口義明、作曲:荒井英一、井沢八郎が歌ってヒットする。集団就職が始まって10年程度が経過し、東京で自立できる基盤を築いた人には郷愁を誘う一曲である。

https://www.youtube.com/watch?v=fEFMJ__kXtk

 

(98)あんこ椿は恋の花(昭和39年)

作詞:星野哲郎、作曲・編曲:市川昭介、都はるみの初ヒットであり、演歌歌手に新たな旗手の登場である。

https://www.youtube.com/watch?v=LjHt4siM6Wk

 

涙の連絡船(昭和40年) 

作詞:関沢新一、作曲:市川昭介

都はるみ&島津亜矢版

https://www.youtube.com/watch?v=y-ZBxsHiNrE

 

(99)幸せなら手をたたこう(昭和39年)

作詞は早稲田大学人間科学部名誉教授の木村利人。坂本九が歌ったが、世界で愛唱されている。

 

(100)涙くんさようなら(昭和40年)

作詞・作曲:浜口庫之助 坂本九が歌った。

NHK「夢であいましょう」で放送された。

ちなみ「夢であいましょう」から生まれたヒット曲は以下のとおり。

上をむいて歩こう(昭和36年)

遠くへ行きたい(昭和37年 ジェリー藤尾)

こんにちは赤ちゃん(昭和38年 梓みちよ)

帰ろかな(昭和39年 北島三郎)

 

(101)夜明けのうた(昭和39年)

作詞:岩谷時子、作曲・編曲:いずみたく 岸洋子でヒットした。

https://www.youtube.com/watch?v=MbT2_QH0db0

 

 越路吹雪 昭和40年から連続コンサート  シャンソンブーム

 

(102)網走番外地(昭和40年)

作詞:タカオ・カンペ、作曲:山田栄一、高倉健が歌った。

昭和40年から47年まで20作に及ぶ網走番外地シリーズの第1作の主題歌である。ギャング物、任侠物がはやりだす。昭和35年の安保闘争以来、表に出始めた暴力団組織との関係もあるだろう。急速な経済成長に伴い生ずる社会現象の一つである。

https://www.youtube.com/watch?v=WnBnp7DGVf4

 

(103)知りたくないの(昭和40年)

なかにし礼:作詞、ドン・ロバートソン:作曲、菅原洋一のヒット曲である。

菅原洋一版

https://www.youtube.com/watch?v=jAIbN28ul18

ちあきなおみ

https://www.youtube.com/watch?v=zszIs_IhbFU

 

(104)「ヨイトマケの唄」(ヨイトマケのうた)(昭和41年)

美輪明宏が自ら作詞・作曲して歌いヒットした。

 

(105)お嫁においで(昭和41年)

作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作、加山雄三の登場であり、大ヒットとなる。これ以外にも、このコンビは、同年に「君といつまでも」、「旅人よ」と続いてヒット作を連発する。

https://www.youtube.com/watch?v=ooPAyvG5HIg

 

(106)悲しい酒(昭和41年)

作詞:石本美由起,作曲:古賀政男、美空ひばりの持ち歌となる。

https://www.youtube.com/watch?v=zi1yedKi3FE

 

(107)霧の摩周湖(昭和41年)

作詞:水島哲、作曲:平尾昌晃、布施明のデビュー・ヒット曲である。

https://www.youtube.com/watch?v=CRtmsUDaiKc

 

(108)バラが咲いた(昭和41年)

作詞・作曲:浜口庫之助、マイク眞木が歌ってヒットする。フォークソングの最初の曲とも言える。

https://www.youtube.com/watch?v=hNHlyGgcpdM

 

(109)若者たち(昭和41年)

作詞:藤田敏雄,作曲:佐藤勝、ザ・ブロードサイド・フォーがTVドラマの主題歌として歌った。若者をターゲットとしたフォークソングのはしりである。

https://www.youtube.com/watch?v=wIVSPtk2hsk

 

(110)ベッドで煙草を吸わないで(昭和41年)

作詞:岩谷時子、作曲:いずみたく、沢たまき が歌う。沢たまきは、1998年の参議院議員選挙で当選し、国会議員となっている。日本版シャンソンといったところであろう。ちあきなおみ版がすばらしい。

沢たまき版

https://www.youtube.com/watch?v=Iizqrw1BN4w

ちあきなおみ

https://www.youtube.com/watch?v=wJEodvkNmWk

 

(111)骨まで愛して(昭和41年)

作詞:川内和子、作曲:文れいじ、城卓矢が歌ってヒットする。何故か、耳に残る旋律であり、歌詞がいい。経済成長の真っ只中で、「なんにもいらない、ほしくない、あなたがあれば幸せよ、私の願いはただ一つ、骨まで愛して」という女が果たしていただろうか。

https://www.youtube.com/watch?v=mYyl3vdQG30

沢田研二・吉田拓郎のデュエット版が素晴らしい。

https://www.youtube.com/watch?v=LTlAYn479a8&pp=ygUf6aqo44G-44Gn5oSb44GX44GmIOeOiee9rua1qeS6jA%3D%3D

 

 

<歌謡曲の爆発>

 

まさに、この時代から日本歌謡は爆発的に増加する。特に昭和40年代に入ると加速度的に増加するのである。岡本太郎は、「芸術は爆発だ」といって、大阪万博の太陽の塔を作成するが、爆発したのは太郎の芸術だけではなかった。大衆そのものが爆発していたのである。

 

映画もシリーズ物が爆発的にヒットする。まず、社長シリーズである。昭和31年から45年まで森繁久弥、小林桂樹、加東大介、三木のり平、フランキー堺等で33作が作られた。サラリーマン社会を喜劇で表したものであるが、元々は源氏鶏太作の作品であった。この映画では、接待・宴会が必ず登場する。日本の企業慣習を表現した。さらに、森繁久弥に伴淳三郎を加えて、「駅前シリーズ」も登場し、24作も同時期に作成される。

昭和36年から46年まで続く加山雄三主演の「若大将シリーズ」は24作、昭和37年から46年までの「クレージー映画」(クレージーキャッツ)は関連作品も含め34作になる。

 

テレビが全国に広まったが、まだビデオデッキは発売されていず、昭和51年に日本ビクターが初めて発売した。録画テレビ放送も国産テープが発売されたのが昭和39年であり高価であることからこの時期ドラマを録画編集することは実質困難であった。VTRで制作されたテレビドラマが本格化するのは、昭和30年代後半以後である。

 

ここで紹介した日本歌謡には、シャンソン、ジャズ、カントリー・ミュージック、等は含まれていない。カントリー・ミュージックの代表的歌手は、小坂一也であろう。昭和27年頃から活動を開始するが、米軍キャンプ等を中心に活動したのが始まりである。

特に、シャンソンは昭和40年頃からヒットし始める。世界でもフランスを除いてシャンソンがこれほど流行した国は日本ぐらいではないだろうか。

翻訳家・作詞家の岩谷時子と越路吹雪のコンビによるシャンソンは、一世を風靡した。昭和28年から活動を開始するが、本格的に流行に火をつけたのは、昭和40年からの日生劇場リサイタル以後であろう。

 

一方、洋楽も大流行となる。ロカビリーのエルヴィス・プレスリーに熱狂し、ザ・ベンチャーズ、ブルージーンズ(寺内タケシ)のテケテゲが昭和41年には大流行となる。

昭和41年には、ビートルズが来日公演を行っている。日本のグループサウンズの流行は昭和42年以降である。

フォークソングも、昭和41年頃から流行し始める。昭和35年の安保闘争、昭和37年頃から始まるベトナム戦争等があり、反戦、貧困等の社会問題に焦点を当てた新しいミュージックが米国で流行りはじめ、日本のフォークが誕生することになる。

 

以上のようにこの時期の歌謡曲の爆発は、何となくこの後に発生する社会情勢を予感させる曲が見られる。

しかし、大衆がこれらの多様な歌謡曲を望んでいたかどうかは疑わしい。レコード会社が、若者が、歌謡曲を売るために作り出したとも言える。何が売れるかはわからない、しかし、そこには豊かになりつつある膨大な大衆という市場がある。ほとんど制約のない自由で開かれた市場があり、欧米からは新たな楽曲が次々へと輸入されている。

 

昭和歌謡曲は、この時期を最後に、伝統的歌謡曲とは別の新たな歌謡曲へと変化していくことになる。大衆が自ら作り出したのではない。ごく少数の作詞家・作曲家・歌手、レコード会社が、これでもかと作り出しては市場へ供給した。大衆は、多様な曲から選んだだけである。

 

 

オルテガは、市場で大衆が「買う」という行為、つまり選択することが何を意味しているかに論究した。大衆は、その生(生きること)の中で常に選択することを余儀なくされているとし、「生きるとは、この世界においてわれわれがかくあらんとする姿を自由に決定するよう、うむをいわさず強制されている自分を自覚する」ことであり、こういった決断は、「一瞬たりとも休むことが許されない」という。昭和歌謡曲の爆発的氾濫は、大衆の選択の領域を極端に拡大した。このことは歌謡曲だけではなく、大衆の生活全般において選択せざるを得ない状況、つまりいつでもどこでも何かしらの決断をしなくてはならない状況にいたったということである。

戦前、戦中においては、選択・決断の余地はほとんどなかった。政治権力が決めた一本道をすすむだけであった。それに反して、敗戦後の経済復興、工業化により豊かになりつつあった社会環境は、めまぐるしく更新され続けたのである。オルテガは政治権力について、自由主義的デモクラシーにおける大衆人の本質を説いた。しかし、制約のない自由主義的市場においても同様なのである。市場は、明確な未来像を示すことはなく、今よりも少し先の現実のみで動いているのである。オルテガは言う。「大衆人とは生の計画をもたない人間であり、波のまにまに漂う人間である」と。

戦後教育は、自由主義的デモクラシーというシステムと、近代生活に必要な技術、今を強力に生きる道具しか教えてこなかった。歴史的使命に対する感受性、つまり精神は植え付けられてこなかったのである。昭和41年前後というのは、こういった戦後教育を受けた子供達が成人となる時代であった。

 

オルテガは、19世紀の革命時代、第一次世界大戦の後、自由主義的デモクラシーと科学技術を獲得した20世紀前半のヨーロッパにおいて、最大の善と最大の悪の両方を所持する大衆というものを究明する必要性を感じていた。

 

さて、次回は、昭和42年から昭和49年までである。70年安保、ベトナム戦争の反戦運動、高度経済成長、オイルショックとこれも激動の時期である。昭和歌謡曲は、どんな変化を見せたのだろうか。大衆はどんな歌謡曲を選択したのだろうか。

2023/06/24

2023/05/21

この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―昭和27年~昭和32年―

この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―昭和27年~昭和32年―

秋 隆三

 

<激動の昭和>

 

あらたまって説明するまでもなく、何とも世の中というものは、いろいろな事件が次から次へと発生するものである。特に明治維新以後の社会変化のすさまじさは、世界でも日本が抜きんでていたのではないだろうか。勿論、20世紀科学技術の進歩は、欧米は勿論、アジアでは日本が世界水準で変化した。

明治初期には輸入蒸気機関車が走り、明治26年には国産化されている。明治22年には東海道線が、明治24年には東北本線が全線開通した。何という早さだろうか。明治時代と言う文明は、明治10年の西南戦争後ではないかと考えられるので、文明化されてから16年で蒸気機関の国産化がされ、14年後には北は青森から南は尾道まで開通し、25年後には下関まで開通する。明治30年頃の大衆にとって、鉄道料金は高かったには違いないが、鉄道で旅をすることは既に常識となっていたに違いない。

電話は、明治23年に東京~横浜で営業を開始する。明治33年には公衆電話が登場するというのだから、もはや何おか言わんやの早さである。

ラジオに至っては、米国では1920年にラジオ放送が開始されている一方、日本では遅れること5年の1925年(大正14年)に開始している。

飛行機はどうだろう。商用航空として定期航空路線が始まったのが、大正11年(1922年)とあり、大阪と四国を結んでいる。軽井沢―東京間の運航は、昭和2年である。

 

大正時代には、鉄道、電話は既に生活の中に入っていた。

 

戦後は、こんなものではない。昭和28年から昭和34年までのわずか7年間で、ラジオから白黒テレビへと入れ替わる。世帯普及率はほぼ現代に近い。おまけに、全て国産テレビである。所謂、最初の3C(電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビ)時代の到来である。私の母が電気洗濯機を最初に買ったときの喜んでいる姿、皇太子と美智子様の結婚パレード中継を買ったばかりの白黒テレビにかじりついて見ていた姿が今でも思い出される。

東京オリンピックを契機に、3Cは、カラーテレビ、クーラー、自家用自動車へと変わり、鉄道は新幹線へと転換する。

戦後昭和の技術革新は、7年程度の間隔で劇的に変化する。軍事技術や産業技術ではなく、生活道具の変化としてたちどころに大衆に浸透するのである。

一方、科学技術の本場の米国では、戦前から軍用技術を中心に革新的とも言える科学技術が次から次へと誕生していた。テレビ・通信、コンピューター、制御技術、エンジン等々である。1950年代から60年代は、世界の中で米国だけが抜きんでていた。勿論、現代で言う白物家電等は当たり前であった。

日本は、生活水準で米国に追いつけが目標となっていた。

 

生活水準は、7年間程度の間隔で上昇していく。経済も、神武景気以後、ほとんど不況しらずで上昇する。戦後の朝鮮戦争特需で、資本蓄積のチャンスを握り、その後の産業・生活用製品開発における技術革新、製品の国産化によって経済大国への道を駆け上るのである。

さて、大衆の精神はどうであったろうか。「心は形」を求め、「形は心」を勧めるのは真理である。戦後大衆の精神は、米国の豊かな生活を求めていた。貧困にあった戦後大衆が、豊かさを求めるのは、当然の理である。7年足らずの間隔で豊かになっていく生活とその形(ライフスタイル)は、我々の精神をどのように勧め、精神の何を変えたのか。

以前にも説明したように、「心は形を求め、形は心を勧める」というキャッチフレーズは、昭和時代の墓園・墓石会社の宣伝文句である。亡くなった方を心から弔いたいという心が墓園を求め墓石を建てさせる。墓園に墓石を建てれば、お彼岸や命日には、墓石にお参りし、信仰心を深めることになる。人の信仰心は、弔いを形にすることから深まるのである。

ここでいう信仰とは、特定の宗教を指したことではない。石器時代から始まると言われる死者への思慕であり、敬意である。

この信仰という心と形の循環作用は、様々な宗教を生みだしたが、今から2500年前から2000年前までに、ほぼ現在の宗教という形に完成し、さらに哲学的究明は現在においてもなお継続している神秘である。

文明は信仰ではない。文明と人の心との循環作用から、科学技術、法制度、政治・経済システム、商業流通、文化・芸術等、もろもろのものが形成される。オルテガが言う、生における環境である。オルテガの言う環境とは、もろもろの可能性のことである。環境、すなわちもろもろの可能性は、オルテガが19世紀に比較して20世紀の初頭には驚くほど増加したと述懐している。まさに、そのとおりである。明治から現代に至る科学技術の進歩がもたらした文明の産物の多さは恐るべきものだ。

しかし、敗戦は、それらのほとんどを壊滅させたばかりではなく市場さえも消滅させた。つまり、大衆の選択可能性は敗戦によってほとんど皆無の状況となったのである。この状況が、前回の昭和21年から昭和26年までの時代であると言っても過言ではあるまい。買えるものがないのである。勿論、貧困であることは事実であるが、物がないことも事実であり商品の生産流通市場が崩壊したのである。オルテガは、この物を「買う」という選択行為に着目した。「買う」ということは、生として物を選択しているのであり、人は一瞬たりともこの選択行為から逃れることは出来ず、選択行為、つまりもろもろの可能性という環境の内部で生きているということである。このことは、「買う」という可能性だけではなく、快楽の可能性についても同様である。しかし、面白いことに、敗戦前の時代を良き時代、敗戦直後の状態よりも優れているというものは、この時代のこの国の大衆にはいなかったと思われる。オルテガは、科学技術の成長を、精神の自由によるものと表現している。精神の自由とは、知性の能力であり、この能力は、従来、分離できないと考えられた概念を分離する能力だと言っている。概念とは、例えば、時間という一般的概念(抽象的言葉)でもよい。アインシュタインは、時空という概念により、時間の概念をさらに分離した。

 

昭和27年の占領政策の終焉、徐々に回復を始めた生産活動と朝鮮戦争特需により加速された生産活動により、市場が急速に回復し、たちどころに「3C」時代を迎える。そして、自分が過去のあらゆる時代以上のものであるという奇妙なうぬぼれを持つ時代に突入し、何を実現すべきかを知らない時代、自分を完全に掌握していない時代(オルテガの表現を借用)へと量とともに変質の時代に向かうのである。

ちなみに、当時の写真等がYouTubeにあったのでURLを参考までに下記に挙げておく。

「昭和20年代の子供たち」 当時の子供達の貴重な写真と映画から

https://www.youtube.com/watch?v=m8Zo7pASTQ0

【衝撃】カメラで撮った懐かしい昭和の写真!!古き良き風景! 貴重な昭和の写真!

https://www.youtube.com/watch?v=YOKATMyKbYU

 

昭和25年以後の様々な流行の様相については、下記のURLが参考になる。

https://nendai-ryuukou.com/

 

 

<昭和27年~昭和32年>

 

(27)ああモンテンルパの夜は更けて(昭和27年)

代田銀太郎作詞、伊藤正康作曲で渡辺はま子、宇都美清が歌ってヒットした。

占領政策の終了を見計らって登場した第1号の歌謡曲である。この曲は、戦後、フィリピンで拘束され死刑が宣告された戦犯108人の望郷の歌である。渡辺はま子は、現地を尋ねでこの歌を歌った。翌年除名嘆願がかない、当時のキリノ大統領の特赦によって解放された。

https://www.youtube.com/watch?v=R8q7hn3gTN0

 

(28)赤いランプの終列車(昭和27年)

大倉芳郎作詞、江口夜詩作曲で春日八郎が歌ってヒットした。

春日八郎のデビュー曲と言っても良く、翌年にヒットする。「白い夜霧の あかりに濡れて別れせつない プラットホーム」で始まる曲調は、演歌曲調の一つのスタイルとも言える。

https://www.youtube.com/watch?v=nLYLLM4I4lE

 

(29)お祭りマンボ(昭和27年)

原六朗作詞・作曲・編曲、美空ひばりが歌った。お祭り好きな江戸っ子の気性を、マンボのリズムで明るく歌う。理屈も何もない、祭りなのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=aGI-CRlfzGg

 

(30)芸者ワルツ(昭和27年)歌唱:神楽坂はん子 (1952)

西条八十作詞、古賀政男作曲で神楽坂はんこが歌った。本物の神楽坂芸者の歌手デビューであった。古賀政男は、戦前から有名な作曲家であるが、昭和23年の「湯の町エレジー」以来の久しぶりのヒットであろう。

https://www.youtube.com/watch?v=r5iGsUyh9pk

「湯の町エレジー」については前回掲載していなかったのでここで挙げておく(野村俊夫作詞、古賀政男作曲 近江俊郎歌)。

美空ひばり版であるが、実にうまい。

https://www.youtube.com/watch?v=m8A7iXHroI4

 

(31)リンゴ追分(昭和27年)

小沢不二夫作詞、米山正夫作曲で美空ひばりが歌った。

元々は、ラジオ東京のラジオドラマの挿入歌だったそうである。この1年間で、戦後最大の売上70万枚となったと言われる。作曲家の米山は、ほとんどヒットするとは思っていなかったようである。大衆の選択というものは何とも予測し難い。歌自体は実に短く、美空ひばりのうまさが光る曲である。歌詞・曲というよりは、曲風が美空ひばりの歌手技量をあまねく表現し、それが大衆に受けたとも言える。

https://www.youtube.com/watch?v=S0KLu6lZ5Yw

 

(32)雨降る街角(昭和27年)

東篠寿三郎作詞、吉田矢健治作曲で春日八郎が歌った。

春日八郎の2曲目の別れ歌である。前回の昭和26年以前同様に、男と女の恋病が悪化して別れることになる。恋病が緩解完治して結婚してしまっては、歌にならないのである。洋の東西、古今から恋病は別れなければ歌にならない。

ちあきなおみ版が素晴らしい。

https://www.youtube.com/watch?v=QxZlAax0nlc

 

(33)君の名は(昭和27年) 

菊田一夫作詞、古関裕而作曲で折井茂子が歌ってヒットする。

いよいよ恋病ドラマの大ヒット作の登場である。

1952年(昭和27年)410日から1954年(昭和29年)48日。 毎週木曜20時30分から21時までの30分放送され、全98回も続いたとある(Wikipediaより)。 番組の冒頭で「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」というナレーションが入る。放送時間には、風呂やががら空きになったという伝説がある。

菊田一夫も、これだけヒットするとは思ってもいなかったであろうから、続けるには苦心したことだろうと推察される。最後は、何となくハッピーエンドとなるが、男が独身を続け、女の方が旧習から逃れきれず、結婚し人妻となるが、お互いに忘れられない。禁断の三角関係が描かれる。当時の人妻大衆にとっては、何となく身につまされるような体験、あるいは願望があったのかもしれない。

https://studentwalker.com/moviemusic-your-name

 

(34)街のサンドイッチマン(昭和28年)

宮川哲夫作詞、吉田正作曲で鶴田浩二が歌った。

鶴田浩二というのは何とも言えないムードのある役者ですね。

https://www.youtube.com/watch?v=57YwgPQUhTg

 

(35)待ちましょう(昭和28年)

矢野 亮作詞、渡久地政信作曲で津村 謙が歌った。

何を待つのかさっぱり解らない歌である。これと同様の歌が、シャンソンにある。恋人を待つ、戦争が終わるのを待つ、景気が良くなるのを待つ、まあ、とりあえず大衆は待つのみだ。

津村謙版

https://www.youtube.com/watch?v=oIhkkMJNsBk

鮫島有美子版

https://www.youtube.com/watch?v=QTCabrf2gt8

 

(36)雪の降る街を(昭和27年初版 昭和28年)

内村直也作詞、中田喜直作曲で高英男が歌ってヒットした。

雪の降る夕方、母に手をひかれて、市電を待っている時に、街頭放送からだと思われるこの曲を聞いた覚えがあるが、雪と寒さと寂しさを子供心に覚えている。

https://www.youtube.com/watch?v=E3FjPLr8wMg

 

(37)お富さん(昭和29年)

山崎正作詞、渡久地政信作曲で春日八郎が歌い累積125万枚売れた。

https://www.youtube.com/watch?v=B0LGm6WZpo8

この年から春日八郎の歌謡曲が次々とヒットする。

あン時やどしゃ降り(昭和32年)

作詞:矢野亮 作曲:佐伯としを

https://www.youtube.com/watch?v=j_4_Gg3DB7o

 

(38)岸壁の母(昭和29年)

藤田まさと作詞、平川浪竜作曲で菊池章子が歌った。

実話を基に創られたが、義理の息子(養子)であり、実際は中国で生存していたらしいが、詳細はわからない。台詞入りの演歌である。

島津亜矢

https://www.youtube.com/watch?v=gOp-HypOeic

 

(39)黒百合の唄(昭和29年(28年))

菊田一夫作詞、古関裕而作曲で映画「君の名は」の主題歌となった。

https://www.youtube.com/watch?v=cQqW1u05UMQ

 

(40)高原列車は行く(昭和29年)

丘十四夫作詞、古関裕而作曲で岡本敦郎が歌った。

https://www.youtube.com/watch?v=HaO5_00LYCI

 

(41)ひばりのマドロスさん(昭和29年)

石本 美由起作詞、上原げんと作曲で美空ひばりの歌である。

これも美空ひばりのマドロスもののヒット曲である。

https://www.youtube.com/watch?v=r80_PMTy6oc

 

(42)吹けば飛ぶよな(昭和29年)

東条寿三郎作詞、渡久地政信作曲で若原一郎が歌った。

若者が、ふけば飛ぶよな存在だがと自嘲しつつも、いつまでもこうじゃない、今に見ていると未来を夢見る。現代の流行歌には、こんな詩は見られない。

https://www.youtube.com/watch?v=54CMUgG2fjw

 

(43)逢いたかったぜ(昭和30年)

石本美由起作詞、上原げんと作曲で岡晴夫が歌った。

この歌はなかなかいい演歌である。岡晴夫の歌では演歌とはならないが、ちあきなおみが歌うとまさしく昭和の演歌である。

ちあきなおみ

https://www.youtube.com/watch?v=IEs9m1vvkYQ

岡晴夫版

https://www.youtube.com/watch?v=cDWODqVtl0c

 

(44)おんな船頭唄(昭和30年)

藤間哲郎作詞、山口俊郎作曲で三橋美智也が歌った。いよいよ三橋三智也の登場となる。これで、昭和歌謡の大歌手、春日八郎、美空ひばり、三橋三智也が揃うことになる。三橋三智也も演歌であるが、民謡風のこぶしが入るようになる。

https://www.youtube.com/watch?v=6Sf_TMAaarE

 

(45)カスバの女(昭和30年)

大高ひさを作詞、久我山明作曲でエト邦枝が歌った。戦前のフランス映画が下敷きだという話もある。久我山明は、韓国人の作曲家である。演歌には、韓国民族系の曲調も混在している。

https://www.youtube.com/watch?v=ZcPuNigBaW4

青江三奈、ちあきなおみ、藤圭子

https://www.youtube.com/watch?v=Hr2E3lfZam4

 

(46)ガード下の靴みがき(昭和30年)

宮川哲夫作詞、利根一郎作曲で宮城まり子が歌った。

戦争孤児が沢山いた時代である。子供労働などは当たり前の時代である。一般大衆のどの家でも、こどもが家事労働を任されるのは当たり前であった。

https://www.youtube.com/watch?v=hR539wtW0dY

 

(47)銀座の雀(昭和30年)

野上彰作詞、仁木他喜雄作曲で森繁久弥が歌った。森繁は、満州から引き揚げて、俳優に転身したが、歌手としての最初の曲ではないだろうか。

https://www.youtube.com/watch?v=HkqtWqm-zLE

 

(48)この世の花(昭和30年)

西條八十作詞、万城目正作曲で島倉千代子が歌った。島倉千代子の最初のヒット曲だと思うが。この年以後、美空ひばりと並んで、島倉千代子が女流歌謡歌手の一翼を担う事になる。

https://www.youtube.com/watch?v=mNJ_wEGyvio

りんどう峠(昭和30年)

作詞:西条八十、作曲:古賀政男

https://www.youtube.com/watch?v=-EoghtjSels

東京の人よさようなら(昭和31年)

作詞:石本 美由起. 作曲:竹岡 信幸

https://www.youtube.com/watch?v=_MQV4gOfGRk

逢いたいなアあの人に(昭和32年)

作詞:石本 美由起、作曲:上原 げんと

https://www.youtube.com/watch?v=b7So76DaIAc

東京だよおっかさん(昭和32年)

作詞:野村俊夫 作曲:船村 徹

https://www.youtube.com/watch?v=WOAmubK0rvQ

からたち日記(昭和33年)

https://www.youtube.com/watch?v=LnS3LsBBsYY

島津亜矢

https://www.youtube.com/watch?v=Um0hDvx5sk8

 

(49)月がとっても青いから(昭和30年)

清水みのる作詞、陸奥明作曲で菅原都々子が歌い、100万枚を突破した。あまりぱっとしなかった菅原に対して、それならばと父親が作曲してヒットした。恋病の曲であるが、悪化したのか完治したのかは解らないが、恋病中のうれしさの感情が共感を呼んだのであろう。この時代の恋病のパンデミック状況を実に良く表している。

昭和30年代であるが、田舎の私の住む町に菅原都々子の実演があった。母が歌謡曲が好きで連れて行かれて聞いた記憶がある。曲調は違うが、日本の演歌の新しいスタイルかもしれない。島津亜矢さんがいい。

菅原都々子版

https://www.youtube.com/watch?v=lutpArNLMsc

島津亜矢

https://www.youtube.com/watch?v=ZngPZl-X57g

 

(50)東京アンナ(昭和30年)

藤間 哲郎作詞、渡久地政信作曲で大津美子が歌った。デビュー直後に歌った曲であり大ヒットする。さらに翌年には「ここに幸あり」がヒットする。この歌は、ブラジル移民にも広く歌われた。

https://www.youtube.com/watch?v=KYs3OleDTZY

ここに幸あり

昭和31

大津美子 (1956) 作詞:高橋掬太郎 作曲:飯田三郎

https://www.youtube.com/watch?v=IxFkk0m9qBQ

 

(51)娘船頭さん(昭和30年)

西城八十作詞、古賀政男作曲で美空ひばりが歌った。

https://www.youtube.com/watch?v=-y961q_Tooc

 

(52)別れの一本杉(昭和30年)

高野公男作詞、船村徹作曲で春日八郎が歌ってヒットした。いよいよ船村節演歌の全盛時代を迎えることになる。いろいろな歌手が歌っているが、美空ひばり版もいい。特に、ちあきなおみ版をお勧めする。是非、聞き比べを。

春日八郎版

https://www.youtube.com/watch?v=lAuM-6ZBzOU

美空ひばり版

https://www.youtube.com/watch?v=QWcNCjwc-eU

ちあきなおみ

https://www.youtube.com/watch?v=NwFfkPv-JVU

https://www.youtube.com/watch?v=sY57uDyvGW0

 

(53)哀愁列車(昭和31年)

横井弘作詞、鎌多俊与作曲で三橋美智也が歌ってヒットする。朝鮮戦争特需により日本奇跡的経済回復に向かい、東京は生産力増強、建設ラッシュとなった時代である。東北地方を中心に若い労働力が東京へと集中した。恋人と別れ東京へと向かう若者が、別れる寂しさと憧れの東京への期待が錯綜する感情があふれた曲である。

三橋美智也版

https://www.youtube.com/watch?v=SBpu9di6O5A

島津亜矢

https://www.youtube.com/watch?v=L6Pu0E3dpTU

 

(54)狂った果実(昭和31年(太陽の季節も同じ年))

石原慎太郎作詞、佐藤勝作曲で石原裕次郎が歌った。湘南族のはしりと言っていいだろう。戦後の経済復興は、貧富の差となって大衆に襲いかかる。豊かさは、無軌道な若者を生みだし、伝統的価値観などはへとも思わない。経済一辺倒に偏り、精神性を失っていく大衆支配社会の様相であるかもしれない。

https://www.youtube.com/watch?v=Oo0m7f0K0do

石原裕次郎は、歌手としても多くの曲を歌っている。

俺は待ってるぜ(昭和32年)

作詞:石崎正美,作曲:上原賢六

https://www.youtube.com/watch?v=92rxVbnS3_w

嵐を呼ぶ男

作詞:荻原四朗,作曲:上原賢六。

https://www.youtube.com/watch?v=0JOzlR9QQ-E

 

(55)波止場だよお父つあん(昭和31年)

西沢爽作詞、船村徹作曲で美空ひばりが歌ったマドロスもののヒット曲である。

https://www.youtube.com/watch?v=R6e3eR_Y7dM

 

(56)早く帰ってこ(昭和31年)

高野公男作詞、船村徹作曲で青木光一が歌った。

この曲は、哀愁列車とは反対に、東京で頑張ろうと出てきたがうまくゆかず、かといって帰れない弟とその恋人を暖かく迎える田舎の家族の歌である。

https://www.youtube.com/watch?v=67-5oXjzUyQ

 

(57)リンゴ村から(昭和31年)

矢野亮作詞、林伊佐緒作曲で三橋美智也が歌い、累積で270万枚に達した。この時代、仕事を求めて上京した兄弟・姉妹を思い、田舎へ帰っておいでと歌う曲が多くヒットした。

https://www.youtube.com/watch?v=OklkbAQj_TQ

ちあきなおみ版

https://www.youtube.com/watch?v=vzmEkX9ftnI

 

(58)若いお巡りさん(昭和31年)

井田誠一作詞、利根一郎作曲で曽根史郎が歌った。警察は、市民の味方、優しい警察というイメージを創りあげる。夜の巷は、当時どこかに行くにしても若者には金がないから、公園のベンチは恋病の恋人達で満杯となる。大衆のエネルギーというものは恋病の流行によりもたらされる。

https://www.youtube.com/watch?v=VLZYN1y9QXQ

 

(59)母さんの歌(昭和31年)

窪田聡作詞・作曲である。うたごえ運動で広まった。うたごえ運動とは、戦後の大衆的社会運動・政治運動の一つである。日本共産党員であった声楽家の関鑑子が運動の創始者ともいわれている。昭和31年には、新宿にうたごえ喫茶「灯(ともしび)」が開店している。

 

(60)踊子(昭和32年)

喜志邦三作詞、渡久地政信作曲で三浦洸一が歌った。

https://www.youtube.com/watch?v=MisaCScN-u8

 

(61)柿の木坂の家(昭和32年)

石本美由紀作詞、船村徹作曲で青木光一が歌った。昭和30年代に確立する戦後演歌の代表曲と言ってもよい。聞き比べをどうぞ。

青木光一版

https://www.youtube.com/watch?v=CtIwNiWeMuo

ちあきなおみ版

https://www.youtube.com/watch?v=5J9yASOrCTI

船村徹版

https://www.youtube.com/watch?v=I9dIh_Cg3dw

 

(62)男の友情(昭和32年)

高野公男作詞、船村徹作曲で青木光一が歌った。船村節である。

船村徹版

https://www.youtube.com/watch?v=4C-ByVDhj2k

ちあきなおみ版

https://www.youtube.com/watch?v=_jHUdMYQIB0

 

(63)チャンチキおけさ(昭和32年(昭和31年デビュー))

門井八郎作詞、長津義司作曲で三波春夫が歌いヒットした。

宴会の登場である。日本の宴会は、昔からあるが、戦後も落ち着きはじめたこの頃から、接待や社内宴会等が盛んになる。森繁久弥主演の「社長シリーズ」は、昭和31年から始まる。

https://www.youtube.com/watch?v=A9DZxPXDFWY

島津亜矢

https://www.youtube.com/watch?v=wy5npKxxfZs

 

船方さんよ(昭和32年)

作詞:門井八郎、作曲:春川一夫

https://www.youtube.com/watch?v=8123H6vnnTM

雪の渡り鳥

作詞:清水 みのる 作曲:陸奥 明

https://www.youtube.com/watch?v=NTS_Of0U4So

島津亜矢版

https://www.youtube.com/watch?v=W_WsznQd-FM

 

(64)どうせひろった恋だもの(昭和31年)

野村俊夫作詞、船村徹作曲で初代コロムビア・ローズが歌ってヒットした。船村徹はこういう曲も作る、多才な人である。そうでなければ、昭和演歌などは到底難しいかもしれない。

この歌は面白い。恋病が悪化して別れた女の本当の気持ちだ。捨てちゃうのである。そこへいくと、男の未練たらしさは、歌にするのもはばかれる。

https://www.youtube.com/watch?v=ldzTqFZGwxk

初代コロムビア・ローズは、翌年この歌も大ヒットとなった。働く女性の登場である。

東京のバスガール(昭和32年)

作詞・丘灯至夫、作曲上原げんと

https://www.youtube.com/watch?v=kHFoO4L-KVw

 

(65)港町十三番地(昭和32年)

石本美由起作詞、上原げんと作曲で美空ひばりが歌って大ヒットする。歌いやすさ、調子の良さ、旋律の新鮮さ等、曲調が美空ひばりの声質とあった、日本を代表する歌謡曲と言えよう。

https://www.youtube.com/watch?v=rDMuUnz2dhw

島津亜矢版

https://www.youtube.com/watch?v=IoKLG5WHYcA

 

(66)夜霧の第二国道(昭和32年)

宮川哲夫作詞、吉田正作曲でフランク永井が歌ってヒットした。これも旋律とフランク永井の低音がマッチした代表的な曲である。この頃から、歌手の声質、技量と旋律が重視される。大衆の耳が肥えてくるのである。

https://www.youtube.com/watch?v=An8zO43pMBo

フランク永井のヒット曲は、この後も続く。

俺は寂しいんだ

こいさんのラブコール

西銀座駅前

羽田発7時50分

有楽町で逢いましょう

 

(66)喜びも悲しみも幾年月(昭和32年)

木下忠司作詞・作曲、若山彰が同名の映画の主題曲として歌いヒットする。

戦後12年がたった。戦前、戦中、戦後を生きた灯台守の夫婦の生涯を描いている。この時代をリードした平均人大衆の思いがこもった映画である。これも、同年代よりも少し若い母に連れられて、続き映画を見に行ったことを思い出す。

https://www.youtube.com/watch?v=RdBCwnn7erE

 

<膨大な昭和歌謡の誕生>

整理するのがなかなか大変であった。占領政策の終了と同時に、それこそ歌謡曲が爆発するのである。朝鮮戦争の終了、紙の統制廃止、木材緊急輸入、経済復興と経済成長、東京一極集中、現代につながる社会基盤が形成される時代であった。しかし、昭和31年の厚生白書では、1千万人もの低所得層が復興経済下で取り残され、医療保険未加入者は国民の1/3にも登ると言っていた。復興経済の中では、戦前の軍事態勢を担った政治家が権力を持ち始め、闇商売から財をなした一部の富裕層、ホワイトカラーと低所得ブルーカラーという大衆構造は、その格差を広げていたのである。

 

この時代の歌謡曲を分類することは、もはや困難である。しかし、ただ一つ言えるとすれば、未来を予感させるような歌謡曲などは存在しないということである。歌は世相であり、大衆の様相を示しているのである。オルテガが言うように、この時代から大衆が支配する社会が始まった。大衆が社会的権力を行使するとは、権力そのものは全能でありながらその日暮しなのであることを意味する。田端義夫が歌った玄海ブルースに、「並に浮き寝のカモメ鳥」という詩がある。股旅ものの演歌も同様の情感を歌う。オルテガは、「波のまにまに漂う人間」と大衆を表現した。オルテガの大衆論については、次回にじっくりと論じることにしよう。

 

歌謡曲の爆発時代を迎えた。次回は昭和33年から昭和41年までにしてみよう。ものすごい数の歌謡曲がそれこそ爆発的に生み出される。日本人が作り出した。それも売るために作ったのである。爆発したのは歌謡曲だけではない。大衆が爆発したのである。

 

2023/05/21

2023/05/11

この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―昭和21年~昭和26年―

この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―昭和21年~昭和26年―

秋 隆三

 

<始まりはリンゴの唄だった!>

この歌は、Wikipediaによれば、昭和20年10月11日に公開された映画「そよかぜ」の主題歌である。昭和20年12月14日には、NHK「歌と軽音楽」で初めて放送されたとある。映画の内容は、一人の少女がスター歌手として成功するまでのハートウォーミング 映画である。それにしても、戦後2ヶ月も経たぬ間に制作したとは驚きである。

歌詞は、4番まであり、有名な出だしの詩は下記のとおりである。

赤いリンゴに 口びるよせて

だまってみている 青い空

リンゴはなんにも いわないけれど

リンゴの気持は よくわかる

リンゴ可愛いや可愛いやリンゴ

出典: リンゴの唄/作詞:サトウハチロー 作曲:万城目正

   https://www.youtube.com/watch?v=Gf0jDTOyF4U

 

歌詞の解釈については、種々の出版物があるので、それを参考にしてもらいたいが、概ね、愛しい彼女をリンゴに見立てて歌ったものだろうと想像はできる。一方では、戦争で亡くなった多くの命のいとおしさをリンゴに託したとも読み取れるが、少し読み過ぎかもしれない。

サトウハチローは、昭和20年8月に広島原爆により実弟を失い、広島まで弟を探しに行っており、肉親の死から間もなくこの詩を作っている。戦前に作ったという説もあるようだが、戦前では如何にサトウハチローでも作れないと思われる。映画の脚本を見てから作ったとのことであるが(Wikipediaより)、映画の内容は主人公の少女が恋人と仲違いし、実家のリンゴ農家に帰ってしまうことから、この詩が生まれている。

私には、実弟を被爆で失った悲しみの中で、ひたすら与えられた仕事に向かうサトウハチローの姿が目に浮かぶ。戦後、大衆は、このサトウハチローの姿そのものだったのではなかろうか。親しい人を失うという悲しみは、耐えることさえ難しく、ただただ今の生それさえも認識できず、すがるものがあればひたすらそれと対峙するしかない。

曲は、万城目正の作曲である。これはもはや行進曲以外の何ものでもない。万城目正は、「やけくそ」で作ったのではないかと思われる。徹底的に明るくやってやれという、破れかぶれの曲のように思われてならない。

 

人の悲しみは、大きく二つに分けられる。一つは、人生の失敗であり絶望である。これは、あくまでも個人の問題であり、言わば自己責任によって引き起こされた絶望である。この場合、行進曲では癒やされない。ますます絶望に追いやられる。絶望を癒やしてくれる曲調は、これ以上はないという絶望の曲の方が癒やされるのである。クラシックで言えば、ラフマニノフのピアノ協奏曲のような曲調だろう。

一方、肉親の死のように、鮮明な記憶とともによみがえる悲しみに対して、悲しい曲調は、さらに悲しみの記憶をよみがえらせ、ますます悲しみのドン属に落ち込ませる。死を受け入れることができるような曲調でなくてはならない。叙情歌もいいし行進曲もいい。元気のでる演歌なんかも適しているかもしれない。つまり、記憶を呼び戻さない、考えなくてよい曲が必要なのである。

敗戦国の大衆は、これ以上はないという悲哀の中で、過去から現在につながる記憶を一時的に封印し、今を生きる精神を必要としたのである。

歌謡曲は何が当たるか皆目見当が付かないそうである。当時の知識人達のこの映画と挿入歌に対する評価は、最悪・最低である。しかし、ヒットした。知識人達が脳で考えたものがヒットしないという典型的な事例である。

時代の感性を理屈抜きで、つまり理性的ではなく情動で受け止めることができなければヒット曲は生まれない。王陽明が言った「心即理」とはまさにこのことである。感性と知性との反復運動であり、そのことから生まれる技術―悟性(カント)が時代の精神を形にするのである。

 

昭和21年にヒットした曲は、「リンゴの唄」以外には、田端義夫が歌った「かえり船」ぐらいであり、他にはほとんどないのではないだろうか。レコーディングされた曲があったとしても記憶に残るような曲ではなかったかもしれない。「リンゴの唄」以外の歌謡曲は、本当は、誰も歌いたくなかったのだろう。食べるものさえない年だったのだから。

 

昭和22年から新曲が徐々に増加する。戦争の記憶を少しづつではあるが封印し始めたのである。

 

さて、考えてみるまでもなく、第二次世界大戦後、既に77年が経っている。この年数は、明治維新から昭和20年までの期間に相当する。昭和20年に明治維新から明治時代の全期間の明治大衆精神を、明治歌謡曲(明治時代の歌謡曲は多分なかった)を通して分析することは音の記録がほとんど無いのだから不可能である。明治24年には国産1号機となる蓄音機が制作され、明治後期には発売されているので、何とか音の記録を聞くことは出来るが、戦後の歌謡曲流行とはほど遠い時代なのである。

 

奇しくも、明治維新から77年目が昭和20年の敗戦であり、昭和21年から令和5年が同様に77年目にあたる。昭和初期の大衆は明治維新などは、遠い昔のことであると考えていたに違いない。明治が「いい時代」だと思った者はそう多くはないだろう。何せ、明治維新前後と言えば、まだ侍がいて、腰には人斬り包丁を差し、頭はちょんまげなのである。現代人はどうだろうか。

オルテガは、「時代の高さ」の感情について論究している。ここでいう「時代の高さ」とは時代の水準、時代の大衆の感情、時代の生と言ってもよい。「昭和はいい時代だったね!」という言葉をときどき耳にする。この「いい時代」には、様々な意味を含んでいる。科学技術、政治、経済等に関する歴史的水準は、向上している。少なくとも過去に戻ることはない。オルテガは、「ほとんどの時代が、自分の時代が過去の時代より優れているとは考えない」というのが一般的な感情であると言う。オルテガの言う時代の高さとは、人々が抱く過去への思慕、いい思い出と言ってもよい。科学技術、政治、経済は確実に向上するが、大衆の生(生きていくこと)は、親子、友人、隣人、地域社会との関係においては情動、道徳・倫理といったもので支配される。生活水準の向上は、合理性の追求においてこれらのなにがしかを犠牲にしてはいないだろうか。もう一方では、オルテガが指摘するように、文化芸術、政治、経済、科学技術等の過去のシステムでは、未来に直面するであろう問題の解決は困難となり、まさに「今日的な次元において」解決してゆかなければならないのである。大衆の感情と大衆が支配する社会の今日的問題とには大きな乖離が生じる。大衆は、こういった大衆支配社会の今日的問題について考えることはない。オルテガが、「時代の高さ」で言いたかったことはこの矛盾であると思われるが、やや舌足らずの説明になっている。

 

昭和20年の敗戦は、過去の時代への感情さへも封印した。

 

オルテガはさておいて、昭和歌謡を続けることにしよう。

 

 

<昭和22年~昭和26年>

 

歌謡曲の分類は極めて難しい。大衆の様相を分類することと大差ないからである。そのため、手当たり次第に、私の好みを優占して曲目を挙げていくことにする。

 

(1)啼くな小鳩よ(昭和22年)

高橋掬太郎作詞、飯田三郎作曲で岡晴夫が歌ってヒットした。

この高橋掬太郎の有名な歌謡曲は「酒は涙かため息か」(昭和6年)、「古城」(戦後最大のヒット曲300万枚)等がある。

この詩は全く意味不明であり、ほとんど意味がないのかもしれない。

啼くな小鳩よ 心の妻よ

なまじ啼かれりゃ 未練がからむ

たとえ別りょうと 互の胸に

抱いていようよ おもかげを

別れた女の事を思った唄なのか、これから戦場に向かう男の心情なのか、お互い好き合ったが未練無く別れようといいながら、男の方が未練たっぷりということを歌ったのか、さっぱりわからないが、歌詞の内容とは異なり、曲はやけに明るい唄である。岡晴夫という歌手は後からも登場するがやたら明るい声なのである。

https://www.youtube.com/watch?v=yGO4ky5TEF8

 

(2)星の流れに(昭和22年)

清水みのる作詞、利根一郎作曲で菊池章子が歌ってヒットし、累計80万枚とも言われる。

子供の頃に、多分5歳頃だと思うが、「こんな女に誰がした」と歌っていたら、母親が笑っていたことを思い出す。戦後、食うために娼婦に身を落とした女の唄である。昭和33年の売春禁止法罰則施行で時代は転換点を迎えることになる。

詩・曲調はどこか居直った感じであり、「文句があるなら言ってみろ。国が悪いんだ、国民全員の責任だ」と叫んでいる。終戦から2年が経ち、戦後のどさくさが落ち着いてきて、ふと敗戦を振り返ると、この国は何をしたんだという感慨が国民大衆に広まったのだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=n2zA0cxabc0

 

(3)港が見える丘(昭和22年)

東辰三作詞・作曲、平野愛子が歌ってヒットし、累計45万枚と言われる。

この曲も、恋をして二人で港が見える丘に来て、そこで別れて、忘れられずまたその丘に来たという歌詞である。曲調は、寂しくもなく楽しくもない。ただ、何となく欧米風の雰囲気が漂う、冷めた男と女の失恋の唄といったところだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=CPXbMtuKn7g

 

(4)山小屋の灯(昭和22年―昭和17年作)

米山正夫 作詞・作曲、近江俊郎が歌った。

現代でも、歌われることの多い唄の一つであり、歌謡曲というよりは、子供も歌える日本の叙情歌の一つである。当時はNHKのラジオ歌謡として発表されている。このラジオ歌謡(戦前は国民歌謡)は、その後のテレビのみんなのうたへとつながっていく。真面目で健全な子供達を育てるために、教育的な歌謡曲を広めようということだ。

しかし、このラジオ歌謡はとてつもなくヒットする。小学生や中学生という子供達よりは、若い学校の先生、青年男女に受けた。娯楽のない時代に、男女が一緒になって合唱して楽しむことができたのである。昭和20年代後半から登山ブームが起き、若い男女がそろって山に登り、このラジオ歌謡を歌うのである。

ラジオ歌謡、みんなの唄でのヒット曲は、昭和40年代以後の年代になると、ぷっつりと無くなる。

https://www.youtube.com/watch?v=IWCqtksd44w

 

(5)夜霧のブルース(昭和22年)

島田磬也作詞、大久保徳二郎作曲で、ディック・ミネが歌った。

水島道太郎主演映画「地獄の顔」(松竹)の主題歌である。人の善意に救われ更正していく人間の姿を描いたものだが、戦後のどさくさにはびこる悪に対する大衆の善と正義である。

https://www.youtube.com/watch?v=qY0VTs8lHZ4

 

(6)憧れのハワイ航路(昭和23年)

石本美由起作詞、江口夜詩作曲で岡晴夫が歌ったヒット曲である。現代でもよく歌われる、ハワイ観光の唄と言っても良い。

真珠湾攻撃から7年後に、自ら攻撃したハワイにあこがれる。何とも複雑な心境であるが、真珠湾攻撃は、もはや忘却の彼方である。戦後歌謡曲の代表的作詞家である石本美由起が本格的に活動を開始した。

https://www.youtube.com/watch?v=u49x6U5T15U

 

(7)異国の丘(昭和23年)

増田孝治作詞、吉田正作曲(昭和18年の作曲)で竹山逸郎が歌ったヒット曲であり、累計50万枚である。

シベリア抑留者が、必ず帰れるという故国への思いを歌ったものである。この曲の中に、「我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ」という歌詞がある。昭和23年は、まさに我慢の年であった。新円切り換えと猛烈なインフレとなったところに、昭和24年初めにドッジラインという占領経済政策による金融引き締めを行ったため、大不況となった。まだまだ、先が見えない時代であった。それこそ、嵐が過ぎれば、晴れの日が来るのだ。民族の精神・思想というものは、その国の風土と密接に関連している。有史以前から数百年に一度は発生する大地震、毎年決まって襲ってくる台風、この国の国民は、嵐が過ぎ去るのをじっと耐え、その都度立ち上がるのである。この戦後の立ち上がりの早さは、物質的な回復以前に伝統的自然観による大衆の精神性にあると思われる。

https://www.youtube.com/watch?v=9hkoI_r3MLM

 

(8)東京の屋根の下(昭和23年)

佐伯孝夫作詞、服部良一作曲であり、灰田勝彦が歌った。若い男女のデートで、東京見物をしている。「何にも無くともよい」、東京は二人の夢の街・希望の街なのだ。東京中はアベックであふれている。東京は世界の憧れだと歌う。服部良一の登場である。これまでの曲調とはがらりと変わり、戦前では考えられなかった西欧風の香りがぷんぷんとする。いよいよ、恋の時代の始まりである。前回掲載の(序)で示したように、この時期の結婚適齢期に当たる20歳から35歳の人口構成を見ると、男性より女性の人口の方が多いのである。当然である。男が戦死して人口が減ってしまったのだ。恋を渇望したのは女性の方であったかもしれない。いずれにしても、恋は病気である。感染する。これからしばらくの間、恋病という感染症が日本に蔓延する。

 https://www.youtube.com/watch?v=gn9SpOvzMrk

 

(9)東京ブギウギ(昭和23年)

鈴木 勝作詞、服部良一作曲であり、笠置シズ子が歌い累計70万枚に達した。

またしても、服部良一である。ブギウギとは、ブルースと並んで、ジャズリズムの一つであり、コード循環に従ってピアノでは左手でリズムをとり、右手で即興変奏する。アメリカ文化が体感できる陽気な唄である。

https://www.youtube.com/watch?v=9FCmuZXLt9g

 

(10)フランチェスカの鐘(昭和23年)

菊田一夫作詞、古関裕而作曲で二葉あき子が歌った。これもジャズ風にスイングしている。

女性の別れ話を真に受けた男が修道院に入るという内容だが、後に原爆被害者への鎮魂歌のイメージが強くなった。それにしてもだ、女性から「さよなら、バイバイ」と言われて修道院に入るとは、戦後の男の軟弱さはこの時から始まっていたのか。

https://www.youtube.com/watch?v=9q18E0h4GfM

 

(11)青い山脈(昭和24年)

西條八十作詞、服部良一作曲で藤山一郎と奈良光枝が歌った。国民的歌謡曲の誕生である。石坂洋次郎原作の日本映画「青い山脈」の主題歌であり、映画は何度もリメークされている。

昭和22年学校教育法の公布に伴い新制高校が誕生した。それと共に、新制女子高生が古い道徳観念に疑問を持って挑戦していく姿に、国民的共感を読んだものである。映画のリメークが1988年まで5回行われており、1963年のリメーク版までは大ヒットしているということだから昭和38年までは、大衆に新鮮な共感となったに違いない。時代の転換点の一つを示している。

https://www.youtube.com/watch?v=P-QUP13GAeA

 

(12)悲しき口笛(昭和24年)

藤浦洸作詞、万城目正作曲で美空ひばりが歌った。当時45万枚、累積110万枚と言われる。

この昭和24年は、大不況・デフレ時代の一つであるが、レコードの売上はどんどん伸びていく。

美空ひばりの登場である。12歳の少女が、燕尾服を着て、大人びた恋の唄を歌う。恋病の続きだ。

https://www.youtube.com/watch?v=_RVg1vpZXto

 

 (13)銀座カンカン娘(昭和24年)

佐伯孝夫作詞、服部良一作曲で高峰秀子が歌った。累計85万枚のヒットである。

高峰秀子、笠置シズ子の同名主演映画の主題歌である。落語家の居候となった高峰秀子と笠置シズ子の姉妹が職を探して歌手として成功していく物語である。出演料で1000円という大金を手にするというのであるから、当時の報酬の程度が推察できる。何せデフレ不況の真っ最中なのだから。戦後の暗い時代に、せめて唄で吹き飛ばせという祈りさえ感ぜられる。

https://www.youtube.com/watch?v=lMd0l_mT-GY

 

(14)さくら貝の歌(昭和24年(昭和14年))

土屋花情作詞、八洲秀章作曲であり、ラジオ歌謡でヒットした。辻輝子、岡本敦郎等が歌っているが、数多くのクラシック歌手も歌っており、日本の歌曲といったところである。

倍賞千恵子版を掲載している。

https://www.youtube.com/watch?v=HIQZcGHlUuM

 

 (15)長崎の鐘(昭和24年)

サトウハチロー作詞、古関裕而作曲であり、藤山一郎が歌った

戦後4年を経て、やっと戦争被害者への鎮魂の唄を国民が受け入れるようになったと言えよう。占領統制下にあり、戦争、原爆などの言葉を使うことがきでなかったため、戦争、戦死に関する言葉は一切詩の中にはない。死の記憶と向かう感情を、いちいち考えるのではなく素直に理性が受け入れるためには、これだけの時間がかかるのである。

https://www.youtube.com/watch?v=wbq6mFL641w

 

(16)玄海ブルース(昭和24年)

大高ひさを作詞、長津 義司作曲であり田端 義夫が歌った。戦後演歌の始まりといっても良い。この人は戦前から人気があった。

田端義夫版である。

https://www.youtube.com/watch?v=D2-dcD39vZE

ちあきなおみ版である。これはうまい。

https://www.youtube.com/watch?v=GNLz1Y06iWo

 

(17)イヨマンテの夜(昭和25年)

菊田一夫作詞、古関裕而作曲であり伊藤久男が歌った。アイヌをテーマとした初めての歌謡曲であり、君の名はの主題歌である「黒百合の唄」が加わる。

https://www.youtube.com/watch?v=jBWSe3EGOBY

 

(18)白い花の咲く頃(昭和25年)

寺尾智沙作詞、田村しげる作曲した歌謡曲で、岡本敦郎が歌っている。ラジオ歌謡でヒットした曲である。賠償千恵子版を掲載した。

https://www.youtube.com/watch?v=I6H6ZDuLnOQ

 

(19)ダンスパーティの夜(昭和25年)

和田隆夫作詞、林伊佐緒作曲、林伊佐緒歌である。

失恋の歌である。これも別れ話は女からである。女性の方が多いのだから、次の女性はいくらでもいそうなものだが、何とも未練がましい男の歌である。この時代の男の未練がましさは際立っている。これもまた、恋病の流行のせいだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=VZSVVFRg068

 

(20)東京キッド(昭和25年)

藤浦洸作詞、万城目正作曲であり、美空ひばりが歌った。この年には美空ひばりの越後獅子の唄も出している

https://www.youtube.com/watch?v=ywebYqsCxbo

 

(21)越後獅子の唄(昭和25年)

西条八十作詞、万城目正作曲、歌は美空ひばりである。これまでの洋風の歌から日本調の歌へと変化し始める。

https://www.youtube.com/watch?v=PwiD6W6aS6g

 

(22)星影の小径(昭和25年)

矢野亮作詞、利根一郎作曲であり、小畑実が歌った。小畑実では何となくしっくりとこないが、ちあきなおみのカバーが素晴らしい。このちあきなおみと言う人は、美空ひばりがいなければ、恐らく昭和歌謡最高の歌手ではないかと思われる。演歌からムード歌謡まで、際立っている。歌手のうまさの条件は、音楽的技術は当たり前であり、耳がよくなくてはとても高度な技術は発揮できない。これ以外に天性の条件がある。声の質である。品が良く、艶があること。低音部の響きが抜きんでていなければならない。高音部は、美空ひばりのような裏声もあるが、裏声は聞きにくい。裏声でなくピアニッシモで発声できること。情景に逢わせた多様なビブラートが使い分けできること。声質が変えられるか。語りかけが自然にできるか。正確な日本語の発音ができるか。等々である。ちあきなおみはほぼ全てを揃えていると言えよう。ちあきなおみ版を掲載する。

https://www.youtube.com/watch?v=pOtU2M9ZeQU

 

(23)水色のワルツ(昭和25年)

藤浦洸作詞、高木東六作曲の歌謡曲。二葉あき子が歌った。現代まで歌いつながれる日本歌曲とも言えよう。倍賞千恵子版を掲載した。

https://www.youtube.com/watch?v=XurckOX8XvY

 

(24)あの丘越えて(昭和26年)

菊田一夫作詞、万城目正作曲であり、美空ひばりが歌った。

https://www.youtube.com/watch?v=-cFW5Lb8lUw

 

(24)高原の駅よさようなら(昭和26年)

佐伯孝夫作詞、佐々木俊一作曲であり、小畑実が歌った。これまた恋病の歌であり、内容は少し複雑な関係の男女のもつれ合いであり、別れを題材にしているがたいしたことはなさそうな物語である。

https://www.youtube.com/watch?v=n1zi1rYSScI

 

(25)上海帰りのリル(昭和26年)

東條寿三郎作詞、渡久地政信作曲であり、津村謙が歌っている。戦前のアメリカ映画の主題歌から一部借用したとされている。アンサーソングといって「リル」をテーマにした曲も出ている。

https://www.youtube.com/watch?v=myYFBcmLJcU

(26)私は街の子(昭和26年)

藤浦洸作詩、上原げんと作曲であり、美空ひばりが歌った。何故この曲がヒットしたのかは、ほとんど意味のない詩なので不明である。曲調が、歌手の年齢と合致し、天才歌手の名声もきいたのかもしれない。どんな曲がヒットするかは、全く解らないのである。

https://www.youtube.com/watch?v=-1mIEE8IU60

 

 

 <占領統制下の大衆>

 

レコード、ラジオ、映画等の全ての情報は、GHQの統制下にあり検閲を受けていた時代である。

それも、戦争、原爆、占領等の言葉、悲惨さや鎮魂、慰霊のイメージはことごとく禁止された。アメリカ風の曲調、例えばジャズや行進曲が推奨された。恐らく、日本調のこの時代の後に爆発的に出てくる演歌についても、民族性を誇張することからかなり厳しかったに違いない。その中で、田端義夫の「玄海ブルース」は、演歌であるが内容は明るく(しかし曲調は日本人には響く)、ほぼこの1曲といってよい(菅原都々子が歌った「連絡船の歌」があるが、昭和演歌とは少し違う気がする)。

 

私が挙げた26曲を通して、アメリカ風・洋風の曲調、日本歌曲とも言える叙情歌、今後出てくる演歌の走りとも言える恋病の歌、鎮魂歌、ただただ明るい行進曲といったような分類ができよう。

しかし、明らかに戦前の詩・曲調とは変わってきた。食べるものさえない時代にレコードを買うのである。「花より団子」というが、この時代、「団子より花」を選択する大衆が多く存在した。精神の乾きなのである。世の中は殺伐とし、大衆は貧困にあった。積み上げてきた歴史的生活水準が一挙に崩壊した。まさに、貧困では圧倒的平均人と化した大衆の乾ききった感情に歌謡曲は何の抵抗もなくしみ通っていったに違いない。声を出して、みんなで歌うことが、厳しい状況における共感であったことも事実である。

この時代を前後して、うたごえ運動が起こる。ロシア民謡、ラジオ歌謡等を取り上げ、労働歌、大衆歌等として学生、労働者を中心に広まっていく。

大衆は、したたかである。政治的意図よりも遙かに複雑にかつ多様な歌謡曲を求める。求めるというよりも、歌謡曲市場が片っ端から作り出した歌謡曲を大衆が選択するのである。

 

 

次回は、昭和27年から昭和32年までを見ていこう。

2023/05/11

2023/05/05

この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―序―

この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―序―

秋 隆三

 

思想とは、人の思いであり共感である。確固たる思想などはないとも言える。それでも思想は片時も休むことのない社会・時代の中にあって、少し先へと人々を突き動かす。

思想とは何か? スペインの哲学者オルテガは、著書「大衆の反逆」の中で次のように書いている。「思想とは真理に対する王手である」と。王手にもいろいろある。持ち駒があれば、ある意味、いつでもどこでも王手はかけられる。こういった王手となる持ち駒も、思想と言えなくはない。しかし、一手早く相手を詰ませられなければ、王手と言うには憚れる。

オルテガは、思想とは教養でもあると言う。大衆にそれほどの教養があるとは思えないから、大衆の思想と言い切るのには勇気がいる。思想とは言えないまでも、精神とならば何かを語ることも出来そうである。

この国の精神」に真っ向から挑んだ文献は、「日本精神の研究」など、かつて説明したように3冊あった。いずれも大正時代に三人の血気盛んな青年達によって書かれたものであるが、同時代のスペインでは、情熱に燃えた中年のおじさんが大衆の反逆への思想的挑戦を企てた。

 

<大衆とは?>

  注:ここでは、オルテガの「大衆の反逆」から引用しつつ、昭和の大衆の皮を少し剥いでいる。「大衆の反逆」の詳細については下記をお読み下さい。

  「大衆の反逆」  オルテガ・イ・ガセット著 神吉敬三訳 ちくま学芸文庫

 

オルテガが「大衆の反逆」を著したのは、オルテガ47歳、1930年の世界恐慌の真っ只中であった。日本精神に挑んだ日本の青年達は、当然オルテガの著書等は知るよしもなかったに違いない。奇しくも、オルテガが「大衆の反逆」を著す20年前(正確には1908年第1巻、1912年第2巻)には、かのシュペングラーが「西洋の没落」を著している。文明の歴史的考究から、ヨーロッパのキリスト教文明は既に衰退期に入り、いずれ没落するというものである。

 オルテガは、第一次世界大戦後の1920年代に突如として出現した群衆=大衆が、完全に社会的権力の座に登ったという事実に直面して、ヨーロッパが最大の危機を迎えたことを直感し、大衆の反逆の様相に迫ろうとした。この場合、反逆や大衆、社会的権力等の言葉に、政治的な意味を与えることを避ける必要がある言っている。つまり、政治の影響というような単純な現象では説明がつかない程に複雑なのである。政治的とは極めて狭い領域を指し、政治が介入する以前の社会環境全般(知的、道徳的、経済的、宗教的、風俗・流行的等一切の集団的慣習)を含むものであるからである。

こういった状況、状態、つまり様相を分析・整理し、その一つ一つの要因を論究することは、容易ではない。一方で、オルテガは、その様相を指摘することは簡単だと言っている。オルテガは、当時の群衆の様相について、「ホテルは泊まり客で、汽車は旅行者で、道路は歩行者で満ちて」いるとし、様相を示すとすればただこれだけのことだと言う。

オルテガの示す大衆とは、特定の集団、例えば労働者集団などではなく、「平均人」であり「特別の資質をもっていない人々の総体」を指している。少し厳密に言えば、「善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「全ての人」と同じであると感じ、・・・・・他の人々と同一であると感ずることに喜びを見いだしている」全ての人のことである。それでは、政治との関わりについてはどうなのだろうか。大衆が政治にあき、政治運営を専門家に任せきっていると解釈するのは間違いであり、事実は全く逆であるという。そこら辺の茶飲み話を実社会に強制し、かつ法律を作る支配権さえ持っていると言うのである。これは政治的問題だけではなく、知的分野でも同じだと、オルテガは主張する。さらに、オルテガは、すべての人と同じ考え方をしない者は締め出される危険にさらされ、かつ「すべての人」とは今日、ただ大衆を意味するにすぎなくなったと言う。

 

振り返って現代を見ると、このオルテガの主張、大衆の実相、残酷な大衆支配なるものが、現実社会であることを実感するのは、私一人であろうか。

 

話は逸れるが、近くのホテルでお茶を飲んでいると、幾組かの老夫婦が同様にコーヒーを飲んだりアイスクリームを食べているのをよく見る。しかし、少し観察すると、どの夫婦も会話することなくスマホと向き合っているではないか。私は、スマホではなく今もってガラ系の携帯電話であるが、外出する時だけ持って出る。公衆電話がないので何かあったときの用心である。この夫婦達にとって夫婦の会話はもはや必要無く、スマホがあればよいのである。

温泉につかっていると地元の老人達の会話が耳に入ってくる。しかし、会話している老人達は極めて少なく、その少ない会話を聞いていると、これが激動の昭和を青年として生きた人間の会話かと耳を疑う。ゴルフの成績はどうだった、天気はどうなるか、畑の状態、病気・健康状態程度の話である。どうでもいい会話である。ウクライナの戦争、中国・日本の社会・経済、若者達の行く末、さらにはわが国の古代史の嘘が暴かれている等々、驚愕の時代を迎えていることには全く興味がない。

少しは社会問題に興味ある老人が、東京から来ていた若者にウクライナ問題はどう思いますかと問いかけているのを聞いた。すると若者は、「僕はそういう問題はちょっと」と言って、そこそこにお湯から出て行ってしまった。

現代日本の大衆は、もはや茶飲み話を実社会に強制するエネルギーさえ失ったのかもしれない。

 

<戦後昭和時代とは>

 

昭和20年8月、終戦となった。長い戦争が終わった。よくもこれだけの戦争をしたものだと思うと同時に、よくもこれだけ耐えたものだと思わざるを得ない。ウクライナの戦況を目にするが、首都キーウへの空爆はあるものの、ほとんど日常の風景である。第二次世界大戦の東京やドイツベルリンの映像を見ると、もはや焼け野原と化している。

昭和時代は、戦前の20年と戦後の43年の63年間であるが、ここでは戦後昭和時代を対象にすることにした。戦後昭和は、まずGHQの占領体制から始まる。占領期は、昭和20年(1945年)9月2日の降伏文書調印から昭和27年4月28日の平和条約の発効までの僅か6年8ヶ月の期間であるが、この時代に作られた日本国憲法、民主主義、政治制度、農業制度、金融経済システム、安全保障制度等の国家の枠組みは、憲法を除いて時代とともに変化はしたが、考え方は現代にそのまま受け継がれている。

さらに重要なことは、戦前から戦後にかけて占領体制においても戦前の社会資本によって戦後体制が再構築されたことである。国、都道府県、市町村という行政機構とその組織・人、大学等の教育組織・人、一度は解散された財閥が再構築された経済界という資本家組織・人等である。軍隊を除く行政組織のエリート層はほとんど全てが、そのまま戦後体制に持ち込まれた。これが、所謂、少数の選ばれた人々と言える国民層であるかもしれない。その他全ての国民階層が大衆へと劇的に変化した。華族、士族の廃止、地主・小作人の廃止、婦人参政権・普通選挙等々であり、群衆の充満、大衆の出現である。この突然の大衆の出現は、現代に至るまで一つの社会危機の要因でもあると考えられるのである。

占領体制が終焉し、朝鮮戦争の勃発は戦後復興の絶好の好機となった。神武景気の到来である、最盛期は昭和29年(1954年)12月から昭和32年(1957年)6月までの2年6ヶ月を指しているらしい。言論統制が解かれ、報道・表現が自由となり、その影響は、文化・芸術を含む大衆のあらゆる分野に及んだ。

この後も、岩戸景気(昭和33年―1958年―7月から昭和36年―1961年―12月)、いざなぎ景気(昭和40年―1965年―10月から昭和45年―1970年―7月)と、オイルショックの不況までほとんど不況らしきものはなく好景気が続き高度経済成長を成し遂げ、昭和の終焉ともいうべきバブル経済へと突入していくことになる。

世界もまた、昭和の終りとともに冷戦時代に幕を閉じることになる。世界を見ると、冷戦の終焉をもって世界の戦後は終わったといってもいいだろう。

日本だけではなく、世界が激動の戦後にあったのであるが、「大衆は、その変化を激動とは受け止めず、ひたすら変化を吸収しあるいは変化を積極的に求め、激動を心地よく受け止めていた」と言っても過言ではないかもしれない。

 

<なぜ戦後昭和歌謡なのか>

 

現代社会をどのように捉えるかには、様々なアプローチがあろう。例えば少子化社会、デフレ社会といった社会現象を歴史的要因から探る等である。しかし、歴史は必然である。現代の社会現象は、現代の大衆の精神によって生み出されている。過去の社会現象は、過去の大衆の社会精神が生み出したものである。

戦後に突然出現した大衆と変化の遅い少数の人々で構成された大衆社会という構造は、現代でも変わらない。オルテガが言う、大衆の生そのものである。ここで言う生とは、人々の営みであり、生きている社会のことである。大衆の様相は、群衆の充満状況で十分説明可能である。しかし、「大衆の精神」となると、その様相から探ることは難しい。

「大衆」という言葉は、辞書、Wikipediaによれば、仏教用語が語源らしい。高僧に支配された僧の意味合いで用いられたとある。日本でも、オルテガが用いたとほぼ同時代の大正時代に使われ初め、都市給与生活者のことだったようであるが、確かではない。

英語では、the general publicthe massesthe peoplepopular(ization)と言うそうであるが、それぞれ全く語源を異にするので、ニュアンスはそれぞれ違い、用いる場合には概念が異なるはずである。日本語になると、これらの概念の区別が付かなくなる。日本語の抽象性というのは概念表現に実に曖昧である。そのため、欧米の哲学的表現が難しくなる。つまり、欧米語では一語で足りる部分を長々と解説することになり、種々の哲学書の翻訳版の難解性となっている要因である。

いずれにしても、オルテガが定義した「大衆」である。大衆がつく言葉は沢山ある。大衆酒場、大衆映画、大衆文化、大衆文学、大衆食堂等々。これらのイメージの大衆が、所謂「大衆」である。

 

私の高校時代、受験勉強をそっちのけに日本文学全集、世界文学全集を読破した。しかし、これらの全集に載っていた日本文学に戦後の文学はなかったと記憶している。つまり、戦後の純文学で知られているのは何だったのか、読んだのか、全く記憶にないのである。知っているのは、大江健三郎、村上春樹、「安曇野の白い庭」の丸山健二ぐらいなものだ。

大学を出てから読んだのは、推理小説の松本清張、横溝正史、吉村昭、時代小説の司馬遼太郎、柴田錬三郎、池波正太郎、藤沢周平といったところだろう。どちらかと言えば大衆小説作家である。まさに文学の大衆化なのである。

 

音楽はどうかと言えば、そもそもわが国独自のクラシックなどはないので、まさに歌謡曲がわが国の音楽であるということになる。この歌謡曲という言葉は、Wikipediaによれば明治時代に欧米から入ってきた芸術歌曲を歌謡曲と言ったらしい。昭和初期のレコードには「歌謡曲」という表記が見られるので、この頃からであろう。一方では流行歌という呼び名もある。歌謡曲には、詩を伴うことから、旋律が流行するのではなくその詩が時代を反映したものとなり、大衆の共感を伴って流行する。

歌謡曲こそは、わが国の歴史において、初めて大衆の歌として広く歌われた。戦後大衆は、国歌は歌わなくとも歌謡曲は歌った。膨大な第二、第三の国歌がこの戦後昭和時代に誕生したのである。

戦後昭和歌謡曲は、昭和30年代に入ると爆発的に流行する。戦後に活動を開始した作曲家がそろい初め、レコードプレーヤーが安価に手に入り、ラジオが普及し、昭和30年代半ばにはテレビの普及も始まったことが要因であるが、まさに昭和歌謡の爆発期である。昭和40年代になるとそれまでの曲調とは異なる、新たな曲調、70年安保を機にフォークが登場することになる。

図-1は、昭和31年のわが国の人口構成であり、図-2は昭和の終わりである昭和63年の人口構成をグラフ化したものである。

戦後、昭和20年から昭和40年頃までの昭和歌謡を体現している年代は、恐らく昭和31年前後の生まれが最後ではないだろうかと思われる。この昭和31年以前生まれの総人口は、昭和63年には7千百万人であり、同年の総人口に占める割合は58%である。昭和歌謡にどっぷりと漬かった人口割合は、昭和20年の100%から昭和63年の58%へと徐々に低下していくことになるが、それでも昭和63年には昭和31年以後の生まれた人の幾分かを巻き込むと、多分70%以上の国民は昭和歌謡を聞き、昭和歌謡を歌っていたことになる。昭和の最後まで昭和歌謡は大衆歌謡として生きていたのである。

図-1 昭和31年の人口構成

画像3-1

図-2 昭和63年の人口構成

画像3-3 

(政府統計 e-Statより引用作成)

 

 <戦後昭和歌謡の変遷と大衆の精神>

 

戦後の歌謡曲をどのように眺めていったらよいかである。様相を示すことは簡単である。「あの曲がはやった。こんな曲も現れた」と、ただ列挙すればよい。現代に残っている昭和歌謡は、当時ヒットした曲である。ヒットするということは、売れたということである。戦前のプレイヤーの販売台数はそれほど多くはなく、ラジオの普及率も低かった。戦後の昭和25年頃から、これらの機器は急速に普及し始める。また、NHKラジオの番組内容もがらりと変化する。ラジオドラマの登場である。どんな音楽であれば大衆が聞くか、どんなドラマであれば大衆に受けるかが最大の問題であった。勿論、戦前にもあった。歌謡曲であれば、大利根月夜(昭和14年)、支那の夜(昭和13年)、名月赤城山(昭和14年)、誰か故郷を想わざる(昭和15年)、目ン無い千鳥(昭和15年)等々であり、数々の軍歌である。現代でも歌われているが、戦後にも同じ歌手で再レコードして発売されている。

戦後のヒット曲の量産は、戦前の比ではない。戦後、抑制からの解放と自由を得た大衆が何を求めているかを探ることは、極めて困難となった。数多くの思考錯誤の中からヒット曲が生まれてくる。つまり、過去の経験から今日的な大衆の欲求を探ることが困難な時代を迎えたのである。まさに、オルテガの言う、「大衆の反逆」の時代を迎えた。それも、オルテガが考察した時代よりも遙かに激しく、遙かに商業的であり、遙かに精神性に乏しく、遙かに変化のスピードは速かった。

戦後歌謡曲と言っても、恐らく1万曲を超える曲があるに違いない。そのうち、毎年100曲程度、レコーディングされるとしても4千曲を超える。一方で、毎年3曲程度のヒット曲が生まれるとしても千曲を超える歌謡曲が売れた。平成元年(1989年)版の1001(楽譜集)では、1200曲余りが掲載されているが、そのうち戦後昭和歌謡はおよそ1000曲である。

まずは、これを基に、時代の区切りを適当に(設定の基準は極めてあいまいである)設定して、戦後昭和の大衆の精神とは何であったかに迫ってみることにする。迫り方は、オルテガの論究の視点を参考にしつつやってみるが、精神であるから、その時代の大衆の心、あるいは大方の人々の情感に迫りながらその精神性を考察することになる。

これからの展開では、曲名・作詞者・作曲者・歌手を掲載しているが、歌謡曲そのものについてもYouTubeURLで併記した。歌謡曲を聴きながら読んでいただきたい。

この文章を書くにあたって随分と歌謡曲を聞き、懐かしさと同時に如何に素晴らしい日本の歌であるか感動し、歌手の技術の高さに感心した。掲載に当たってはオリジナル歌手だけではなくカバーしている歌手版も掲載している。

次回は、昭和21年から26年までの昭和歌謡である。

2023/05/05

2023/03/17

この国の精神 相も変わらぬ現代思想(3)

この国の精神 相も変わらぬ現代思想(3)

秋 隆三

<総務省と高市大臣>

 

野党立憲民主党の元総務省小西某が、高市大臣に対して8年前の行政文書を基に、放送法に関して、当時の安倍総理とただならぬ議論をしたのではないかということを追求したものである。結論から言えば、議論はどのような意見をもってしても徹底的にやれば良いので、議論をもってとんでもないことをしている等の問題提起は、それだけで委員会議論のテーマとしては、問題外であり、議長権限で却下されるのが当たり前であるが、民主主義の常識を踏み外した国会状況となっているということだろう。

しかし、ここまできたら、高市さん徹底的にやってもらいたい。放送・通信利権の巣窟となっている旧郵政組織を解体する覚悟が必要である。行政文書が小西某に渡った経緯などは、総務相では既に調査済みだろうし、高市さんが捏造を主張し続ける限り、この議論に終わりがない。そのため、総務省は国家公務員法違反を告発する義務があることから、高市さんが捏造を主張し続け、必要であれば告発も辞さないことを示すことにより、総務省は責任をとって刑事告発せざるを得なくなる。恐らく、総務省旧自治省系は、内心では絶好の機会到来と考えているであろうが、ぎりぎりの限界まで待つことになる。

直近のニュースでは、総務省の管理簿には高市さんが指摘する4枚の文書は掲載されていないとのことである。つまり、誰が何時作成したか解らないのだ。端的に言えば捏造してファイルしたかもしれないのである。ここまでくると、総務省も何らかの処分を行わなければなるまい。総務省の態度が明らかになれば、検察が自主的に動く可能性が高くなる。つまり、偽造・捏造・違反公文書の漏洩疑惑事件の捜査であるが、裏には利権問題もある。

高市さん、心理的に追い詰められるかもしれないが、ここは我慢です。ゼレンスキーのように、徹底抗戦の旗を掲げるべきです。勝利は貴方の方にあるのは100%間違いない。ゼレンスキーよりも遙かに楽です。主要メディアが何と言おうと、多くの国民は、高市さんを応援している。高市さんが頑張ることで、利権誘導機構を解体し、主要メディアに痛烈な一撃を加えることができる。それこそが放送の政治的公平性となるのだから。

それにしてもだ、こんな野党しかないのかと思うと、お隣の韓国政治の批判等はおこがましい限りである。自民党も自民党だが、こんな野党は潰してしまえ。

 

<欧米の銀行破綻

 

米国で二つの銀行が経営破綻した。預金高もかなりのものである。ヨーロッパでは、スイスの銀行が、以前からおかしいと言われていたがどうやら破綻の一歩手前まで来たようだ。大量の国債、住宅債券(抵当証券)を保有していたため、インフレ抑制のための高金利政策により、債券価格が値下がりし、含み損が発生したため、預金・債権の取り付けにより、預金額が減少してバランスが崩壊したとされている。ネット情報であるが、SDGsやESG関連企業の債券も相当額あるらしい。それが、今回のエネルギー危機によって、詐欺まがいの再生可能エネルギー企業が続出し、かつ、米国の再生可能エネルギーへの公共投資が頓挫したことで、債券価格が暴落したことが直接の原因ではないかとも言われている。国債や抵当証券等の長期債券の長期金利の変動幅はそれほど大きくなく、かつ長期の保有であるから経営破綻となることは考えにくい。むしろ、金融政策による短期金利の上昇であり、それにより影響を受ける中短期社債・株の暴落である。ESG投資等の夢物語的投資に手を出したとする方が正しい気もするが、果たして真相は如何に。

直近のニュースでは、SVBは中国の投資銀行との合弁銀行を中国に創設して運用していたらしい。何をどのように運用していたかは解らないが、ここにも何かうさんくさいものを感じるが果たしてどうなのか。

国内でも三浦某の夫が経営する太陽光発電事業が詐欺事件で逮捕となった。投資会社がだまされたのだが、これに類する話は、山ほどあるに違いない。

元来、自然エネルギーは、極小規模な利用を除いて大規模に利用してはならないのである。水力も例外ではない。気候変動に最も影響を与えるのは、CO2よりはこの自然エネルギー利用の方が遙かに大きいからだ。

水素にしろ核融合にしろ新エネルギー開発には、金と時間がかかるのだ。エネルギー問題は、社会の空気によって左右されるような政策・政治であってはならない。

 

仮に、今回の金融破綻が連鎖するとすれば、欧米政府・財界が作りだしたSDGsという短絡した虚構のシステムがもたらした結果となるかもしれない。

 

<米国のニュースから>

 

最近のFOXニュース等をみると、面白い映像が入ってくる。

まず第一は、1月6日の大統領選挙を巡る、米国国会議事堂乱入事件である。

この事件は、トランプ支持者が、ドアや窓を破壊して議事堂に乱入し、警察官が死亡したというものであった。ところがである、公開された議事堂内の監視映像では、逮捕されたインディアン姿の男は、警察官に案内されて議事堂内を見学しているではないか。乱入したというトランプ支持者も、何もせず議事堂内を静かに見学している。

あの議事堂乱入の暴力行為と、この映像とはどんな関係・経緯があるのか、全く解らないが、暴力行為の映像は作為的なものではないかと思わせる。さらに、この暴力行為を記録した映像は、ペロシ議長の娘が撮ったものであるらしい。つまり、演出されている可能性があるようなのだ。経緯の前後関係、監視映像の信頼性、暴動記録の信憑性等、わからない点ばかりだが、今後の解明が待たれる、実に不思議な映像である。

 

第二は、新型コロナのパンデミックは、中国武漢ウイルス研究所から漏れて流出したというものである。これは、私のブログでも書いたが、新型コロナウイルスは人為的に作られたというものである。コロナウイルスの大流行は200年前にあった。ウイルスは一度大流行を起こすと、ヒトヒト感染によって急激に変異し、毒性の低いウイルスに変異する。このことは、人間のDNAに刻まれているので、推測ではなく科学的事実である。鳥インフルエンザが人に感染して話題になっているが、今後もニワトリを殺処分して防止することは現実には不可能なのである。ヒトヒト感染しなければ弱毒性に変異することはないと考えられる。本格的な予防対策をとるのであれば、今回のようにワクチンを開発し、変異に対応して3年程度待つと弱毒化する。勿論、何もしなくても(当然死亡率は高くなるが)3年程度で収束する。ワクチン開発を世界規模で進めることが重要となるが、いつ流行するか解らないので企業ベーズの開発では無理である。脱炭素などは少しおいてワクチン開発を継続的に実施する体制が重要なのだが、国連は何もする気がない。

さて、この中国武漢ウイルス研究所の機能獲得試験という極めて危険な研究に金を出したのが米国NIH(国立衛生研究所)であり、責任者がファウチだということである。この問題は、以前から問題視されて米国国会でも議論されていた。

直近のニュースでは、SVBの破綻した日(3月10日)の米国国会で、満場一致で新型コロナの発生源調査に関する法案が通過したそうである。本格的な調査が開始されるだろう。

 

第三は、バイデンの息子の不正問題である。ウクライナの石油会社から多額の報酬を得ていたり、中国との関係で不正なロビースト活動を行った疑惑である。大統領選挙の時は、陰謀論のように報道され、主要メディアから完全に閉め出されていた問題である。米国下院で共和党が優勢になったことから、様々な疑惑が表に飛び出した。これからの、米国政界の動きは、そこらへんのドラマを見るより遙かに面白いことになりそうである。

 

 

ウクライナ戦争も両者被害甚大で弾切れ状態となっている。NATO陣営の本気でやる気があるのかどうか解らない煮えきれない態度。欧米中央銀行の、型どおりの金融政策がもたらすであろう未曾有の経済不況。日本では、だらしない野党がろくな政策提案もできずにうろうろしている。

民主主義は、誰も考えない制度だと喝破した社会学者がいたが、現実の状況はまさにそのとおりになっていると思うのは私一人だろうか。

 

2023/03/17

2023/03/06

この国の精神 相も変わらぬ現代思想(2)

この国の精神 相も変わらぬ現代思想(2)

秋 隆三

 

<ウクライナ情勢>

 

ウクライナ戦争は、まだまだ終わりそうにない。東部ドンバス地方では激戦状況が続いているらしい。プーチンとしては、この地域を制圧しなければ戦争を始めた大義を失うことになるから、何としてもドンバスを手に入れる必要がある。しかし、計算したようには物事は進まないものだ。プーチンは、ロシアの大統領選挙を来年に控えて焦り始めた。これが勝敗を決めることになるだろう。何故なら、ロシア内部からの揺さぶりが起きるからだ。ロシアも形だけは民主主義である。投票によって大統領を決め、議会によって法律を作るという形式は何としてもとり続ける必要があるのだ。民主主義というのは何とも都合の良い思想であり道具である。しかし、戦死者が10万人を超えるとなると、国民が黙ってはいないだろう。特に都市部からの出兵者の戦死は、国民の感情を揺さぶる。終戦間際の日本の状態である。戦争から1年、ロシア経済は確実に崩壊に向かっているが、生活実感にまでは至っていない。地方の農業者が兵隊として徴用され、農業労働力が低下し、さらに工業労働力が低下し始めなければならない。この春の徴兵以後が一つの目安だろう。

 

中国の振る舞い>

 

それにしても、中国がしたたかである。中国の目的は一体何なのか? 個人的意見(意見というのはほとんど根拠のない言葉である。この場合も根拠はほとんどない。民主主義における国民意見というものはこういったものである)であるが、中国の狙いは、ロシア沿海州、つまりウラジオストク、ナホトカ、さらに広くはアムール川(黒竜江)西部地域一帯の、かつて、16世紀明朝から19世紀清朝初頭まで中国領であった地域の復帰である。中国としては、ロシアへの経済支援を小出しにしながら戦争を長引かせ、ロシアを疲弊させる。その中で、ウラジオストク、ナホトカ、ハバロフスク一帯の地域を自由国家としてロシアから独立させて、貿易自由国家を創り上げる。国連の加盟も承諾も要らない。それこそ、武力による侵略ではないので、国連だって反対のしようがない。この地域一帯は、現在のアムール州(1858年清から割譲)、沿海地方(1860年清から割譲)、ハバロフスク地方(満州族居住地にロシアが19世紀後半に侵入)、ユダヤ自治州(1858年清から割譲)であり、19世紀半ばまでは中国清朝の領土であった。但し、樺太南部、カムチャッカは、アイヌ民族と日本の領土と考えられている。仮に、この国をアムール国としておく。中国は、アムール国に武器弾薬、生活用品の原材料を輸出し中国企業が生産する。ロシアはエネルギーをアムール国にパイプラインを通して輸出する。これで、ロシアと中国の取引は貿易自由国を通して完全に成立する。中国は、香港と同様に機会を見ながら、アムール国の取り込み併合を計画すれば良い。

 

<日本の脅威>

 

これは、日本にとって大変な脅威となる。中国は、台湾などには目もくれないだろう。資源、エネルギーを手に入れ、さらには、軍港までが手に入る。既に、この戦争をチャンスに、ハバロフスクの中国国境地帯は未曾有の景況を呈している。中国工作員、ロシアに潜伏している現地人中国スパイは、膨大な数に達していると推定しても不思議ではない。来年の大統領選挙前を目処に、アムール国独立の機運を高める。

この推理が成り立つとすれば、後1年半ぐらい戦争が膠着状態で続いてくれなければ困る。プーチンの次期大統領選挙とアムール国の建国を同時に実行できれば、中国は広大な領土を獲得することができる。これが可能であれば、現状の中国経済の低迷等はどうということはない。アムール国建国とともに始まる大規模建国バブルは、中国に多大な財と富を提供することになるからだ。

ロシアは、正々堂々とアムール国からエネルギーとのバーターで無尽蔵の武器弾薬を手に入れることができ、腰砕けの欧米、NATOを無力化し、ウクライナを手に入れることができる。ロシア、中国は戦争特需で好況を呈することになる。

 

戦争というものは、最大のイノベーションを生むのである。科学技術だけではない。1990年以後、考えもせずにグローバル経済へと突き進んだ先進国のつけが、反グローバリズム思想の劇的変化を生んだ。ロシア、中国といった広大な領土を有する国家における国家経営技術のイノベーションとなりうるのである。

 

<どうする日本、ヨーロッパ、アメリカ>

 

NHKの大河ドラマ「どうする家康」が、低視聴率だそうだ。面白くない? とりあえず面白くない。鎌倉時代に始まる武士の精神というものが、全く理解されていないからである。言い換えれば、日本人の精神性に深く迫っていないのである。現代日本人の精神性の希薄さというか、貧困というか。まあ、どうでもいいが。見なければ良いので。

 

さて、中国とロシアが、密かにこのような計画を進めるとしたら、家康ではないが「どうする」のだ。日本よ、ヨーロッパよ、アメリカよ。

核の使用が怖くて武器弾薬の提供に及び腰のバイデン及びヨーロッパの首脳達。ロシアが負けてロシアの分裂を懼れる皆さん。

次は、中国の台湾侵攻だとビビりまくっている日本の政治家達よ。

今の中国は、台湾等はどうってことはないのだ。現在の中国バブル崩壊による中国共産党崩壊を回避する絶好のチャンスが、ウクライナ戦争によってもたらされたのである。

 

何としてもウクライナを勝たせなければならない理由は、ここにあると思いませんか。西側諸国は、武器弾薬の供給を躊躇している余裕はもはやありません。後1年で世界が変わるかもしれません。既に、第三次世界大戦は始まっているのですから。

 

今回は、お茶の時間の物語で終わります。

2023/03/06
2023/02/01

この国の精神   相も変わらぬ現代思想(1)

この国の精神   相も変わらぬ現代思想(1)

秋隆三

 

日本精神、武士道とかなりハードな思想論と真面目に対峙してくると、現代の最新情報から取り残されるのではないかという不安に襲われる。

 

最近の社会・経済状況に少しだけ触れてみよう。

 

ウクライナ戦争とプーチンの教訓>

まず、ウクライナ戦争だが、今のところ大きな進展はなく、両者硬直状態である。何はともあれ、戦争なのだから、ほとんど正確な情報はないに等しい。従って、メジャーであるかマイナーであるかを問わず同じような報道となる。それにしてもだ、あのプーチンという男も引くに引けないところまで来てしまったようだ。彼が我々に示した良い点を挙げるとすれば、政治指導者は、一つの思想に固執してはならないという、極めて重要な教訓である。プーチンの思想・哲学は、世界中で様々に論じられている。ユーラシア主義、国家主義、大国主義、ロシアは欧米の価値観・グローバル主義ではない等々であるが、根本にはソ連崩壊直後の欧米資本主義によるソ連固有の資本収奪に対する怨念の思想ではなかったかと思われる。ナショナリズムと言えばそれまでだが、この20年間の彼の行動からは、ロシアの資源を欧米資本、それどころか国内資本にも自由にはさせないという強い意志が感じられる。ロシア固有の資源とは、かつてのソ連邦の国々も含めてのことであるから、ウクライナが勝手にEUNATOに加盟する等はもっての他になる。

人間の怨念というものは、怨念を持っている当の本人よりも、その人間を取り巻く周囲の人々、恨まれる人々の方が、怨念の恐ろしさを強く持っているものである。だから、怨霊退散を祈願する宗教が生まれるのだろう。

怨霊については、菅原道真の怨霊を鎮めるための北野天満宮、梅原猛の怨霊論等があるが、日本人にとって怨霊は神にして祭りあげればそれで静まるのである。プーチンも、京都がどこかにプーチン神社でも作って神になってもらい怨霊退散を祈願してはどうだろうか。冗談です。

プーチンの怨念が手に負えないのは、単なる政治的イデオロギーではないところにある。政治的であれば、損得勘定で手をうつこともあるが、歴史観の上に反近代グローバリズム思想を載せて、さらにロシア正教会の宗教思想を下敷きにするとなるとほとんど手が付けられない。

日本の政治家の皆さん、どうぞ気をつけて下さい。政治家というものは、柔軟な思考と勇気ある決断が必要なのであって、どこかの宗教のようにお題目を唱えればそれで済むというものではありません。

ウクライナ戦争は、もはやどちらかが崩壊するまで続くのでしょう。苦しむのは国民だ。先の日本の戦争のようにです。しかし、そこまで行かなければ、このヘンテコリンな政治指導者から解放されることもなく、国家は再生しないのです。それは、日本の近代史が示しているのです。プーチンさん、できればゼレンスキーさんも日本の近代史を勉強して下さい。

 

<円安とインフレ、増税>

 今月の電気料金請求書を見てびっくりである。私の住んでいるところは、標高が高いので、真冬にはマイナス15度ぐらいまで冷え込む。1年前の電気料金の25%増である。今年の6月からは、更に30%も値上げするというのだから、どうなってしまうのか空恐ろしい時代に入った。

税金も上がるらしい。防衛費増税に少子化増税、脱炭素増税ときたもんだ。防衛費は、防衛国債でしょう。少子化対策なんかやったって、今までも効果がないのだから効果が出るはずがない。フランスが成功したとかいう話は嘘です。移民の出産率が高いのだから当然でしょう。わが国の人口は7千万人ぐらいが丁度良い。少子化対策をやっても、生産性はあがるわけではなし、GDPは下がるばかりです。ところで、日本は生産性が低いと言っている学者が沢山いますが、GDPの成長率がゼロでは生産性などあがるはずがない。生産性が低いのは、役所の仕事です。バブル崩壊後、リストラが続き、失業率が高くなって、地方自治体が打ち出した手が、ワークシェアリングである。今もって、ワークシェアリングが続いている。国は、DX化を進めようとしているが、ワークシェアリングが地方自治組織の思想なのだから、DX化をしても何も変わらない。

電気、ガス、石油等の公共料金がものすごい勢いで値上げし、国も負けじと税率を上げる。どこかおかしいのではないのか?それで、企業の賃金を上げろと圧力をかける。政治家は、本当に仕事をしているのか?

 

米国FRBの金利上昇により急激な円安となった。報道各社は、それきた円安とばかりに、円安で日本は駄目になると書き始めた。あの日経でさえ、日本も金利を上げて円安を抑えなければという。経済学者でも、少し知識のある学者であれば、円安はデフレ脱却のチャンスだぐらいは知っているはずだ。最近、テレビを見ていたら高名な経済学者が、円安は経営者を安易な経営に向かわせて、イノベーションを遅らせるから、円高でなければ駄目だと言っている。この国でイノベーションを起こさせることが如何に大変なことかを全く解っていない。若い頃、技術の先端を走り、現代のITの先駆であっただけに、企業リスクに対して日本の金融、政府が如何にお粗末かを身をもって知っている私からみると、バブル崩壊後30年を経てもこの国は何ら変わっていない。企業は、せっせと内部留保というセコイ貯蓄をし、金融機関と監督当局は担保主義から脱却できず、証券会社は米国市場を伺いながら目先の日本市場でセコイ商売をする。

イノベーション企業が失敗したら、二度と立ち上がることはできない。セーフティネットのない社会で、イノベーションに挑戦することは、負けると解っている戦争をするのと同じなのだ。第二次世界大戦の日本ではないか。

文芸春秋2月号は創刊100周年記念号だった。内容は、実に陳腐であり、お粗末なものだが、一つだけ優れていたのが、昔の掲載から選りすぐった論評であった。社会不安とどう向き合うかという亀井勝一郎の言葉、「人の世は心配だらけの綱渡り。その気構えでひたすらゆく。ときにリアリズムと呼ばれ、保守主義とも呼ばれる」。いいね👍。蝋山政道の戦前の言葉、「昭和日本で起きているのは一貫して行政の肥大化。“革新政治”が進めば進むほど、行政は遅滞し、国家も社会も動かなくなる。現代日本は、自民党という革新政治政党がやっているのか。いいね👍。長谷川如是閑の言葉、「人間関係の倫理は抽象ではない。倫理はかたちに宿る。かたちのない倫理などはない」。社会が変化すれば、倫理もかたちとして変化しなければならない。いいね👍。小泉信三のさし当たり、福田恆存の専守防衛からの大転換等々、社会の心配に真摯に、かつ深く向き合い考え論じることだ。それに反して、この100周年記念号掲載論文のつまらなさときたら話にならん。

労働組合は、今年の春闘は戦わなくても30年ぶりの賃上げなので、何もせずである。フランスでは、ストライキで地下鉄もストップしている。今、この時に給料を上げる必要があるのではないのか。電気料金をこれほど上げても、再生可能エネルギー代金を国民に支払わせているとは一体全体どうなっているのだ。最近では、太陽光発電に関連した犯罪が摘発されつつある。再生可能エネルギーなどは、全く意味がないことはこれまでも何度か説明してきた。再生可能補助金・国民負担をやめろ、賃金をあげろ、エネルギー価格をさげろ等々、国民生活に直結する問題に対して労働組合は何も言わず、何もしない。諸君も腐って、宮台師匠の言うようにクズに成り下がったのか。

 

学生もそうである。学費が高いから、地方の出身者の多くは、学生ローンを使わなくては進学ができない。両親は、子供達のために一生懸命働いている。理工系の学生ならば、修士課程に行かなくては専門的教育を受けられない。そういう親達と話をしていると涙が出てくる。

私も貧乏学生であった。アルバイトをしなくては、東京で食べていけなかった。親に仕送りを増やしてくれなどは、口が裂けても言えなかった。今の学生はどうだろう。1年ぐらい留年するのは当たり前だなどという考えはないか。

学費、生活費が高すぎるのだから、社会がおかしい、政治がおかしいとは思わないか。過激な思想に染まる必要はないが、思想というものは、社会の何かがおかしいと感じるところから生まれる。若者よ、スマホにかじりつくより社会を見ろ。そして君達個人個人が思想を作れ。もう思想は出来ているか。クズの思想が。

 

次回に続く。

2023/02/01

2022/11/16

この国の精神  武士道(5)まとめ -地球温暖化-

この国の精神  武士道(5)まとめ -地球温暖化

秋 隆三

 

地球温暖化

 

地球温暖化の欺瞞、地球温暖化の政治的利用については、これまでも何度も説明してきた。科学として地球温暖化と二酸化炭素との関係を説明することはできない。

 112日(2022年)のニュースは次のようなものである。

「大気中の二酸化炭素レベルの上昇は植物の窒素濃度を低下させ、作物の栄養価を低下させることが科学誌『Trends in Plant Science』に2日発表された研究で明らかになった。

フランスの植物科学研究所の研究者によると、二酸化炭素濃度が上昇するにつれ、二酸化炭素を酸素に変えて植物にエネルギーを与える光合成が活発になり、土壌中のミネラルへの依存度が低下して、地面から吸収する窒素、リン、鉄の量が減少するという。

窒素が不足すると作物の組織形成が妨げられ、タンパク質の形成過程が遅くなる。これはかなりのタンパク質不足につながる恐れがあり、世界で約10億人に影響をおよぼし、筋肉の萎縮から肝不全、骨の脆弱化までさまざまな症状を引き起こす可能性がある。

米や小麦などの作物は栄養不足の影響を最も受けるため、フランス国立科学研究センター研究員のアントワーヌ・マーティンは、食品の品質と世界の食料安全保障に影響をおよぼすと指摘している」

 

二酸化炭素濃度の上昇により光合成が活発になり、根からの吸収力が低下して結果としてタンパク質の生成に影響を及ぼすというものであるが、よくもこんな論文を発表したものだ。掲載した科学誌のインチキ度合いが丸見えである。

光合成は、大きくは二つの過程から成る。二酸化炭素を酸素に変えるのではないことは、大学教養レベルの基礎知識である。光合成の第1過程は、根から吸収した水分と光子と葉緑体内のあるタンパク質(ゆがんだイス:理化学研究所によって発見された)によって水素と酸素に分離し、この段階で酸素を放出する。二酸化炭素は酸素の放出とは無関係である。遊離電子と水素イオンが、植物の細胞内のATP(アデノシン三燐酸)とともにエネルギー活動によって二酸化炭素からセルロース、糖分を作る。タンパク質を作るのはこれらのエネルギー活動に伴う細胞内の他の作用である。

 二酸化炭素濃度が上昇すると、光合成の第1段階の活動が活発になり、そのためにはエントロピーである水分量を多く必要とする。水分を多く吸収するということは、窒素やミネラルの吸収量も多くなる。土壌中の窒素、ミネラル成分が少ないと植物の組織形成のバランスが崩れる。有名な話は、福建省のほうれん草に含まれるセレンが消えた例である。吸収量を阻害するのではなく急激な成長に対して相対的に土壌中の成分が不足するのである。

 

 二酸化炭素と気候変動に関する地球史については、「二酸化炭素濃度と気候変動史」(大嶋和雄、石油技術協会誌 第56巻 第4 (平成37))に詳細に論じられている。1990年から現代に至る30年間の間で、これほどの論文は見られない。この論文の中で、2万年前の氷河期の二酸化炭素濃度が250PPM以下であったことが示されている。氷河期が終わり、地球が温暖化し始め、農業生産が始まるほぼ1万年前から産業革命直前まで、地球の二酸化炭素濃度は300PPMを超えたことがない。このことが何を意味しているかと言えば、植物の生育にとっては、限界に近いぎりぎりのところで生きていたということである。植物は、二酸化炭素濃度が150PPMになると餓死する。前述のように二酸化炭素は、植物にとって食料に相当する。二酸化炭素濃度が、250PPMから300PPMであると、ちょっとした気候変動によっても生育に大きく影響する。稲や麦等の穀物の品種改良が進んだことから、生産量が飛躍的に向上したことは確かであるが、それと同時に二酸化炭素濃度が高くなったことも生産量増加に影響している。19世紀までの世界の文明は、度々、飢饉に襲われている。干害、冷害は頻繁に発生し、回復も遅い。世界人口が100億に達する21世紀では、二酸化炭素濃度を400PPMから600PPM程度に維持しておかなければ、食料生産が間に合わなくなる。

農業生産、食料生産からみた二酸化炭素濃度については、IPCCにも見られないばかりか、世界の農業科学者からも何の見解も示されていない。SDGsのためには、二酸化炭素濃度を現在以上に維持する必要があるのではないだろうか。

 

地球温暖化問題を政治問題やビジネスだけで捉えるととんでもないことになる。

IPCCという組織の設立には、いくつかの疑惑があることは、いくつか報道されている。汚職、中国共産党との関係、犯罪者等々、陰謀論ではなく事実として捉える必要もある。

 

エジプトでCOP27が開かれているが、ヨーロッパ閣僚の何とも切ない弁明(ロシアからのエネルギー供給)を聞いていると、地球温暖化問題が政治問題そのものであることを改めて確信させられる。それにしてもだ、子供の教育を通してこれほどまでに地球温暖化を洗脳してきたかと思うと、恐怖心を抱かざるを得ない。

 

武士道について、もう少し踏み込んでまとめてみることにしよう。

 

武士道とは技術思想である>

 

武士道とは技術思想だと述べた。科学的ではないことは確かだが、何故技術思想なのかである。武術とは、技術そのものであるからである。スポーツだけではなく、絵画・音楽、踊りといった芸術分野も含めて、身体を使うものは卓越した技術なしには、その道を達成することは不可能である。武術は、剣術や弓術もあるが、より広義には軍学、兵学といった戦術・戦略も含まれる。相手に勝つためには、技術を磨くことは勿論だが、敵を知り己を知り、その上で勝つための緻密な思考を必要とする。言い換えれば、勝つための戦略であり計画であり設計である。思考と技術の両方を必要とする。これは、現代の工学においても同様である。思考、設計、試作、評価、製造、保守の繰り返しである。こういった武術・兵法は、戦国時代から江戸初期にかけて繰り返し実践されて磨かれた。

技術思想の本質は、「嘘がつけない」ということである。思考過程で嘘を紛れ込ませ、信じ込むと必ず負ける。これも現代に通ずる。技術者は嘘をつかない。しかし、科学者は嘘をつく。気候温暖化を叫ぶ科学者の例をみればおわかりだろう。技術者が嘘をつけば、飛行機が落っこち、橋が壊れる。科学者が嘘をついても、すぐには被害が発生しない。だから科学者は嘘をつく。

江戸時代を通して、人口はほぼ2,500万人である。このうち武士階級の人口(家族を含む)は、7%程度の170万人程度であり、家族を除くと120万人程度であったと推定される。支配階級である武士が、嘘のつけない技術的思考を物心の付いたころからたたき込まれ、さらに四書の素読があるとすれば、理屈抜きで「嘘のつけない」思考形態に洗脳されることになる。嘘のつけない思考様式を持った支配階級を、200年以上にわたって生産し続けた国家というものが歴史上存在したであろうか。それも、近世においてである。

この国が世界に類のない「武士道」を生み出した背景には、この技術思想の徹底があったと考えられる。

 

武士道は無の思想である>

江戸時代前期の殉死と腹切りは、流行になるほどに武士を支配した。人命の軽さと言えばそれまでだが、武士の死生観において「無の思想」は絶対的なものであったと思われる。「無」は、禅の思想である。禅は、自分とは何か、己とは何かを考えよと言う。考えてもそう簡単にわかるものではない。自分を構成する情報・知識をそぎ落とすと何が残るか。感情だけが残る。思考ではないからである。

新渡戸稲造が、トーマス・カーライルの「衣服の哲学」に心酔したのも頷ける。自我を見つめれば、衣服のような情報と知識で蔽われているだけで本質が見えないのだから、禅の教えと同じではないかとなる。現象だけをみれば同じように見えるが、根本は全く異なる。禅は、無我という。自我は存在しないのである。無我は、感情だけが残った状態の自分なのである。何もないのではない。ここに陽明学の心即理が重なる。自分の存在は、自分の為ではない。人の為に自己が存在する。それこそが、感情が存在する意味なのである。人の為に涙する。孔子が説いた最高の得である「仁」こそが、人の人たる存在の意味であり、自己が存在する意味なのである。

この無の思想が江戸時代前期の「自死の流行」とともに武士階級に浸透した。しかし、孔子が説いた仁の思想ではなく、より狭い意味での仁、人の為になすという意味である。

 

「嘘のつけない」技術思想と、無の思想・人の為になす仁の思想が融合した「武士道」という精神は、支配階級である武士階級における特権的思想となった。人が人を支配し統治する思想としては、理想的思想であり恐らくこれ以上の思想は、民主主義を除いては存在しないと思われる。

現代日本の統治機構は、民主主義ではあるが体制としては社会主義も多く、かといって欧米型でもなく中国共産主義でもない。こんなあやふやな体制を維持し続けることが出来る背景には、このような武士道精神が今に生きているとしか言い様がない。

 

<武士道とは褒め殺しの思想である>

さて、褒め殺しの思想である。元禄時代以後の戯曲、歌舞伎、江戸時代後期から明治初期にかけての落語、講談等を通して、忠臣蔵は日本人の心の支えとも言える物語になった。さらには、名君、名奉行について今もって時代ドラマの筆頭である。武士の理想とはこうあるべきだという物語を数百年に亘って作り続けてきた。すごい国だと思いませんか。武士とはこうあるべきだと言われ続け、そういう武士が実際に登場すると一大の英雄のようにもてはやされる。江戸時代の庶民は、褒め殺しによって支配階級である武士の横暴をコントロールする方法を身につけた。社会学的にはこういった社会システムを何とかいうのだろうが、残念ながら私にはその知識がない。社会の善と悪を、勧善懲悪物語で、単純明快に伝えるという手法は、極めて有効な手段である。勧善懲悪は、いわば褒め殺しの思想といって良い。

社会システムとしての褒め殺しの手法は、現代日本にも生きている。それが証拠に、韓国時代ドラマと日本時代ドラマを比較すれば一目瞭然であろう。日本の方が単純明快である。韓国ドラマの心理的複雑さは、嫌気がさしてくる。

 

 

武士道精神は、江戸時代前期のほぼ100年で完成し、それが、江戸人の粋の精神、職人魂、商人根性等々、社会階級のあらゆるところに波及していくのである。

現代日本においても様々な社会で、こういった精神の片鱗を見ることができるが、果たして将来の日本人にどれだけ受け継がれていくであろうか。

2022/11/16
2022/10/15

この国の精神  武士道(4) -ウクライナ & インフレ & 温暖化-

この国の精神  武士道(4) -ウクライナ & インフレ & 温暖化-

秋 隆三

 

ウクライナ戦争>

 

ウクライナが北東部で優勢である一方、ロシアは、部分動員とかで30万人を徴兵しているが、逃げ出す国民が相当数に上っている。徴兵しても渡す武器がない、装備がないという話もある。ドネツク戦線で、ロシア兵が何人戦死したのか全く情報が入らない。ウクライナ側からも情報が入ってこない。これだけ大規模な戦争にもかかわらず、メジャーなメディアに何も情報がないという実に不思議な現象がおきている。テレビの報道番組には、毎回同じ顔ぶれの専門家なるものが登場するが、彼等もほとんど情報を持っていない。専門家すら情報が得られないのである。現代の戦争とはこういうものかもしれない。

戦闘状況の情報を一切外部に漏らさない。情報が漏れると、フェイクニュース等様々な情報戦に利用されるからである。

 

そうかと思えば、核戦争の可能性が報じられている。ロシアがウクライナで核を使えば、チェルノブイリ原発事故の事例のように、爆発直後は、地球の自転の影響で西側の北欧、ポーランド、ドイツ方向が汚染され、その後偏西風にのってアルタイ山脈の南側からヒマラヤ北部の中国一帯が汚染され、日本にも到達するだろう。直接的には、核が投下された地域は戦争どころではなくなる。ロシアが使うかどうかは戦況で決まり、使われるまでは誰もわからないのである。戦況がわからなければ、核の可能性さえ予測できない。

 

フェークニュースであれ何であれ、戦況の実態を報道することは、政治的にも極めて重要である。民主主義国家は、国民が戦況を知ることを何よりも優先する必要がある。勿論、機密の作戦もあるが、その作戦の遂行結果は、成功であれ失敗であれ国民に知らせることは重要である。戦争には、余りにも秘密が多すぎるため、民主主義国家では戦争ができないというのが本当のところだろう。

 

ノルドストリームのガスパイプラインが爆破されたらしい。ロシアがやったということらしいが、どう考えてもロシアが自らの金庫を破壊するわけがない。しかし、ロシアがあえてカードを切った可能性もある。米国だ、ポーランドだ、等々、いろいろな噂が飛び交っている。結果として、ドイツは、ロシアからのガス供給が確実に止まることになった。ロシアからのガスパイプラインは、大陸経由のものもあるので完全に止まるということにはならないが、どの程度の影響があるのかはわからないし、そういう報道は一切ない。

 

ガス漏れによるメタンガスの放出量は、15千万立米(あるいはトン)に達するという報道があるが、単位がトンなら、ものすごい量である。温暖化ガスとしてはCO228倍とも言われているから、二酸化炭素に換算すると40億トン/CO2を超える可能性がある。何とアメリカの1年分、日本の4年分の排出量に相当するではないか。ガス体積とすれば、それほどの量ではない。

クリミア大橋が爆破された。誰がやったか解らないが、プーチンは、ウクライナのテロ行為だと断定した。爆破したトラックは、ロシア側から来ているので、ウクライナがやったとは必ずしも言えない。ウクライナが自爆テロをやるとはとても思えないのである。

この爆破について、どうも理解に苦しむ点がある。第1点は、爆発直後、つまり現地時間で午前6時過ぎの爆発からわずか2~3時間後に三つの画像がネット上に公開されたことである。どうしてこんなに速く動画がアップされたのか。動画のうち、ロシア側から録画された燃料貨物車両が燃えている映像は、まあ納得できるが、道路上の爆発画面と、橋の監視カメラの映像は、あまりにもタイミングが良すぎる。爆発があることをあらかじめ知っていたとしか思えない。第2点は、爆発の映像である。爆発後の崩落した橋には、爆発の痕跡、つまり焼け跡や穴などが全くないのである。トラックのあった場所が白く残っており、あれほどの爆発にもかかわらず、トラックの真下には何の損傷もない。さらに、爆発後の火花や煙の吹き出しが、橋の下から巻き上がるように発生していることも不思議である。橋の上でトラックが爆発したのであれば橋の下から煙が巻き上がるような現象は発生しない。さらに隣の道路のガードレールが爆発側に曲がっている。第3点は、爆発直前の燃料輸送貨物列車が、鉄橋の上で止まっていることである。映像を少しづつ止めてみると確認できる。橋の上の自動車は少し移動するが列車は全く移動しない。つまり、爆発を待っているかのように列車が停止しているのである。

ネット上では、トラックではなく小型船による爆破であるという情報も流れているが、トラック爆弾ではないことはどうも確かなようだ。

ロシア側の自作自演(ロシア内部の右翼強行派等)、ロシア内部の反ロシア勢力によるテロ行為といったところが妥当なところではないかと思われるが、撮影の状況、画像の公開スピード等を考えると、ロシア側の自作自演説が有力となるがいかがであろう。

ここまでくると、もはやプーチンの権力維持は、困難ではないかと思われる。権力内部から崩壊が始まっていると思われるからである。

 

ウクライナ東南部の戦況は、このところ遅々として進まない。ウクライナ軍は、何かを待っているのではないだろうか。欧米からの軍事支援物質だろう。来週後半には、必要兵器がウクライナに到着するとともに、8月頃から実施されていた兵士訓練も終わる頃なので、多分、ザポリージア方面から大規模な戦闘が開始される可能性が高い。ウクライナ軍が勝つためには、マリウポリを奪還して、ロシア軍を南北に分断する必要がある。11月中旬までは、目が離せない状況が続く。

 

<インフレ>

欧米のエネルギーコストの上昇によるインフレが問題となっている。

欧米の中央銀行は、エネルギーコストプッシュ、コロナパンデミックによるサプライチェーンの停滞とベーシックインカムによる需要増等々を要因とするインフレを、政策金利の引き上げ等の金融政策で押さえ込もうとしているが、こんなことは経済学の教科書にもでてこない。第二次世界大戦後の日本において、産業基盤の破壊に伴う絶対的供給力の低下と需要増による急激な需給ギャップの上昇によるインフレに対して、金融引き締めという政策手法をとったのはドッジである(ドッジ・ライン)。財政の健全化には寄与したかもしれないが、インフレから急激なデフレに陥り戦後最大の不況となった。ドッジは、新自由主義経済の信奉者である。これらの状況については日本銀行の古いレポートで紹介されている。このドッジ・ラインに対して当時の大蔵省、日銀は、ディス・インフレ対策として積極的金融緩和策に転換するる。結果としては、積極的金融緩和策と朝鮮戦争の戦争特需が重なり経済バランスが回復することになる。

昭和22年頃まではハイパーインフレであるが、この時には、国債の発行と日銀による国債の買い入れ(発行額70%超)、傾斜金融と呼ばれる石炭・製鉄などの基盤産業への復興赤字融資、物価統制(米、紙等の統制経済)であったが、インフレを押さえ込むことはできなかった。しかし、この当時の国債は、インフレの結果、借金はゼロになる。絶対的供給力不足を短期的に解消することは、到底不可能なのである。

コストプッシュ型の極端なインフレに対する短期的処方箋はない。それが証拠に、このインフレに対する処方について、世界中の経済学者は、無言でありひたすら隠れまくっている。FRBの高金利政策は、過熱した需要を押さえ込むのだそうだが、エネルギー需要の過熱を押さえ込むとは何を意味しているのか。これも温暖化対策を強行に推し進めようとする欧米政治手法なのではないかと疑いたくなる。我が日本銀行だけが、経済手法として正しい判断をしていると思うがいかがか。現代資本主義社会において、コストプッシュ型のインフレを短期的に解消するために金融引き締め策を実施するなどは、愚策である。短期的な政策としては、石油、ガスの増産以外に方法はない。アメリカの石油生産量を今後10年間程度増産し、そのための財政政策がとれるかにかかっているが、バイデンや民主党リベラル左派にはできそうもない。

我が日本のインフレも3%台に上がりそうだ。賃金上昇の絶好の機会が来た。日銀は、現状の政策を崩さない方が良い。観光産業の復興はほどほどにして、生産基盤の再整備・企業の国内回帰等の中・長期的な積極的公共事業・財政投資を早急に計画する必要がある。それが、インフレ・デフレといった経済変動に対処する唯一の方法であることは歴史が示している。2%台のちょうどいいインフレ等といった都合の良いインフレ経済など存在しないということは、経済の歴史が示す真理である。経済推移は、2%~10%のインフレを揺れながら進行している方がいいのである。インフレであれば、50年も経てば、長期国債は消えてなくなるのだから。今回のインフレにより、これまでの貨幣論を含むマクロ経済理論は間違いであり、あまりにも狭い範囲でしかモデル化していなっかったことがばれてしまった。結論から言えば財政均衡はインフレ状況でしか達成できないということである。アメリカの現在のインフレ等は、実質4%程度でしかない(過去20年間3%以上のインフレ状況だった)。日本もできるだけ速い時期に、賃金を上げてインフレを少し加速する必要がある。できればインフレ率を4%~5%にもっていく必要がある。需給ギャップをプラス3%程度まで上げる事、つまり、積極的金融緩和と財政出動であり、年金支給額の引き上げである。

 

<温暖化問題>

 

ウクライナ戦争がはじまってから、欧米の温暖化問題に関するニュースは、ほとんど見られなくなった。パリ会議の結果は、どうなっているのだ。それどころではないのだろう。ヨーロッパのエネルギー価格の高騰はものすごい。ガスの大半、石油の半分程度を、ロシアに依存していたのだから、利用不可能とわかれば、市場からスポットで購入しなければならない。スポット価格が高くなるのは当然だ。温暖化問題どころではない。ガス価格が20倍以上等は、常識外であるし、こんな状態は明らかに政治責任である。2014年のクリミア併合以後、ウクライナ戦争の危険性は、常態化していた。ドイツなどは何もせず、むしろノルドストリームを推進して、気候変動だ、CO2削減だ、と叫んでいたのが政治の実態である。欧米だけではない、我が日本の政治なども同じである。今回のエネルギー高騰とインフレの原因は、政治にある。いつなんどき、世界中が、気狂独裁者の暴挙によって破綻に向かうか、誰もわからない。だからこそ、まともな国家は、常に準備が必要なのだ。

 

ところで、温暖化問題について、最近、1990年代に発表されたいくつかの論文を読んだ。CO2地球温暖化の原因なのかについて、研究者が疑問をもって真剣に取り組んだ唯一の時代と言って良い。現代は、そんな研究すらできないし、研究費もない。

1998年に槌田氏が発表した論文「CO2 温暖化脅威説は世紀の暴論-寒冷化と経済行為による森林と農地の喪失こそ大問題-」は、エビデンスを上げて、温暖化ではなく寒冷化に対する対策を提唱している。この論文において、最初に取り上げたのが地球気温の変化と二酸化炭素濃度との関係である。1958年からのハワイ・マウナケア観測所のC.D.Keeling グループの観測結果によれば、気温が上昇した後に二酸化炭素濃度が上昇するという関係が1988年までのデータで見られるとしている。気温といっても海面温度の上昇が原因である。海の表層水における植物プランクトンの光合成に利用されるCO2の供給源が大気中からなのか、深海からなのかが重要なファクターである。南半球では、明らかに深海水と表層水が循環していると考えられるとしており、その証拠は、北半球では大気中のCO2濃度が季節的に変化するが、南半球では季節変化がないという事実が示しているとしている。

 この論文の後、東京大学の研究者により「地球温暖化懐疑論批判」なる論文が公開されている。

CO2が温暖化の要因であるとする根拠は、地球シミュレータという数理モデルによる予測結果を基にしている。数理モデルというのは、原因と結果の因果関係を数式化して過去のデータにより当てはまり状況を検証して確からしさを判定する方法である。勿論、単純な線形モデルから有限要素法等々までシミュレータの手法は沢山ある。何故か、このシミュレータの詳細な構造は公開されていない(ドイツのマックスプランク、東京大学等)。いずれにしても、大気中のCO2濃度と気温との関係式であるから、採用しているデータの期間が問題となる。気温に影響すると思われる様々な因子の観測が始まったのは、せいぜいこの50年といったところだから、シミュレートするまでもなくCO2濃度と気温上昇は明らかに相関しているので、数理モデルでは必ずCO2濃度変数の係数値が高くなる。この数理モデルで予測すれば人為的なCO2排出量が増加すれば、過去の年平均CO2濃度以上の排出量があれば、必ず気温は上昇することになる。そこでだ、歴史上の中世(西暦700年頃から1300年頃)高温期をシミュレートしたら果たしてどうなるのかが見物だが、観測データがないので計算できないという。シミュレータの確からしさというのは、想定される全ての条件、あるいは明確な条件下の基で現象と一致することである。限られた観測あるいは推定データであっても、この中世高温期をシミュレートできれば、まあ何とか使えると言えよう。つまり、このシミュレータでは、どんなに精度(格子の細かさ)を上げたとしても、それと結果の信頼性には何の関係もない。東北大地震のとき、福島原発の爆発による放射性物質の拡散状況についてシミュレータを利用するかどうかが議論されたが、結局、信頼性に欠けるとしてシミュレーション結果に基づく警戒勧告をしなかった。地球シミュレータに比べれば遙かに精緻であるにも係わらず政治的利用をしなかったのである。気候シミュレータを利用したIPCC報告は、どこまで信頼してよいのだろうか。

 

1990年代の温暖化議論は、現代国際政治において極めて重要な示唆を与えてくれる。議論が長くなるのでこの続きは次回として、本論の「武士道」「葉隠の疑問」に戻ることにしよう。

 

 

<「葉隠」の疑問>

 

「葉隠」は、奇妙奇天烈な文献であると言った。「葉隠」を読みながら気付いた点を少しまとめてみた。

 

1点は、この図書は、「江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた」ものとされている。確かに、この図書には、本人と筆記者には解っているようだが、状況を知らない読み手にとって意味不明な箇所が多数ある。しかし、全般的に君主の発言、初代君主の言行等、比較的詳細に記述されている部分が多く見られる。これは、記憶していることを喋って記録させるというものではない。何らかの記録文書を基に、常朝が解説していると考えられる。山本常朝は、2代藩主光茂の御傍役・御書物役であることから、藩公文書・藩主の言動記録文書、藩政に係わる決定文書等々も扱っていたに違いない。それらを持ち出すことはできないので、常朝が気になった部分をメモしていたと考えるのが妥当なところであり、純粋な口述筆記であるとするのは間違いである。

 

2点は、なぜこの本は秘本なのかである。いくつかの解説によれば、当時の朱子学隆盛時代に反する内容があるからだという。しかし、何度も言うように、この本の中に朱子学の片鱗も出てこないばかりか、儒教の言葉がほんの僅か引用されているに過ぎない。実は、極めて簡単明瞭なのである。「葉隠」は、初代藩主から3代藩主までの言行、藩政決定事項が語られているが、それらが全て「忠義」・「忠節」・「忠君」との関係で語られている。見方によっては、武士と言うものは忠義に生き、忠義に死すともとれるが、藩主の言動・行動にそれなりに問題のある部分も多々見られる。これは、藩主だけではなく、藩主親戚・家老・役付についても同様であり、藩士の行動についても同様に見られる。つまり、藩の恥をさらすと考えられる部分も少なくないのである。こんな本が世間に出回ることになれば、常朝は切腹ものだろう。

 

3点は、この本には、藩士や領民の暮らし・経済に関する話は一つだけでてくるが、全くといって良いほど出てこない。一つ出てくる話は、浪人となった藩士が、妻から食う米がないと言われ、通りがかりの税米を奪ったという話である。この話は、後段で修正されて二度も出てくる。ところで、常朝の禄高はどの程度であったのだろうか。いろいろ調べてみたが何処にも出てこない。早稲田大学の大隈重信の話の中で取り上げられていた。130石程度だったようである。下級と中級の中間というところだろう。記録をとりまとめた田代に至っては15石というから一人食うのが精一杯というところだろう。佐賀藩は、古伊万里、有田焼、鍋島焼等、陶磁器で知られた藩である。こういった経済の話は、それこそ秘中の秘でありさすがに書くことは出来なかったとも言えるが、そもそも常朝には経済は全く解らなかったというところが本当ではないだろうか。

 

4点は、なぜ常朝は、「忠義」・「忠節」・「忠君」を何度も何度も、同じような話を繰り返し語ったのだろうか。武士というものは「忠義」・「忠節」・「忠君」のために生き、死すと言いたかったのだろうか。まあ、それもある。浪人となった藩士の例、その原因などが随所にでてくるところをみると、正しく「忠節」を尽くすことにより、家は安泰となり、「忠義」に死すことができると考えたのではないか。正しく「忠節」を尽くすということをこれでもかこれでもかと例を挙げて説明するのである。

 

武士道とは何か>

 

武士道を様々な角度から見てきたが、これだけでは武士道とは一体何なのかを説明していることにはならない。ここからが私見である。

武家・武士と言うものは、粗野・粗暴・残虐な人間達の集団なのである。戦争を好み、スキあれば敵を殺す。親子・兄弟での殺し合い等は、恐らく平安時代前期から江戸時代の始まる前までのおよそ600年間、日常茶飯事であったのだろう。武士は、まず戦争に勝つ思想が必要であった。怒り・憎しみといった感情を優占し、哀れみ・悲しみという感情をひたすら押し殺し、勝つための技術思想を磨いた。その次は、死の思想である。死は無なのである。つまり無の思想でなけば自らの死も、他人の死も理として受け入れることが出来ないのである。粗野・粗暴・残虐さのための技術思想に磨きをかけ、無の思想を仏教から受け入れる。

ここまでに、儒教の思想は何も入ってこない。儒教の思想を必要とし始めたのは、江戸時代、それも元禄時代以後のことである。「忠」の思想は、論語にもあり、「まごころ」としている。朱子学では「上下定分の理」となる。儒学によって武士道の思想は、後付けされることになった。歌舞伎では、これでもかと武士を美化する。この美化された武士道は、下級武士にとっては極めて重宝なものとなる。武士道は、高級武士にではなく、中級以下の武士にとって藩主や高級武士、あるいは幕臣と対峙するための平等精神・思想として機能した。かくて、江戸時代中期以後、武士道は形式思想として武士に定着し、庶民は真の武士、武士道の誉れといって武士を持ち上げることで武士本来の粗野・粗暴・残虐さを削りとった。

 

ここまで整理してくると、どうやら武士道の本質が少し見えてくる。粗野・粗暴・残虐で戦の話を聞くと血をたぎらせる武士というもののあるべき姿を、儒教それも陽明学やそれを基に様々に変化したわが国特有の道徳倫理学を、元禄時代の知識層が創り上げ、武士階級の内的規範として定着させることに成功した。成功の要因は、三方一両得であったからである。主家にとっては手の付けられない家臣の規律として、下級武士にとっては武士の平等精神として、庶民にとっては武士権力の道徳的規律として、それぞれに都合が良いのである。つまり、武士道という道徳律は、じつにうまく士農工商社会に予定調和を生み出すのである。武士道の本質は、武士がそのあるべき姿・理想像に如何に近づいているかをほめちぎる、いわば「ほめ殺しの思想」である。

 

それにしても武士道とは、わかっているようでいてほとんど何もわからない日本精神の一つであると言えよう。

 

2022/10/15

2022/09/17

この国の精神  武士道(3)

この国の精神  武士道(3)

秋 隆三

 

新型コロナの第7波がものすごい勢いで広がっている。娘も感染したが、一緒に住んでいる家族の誰も感染していない。何とも不思議な感染症である。ウイルスが変異し、特異な受容体に限定されるのかもしれない。もはや、このウイルスの感染を止めることはできないだろう。死亡率が0.2%程度なので、インフルエンザよりもやや高い程度である。ほとんどが高齢者か何らかの既往症のある人のようだ。高齢者は、致し方ない。溶連菌感染症でも死ぬ確率が高くなるし、日和見菌による肺炎の確率も高いのだから、当然と言えば当然なのだろう。私は、1ヶ月前に、溶連菌咽頭炎でひどいことになった。コロナを疑ったが、検査ではコロナ陰性、溶連菌陽性であった。コロナワクチンを何度も打っていると、自然免疫力が低下するのではないだろうか。免疫システムに何らかの影響を与えているのではないかと、少々不安になる。

 

さて、ウクライナ戦争はどうなっているのだ。ほとんど情報が入ってこない。何せ、世界のメディアから従軍記者が派遣されていないのだから、状況がわからないのは当然である。ウクライナから国外へ脱出した人数が1000万人を超えているそうである。ソ連崩壊時にも1000万人ぐらいが国外へ出ているということだから、1991年以後の30年間で2000万人を超える国民が国を捨てたことになる。こんな国が歴史上あったろうか。ロシアから逃げ出す人も多いらしいので、旧ソ連圏から脱出した人数は、相当なものになるだろう。

腐敗した政府は、国民精神の堕落が生み出すが、こういった状況をみるともはや堕落の段階を通り越している。国民精神の崩壊であり、基盤となる宗教も役には立たない。ウクライナ、ロシア、両方の国民の問題である。ロシア革命から100年以上経過したが、この100年間、旧ソ連圏では精神を鍛える学習は何もされてこなかったのだ。ごく僅かなテクノクラートによる国家統治にどっぷりとつかった国民が、自らの考えで自らの道を作り、世の過ちを正すという思想学習をしなかった結果である。この学習こそが、王陽明の言う「格物致知」である。今の中国は、極めて危うい。政治は共産主義、経済は資本主義という都合の良い体制が国民の精神に何をもたらすかである。

 

トランプが国家機密情報を持ち出したとかでFBIの捜査を受けたそうである。家宅捜査令状等は何も公開されていない。何となくうさんくさい捜査である。米国大統領が、機密情報を別荘や自宅に持ち出すのは常識のようになっているらしいが、トランプだけが捜査の対象というのは何とも不思議な現象である。同時に不正選挙をトランプがでっち上げたという捜査もされているらしい。トランプにしても、不正選挙について確信があったから行動したに違いないので、ここら辺は闇の中のようである。11月の中間選挙に向けた民主党左派が仕掛けたと言えなくもない。どうもこの民主党左派(リベラル)の動向が問題のようである。彼等の思想とは何かと考えてもよく見えてこない。彼等の方に風が吹くと、気候変動の火が燃えだし、世界各地で戦争が勃発し、グローバル化によって危うい国が力を付ける。民主党リベラル思想とは、ポピュリズムであり、伝統的保守政治に対する批判、ドイツ批判哲学に通ずる批判思想にすぎないのではないのか。トランプが大統領になってから、アメリカ・リベラリズムが如何に薄っぺらな政治思想であったかが見えてきたような気がする。

 

最近は、数ヶ月で世界情勢がめまぐるしく変化しているように見える。本当にそうなのだろうか。今回の武士道は、「葉隠」に迫ってみよう。

 

<「葉隠」の時代背景>

 

「葉隠」は、Wikipediaによれば、「江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう」とある。佐賀藩士の山本常朝という侍が話したことを筆録したものとしている。江戸時代には、禁書扱いであった言われている。その理由が、同Wikipediaでは、「当時、主流であった儒学的武士道を「上方風のつけあがりたる武士道」と批判」しているとしているが、儒教を真っ向から批判した箇所はどこにも見当たらないばかりか、このような表現箇所もない。確かに、理屈をこねる上方、江戸風侍を極端に嫌っているが、「過ちを改むるにはばかることなかれ」、「智仁勇」など論語から引用した箇所も見られる。Wikipediaの正確性についてはかなり疑問の部分も多く、専門家数人による査読がされていないので、Wikipediaの情報は必ず裏をとる必要がある。

江戸時代が始まってから100年以上経過した元禄・宝永・正徳が終わり享保2年頃に書かれた書物である。元禄時代は、あの赤穂浪士の討ち入りで有名であるが、江戸文化の完成期と言っても良い時代である。元祿は1688年から1704年まで、宝永は1704年から1711年まで、正徳は1711年から1716年までと、元祿以後は数年で改元されている。元禄時代には、井原西鶴、松尾芭蕉、近松門左衛門といった日本文学の原点とも言うべき人物が登場する。天文学では、日本人による初めての暦である大和歴を開発した渋川春海がいる。春海は、本因坊道策には負けているが棋士としても知られていた。現代囲碁は、この時代に完成したと言っても良い。

 

一方、儒学は、この時代に武士だけではなく国民全体に、かつ全国に広まる。特に、朱子学の影響が大きく、林羅山の孫が大学の頭となり、新井白石、室鳩巣が活躍する。元祿時代が始まる直前には山崎闇斎も登場している。

わが国に儒学が入ってきたのは、飛鳥奈良時代以前であったと思われるが、鎌倉・室町・戦国時代を通して社会的に儒教が広まった痕跡はどこにもない。江戸時代に入って、やっと儒教という思想がはやり出す。恐らく、御所・公家社会には、陰陽道、天文、仏教、神道、儀礼、法制度と並んで、中国由来の学問である儒学を研究する部門があったと思われる。日本の儒学者の初めと言えば藤原惺窩が挙げられるが、公家であり冷泉家である。徳川家康が、朱子学を採用したのが始まりであるが、論語、孟子といった儒学本来の思想ではなく、「上下定分の理」、「大極・陰陽五行説」思想である朱子学が治世理論として都合がよかったからに他ならない。論語では、こんなことは一言も言っていない。

思想、倫理・道徳といったものは、科学的ではないだけに、その時代の大災害の発生、社会状況の大変動(およそ短期的なものだが)がもたらす集団心理、政策誘導等によって都合良く論理的にゆがめられるものである。現代でも変わらず同じである。

江戸時代、特に元祿時代以後の日本儒学の混乱は、朱子学と陽明学が同時に論じられたことである。元祿時代前後を含めた日本の陽明学者としては、熊沢蕃山(中江藤樹が始まりとされている)であろう。

山鹿素行は、この時代の儒学者であるが、一般的には「古学」者として分類されている。孔子、孟子の言行に戻るべきだと主張したからだとされているが、この解釈にも少し問題がある。当時の儒学の主流は朱子学であり、まずは朱子学を学ぶのである。山鹿素行は、太極といった宇宙観や朱子学の説く格物致知に疑問を抱いた。こういった疑問は、論語・孟子と宋学・朱子学の文献を比較すれば明らかである。多分、素行は、疑問を抱きながら王陽明の「伝習録」を読んだに違いない。王陽明も300年前の朱熹が説いた儒説と論語にはかなり乖離があると感じたのであろう。山鹿素行も納得したに違いない。山鹿素行は、陽明学をかなり勉強したのではないかと思われるが、そのような解説はどこにも見られない。伊藤仁斎も古学とされているが、儒学へのアプローチは陽明学に近いと思われる。

以上のような儒学の混乱時代を通して、日本独特の儒学、つまり反朱子学が形成され、神道も仏教的・儒教的神道から古来の神道へと回帰し、反○○学的な思想の形成が武士道思想への形成へとつながっていくのである。

 

元祿時代は、まさに反朱子学としての儒学、それも日本独特の儒学が形成された時代と言って良い。中でも、山鹿素行の士道論は、武士道については抜きんでている。

一方で、平安時代以後、江戸時代に至るまで公家社会を中心に様々な礼法が存在した。小笠原流などは有名である。現代でも婚儀、葬儀等の儀礼、ご祝儀の水引、宮内庁の数々の儀式・儀礼、神道儀礼、仏教儀礼・・・・等々、これほど多くの儀礼様式が社会慣行となっている国も珍しいというか、日本だけだろう。こういった儀礼は、元祿時代に完成したとも言える。当時の武家は、武士道よりもまずは儀礼の数々を知っておかなければならなかった。

 

話はそれるが、孔子は、殷周時代から続く、風習、迷信、宗教儀礼、祭祀を徹底的に調べて過ちをただし、礼記としてとりまとめたと言われる。これが格物致知の本来の意味である。この礼記というのは、ひっちゃかめっちゃかでまとまりがない。それはそうだろう。古来の風習、迷信などはまとめようがない。このまとめようがない礼記の中にあった大学・中庸を取り上げたのが朱子である。勿論、大学・中庸は孔子の弟子の著作と言われている。

 

儀礼は、「かたち」であるが、多くの祭祀・儀式の手順、儀礼を覚えることは容易ではない。武士というのは、かなり大変だったろう。武士道が語られる場合、礼式としての「かたち」が語られることが多い。

 

 

<殉死、切腹

ところで、「葉隠」の作者である、山本常朝は、殉死禁止により「追腹」が出来なかったと書いている。江戸時代に入るまで、日本には殉死という風習はなかった。奈良明日香時代から戦国時代までである。戦国時代は、「下克上」の時代だから、「忠君」等と言って主君が死んだから家来の自分も死ぬ等ということは考えもしなかっただろう。それがである。江戸時代にはいるや、「追腹」がやたらとはやるのである。「男色」が原因だろうという説もあるが、戦争のない時代に入ると、戦争で死ぬというこがなくなった武士が主君の死を機会に自死し、「忠君」を示すことが風習となったという説もある。どうもそれだけではないのではないかと思われる。「葉隠」には、家臣の酒の場の喧嘩や諫言等の些細な事に対して主君が「切腹」を申しわたしたり、詮議の上「死罪」となった事例が多数記述されている。主君に背けば死罪、不始末は死罪と、「死」は実に軽いのである。君主が死ねば、君主を補佐してきた集団は、次の君主から見ればうっとうしい存在になる。死罪となった一族は、機会があれば復讐するだろう。戦争がないのだから、これがいわば戦争みたいなものだ。前君主の補佐集団は、君主の死後に権力を失い、死罪となった一族からの復讐にさらされる。命が狙われることはなくとも、いじめは日常茶飯事だったろうと思われる。何せ、武士の粗暴さのひどさというのは筆舌に尽くしがたい時代である。「腹切」は、江戸時代前期の、平和ぼけした藩主の横暴とそれにつけいった側近藩政が生み出した悪習である。「平和ぼけ」は、現代日本にも通じるものがあり、専制的統治における「平和ぼけ」は、危険信号である。

「武士道」における自死は、自らにけじめをつける唯一の手段となったと言っても良いだろう。しかし、この場合、死への恐怖心をどのように克服したのだろうか。「葉隠」には、死に対する武士の精神、心の有様については何も触れていない。度々、登場するのが仏教の慈悲についてである。「慈悲」とは、仏の衆生に対する慈しみのことである。転じて、人が人に対する慈しみの心となる。孔子の言う最高の徳である「仁」とほぼ同義と言って良い。しかし、「葉隠」では「仁」は、人の為になす行為として説かれている。確かに人の為は「仁」の一部ではあるが、「仁」そのものではない。この時代、儒学を究明していた江戸や京都の先進的知識は、地方には届いていなかった。田舎武士の教養としては、朱子学的儒教の断片と、古来からの仏教思想、武士階級の儀礼・戦の慣習が全てであったに違いない。

忠君・忠節を全うすることは、自己・自我を捨てることにある。つまり、無我でなくては忠節を全うすることができないのだ。かくして、「死」は、常に「無」とともにあったと考えるのが妥当なところであろう。

山鹿素行は、忠君・忠節もいい加減にしてはどうかと言っている。思想というものは、実に頑固である。江戸時代が始まって100年を経ても、江戸前期の武士の思想が、江戸・大阪・京都の先進地域から遠く離れた佐賀藩では、残っているのである。

ちなみに、現代日本は、世界でも有数の自殺大国である。西部師匠も自裁死を選んだ。最近、中野剛司の「奇跡の社会科学」という本を読んだ。この中にデュルケームの「自殺論」の解説がある。この本のタイトルとなっている社会学(経済学を含む)が科学かと言えば少なからず疑問であるが、まあ良しとしよう。デュルケームは、共同体の崩壊あるいは個人主義に陥ると自殺に走ると言う。武士の自死と大衆の自殺とは同列には論じられないが、武家社会における共同体意識については、少しは検討の必要がありそうである。

 

元禄時代と言えば赤穂浪士の討ち入りであるが、「葉隠」では批判とまではいかなくても、実に軽く扱っている。佐賀藩の喧嘩騒動における藩士の自死と比較して、泉岳寺で何故死ななかったのかと疑問を呈している。

ちなみに、鍋島藩と吉良家とは遠戚に当たるらしい。このことも関係していると思われるが、そもそも浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかった理由が不明のままである。何の記録もなく、浅野内匠頭は、最後まで理由を言わなかったとされている。前述の山鹿素行は、若い頃、赤穂浅野家に迎えられているが、赤穂に数ヶ月滞在しただけで江戸に帰っている。また、後年、朱子学を批判した罪で、赤穂浅野家にお預けとなり赤穂に9年間も幽閉されている。この時の、浅野家の取扱は相当ひどいものであったようで、記録が残っている。さらに、山鹿素行は、宮廷礼式等の儀礼について吉良上野介を師として交友を深めている。ひょっとしたら、山鹿素行が両者の争いの一因かもしれない。

「葉隠」において赤穂浪士の討ち入りと佐賀藩の長崎喧嘩騒動を同列に論じるなどはもってのほかだと論じているものもあるが、同列に論じるだけの理由があったと考えることも可能である。この辺を少し、掘り下げると新しい時代小説が書けそうだ。

 

「葉隠」の論考は少し長くなりそうである。読めば読むほど様々な疑問が湧いてくるのである。もう少し、疑問につきあっていただくことにしよう。

2022/09/17

2022/06/17

この国の精神  武士道(2)

この国の精神  武士道(2)

秋 隆三

 

2022316日の宮城県沖地震の影響で、火力発電所が止まり深刻な電力不足に陥っている。東北大震災から11年が経ったにもかかわらず、この国のエネルギー安定化対策はどうなっているのだ。脱炭素で太陽光発電だと叫びながら、震度6の地震で火力発電所が損壊するなどもってのほかではないか。こういう事態になると太陽光発電などは何の役にもたっていない。役に立たない設備投資のために税金を使い、電力料金を上げてきたとしたら、これは国家的犯罪である。

石炭、石油、ガス等の化石燃料をガス化してガスタービン発電をすれば緊急事態への対応は速い。これまでの太陽光発電への投資額分でこういった先端設備への投資、液化ガスの貯留投資は十分可能であった。それをしてこなかった。エネルギー政策だけではなく、この国の公共投資に対する考え方は狂っている。政治家や官僚、ラジカルな環境活動団体、特に学者が、理想を現実とはき違える、技術的可能性を実現可能性と勘違いする、つまり狂ったことが原因である。プーチンを見てみろ。理想と現実をはき違えた世界最悪の事例である。プーチンだけではない。欧米のSDGsなどは、理想を現実とはき違える典型である。それだけではない、ヨーロッパに至っては、世界をリードし、世界を救うのは彼等の理想と理念だと言いながら、現実の食料とエネルギー50%をロシアに依存している。

EVへの転換などは、望むべくもない。中国がEV化を進めているというが、電力不足の国でどうするのだ。ヨーロッパやアメリカだって同じだ。現状の発電設備は、ピーク状態ぎりぎりである。何故か、そうしないと儲からないのである。中国の大規模停電はつい最近のことである。アメリカでは、ニューヨーク・カリフォルニアの大停電、ヨーロッパではフランスを除いて何処だって不足している。これでEVに変わると、電力が逼迫する夕方から深夜にかけての電力需要は現在の倍以上になるだろう。電力供給は、発電設備だけではない。電力量が一時的に現在の倍になるとすれば、変電設備、送電網もそれに耐えるだけの容量が必要になる。膨大な投資額になる。技術的可能性はあるが実現可能性はない。そうかと思えば、訳知り顔の自称ジャーナリストが、ネットニュースで、EVは蓄電池になり緊急時には家庭用電力として5日分ぐらい供給できると書きまくる。経産省やメーカーをよいしょしようという気持ちはわかるが、もっと勉強しろ。レジャー用であればそれも可能だが、都市部以外ではほとんどが通勤用であり、仕事用だ。そんな余裕のあろうはずがないではないか。こんな記事を恥ずかしくもなくよく書けるものだ。金になるなら何でも書くジャーナリズムの堕落の典型である。

第二次世界大戦は、E.H.カーが指摘したように理想と現実をはき違えた社会が引き起こした。今の状況を第三次世界大戦の予兆と感じるのは、私だけであろうか。グローバル金融資本、ネオコン、ディープステート等の陰謀論ともとれる要因によると言えなくもないが、要因の如何に関わらず、欧米を中心とする社会が理想と現実とをはき違えるという現象が社会常識となり始めると最悪の事態を引き起こすのである。民主主義そのものが内包している矛盾である。民主主義とパンデミック、SDGsは、その引き金になり得るのである。

今回のウクライナ戦争は、考え方によれば何もできない国連が引き起こしたとも言えなくない。脱炭素、SDGsだと、各国政府、企業、NGOを巻き込んで展開した。ひょっとしたら、ヨーロッパ諸国特にフランス、ドイツあたりが、ロシア依存のエネルギー政策から脱却するために脱炭素、SDGsというグローバル戦略を無理矢理進めたことが原因かもしれない。脱炭素という夢物語をすぐにでも実現しなければ人類の未来がないというというように。ウクライナ戦争で失われる人の命、何百万発の砲弾、使用される莫大な化石燃料、脱炭素どころではないではないか。年間40兆円ものエネルギー代金が、今もヨーロッパからロシアに支払われている。ソ連時代から変わらず支払われているというのだから、開いた口がふさがらない。

日本と中国との関係も、エネルギー以外では似たようなものだ。

 

 それはさておき、武士道とは何か、武士道の精神は、現代のこの国に生き残っているのかについての論究を続けよう。

 

<武術と武士道

 

江戸時代前期に成熟する「武士道」は、徳川家康が治世学として採用した朱子学をきっかけとしているが、儒教そのものではない。かなり長い時間をかけて醸成されてきた思想が、儒教の知識を元に、形のない何とも不思議な思想として形成された。武士道は、剣道、茶道、華道のように体系化されたものはない。どうも、あえて体系化しなかったのではないかとさえ思える。つまり、あくまでも武士の内的規範にとどめることが必要だったのではないかと考えられるのである。それにしても、何故この漠然とした「武士道」が、武士のモラルとして広まったのであろうか。

この問題に迫る前に、「武士道」という概念が、どのような経過を経て誕生したかを探る必要がある。

武士階級あるいは武人階級は、飛鳥奈良時代以前から、つまり、武力による紛争が始まった時から存在したことは疑いようがない。勿論、飛鳥奈良時代の王族、貴族階級も武器をもって戦っているから、武器を持って戦った者は全て武士みたいなものであるが、軍が組織化されて武士階級が誕生したと考えるのが、まあ、妥当なところであろう。正確に調べたわけではないが、平安時代の末期、つまり源氏・平氏の誕生前後を契機として武士の地位が確立したとも考えられる。但し、武士という言葉が表れるのはかなり後の時代であり、「公家」に対する「武家」と読んでいたらしい。江戸時代の初めに発布された「武家諸法度」、「諸士法度」では、武家は領主とその関係者となっており、諸士とは侍のことであり幕府直参を指している。

 

さて、武士とは軍人であるから、武術に長けているはずである。武術と言っても、剣術、弓術、槍術等々、様々にある。源平合戦の頃の戦闘からうかがえるのは、まずは弓術である。歩兵が斬り合いをするのは最後の最後であり、大方は弓矢による戦闘でけりが付いたのではないだろうか。那須与一の話などはその典型である。これでけりが付かなければ、次は騎馬戦である。騎馬戦では、まずは流鏑馬(やぶさめ)である。馬上から矢を射るが、敵との距離がある場合であり、歩兵との接近戦であれば、槍か薙刀であって、刀を用いる場合には長刀であったと思われる。歩兵同士の戦いでは、鎌倉時代までは薙刀であり、戦国時代以後は槍、それもかなり長い槍であった。

刀を使うというのは、狭い場所での接戦の場合か、弓、槍を失った最後の戦いであったと思われる。戦いの最後の段階である刀による戦いでは、剣術の腕前が良ければ、うまく切り抜けられる可能性もある。剣術があらゆる武術の中で抜きんでて重要視されたのはこういう意味合いもあったと考えられる。

剣術の発祥は、源義経で有名な鞍馬寺の鞍馬流だと言われている。ほぼ伝説だと考えられるが、古流剣術が京都に見られることからも、山伏や僧侶を中心に武術が形成されたと考えることに無理はなさそうである。

一方、武術の流派として記録が残されているものとしては、鹿島古流であろう。16世紀初頭に登場した塚原卜伝が、現代に通じる剣術体系を創り上げたといっても過言ではないかもしれない。この流派は、現代にも引き継がれている。鹿島神宮に伝わる古流であるが、鹿島神宮に祀られている神は、古事記に登場する武神であることから、かなり古くから武神と武術との関わりがあったと推定される。仏教においても四天王が知られており、聖徳太子が戦いの前に勝利を祈願したと伝えられている。

生死をかけた戦いでは、時の運もあるから、神や仏に祈願するのはごく当然の心理であろう。特に、11の戦いでは、相手を殺すか、自分が死ぬかであるから、いずれにしても死を覚悟せざるを得ない。

 

<宗教と武士道>

 

戦いに臨む時の死生観というものが、武士の精神性として形づくられていったと考えられる。こういった死生観の形成に大きく影響を与えたと考えられるのは、仏教ではないだろうか。それも鎌倉禅の影響である。禅は、「自分とは何か」を考えることである。自分との関係・わだかまり、自分を意識している全てを捨て去ると何が残るか。果たして自分自身というものを認識することができるであろうか。究極のところ「無我」でしかない。「自我」というものは存在しないということになる。

無我については、論語にもある。

子罕第九―四

   子絶四、毋意、毋必、毋固、毋我

金谷訳では、「孔子4つのことを絶った。勝手な心を持たず、無理押しをせず、執着をせず、我を張らない」となっている。毋は母ではなく無いということである。漢字の解字に忠実に解釈すると、意は思うことでありあれこれと推量することである。必とは何が何でもやるということである。固とは頑固さであり、我は自分のこと(自我)、ひとりよがり・頑固さを表している。意訳すれば、「あれこれと勝手なことを考え、考えたことを何がなんでもやろうとする独りよがりの頑固さを絶つ」ということになる。これをもう少し哲学的にすれば、「無我」である。

孔子も、こんなにもあれこれと勝手なことを考える自分というものを捨て去ることができるのかと考えたのだろう。そしてそれはできるのだと言っている。つまり、人の思考は、自我があると思い込む錯覚にすぎないことを、孔子は気付いたに違いない。しかし、仏教のような、宗教哲学にまで高めてはいない。勿論、仏教においても哲学的究明は、宋時代(日本では鎌倉時代の道元)まで待たなければならなかった。

「自我」の存在を論じてきた西欧キリスト教哲学においても、近年、「自我」はないと言い始めた(エゴ・トンネル トーマス・メッツインガー著)。このことは脳科学においても解明が進んでいる。赤ちゃんが最初に認識し始めるのは、社会脳と言われる脳の働きである。つまり、自分以外の人間に対する脳の反応であり、この働きが進むと「自我」があるかのように脳が働くが、それは社会的応答であり意識であり、脳が作り出した錯覚である。それが証拠に、眠っている間は意識のスイッチは切られて自我は消滅する。

 

中国宋五禅を起源とする禅宗と、同時代に盛んになった道学・朱子学(儒教)は、儒釈不二という思想を作り出す。つまり儒教的道徳・倫理と仏教的道徳・倫理は、分離しがたく同じものだという思想である。

 

時代の思想的背景と武士階級の成立が、武士特有の死生観を生み出したと考えられる。

 

剣をもって対峙し、生きるか死ぬか、殺すか殺されるかを決めるのであるから、人間の思考としてはこれ以上の思考はない。

 

竹刀剣道でも試合をすると良くわかる。勝ちたいと言う気持ちが強いと、スキができると同時に相手のスキを見付けることができなくなる。無心(無我)になる必要がある。無心・無我・無欲である。精神集中を必要とする一対一の武術では、ほぼ共通である。

まして、真剣勝負ともなれば、無心・無我だけでは不足する。若い頃、「のぞき」の現行犯を捕まえようと暗がりで木刀を握って待ち構えていた。すると、突然、目の前に「のぞき」犯が現れた。しかし、木刀を握りしめたまま身体が動かないのだ。数秒、にらみ合った後、犯人が逃げたのでそれで終わりとなった。

「精神(心)」の問題である。真剣勝負のような生きるか死ぬかの場面において平常心を保ち、身体を自由に動かすためには、普段から「精神(心)」を鍛えなければならない。

現代スポーツならば、さしずめイメージトレーニングというところだろうが、生死に関わる戦いとなると、イメージトレーニングだけでは、死の恐怖から逃れることはかなわない。

 

禅の登場と武家社会の成立は、ほぼ同時代である。禅の教えである「無」の思想は、いつでも生死をかけなければならない武士の思想として納得のいくものであったに違いない。霊性と理である「無」が結びついた仏教哲理が、乾いた土に水がしみこむように武士の精神に染みこんだ。さらに「儒釈不二」、つまり「儒教的道徳倫理と仏教倫理とは分かちがたく同一である」という思想が加わる。「心は形を求める」というように、社会行動規範としての儒教は、「無」の思想の形として最も適していた。勿論、日本独特の精緻な儒教解釈がである。

 

さて、それでは神道と武士の精神との関わりはどうであろうか。塚原卜伝に始まる日本剣道は、鹿島神宮を起源としている。神道では、神への奏上を祝詞(のりと)と言う。簡単に言えば「宣言」である。祝詞にもいろいろあるが、お祓いも祝詞の一つである。祅(わざわい)を祓うことであり、罪を許してもらうことと、祅を回避することの二つの意味があるようである。今では厄払いとして知られている。祖先神をはじめ、国づくりの神々への様々な祈願、厄払い等は、武士に限らずほとんど全ての国民に根を下ろした信仰であった。神々の存在を信じるというよりも、人智の及ばないものに対する畏敬であり、人智を超えたものの存在を信じることが、人の心にとってとてつもなく大切なことであったと思われる。というように考えると、神道という宗教環境なくして武士道は生まれず、神道という極めてあいまいであるが強固な国民的信仰をベースに、仏教と儒教の思想が重なり武士道へと醸成されたと考えるのが自然である。

 

この国の文化・文明は、過去を全て否定し新しい思想に変化するという大転換を行ったことは、歴史的に見られない。文明国の中でこういった国はまずないのではなかろうか。戦後に、過去を否定し米国流民主主義へと転換したことはあるが、過去の全否定ではなかった。否定さえも曖昧にして米国流の文化・文明を採り入れたが、わが国有史以来、国民に綿々と受け継がれてきた神道という宗教感は、そう易々とは消滅しないのである。

 

儒教・仏教の道徳倫理については、これまでの説明どおりである。「無」の精神は、自己認識を厳しく求めるものである。そこに社会階層の上下原則である「上下定分の理」という朱子学思想が加わり、封建制の江戸時代が重なることによって武士階級の「生きる」ための精神の道が開かれた。この道の根本は、わが国特有の宗教感-人智の及ばざるものへの畏敬-と「論語の学習思想」、仏教の「無我」が融合した極めて曖昧なものであり、感性と思考のそれこそ繰り返し学習によってのみ近づくことができるのであって、山鹿素行の「士道論」は、道の形を示したものに過ぎないということであろう。

 

江戸時代も100年を経た頃の、佐賀藩の一武士が聞書により残した「葉隠」という文献がある。「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」で有名な葉隠れである。実に奇妙奇天烈な聞書である。「無」の極限としての「死」、武家社会における生き方とはどんなものだったのか。次回は、これに少し触れながら、現代における「武士道」とはを問うてみたい。

 

2022/06/17

2022/03/17

この国の精神  ウクライナと武士道(1)

この国の精神  ウクライナ武士道(1)

秋 隆三

 

ウクライナ戦争>

 

ウクライナで戦争が始まった。内戦状態は2014年から続いていた。隣のジョージア(グルジア)では、2008年に南オセチア紛争が起こり、現在はロシアと断交している。

ウクライナ軍も頑張っているようだが、そう長くは持ちそうにない。NATO軍は、一切関与していない。

 

欧米の報道は、民主主義のゼレンスキーと専制主義のプーチンとの戦いと言っている。米国の大統領選挙ではないが、日本も含めメジャー報道などは、90%信用できない。武力侵攻に違いはないし、武力行使したプーチンは非難されるべきである。それならば、第二次世界大戦以後の欧米諸国の武力侵攻は、本当に正しかったのか。問い直されなければならない課題は、欧米にも多々あるのだ。

 

ところで、ウクライナとロシアの関係史は、これまで聞いたこともないので、Wikipediaを元に少し調べて勉強した。

ウクライナと言えば、有名なコサックである。コサックの起源はあまりわかってはいないが、山賊や盗賊の集団であったらしい。ドニエプル川の中流域であるザポロージャに根拠地を置いている。ザポロージャは、原子力発電所の襲撃で有名になった場所であり、コサックの発祥地と言ってもよい。ただ、コサックには二つの勢力、ザポロージャ・コサックとドン・コサックがあったらしい。両方ともロシアと敵対し、18世紀には滅亡寸前にまでロシアにやられているが、19世紀には軍人としての階級を帝政ロシアから与えられ、ロシアの国境警備や治安維持のために働いている。早い話が、帝政ロシアの傭兵として編入されたのである。コサックの民謡と言えば、有名なのがステンカ・ラージンであろう。

日露戦争では、日本はこのコサック軍団と戦っている。

しかし、1919年のロシア革命により誕生したレーニン政権は、コサックを敵視しコサック人口440万人のうち308万人を虐殺した。さらに、1933年からはスターリンによる飢餓ジェノサイド(ホロドモール、影響はウクライナだけではなくソ連圏全体に及んだらしい)の対象となり、ウクライナ全体で400万人以上1000万人が死に、この時残っていた大多数のコサックが死んだ。生き残ったコサックはドイツ等に逃れナチスドイツに協力し、ドイツ国防軍の一部となっている。1941年の独ソ戦では、ナチスドイツ軍と同盟していたルーマニア軍によって有名なオデッサの虐殺が発生している。おそらく、コサックの残党が多かったのではないかと推察される。コサック民族からみれば、ソ連から移入して住み着いたソ連人は、憎き仇である。しかし、キエフ大公国以来の歴史をみれば、ウクライナはロシアそのものであると言って良いかもしれない。

ソ連の崩壊以後、市民団体によるコサックの復帰運動が起こっているが、ロシアでコサックと名乗っている人の多くは、プーチンの熱烈な支持者である。プーチンが企んだ傭兵軍団であるかもしれない。

2014年に起きたオデッサの悲劇は、ネオナチによるものと言われているが未だ真相は不明である。いずれにしても、親ロシア派と親欧米派の抗争であり、2004年のオレンジ革命、2014年のウクライナ革命と続く抗争の結果が、今起きているロシアの武力侵攻であることは間違いない。

アメリカからの関与は、ジョージ・ソロス、マケイン、オバマ、バイデン等である。

それにしても、ウクライナ国民というのは一体全体、ロシアと欧米のどちらを志向しているのか全くわからない。まあ、ウクライナだけではなく東京都民の知事選挙でも同じようなものだが。生活が良くなりさえすればどちらでもいいのである。国民の伝統的精神の徹底的破壊、民族融和等によりアイデンティティを喪失した国家というものが国家の体をなすためには、生みの苦しみが必要であることは歴史が示している。ソ連崩壊後、自らの歴史と伝統を冷徹にかつ精緻に分析することなく、経済成長や富を渇望した結果が現在であり、プーチンであった。他人事ではすまされない。日本の戦後から現在に至る過程もほぼ同様のものなのだから。

ゼレンスキーは、ユダヤ人と言ってもいいのだが、ネオナチと密接につながっているらしい。ウクライナのオリガルヒにはユダヤ人も多いが、反ロシアとしてネオナチと手を結ぶ等は、通常の精神では考えられない。ここに何かがありそうである。ウクライナのオリガルヒにユダヤ人のイーホル・コロモイスキーという男がいる。ネオナチのオーナーとも言える男であり、2014年にドニプロペトロウシク州(ウクライナ)東部の知事に任命され、独自の軍隊(アゾフ、ネオナチ武装組織)を持っている。この武装組織が、2014年以来、東部のロシア人を虐殺している。ゼレンスキーは、コロモイスキーと密接に関連していると言われている。ロシア・ウクライナのユダヤオリガルヒは、ヨーロッパのグローバル化、ボーダーレス思想を推進する金融資本勢力の一部だと考えるのがどうやら妥当なところらしい。

この戦争は、行き着くところまで行くしか解決の方法はなさそうである。極右思想のゼレンスキーが欧米風の民主主義国家を建設するとは到底考えられない。プーチンも国際世論と経済制裁でつぶされるだろう。誰が得をするかと言えば、バイデンとマクロンと、欧米金融資本勢力かもしれない。

ゼレンスキーが、何としても国を守ると叫んでいるのをみていると、思わず、吉田松陰が処刑前夜に詠じた歌を思い出した。

かくすればかくなるものと知りながら

  やむにやまれぬ大和魂

 

ウクライナ国民に、「大和魂」と呼べるような、歴史と伝統に裏打ちされた国民的精神が果たしてあるであろうか。明治維新を主導した者の多くは、下層の武士達であった。ソ連崩壊後、ウクライナを主導しているのは、ソ連崩壊に乗じて金を儲けた成金達である。この国に精神は存在しない。自立した国家は、自律した国民の精神によって維持される。法を守るという当たり前の精神ではない。歴史と伝統によって形成された徳治の精神である。この視点でみれば、プーチンの路線は、一つの国家を形成するという点で正しかった。20年かけて、可能な限り国産化を進め、天然資源に対する外国資本の介入を制限し、石油・ガスの輸出価格の制限価格以上の売上分を国庫に入れる等は、善政である。

それにしてもだ、ウクライナからの報道、欧米主要メデイアの報道は、何かおかしい。

 

コロナのニュースなどはどこかへ飛んでいってしまった。コロナも誰か企んだ奴がいるのかもしれない。中国か、欧米か、それともグローバル化を狙うどこかの集団か。

気候変動もどこへいったのやら。アメリカは、シェールガスやオイルの増産の計画さえ示さない。あれほど非難していたベネズエラと交渉するのだそうだ。EUのエネルギーはどうするのだ。ドイツは、石炭火力の再開だそうだ。欧米先進国のリーダーは、どこか狂っていると思うのは私一人だろうか。無差別攻撃を繰り返す戦争犯罪人を擁護するのかとしかられそうだが。「堕落論2017」でも書いたように、第二次世界大戦以後、無差別攻撃は、戦争の常套手段であり、常識である。だからこそ、今回のプーチンのウクライナ侵攻は非難されるべきであるし、機会があれば責任をとらせる必要がある。勝てる見込みのない戦争を鼓舞するゼレンスキー、そのゼレンスキーに喝采を送る欧米の政治的リーダー(日本もだが)、そしてそれを煽るメディアの危うさというものを今回は痛感させられた。第二次世界大戦時の日本のように、一億玉砕を叫んだリーダー、メディアのプロバガンダと何も変わりがないではないか。

日本は、第二次世界大戦におけるABCD包囲網、真珠湾奇襲攻撃、被爆、敗戦を経験した世界でも唯一の国家である。プーチンやゼレンスキーと本音で話ができる世界で唯一の国家であり、日本には歴史的にその資格がある。欧米と同調するだけではなく、プーチンとの接触を試みよ。「安部」さん。首相時代の失敗を取り戻す唯一のチャンスではないか。あなたならできそうだ。

 

 

新渡戸稲造

 

ウクライナの歴史を長々と書いてきたが、わが国の国民的精神とも呼べるものに今回のテーマの「武士道」がある。

 

安岡正篤は、山鹿素行の「士道」を日本の精神として取り上げた。「武士道」を世界に知らしめたのは、新渡戸稲造の「武士道」を英語版で出版したことである。明治32年、新渡戸稲造38歳の時にアメリカで出版された。日清戦争の4年後、日露戦争の5年前のことであり、安岡正篤が「日本精神の研究」を出版する遙か前のことである。

 

この「武士道」という書は、実に読みにくい。解説によれば、カーライルの論文スタイルの影響を強く受けているためとしているが、以前にも書いたように、18世紀~19世紀の欧米人文系論文は、こういった論文様式でなければ認められなかった(引用を多用し、比較論究する)。

トーマス・カーライルは、「衣服の哲学」で有名である。制度や道徳などは、物事の本質に衣装を付けたようなものでその時代の一時的なものだという論点を哲学したものである。「この国民にしてこの政府あり」は、カーライルの最も有名な言葉であるが、これにも虎の巻があったようである。この言葉は、そっくりそのままロシアとウクライナに送ってやりたいものだ。

 

さてこの新渡戸稲造の「武士道」であるが、結論から言えばとても名著とは言いがたい。あちらこちらに、理解不足やら間違いがある。それだけならば、まあ仕方がないかですむが、儒教、宋学、陽明学の本質、神道・日本仏教などの一般的解釈・理解が混在しながら武士道を説明する。まさにカーライル流の表面的現象を西欧文化・宗教と対比し、「同じ」ではないかと論じるところ等は、読みにくいを通り越している。さらに、テーマによっては何を言いたいのかがぼけている部分も少なくない。

浅学非才の徒が、大先達に対して批判等はまことに烏滸がましいことではあるが、言論は批判の上に成り立っていると信じる。

新渡戸稲造の知識の源泉をみる必要がありそうだ。

新渡戸稲造は、1862年岩手県盛岡市で盛岡藩士の三男として生まれ、15歳で札幌農学校に二期生として入学している。武士の子であるが、幕末は幼児期にあり、思春期は明治初期の動乱期であるので、武士道を体感するまでには至っていないと推測される。札幌農学校時代にキリスト教に入信している。同期には内村鑑三らがいる。この札幌農学校、つまり北海道大学の卒業生のうちキリスト教信者の占める比率は極めて高い。現在はわからないが、昭和40年代前半までの卒業生にもかなりの割合でキリスト教入信者がいると思われる。一方で、全共闘、それもかなり過激な学生運動家も多かった。

新渡戸は武士の家に生まれているので、多分、四書の素読ぐらいは幼い頃からやっていたと思われるが、13歳で東京英語学校に入学しているので、儒学、国学、古学といった学問への造詣はそれほど多くはなかったと思われる。さらに、15歳で札幌農学校、キリスト教入信なので、なおさらのことであろう。その後、自費で米国留学(かなり裕福だったのかもしれない)、官費でドイツ留学し農業経済学で博士号を取得している。米国留学中にクエーカー会員となっていることから、プロテスタント系クエーカー教徒である。ドイツの留学先もルターにゆかりのある大学であった。新渡戸のこういった経歴をみると、キリスト教道徳倫理学、それもかなり宗教的(霊的)色彩の強い教養が元になっていると思われる。クエーカーというのは、地震(アースクエーク)のクエークに由来しているようで、宗教的陶酔状態になると体を震わすことから呼ばれたらしい。クエーカーの特徴は、内なる声(光・神)を聞くことである。どうも、この当りの概念と武士道の中心をなす儒教の真理とは同じではないかと新渡戸が考えた節がある。

新渡戸は、義、勇、仁、礼、誠といった儒教の徳目を挙げて、武士道を説明する。山鹿素行の「士道論」は、如何に人は本性の欲望に立ち向かうべきかを説いたものである。例えば、孟子の「浩然の気」、「義利」(義とは内に省みて羞恥するところあり・・・・道に外れていないかということ。事に処して後自ら慊(あきた)ること・・・・・行動したことに十分満足していること。これらを義と言う。つまり、欲求の正統なることである)等々を挙げている。安岡正篤は、高橋泥舟を取り上げて、「行蔵」(ゆくかかくるか)を厳しく言う武士道精神を尊いとしている。行蔵は、論語の述而第七に登場する。出処進退の潔さを説明したものであるが、この部分の後半部とのつながりがわからないところなのだが。

羞恥が出てきたが、新渡戸の「武士道」では、名誉欲に対して羞恥心を説明する。論語では、羞恥は内面に照らして生じる感情である。外的規範に外れていることから生じるものではない。この外的規範から外れている感情は罪悪感であるが、罪悪感について論語は何も触れていない。

 

以上のように、新渡戸稲造の「武士道」が、その思想的究明において問題が多い。しかし、明治維新から僅か30年しか経っていない時代にあって、日本人の精神性が、西欧人のそれに比べて劣ったものではないということを欧米にPR説明する点において着眼点が秀逸であったことは確かである。

 

(次回に続く)                      

2022/03/17

2022/02/15

この国の精神 「日本精神の研究」 安岡正篤(5)

                     この国の精神 「日本精神の研究」 安岡正篤(5)

  安岡正篤を書き始めて、長い時間が経った。米国大統領選挙騒動、コロナパンデミック、ウクライナ情勢と変動する中で、世界中がなりを潜めて世の中の動きを見ている。社会の雰囲気がおかしい、つまり、思想・精神が何か違うと感じ始める時というのは、災害の前兆現象とよく似ている。安岡正篤が、大正期に20代の若さで「日本精神の研究」に挑んだのは、この国はあるいは国民はどうかしている、世界は何か間違えているのではないかという直感によるものではないだろうか。
  ウクライナ情勢は、緊迫度を増してきた。台湾はどうなるのだ。誰もわからない。石油価格はウナギ登りに上昇し、SDGsだ、EVだと浮かれている。その割には、ドイツはロシアからのガス供給が止まるのではと戦々恐々である。そうかと思えば、フランスはこの時とばかりに原発の増設をぶち上げる。全ては、アメリカのバカな大統領の失策によるものだと言えばそれまでだが、脱石油などは夢のまた夢でしかない。中国が、EVにシフトしたと言っても、石炭火力の電力不足で停電にまでなる国がどうやってEV化ができるのだ。電力供給をどうするのかは、誰もわからない。誰も考えていないのだ。理想、夢、理念が先行し、それを具体的行動に直結させる政治思想が危険であることは、E.H.カーが100年も前に分析している。ヨーロッパ文明というものは極めて危険な文明であることは間違いない。こんなことは、偶然や社会的ムードでは起こらない。誰かが仕掛けていると想像することに無理はなさそうだ。

  100年前に安岡正篤は、日本人の価値観が変化するだけではなく、世界の先進国の指導層・知識層・国民が狂い始めたことを直感した。

  安岡正篤は、下記の人物の生き様を紹介している。
○山鹿素行
○吉田松陰
○高杉晉作
○高橋泥舟
○楠木正成
○大塩平八郎
○ガンジー
○西郷隆盛
○宮本武蔵

  時代はばらばらであり、人物には学者もいれば剣客もいる。かとおもえば、ガンジーの無抵抗主義(非暴力主義)が突如取り上げる。はちゃめちゃと言えなくはない。楠木正成は、彼の祖先が正行に加わり討ち死にしていることもあり、南朝とそれに殉じた武士の精神に言及している。
  はちゃめちゃであるが、彼が言いたいことは、日本人の根底に流れている精神(丸山が言う重奏低音)とは何か、それは武士道ではないか、それならば武士道とは何かに言及していることである。
  武士道については、機会を改めて究明してみよう。それが真にこの国の精神なのかを。

  安岡が挙げた人物は、ガンジーを除いて全て武士である。公家の藤原惺窩、町人の伊藤仁斎、本居宣長、江戸期の俳人の多くを取り上げていない。武士、武人を取り上げてこの国の精神を代弁するものとしたのは、多分に大正から昭和初期という時代的影響が大きかったと推測される。戦争の時代なのである。戦争に向かうのではないかという漠然とした不安の中で、人は、生きるために覚悟をしなくてはならない。死ぬための覚悟ではない。
  安岡正篤は、冒頭に「おい、日本人よこのまま戦争に向かう覚悟があるのか」と問いかけている。

  山鹿素行は、三波春夫の歌謡浪曲「赤垣源蔵」の中で、「一打ち二打ち三流れ、山鹿流儀の陣太鼓」(これは創作)で有名であるが、元祿忠臣蔵の赤穂藩との関わりは延べ20年近くに亘るので、赤穂浪士の討ち入りの精神的基盤となっているであろうことは容易に想像される。
  安岡は、山鹿素行の「士道論」を挙げて、「我ら如何にして人格を涵養すべきか」を説く。近年、人格などの言葉を聞くことさえ希である。若い人に人格とは何かと聞いても、恐らく「教養のことですか?」程度の認識であろう。人格とは、自らの行為について責任を負う覚悟の心(精神)、様々な欲望について欲望の元を究明する精神を具することである。どれほどの知識を身につけようと、この精神なくして人格あるものとは言えないのである。それが、士道である。
  ここでいう士道とは、所謂、巷間に言う「武士道」とはやや趣を異にする。「士」とは、「士大夫」、つまり、中国古代の身分制度における「士大夫」を言い、天子直参の官僚として「士」は「大夫」に次ぐ中下級の官吏である。
  「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」は、「葉隠」の聞書第一の二に登場する有名な言葉である。江戸時代も100年を経ると、武士道にもほころびが出始める。「葉隠」は、全編を通して「士」の「死」について書き留めた。

  「宮本武蔵」については、比較的長い文章である。吉川英治は、長編小説「宮本武蔵」の執筆にあたり、安岡正篤の自宅に長期居候をして書き上げたという逸話がある。安岡は、子供の頃に剣道を習っていたようで、剣道に対する思いは深い。私も、剣道をやっていたことがあるから少しはわかるが、剣道というのは実に不思議な武道である。年齢を経るに従って強くなるのである。それも年寄りになるとやたら強くなる。勿論、体力は落ちるが、短時間の対決であれば年寄りの達人ほど強い。竹刀剣道ではなく、木刀や真剣の剣道では、其の差は歴然である。宮本武蔵は、神仏を信ずるが、神仏には頼らずとして、対決に望んだという。宮本武蔵の心遣いの細やかさについても、逸話を通して解説している。大正末期から昭和初期の軍人に対して武人の精神とはこういうものだと、暗に語っているのかもしれない。

  安岡正篤の「日本精神の研究」は、序文の陽明学を基礎とした論説にはそれなりに傾聴すべきものがあるが、全編をとおして、日清・日露・第一次世界大戦の戦勝経験以後の激変状況に向かうわが国にあって、国益なのか私的利益なのか判然としない欲望にまみれていく資本主義に対して、この国には何が善であり義であるかを知る精神があったと主張している。それは、単なる陽明学という輸入学問によるものではなく、幾多の先達によって積み上げられてきた貴重な思想なのであると。

  戦後77年も過ぎた。バブル経済の崩壊から30年を経過した。コロナ騒動はまだ先も見えず。デフレ下の日本経済は全く先が見えない。行き着く先まで行かなくてはこの国の再生はないかもしれない。日本国民の精神は、戦前の一時期から崩壊し始め、戦後の高度経済成長とバブル経済で崩壊し、バブル崩壊後の失われた30年で精神なき知識への渇望へと向かい、まさに精神なき資本主義を善しとする社会へと変貌した。この国の精神は、コロナパンデミック以後どのように変わるのだろうか。全くわからないが、何はともあれ、失われたかもしれないこの国の精神について追求を続けよう。

                                   2022/02/15

2021/10/24

この国の精神 「日本精神の研究」 安岡正篤(4)

この国の精神 「日本精神の研究」 安岡正篤(4)

 

COVID-19が「デルタ株」に変異し、感染爆発になっている。何はともあれこの半年間は、私にとって心が折れそうな毎日であった。それは今も続いている。私の身体と心の半分を失ってしまった。

 

安岡正篤の言う「日本精神」を書こうと思っても、「日本精神など、人の心の奥深さに比べれば単なる言葉の遊びにすぎないではないか」という思いがよぎり、とても書く気にはなれなかった。

 

<仁とは何か>

 

「日本精神の研究」の全編を通して、人の「心」、「感情」の奥深さ、特に、「悲しみ」という感情の如何に深いことか等々は、全くといって触れられていない。

安岡が言う「日本精神」とは、「世の中」のこと、すなわち、組織や社会との関係における「個」の立ち位置と心構え、日本人の道徳倫理のことである。それも、儒教、とりわけ王陽明の思想との関係について、歴史的人物の思想と行動を借りて解説している。

 

陽明学の神髄は、「心即理」であることは、前回の解説のとおりである。「人が人生を生き抜くための心のありようを説いたものであり、良知による感情と理性の調和によって誠意・正心が得られ、そのことが予定調和としての秩序となる」というものである。

しかし、陽明学では、「仁」についてほとんど触れられていない。「仁」は、孔子が最も重要な徳と位置づけたものであるが、「仁」は孟子が喝破したように「優しさ」の一言でかたづけられるものであり、それ以上でもそれ以下でもないのであろうか。

大本の「論語」ではどうだろう。論語の512短文中、「仁」について50数文が当てられている。論語の1割は「仁」についての説明であるが、「仁」とは何かという論理的な説明はない。儒教の四書全般が、哲学的究明という点においてはやや難がある。その中でも、「仁」については特に漠然としている。何年も考えてきたが、分からなかった。「人を愛することだ」と孔子は言ったが、弟子達は容易には理解できなかったのであろう。多くの弟子達が、「仁」について孔子に問うている。

弟子の顔淵が「仁」とは何かを訪ねると、孔子は、「身を慎んで礼に立ち戻る」ことだと答え、仲弓が訪ねると、「自分の望まないことは人にしない」ことだと答える。燓遅が訪ねると「人を愛することだ」と答え、子張には、「恭(うやうや)しく、おおらかで、信(まこと)があり、機敏で、恵み深いことだ」と答える。

 

孔子は、「仁」とは全徳において最高の徳だと言うが、弟子達の問いに対する答えは、仁的行動の例を示しているに過ぎず、「仁」の本質を示そうとはしない。そして、孔子は、「仁は遠くにあるものではない。自ら仁を求めれば、すぐにやってくるものだよ」と弟子達に言い聞かせる。そうかと思えば、「聖や仁などというものは、私などにはとてもとても」とも言う。

 

孔子は、「私の思考・行動を見て仁とは何か」を自分で考えろと言っているようである。

 

私は、この春、身と心の半分を失った。最も親しい人を失ったとき、人の悲しみというものが如何に深く、そして如何にせつないものであるか、身をもって知った。人の感情とは一体何なのだろうか。外からの刺激、入力に対応して脳が考える間もなく反応する、つまりこういう入力には喜ぶとか、怒るとかを、あれこれ思考して反応するのではない。Wikipediaによれば、「感情と思考や認知は、たとえその人が意識にのぼらせなくても密接に関係し合っている」と説明されている。無意識のうちに反応するのである。

 

こういう感情の回路は、ほぼ4歳までに形成されるとしている。三つ子の魂百までもである。感情のなかでも不安・恐怖・怒りなどは哺乳動物全般に見られるが、人が抱く社会的不安・恐怖・怒り等とは異なり、進化過程で獲得された刺激と行動だと考えられている。感情と思考・認知については、未だに未解明な部分が多い。例えば、落語を聞いて笑う、音楽を聴いてうきうきした気分になるなどのメカニズムは良く分かっていないのである。生活文化における「情」については、同様にWikipediaでは、「他人の感情を深くくみ取り(感受性が高い)、場合によってはそれに伴った感情を態度(涙を流すなど)や行動に表すほどに心が豊かな事を「情に厚い」という」と解説している。

最近の脳科学では、ドーパミンやオキシトシンという脳内ホルモンとその神経系が解明されつつある。ドーパミンは、快楽とかやる気にかかわるホルモンであるが、その神経系をドーパミン神経系といい中脳から大脳まで軸索が直接延びているらしい。つまり、いくつもの神経系を経由して大脳に伝わるのではなく、快楽系の感情は大脳に直接伝達されるという。無意識的認知なのである。

怒りや、悲しみに関する伝達系は、分からないが、感情に関係する神経系(中脳)がドーパミン神経系と同様の経路をたどるとすれば、ほとんどが無意識に反応することになる。朱熹が説いた感情の論理的制御というものは不可能であり、王陽明が言うように感情と意識(考える)の繰り返し学習によってのみ制御できるとするのが正しいということであろう。哲学というものの大方は、現代脳科学の発達によって多くの間違いが指摘されつつある。古典的哲学をそのまま信じてはならないのである。

 

感情の中でも「悲しみ」ほど、人に与える影響の大きいものはない。身体に危険を及ぼすような恐怖感は、人間だけが持っているものではないので、人が知的生命体として存在しうる最大の要因は、この「悲しみ」の感情を有していることだと、私は確信した。

 

孔子の母親は、巫女だったと言われている。巫女と言うと、怪しげな祈祷師と思われがちだが、現代の祈祷師とは違う。葬祭全般を司る、いわば坊主と葬儀屋を兼ねた存在である。2,500年前の中国の宗教は、祖霊崇拝、陰陽五行説等が混在した土俗宗教だったと思われる。中国だけではなく、西欧、中東においても似たりよったりであろう(エジプトの太陽神、ギリシャの多神教、ユダヤ教、ゾロアスター教、インドの仏教・ヒンズー教等が同時代の世界の代表的宗教である)。儒教の「儒」とは「儒家」を意味しており、葬祭を行う集団のことである。

孔子は、この母親に育てられ、もの心ついた頃までに多くの人の死とその悲しみに触れる母親を見ていたに違いない。孔子という人が実に情の深い人であったことは、論語にも表れている。弟子の顔淵が死んだとき、孔子は身を震わせて号泣(哭泣)している。孔子は、楽器を演奏し、音楽の素晴らしさに感動し、詩をこよなく愛した。また、おとむらいでは度々声をあげて泣き、近親者を死なせた人のそばで食事をするときにはあまり食べなかったというエピソードもある。

 

人の悲しみを深くくみ取り、その人に寄り添うことができる優しく暖かい心、これが「仁」の神髄なのである。

「医は仁術」と言うが、まさにこの「仁」なのである。現代の医者に仁の人などいないということを、今回、私は身をもって知った。日本の医者だけではなく世界の先進国の医者は、おそらく似たり寄ったりの不仁の奴ら、小人に成り下がったか、もしくはサイコパスばかりが医者になっているに違いない。

 

王陽明は、恐らくこの「仁」の意味を深く考え、その結果として「心即理」を説いたに違いない。儒教の神髄は、豊かな感性、人の悲しみに深く寄り添える心を持った人が、高い知識とつきることのない学習能力によってこの「仁」(感情とその制御)を経験的に高めることであると喝破した。それが「知行合一」なのである。

 

孟子も四端の中で、惻隠の情は「仁」の始まりだと言っている。

 

惻隠之心、仁之端也。羞悪之心、義之端也。辞譲之心、禮之端也。是非之心、智之端也。(孟子 巻第三 六章 四端「仁義禮智」)

 

話は逸れるが、わが国の教育制度が立身出世の具と化したことを書いたが、孔子も論語の中で、「昔は、勉強は修己のためであったが、今や人に知られるために勉強する」と嘆いている。2500年前も現代も教育の難しさに変わりはなさそうである。

 

儒教は宗教かと言えば、そうではない。弟子の季路が、孔子に神霊について質問をすると、孔子は、「人に仕えることもできないのにどうして神霊に仕えることができよう」と答え、死とは何かという質問に対しては、「生もわからないのに、どうして死がわかるのか」と答えている。人というものほど不思議でわけのわからないものはない。

人間の脳は極めて不完全なものである。決して完全なものになることはない。何故なら生命体であるからである。

 

長々と、「仁」について書いてきたので、安岡正篤の「日本の精神」に戻ることにしよう。

 

<日本民族の自覚・・云々>

私が、参考にした「日本精神の研究」は、昭和12年版であり、初版に加筆したものである。昭和12年は、日本が大東亜戦争に突入する4年前であり、昭和5年の満州国建国、昭和6年の満州事変と、日本は中国だけではなくアジア全域にその手を伸ばしていた。欧米の植民地と化していたアジアの開放を大義とした。

安岡は、本の冒頭で、「果たして現代日本にこの重大なる・・一国の問題ではなくして、亜細亜の、否世界的枢機を有する・・・時局を処理するだけの腕に覚えがあるであろうか。自ら顧みて色を失うことは無いであろうか」と警告を発する。

昭和10年代の日本の状況を下記のように嘆いている。

「現に今の風俗好尚は余りに華奢繊細ではないか。男子に意気も張りもなく、質朴簡素の体を去って浮華軽薄を極めている。・・・・線の細く弱々しいのが現代式である。女はまた奥ゆかしいたしなみを一般に失って了って、街を通るにもあさましく感ぜられる程濃厚な作りに、締まりの無い身ごなしで、無恥無節操を曝け出して居る・・・・・」

「放縦自堕落、肉欲的退廃、利己主義的凶暴」の極みは、令和の今に始まったことでないのである。

さらに、近代工業化・分業化の結果として人間は極めて偏った部分人に化せられ、機械化し、商品化せざるを得なくなったと言う。現代的個人は、「兎角、木を根幹枝葉に分析観察して、木の生命を味わえない、書を点画に分解して、全体の風神を逸し去って了う。彼らから観れば家庭も親子兄弟の雑然たる、功利主義的集合である。国家も主権者と領土と人民との結合より以上の何ものでも無い。英雄も凡人も要するに生物学の法則に率う自然的存在に過ぎない。かくて彼等は自然法の下につながれた動物である。生命の法悦・霊魂の歓喜は与り知る所では無い」とも言っている。

まさに令和の現代とよく似ているではないか。

安岡の時代感覚は、飛鳥寧楽時代から現代までの全ての時代に共通に観られる一般的時代感覚である。しかし、明治維新以後半世紀を経ると、欧米から輸入された自然科学思想、西欧哲学、デモクラシー・平等主義といった政治思想、キリスト教的倫理感が国民思想の大半に及び、それも、断片的知識のみが一人歩きをしていることに、安岡は一般的時代感覚で済まされない感慨を持った。

 

断片的な西欧思想=観念論(デカルト、カント、ヘーゲル等)的思考、分析的思考は、親子関係、家族・社会の絆さえも壊し始めていると、安岡は言う。「今や、欧州文明諸国は爛熟の極み退廃の路を急いでいる」とし、「我が日本が実に其の勃興の原動力であると」論じる。

 

安岡は、西欧の分析的思想が分裂的社会を生み出し、自然科学を発達させたのに対し、東洋思想が直感的で体験的であるが故に統合的社会を生み出していると感じ、考えた。勿論、多神教ギリシャに始まる西欧社会が一神教倫理社会へと変化していった理由は説明されていない。実は、西欧が一神教社会へと何故変化したかを論理的に説明したものはないと言って良いのである。あえてこの点に絞って論究すれば、ギリシャの自然科学、自然哲学、政治哲学がその起源であると言える。つまり、「何故:Why」と物事を分析し究明していくと、物事は、タマネギの皮をむくように限りなく細かな部分に分割される。しかし、我々が目にしているのは、分割された物事や事象ではない。物事や事象は、本来分割された部品で構成されていることは、ほぼ間違いではないだろう。しかし、ひとたび人間と向き合うとなるとそうはいかないのである。人間の存在や行動をいくら分析しても、人間というものは分からない。分析的に人間を知るためには、人間というものを全て知っている全知全能の存在、「神」が存在すると仮定する必要があるのである。古代の知識層(哲学者)にとっては当然の帰結であったかもしれない。

一方、東洋では、こういった思考形態をとらなかった。孔子、老子に始まる先人の直感と体験の解釈学へと傾倒した。東洋思想が自然哲学に至らなかった原因はここにあるが、何故、分析的思考形態をとらなかったのかはわからない。孔子、老子の思想が問題なのではない。孔子は論語の中で様々に徳を説いたが、人の精神の本質については何も説明していない。つまり哲学をしていないのである。人間とその社会は、分析的なアプローチでは何も得られない、不毛であると喝破したのだろうか。

安岡は、東洋思想に哲学が欠けていることを鋭く指摘しているが、一方では、西欧化した日本社会においては、統合的である東洋思想が重要であることを説いている。

 

<如何に生くべきか>

安岡は、日本民族の理想的精神は「如何に生くべきか」にあると言う。さらに、「如何に生くべきか」は、「如何に死すべきか」と同義であるとも言う。突然として「如何に生くべきか」と問いかける。儒教の神髄を説き、自律的人格の形成へと論を進めたところで、「永遠の今を愛する心」と題して、「如何に生くべきか」と問いかけるのである。

大正末期から昭和初期の日本は、朝鮮・台湾併合後さらに一歩進めて満州国建国へ突っ走り始めた時代である。安岡は、日本人よ覚悟はあるかと呼びかける。覚悟とは「平素における死の覚悟」だと。

一見、論理的飛躍とも見えるこの展開は、極限状況にまで至った日本の時代状況と密接に関係している。

死の覚悟をもって時代に立ち向かうという精神がなければ、この時代状況を打破することはもはや困難な状態となっていたのではないだろうか。

安岡は、「日本人は現世的である。死を軽んずる不思議な心理を持っている民族であるとは、始終見聞する事実であるが、その根底には是の如き真理がある。我々は死を覚悟するが故にこの生を愛する。知らず露の命いかなる道の草にか落ちんと観ずるが為に、露のひぬ間の時を惜しむ」と言う。ひぬ間とは乾くまでの間ということである。生きているということ自体、今、現実のことである。明日生きているかどうかはわからない。生きているという事実は過去でも未来でも無く、今なのである。明日、否、少し先にはもしかしたら死ぬかもしれないのである。生物学的に観ても、生命体の存在そのものが奇跡に近いのだから。

 

安岡は、今を生きるという死生観として武士道を挙げて解説を進めている。

 

この武士道について安岡は、様々に展開しているが、今回はここまでとしよう。

 

 

あまりにも寂しいので、YouTubeを観ていたら、妻とともに良く歌った美空ひばりが沢山あったので聞いてみた。確かにうまいが、寂しさや悲しみを癒やされることはなかった。妻が亡くなる前に、「この子の歌はうまい」と言っていた歌手がいたので聞いてみた。島津亜矢である。哀愁列車、ギター仁義、浪曲歌謡等々、実にうまい。元気がでてくる。天性の声であろうか。声量のある高音部が、うるさくないのである。少しは音楽にも素養があると思っているが、一般的にボリュームがあると音楽がうるさくなり、ほぼ雑音となる。しかし、島津亜矢の声にはそれがないのだ。パバロッティ、マリアカラス等もそうである。この人の声は、人の感情に直接響き、それも心地よい感情を抱かせる。ありがとう。少し元気がでてきました。

ただ、演歌歌手の方に申し上げたい。技巧におぼれないように。妙に崩してみたり、リズムを外したり、気持ちが悪くなるようなビブラートをかけたり、等々はしないようにお願いします。島津亜矢さんの音程や日本語の発音の確からしさ、歌い方はまさに技巧におぼれず見事に技巧を駆使しています。経験を重ねると、技巧に走るきらいがありますが、どうぞ若いときの正確な技巧を踏襲して下さい。パバロッティは若いときも歳をとってもその歌い方にほとんど変化はありません。彼が歌った曲は、全てカバー曲です。

 

 

コロナは劇的に感染者数を減らしている。日本だけが減少しているが、コロナの遺伝子に変化はないとのこと。本当かなと疑っているのは私だけだろうか。

 

                                    2021/10/24  
2021/01/22

この国の精神 緊急 アメリカ民主党の全体主義への転換

この国の精神 緊急 アメリカ民主党の全体主義への転換

 

バイデンがアメリカの新たな大統領として就任した。

何ともおぞましい決定である。今もって、日本の政治学者(例えば慶応大学のN氏、早稲田大学のN氏)や日本に住む米国人の一部は、不正選挙などはなかったと叫んでいる。1票も不正選挙はなかったのか。そんなことはあるまい。テキサス州では、不正選挙を行ったとして役人や民主党の選対幹部が逮捕されている。どうして、他の州では不正選挙の逮捕者が出てこないのだ。

何度も言うように、国民一人1票の権利を行使する選挙は、民主主義の基本中の基本であり、これなくして民主主義は成立しない。

恐ろしい発言を聞いた。アメリカ民主主義は、上下両院合同会議で選挙人投票が行われることだと民主党・共和党の幹部が言っている。こんなものは単なる儀式に過ぎない。憲政儀式である。

テキサス州の不正選挙摘発の事例みると、裏の買収組織がありそうである。民主党や共和党に関係なく金で集票する組織であり、州や郡の役人などで構成されている可能性がある。何せ、テキサス州で逮捕された選挙担当の役人は、今回の選挙で20万ドルほど貯め込んだというのだからそれこそ一稼ぎである。アメリカの国政選挙は、2年毎に実施され、大統領選挙は4年に一度である。それに、州議会選挙、知事選挙を含めるとほぼ毎年選挙をやっている勘定になる。今回の大統領選挙では、数百億ドルの金が動いたとも言うからすごいものだ。テキサス州のように不正選挙を厳格に取り締まっている州でさえ、一人の集票犯罪者で20万ドルだから、仮に3割ピンハネしているとすれば集票人一人に60万ドル、つまり6千万円程度が支払われていることになる。激戦6州では相当な数の集票人を組織しただろう。1州当り50人とすれば300人である。少なく見積もっても2億ドルは下るまい。それに加えて、ドミニオン投票機による不正だ。

 

日本の政治学者が、不正がなかったという根拠は、裁判で棄却されているからとか、州政府の再集計で確認されているからとかを根拠としているが、こんなことが根拠になるわけがない。ひどいのになるとバイデンジャンプ等は統計的にはあり得るなどという発言に至っては、何おか言わんやである(郵便投票の開票結果だとしても物理的に不可能)。

慶応・早稲田の学生達もかわいそうなものである。嘘とわかりながら平気で嘘をつくこんな教師に教えられているのだから。

さらに、「民主党支持者は比較的教育レベルが高いが、トランプ支持者は教育レベルの低い層が多い」と言う。確かに一般的にはそうであるが、だから民主党が民主主義的であると言えるのか。金の亡者と化したエスタブリッシュの政治は寡頭政治であって民主主義ではない。政治学者が、このような根拠でトランプ批判をするなどおよそ学問とは言いがたい。現代版の全体主義イデオローグそのものではないか。

YoutubeSakuraSoTVという報道チャネルがあるが、その中で米国在住の評論家である伊藤貫氏へのインタビューがあった。トランプ政権について実に興味深い評論であるので、参考までに下記にURLを掲載しておく。

https://www.youtube.com/watch?v=u9nKYItOqj8

この中で、伊藤氏は、トランプ政権がアメリカ民主主義の腐敗、DS(ディープステート)の存在を白日の下にさらしたという成果を次ぎの6つに要約していた。

①司法の腐敗

   FBICIA、司法省がでっち上げたオバマゲート(ロシアゲート)

   今回の不正選挙における警察・検察・裁判所の見て見ぬ振り

②メディアの腐敗

   オバマゲートの報道なし、不正選挙の報道なし、中共批判の報道なし

③ネット(GAFA)の横暴 言論の自由の破壊

④中共の恐ろしさ

⑤共和党のだらしなさ 

⑥仕組まれている政治システム

 

今回の大統領選挙により、米国民の40%程度は、これらの実態を知ることになった。2022年の中間選挙が見物である。

 

民主主義は、容易に全体主義に移行する。今回のアメリカ大統領選挙がそれを示している。

 

アメリカだけではない。これまでも自由にモノが言えなくなった日本社会、恐怖による政治など論じてきたが、いよいよアメリカはこういった状況に突入した。そして、それに気がつき声を上げたのが、バカな日本の政治学者がいう「教養レベルの低い国民」達であり、それが今回の大統領選挙である。

2021/01/22

2020/12/20

この国の精神 緊急 腐れきったアメリカ民主主義

米国大統領選挙は、1214日の選挙人投票でバイデンが勝ち、トランプが負けた。米国の主流メディア、日本の主流メディアは、選挙不正などはなかったかのように、あるいは、トランプが選挙不正をでっち上げているかのように報道した。

 

本当にそうなのか

 

激戦6州の膨大な選挙不正の証拠、ドミニオン投票機の不正ソフト、ジョージア州の監視カメラの映像、膨大な偽投票用紙の存在等々、ジュリアーニ弁護団の懸命な調査結果は、その調査の正確性においてもはや否定しがたいものである。それに対して、裁判所は、地方裁判所だけではなく連邦最高裁までもが門前払いをした。

 

チェックシステムとしての機能を果たすべき報道、正義を守るための裁判所までもが、悪を悪としない社会とは何という社会なのだ。

 

アメリカは腐れきっている。

 

戦後日本の民主主義なるものは、アメリカを手本として進めてきた。しかし、わが国は、幕末、明治維新、第二次世界大戦という激動の近代のなかで、僅かに現代に痕跡をとどめる日本的陽明学思想を法治思想の背景に潜ませ、戦後復興期の政治思想、経済思想においてもその精神性を正義の基本としてきた。結果として、そのことが、ソ連や中国の共産主義の脅威に立ち向かう唯一の武器であったことは確かである。これが、国家の歴史・伝統にみる思想という強力な武器である。

 

建国からわずか250年しかないアメリカ合衆国が、国家として立っていくためには法治以外に手段はない。建国の精神は、欲望の資本主義に駆逐され、今や、金と恐怖(脅迫)が支配し、連邦最高裁までもが汚職と腐敗にまみれている。正義を守るジャーナリズムなるものは存在しない。プラットフォーマー等には、倫理道徳、正義のかけらさえなくなった。

 

今回の不正選挙を正し、正当なる勝者を決定できなければ、アメリカは、法治制において世界の信頼を失うことなる。

 

我が日本も考えなくてはならない。主流メディアの腐敗は、もはや他人事ではない。これからはアメリカを頼りにすることはできない。

 

西部師匠が言っていたように、今こそアメリカから独立し、日本ファーストを目指す時代に入った。

                                       2020/12/20

2020/12/13

この国の精神 緊急 アメリカ大統領選挙 不正選挙と合衆国憲法

米国大統領選挙は、不正選挙を争点にいよいよ終盤に入った。国民の直接選挙により大統領を選出する大統領制をとっている国々は多い。お隣の韓国もそうであるが、君主のいない国家における典型的な民主制度が、このアメリカの選挙制度である。勿論、共和制国家のケースであるが、単一国家においても重要な示唆を与える。

 

アメリカ国家が依ってたつ精神とは何かがが、今回の大統領選挙で少し見ることができる。法の精神と言えばそうだが、むしろ法を成り立たせている国民の精神とは何かである。民主主義の本質は、法治主義にあると言われるが、法は詰まるところモノである。モノを作ったのは人の精神である。

 

さて、テキサス州が、大統領選挙についてジョージア州、ペンシルベニア州、ミシガン州、ウイスコンシン州を連邦最高裁に提訴した。提訴理由は、「被告各州は不在者投票に関する州憲法が定めた規則を拡大解釈して運用した。このことが合衆国憲法が定める平等権を侵害するものであり憲法違反となるので判断して下さい」というものである。この提訴理由は、前回のペンシルベニア州における連邦巡回裁判所への提訴内容とほぼ同じであり、この訴訟は継続中である。

連邦最高裁の判断は、「棄却」である。棄却理由は、「原告不適格」である。この原告不適格というのは、実にわかりにくい。日本の行政訴訟(行政事件に対する訴訟)ではしばしばこの原告不適格による棄却がある。簡単に言えば事件当事者としての適格性がないということである。例えば、建設差し止め訴訟などであるが、最近では事件当事者についての定義が判例等から明確となってきている。

 

テキサス州が最高裁判所に直接提訴可能なのは、米国合衆国憲法第二条第1項によるものである。

私も、今回の米国選挙の混迷から多くのことを学んだ。米国、州政府、連邦制における法治主義の難しさである。仕方が無いので合衆国憲法を読んで理解することにした。

 

米国合衆国憲法第二条第1項は、「2以上の州の間の争訟。【州と他州の市民との間の争 訟。】[修正第11 条により改正] 異なる州の市民間の争訟。同じ州の市民間の争訟であって、異なる州から付与された土地の権利を主張する争訟。1 州またはその市民と外国またはその市民もしくは臣民との間の争訟」となっており、確かに2州間に関する訴訟は受け付けることになっているが、問題は案件である「平等権」についてである。

 

平等権は、下記のように記されている。(Wikipediaより)

 

修正第14 条[市民権、法の適正な過程、平等権] [1868 年成立]

1項 合衆国内で生まれまたは合衆国に帰化し、かつ、合衆国の管轄に服する者は、合衆国の市民で あり、かつ、その居住する州の市民である。いかなる州も、合衆国市民の特権または免除を制約する法律 を制定し、または実施してはならない。いかなる州も、法の適正な過程によらずに、何人からもその生命、自由または財産を奪ってはならない。いかなる州も、その管轄内にある者に対し法の平等な保護を否定してはならない。

 

テキサス州は、「被告州が州憲法に定められている選挙規則以外の選挙手続きにより選挙を実施したことにより、テキサス州の州民は平等権を侵害された」と提訴したが、「却下」となった。憲法条文からは、被告州の州民が平等権を侵害されたがテキサス州には影響が及ばないとも解釈できるので、当事者適格性がないとも言える。もう一つの見方は、州の選挙ルール・手続きが州憲法に違反しているかどうかは、まず州裁判所に控訴すべきであり、州間問題として直接最高裁に控訴するべきではないという考え方である。

 

しかし、この両方の解釈にしても何とも言いがたい。

 

連邦最高裁が審理しないあるいは審理したくないと考えているのではないかと思われる。その理由として、次のような大きな問題があるのではないかと考えられる。

 

①これまでの憲政史上類のない大規模な選挙不正であると認識していること。

②州憲法及び選挙制度については、不正の可能性、選挙の厳格性等を州議会が審議して判断すべきであること。

③組織的で大規模な選挙不正に関しては、州及び連邦の司法・警察当局が厳格に捜査を行い、不正の証拠によって州議会が選挙人選定について決定すべきであること。

④不正の規模が大きく、かつ、外国の介入あるいは組織的な介入がある場合には、最高裁は介入する意志はなく、司法及び大統領権限によって解決されるべきであること。

 

つまり、歴史的不正選挙に関係したくないという意志表示である。

 

何とも情けない司法制度、法治主義だと言えなくもないが、視点を変えれば、もはや最高裁で判断すべき基準を超えた問題とも考えられる。

 

一方、リン・ウッド弁護士の訴訟と、ペンシルベニア州議員からの訴訟が最高裁に上がっている。リン・ウッド弁護士の訴訟が受理されたかどうかはわからないが、審理が開始されれば当然のことながら膨大な選挙不正証拠が公開され、広く国民が知ることになる。例え却下されたとしても、提訴した効果は大きい。

さらに、パウエル弁護士が激戦州4州について最高裁へ提訴し、アリゾナ州も最高裁へ提訴するらしい。裁判は、これからも続く。

 

合衆国憲法の大統領選挙条文では、選挙人の選出日・投票日を連邦議会が決めることができるとされている。ブッシュ選挙の時には、最終的には1月20日であった。

いずれにしても、残り1ヶ月はありそうだ。

 

さて、この後である。

 

不正選挙の実態はどこまで明らかにされるか?

 

主要メディアは、不正選挙について一切報道しない。何故か?

一つの見方は、不正選挙だと称するデマ情報が蔓延して、収拾がつかなくなる恐れがあることである。しかし、この見方には問題がある。仮にも、不正選挙だと提訴しているのであれば、提訴内容を報道する義務がある。

もう一つの見方は、主要メディアに対して民主党や関連組織からの圧力がかかっている可能性である。CNNCEOの電話内容が曝露されたことからこの可能性は十分にある。意図的に報道していないのである。テレビ放送等の電波報道、SNS等の通信回線利用は、公共財(電波、回線等)を利用しているのであるから、報道内容に偏向性があってはならない。日本であれば放送法違反や放送倫理に抵触することになる。新聞の場合には、公共機関への取材に対する記者証の発行停止処置である。

 

FBIも不正選挙捜査に乗り出したそうだが、どこまで本気で捜査するか疑わしい。不正選挙の内容、規模を考えると、特別検察官の任命と大統領令等の法的処置が必要かもしれない。

 

今回の不正選挙疑惑の本格的解明のためには、州議会による解明のための決断が不可欠であると考えられる。激戦6州の腐敗と堕落がひどければ、テキサス州に代表されるように、州が連合して不正州を追求するといった活動も必要になろう。

 

反逆罪の適用は可能か?

 

合衆国憲法の第3章[司法部]第3 条[反逆罪][第1 項]では、「合衆国に対する反逆罪は、合衆国に対して戦争を起こす場合、または合衆国の敵に援助と便宜を与えてこれに加担する場合にのみ、成立するものとする。何人も、同一の外的行為についての2 人の 証人の証言、または公開の法廷での自白によるのでなければ、反逆罪で有罪とされない」としている。

 

外国及び国内組織からの、サイバー攻撃、選挙システムへの侵入・改変は、明らかに国家に対する戦争行為と見なすことができる。ドミニオン投票機や集計システムへの侵入・操作等、内外部からの操作が意図的になされたという証拠があり2名以上の証人と自白がある場合には、反逆罪の適用は可能だろう。また、反乱法の適用も可能になるかもしれない。米国は、現在、国家緊急事態宣言下にあり、こういった証拠が提示されれば、部分的戒厳令及び人権保護法の発動という、大統領権限の行使もなくはない。

 

激戦州の州議会は行動する必要があるが、州議会の開催権限は知事にあるのであって、議会にはない。州議会の開催は来年の1月となる。最終決定日を1月20日とすれば、1月前半の議会による議決が必要である。連邦司法により不正選挙が暴かれるようなことになると、州議会の信頼を失墜する。共和党と民主党も、そろそろ覚悟しなければならないのではないか。

 

まだまだ米国大統領選挙から目が離せない。

 

2020/12/13

2020/11/30

緊急 米国大統領選 不正選挙と民主主義

緊急 米国大統領選 不正選挙と民主主義

 

 米国大統領普通選挙が、不正選挙を争点として激戦州6州で混迷状態となっている。今回の大統領選挙は、民主主義とは何か、民主主義を守り抜くための法制度とは何かについて、極めて重大な問題を我々に示している。

 

 民主主義については、これまでも「堕落論この国の精神」で論じてきた。民主主義というものは、実に難しいものなのである。人間の感情と理性の調和のとれたバランスの中にしか存在しない。バランスが崩れれば、民主主義も崩壊する。だから、民主主義社会では、常に民衆を扇動してこのバランスを崩壊させるような圧力が働く。現代の報道・SNSは、バランス崩壊装置とでも言えよう。ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、CNNABC等の報道は、偏向報道と言われているが、今に始まったことではない。言論というものにとって偏向性は避けられないのである。民主主義は、バランス崩壊装置と陰謀に破壊されるバランスを何とか維持しようとする自律運動なのである。

 

 特に最近言われているのが「陰謀論」である。ケネディー暗殺に関わるCIAの陰謀等はその代表的な例である。陰謀論で言えば、ウオーターゲート事件なども逆の見方をすれば陰謀論になる。最近では、ディープステート(グローバル金融資本)も陰謀論と言えば陰謀論である。陰謀論は、ありもしないことのでっち上げだと一笑する評論家や政治家がいるが、こういった連中の知性は既存の知識のみに依拠するバカとしか言い様がない。陰謀論は陰謀物語であり、感情による動きと理性による動きが入り乱れる、つまり、文学作品でもある。「革命は文学から生まれる」とは真理である。

 

 それはさておいて、今回の不正選挙の問題を整理してみよう。

 

(1)米国大統領選挙に関する連邦法と州法の違い

 

連邦法には大統領選出に関する普通選挙の手続き法はない

 

普通選挙は、連邦法にはなく州法により規定されている。従って、普通選挙で不正選挙があったとしてもそれは州法によりまず解決しなければならない。

 

期日前投票に関する規定

 

普通選挙は州法の手続きであるから期日前投票の方法も州法で規定される。1128日、ペンシルベニア州は、州控訴裁が州議員から提出されたバイデン確定認証の差し止め請求を棄却した。州議員の訴訟内容は、今回の郵便投票は、州憲法で定められている郵便投票の拡大解釈であり違憲であるというものである。


期日前投票については、2002年連邦投票支援法があるが、これは、投票機や郵便投票等の認証方法等について、各州の費用面に対する支援の枠組みを制定したものであり、規定法ではない。しかし、郵便投票における選挙登録、本人確認の方法についての手法例は、別途示されているようである。


一方、ペンシルベニア州の期日前投票の郵便投票については、例えば軍人で州内にいないとか、病気で動けないといったいくつかの事情がある場合に限定されていた。ところがペンシルベニア州は、民主党の州知事と州務長官により1年前に拡大解釈の修正がされており、不服があれば制定後180日以内に改正することとなっている。そのため、州最高裁は裁判の対象にはならないとして棄却したのである。拡大解釈規定は、推測であるが州憲法の修正ではなく、個別法として制定されたものと思われる。


そこでペンシルベニア州議会は、あまりにも不正がひどすぎるので、議会として選挙人の選定を行うべきかを1130日に議論するということである。


選挙人の選定方法には二通りある。普通選挙と議会による選任である。

 

それにしても、州最高裁判所の棄却理由が制定後180日以内でないから駄目だというのにも恐れ入った。


かつてソクラテスは、死刑の判決に対して、「悪法と雖も法は法である」と言った。が、権力者がその悪法を用いるか否かだとも言ったと記憶している。ペンシルベニア州の郵便投票拡大解釈規定は、まさに悪法である。それも、コロナパンデミックが発生する前に、民主党が郵便投票を武器に勝てるように仕組んだと考えるは陰謀論だろうか。陰謀論で言えば、民主党は既に1年前にコロナウイルスによるパンデミックの発生を知っていたのではないかとも思えるが。

 

不正選挙に対しては、各州の議会が民主主義を守り何が正義かを示すために立ち上がらなければならない。これだけ大規模な不正が行われている状況に対して、州最高裁が不正訴訟を現時点でほとんど反論の余地なく却下することは、異常である。不正には目をつむり投票者の権利を擁護することだけを主張することが民主主義なのか、証拠が仮に不十分であったとしても不正の程度が少なくとも1%未満であるか否かを何らかの科学的手法により評価する必要はあるのではないか。これまでの訴訟の経緯を見ていると、証拠を示す原告側の科学的根拠が少なすぎる。膨大な投票数に対して、完全なる不正証拠を示すことは難しいが、科学的推計による証拠の否定は極めて困難である。実態の解明は、司法による捜査しか方法がないからである。


民事による訴訟却下が続き州知事による選挙確定認証がされたとしても、これから始まる刑事訴訟によっては大事件になる可能性は極めて高い。刑事訴訟で不正の実態が暴かれ、不正票数が選挙結果を覆したとき、州最高裁の権威は失墜し、同時に、議会も信任を失うことになる。州の民主主義が崩壊するのである。


大統領選挙の正当性を確保するために設けられた米国の様々な法的手法には感心したし、勉強にもなった。


しかし、一方では、金銭欲と権力欲という悪に墜ちるところまで墜ちた権力者の実態を暴きだした歴史に残る事件である。主流メディアは、沈黙して一切報道しない。ネットだけが情報源になる。


トランプ大統領のなすべきことは以下の4つである。


①司法長官、FBI長官、CIA長官を即刻解任し、バイデン疑惑の特別検察官、選挙制度における郵便投票不正疑惑及びドミニオン疑惑解明のための特別検察官の任命。

②民主主義を守るための不正選挙の廃絶運動の集会支援と全国展開。

③市民運動を支援するための寄付の呼びかけ。

④コロナ対策のための給付金再交付。

 

これだけやれば、不正選挙に負けてもいいではないか。バイデンはすぐに倒れる。

 

(2)ドミニオンによる不正集計

 

投票集計装置や集計システムがインターネットに接続されていれば、簡単にハッキングされることは当たり前である。ハッキングされなくとも、投票数を入力する方法が設定されていないことは通常あり得ないので、簡単に修正は可能である。通信システムを開発したことのあるエンジニアであれば、どうすればデータを書き換えることができるかは誰でも知っていることである。

 

 ドミニオンを回収してソフトをチェックし、サーバー内のデータログ(必ず記録される)、ハードディスクの更新残渣を見ればどこの装置から何時送信されたかは簡単に分析できる。さらに物理的に不可能な集計数等も容易に分析可能であるし、他から侵入されたこともすぐに分かる。


この分析結果が公表され、組織的な不正が明らかになると大変なことになる。民主党の解体の危機になるかもしれない。


パウエル弁護士、軍部等が分析をしているので、遅かれ早かれ結果が公表されるだろう。ミシガン州等のあの不可思議なバイデンカーブ、統計的に起こりえないべンフォードの法則違反、投票行動の逆相関等の現象が解明されることになる。

 

情報システム、統計学的にも興味はつきない。

 

 

今週中には、概ね方向が見えてくるだろう。この歴史的事件をできるだけ正確に見ておかなければならない。未来の民主主義を考えるためには、二度と得られない経験であると思われる。


それにしても、米国の主流メディアの堕落、社会学者、政治学者の堕落のひどさにはあきれ果てる。米国だけではない。日本の政治学者、社会学者も似たり寄ったりだ。日本の主流メディアに登場する学者なるものの堕落もひどいものだ。これが一流の学者だとは。不正選挙の実態を調査している学者やジャーナリストはいないのか。

 

日本の国会では、相変わらずクズ野党が花見だと叫んでいる。コロナ問題、尖閣問題、中国問題、RCEP、中韓問題、格差社会・貧困問題・・・・山ほど緊急の問題があるにも関わらずひたすら政局を狙う醜さを堕落の一言で終わらせることはできない。

2020/11/30

2020/11/05

この国の精神 「日本精神の研究」 安岡正篤(3)

この国の精神 「日本精神の研究」 安岡正篤(3)

 

米国大統領トランプがコロナに感染し、さらに劣勢に立たされている。この男の振る舞いを見ていると、思わず吹き出しそうになる。見方によってはなかなか愛嬌があって面白い男である。ジョン・ウエインをコミカルにしたような男だ。

日本では、日本学術会議会員の任命拒否問題だそうである。堕落論2017以来、何度も指摘しているように、学者、研究者は、それ事態、本質的に堕落した存在なのだ。その堕落者が、政府の庇護のもとに屋上屋の組織にあぐらをかくなどは許されるものではない。即刻、解散すべきである。学者としての功績を評価するのであれば、学者集団80数万人で、別途アカデミーでも作ったらどうだ。堕落者であれば、企業や金持ちをだまして寄付を集めるぐらいお手のものではないか。

国会委員会で、野党は任命拒否理由を示せと叫ぶが、常識外れの質問しかできない野党の知的レベルの低さと、こんなことしかできないクズ政党などはつぶれてしまえと言いたくなる。「学問の自由を奪う」などの発言には、あきれてものも言えない。さらに、ジャーナリストさえも拒否理由を示せというに至っては、どうにもならん。

 

そうは言っても、政府が権威の象徴として、「日本学術会議答申」なるものを散々利用してきたことも事実である。答申の中味の正しさについては、誰も検証していない。批判などすれば学者業界の仁義に反することになり、さらに政府批判にもなるから誰もしない。

聞くところによれば、レジ袋有料化の提言もこの会議によるものだそうだ。レジ袋有料化と科学とどんな関係があるのだ。海洋ゴミの大半は、中国、北朝鮮、韓国あたりが排出していることは、誰もが確信している。排出源を科学的に調査した結果としての提言であるならば、納得できるが、ゴミ排出意識を変える等とうそぶくなどはもってのほかである。最近、ゴミ回収をしている市民活動の報告では、ゴミの量が増えたそうである。レジ袋有料化の影響が出ているのかもしれない。これに輪をかけて、スーパーやコンビニ、あるいは街角からゴミ箱、灰皿が消えている。レジ袋がなくなって、小さなクズゴミが多くなり、ゴミ処理に手間がかかることが要因である。近い将来、この国はゴミであふれ、見た目も低開発国となるに違いない。責任は、日本学術会議、小泉とかいうクズ環境大臣にある。個人が裁判を起こすことはできないが、どこかの小売店でいいから行政訴訟を起こしてくれないだろうか。環境汚染が争点ではない。法律でもなく、国民負担に関わる義務化を強制する通達・規制に対する憲法違反が争点である。こんな悪政を許してはならない。ついでに環境汚染も問題にすれば良い。

 

即刻、解散すべきである。

 

落ちるに落ちた学者業界の実態が、これから様々に暴かれることになるだろう。安岡正篤が生きていたら何と言ったろう。この人は、学者業界とは生涯一線を画した。陽明学とは、「知行合一」を基本思想としているのだから、学者は、知の人だけで生涯を終えてはならないのである。

 

朱子学と陽明学

 

儒教哲学をごくおおざっぱに見てきたが、孟子の五倫である父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信は、2000年以上を経た現在においても、全ての日本人の底流に流れている倫理観であり、いかなる宗教的倫理も及ばない。日本人には、宗教観がない、あるいは信仰心がないと言われるが、それは、儒教的思想にたいする批判精神と学問的探究心という日本人特有の気質によって生み出された道徳倫理の確立によるものではないかと考えられる。

明治維新の精神的原動力は、西欧列強の脅威や先進知識の導入といったことだけではない。江戸時代の200年間にわたり繰り返し行われた思考実験、つまり儒学を受け入れ、批判し、分解し、再構築するという実験の結果に他ならないと考えられるのである。それも、朱子学ではなく、陽明学が批判展開され、我が国特有の道徳倫理学へと変化し、そのことが日本人の思考方法、つまり思想形成に重要な影響を与えたことである。

 

さて、朱子学と陽明学について、その概要に触れておこう。先にも説明したように、朱子学、陽明学と雖も儒学に変わりはない。ここでいう「学」とは、儒教の解釈の仕方、考え方の一派を指している。朱子学とは、朱熹の解釈であり、陽明学は、王守仁(陽明)の解釈である。

本節においても小島毅と安岡正篤(小島毅朱子学と陽明学」、安岡正篤(「王陽明」)を参考に、朱子学、陽明学に迫ってみよう。

朱子学が興るのは、陽明学に遡ること340年前の南宋(11271279)と呼ばれる時代である。朱子学・陽明学と並べて標記すると、同じ時代に論じられた二論と思いがちだが、とんでもない。時間差は340年もある。現代日本で比較すれば、340年前は、何と1680年代の元禄時代である。当時の社会・政治思想は、赤穂浪士の討ち入り、巷ではやる心中に代表されるように、武士階級における士道・政道の堕落、近松が著した色恋沙汰という風俗の退廃であり、現代からは想像さえ困難である。しかし、人々の心情だけがエッセンスとして現代の我々に伝わる。

王陽明が朱子学をどのように受け止めたかは知るよしもないが、この時間の流れ、つまり歴史の受け止め方は、彼の思想に大きく影響したことは疑いようがない。

 

さて、朱熹は、南宋建国の4年目に生まれ、19歳で科挙試験に合格した。成績はあまりよくなく、一地方官として赴任しており、70歳で死ぬまで10年程度しか任官しておらず、中央への登用はごく僅かであったと言われている。

儒学は、前述のように孔子、孟子、曹氏のように紀元前500年から秦の始皇帝の焚書坑儒を経て、漢・唐時代の五経を中心とする経学・訓詁学(字句の解釈)として継続していたが、唐時代には、仏教、キリスト教、イスラム教、マニ教、ゾロアスター教など、それこそ世界のあらゆる宗教が唐に集まり、宗教混濁時代と言っても良い時代を迎えていた。

 

ところで、中国の歴史を見ると、純粋な漢民族による統治などは、漢時代以後には存在しない。中国には、日本の天皇のような万世一系という思想はないし、山鹿素行が言うように、儒教の易姓革命なる思想は我が国にはないのである。易姓革命とは、徳の低い者が天子となるのを良しとせず、徳の高い者が取って代わる、性を易(か)え、天命を革(あらた)めるという儒教の思想である。儒教的治世感では、徳が高ければ、たとえ民族が違っていても為政者になることは一向に差し支えないのである。

孔子は、学而の思想だけではなく、古来から伝わる陰陽五行説等を統合整理し、易経等にまとめている。陰陽五行説は、現代では迷信で片付けられるような「説」であるが、孔子以前から中国にある思想であり、いわば中国固有の宗教感であると言って良い。こういった宗教感はそう簡単に無くなるものではなく、現代の共産主義中国にも深く根ざしている。

 

朱子学は、中国古来の宗教思想である陰陽五行説からインスパイアされた孔子の五経の歴史的解釈学に対する新たな論評であると言える。前回の丸山真男の解説を再掲する。

「朱子学の形而上学の基礎となったのは周濂渓の太極図説である。これは易の繋辞上伝に「易に太極あり、是れ両儀を生じ、両儀四象を生じ、四象八卦を生ず」とあるのに基づいて、之に五行説を結びつけて宇宙万物の生成を説いたもので、その趣旨を要約すると「自然と人間の窮極的根源たる太極より陰陽二気を生じ、その変合により水火木金土の五行が順次に発生しそこに四季の循環が行われる。陰陽二気は男女として交感し万物を化生するが、その中人は最も秀れた気を稟けたためその霊万物に優れ、就中聖人は全く天地自然と合一している。故に人間道徳はこうした聖人の境地を修得するところに存する」というのであって、宇宙の理法と人間道徳が同じ原理で貫かれていることがここに示されている。」

 

シンプルに言えば、この世界の存在や運動は一定の法則に従っており、これを「理」という。小島によれば、「理」に関する説明は、どこにもないという。孔子論語には、「理」を説いた箇所はどこにもない。学習哲学である論語が政治・経済・社会の変化・複雑化とともに、ついに「何々すべき」である「理」へと変化する。つまり、世の中はこうあるべきであり、それが「理」であるというのである。小島は、「理」の解字の「玉のすじめ」を挙げて、「そうあるべきすじめ」を「理」と呼ぶようになったとし、漢唐以前には使われていなかった言葉が普通にかつ常識として使われるようになったとしている。

中国人にとって、この世界のあらゆる物質の存在や人の存在には一定の法則があるということは常識であって、あえて説明の必要がなかったのである。考えてみれば、説明の仕様がない。宇宙・地球の存在、知的生命体としての人類の存在について、何故存在するかという理屈は説明できないのでアプリオリなものとして、それを「理」と言ってしまえということになる。

しかし、恐ろしいのはこの後である。人には本来備わった「性」、「本性」があり、それは理だというのだ。これを「性即理」という。つまり説明できないから天の理(当たり前のこと)だとする。そして、全ての人間には平等に本来の性、つまり「本性」が備わっいることが天の理なのである。これとは別に気質の性というものがある。この気質の性により物事の善悪が生じる。気というのは存在やモノのことであり、人が育つ環境、知的環境等の具体的社会などを指している。

人の本性は理であり、それは天の理なのである。そうすると、「臣下が君主に、子が親に、妻が夫に絶対服従するのは」(小島 毅 朱子学と陽明学より)、性=理であり、無理矢理させているのではないという論理に展開される。つまり、小島が言うように、自然の摂理なのである。これが、「上下定分の理」として社会階層の上下、封建社会の規範として統治機構に組み入れられ、所謂儒教的社会論として統治思想となる。

朱子学とは、「性即理」であり、陽明学は「心即理」であると説明されるが、朱子学では性と心を区別していた。「中庸」に言う喜怒哀楽の情の発現が心であり、心の状態が理=性にかなっているがどうかが問われるのだと言う。簡単に言えば、感情のままに人に接するのではなく、あらかじめ修養を積んで理=性にかなう心の振る舞いが重要であり、本然の理=性、自然の摂理は「上下定分の理」であるというのである。

これに対して陽明学では、性=心であると主張する。

 

さて、陽明学の開祖である王陽明は、本名を王守仁という。朱熹没後の270年後に誕生している。朱熹とは違い、名門高官の出であり、かつ科挙も上位合格し、エリート官僚となる。朱子学が、傍流の人物朱熹により説かれ権力にすり寄る御用学であるのに対して、名門貴族出の王陽明により説かれた陽明学が体制批判思想と受け止められているのも何とも皮肉な話ではある。

この違いは、王陽明が性=心であると主張した点にある。王陽明は、そもそも事物に対応した感情を修養によってあらかじめコントロールするなどは不可能であり、机上の空論、観念論に過ぎないと論破した。「事情磨練」(自らの心を正しくするのはその場において訓練する)なのである。孟子の「惻隠之心」を思い出してもらいたい。あれこれと理屈をこねて正しいの正しくないのと言っているようなものは心ではないのである。

 

朱子学というのは、かなり順序だてた、あるいは論理的な思考過程を要求している一方、陽明学では現実に活動している人間の内面のあり方を要求する。どちらが哲学的かと言えば前者であろう。

そこで朱子学も陽明学も「格物致知」が重要であると主張するが、「格物」の意味が上記のように異なることになる。朱子学の言う「格物」は、物事の理を窮めることを指し、陽明学では「物を正す」、つまり「心を正しくする」という意味となる。朱子学が体制教学として統治システムに組み入れられるのはこの「格物致知」の思想、心情ではなく理により治める思想であるからである。一方、陽明学は、個々の内なる精神の正しさは良知(致知)の働きであり、それは必然的に正しい物を生み出す、つまり正しい形を求めるという思想である。

 

このように、朱子学と陽明学を見ると、朱子学に対する陽明学というように比較対比することにはあまり意味がなさそうである。朱子学は、統治の正当性に関する時代理論であり、一方で陽明学は、人が人生を生き抜くための心のありようを説いたものであり、良知による感情と理性の調和によって誠意・正心が得られ、そのことが予定調和としての秩序となるというものである。

思想としては、この両者は別物であると言って良い。朱子学は、現代ではもはや死学である。孟子の五倫に始まり、「上下定分の理」をもってこの思想は行き詰まる。

一方、陽明学は、孟子の四端に始まり心即理を経て現代に生き残り、思想の普遍性を我々に示す。

このことは、論理的に厳密な思考過程によって得られた理論体系というものは必ずしも普遍的なものではないことを示している。王陽明のように、感情と理性に関する分析的な論理展開などはいい加減にしておいても、その主張には普遍性が潜んでいるのである。

 

ここまで進んで、いよいよ安岡正篤の著作に踏み込むことにしよう。

 

アメリカの大統領選挙に興味をそそられて、投稿が遅くなってしまった。トランプが負けそうであるが、バイデンで本当に大丈夫だろうか。何か起きそうな気がするが。例えば、第三次世界大戦など。

 

次回に続く。                                2020/11/05

2020/08/31

この国の精神 「日本精神の研究」 安岡正篤(2)

この国の精神 「日本精神の研究」 安岡正篤(2)

 

大学中庸

 

論語により孔子が説いた儒学に少しだけ触れてみた。孔子は、言葉の定義はおろか断定的な表現もしていない。自分で考えろと言っている。

しかし、大学中庸では、正反対に極めて説教的なもの、つまり教条的なものとなり、いわば儒教の教科書としての性格が強くなるのである。

 

大学は、漢の武帝(前141年~前88年)による大学設置に関連して、論語、孟子、荀子など、儒学思想の核心を集めて大学教育のために編纂されたと考えられる。「大学」の内容に注目した人は、まず唐の韓愈(768年~824年)である(金谷治訳「大学・中庸」岩波文庫版から)。唐時代の仏教興隆に対抗して儒学を復興させるためであった。その後、250年を経て北宋の司馬光が初めて礼記から抜き出して注釈を加えた。その後二程(程明道、程伊川兄弟)、呂大臨らが大学の解釈本を著している。「大学章句」(漢文は区切りなく連続しているため、区切りやかえりを付けるなどして読みやすくすること)として完成させたのは、朱子学の開祖である朱子である。

 

大学第一章(一)は、「大学の道は」という言葉で始まり、大学教育の本質を説いている。

「大学之道、在明明徳、・・・・・・・知所先後則近道矣」

「大学の道は、明徳を明らかにするに在り。・・・・・・先後する所を知れば則ち道に近し。」

 

最高学府である大学で学ぶべき事は、輝かしい徳を身につけ世の中にさらに輝かせることである。・・・・・・何を先に行い何を後にすべきかを知るならば、それは道に近づいた事になる。

 

現代の最高学府である大学でこんな教育を受けることができるだろうか。1200年前の大学は、現代の大学とは格が違うのだ。今の大学では教える側の教師に、徳の微塵もなく、金銭欲、名誉欲、地位欲という欲望の塊となった堕落者だけである。

「道」とは、学習能力を高めること、つまり研究心の涵養によって自ずから開けるものであると言っているのである。

 

第二章(二、三)は、儒教の根本思想である「修己治人」を説いている。第一章(二)は概ね下記のような内容である。

国を平安にしようとするには、「国を治め」、国を治めるためには「家を和合(斉)させ」、家を和合させるためには「己を修め」、己を修めるためには「心を正し」、心を正しくするためには「意念(思い)を誠実にし」、意を誠にするためには「知を致(きわ)め」、知を致めるためには「物に格(いた)る」のだ。

 

この論理展開は、「目的展開」とも言われる。目的を達成するためには下位の目的を実施しなければならず、下位の目的はさらに下位の目的というように展開される。国家統治のためには「格物致知」から始めなくてはならないと説く。

「致知」(知を致(きわ)める)とは、知能を高めるあるいは道徳的判断力を高めるというように訳されるが、学習能力を高めると解釈すると、論語学而の思想と一致する。

「格物」は、物事の善悪を確かめることであるが、王陽明は「格」を正すと読んでいる。従って、「格物致知」は、学習能力を高めるためには物事の善悪を確かめること、あるいは物事の何が正しいかを考えることが学習能力を高めることになると読めることから、「格物」と「致知」は相互に関連し切り離すことはできないとも考えられる。

 

「大学」では、「明徳」、「格物」、「致知」に関する明確な説明はないが、後の朱子学陽明学において最も重要な概念として解釈されることになる。

 

(三)は、要約すれば、「天子から庶民に至るまで自分自身を良く修めることを根本とし、その根本を知りぬいていることを知のきわみ(致知)という」である。

 

天下国家を治めるためには、我が身を修めることである(修己治人)と説く。君主が国を治めようとすれば、まず我が身を修め格物致知であらねばならないとすることは理解できるが、一般庶民が修己であることと国家治人とはどのような関係にあるかなどは何の説明もない。

 

国を良く治めるためには、国民がすべからく修己し、格物致知とならなければならないとすれば、それは理想国家を通り過ぎて空想国家である。人は様々であり、格物致知など国民の隅々にまで啓蒙普及させることなどは不可能である。

そこで、第二章(一)の有名な言葉が登場する。「小人閑居して不善を為し、至らざる所なし」である。「つまらない凡人は、一人で人目につかぬ所にいると、悪事をはたらいてどんなことでもやってのける」と訳されている。小人とは、徳のない人、身分の低い人から転じてつまらない凡人と訳している。

古代中国には、奴隷制もあった。プラトンの「国家」では、奴隷制は当たり前であると認識されている。「修己治人」は、国を治めるにたる資格のあるもの、つまり官僚であり、君子たるものに必要なのが「修己治人」・「格物致知」なのである。

さらに曾子の言葉を借りて、「曾子曰く、おおぜいの目に見つめられている、おおぜいの手に指さされている、だれもいないと思ってはならぬ。ああ、畏れつつしむべきことだ」としている。

論語の解釈において、前述のように、安富は、アダム・スミスの倫理論を取り上げて、「スミスは、全体の利害のために自分を犠牲にすることが「倫理」であり、他人の目にさらされていることへの意識によって「倫理」は生じるとしている」とし、孟子の倫理は、自己の内部からの自発的作動であり、西欧的倫理との違いであるとしている。しかし、曾子(孔子の弟子)では、明らかに周囲の目が自己規律において重要だと説いている。これでは、スミスの言う西欧的倫理と、儒教が説く倫理とにさほど変わりがないのではないかと思ってしまうが、そうではない。

この曾子の言葉を引用したのは、「君子がうわべをつくろって悪事を蔽い善いところを見せようとするが、そんなものはすぐばれるものだという」ことの説明であり、「心が公明正大であると肉体もおおらかになる。・・そこで君子は必ず自分の意念(おもい)を誠実にするのである」と説いてる。自己内部からの、理屈ぬきの心の作動が君子たるものの根本であるというのである。

 

これが、東洋と西洋の倫理の違いである。

 

 

中庸」という言葉は、人の世の中をうまくわたるためには、なるべく極端に走らず、ほどほどのところを行く方が良いという処世訓として、現代にも生きている。しかし、最近では、平均的な生き方とか、問題の解決方法を選択する場合に、二択ではなく三択の真ん中を選択することを中庸だなどと言っている。「中庸」とは、こういう意味ではない。

「中庸」の「中」とは、「喜・怒・哀・楽」(この4つの感情に愛悪(お)欲の3つを加えて7つとする場合もある。悪とは「憎しみ」の意味である(小島毅 朱子学陽明学より))などの感情が動き出す前(未発)の平静な状態を「中」(ちゅう)というのである(「中庸」第一章(二))。「庸」は、「かたよらない」という意味である。人と会うことで感情が動きはじめたら、感情は表面に出てくるが、その場合には節度が必要であり、それを「中庸」では「和」と言っている。小島は、「人倫にもとる行為を知った場合には、むしろ怒らなければならない。ただし、その起こり方が問題なのである」とし、「正しい起こり方や正しい悲しみ方がある」という。正しい感情の表出の仕方が「礼」である。

さて、「中庸」の第一章(一)は、「天命之謂性、率性之謂道」(天の命ずるをこれ性という。性に率(したが)うをこれ道という)で始まる有名な一文である。「天」とは、宇宙万物の主宰者であり、だれだか何者であるかはわからないが宇宙や全ての生物の運行を司る極めて漠然とした存在であり、まさに抽象的概念そのもと言ってよい。しいて言えば、我々が普通使用している天と同じであるが、「神」ではない。つまり、宇宙万物の創造主でなければ霊的存在でもないのである。

人は、生まれながらにして平等に本性(もちまえ)を持っており、それは「天」が命令として個別の人間に人間としての本質をわりつけたのだというのである。現代に生きる人類の種は「ホモサピエンス」の一種だけであり、遺伝子構造は同じなのであるから、まさに「中庸」の言うとおりなのである。この世に存在する人間という種(ホモサピエンス)は、本質的には全て同質であるという思想である。孟子は、「人間の本性は善」であるという性善説を説いたが、この「中庸」における人間の本性に関する思想的確立があってこそであるとも言えよう。

 

「中庸」の中間部では、主として孟子の五倫(君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友)を実践するための「知・仁・勇」の三徳(達徳)が説かれ、後段の「誠」の思想へとつながる。

「知・仁・勇」の三徳については、「人格の働き(徳)として人に備わるものを、知的・情的・意志的の三者に分けた」という解説がある(金谷訳)。論語の子罕編(第九 三〇)には、三徳(達徳)に関する有名な言葉がある。

「子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼」

「子曰く、智者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず」

 

「知識が豊かで賢い人は惑わされることがなく、思いやりのある人は憂うことがなく、勇気ある人は物事に懼れない」とでも訳されようか。三徳とは、人ならば誰もが身につけることのできる徳のことである。

中庸の中心的目標は、後半第十章の「誠身有道」(身を誠にするに道あり)から始まる。

「身を誠にするに道あり、善に明らかならざれば、身に誠ならず」であり、「わが身を誠実にするためには、現実の問題に対して何が善(正)かを明確に認識する能力を獲得しなければならない」とでも訳すことができる。

ここでも論語の学習論と知識論がその基本的骨格をなしている。知性を高めるためには、一にも勉強、二にも勉強なのである。

 

<儒教伝来>

 

かくして、儒学という哲学は宋の朱熹により中庸として完結することになる。

飛鳥寧楽時代、あるいはそれ以前かもしれない時代に我が国に輸入された儒教は、論語、孟子、五経であったと思われるが、利用しれたのは五経の方ではなかったかと思われる。儒教の思想・哲学にどれほどの学術的好奇心を抱いていたかはわからない。それよりはむしろ、様々な儀式・儀礼様式、孟子の五倫という倫理的社会構造、役人・官僚の試験問題、占い等々のHow toものに関心があったのではないだろうか。哲学としての儒教は、極めて限られた僅かな特権階級の知識人や僧侶が、趣味として細々と続けていたと考えられるのである。

 

和辻哲郎のところでも説明したように、儒教が日本に渡来したのは、応神天皇の16年、王仁が論語と千字文をもたらしたのに始まるとされる。応神天皇が実在の人物であるか否かは確かではなく、世界遺産登録に伴い、2011年に応神天皇の陵墓の調査がされているが、結果は公表されていない。王仁天皇の16年は西暦275年であり、中国では三国志時代の末期に当たる。また、中国で千字文が編纂されたのは5世紀末から6世紀初頭と推定されるので、王仁がもたらしたとする年代は、千字文の編纂時期よりも250年も遡ることになる。応神天皇陵とされる陵墓の建立時期が5世紀初頭と推定され、この陵墓が応神天皇陵であることが証明されれば、応神天皇の在位期間は4世紀~5世紀にかけての時代ということになる。それでも、千字文の編纂時期よりは早い時期となるので、千字文に似たような漢字の練習用木簡等がもたらされた可能性はある。いずれにしても、かなり古い時期から論語を読み、学習していたと考えられる。聖徳太子の「以和為貴(和を以て貴しと為す)」も論語から引用された。

 

日本における平安時代から鎌倉時代にかけての儒教の変遷についての研究は極めて少なく、「従来の儒学が朝廷における博士の漢唐訓詁の学であるか、民間の研究にしてもほとんど寺院内における僧侶の個人的=趣味的研究にとどまっていた」(「丸山真男全集 第1巻」(丸山真男著 岩波書店 1996))と思われる。こういった、趣味的研究が、やや広く公開講座となり、仏教教理(主として禅宗)と妥協するのは、鎌倉時代の宋学の渡来からである。需釈不二が説かれる。仏教への一方的依存から儒教が独立するのは、江戸時代初期に登場する藤原惺窩とその弟子林羅山である。

徳川家康の全面的支援を受けて、儒教=朱子学は、江戸初期に飛躍的発展を遂げる。二程子(程顥・程頤)が発展させた程朱学=朱子学の壮大な体系については、江戸時代から明治時代、あるいは現代においてもその影響がみられることを考えると、朱子学の思想体系をみておく必要がある。

丸山は、朱子学体系の簡単なスケッチをその形而上学(宇宙論)、人生論、実践倫理という順序で述べるとして、次のように解説している。

「朱子学の形而上学の基礎となったのは周濂渓の太極図説である。これは易の繋辞上伝に「易に太極あり、是れ両儀を生じ、両儀四象を生じ、四象八卦を生ず」とあるのに基づいて、之に五行説を結びつけて宇宙万物の生成を説いたもので、その趣旨を要約すると「自然と人間の窮極的根源たる太極より陰陽二気を生じ、その変合により水火木金土の五行が順次に発生しそこに四季の循環が行われる。陰陽二気は男女として交感し万物を化生するが、その中人は最も秀れた気を稟けたためその霊万物に優れ、就中聖人は全く天地自然と合一している。故に人間道徳はこうした聖人の境地を修得するところに存する」というのであって、宇宙の理法と人間道徳が同じ原理で貫かれていることがここに示されている。」

 

宇宙がビッグバンで誕生し、素粒子がヒックス粒子により減速して質量を確保し、より重い粒子が形成され、それが生命体の発生へと宇宙が進化したことは現代ではほぼ常識となっている。従って太極図説のような宇宙の生成ではない。しかし、朱子は、こういった面倒くさい理屈を抜きにして、「太極はただ是れ万物の理」として、天地万物を超越した窮極的根源であるとした。丸山によれば、「超越性と内在性、実体性と原理性が即自的に(無媒介に)結合されているところに朱子哲学の特徴が見出されるのではなろうか」としている。人は何故人となり、人以外は何故人以外となったか。こうした平等と差別の関係は人間対自然物の間だけではなく、人間相互の間にも存在する。天地万物は悉く「形而上」の理と「形而下」の気の結合により成っている。万物は一理を根源とするいうことで平等であるが、気の作用によって差別相が生ずる。この論法が宇宙論から人生論への橋渡しとなる。

「太極=理は人間に宿って性となる。これが「本然の性」であって生まれながら之を具えない人間はない。人に聖賢暗愚の差別が生じるのは気の作用に基く。気が人間に賦与されて「気質の性」となる。気質の性には清明混濁の差がある。聖人はその稟(う)けた気質が全く透明なので本然の性が残りくまなく顕現する。しかるに通常の人間は多かれ少なかれ混濁した気質の性を持って居りそれから種々の情欲が生れる。この情欲が本然の性を覆(おお)うて之を曇らすところに人間悪が発生する。しかし人間性の善は悪より根源的である。けだし理に基く本然の性-絶対的善-は気に基く気質の性-相対的な善悪-よりも根源的だからである。そこで何人と雖(いえど)も気質の性の混濁を清めれば本然の性に復りうる。そこで次の問題はいかにして気質を改善するかということになり、ここから朱子学の実践的倫理が展開される。

前述の論語の思想とは全く赴きを異にする。論語は、学習過程をその中心思想とし、開かれた学習過程の人のふるまい、態度を仁と呼び、仁なる人を君子とした。それが、人と人との関わりとしての倫理となり、倫理は宇宙観へ駆け上がり、絶対善としての理の概念となり、理は物理の本性であり、物の形を決めるのが気という概念に変化する。

 

宋学が渡来し朱子学として日本で発展していく時代背景は、疾風怒濤の戦国時代から一転して、漸く固定した秩序と人心の上に成立した近世封建社会であった。朱子学は普遍的な精神態度となるべき充分の素地があった。しかし、徳川幕藩体制が100年も経過すると人はこういった朱子学的な思想に安住しえなくなる。「天理ははたして「本然の」性であろうか。人欲は抑々滅尽しうるか、また滅尽すべきものだろうか。理は一切の事物を規定するほどしかく強力であろうか。窮理が純粋に道徳的実践といえようか。人ははたして皆、聖人たりうるのだろうか。修身斉家はそのまま治国平天下の基礎となりえようか。・・・・・・一の疑惑は他の疑惑を生む」。朱子学は、徂徠学、宣長学において根本的な批判の対象となった。朱子学では、「歴史はなによりも教訓でありかがみであって「名分を正す」ための手段でしかない。そうした基準から離れて歴史的現実の独自的な価値は認められない」からであった。

 

勿論、この朱子学全盛期である徳川時代前期には、陽明学の中江藤樹、熊沢蕃山、古学の山鹿素行等の思想家が自説を展開して後世に継承されるが、政治思想の主流は政治的イデオロギーにたる朱子学であった。

同時代にあたる17世紀、18世紀のヨーロッパ哲学の状況も見ておく必要がある。暗く長い中世の夜明けであり、11世紀、12世紀に始まるスコラ哲学からの脱皮期にあたる。ガリレオ・ガリレイの地動説が異端審判により否定されるが、科学の進歩は確実に宗教的真理の嘘を暴き、「我思う故に我あり」のデカルトによる「理性」による真理の追究という近代哲学へと変貌を果たす。ニュートン力学の発見は、カントの批判哲学に影響を与える。ヨーロッパにおける思惟の体系が宗教哲学から離れ、科学的真理に基づく理性の体系へと変貌している。

 

徂徠学は、熊沢蕃山の経世論、徳治論を発展させるが、時の封建的諸施策から離れることはできなかった。真淵、宣長学に代表される国学は、日本書紀、古事記の研究を通して中世文学思想、神道へと展開される。西欧における哲学、思想革命あるいは、宗教哲学と科学的真理との対立といった思想の対立には至っていない。しかし、天体科学の飛躍的発展、ニュートン力学の発見等の断片的知見が日本に輸入されていなかったということは考えにくい。壮大な思想体系ではあっても、科学的真理と対立する朱子学の崩壊は、断片的先端知識だけで充分であったと考えられるが、西欧思想の輸入による崩壊ではなく、蕃山-徂徠学による批判という宋学内部からの崩壊であった。

朱子学が徳川時代初期の幕藩体制において盛んになるのは、江戸幕府の正統性の論理の確立のために思想導入の必要性があったためと思われる。さらに儒教的倫理としての天子・諸侯・郷・大夫・士・庶民という身分階級構成(士大夫という)と江戸幕府の士農工商という絶対的身分分離の相似性、士社会の細分化された階級構成等々の社会関係を儒教的イデオロギーで基礎づけるにはうってつけであった。武士支配の理論について、雨森芳洲は次のように述べている。「人に四等あり。曰く士農工商。士以上は心を労し、農以下は力を労して自ら保つのみ。顛倒すれば則ち天下小にしては不平、大にしては乱る。」

武家組織が、大名を頂点とする階層社会へと変貌するとそれまでの恩情主義は求めがたく、ガバナンスの思想的手段としての客観的論理が求められた。俸禄という経済的関係は、家族階級を生み出し、儒教の家族倫理がそのまま導入され、武士階級から農工商へと浸潤するという身分社会の一般的法則が妥当することになる。こういった上位知識階級から下層民へとしたたり落ちる思想の浸潤では、思想の根源的体系が浸潤するのではなく、倫理・情感に直接訴えかける言葉や言葉のもつ感傷的リズム感が網の目をすり抜けて先行的に浸潤する。朱子学の持つ政治的思想よりは原始儒教的用語とその断片的解釈が浸潤したと思われる。朱子学の江戸中期以後の分解過程では、陽明学、原始儒教の古学等、全国に様々な儒教思想家をみることができる。特に、蕃山、徂徠の経世論は、封建制度の頂点にある藩財政の安定化を中心的課題として、小農制思想、勤倹節約思想として、経済制度の中核的存在となる。

 

安岡正篤の日本精神に近づくためには、事前勉強が必要である。論語のいうところの学習こそ知への道、精神を知る道であるので、もう少しおつきあいをいただくことにする。

 

(次回へ続く)

2020/08/31

2020/08/20

この国の精神 「日本精神の研究」 安岡正篤(1)

この国の精神 「日本精神の研究」 安岡正篤(1)

 

安岡正篤という人物

 

私が「安岡正篤」の名を初めて知ったのは、今から40年も昔の1970年代後半(昭和50年頃)であったと思う。社会システム開発に首を突っ込み初め、学者や政治家とも少しは関係ができはじめた頃であった。当時は、せいぜい日本の右翼の大物程度の認識であった。

 

当時、全共闘世代にとって、政治思想と言えばマルクスであり、それ以外の思想など思想と呼べるものではないと信じ込んでいた。社会人となってもしばらくはそうであった。この症状は、昭和10年生まれ以後団塊世代までの比較的高い教育を受けた世代の多くが持っている病気である。高齢者になっても、共産主義的思想に対して無条件に肯定的であったり、あるいは、逆に、無条件に否定的であることは、戦後日本の思想的状況が生み出した一種の社会的病理であるとも言えなくはない。

 

私が「日本精神」に取組むきっかけとなったのは、日本人の自然観というものが世界のどの民族とも異なるのではないかと感じたことにある。日本人の自然観は、歴史的に極めて複雑な過程で形成されたと考えられる。神道、仏教、儒教、朱子学、陽明学、詩歌、美術等々の宗教、東洋哲学、文学芸術が複雑に絡み合い、もつれあいながら独特の自然環境の中で独自の思想を形成した。まさに、多神教的、多角的、多次元的、生態学的な生命感得の精神と言って良い。

 

こういったことから、私も儒教や宋学に興味を持ち、少しは勉強した。江戸時代の陽明学が、近代日本の政治思想の基にあるのでないだろうか。そこで登場するのが、この安岡正篤である。

 

「日本精神の研究」は、大正13年に初版され、安岡正篤、若干27歳前後の論文を編集したものである。これから展開する安岡正篤の言う日本精神は、平成17年致知出版社版を基にしている。

 

安岡正篤は、1898年大阪に生まれた。幼少から「大学」(四書の一つ)を素読していたという。中学卒業と同時に東京の安岡家に養子に入り、旧制一高から東京帝国大学へと進学している。実兄には高野山金剛峯寺第403世座主、堀田真快がいる(Wikipedia)。東京帝国大学卒業記念として出版した「王陽明研究」が有名になったきっかけである。以後、我が国の代表的陽明学者として、戦前・戦後の政財界に多大な影響を与えた。

 

陽明学研究者としての安岡正篤の評価は、「大学アカデミズムの陽明学研究において、彼の業績に言及することはまったくといってよいほどない」(小島毅 近代日本の陽明学 講談社)とするものもあれば、終戦の詔書(大東亜戦争終結ノ詔書)を刪修し戦後の日本の黒幕であったというレガシーもあるが、本人の口から戦前戦後の自らの政治的行動については何も語られてはいない。しかし、現代においても多くの読者を引きつける強烈な魅力という点では、いかなる研究者・学者も安岡正篤にはかなわない。

 

何故か? 一言で言えば、東洋思想あるいは日本思想の評論家として際立っているからである。評論といっても、そこら辺の政治評論や経済評論とは訳が違う。人間の精神に関する評論である。評論とは、知の限界の解説のことである。学者や研究者がひけらかす知識のことではない。知とは「格物致知」の知、つまり精神の極みのことである。

 

陽明学の前に儒教を知る

 

陽明学とは、明(11271276)の王陽明(本名は王守仁)が唱えた儒学(広辞苑より)とされている。中国発祥の学問は、「○○学」と呼ばれる場合が多い。例えば、儒学とは孔子やその弟子達の教えをどのように解釈するかを言う。考証学は、推測によるのではなく過去の文献を基に論理を組み立てる手法を指す。陽明学は、王陽明が儒教の経典である四書五経を読み解き、自らの解釈を論理的に主張したものということになる。

どうやら陽明学を知る前に、儒教とは何かを探っておく必要がありそうである。陽明学に関する書籍、例えば、「王陽明(安岡正篤、PHP出版)」では、王陽明の一生とその思想形成が解説されているが、王陽明の言う致良知とは何か、ここで言う「知」とは何かについてほとんど解説がないのである。つまり、儒学では「知」や「理」は、説明する必要がない、常識なのだ。

このような傾向は、「朱子学と陽明学」(小島毅 ちくま学芸文庫)、「近代日本の陽明学」(小島毅 講談社)においても同様に見られるが、安岡正篤の場合には、人生論として他の人格を借りて解説している分だけわかりやすいと言える。小島毅は、アカデミズムが先行し、陽明学の主張とはかけ離れた学問形成の系譜に偏り、分かりにくいものとなっている。

 

哲学に関する解説書の最大の問題は、学者・研究者が学術性を強調するあまり自己満足とも思える前近代的論文を書きたがる強い傾向があることである。明治近代化以後の我が国の社会思想、哲学、経済学論文にみられる病理的現象と言って良い。こういった論文様式は、19世紀後半、欧米の人文系論文に特徴的に見られ、文章の大半は論証のための考証に当てられており主張内容とはほとんど関係が無い。こういった論文様式を明治期の我が国の学者が翻訳したものが現代にも継承されている。この傾向は、人文系だけではなく自然科学系においても今なお残っている。世界の過去の文献のうち、現代に生き残っている文献の多くは、こういった虚飾を取り払い、自らの主張を丹念に論証したものだけである。

 

Wikipediaでは、儒教を次のように説明している。

 

「儒教(じゅきょう)は、孔子を始祖とする思考・信仰の体系。紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上に渡り強い影響力を持つ。その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・礼教ともいう。大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。中国では、哲学・思想としては儒家思想という。」

 

儒教は、五経(あるいは六経 詩、書、礼、楽、易、春秋)を経典とするが、五経は、元来、外交儀礼、葬祭儀式、標準語教本、歴史書、楽曲本、詩歌集、占い等を孔子が編纂したとされる。楽経は秦の始皇帝の焚書坑儒により失われたとされる。

四書は、論語、大学、中庸、孟子を指すが、儒教としては五経の方がより高次であるとされる。四書五経の解釈・集大成の歴史は古いが、四書として整理されるのは南宋(1127年以後)の朱熹(朱子)が、礼記から中庸と大学を独立させ、論語、孟子とともに四書としたことに始まる。中国の元時代以後、四書は科挙試験に採用され、五経よりも重要視されることになる。

 

「科挙」が出てきたので、少し寄り道をして「科挙」とは何だったのかを探ってみよう。「科挙」とは、国の官吏登用試験のことであり、西暦598年~1905年、即ち隋から清の時代までの約1300年間継続した。現代で言えば国家公務員試験のようなものであるが、「科挙」の場合には合格さえすれば高い地位と報酬が約束されていたのだから、現代の官僚試験とは格段の差である。中国明朝以後の科挙試験の競争率はものすごいものだったらしい。さらに科挙試験のための私塾は山村にまで存在したと言われており、立身出世と金儲けのための教育は中国全土に及んでいた。

 

現代の中国や韓国の過当競争・点数制度の教育とそっくりである。日本では明治維新以後、官吏登用試験が採用され、立身出世と金儲けのための教育へと、教育そのものが変質した。

福田恆存は、現代日本の教育制度の問題を明治時代の立身出世と金儲けのための教育制度の創設にあると論じている。

 

さて「科挙」の試験内容は、何と「詩作」であったというから驚きである。唐代の詩人、杜甫、李白等が生まれるのも納得がいく。それにしても、「詩」をどのように評価するかは見物である。中国人が、詩的言葉に感動し感情を揺り動かされるのは、この「科挙」の「詩賦」(韻文)により培われた精神性にあるとも言えなくはない。杜甫、李白等の詩は奈良時代以後、日本にももたらされ、和歌とならんで日本人の精神にも大きな影響を与えた。

 

国民国家の知的レベルを上げることは、民主制という単純なシステムによる安定的国家運営のために必要欠くべからざるものであるからであり、そのため、教育は基本中の基本となる。しかし、教育が立身出世や金儲けのために、官吏試験や就職試験に合格するための受験勉強と化してしまうと、教育内容は人間教育から偏差値教育へと変質することになる。

 

中国の科挙が四書の丸暗記と解釈、詩賦であったことは少しは救いであった。なぜなら、論語は、学習とは何かを説いたものだからである。

 

論語』とは?

 

四書のうち論語孔子の死後、弟子達によって編纂され、512の短文を全20編で構成したものである。孔子の根本思想は、第1編の「学而第一」にまとめられていると朱熹(朱子)は言う。

 

論語は、非常に短い文章で構成されており、その論法が他の中国思想書とは別格であることが最大の特徴の一つである。そのため、注釈も本国中国においてすら困難を極め、現代中国では論語研究者の数も少ない。

 

孔子の思想の真髄は、第一編「学而」冒頭の短文にみることができる。

 

「子曰。學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。」

 

読みは、「子曰く、學んで、時にこれを習う。また説しからずや。朋、遠方より來たるあり。また樂しからずや。人、知らずして慍らず。また君子ならずや」である。

 

日本人には、なじみ深い文章であり、特に、「朋、遠方より來たるあり。また樂しからずや」は、ある年齢以上の人はほとんど知っていると言えよう。問題は、伝統的な解釈にある。

 

安富は、これでは何を言っているのかわからないと言う。まさに、そのとおりである。学校で勉強を教えてもらい、家に帰って復習するだけの学問がおもしろいわけがない。古い友人が、久しぶりに遠方から訪ねてきたことの喜びと何の関係があるのか。さらに、人が知らないからといって怒らないのが君子だというのと、友人が尋ねてくるのとどういう関係があるのか。安富は、長い論語解釈の歴史に一石を投じている。

<注>論語については、『「生きるための論語」 安富歩 著  ちくま書房』を参考に紹介することにする。

   安富は、この本の出版時点では、毛むくじゃらのむくつけき男であったが、最近のYouTubeでは、髪を長くし、ひげも剃り、女装している。本人は、女性の方がぴったりくるのだそうである。見かけはどうでも、この人の分析視点は、注目すべきものがある。

 

「習う」とは、一般には練習とか復習という意味で使われるが、論語の中で使用されている「習」に着目すると、「習」は単なる練習や復習の意味ではなく、後天的に身につくという意味だと解釈される。そして、この最初の短文を、「何かを学んで、それがあるときハタと理解できて、しっかり身につくことは喜びではないか」と訳した。そうするとその後の文章との意味のつながりが明確になる。単なる知識の断片の記憶では、何の役にも立たないばかりか理解すら困難である。しかし、問題に直面し解決を迫られ試行錯誤を繰り返すと、記憶された知識の断片が連続的につながり、箇々の知識の意味が理解できるようになるというようなことがある。あるいは、データ分析の手法を学んだ段階では、知ったつもりでいるが、実際のデータ分析に向かうとほとんど手が付けられない。しかし、試行錯誤を繰り返していると分析手法の意味していることがふと理解できるようになることがある。安富は、この「学習」思想が論語思想の第一であるとする。「儒家は、外部からの強制をよしとしない。それは法家の発想である。それと同時に、無為自然もよしとしない。それは老荘の発想である。儒家は、人間の本性に根ざしながら、それに基づく作動を他者と調和させ、学習して成長する道を求める」と言う。

安富が言うように、「人間社会が人間の学習能力によって秩序化される」という思想は、孔子が自ら言っているように孔子の独創ではなく、古来言い伝えられていた思想であろう。学習思想は、人類に普遍に見られるが、往々にして学習過程を停止する誘惑に駆られ、論語の思想は学習過程が停止する方向で読まれてきた。

 

論語において忘れてはならないのが、「知」についての言及である。安富は、論語のもう一つの根幹をなしているのが知識論であると言う。

 

子曰、由、誨女知之乎。知之爲知之、不知爲不知、是知也。(為政第二、十七)

子曰く、由、女(なんじ)に之を知ることを誨(おしえ)んか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。是知るなり。

 

金谷訳(論語 金谷 治訳 岩波文庫)は、下記のとおりである。

先生が言われた、「由よ、お前に知るということを教えようか。知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないこととする、それが知るということだ。」

 

安富も他の訳の例を挙げて解釈をしているが、これでは知とは何かを説明することにはならないと言う。そのとおりである。知の定義は、最後の句の「是知也」の「知」である。この「知」は、前2句の知・不知の「知」とは明らかに異なる。安富は、知ることと知らないことを峻別する過程、つまりこういう学習過程によって新たな「知」を獲得するという。

より端的に表現すれば、学問の神髄とは物事の知識の限界を明らかにすることであり、それは、今は分かっていることはこれであり、まだ分からないことはこれだということを明らかにすることである。知不知が峻別されることにより、不知をさらに究明するという知の探求が繰り返される。「是知也」の「知」とは、新たな知を求めつづける「知性」そのものの動作原理を指していると言えよう。

 

さて、論語を読み解いていくと、孔子の人となりを想像させる文章があちらこちらに散らばっている。下記は、子罕篇に出てくる文章である。

「達巷党人曰、大哉孔子、博学而無所成名、子聞之、謂門弟子曰、吾何執、執御乎、執射乎、吾執 御乎。」

書き下し文は、「達巷党(たつこうとう)の人曰く、大(だい)なるかな孔子、博く学びて名を成す所なしと。子、これを聞き、門弟子に謂いて曰く、吾何をか執らん(とらん)、御(ぎょ)を執らんか、射(しゃ)を執らんか、吾は御を執らん。」

達巷という村の人が孔子という人は知らぬことがない博識で偉い人だ。何が専門なのかわからないと言ったのに応えて、弓術か馬術か、馬術にしておこうと言ったという話である。

同様に、子罕編には、「子曰。出則事公卿。入則事父兄。喪事不敢不勉。不爲酒困。何有於我哉。

「子(し)曰(いわ)く、出(い)でては公卿(こうけい)に事(つか)え、入(い)りては父兄に事(つか)う。喪事(そうじ)はあえて勉めずんばあらず。酒のために困(くるし)められず。われにおいて何かあらんや。」 これぐらいなら孔子は自分にもできそうだと言う。

 

孔子をもって恕の人と言うが、まさに心のままである。弟子達によって孔子の死後に論語が編纂されたが、孔子の人格を伝えることにも考慮していたと推測される。

 

論語の思想概念は、仁、忠、恕、道、義、和、礼という概念系列で表され、仁を最高概念としている。安富の解説によれば、仁は学習過程、つまり前述の学而の思想が実践されている状態を示していることになる。一方、儒教では、五常の徳と呼ばれる、仁、義、礼、智、信がある。この五常の徳は、白虎通義(後漢の儒学書)に表されているもので、人の常に守るべき5つの道徳として説かれているが、孟子は、五倫として、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信を挙げ、書経等では異なる徳が説かれている。論語には五常の徳と呼ばれるものは存在せず、まして守るべきというように強制するような思想概念はない。論語に登場する思想概念は、これら以外にも多数あるが、上述の概念系列は、仁であることによってそれぞれが相互に関連する一連の因果関係系列を形成している。

 

このように論語は全20偏からなる短文列で構成されているが、単純な断定的表現には細心の注意が払われている。論語そのものが、学習の思想の実践の書であることがこのような文章構成から理解される。安富が注目したのもこの論法・論理構成にあると推測される。

一方、孟子にはこのような計算された論理構成が見られない。一つの思想が生まれ、それが後世へと継承されるに従って、自由な学習の思想に時代時代の解釈が加わり、言わば時代の要請に応える形の思想が形成される。こういった思想の変遷では、原初の論理構成を踏襲するということがない。

 

論語の最高概念である「仁」については、論語の随所に出てくるが、「仁」に関する明確な定義はどこにもないが、「仁」を説明した有名な文章がある。

 顔淵問仁。子曰、克己復禮、為仁。(顔淵第一二、一)

 顔淵、仁を問う。子曰く、己を克して禮に復す、仁と為す。

「他人の影響、誘惑、脅迫を離れて全く自由になりえた人が、自ら進んでやる行為が自然に仁となることを言った」(宮崎市定、1996)と解釈されている。自己革新である。あるいは無意識の行為を意識下におくことができた状態が仁であるとも言える。一方、孟子になると、概念定義は簡潔明瞭となる。

 孟子曰。自也者人也。合而言之、道也。(孟子 巻第十四、一六章)

仁という言葉は人という意味であり、人間らしくあれといういうことである。{義ということばは宜という意味であり、是非のけじめをつけるということである。}この仁{と義との二つ}を合わせて、これを人の道(道徳)という。

有名な惻隠の情の章においても、四端として下記のように記されている。

惻隠之心、仁之端也。羞悪之心、義之端也。辞譲之心、禮之端也。是非之心、智之端也。(孟子 巻第三 六章 四端「仁義禮智」)

惻隠の情は、仁の萌芽だと言う。惻隠の情とは、人の瞬間的な反応であり、瞬間的な価値判断・直感に基づく心の動きであり行動である。合理的な価値判断を指しているのではない。

安富は、西欧倫理学の有名なモデルを取りあげて惻隠の情を説明する。線路が二股に分かれていて、一方に5人、片方に1人がいる。あなたが列車に乗っているとしたらどちらをひき殺すかという倫理問題である。孟子にこの問題をだせば、恐らく一笑に付され惻隠の情で殺せというのが安富の見解である。頭でゴチャゴチャ考えている間にどちらかが轢き殺される。ゴチャゴチャと合理的判断をしている人間は小人なのである。

安富は、倫理観の相違をアダム・スミスを例に取りあげる。スミスは、全体の利害のために自分を犠牲にすることが「倫理」であり、他人の目にさらされていることへの意識によって「倫理」は生じるとしているが、孟子に言わせればとんでもない話となる。孟子は、自発的に作動し、理屈抜きの心の動きに社会の秩序を見、スミスは、周囲の目を気にし、人の臆病に社会の秩序の源泉を見ると言う。


道徳・倫理といっても、ヨーロッパと東洋ではこれほどの差があるのである。

 

安富は、現代思想との比較研究をとおして論語思想の現代性に迫ろうとする。ハーバート・フィンガレットを引用し、次のように述べている。

「フィンガレットは、西洋文明において人間にとって本質的と考えられている「選択」という概念が論語にないことを指摘した。つまり、同等な選択肢が人間に与えられ、そのいずれかを主体的に選ぶ、という考え方がない。そのかわり人間には従うべき分岐なき「道」がある。良い選択と悪い選択という概念はなく、道に従うか、そこから外れるかしかない。悪い結果が生じるとすれば、惑って道から外れてしまったからだ、と考える。・・更に、孔子が罪悪感について言及していないことを見出した。罪悪感とは、自分の行いが、外的規範から外れることから生じる感情である。・・・西洋文明の基本的な秩序感の前提は、選択と責任という概念である。・・・・・・これに対して孔子が認めるのは恥という概念である。恥とは、道に沿っていないときに覚える感情である。それは外的規範に沿うということではない。」

これ以外にも、ノーバート・ウイーナー、ピーター・ドラッガー等の思想にも言及し、論語の影響を示唆する。

 

近年の脳科学は、理性と感情との関わりについての解明を進めている。マーケッティングの分野では、商品選択における理性的、合理的経済判断において感情が強く関わっていることがわかってきた。18世紀以来の西欧哲学における、感情を排した理性の分析的追求、経済哲学の合理的経済人や功利主義等における理性的価値判断というものは、現実の人間の意志決定では、理性とか客観性とかのウエイトは必ずしも高いものではない。選択、つまり意志決定は、人間の持つ情動的部分が強く理性に働きかけた結果であると考えられるのである。その選択が正しい道であるか否かは、その人が仁であるか否かによって決まり、仁となるためには学而の思想の実践に依らなければならない、と孔子が言っているようである。

 

孔子は、実践の場を求めて彷徨する。孔子の思想を理解する君子による新たな社会秩序の形成を求め続けた。孔子の学習思想による新たな社会秩序の形成という欲求は、後世に引き継がれ変貌し、儒教として中国政治思想の根幹となる。

 

「論語読みの論語知らず」とは昔から言われたことであるが、孔子以後2500年を経てなお難解であることに変わりはない。難解さの故に、徳治思想として様々に変貌する。

 

論語に興味を持たれた方は、どうぞ安富氏の前述の図書をおすすめする。大学、中庸、孟子については、岩波書店から文庫版が販売されている。論語に比べると格段にわかりやすく、かつ理解が容易である。

 

(次回へ続く)

                                          2020/08/20
2020/06/15

この国の精神 緊急 コロナ後の世界と日本

この国の精神 緊急 コロナ後の世界と日本

 

コロナがこのまま収束するのか、大規模な第二波がくるのか、世界中の誰にも分からない。これだけ科学技術が発達し、バイオテクノロジーが人類を救うと言われながら、最先端をいく科学技術者の誰も分からないのである。

 

<経済活動の再開・回復問題>

 

何はともあれ、経済活動を再開しなければ、今度は経済でヒトが死ぬことになる。今回のコロナ騒動により世界の経済が2ヶ月以上止まったことで、これまで気にもしていなかったことに気付かされた。

 

(1)中国は世界の工場

 

マスクが一枚も手に入らない。不織布の大半が中国で生産され、マスクも中国で生産していた。自動車部品、電気・電子部品どころかネジの大半が中国で生産しているのだ。サプライチェーンというが、チェーンどころではなく、中国一極集中といって良い状況になっていた。


日本の企業が、中国に進出し始めたのは、バブル経済の崩壊後、円高不況に入った1995年頃である。日本よりもドイツ、フランスの方が先に進出していたかもしれない。産業の中国移転に対して、日本企業は、当初、かなり慎重であったと思われる。自動車、電子、工作機械、部品、食品等のほとんど全ての産業が慎重な姿勢であった。ところが、今回のコロナの蓋を開けてみると、日本産業の中国依存度は驚くべきものになっていた。企業の中には依存度が50%を超えている企業さえあり、平均すれば20数%に達しているではないか。中小企業に至っては、日本には本社機能しかなく、生産部隊は全て中国という企業も珍しくない。


外務省「海外在留邦人数調査統計」平成30年度要約版によれば、海外拠点数(製造・販売等の支社・工場・現地法人の数であり会社数ではない)は、平成29年度では75千箇所、そのうちアジアには何と70%の53千箇所も集中している。さらに中国だけで43%の32千箇所にも達している。国内企業数、300数十万社に比べれば1割にも満たないが、売上規模でみれば15%は遙かに超えるだろう。それも、部品、素材等の中核製造品及び最終製品の大半は、国外で生産されている。この国は、輸入国に成り下がっていたのだ。


経済界はとうの昔に知っていたし、政府も同じである。知らなかったのは国民だけだ。勿論、どんな商品を見ても中国製がほとんどなのだから、どうなっているのだぐらいの疑いは持っていただろう。たまに、国産の表示があっても部品や材料については表示されていない。当然、海外製部品・材料が圧倒的に多く、国内で組み立てているにすぎないかもしれないのである。


こんなことをしている企業が技術を磨き、国際競争に勝てる製品を作れるわけがない。生産意欲さえ感じられない。

海外企業1


海外企業2

海外拠点数の増加率は、平成20年に比べると中国では1.1倍と微増であるが、米国では1.5倍、インドは実に5.9倍、タイは2.9倍と中国以外ではかなり増加している。中国以外の拠点数の増加の要因は中国の人件費が上昇したためとしているが、米国の増加率が中国よりも高くなっているので、コストを拠点数の主要増加要因とすることは難しい。

自由な経済・・グローバル経済・・こそがイデオロギーを駆逐し、いずれ共産主義国家も民主主義体制へと移行するという理想主義の危うさに経済界が気付き始めた結果なのであろうか。

我が日本の経済界がそれほど民主主義を重視しているとは俄に信じがたい。利益至上主義、市場拡大成長主義に凝り固まった我が日本の経済界がおいそれとグローバル経済から転換するなどはあり得ない。

 

(2)観光産業の回復

 

最近の報道によれば、持続化給付金の事務処理委託事業で一般社団法人のサービス某という団体が20億円を中抜きしたという。それにしても、持続化給付金の事務処理にこれほどの事業費がかかるというのは腑に落ちない。

さらに、補正予算ではGoToキャンペーン事業なるものが1兆数千億円も計上されており、これがこの社団法人の構成員である電通に発注予定であるという。

ほぼ100%に近く営業が不可能となっている観光産業の救済のための資金であるにも関わらず、莫大な事業費が中抜きされるこの構造こそ改善されるべきであり、経産省は知恵を絞らなければならないのではないのか。それにしても、何故、経産省が国の直轄事業として、この種の事業を実施する必要があるのか。都道府県・市町村への委託事業は不可能だったのか。等々、わからないことばかりであるが、委託事業額が多くなれば複数の下請け構造が生まれることは常識であり、そこに管理名目で手数料が発生する。この手数料収入も産業の下支えであることに違いはないが、それが、経産省官僚の利権となると問題である。

バブル経済崩壊後、構造改革の名の下に、中抜き構造の解体が行われた。社団法人、財団法人など省庁官僚の天下り先諸団体を整理したのである。こういった団体が官僚の天下り先であり、給与・退職金など方外な報酬が支払われていたということもある。しかし、かつて高度経済成長時代には、通産省某次官のように無報酬で新産業振興団体のトップを務めたといった事例もあり、産官学共同団体にはそれなりの大義があった。それが、肩たたき、早期退職という官僚人事の悪習に蝕ままれて天下り構造へと変質していった。

産業の継続を下支えする政策は急務であるが、給付金支給などは情報システムの作り方一つでいかようにもなるものである。バブル経済崩壊後、情報化・システム化を何もしなかった結果が緊急事態への対応を不可能にしている最大の要因である。

ところで、我が国観光産業の市場規模は、年間28兆円にものぼる。このうち、インバウンドによるものが17.2%、国内観光が78.5%となっている。8割の22兆円は、実に国内観光で占められているのである。アジアからの観光客が観光業を支えているというのは嘘なのである。インバウンドによる観光市場の伸びはこの78年であって、年間にすれば7千億円程度の成長額である。観光業の近年の成長にのって、新規参入や経営規模を拡大した宿泊業、運輸業、飲食業、小売り業が今回のコロナショックで大きな影響を受けた。

観光業が景気によって経営を左右されることは今に始まったことではない。東京オリンピック後の不況、オイルショック、バブル経済など数え上げればきりがない。そのたびに、レジャーだ観光だ自然景観だと観光振興策に知恵を絞り、国民を煽ってきた。

今回の対策もカンフルにはなっても、観光業に内在する基本的な問題解決になるものではない。対中国問題の顕在化によっては、中国からの観光客の激減さえ想定される。観光産業が安定的経営を持続するためには、国民一人当り所得を増やすことが何よりも重要となる。サプライチェーンを中国に依存しているこの国で果たしてこんなことが可能だろうか。

 

<財政問題と公共事業

 

第一次、二次補正を合わせて50兆円を超える財政出動となった。ところで、最近の異常な株高はどうしたことなのだろう。誰が考えても不思議な現象である。専門家なるものの解説によれば、中央銀行が債権を無条件に買い取っているらしい。米国FRB、日本銀行である。日銀は、既に、上場企業数十社の筆頭株主になっているという。所謂、金融緩和策の結果である。COVID-19の第二波、三波等、長期化したらどうするのだ。

日本の金融政策の失敗は、バブル経済とその崩壊、リーマンショックなどで証明されている。金融緩和策は、一時的な株安の防止、金融支援に留まり、中長期的には金融機関の首を絞めるだけで、実態経済にはほとんど影響しないということは経験済みのはずである。アベノミックスの異次元の金融緩和策は、結局膨大な金余りと株高バブルだけで、賃上げ、設備投資、インフレにはほとんど効果がなかった。つまり、需要が増えないのである。技術革新によって次々と新製品が開発され、生活の利便性が高まり、輸出が伸びている高度経済成長期では、金融緩和をしなくても金融機関は日銀から金を借りて企業・個人に融資をするので市中の通貨量は増加した。しかし、経済成長が止まると融資先がなくなるので通貨量は減少する。こういった状況で日銀が通貨量を増やしたとしても、設備投資や消費がないのだから金が余ることになり、結局、株や債権、金融商品市場だけに留まってしまう。企業は、市場で調達した資金を元に中国やアジアに投資する。この投資先が問題である。必ずしも安全資産ではなくかなりヤバイ、ジャンク債に近い金融商品にまで手を出すことになるのである。実態経済を伴わない金融政策は、実態経済さえばくちなのだから金融経済はとんでもなくばくち的にならざるを得ない。

今回のCOVID-19対策として、赤字国債による財政出動を行っているが、これは国の借金であり、将来世代が払うことになるという議論が起こっている。主流派経済学者とMMT(近代通貨理論)学者は、真っ向からぶつかり合っている。MMT学者でなくても、経済学を勉強したものであれば、主流派経済学(所謂新古典派経済学)に通貨理論が存在しないことは誰もが知っている。

蛇足であるが、通貨には貨幣と日本銀行券(紙幣)の二種類があり、貨幣の発行権は政府、紙幣の発行権は日本銀行にある。

政府紙幣の発行については、これまでも何度か議論されている。デフレ不況に陥った場合、国債は借金になるため国債ではなく政府紙幣を発行して公共事業を実施し、需要を創出するというものである。

ちなみに日本銀行は株式会社であり、株式の過半数以上は政府が保有している。現在、日本銀行は400兆円の国債を買い取っているが、これを連結複式簿記で政府会計の貸借対照表で記述すると、政府の貸借対照表資産部に日銀資産が計上され負債額の400兆円分が消えることになる。つまり、政府が発行する国債を日銀が全て買い取ると政府負債にはならないのである。日銀が政府の子会社でなければ、会計上はこういうことにはならない。通貨の発行権が、政府と日銀とは別だとしても実質的には政府に通貨の発行権があるのと同じなのである。

そもそも国債という債券を政府が発行したのは、かつての金本位制の時代に由来する。金の保有量以上に通貨を発行しないというシステムでは、例えば戦争等の資金調達において金保有量を超える通貨が必要となると、国債を発行して市中から金を集める。金本位制は、歴史的には古いが第一次世界大戦以後に中央銀行制とともに金本位制が採用され、1978年に世界的に廃止されている。

通貨量のコントロール基準は何かという問題である。政府がむやみやたらに通貨発行すれば、たちまちインフレに陥る。現在は深刻なデフレ状況にあるから、デフレを脱却するためには通貨を発行して公共事業や新産業投資・研究開発投資を積極的に行って需要量を増やしてインフレを促進する必要がある。MMT学派は、インフレ率を通貨量の基準にすべきだと主張する。

話は変わるが、国内需要の創出のための公共事業とは何かである。戦後復興期から経済成長期の公共事業は、災害対策、道路・港湾・空港等輸送インフラ整備、生活インフラ整備、農業対策等の経済成長の促進のための産業基盤、生活基盤整備が主体であった。しかし、少子高齢化・成熟社会における公共事業とは何かである。

地球温暖化対策と称する再生可能エネルギーの推進か。頼むから止めてくれ。農村部の耕作放棄地に見られる太陽光発電の景観のひどさ。何とも不気味な風力発電塔などは現代版ドンキホーテではないか。あんなものが膨大な電力需要を安定的にまかなえるはずがない。最近の報道によれば、ドイツは水素エネルギー政策に転換することを表明したそうである。そのとおりだ。太陽光、風力発電を利用して水素を生産するのだそうだ。沿岸部の風力発電による電力を南ドイツに送電するためには膨大な送電線網を建設しなければならない。それよりも水素燃料電池車の方が遙かに効率が良い。水素は、恐らく最終的なエネルギー源になるだろう。リチウムイオン電池車などは止めるべきだ。温暖化対策に何の効果もない。

災害対策も重要である。最近の暴風・豪雨災害はこれまでの災害とは異なる様相を呈している。規模が大きいだけではなく、長時間続く豪雨は、これまでの災害記録にはなかったものである。線状降水帯と呼ばれる停滞した低気圧に高湿度の空気が流れ込み、いわばシャワー状態が長時間続く豪雨である。九州北部豪雨であるが昨年の関東直撃台風においても同様の状況が見られた。山間部ではほとんどなすすべがないのが実態である。数百箇所の小面積山腹崩壊が発生する。もはやこれまでの治山技術や砂防技術ではどうにもならないのだ。どのような予防的措置に効果があるか、調査研究が必要である。

南海トラフによる大規模地震の発生は秒読み段階に入ったと言うが、対策は遅々として進まない。高知県の沿岸部を見ると住宅が密集し連続している。高さ10mの津波にどうやって対応するというのだ。

海外生産拠点の国内回帰を進める。そんなことができるわけがない。経団連は、これからも中国と仲良くやっていくそうだ。経済界が表立って中国から工場を移転するなど言えるわけがない。

話は逸れるが、田舎に住んで20数年経つたが、ガスコンロ、ボイラー、レンジフード、電子レンジ等家電品の全てが一度に駄目になった。プロパンガスは、日本の農村部では農協がプロパンガス流通をほぼ独占している。ガスコンロを通販で買い、取り付けを農協に頼もうと相談すると実に横柄に、「2万円」ですと言われた。設置は自分でできるがガス管の接続には資格がいる。30分もかからない作業費が「2万円」である。仕方がないから民間のガス会社を探して費用を聞いたら「1万円」だという。何と半額ではないか。この農協のサービスというものが、農村部の生活費を如何に圧迫しているかは、この例だけではない。勿論、全国には、良心的にやっている農協もあるだろうが、どう考えても独占化しやすい農村地域における農協の弊害は極めて大きい。産業の地方移転の前に住みやすい山村づくりのためのきめ細かな施策が必要であり、そのためには、この農村生活に深くささりこんでいる農協なるものの組織改革がまず必要になる。これも公共事業の一つである。

さて、電子レンジであるが国産のH社の電子レンジを購入した。価格は数千円である。安いモノは4千円程度からあるが中国製なので少し高いが国産にした。届いて製品を見たら、中国製ではないか。それにしてもひどいデザインだ。それよりも、蓋を閉めてタイマーをセットしたら自動的に稼働する。電源のオン・オフ・中断のスイッチがないのである。人間が行う通常の操作方法とは違う。スイッチの3つぐらい省略したからといって何ほどのコスト削減になるか。あきれてしまった。それにしてもひどいデザインだ。

レンジフードも自分で取り替えた。何という重さだ。今や、ドローンを電池で飛ばせる時代である。羽もモーターも少しは考えたらどうだ。

 

家電品のひどさはこれだけではすまないだろう。もはや、国内で家電品のデザイン、企画・設計、生産等は一切していないのではないだろうか。家電品だけではない。家具、パソコン、調理器具、文具等々、生活に必要な製品のほとんどが海外、特に中国で生産されている。これでは、工業・商業デザイン力はおろか製品の企画力さえも育たない。ソフト技術の本質は、デザイン、設計、企画構想力にある。国内で最終製品までを生産し販売しなければ、最も風上にあるデザイン力や設計力という日本人のソフト技術つまり感性を磨くことができなくなるのだ。中国製よりも3割程度高くてもいいではないか。それだけ良質でデザインも優れている国産品製造・販売のための公共事業を考えよ。

 

この国は、ものづくりの初めからやり直すのだとという覚悟が必要になっている。日立、東芝、パナソニックやシャープはどうした。家電品なんかやる気はないか。それであれば、ベンチャービジネスしか手はない。少しはやっているようだが、それを推し進める公共事業が必要だ。

 

コロナ後の社会・経済について、様々に議論されているが、日米中関係がそんなに短期間に変わるわけがない。しかし、経済は、リーマンショックを超えるような不況となるだろう。これまでの公共事業のような公共物の構築の枠を超えて、新たなものづくり国日本のための公共事業でなければならない。新たなものづくりのためには、新たな精神が必要である。新たなモノづくりを求める「心」にたいする投資である。それは、一面において落ちるに落ちた文化・芸術の立て直しであるかもしれない。


<個人はどうする>

 

政治・経済・社会等々、社会を動かし機能させるための仕組み・システムのことは、まあ、さておいて、ヒトは、コロナ後の社会にどう向き合えば良いのだろうか。どう向き合おうと、さして変わりはないと思う。しかし、これだけは言える。どんな状況にあっても、ヒトは何かと戦い、競い合うのである。金がなく、食えなくなれば、盗みを働いても生きることを選ぶ。盗みが罪であることを知っていてもである。それができなければ死ななければならない。ヒトが死ぬことは実に簡単なことなのだ。むしろ、生きていること自体不思議なのである。人間の生体システムというものは複雑なもので、長寿などは並のことでは達成できない。


この間、夜遅くまで起きていたら、テレビから、「ファイト!、たたかう君の歌を・・」という曲が流れてきた。昔どこかで聞いたことがあるが、歌っている女の子の声がいい。細い声だが、途中でドスがきいてくる。思わず、聞き入ってしまった。何だ、中島みゆきの「ファイト」ではないか。歌っていたのは、満島ひかりという俳優だが、全く知らなかった。早速、楽譜を手に入れ、久しぶりにギターを持ち出して歌ってみたが、20年ぶりに弾くと全く弾けなくなっていた。それでも何とか無理をして歌えるようになった。吉田拓郎もカバーしているが、こいつはうまいぞ!。


ファイト」だ。これしかない。歌でも歌って、何とかするか。

 

2020/06/15





2020/05/26

この国の精神 緊急 なぜ日本の感染者数は少ないのか

この国の精神 緊急 なぜ日本の感染者数は少ないのか

 

 

    行動自粛の効果によるものか、ウイルスの変異によるものか、原因はわからないが感染者数は減少している。欧米の感染者数の増加率も少なくなっているようだが、ロシア、ブラジルが増加傾向にある。

 

 とにもかくにも、日本の感染者数、死亡者数が欧米に比べて格段に低い。何故なのか。日本の奇跡とも呼ばれるが果たしてそうなのか。直近のニュースによれば、なぜ日本の感染者数が少ないかを究明するための国の研究班が発足したそうである。日本を礼賛する都合の良い根拠だけを挙げるような愚行にならなければ良いが。日本には、コロナウイルスの研究者は、僅かに畜産関係にいるだけで、ヒトコロナウイルスの研究者は誰もいないのだから、COVID-19ウイルスの専門家はゼロと言って良い。一方、中国と米国には、それなりに研究者がいるが、米国の研究者の大多数が中国人の研究者だというのも不思議ではある。

 

<日本の感染者数が異常に少ない謎に少し迫ってみよう>

 

日本の感染者数が少ないとされる仮説は下記のように整理される。

 

(1)日本人の衛生観念が優れているからという仮説

 

①日本の住宅は土足ではないから。

 住宅が土足ではない国は、日本、韓国、中東諸国である。しかし、中東のイラン・トルコの感染者数は極めて多いので、この仮説は妥当とは言いがたいが、それなりの感染率の低下には寄与している可能性は考えられる。

②手洗いの習慣があるから。

 外から家に帰ると手を洗う習慣があるというのは、ごく一部の家庭に限られているが、小学校の給食などでは習慣になっているので、それなりの効果はある。今回のCOVID-19では、国が手洗いを推奨してことで、かなり高い割合で習慣化したと考えられるが、ヒト-モノ-ヒトの感染率がどの程度なのかはほとんどわかっていないので、効果評価は難しいのが実態だろう。

③握手・ハグ・キスなどの習慣がないから

 感染防止効果としては、かなり効果があると考えられる。ヒトからヒトへの感染が最も危険であることから、日本人のソーシャル・ディスタンスはそれなりに保たれていると考えられる。そのため、感染ウイルス量が少ないため重症化しにくいと考えられる。

④マスクが習慣化しているから。

 冬期になると日本ではマスクをしているヒトを多く見るようになる。インフルエンザ対策として付けているヒトが多いと思われる。しかし、東京の人混みをみるとせいぜい30%程度ではないだろうか。ただ、風邪をひいたヒトが他人に感染させないためにマスクを付ける習慣は、日本人特有の習慣ではないだろうか。このことが、ヒトへの感染を防止している効果は高い。また、ナノフィルターマスクは、花粉症対策として10年ほど前から生産されるようになったことも大きく貢献している。インフルエンザの流行最盛期は2月上旬であり、この頃から東京では花粉症が出始める。首都圏を中心とするCOVID-19の感染予防効果として30%以上の効果があったと推定される。感染していないヒトのマスク効果は、ウイルスの曝露量であり重症化の予防効果だろう。

 

(2)BCGの接種効果ではないか。

 世界各国の単位人口当り感染者数の低い国とBCG接種とには相関があるという調査報告があり、BCGが感染予防に効果があるのではないかという仮説である。BCGというのは、弱毒化した牛結核菌を投与することで抗体が作られ、かつ免疫記憶されるという予防効果である。COVID-19に効果があるとすれば、免疫記憶された抗体によるものであるが結核菌とCOVID-19ウイルスでは天と地ほどの差があるので、抗体効果であるとは考えられない。ただし、免疫記憶機構もほとんどわかっていないため、全てを否定することもできない。免疫記憶における抗原認識と樹状細胞の関係等の解明はこれからの研究であるからだ。

 

(3)HCoV・SARSウイルスの感染による交差免疫の効果ではないか。

 科学誌Natureに掲載された論文によれば、SARS感染患者の免疫記憶B細胞から発見された抗体がCOVID-19ウイルスの感染を防ぐことが可能だという。まだ、実験室レベルであり、臨床応用には今後の研究が必要であるが、日本人がCOVID-19ウイルスに感染しにくく重症化しないのは抗体を持っているからではないかと考える研究者もいる。

YouTubeデモクラシータイムズでCOVID-19について児玉氏(東大先端研)が、似たような仮説を展開している。児玉氏は、日常的に感染する4種類のコロナウイルス(Human Coronavirus:HCoV)に日本人が冬期にさらされていることから、日本人はHCoVの抗体を保有しており、HCoVとCOVID-19ウイルスの基本的遺伝子配列は同じなので、重症化を抑える効果があるのではないかという仮説をたてている。

免疫記憶という機構はまだよくわかっていない。また、非常によく似たウイルスに対する抗体が、中和抗体の機能を有する(交差免疫)かどうかも確認されてはいない。中和抗体が、体内のウイルス量を少なくして重症化を防ぐという仮説も考えられるメカニズムではあるが、未だ確かめられてはいない。しかし、これらは重要な仮説であり、今後の研究が必要だろう。

 

(4)キクガシラコウモリを宿主とするHCoVウイルスとCOVID-19ウイルスとの遺伝子組み替えによる効果ではないか。・・・・・・私の仮説・・・

 

 児玉氏は、通常の4種類のHCoVに着目したが、私の仮説もこれらのウイルスに着目したものである。そこで、SARSウイルスの自然宿主であるキクガシラコウモリについて調べてみた。それは、アジアでは感染者数、死亡者数が欧米やブラジルに比べて格段に少ないのは何故かを説明するためには、人獣感染ウイルスまで遡る必要があると考えたからである。

 HCoV(ヒトコロナウイルス)の自然宿主はヒトであるとされている。HCoVには4種類のコロナウイルス、HCoV-229E、HCoV-OC43、HCoV-NL63、HCoV-HKU1があり、HCoV-229E、HCoV-OC43が最初に発見されたのは1960年代、HCoV-NL63とHCoV-HKU1は2000年代に入って新たに発見されたと言われている。ウイルスそのものを人類が発見してから実は100年も経っていない。HCoVは、恐らく相当昔から・・・日本では縄文時代よりはるか昔から・・・日本人に感染していたと考えられ、推定であるが、元々のウイルスは、キクガシラコウモリを宿主としていたのではないかと思われる。コウモリのウイルスについては、下記のサイトで詳しく説明している。

https://www.ayyoshi.com/%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%81%A8%E6%84%9F%E6%9F%93%E7%97%87/

 

 MERS-CoV、SARS-CoV、HCoV-OC43HCoV-HKU1はβコロナウイルスに分類されており、ヒトの細胞への侵入受容体はほぼ同じとされている。

 1889年にウズベキスタンで最初に発生したHCoV-OC43感染症は、当初はインフルエンザではないかと言われたが、コロナウイルスであることが判明している(Wikipediaより)。世界中に広まり、死亡者数は100万人程度であった。

 HCoV-OC43は、コウモリ(オオコウモリかキクガシラコウモリかは不明)からウシに感染したウシコロナウイルスがヒトに感染したものである。

 SARSは、キクガシラコウモリから中国南部に生息するデマレルーセットオオコウモリに感染した後、動物からヒトに感染した。

 MERS-CoVは、エジプシャントゥームバットというオオコウモリからラクダに感染してヒトに感染した。

 

 このようにMERS-CoV、SARS-CoV、HCoV-OC43、HCoV-HKU1はよく似たウイルスであるが、HCoV-OC43に対するヒトの部分的抗体は免疫記憶としてかなりの割合で保有していると考えられているが、科学的根拠は見られないので推測の域は出ない。また、HCoVによる感冒様症状は、何度も発現するので免疫記憶による抗体保有説は疑問である。

 

以上のウイルスはいずれもコウモリに関連するが、オオコウモリの生息域はかなり限られることから、ユーラシア大陸、北アフリカ、日本に広く生息するキクガシラコウモリが元々の宿主ではないかと推測される。HCoVウイルスは、キクガシラコウモリから動物へ、動物からヒトへとうつり変異し、ヒト-動物-ヒトの間を循環して生き残ることになった。キクガシラコウモリは、南北アメリカ大陸、アフリカ南部には生息していないので、この地域の人はHCoVウイルスへの感染機会が少ないと考えられる。勿論、現代ではヒトの移動が激しいので多くの人は一度は感染していると考えられるが、HCoVウイルスに対して部分的であれ免疫記憶を獲得しているという科学的根拠は見られない。

 

 日本には3種類のキクガシラコウモリが、北海道から鹿児島県まで広く分布しており、富士山麓樹海等の洞窟にも生息していることは知られている。日本人は、キクガシラコウモリ由来のHCoVを野生動物や家畜、ペットを通して昔からかつ日常的に感染している、とも考えられるのである。

 今回の中国武漢で発生したCOVID-19ウイルスは、SARSウイルスとHCoV-OC43等のウイルスとが動物あるいはヒトの細胞の中で遺伝子組み換えが発生して誕生したウイルスであるという仮説も考えられる。

 ヒトの細胞の中に2種類以上のウイルスが侵入し、塩基配列の組み替えが発生することは日常的であると言われる。

 

 タラ・C・スミス(ケント州立大学公衆衛生学部疫学教授)が、QuantaMagazineに掲載した記事では次のような解説がある。

 

 「ウイルスがその遺伝物質と他の循環コロナウイルスの遺伝物質とが混ざり合う組換えです。このような現象は頻繁に発生し、まったく新しいウイルスが出現する可能性があります。例えば、2017年に確認されたイヌ呼吸器コロナウイルスの新規株は、既存のイヌやウシコロナウイルスの組換え体である可能性が高い。SARS-CoV-2と他のヒトコロナウイルス、あるいは動物コロナウイルスとの組み換えは可能かもしれないが、そのような事象の結果(良い、悪い、またはその中間)を事前に予測することはほとんど不可能」

 

 動物のコロナウイルスの中には、猫腹膜炎コロナウイルスのように通常の腸炎コロナウイルスとして感染した後、数ヶ月体内に留まり、腹膜炎コロナウイルスに変質し、強毒性を持つものもあるとも説明しており、今回のCOVID-19ウイルスの変異についてもわからないとしている。

 

 さて、私の仮説の結論である。

 

 

 日本人、中国南部、台湾等ではキクガシラコウモリを宿主とするHCoV-OC43等のHCoVの変異種に多くの人が日常的に感染しており、特に日本では、昨年秋から流行し始めた風邪の大半は、インフルエンザではなくHCoV-OC43等のヒトコロナウイルスの流行ではなかったのかと推測される。全国各地の学校での学級閉鎖では、インフルエンザウイルス検査が行われていなかった可能性も高く、またインフルエンザワクチンもほとんど効果がなかったことを考えるとHCoV-OC43による感冒であった可能性は否定できない。

 日本における感染者数、死亡者数の少ない原因は、COVID-19と弱毒性に変異したHCoV-OC43との間で組み替えが起こり、弱毒性のCOVID-19に変異したというのが、私の仮説の結論である。

逆に、欧米で何故死亡者数が多いかと言えば、欧米ではHCoV-OC43等のヒトコロナウイルスによる感染者数が少なかったからではないだろうか。フランス、イタリア、イギリス、スペイン、南北アメリカではヒトコロナウイルスによる流行性感冒がほとんどなかったためと考えられる。この冬のヒトコロナウイルスの流行が、中国南部、台湾、日本に集中していたか、あるいはキクガシラコウモリの生息地であったことのどちらかの要因によるものと推定することができよう。

 

 

<COVID-19の第2波は来るのか?>

 

 全く分からないが、1889年にウズベキスタンで最初に発生したHCoV-OC43感染症は、第1波の大感染で収束したようである。ネコ伝染性腹膜炎コロナウイルスのように、感染細胞の選択という複雑な変異を同一生体内で長期間にわたって起こす場合には、強毒性化して第2波が発生する可能性がある。

 COVID-19の第2波が発生し、強毒性化する可能性としては、今年の秋以後にヒトコロナウイルスの流行が発生しない場合が考えられる。今回のCOVID-19の結果、ウイルス感染予防が習慣化し、昨年のようにヒトコロナウイルスの感冒にかからなくなると、COVID-19ウイルスの遺伝子組み替えが発生せず、HCoV-OC43のような弱毒性へと変異しにくくなる。COVID-19ウイルスは、複写ミスを修復する機能があるらしいので、他のウイルスとの組み替えがなくなると、元のSARSウイルスへ修復するように複写される。この場合にはかなり強毒性に変異することも考えられる。つまり致死率10%以上、30%程度までの猛毒のウイルスへの変異である。第2波が発生すると相当にやっかいなことになりそうである。

 以上のように、COVID-19ウイルスは、HCoV-OC43等のヒトコロナウイルスよりも受容体の多様性等の複雑な機能を有していることから、強毒性への変異の可能性もあり、全く分からないというのが現実であろう。今のところ強毒性化の確率は、50%といったところだろうか。

                                                         2020/05/26

2020/04/30

この国の精神 緊急 どうなるCOVID-19!

この国の精神 緊急 どうなるCOVID-19

行動自粛にどこまで耐えられるか>

80%の行動自粛をしようと頑張っている。行動自粛なるわけのわからないシステムを実施している国は、日本ぐらいなものである。欧米の民主主義国家では、何らかの緊急事態法制の基に、外出規制が敷かれ、罰金制度等の厳しい規制下におかれるのが普通である。自由を標榜する欧米の民主主義は、公益、共同の利益(Republic)という上位概念によって個人を規制する。「公益とは何か」を問うことは、民主主義という社会システムを維持するための基本原理であり、個人の自由、人権論の対立概念である。公益について議論することさえないこの国の民主主義は、「行動自粛」なる曖昧な概念によって国民に暗黙の規制を強い、自粛しない国民を「非国民」として蔑視する危険な思想である。

国民に行動制限を要請し、規制をかけるのであれば、国民生活に対する最低限の補償は当然である。戦時を想定すれば良い。食料、生活必需品、武器等の生産供給は、政府の責務である。

都市的中毒患者は行動自粛に耐えられない

ところで、この「行動自粛」にこの国の国民はどこまで耐えられるかである。バブル崩壊以後、思考停止状態にある国民が、政府の要請にどこまで黙って従うのか。パチンコ屋に列をなして並ぶ、パチンコ中毒患者。飲み屋・バーに通う飲み屋中毒患者。ジョギングを止められないジョギングハイ中毒患者。毎日スーパー・コンビニに行かなければ気が済まないコンビニ中毒患者。孤独に耐えられない都市老人。DVにはしる夫婦。じっとしていられない子供達。「行動自粛」要請が出てから、こういった都市的中毒患者が如何に多いかがわかってきた。人の思考が作り出した都市という環境がどれほど人間の精神をむしばむかを、今回のCOVID-19は我々に示してくれた。これは、日本だけではなく世界の都市で共通に見られる病理である。

「行動自粛」の限界はおよそ1ヶ月といったところだろう。日本は、感染検査をしないからすぐに基に戻る。ただし、COVID-19の感染力が落ちないということを前提としてであるが。

COVID-19とは何者か?>

このウイルスのことが徐々にわかってきたようである。

2003年にSARSウイルス感染症が突如として中国で発生した。この新型コロナウイルスは、ハクビシンを自然宿主とするウイルスであり、ハクビシンから人に感染したと報道された。しかし、これは嘘であり、2003年9月には香港大学がハクビシン由来のウイルスではないことを証明した。

今回のCOVID-19ウイルスは、センザンコウを自然宿主としたウイルスが人に感染したと言われている。根拠は、センザンコウのコロナウイルスとCOVID-19の塩基配列が99%程度類似していることによる。SARSの場合には、僅か29個の塩基配列が異なっていたが、別物で、遺伝学的には異なるウイルスだった。一般的にウイルスの塩基数は3万程度程度である。SARSの場合、ハクビシンコロナウイルスとは僅か0.1%の違いでしかないが、これだけの違いでもタンパク質特性においては全く違うウイルスとなる。チンパンジーと人の塩基配列の差も同様である。

2003年のSARSウイルスの遺伝子解析でもわかるように、今回のCOVID-19ウイルスのセンザンコウ説には同意できない。ウイルスだろうと人の遺伝子だろうと塩基配列が99%一致しているということは、基本的に別の種だといっているに等しいことは遺伝子学では常識だからだ。

さらに、COVID-19ウイルスにはHIVウイルスの一部と同じ配列が含まれていると報告されているが、HIVの機能発現に関わる塩基配列がどの程度含まれているかについての報告がないのでこれもほとんどわからない。新型コロナウイルスに含まれるHIVウイルスの塩基配列と同じ配列は、15種類のウイルスにも見られると報告している科学誌もある。これも遺伝学的にはいい加減なものであり、前後の塩基配列、発現機能との関連性などは全くわかっていないので、「だからどうだ」というぐらいの報告である。

こうやって見てくると、SARSも今回の新型コロナウイルスも、自然界で変異して人に感染するようになったと言い切るには問題がありそうである。


COVID-19ウイルスは人為的につくられた?

そう考えていた矢先に、フランス人のHIVウイルス発見者が「新型コロナウイルスは人為的な操作の産物」だと発表した。今回のウイルスが人為的なものであるということは、台湾人の高名なウイルス学者も発表しており、世界の有名な学者が二人も塩基配列の結果を見ただけで、簡単に結論を出した。この発言はかなり重い。「地球温暖化の恐怖」において説明したように、研究者・学者ほど地位・名誉・金で動く人種はいない。堕落しているのである。金も地位も名誉もいらないとなったとき初めて本当のことを言うのが学者である。どうもここらあたりが真実ではないかと思われるがいかがだろうか。

人為的に操作されたウイルスであれば、ウイルスが増殖するたびに遺伝子の複写ミスが発生し、元の、操作前に近いウイルスに変異する。そのため、流行はすぐに終息する。COVID-19ウイルスは、かなりしぶといウイルスのようで、変異はするが感染力・毒性の強いウイルスの系統が残ったままになっている。このウイルスは、遺伝子組み替えのような人為的操作ではない旧来の遺伝学的操作ではないかと思われる。つまり、SARSウイルスを動物に移植し、その動物からウイルスを採取し、次の動物にウイルスを移植し、さらに動物種を変えて繰り返すということを17年間程度継続的に実験していたのではないだろうか。その結果としてSARSウイルスに、HIVウイルスの断片に似た塩基配列が含まれる変異種が発生したと推測することもできよう。HIVウイルスの断片を含むウイルスを保持している動物にはサル以外にも数種存在する。ひょっとしたら豚や牛も同種のウイルスに感染していたかもしれない。
もし、この仮説が正しいならば、半自然的あるいは旧来の遺伝学的操作により発生したウイルスということができる、これは手強い。短期的には終息しない。感染者が一人でも残っていれば、必ず再発する。それと、抗体ができてウイルスが死滅することも考えにくい。

それはさておき、武漢には武漢ウイルス研究所という最高危険度の研究機関がある。YouTubeの川添恵子氏によれば武漢ウイルス研究所が破壊されたと報告しているが、GOOGLE MAPで検索してみると航空写真の2020年版では存在しているので、間違いだと思われる。座標系の原点を合わせないと地図と写真が一致しないのでご注意を。
武漢2

<COVID-19はなぜ手強いのか?>

ウイルスの毒性は、①人体細胞内に入り込み増殖によって細胞を破壊すること、②破壊はしなくても癌化させるなど異常細胞に変異させること、③癌化させなくともタンパク質の合成過程で毒性物質を作ること等、の3種類が考えられる。COVID-19ウイルスは、増殖による細胞の破壊であるとされている。癌化、毒性物質の産生についての報告は今のところ見られない。


細胞内への侵入経路については、ACE2受容体、フーリンの2種類については解明されていたが、直近の報告では、8種類もの経路があることがわかってきた。このうち、下記の4種類については報告されている。ものすごいウイルスである。ワクチンや薬品が短期的に開発されるなどは考えられないのである。

①ACE2受容体
ウイルスの表面にあるスパイクタンパクが細胞表面のACE2受容体と接合して活性化し細胞に取り込まれる。ACE2は、血圧調整に関わる情報物質であり、加齢とともに増加する。腎臓で産生されるが、上部気道、肺、腸管に多く存在する。そのため、生活習慣病、心臓病、腎臓病、喫煙者、喘息等で重症化しやすい。若い人でも、これらの既往症のある場合には重症化する。さらに、アスリートやスポーツ好きの若者で重症化する可能性も否定できない。
最近の報告では、喫煙者の感染率が低いという。かつて喫煙していたが禁煙している人は感染しやすい。喫煙し続けている人の場合には、ACE2の量が少ないという報告もあるが、この研究では、ニコチンがACE2に結合するため感染しにくくなるということである。喫煙もまんざらではない。
②フーリン
フーリンは、年齢を問わず産生しているタンパク質であるが、特に、T細胞の末梢系免疫寛容、ヘモクロマトーシス(鉄の過剰蓄積)との関係が深いと言われる。HIVウイルスがT細胞に侵入する経路はこのフーリンによるとされている。北欧系白人に多い遺伝性のヘモクロマトーシスでは、感染率が高くなり、HIVへの感染率も高い。北欧系白人のヘモクロマトーシスは、100人に一人の割合と言われている。
③TMPRSS2
COVID-19は、男性ホルモンであるアンドロゲンの受容体と結合する。男性の感染率が高くなるのはこれが原因ではないかと推定されているが、男性ホルモンは女性にもあるのでこの説は疑わしい。前立腺癌等では多く見られる。前立腺炎は、高齢男性で多くみられ、特に欧米系人種では発症率が高くなる。これが高齢男性の感染率の高さと関係していると考えられる。
④GRP78
免疫細胞の表面にあるタンパク質でありCOVID-19ウイルスの受容体となっている。そのため、免疫細胞に侵入して増殖することで、抗炎症サイトカインの放出を抑制し、サイトカインストームを引き起こす。自己免疫疾患の関連因子として知られている。血管障害に関連した因子であり、このタンパク質とCOVID-19ウイルスが結合することにより、血管壁細胞のアポトーシスの抑制が止まり、血液凝固が促進されて血流が極端に悪化し、アテローム性動脈硬化を促進させる。つまり、血栓が急激に増加し、心不全、脳梗塞を発症する。また、感染後の兆候として、手足指先にしもやけに似た紅斑や、極端な冷え症状が見られる。肺炎は確認されないが、血中酸素量が減少する。これは推測であるが、赤血球も破壊されるのではないかと考えられる。

さらに、このウイルスは、細菌のようにRNA複製ミスを修復する機能を保持しているらしい。そう簡単には、弱毒性へと変異しないばかりか、ひょっとすると強毒性に変異する可能性も秘めている。

COVID-19ウイルスの変異は極微少?

国立感染研究所が、COVID-19ウイルスの変異状況を発表し、現在の日本は第二波だと報告している。

2月から始まったこのウイルスによる感染症は、収束の気配さえなく感染者が増え続けている。第二波ではなくて、変異したウイルスが同時に国内に持ち込まれたと考えるのが当たり前ではないのか。

感染研の初動ミスをごまかし、クラスター分析等の小手先の処方で対処できるとした判断ミスを隠すために発表したとしか考えられない。こんなことは英独の研究者が既に実施している。

COVID-19ウイルスの本質になぜ迫らない。

役人根性丸出しの保身主義者にはうんざりである。


<行動自粛の効果はでるのか?>

下記の図は、いつもながら恐縮であるが月間の推定感染者数のグラフである。5月9日の感染者数を推定し、5月以後の行動自粛の程度により毎月の感染者数の変化を見たものである。
予想感染5-25


5月以後、行動自粛80%とした場合が黒線である。

行動自粛80%に押さえなければ感染は止まらない。

行動抑制80%は、国民の自主的行動では無理だ。


行動自粛50%程度 恐らく40%前後で収束させるためには、これしか方法はない。

感染検査体制、1日5万人を1ヶ月以内に準備し、感染者隔離施設を全国で2万人分以上確保しなければ収束しない。

これしか方法はないと確信する。


安部、管、加藤は、以下のことを肝に銘じよ。

国家国民の危急存亡にあって、政治家は我欲、政治欲等の全ての欲望を廃し、自らの生命を賭け、勇気を持って一点に集中して決断せよ。

この時局においてよくぞ政治家となれしと喜ぶべきである。

如何に死ぬかは、如何に生きるかである。直感を信じよ。

2020/04/30 










2020/04/12

この国の精神 緊急 コロナで自民党政権は崩壊する

<財政出動16.8兆円?>

  ガーゼマスク二枚を国民に配り始めるそうだ。袋詰めに厚生労働省の役人が作業しているというから、役人はよっぽど暇に違いない。袋詰めぐらいしか仕事がないのか。

安部マスクに総額470億円  無駄だ!

安部マスクは犯罪である。
ガーゼマスクの効果がほとんど無いにもかかわらず、あたかも効果があるかのように配布し、使用した国民の多数が感染したらどうするのだ。明らかに犯罪である。


こんな税金の使い方に財務省はOKを出した。税金の使用も不正使用にあたり犯罪である。

 安部政権は、事業規模108兆円だと宣伝している。報道はどうなっているのだ。中身を見ると、金融対策費(融資及び保証)と昨年度の消費税増税対策費を除くと、僅か16.8兆円ではないか。

財政支出は、僅かにGDPの3%でしかない。この支援対策の表現も詐欺行為に等しい。

 安部、麻生、管は、財務省から脅されているという噂がネットで流されている。財務省の言うとおりにしなければ森友問題の真実をばらすというのである。16.8兆円などというとんでもない対策を最もらしくごまかすところを見ると、何となくこの噂は真実らしく聞こえてくる。

 政治家が、官僚ごときに脅されるようになってはおしまいだ。自民党の内部からも反論が出ているらしいが、一般には全く報道されない。これが、かつての自民党であったらば、派閥ごとの反論が堂々と報道されたに違いない。

今や、この政党に、保守の精神はない。

<東京都の検査件数はなぜ増えない>

 4月7日の東京都の感染検査件数を調べた。検査件数の少なさはこの緊急レポートで何度も指摘しているが、今もって増えていない。相談センターが受け付けた、累積件数は66,300件に達しているが、検査件数は僅かに5,945件である。この検査件数というのが全くわからない。陽性である場合、最低2回、通常は3回程度は実施する。つまり、初回の検査数を恣意的に公表していないのである。仮に公表検査数が全て初回であったとすると、相談件数の9%しか検査していないのだ。

小池さん、これで命を守れるのか。

 なぜ検査件数が増えないかを調べてみると、大学、研究機関等でのPCR検査をしてはならないという通知・通達が文科省からでているそうである。PCR検査装置は、大学や研究機関で多数保有している。米国の検査の大半は、大学で実施されている。ところが、日本では萩生田文科大臣が検査の禁止を命じたというのだ。ウイルスは、試薬を添加した段階で無毒化する。勿論、取扱には注意を要するため、大学といえども安全基準が適用されるのは当たり前である。

 11日の報道によれば、埼玉県の保健所長が、検査をしないように指示していたと告白したという。

政府・都道府県は感染検査を意図的に実施せず、この状況が現時点でも続いている。

これは、国家犯罪であり、憲法第25条生存権に関わる明確な違反である。

 東京首都圏には、医学系、生物系、農学系の大学が集中しており、PCR検査装置を大量に保有している。これらの資源は何も利用されていない。これが我が国の実態だ。

 11日の報道の中で、前大阪市長の橋下某が感染検査で陰性であったということである。この男は、検査は少なくて良いと盛んに言っていた男である。ウイルスのことを何も知らずにバランスがどうのこうのと物知り顔でしゃべりまくっていた。おまえだけ検査を受けた。検査されずに拒否された者がどんな思いで毎日を送るか想像したことがあるのか。 馬鹿野郎!
 こんなクズ野郎に検査などする必要もない。医療崩壊等は、この国でははるか昔からそうなっていた。高齢者を見捨てた国なのだ。

 安部マスク470億円、厚生労働省の新型コロナウイルス対策批判情報の監視費用25億円(憲法19条違反)があれば何台の検査装置が買えるか。何人の検査要員を確保できるか。


<緊急事態宣言で感染爆発を止められるのか>

 感染者数予測は、これまでも何度か行ったが、4月8日のデータを基に、再度予想してみよう。4月9日の感染者数と死亡者数が一致することを条件とすると、3月11日から4月9日までの1ヶ月間に、一人の感染者が3.1人に移していたことになる。この状態、つまり、3月の状態から、緊急事態宣言による行動自粛によって、50%程度行動が抑制されて感染率が1.5人に低下したとすると、図1のような予想曲線になる。

50%程度の行動抑制では感染拡大を止めることは出来ないのだ。

 1年後の2月には、累積感染者数5百万人、死亡者数12万人程度と予想される。死亡者数は、現状の肺炎死亡者数年間12万人と同じになるのだ。

     図1 行動抑制50%、感染率1.5人の場合の累積感染者数予想
感染率15予想-2


 それでは、3月の状態から70%程度行動抑制したらどうなるか。感染率を0.9人まで押さえるということである。これでも、感染者数は減らすことはできない。それも、10ヶ月間行動抑制を継続するという条件である。来年1月から2月までの1ヶ月間の新規発生者数は、35,000人に達する。

 感染を押さえ込むには、80%程度行動抑制をして感染率を0.6人まで低下させる必要がある。図2は、このような行動抑制をした場合の毎月の新規感染者数の予測である。政府が公表している(北大の某教授の推定)予測と一致する。しかし、来年2月まで厳しい行動抑制を継続したとしても、4月9日の時点で累積感染者数が5000人を超えている状況では、来年2月に至っても1ヶ月間に1500人以上の新規感染者が発生する。この厳しい行動抑制を来年8月まで継続したとすれば、新規感染者数はやっと月間で1000人未満になるが、感染能力を有する感染者が1000人もいるとなると、行動抑制がなくなったとしても、すぐに元に戻ってしまう。
        図2 行動抑制80% 感染率0.6人の月別新規感染者数予測
感染率06予想


それでは、感染者数を低水準で維持し続けるためにはどうしたらいいのだ。

 5月9日以後、武漢のように都市封鎖、交通遮断、外出禁止令という97%の厳しい行動抑制を8月までの3ヶ月間実施し、8月以後4ヶ月間は80%の行動抑制に戻し、その後65%の行動抑制に緩めるという条件でシミュレーションしたのが図3である。

 このグラフは、武漢の都市封鎖とよく似ているではないか。武漢の都市封鎖効果とはこのような状態を想定したシナリオだと考えられる。つまり、公表されているデータは、こういったシナリオに基づいた創作データ、偽データではないかと推定されるのである。

武漢のデータは創作データである

 80%の行動抑制とは、通勤禁止、スーパー、薬局、役所関係、警察、消防、医療機関以外の全ての事業・営業の禁止、外部交通遮断、地域内交通のみといったものである。97%の行動抑制では恐らく隔離状態とほぼ変わらず、外出は許可制になる。

こんなことは、今の日本でできるわけがない。

   図3 外出禁止令、交通遮断という97%行動抑制の場合の新規感染者数予測
感染率01予想


<行動抑制50%程度、感染率1.5人の状態でどうすれば感染を止められるか>

 現状の緊急事態宣言、つまり行動抑制50%程度、感染率1.5人の状態のままで、どうすれば感染を食い止めることができるのだろうか。

方法は一つしかない。

感染検査を徹底し、陽性患者を片っ端から隔離することである。

感染検査の徹底とはどうすればいいのだ。

 毎日100万人の検査を実施し、100日で1億人を検査することだ。そう難しいことではない。何せ布マスクを全世帯に配布するというのだから、こんなばかげたことに比べれば遙かに簡単で、効果がある。まず、サンプルキットを全世帯に配布し、自分で採取することを原則にする。回収は郵送にするとまずいので、郵便局員、宅配業者に防護装備を配給し、回収する。後は検査をして、陽性であれば、無条件に隔離する。勿論、陽性患者の家族、接触者は後で再度検査することになる。

 布マスクの製造、配布の数倍の手間で全国民の検査が完了する。これを3ヶ月間で実施する。全国でなくとも、感染者数の多い大都市に限って実施してもいいだろう。

 他にもある、企業、公共事業体、自営業、学校等の機能的組織構成員を中心に全て実施する方法もある。これらの情報は、都道府県、市区町村にあるのですぐに特定可能である。

 検査装置は、メーカが沢山作っているから、1ヶ月もあれば用意できる。隔離施設も簡単だ。後は、労働力だ。これもそう難しくはない。大都市を中心に休業状態なので、危険手当付き時給でいくらでも集まる。アメリカの失業保険申請者数が僅か数日で1600万人にもなったのだから、日本だってこれから500万人ぐらいは発生するだろう。防護装備は、国が全量買い上げであれば1ヶ月で十分調達可能だろう。

なぜこんな簡単なことを、迅速にかつシステマティックにできないのだ。

 経団連、経済同友会は何をしているのだ。世界では、企業が全力を挙げて支援している。マスク、防護装備の生産等はお手のものではないか。この2ヶ月間何もしていない。一時帰休、借り入れ準備・・・それだけしかできないのか。今もって金儲けだ。三井、三菱、住友・・・・・トヨタ、日産、日立・・・・・・。何をしているのだ。今からでも遅くない。マスクと防護装備をすぐに生産しろ。


<実は、日本の医療はとうの昔に崩壊していた>

 急激な感染者の増加は医療崩壊につながると、医師会、政府は繰り返し、しつこいぐらいに解説している。何故なのか。
そこで、その理由を少し考えてみると、以下の理由のようである。
①指定感染症と判定されると、症状の有無にかかわらず隔離入院しなければならない。そのため指定医療機関のベッド数がすぐに不足して医療崩壊
②感染者が一般病院に押しかけて、一般診療が困難になる医療崩壊
③院内感染が広まり感染爆発の連鎖が起こって医療崩壊
④重症者数が増加しても指定医療機関のベッド数がすぐに不足して医療崩壊
⑤人工呼吸器、人工心肺装置が不足状況なので医療崩壊。

これは全部嘘であることがわかった。実はこういうことなのだ。

 我が国の肺炎死亡者数は、年間13万人、月平均1万人、1日平均300人~400人となっている。この数字は実に不思議な数字である。肺炎死亡者1日400人、重症肺炎患者の死亡率50%、重症者の入院期間10日間とすると、現状で1日当りの重症肺炎患者入院数は8000人にもなる。現状の重症肺炎患者だけでも満杯状態であり、これ以上の患者の受け入れは難しいのが実態である。つまり、武漢肺炎(これから新型コロナウイルスというのは長すぎるので武漢肺炎と言うことにする)が発生しなかった場合でも、現状の設備・体制で既に既存の重症肺炎患者できつきつの状況なのである。

医師は、なぜそう言わない。
何故、重症肺炎患者ベッド数を増やせと言わないのだ。

 次に、人工呼吸器の利用状況はどうだろう。一日400人の死亡者に対してどのくらいの割合で人工呼吸器が利用されたのだろうか。私の周りに聞いてみると、70歳以上で重症の肺炎になると医師は人工呼吸器を付けないのが普通だという。仮に助かっても、余命は少ないからだ。

何のことはない。日本の医療では、命の選別は常識なのだ。

医師会、厚生労働省よ。医療崩壊などと格好のいい言葉でごまかすな。
これも犯罪のにおいがする。

 ジャーナリストの皆さん。政策がどうのこうのという前に、肺炎死亡者が人工呼吸器をどのくらい使用しているか足で取材してみろ。おうむがえしの報道ばかりでは能がない。文春砲も空砲ばかりか。

 武漢肺炎の重症者数は、4月10日現在でも僅かに125名である。仮に、重症者数が5000名になったとしても高齢者に人工呼吸器が使われることはないのだ。

 暗黙の了解により、高齢者が重症化した場合には、武漢市やニューヨーク、イタリアと同じように命の選別が行われ放置される。日本では、昔から行っていたのだ。

<新型コロナウイルスは猛烈なスピードで変異する>

 京都大学(北京大学?)の研究グループが、日本の新型コロナウイルスには大きく2つのグループがあると発表している。S型とL型だそうである。このうちS型は弱毒性、L型は強毒性ではないかと推定しているが、11日の報道では不適切だったと修正している。毒性の強さとは、増殖力のことであるが、ウイルスの増殖は感染したウイルス量と、ウイルスそのものの特性による場合があるので、簡単には解明できない。最近では独英の研究者が京都大学よりも多い検体により解析した論文が発表されている。これによれば、日本に入ってきたウイルスは武漢よりも広東省あたりのものが多いらしい。ヨーロッパは武漢を起源として変異したウイルスであるという。しかし、人の移動が激しいので、日本でもヨーロッパタイプもかなり入っていると思われる。ウイルスは、一般的には、人-物-人と感染して変異を繰り返すと毒性が弱まる、つまり、共生能力を付けると言われる。しかし、例外もある。強毒性に変異する可能性も否定できない。

集団免疫という嘘。

 集団免疫とは、死ぬ者は死んで、生き残る者は残るということである。しかし、生き残った者に免疫があるとは必ずしも言えない。ウイルスが変異して毒性が弱まっただけかもしれないのだ。
 コロナウイルスに対する応答免疫が長期間記憶されるという研究報告はどこにもない。短期的に、例えば、半年とか1年間程度は抗体が産生されるがこれは免疫記憶ではない。ウイルスに常時さらされている環境であるために抗体産生が継続しているに過ぎない。

 武漢肺炎は必ず第二波、第三波がありピークから半年以上1年以内に次の波がくる。ワクチン、新薬がなければ収束はない。


<自民党政権は、コロナで崩壊する>

 この国の政治における保守の思想とは、この国の精神そのものである。この国の精神は、命あるもの全てに対する、つまり全自然・全生命に対する思いやりの心であった。しかし、この国の政党は、保身と金のためにこの精神を放棄し、堕落した。自民党だけではない、野党も含めた全ての政党・政治家がそうである。官僚は、政治家に対峙するべき唯一の砦であったはずであるが、野良犬のごとく政治家にすり寄り、ただしっぽを振るだけである。
 今後最低2年間は続くと思われる戦後最大の大不況を乗り切るためには、口先や小手先の経済手法ではどうにもなるまい。

もはや手遅れである。

                                     2020/04/11

2020/04/04

この国の精神 緊急 なさけない国日本

 新型コロナウイルスの感染爆発が本格化する気配となった。それにしても安部総理大臣というのは何と「なさけない」人間ではないか。一世帯あたり布製マスク2枚配布するという。こんなものが何の役に立つというのだ。それも郵送だそうである。小切手の郵送はできないと言いつつ、マスクは郵送するというこの矛盾は、国民をバカにしているとしか言いようがない。直接費用だけで200億円以上かかる。医療用マスク、保護具、隔離施設等いくらでも必要な時に、こんな施策を自慢げに発表するなどはあきれかえってものが言えない。これに対して、「助かる」等とツイッターするクズがいると聞くと無性に腹が立つ。

<布製マスクは効果がない>

  マスクの話は、以前にも説明した。この説明をしたとき、WHOや専門家なるものがマスクは予防効果がないからマスクはする必要がないと盛んに喧伝していた。ところが、今になるとマスクをしろという。嘘つき専門家達は、いいわけに躍起になっている。専門家なるものが如何にクズであるかを証明しているようなものだ。

  ところで、布製マスクの効果であるが、原則として効果はない。布製マスクは、目が粗いためガーゼなら20枚以上でなければ飛沫の微少部・エアロゾルやPM2.5等の微少粉末は透過するのである。10枚程度であれば、逆に、微粉化・微少化効果の方が高い。予防効果として、微少飛沫やPM2.5等は、簡単に吸引してしまう。

  一般用マスクで効果のあるのは、ナノシートやナノフィルターと吸着効果のあるシートを併用したマスクであって、それ以外のマスクには効果がない。

  布製マスクは、せいぜいのどの乾燥を防ぐことと、つばの飛散防止程度である。

  こんなものを作成している企業には製造を止めろというのが厚生労働省の仕事ではないのか。
布製マスク配布のアイデアは、役人のアイデアだそうだから、厚生労働省、財務省、内閣府等のどこかの役人の入れ知恵に違いないが、こんなアイデアしか出せないクズはすぐに首にしろ。サージカルマスクの製造は難しくもなんともなく、国が生産設備、素材、体制の資金を準備し、生産量の全てを買い上げて市町村に配り、配給制にすればすむだけではないか。これらの資金は500億円もあれば十分である。市町村が国民に配給する場合、市場価格の半額で配給すれば、国民は助かるし、収入額を市町村のコロナ対策費に充てんすれば一石二鳥になる。2月から対策をとっているのだから、3月初旬に対策をとればもう配給が始まっているはずだ。ナノシート等は全て国内で生産している。

 抗ウイルス加工の布製マスクはどうだろうか。これも原則として超高密度加工された布地以外では効果がない。抗ウイルス加工とは、SEK抗ウイルス加工マークを取得した繊維製品のことであり、これは布地に抗ウイルス性の物質を塗布した布地である。従って布地に付着したウイルス量を減少させる効果はあっても、ウイルスが付着したエアロゾルをブロックすることはできない。抗ウイルスガーゼなど、あたかも効果のあるように宣伝しているが、嘘である。そのため、エプロンとか帽子とか防護服とかが抗ウイルス加工されていれば、付着したウイルス量を減少させることは可能だがゼロにすることはできない。従って、新型コロナウイルスのように感染力が強く、強毒性のウイルスに対する即効性はないと考えるべきである。

<安部さん、いい加減にしてくれ>

女房も制御できないクズに国家の制御などできようはずがない。

安部、麻生、管、加藤、森、取り巻きのごますり官僚の諸君。

あなた達では感染爆発という戦争に勝つことはできない。すぐに辞職すべきだ。

経済対策にしても、全て後手に回っている。都道府県の知事諸君、こんな政府の方針を待っていては、この戦争に勝てないぞ。ホテルを借り上げて軽症者の病床にするそうだ。当たり前ではないか。オリンピック村を隔離施設にすると、人手も何もないからできないと、どこかの大学教授が言っているが、構想力や企画力のないこんな連中が国の検討委員会委員なのかとあきれてしまう。
今、外出禁止にしなければ危ない。外食産業はもはや瀕死の状態だ。長期化するだろう。コック、調理人、外食産業従事者、その他の休業産業従事者を数ヶ月限定で、危険手当付きで高級(通常時間給の2倍以上)で数千人の募集をかければすむ話である。オリンピック村には宿泊施設もあるので宿泊も可とすれば良い。1ヶ月もあれば、準備はできる。3月に開始していれば、もう準備は終わっている。感染爆発に対して過剰な準備は許されるのだ。

<小池さん、あなたもやめたらどうだ>

  小池さん、総理大臣と相談しながら対策を講じるとは何事だ。国と考えの違いはあっても、東京都は単独でも実施すると決めればいいではないか。必要なら緊急に条例を作れ。何故、国の顔色をうかがうのだ。東京都の役人も同じだ。感染検査をできるだけしないように実に巧妙に行動する。体制を作り、積極的に検査を実施しろ。国が何と言おうとだ。ある保健所の相談センターでの対応を見たら、何とも驚くべき状態である。素人のおねーちゃんが、メモをとるだけではないか。こんな相談センターなどあるわけがない。医師が誰一人としていないのだ。普通の病院に電話で相談するだけで検査を受けられるシステムに早急に変更する必要がある。厚生労働省が何と言おうと東京都はやるとしなければ感染爆発に対応できなくなるぞ。ロッシュの大規模検査装置が、厚生労働省の審査待ちだそうだ。まだ1ヶ月はかかると言っている。東京都が単独でやると宣言すればそれで終わりだ。厚生労働省が何と言おうと、知事の権限でやれ。国から訴えられようと、禁止命令が出ようとやるならやってみろぐらいの啖呵をきってみろ。戦争なのだ。

  これぐらいの迫力と実行力で総理大臣にせまるなら、都民はこぞって応援するだろう。これで自民党政権は崩壊する。

  経済政策は、金のばらまきではなく、過剰すぎるぐらいの対策による緊急雇用で対応しろ。困っている人達は、正規社員ではなくその日暮らしの自営業者や労働者の皆さんだ。ただ金をもらうのではない。危険な仕事にチャレンジする機会を作り出し、この戦争に対する貢献者としての報酬を支払うのである。東京首都圏には、様々な製造業が集中している。サージカルマスク・N95や防護服ぐらい製造装置と材料があれば、製造業の皆さんの協力があればすぐにでも生産可能だ。既存のメーカが作らないのであれば、東京がやってやるぐらいの気概はないのか。

<この国は戦争で負ける国だ>

 今回の新型コロナウイルスに対する国の対応を見て、つくづくこの国は戦争などできる国ではないことを悟った。見たくないものは見ないという官僚と与党・野党の政治家。上手に負けるか下手に負けるかといった賭けにもならないばくちに手を出す国家。

 こんな国家に戦争などできるわけがない。北朝鮮の諸君。戦争を仕掛けるなら今だぞ。日本は戦争せずに降参する。なぜなら、応戦するかしないかを決めるのに1ヶ月はかかるからだ。

 この国が戦争などできないのは、危機に対して何が正しいか、何が必要かといった信念、思想、精神が全く欠如しているからである。第二次世界大戦前の軍部のごますり、納豆的体質は、軍部だけには留まらなかった。正論を言う官僚・軍人は全て左遷され、ごますり野郎、納豆野郎だけが中央に配置された。森友問題から花見まで安倍政権と酷似しているではないか。心ある自民党の政治家諸君、間違いは間違いだと正論を吐け。今、最も必要なのは正しき言論しかないのだ。

 参議院本会議の質問を聞いていたら、公明党の某議員が、「マニュアル」だと叫んでいた。当たり前だ。マニュアルがなければ動けないのか。そんなものぐらい、現場でいくらでも作れる。今、必要なのは現場主義である。現場主義とは、やることが分かっていれば、現場でマニュアルぐらい作れるということだ。そうかと思えば、日本維新の会のバカ議員が、禁煙が新型コロナウイルスの重症化を防止するなどととんでもない発言をしている。喫煙した人間が感染しやすいことも重症化しやすいこともわかりきっている。今、全国禁煙にしたところで何の関係もない。こんなクズはすぐ議員を辞職しろ。

なんともなさけない話ばかりが続く。

まだまだ腹が立つ日がつづくのだろうか。

                                      2020/04/04

2020/03/29

この国の精神 緊急 「ばくち」国家日本

<「ばくち」国家日本>

   前回、我が国のコロナ対策を「一か八かの新型コロナウイルス対策」と題して「ばくち」政策について論評した。ところが、共同通信が、3月26日のNYタイムズ電子版に以下のような記事が掲載されたとネットで報じた。

 米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は26日、新型コロナウイルスの日本での感染状況について「厳しい外出制限をしていないのに、イタリアやニューヨークのようなひどい状況を回避している」と指摘、世界中の疫学者は理由が分からず「当惑している」と伝えた。
 日本が医療崩壊を避けるため、意図的に検査を制限しているとの見方を紹介。米コロンビア大の専門家は、日本のやり方は「ばくち」であり「事態が水面下で悪化し、手遅れになるまで気付かない恐れがある」と警鐘を鳴らした。
               https://jp.reuters.com/article/idJP2020032701001806

 何と、私が指摘したと同じことを考えているではないか。「どうせ感染が広がるのならば、うまく感染を拡大させるか、失敗して感染爆発を起こすか」のいずれかに賭けるという「ばくち」政策である。

<検査数が何故すくないのか>

 元厚生労働大臣の田村某が、BS-TBSの報道番組で、国は、以下の基準を満たしていれば相談センターと医師が相談して感染検査が受けられると強調して説明していた。

  A 風邪の症状や37.5℃前後の発熱が4日程度続いている。(高齢者・妊婦・基礎疾患がある方
   は2日程度)
  B 強いだるさ(倦怠感)や息苦しさがある

 この基準は、WHOが定めている基準と同じである。ドイツも基本的に同じであるというが、致死率が極めて小さいことを考えると、医師の指示だけでも検査が可能としていると思われる。前回も説明したように、検査装置の感度、つまり精度が仮に95%であったとしても、真に新型コロナウイルスに感染している確率がわからなければ、検査結果が真に陽性である確率は分からない。

 ドイツのデータの詳細は分からないが、報道情報を基に検査結果が真に陽性となる確率を、以下の仮定条件によって計算してみよう。
  検査者件数 40万件 初回スクリーニング 20万人
  初回検査結果が陽性であった感染者数 2万人
  致死率を世界のデータを参考に、かつドイツ医療レベルを考慮して1%とする。
  現在の死亡者数 114人
  検査者のうち真に陽性である人の確率 2.85%
  検査装置の精度(感度) 95%
 
 検査者のうち陽性と診断された感染者のうち真に陽性である感染者の確率は、僅かに53%という計算結果になった。つまり、感染者数2万人と言われているが、真に陽性である感染者数は、11,000人程度であるということである。これは、初回スクリーニング検査者数を20万人として計算したものである。

 真の感染確率を求めることは容易ではないが、ランダムサンプリングと検査、診断(CT、病理学検査)を数度実施すれば算出することができる。この確率が求められれば、検査結果が陽性である場合、真の感染確率を求めることが可能となる。ドイツのように検査基準を緩やかにした場合、陽性と判定されても真に陽性となる確率は、50%程度まで低下すると考えられるため、死亡者数を感染者数で割った致死率では正確な致死率を表しているとは言いがたい。恐らく、致死率は現在の3倍~4倍程度にはなると推定される。ちなみに、現在のドイツの致死率は0.6%程度である。

 一方、イタリアはどうなのだろうか。現在10%を超える致死率である。イタリアの場合には、ドイツよりもさらに低い基準で検査をしていると考えられるので、致死率はさらに高くなると推定される。ということは、ドイツとイタリアの新型コロナウイルスは系統が違うのではないかと疑いたくなる。

 日本の感染検査の状況はどうなっているのだろうか。日本全国の検査数と感染者数、死亡者数の全てがそろっているデータがないので実は調べようがない。

 何という国だ、こんなデータさえ揃えていないのだ

 厚生労働省が公表しているデータは下記のような表である。

相談件数

 3月16日時点での相談件数は約208,947万件、受診者数は約9,101件、PCR実施件数は6,708件となっており、PCR検査を行った割合は、僅かに3.2%でしかない。全国でも、1日当り200件以下の検査しかしていないとはどうなっているのだ。

 それでは、東京都はどうだろうか。下記は、東京都の新型コロナウイルスHPに掲載されている情報である。

 2月7日に開設した新型コロナ受診相談窓口(帰国者・接触者電話相談センター)の受付状況も公表した。2月7日から3月10日までの33日間の相談対応件数は2万8485件。10日までに364人を新型コロナ外来(帰国者・接触者外来)に紹介した。                                                                  https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/

 相談センターが受けた2万8千件の相談件数のうち、検査要と判断した件数が僅かに364件である。さらに東京都の検査能力が如何に低いかを示す下記のような情報も見つかった。

 厚生労働省が公表した都道府県別の1日当たりのPCR検査実施可能件数(7日時点、地方衛生研究所の件数を集計)によると、東京都の実施可能件数は125件で、同じ首都圏の神奈川県(190件)、千葉県(152件)よりも低い水準となっている。
       https://co-medical.mynavi.jp/contents/therapistplus/news/4150/

 仮に、新型コロナウイルスの対応が本格したのが2月1日以後だとしよう。現時点まで既に2ヶ月近くが経過したにもかかわらず、検査能力を増やそうともしない。現在の検査能力がどの程度の水準にあるかさえ公表されていない。東京首都圏だけで2500万人の人口を抱えているのだから、1日の検査能力は最低でも2万件程度は必要だと考えられる。

 感染爆発だ、オーバーシュート(こんな英語はない)だ!

 小池さん、こんなことをあなたが言えるのか!

 前述の田村某元厚生大臣によれば、検査をするかしないかは知事の権限であり、国はできるだけ検査をするように知事にお願い、要請しかできないのだそうだ。国民の命がかかっている時に、国は何もできないと言っているのと同じではないか。

 もはや国はあてにできない。都道府県知事の問題である。

 つまり、これだけ検査者数が少ないのは、国の責任ではなく、都道府県知事が感染検査に制限を付けたのであり、検査責任は知事にあるというのである。

 感染爆発が起こり、多くの感染者が発生し、重症者が増加した責任は、早期に感染検査をしなかったからに他ならない。感染爆発が収束した段階で、集団訴訟を起こされる可能性は極めて高いと考えられる。国は、責任を都道府県知事に転嫁した。

<新型コロナウイルスはたいした感染ではないという学者達>

 YouTubeを見ると、武田某、高橋某といった学者が、「新型コロナウイルスなどはインフルエンザの致死率より少し高い程度で心配するほどのものではない」と盛んに吹聴している。武田某の地球温暖化問題に対する考え方には全てではないが賛同する面も多いが、武田さん、新型コロナウイルスについて、あなたは間違っている。このウイルスは、極めて手強い。ウイルス学的に手強いのである。ワクチン、新薬等は1年や2年では到底開発不可能である。ウイルスの変異についても全く分からない。49歳以下の感染率は高いが、発症率は低い。免疫中和だけでは説明できない。スペイン風邪のように若年層が重症化する変異をいつ起こすか予想もできないが、可能性は高い。同一感染者が何度も感染するとどうなるか全く分からない。致死率が3%以上となることはほぼ間違いない。全世界人口の半数35億人が感染すると1億人が死亡する。これがインフルエンザと同じようなものだとどうして言えるのだ。35億人に感染するのに1年はかからないと考えられるが、これだけの人数に感染が広がると、ウイルスが複雑な系統に変異する。あるものは強毒性に変異するかもしれない。

武田さん、中国のデータなどを信じるようでは科学者とはとても言えません。

 つい最近の中国「財新」(かなり信用できる調査報道)の報道によれば、「無症状感染者が公表数値の倍ではないか、未知の無症候性キャリアーが新たな感染経路になる恐れがある」としている。また、火葬後の骨を遺族に返すことになり、武漢の火葬場に長蛇の列ができたと報道している。火葬実態から、死亡者数は公表数より遙かに多いのではないかという情報は、以前からネットでは流れていたが、全て削除された。「財経冷眼」は、葬儀場の骨壺の処理数から、中国全土で中共ウイルスによる実際の死者数は9万人以上、感染者数は120万人以上と推定している。また、別の情報では、武漢市民政局の孫家通副局長によると、ロックダウンが始まった1月23日~3月10日までの47日間で、2万1703体が火葬されたとしている。
 これらの情報の信頼性には問題はあるが、死亡者の処理件数から後日実態が暴かれることは必死である。中国政府がこのまま隠蔽することは不可能である。これ以外にも、携帯電話、スマートフォンの接続台数の減少数などの情報もある。中国政府が、感染重症者をどうしたのか、全て殺したのか、これも分からない。感染爆発後に感染者数が0になるなど常識的に考えられるわけがない。

<クラスターだけの解明時期は終わった>

 厚生労働省と専門家会議委員なるものが必死にクラスターを追っているが、そんな時期はとうに過ぎているし、そもそも国がやるべきことではない。そんなことは都道府県に任せよ。やるべきは検査体制、隔離体制の確保であり、スピードである。金を準備し、人員を確保することだ。都道府県は金の準備ができればいつでも対応するだろう。国は費用負担と対策の責任を明確にすることである。

<国家を担う者の精神の劣化>

 政治家と官僚の諸君、「ばくち」打ちのようなやくざな精神で仕事をするな。この方策は、国家に対する犯罪に等しいのだ。政治家、官僚、地方政治家・公務員の精神的劣化は、今回の新型コロナウイルス対策で明らかになったと感ずるのは、私一人ではないと信ずる。

 「この国の精神」を考え始めた途端に新型コロナウイルス問題が発生した。グローバル経済・社会が、如何に脆弱なものかを目の当たりにした。さらに、経済・社会・制度などといった国のかたちは、どのように着飾ったとしても、国を支える人々の精神の気高さによって変わるということを実感した。この国は、何と未熟な民主主義国家ではないか。

                                  2020/03/29















2020/03/23

この国の精神 緊急 一(いち)か八(ばち)かの新型コロナウイルス対策

この国の精神 緊急 一(いち)か八(ばち)かの新型コロナウイルス対策

ばくちをうった日本政府>

 ヨーロッパの新型コロナウイルスによるパンデミックはやむ気配がない。ベルギーから電話があり、状況を聞いてみた。ヨーロッパでも日本と同じように、感染者数には疑いを持っているようだ。子供の春休みにイタリアにスキー旅行に行った人の大半が感染しているらしいが、感染検査を受けないのが実態のようである。それにしても、我が日本の今回の対応は間違えているとしか考えようがない。

 このまま、収束すれば良いが、感染爆発の危険性はかなり高い。政治家や専門家がまやかしの科学によって国民をだまし、一か八かの賭けにでたのが今回の日本の対策だ。

 日本という国は、危機に陥ると運を天に任せ賭けに出る。明治維新以来、国際的危機に直面するとばくちをうつのだ。日清・日露戦争、支那事変、第二次世界大戦等は、その典型的な行動様式と言って良い。日清・日露戦争は、何とか賭けがうまくいった方であるが、ばくちの打ち方を変えたのが第二次世界大戦である。戦争に勝つか負けるかに賭けたのではなく、上手に負けるか下手に負けるかに賭けたのである。ばくちは、人間の性であり、思考における麻薬のようなものだ。例えば、経済とは一種のばくちであり、経済学なる学問はこのばくちの解明を目的としている。経済現象を一か八かのばくち的行動原理ではなく、損得勘定の科学的現象として解明しようと考えたのが経済学なのだ。だから、科学としての経済学は会計学を基礎とするのである。

 話は、新型コロナウイルスに対する日本の対応である。日本は、世界のどの国とも異なる対応を選択した。それは、可能な限り感染者を選別して感染者を隔離し、人への感染を止めるという方策を放棄したことである。つまり、感染が疑われるという基準を作り、症状が現れ、かつ保健所あるいは相談所が疑わしいと判断した場合のみ感染検査を行うというものである。症状が現れないと感染しないということを前提とした対応方法である。しかし、最近の臨床報告では、無症状感染者もかなり長期(30日以上か)に渡って感染能力があるということが分かってきた。自己診断で感染していないと考えていても、他者に感染させている可能性が高いということだ。なぜ、この国は、感染拡大を抑制できるという科学的根拠もなしに、このような非科学的で無謀な対策を選択したのだろうか。まさに、第二次世界大戦のばくちと同じ選択をした。つまり、どうせ感染が広がるのならば、うまく感染を拡大させるか失敗して感染爆発を起こすかのどちらかにかけるというばくちである。

<日本の対策は科学的に正しいという主張の嘘>

 感染予想について報道が見られ始めた。R0(アールノート)、SIR数理モデルにより感染拡大を予測しているものだ。つい最近(3月20日)も、某国立大学教授が、今回の国の感染対策は、疫学的に、科学的に検討された結果だと言っている。

本当か? 嘘だ!

 対策の前にこのような説明をせず、何故後付けで「この対策が正しい」などという嘘を、もっともらしく解説しうるのか、その精神を疑う。こんな奴は学者ではない。
  
   この某教授は、SIR数理モデルにより感染拡大を予測しているから、現行対策は正しいと主張するが、こんなことは当たり前である。何らかの予測モデルによらなければ、対策の結果を予測することなどは不可能である。この某教授は数理モデルを長々と解説しているが、数理モデルが科学的なるものの根拠にはならないということを全く理解していない。これが学者かと疑うのはこの点である。さらに言えば、数理モデル等の数学モデルによる予測などは、もはや化石に近い理論である。具体的な施策等の複雑な構造的予測手法として役に立たないことは自明であり、現代では情報構造モデル、複雑系等々山ほどあるのだ。

 科学的であるか否かは、モデルにあるのではなくデータにある。感染率をどんなデータによって確認したか。サンプル収集の条件とは何かである。最近の報告によればクラスター感染ではなく、市中感染の割合が高くなっている。さらにランダムサンプリングによる感染検査などは全くなされていない。つまり、感染率は種々の条件によって異なるということである。感染確認者の8割が誰にも感染させていない等を証明するデータはどこにもないのである。

 クラスター感染の感染率が高いことは当たり前であるが、市中感染であっても小規模クラスターは容易に形成される。食堂、コンビニ、通勤電車等々である。それに、このウイルスの感染力は極めて強く、飛沫を浴びると数秒で自己細胞に侵入することも分かっている。感染者の飛沫を浴びれば、無症状であっても感染している確率は極めて高いということである。この某教授は、韓国などに比べて検査数が少ないのは、本当に発症者が少ないからだとさえ言い切っている。しかし、前回も示したように、病院の外に、診療拒否を掲げている状況でどうやって感染検査が受けられるのだ。さらに、院内感染を恐れて自主的に病院に行かない感染者が沢山いるという情報がネット上に挙げられている。

 2月から始まり、保健所が感染検査の判断をすることから、どうやら相談センターの判断へと移行したが、医師の判断で直接検査を実施するところまでには至っていない。それどころか、感染者を診断したことで診療停止や医師への感染を恐れて診療拒否する病院が増加し、その結果検査数が増加しない状態となっている。可能な限り、疑わしきは検査する必要がある。

 それによって隔離ベッドが足りないのであれば、今ならいくらでも方法がある。欧米がやっているように、観光客が来なくなって倒産寸前となったホテルを2ヶ月借り上げる等は、日本の都市部ではいくらでも可能である。東京ならばオリンピック選手村に12000ベッドがある。医師や医療スタッフは、都市部の小規模医院では現在、患者が全く来なくなって、給与さえ払えなくなっている状況だ。こういった資源をかり出して、検査や無症状、軽症者に対する対応を行えば簡単に対策が可能である。今だから可能なのだ。

<PCR検査の精度>

 ところで、PCR検査の精度があまり良くないので、感染検査結果を信用できないなどと政府の関係者が言っている。当初、加藤厚生労働大臣は盛んに言い訳していた。さて、PCRの精度はどの程度のものなのか。どこにも公表情報がないのだが、いろいろ話を聞いていると95%程度の精度はあるらしい。この精度の意味は、明らかに感染者と分かっている者で検査をすると95%は陽性、5%は陰性となることであり、逆に、非感染者で検査をすると5%は陽性となるということである。それでは、感染しているかどうか分からない人を検査したとき、本当に感染していると判定できる確率はどのくらいになるのだろうか。有名な、ベイズの定理である。高校数学確率論、大学教養レベルの問題だが、このベイズの定理をベイズ推定として実際の問題で扱う場合には、かなりの発想の転換を必要とする。

 95%精度のPCR検査を実施したとき、一体全体どのくらいの確率で真の感染者を発見できるかは、感染率が分からなければならない。そのためには、できるだけ多くの感染検査の結果が必要になる。イタリアの例でみると、3月22日時点で約18万件の検査を行い、4万7千人の感染者数となっているので、感染率は約26%である。この場合のPCRによる陽性判定の精度は、87%程度であり、陰性判定の精度は98%程度となる。つまり、イタリアではPCR検査で陰性と判定された場合は、98%の確率で陰性であるので、その他の検査、例えばインフルエンザや細菌検査を行って陰性であっても、医師による所見によっては隔離する。陽性の場合には、無条件に隔離するが、陽性である確率が87%であるので陽性者100人のうち陰性の可能性が高い人が13人はいるため、その後さらに複数回のPCR検査によって判定する。


<国民の命を天秤にかけたばくち政策 恐るべき帰結主義

 第二次世界大戦後、初めてのパンデミックである。「感染を止められないならば、うまく感染させる」というばくち戦略を選択した我が国の政府及び専門家の腐れきった精神は、第二次世界大戦に向かった当時の軍部(専門家)と政府の精神と本質的には同じである。

 この恐るべき精神とは、「国民の命」などは虫けらと同じであり、戦略が成功すれば全て解決するという結果主義帰結主義に他ならない。つまり、終わり良ければ全て良しとする思想である。

 イタリア、フランス、アメリカの今回の対応には、まずい面もあるけれども、対応の精神において敬意を表したい。彼らは、何はともあれ人命を第一とし、全ての感染者を洗い出すことを戦略目標においた。例え、医療崩壊に直面しようとも恐れないのである。イタリアを見てみろ。確かに医療崩壊しているが、医学生や看護生、軍隊までも動員した。もはや戦時体制なのである。

 中国武漢の新規感染者数が0だから、収束の可能性は高い等という専門家がどこにいる。こんなことを言っている国は日本だけではないか。共同通信の報道では、武漢の情報は全て封鎖されていて、武漢の医師の情報によれば、新規感染者数は多数に上ると推測している。

 韓国の感染検査は20数万人に上り、そのうち感染者数が8800人である。感染率4%程度と推定されている。日本ならば、既に50万人程度の感染検査を終えていなければならないはずだ。

 日本の新型コロナウイルス対策について、欧米諸国は、かなりの情報を収集し、知っていたはずである。しかし、日本方式をとらなかった。できるだけ感染検査を行い、可能な限り多くの感染者を隔離する方法を選択した。

何故か?

 一か八かというばくち的政策はとらないという思想と精神である。公共の利益こそが民主主義の根幹をなす思想であり、民主主義という政治を担う政治家や専門家の根本を流れる精神であるからだ。
それも、「感染は防ぎようがないから、ある程度は死んでも感染者数を少なく見せ、致死率・重症化率も世界平均レベルに抑える」という結果主義帰結主義的な政策は決して行わないという精神である。

 結果主義帰結主義を一度選択すれば、手段はどうでもよくなるのである。この国は、第二次世界大戦と今回の新型コロナウイルスとの戦争の二度に亘り、帰結主義を選択した。

 欧米諸国は、「国民の命」が第一であり、そのためには誰もが理解できる「可能な限り検査をし、感染者を隔離して、新型コロナウイルスの収束を待つ」ことを選択した。結果主義帰結主義に陥らない選択をしたのである。

 この国の新型コロナウイルスへの対応は、専門家なるものが優生学のごとき偽科学をまき散らしてばくちをうつ。地球温暖化対策にもつながる恐るべき様相を呈し始めた。

 ここしばらくは、新型コロナウイルスの動向から目を離せないが、ひたすらこのまま収束することを願うばかりである。

   2020/03/23

2020/03/16

この国の精神 緊急 パンデミックだ! 危機に対するこの国の精神

この国の精神 緊急 パンデミックだ! 危機に対するこの国の精神

<WHOとパンデミック

 WHOがやっとパンデミックだと宣言した。このWHOなるものは一体全体何者なのだ! どこまで科学的な調査や検証を行って感染病の判断をしているかは、はなはだ疑わしい。国際的な健康医療情報の共有機関にすぎないのではないかと思われる。これまで流行した、インフルエンザやエイズ、エボラ出血熱、SARS等のウイルス対策において、役にたったことがあるだろうか。私の知る限り何も役に立っていない。世界の感染情報を集めて、どのウイルスが危険だと最初に警告を発する等は聞いたことがない。

 こういった役に立たない国際機関が「パンデミック」だと定義したところで何も変わらない。世界各国の公式情報は、今やインターネットを通してあるいは報道機関を通して瞬時に世界に伝わる。それならば、「パンデミック」かどうかを決めるのは、世界各国の研究機関や大学の研究者がネットで意見交換をして決めればいいではないか。そうすれば、この時期ではなくもっと早い時期にパンデミックについて警告を発することができたはずである。

 「パンデミック」とは、だれも制御できない状態のことである。感染者を100%隔離したとしても、感染を防ぐことができない状態である。感染者を100%隔離しても感染を止められないとはどういう状態なのだ。例えば、ある人の感染をチェックしたが陰性で感染していないと判定されたとする。しかし、実際は、感染していないということが100%断定できないということである。1000人の感染チェックをして900人が陰性であったとしても、そのうち、何%かは実際には感染していたということだ。一方、100人の陽性者のうち仮に80人が完治したとしても、本当に完治したかどうかの判定もできないということでもある。感染の有無を100%チェックできず、さらに感染病を治す薬がないということは、とりもなおさず「制御」できないということではないのか。

 今さら、「パンデミック」などと宣言するまでもなく、中国武漢市で新型コロナウイルスの発生が確認された段階で、海外との人的交流のある全ての国で関係者の検査を行い、全てが陰性と出れば、パンデミックにはならない可能性が検査精度程度には確認できるが、もし陽性とでればもはやパンデミックは止められないことは自明の理である。

 WHOは、機能不全を露呈しその役割を果たさなかった。責任の所在を明らかにし、責任を問う必要がある。そんなWHOに日本は150億円も支援すると言っているそうである。東京オリンピックのためか? 世界の健康を金で動かそうとするこの国の精神とは何なのだ?

<日本政府の危機対応>

 新型コロナウイルスに対する日本政府の対応は、対策本部に専門家会議が設置されたのが2月16日、医療機関の「受診の目安」を国民に向けて公表したのが17日、対策本部が「基本方針」を決定したのが25日、首相が初めて記者会見を開いたのは2月29日である。ダイヤモンドプリンセス号が、横浜港に着岸したのは、これらに先立つ2月3日であった。
私が、軽井沢から東京までの新幹線に乗ったのが1月27日のことである。軽井沢は、中国からの観光客であふれかえっていた。勿論、新幹線も中国人で一杯になっているし、東京駅のえもいわれぬ土産屋やレストランも中国人だらけであった。話は逸れるが、軽井沢から新型コロナウイルスの感染者が一人も出ていないのが不思議で仕方がない。軽井沢だけではなく、東京駅や日本の観光地であればどこでも同じである。

 日本の専門家会議の議事内容は一切公表されていない。公開すべきである。感染研にはとんでもないトップがいるようで、PCR検査装置を日本独自で開発しているから、ロッシュの検査システムの導入をしないとしたとか。厚労省には技官が沢山いるはずではないのか。専門家会議の提言によって対策の基本方針が決められるとすれば、今回の新型コロナウイルスへの対応戦略は専門家会議の案ということになる。

 感染検査の問題は唯一テレ朝だけが追求している。フジテレビも日本放送も読売も産経も何も言わない。この腐れきったジャーナリズム、報道精神は、とりもなおさず日本国民の精神がいかに腐っているかを如実に示している。

 検査を医師の裁量でやらせると医療崩壊が起こるとか、検体を誰が採取するのか、ただでさえ人で不足なのに検体採取のために人員を割けないとか、あきれて物が言えないような発言が堂々とテレビ報道で流される。

 検体採取に人手が足りないのであれば、募集すればいいではないか。検体採取ぐらい医師や看護師でなくとも誰でもできる。自衛隊、機動隊、衛生士等々、1日1万人ぐらいの検体ぐらいはすぐにでもその体制を作ることができるだろう。感染の危険性があるから、防護だけではなく危険手当を出す等の応分の報酬は絶対必要である。

 医療崩壊が起こるのがそんなに心配なのか。崩壊を起こしてみろ。ただでさえ我が国は人口当りの医師が少ないのだから、医療崩壊はすぐに起きる。現場の医師や看護師の皆さんへの負担が重くなるのはまことに申し訳ないが、医療崩壊を起こさせる必要があるのだ。この国は、医師の数を現在の倍程度にしなくてはならない。いい機会ではないか。国民皆保険制度だと自慢している政府に対して、この国の医療制度が如何に脆弱かを証明しろ。

 ちなみに、肺炎による年間死亡者数は12万人に上る。月平均1万人が肺炎で死んでいる。高齢者の肺炎は、基本的に助からない。高齢者が一端重症の肺炎になると仮に改善されたとしても、延命効果は僅かでしかないのだ。肺炎初期段階で投薬効果が発揮できなければ完治は不可能である。だから、高齢者の重症肺炎患者には何もしないで放置しているのが、今の医療の現実なのだ。

 厚生省は、1月以後の肺炎死亡者について、インフルエンザ、細菌性、誤嚥性以外の原因不明の肺炎死亡者数を公表しろ。これしか、日本における新型コロナウイルス感染者数を推定する方法はない。何とも情けない政府である。

 ネットニュースのBusiness Insider Japanに、中国のSARS封じ込めを行った鍾南山氏の談話が載っていたので紹介しよう。鍾南山氏は、感染症の専門家であるが、権力者に対しても自説を展開し、命をかけても守り抜くという気迫と信念が感ぜられる人である。彼の判断の全てが正しいとは言えないが、日本の感染研や専門家委員会の副委員長などの、にやけてわけのわからないことを言っている専門家とは月とすっぽんの差である。

 鍾南山氏は、1月18日に武漢に入り20日に専門家委員会を立ち上げ、「如何に短時間に新型コロナウイルスとインフルエンザを識別すべきか」を検討したという。日本の専門家委員会委員なるものがダイヤモンドプリンセス号に調査に入ったなどの話は聞いたことがない。PCR検査だけでは、感染の時期を推定することができないことから、新型コロナウイルスの抗体検査にIgMとIgG(免疫グロブリン)を入れたそうだ。「IgM抗体が陽性を示すなら、感染して日が経っておらず、IgG抗体が陽性なら、少し前に感染したか、感染したことがある」ということが判定できることを突き止めたという。PCR検査だけではなく、抗体検査も同時におこなっていたのである。さらに、「感染した患者の体内のIgG抗体が4倍以上に増えたことが確認されると、その患者は治癒後に再び感染・発病しない」と判断したそうである。しかし、感染者が治癒後再陽性になったときに、もう一度他の人に感染させる可能性があるかについてはまだわからないとしている。


 今現在も、新型コロナウイルスの感染検査は進んでいない。医師が必要と判断しても、相談センターなるものが検査を拒絶する。首都圏、都市圏等を中心に検査センターを千箇所~二千箇所程度設置し、1万人~2万人の検体採取要員を確保するといった体制を早急に整備しろ。

 たとえ、感染者数が増えたとしても、それによって医療崩壊になったとしても、断固として感染検査を行うべきである。それが、パンデミックを終息させる唯一の道であるからだ。

 このごく当たり前の施策さえ選択できなかった日本の精神、政府、政治家、官僚、専門家の精神は、クズ以外の何物でもない。自民党の中からさえ声があがらない。野党に至っては最悪を通り越している。危機的状況は、人の本性をあらわにする。

 孫某とかいう経営者が100万人の検査を提供すると申し出たが、医療崩壊を招くと批判されて提案を撤回し、マスク100万枚の提供に切り替えたという。何とも、情けない話だ。検査の徹底こそがパンデミックを解消する唯一の方法だという確信さえなく、世間の気を引く言動をまき散らす。ハイエナのごとく金のあるところを探し回り、企業の転売でのし上がってきた、悪しき欲望の資本主義が生み出した典型的な男である。確固たる信念、精神を持ってパンデミックに立ち向かうなどという高邁な精神等は微塵も感じられない。検査を申し出たからには、医療崩壊は覚悟の上のはずである。ならば、医療崩壊とも立ち向かう覚悟を持て。

 一国の総理大臣ともなれば、このような経営者とは一線を画すかと思えばさにあらず。東京オリンピック開催と自らの政権擁護に確執し、感染検査を行わず、感染者数の増加をまさに恣意的に隠蔽する。新規感染者数は、未だ減ることなく発生している。感染者が増加の一途をたどり、肺炎で苦しむ国民が増えるなか、総理大臣は、連日、会食・談笑、茂木外務大臣はゴルフ、小泉のクズは地元支援者とのパーティだったそうだ。

人は危機になると本性を表わすは真理である。

 ところで、最近の報道によれば、渡航した日本人の感染が確認されている。日本では感染検査をしていないため、これから日本人の渡航が厳しく制約される可能性が高くなると想定される。感染検査をして感染者数が減少に向かえば科学的にもある程度信用されるが、検査をしないで感染者数が少ない等は、何の科学的根拠にもならない。

日本医師会の診療拒否の通知

 医師は、医師法第1 9 条第1 項により、診療を拒否する「正当な事由」なしに、診療を拒否することができないと定められている。これを医師の「応招義務」という。日本医師会の3月11日の全国都道府県医師会に対する通知には、驚くべき内容が記載されていた。病院や医院のドアの外に、下記のような張り紙を出すように指導しているのだ。
 
 新型コロナウイルスの感染が疑われる場合は、当院は診療しないといっているのと同じである。病気で病院に行く患者が、何が原因かわかるはずがない。だから病院に来たのではないのか。日本医師会の通知は、明らかに医師法違反を指導している。それよりも何よりも、医療の精神を放棄したと言える。
診療拒否


<新型コロナウイルスの恐怖>

 新型コロナウイルスが何者かが少しづつ分かってきたようである。

 新型コロナウイルスの感染の仕組みは二種類存在する。

  一つは人の細胞の表面に存在するACE2(アンジオテンシン変換酵素2)受容体を経由して細胞内に侵入する仕組みである。新型コロナウイルスの表面にはスパイクタンパクと呼ばれる突起状の、つまり鍵に相当するタンパクがあり、これが人の細胞の表面に存在するACE2という受容体(碇)にはまり込むができる。受容体と結合すると通常は、タンパク質の情報、つまり細胞に情報が伝達されて活性化する。バインディングプロテインの機能として説明される現象である。ところがウイルスの場合には、はまり込んだウイルスを細胞が取り込む。コロナウイルスの特徴であり、SARS以来よく知られている。このACE2受容体は、若い健常者には比較的少ないが、高齢者ほど多くなると言われている。そのため、60歳以上の高齢者が感染すると重症化しやすいというのである。

 しかし、この新型コロナウイルスにはもう一つ、人の細胞に侵入する仕組みがあることが発見された。それがHIVに似た変異を発見したという報告である。この侵入の仕組みは、人には必ず存在するタンパク質分解酵素の一つであるフーリンという酵素を利用して細胞に侵入する。ちなみに、フーリンという酵素は、末梢性の免疫寛容に重要な役割を果たしている。この酵素は、新型コロナウイルスの表面にあるスパイクタンパクを分解して、直接細胞とウイルスを接触させる役割を果たす。そのため細胞は容易に新型コロナウイルスを取り込んでしまう。フーリンの量は、基本的には年齢に関係なく存在し、成長期・若年層で多いため、若いから新型コロナウイルスにかかりにくいということにはならない。

 この二種類の侵入方法のうちどちらの感染力が強いかと言えば、ACE2受容体の方が感染力が強いかもしれない。しかし、ウイルスの曝露量が多くなると、若い人ではHIVの感染と同じ経路をたどることになり、肺炎だけではなく、免疫不全、多臓器不全という重篤な症状になる可能性が考えられるが、まだ明らかにはなっていない。

 新型コロナウイルスの変異についても少し分かってきたようだ。遺伝子配列タイプの多変量解析の信頼性を確保するにはサンプル数が少なすぎる。

<臭いものには蓋をする 見たくない物は見ないというこの国の精神

 感染検査を恣意的に実施しない日本政府、診療拒否を公言する医師会、厚生労働省・感染研に対して意見さえ言えない専門家なる知的集団、そしてこの不条理・不合理に対して物言わぬ国民とジャーナリズム、この国の精神とは何なのだ。

 無性に腹が立つのは私一人か。

   感情を抑制し、理性的に判断すればするほど腹が立つ。

 くさいものには蓋をするのは、この国の伝統的精神である。この国民的精神が、第二次世界大戦を引き起こし、国家をどん底にまで落とした。だから、政治家がこれをやり始めたら、全体主義に陥るのだ。腐っていれば取り除き、新鮮な状態にするのか政治ではないのか。社会全体が腐れきる直前の状況に陥った。政府・官僚組織の腐れ状況は、もはや表面だけにとどまらず内部深くにまで達している。

 70歳を過ぎた老夫婦が、酒池肉林のクルーズ船旅行だ、ナイル川クルーズ旅行だと金を使う。「後は野となれ山となれ」とやりたいことをやるという気持ちは分かる。日本人だけではない。アメリカ人などは典型的な人種だ。あのディズニーランドというわけのわからない気狂いじみた遊び場を作り出す人間達なのだから。
 
 それにしてもだ、70歳を過ぎて金があるなら、自然豊かな田舎に行って静かにいい本を読み、いい音楽を聞いて、残りの人生に一筋の光明を見つける気にはならないのか。この国が滅ぶのは、少子化が原因ではない。65歳以上の年寄りの精神である。国家が滅ぶのは、若い人に原因があるのではないのだ。年寄りが如何に自らの精神と向き合い、より高みを目指しているかにかかっている。経済などは二の次なのである。

2020/03/15

2020/03/07

この国の精神 緊急 新型コロナウイルスの感染予測

<緊急 感染予測  RO:アールノート

 

 新型コロナウイルスの累積感染者数は報道されているが、これからどれだけ広がるかは、誰も予想していない。アメリカではAIを用いた感染者数予想をしているようだが、教師となるデータがいい加減なのでとんでもない予想値になっている。

 前回も簡単な予想をしたが、もう少し詳しく予想してみよう。AIなどの面倒くさい予想は抜きにして、いくつかの条件を付けた簡単な計算方法で予測してみることにする。これであれば、条件がきつすぎるとかもっと条件を増やしたらどうかとか、文句も付けやすくなるし、納得できる面もある。

 まず、2月9日時点の感染者数を決めなければならない。恐らく、昨年の12月後半から日本にも感染者がいたと思われるが、確認ができないので、大まかに予想が可能な2月9日時点の感染者数を推定する。2月9日の国内で感染が確認されている人数は16人であるが、クルーズ船の感染者数を含めると確認された感染者数は50人程度である。しかし、この時点では既に感染は広まっているはずだが、感染者数を推定するための決め手がない。そこで、エイヤッと、5倍程度として300人が感染したとすることにしよう。推定手法というのはこんなものである。

そこで、感染条件を次のように設定する。

①2月10日から3月10日まで感染者数は、29日の感染者数300人全員が一人当り4人に感染させるとしてて1,200人とする。

②3月11日からは、感染対策がとられることで一人の感染者が他の人に移す確率が低下し、1ヶ月間で2人にうつすとする。つまり感染率200%である。しかし、前々月の感染者の全員が当月に感染させるとは考えにくいので、半数の人は隔離され、残りの半数が感染源になると仮定する。例えば、3月11日から4月9日までの新規の感染者数は、2月9日までの感染者数300人の半分と2月10日から310日までの感染者数1,200人の合計の1,350人に一人当り感染数2人を乗じた2,700人となる。この計算を繰り返して毎月の累積感染者数を算出する。

③重症化率は月間新規感染者の7%、重症化した患者の致死率を20%として、感染者に対する致死率を1.4%とする。

図1は、感染率200%シナリオによる累積感染者数と累積死亡者数をグラフにしたものである。


            図1 感染率200%の累積感染者数

パンデミック1


この感染率200%シナリオの予測では、310日の累積感染者数は1500人、累積死亡者数は21人となり、49日には累積感染者数は4200人、累積死亡者数は59人となる。68日には、感染者数の合計は29千人にふくれあがり、死者数は400人に達する。

 

同じ条件で、毎月の新規感染者数のグラフを作成すると図2のようになる。ただし完治者数は、重症化しなかった割合を93%として計算しており、重症者+死亡者数の割合を7%として計算したものである。

2 感染率200%の新規感染者数

パンデミック2


2からもわかるように、ピークの山などは来ない。新規感染者数は急激に増加するのである。つまり、政府が言っているように、現在の対策によって毎日の感染者数の増加を緩やかにし、ピークの山を低くするというシナリオは、一人の感染者が二人に移すという条件では感染者数が減ることはないということである。

 

それでは、一人の感染者が一人に移すというシナリオならばどうなるのだろう。310日以後は毎月一人の感染者が一人に感染させるとするのである。つまり、感染率100%ということである。図3のようにこの場合にも、49日まではやや緩やかな増加であるが、その後は一転して増加に転じる。

図3 感染率100%の感染シナリオ

パンデミック3



感染率を100%未満にまで低下させなければ新規感染者数を減少させることはできないということである。そこで410日までは感染率100%として411日以後は50%まで低下させたとして計算すると図4のようになり、やっと新規感染者数が減少する。

図4 感染率50%のシナリオ

パンデミック4


このことは何を意味しているかというと、感染者が何人に感染させるかという感染率(新規感染者数/感染源者数)を、3月から4月にかけては100%としても、4月以後は感染者を全て隔離して感染率を50%に低下させなければ、感染者数を減少させることができないということである。

さらに言えば、感染者が判明した段階で完全隔離し、感染者との接触者を徹底的に追跡して接触者も一定期間隔離するという対策をとらなければ、感染率を50%以下にすることは不可能に近いということである。

  仮にこういった対策が可能であったとした場合、今後1年間の新規感染者数を予測すると図5のようになる。感染率50%シナリオによっても1年後の2月に新規感染者数を100人以下とすることは困難である


5 感染率50%の今後1年間の新規感染者数の推移

パンデミック5



<感染率50%以下の感染防止対策は可能か?>

 

新型コロナウイルスが変異しないで人から人へ感染すると仮定すると、感染率を50%以下とするためには厳重な追跡と監視・隔離が必要になる。

中国武漢市のように、900万都市を完全封鎖することは事実上困難であるが、中国は何としても封鎖するという体制を崩していない。感染率が50%以下になったとしても、1年後に残存感染者数が千人以下となることは困難だろうが、千人程度であれば完全隔離が可能になる。

36日時点での武漢市の新規感染者数は100人を下回ったという報道である。これが真実ならば、感染率は2%程度まで下がっていることになる。つまり、感染能力のある感染者が4万人とすると感染者400人当り一人に感染させる計算になる。どうみてもこれほどの感染予防対策がとられているとは考えられない。感染の有無を調べるPCR検査が本当に実施されているのかも疑わしい。

仮に、検査が実施されているとすると、ウイルスそのものが変異して毒性が低下したとしか考えられないのである。

 

新型コロナウイルスの感染力はインフルエンザウイルスよりもかなり強いと考えられる。マスクをしたり手を洗う、学級閉鎖を行うといった通常の予防策でも、インフルエンザウイルスの感染予防が困難であることを考えると、新型コロナウイルスの感染予防は現状の対策程度では到底困難であると考えられる。

武漢市のように地域が特定できなければ、都市間移動、都市内移動を止め、自宅待機を徹底せざるを得ない。こんなことは不可能だから、国民一人一人が、ウイルス感染予防に対する自覚をもって対処する以外に方法はないと言えよう。日本国民の国民的精神性が問われるのである。

 

結論から言えば、新型コロナウイルスが変異して毒性が弱まるか、ワクチン・特効薬が開発されない限り、現在の重症化率・死亡率以下にはならず、感染率も50%以下になることは考えられない。

 

新型コロナウイルスは変異しているのか?>

 

新型コロナウイルスの特性、ウイルスの遺伝子変異については現在研究中であるが、あと数週間もすれば状況がわかるはずである。ウイルスの系統がイタリア、イラン、武漢、韓国、日本等で異なるのではないかとも推察できるが、どこからも発表されていないので全くわからない。

 

ところで、このような未知のウイルスによる世界的な感染症の例は、1918年から1919年に発生したスペイン風邪である。感染者は約5億人以上、死者は5,000万人から1億人に及んだとされ、65歳以上の老人は感染はすれど死亡率が低かったのに対して、若者の死亡率が高かったのが特徴である。当初は、人から人へ感染が進むにしたがい毒性は強まったが、第二波の1919年以後は毒性が急激に低下した。医療も崩壊したため、隔離して重症者が死亡するのを待っていたのが実態だったと思われる。重症者がどんどん死亡していくと重症化する毒性の強いウイルスは死滅する。生き残った人が保有しているウイルスは、毒性の弱いウイルスなので感染しても死亡率は低下する。このようにして、スペイン風邪は終息した。スペイン風邪のウイルスも生命維持の法則に従ったわけである。

 

新型コロナウイルスの遺伝子解析の論文が発表されているので、何編か見てみた。中国の何とかという新聞ではこれらの研究論文を紹介していたが、ウイルス学者かと疑いたくなるような論文を出して、人為的操作ウイルスではないと主張していた。明らかに、自然発生のウイルスであることを示したい中国政府の意向である。中国以外の研究者の発表論文を調べて見ることにしよう。

 

2020/03/07








2020/02/25

この国の精神 危機管理の堕落 新型コロナウイルス緊急感染予測

この国の精神 危機管理の堕落

 

新型コロナウイルス報道のでたらめさ>

 

新型コロナウイルスが猛烈な勢いで拡大している。報道で知る限り、致命率は2.3%程度で、高齢者の致命率が高そうであるから、そんなに心配する必要はないのかもしれない。あくまでも正確な報道であればの話だが。蛇足であるが、この「致命率」というのがちょっと気になった。かつては、「致死率」と言ったが最近の報道では「致命率」というらしい。英語を調べてみると「case fatality rate」である。致死率のことである。Fatalityとは不慮の死を意味する。漢字の致命の第1の意味は命を差し出すの意味である。「致知」とは知を極めることである。「死」という単語は人に恐怖を与えるから、それを嫌って「命」を使ったとすれば、何ともはや言いようがない。何と鋭敏な感性を持った国民の多いことかと思う反面、何ともバカな国民が多いことかとため息がでる。最近、このような訳の分からない用語が頻繁に報道用語に出現する。一時期はやった「忖度」、駐留経費負担問題の「片務」等である。忖度は、人の心の尊厳の尺度である。ごますり野郎に忖度と言う言葉はもってのほかだ。ジャーナリストによって忖度はもはやごますりに堕した。片務もそうである。一方だけが義務を負う約束事であるが、そんな約束や契約などは契約とは言いがたい。法律用語で言う片務契約の意味は、こんな意味ではない。バカな知識人が知ったかぶりの言葉を使うとこういうことになる。

言葉の些細な報道と思うかもしれないが、この程度の気配りができない報道に、新型コロナウイルスの真実に迫る報道などできるわけがない。

 

<非常事態とは>

新型コロナウイルスの流行で、韓国からの日本批判は、ほとんど聞こえなくなった。こういう非常事態になると国民性というか、その国の精神といったものが少し見えてくるような気がする。昔、石油危機の時代、店頭からトイレットペーパーが消えてしまったことがある。今回は、マスクだ。日本人であろうと、中国人であろうと、全世界の人間という人間はまず自己防衛に走る。その次は、少し冷静になって、非常事態の情報を集める。非常事態がどの程度の緊急性や危険性を持っているかを分析する。専門家の話、政府の見解、実態報道等の情報である。しかし、非常事態というものは、確かなことは誰にも分からない。つまり、何が確かで何が確かでないのか分からないのが非常事態なのである。

 

新型コロナウイルスに対する日本の対応>

今回の新型コロナウイルスに対する日本の対応は一体全体どうなっているのだ。1月上旬に軽井沢から東京まで新幹線に乗った。1車両に中国人が半分程度乗っていたのではないだろうか。咳をする者も数人はいた。マスクをしている中国人もいれば、全く無防備という中国人もいる。話はそれるが、中国人の観光客は何故小さな子供達を連れているのだろうか。赤ん坊連れも珍しくない。昔、日本人もアジア各地に観光に行ったが、子連れ観光等は考えもしなかった。金がなかったことも事実だが、子供達が旅先で迷惑をかけるのではないかとか、旅先で不慮の事態になるのではないかと考えたものだ。観光客の子供達があたりかまわず泣きわめき、大声をだすのには閉口する。今、気がついたのだが、日本人には子連れの旅行者がほとんどいない。盆暮れの帰省時期ぐらいしか見ることがないので、特に目立つのだろうか。

 

さて、話を戻すと、12月末には武漢市で新型コロナウイルス患者が発生したことは分かっていたが、なぜ日本の研究機関がウイルスを特定し、危険性の第一報を出さなかったのか。SARSの経験がありながら何もしていない。中国の正月になっても観光客を止めようとさえしない。日本は、世界のどの国よりも中国人観光客が多いのだから、日本国内での感染リスクは避けようがないではないか。この間、国会ではのんびり花見議論である。何はともあれ、致死率が低くて幸いであった。

 

<マスク効果のうそ>

日本国民はと言えば、感染の広がり具合を慎重にみている。京都で感染者が出たが、これに対してもかなり冷静に対応している。ここ数年、インフルエンザの流行が激しく、感染症への対応になれていたのではないかと思われる。普段からこれほどマスクを付けている国民は世界中探してもどこにもいない。

 

今回の新型コロナウイルスの予防策として、マスクは効果がないと専門家が盛んに言っている。根拠は、疫学によって統計的に調べた罹患率によれば、マスクなしとマスクをした人間とに差がなかったというものである。これも統計の取り方に問題がある。感染者も感染していない者もマスクをした場合と、感染者がマスクをし感染していない者がマスクをしなかった場合には罹患率はどうなるのだ。現実には、このような実験はできないから、インフルエンザのはやっている地域でサンプルをとって調べることになる。感染している者と感染していない者とには何の関係もない、専門的に言えば独立したサンプルである。いつからマスクをしたか等は分からない。統計とはサンプルの取り方、因果関係によってどのようにも変わるものである。こんなものが学問だというならば、学問などは何でもありである。

 

今のマスクは、簡単なマスクでもナノオーダーの物質さえも透過しない。飛沫感染程度は十分に予防できるのである。CDCが看護師にマスクを付けさせて感染率を調べたという報告があるが、これは、家庭用のマスクと医療用のマスクを比較するために行ったものである(ちなみにほとんど変わらない)。しかし、この調査もおかしな調査で、マスクを付けなかった看護師の罹患率は調査されていない。

 

手や目からの感染は予防が難しい。しかし、飛沫が目に入る密度は、呼吸により吸い込むのに比べれば比較にならないほど小さいだろう。

 

マスクは効果がないということを平然と言うWHOは一体何なのだ。マスクの対インフルエンザ効果について、ある小学校での感染率の報告がある。明らかにマスクをしたクラスの感染率が低かった。勿論、感染児童がどの程度いたかという母集団の問題はある。人が無意識に行っている吸気の力はかなり強いものである。PM2.5等の微細物質であれば30cmほど離れていても十分に吸い込んでしまう。人との距離が2mあればウイルスの密度も極端に小さくなるので、目つまり結膜から感染する等はほとんどないと言えよう。ただし、手と顔は洗わなければならない。

 

一方では、日本人がこれだけマスクを付けていても年間1千万人もインフルエンザに感染し、マスクをほとんど付けないアメリカ人では2千万人が感染している。ということは、人口比率からみるとマスクを付けても効果がないとも言えそうだが、死亡者数をみると日本の方が一桁以上少ないので、マスクがウイルス曝露密度を小さくしたことが要因と言えそうである。しかし、感染者数はあくまでも推定値であって実際に検査した数値ではない。致死率から感染者数を推定すると日本のインフルエンザの感染者の方が比較的軽症ではないかとも言える。マスクを着用することで肺の深い部分までウイルスが侵入しないのかもしれない。曝露されたウイルス密度が少なければ例え感染したとしても軽症となる確率が高いのである。感染した場合には、室内でもマスクをし、トイレに行くときも必ずマスクをする必要がある。

ちなみに、ウイルスが単独で飛散することはありえない。タンパク質や脂質、細胞等の微細な塊に付着して飛散する。この付着は、ウイルスの表面を覆っているタンパク質と細胞や他のタンパク質とが分子結合することによる。分子結合はかなり強力な結合なので呼吸等の風力などでは容易に引きはがされない。水で流す等による表面張力の崩壊力程度の力が必要になる。細胞やタンパク質と結合したウイルスの大きさは数百ナノ以上となるから、市販のウイルス用のマスクでも十分に効果を発揮する。さらに、マスクが有機物の付着機能を備えていればマスク内で分子結合するのでほぼ100%透過しない。勿論、マスクの隙間から侵入する可能性は高いが密閉に注意を払えば十分だろう。これに、ゴーグル型のめがねをかけておけばまずは安心であるが、帽子やフードをかぶり、手と顔を洗い、外出用の服、靴、帽子のアルコール消毒をしておけばとりあえず何とかなる。

 

<パンデミックだ! 緊急感染予測

国内感染が始まってから1ヶ月以上を経過した。もはや、コロナウイルスの感染を止めることは不可能である。パンデミックが始まった。日本の感染者数は、中国に次いで2番目に多い。

ところで、感染者数の予想数値がどこにも見当たらないのが不思議である。市中感染、つまり感染経路を特定できない感染が始まったのだから、確率的な感染予想ぐらいできそうなものである。国の感染症機関は何をしているのだ。

簡単な予想をしてみた。前提条件はいろいろあるが、2020年の1月から一人の人間から感染が始まり、当初は一人が一日1.2人にうつし、感染した人が次の日にそれぞれ1.2人にうつすということを繰り返すと、30日後には304人に感染させることになる。それが2月の感染者数である。その後は、1月の感染者が全員1ヶ月間で4人に感染させるとしよう。そうすると3月での累積感染者数は1522人に増える。この後は、前月と前々月までの感染者の合計感染者が毎月4人に感染させるとして、累積感染者数を計算すると下記のグラフのようになる。累積死亡者数は、致死率を2%として算出したものである。

 

まず、3月半ば頃には累積感染者数は、1500人程度となり、5月の連休明けには36000人に達すると予想される。4月までに押さえ込まなければ、手の付けようがなくなる。

 

このままの状態で推移すると9月には累積感染者数は2千万人を突破する可能性がある。東京オリンピックの開催時期には累積感染者数が80万人を超え、累積死亡者数は1万人を超えているかもしれない。

パンデミック


 

<コロナウイルスの恐怖>

今回の新型コロナウイルスは、致死率はインフルエンザウイルスよりも若干高いが、インフルエンザみたいなもので余り心配する必要はないと専門家は言っているが本当か。うそである。まず致死率は、インフルエンザが0.1%程度に対して、新型コロナウイルスは23%程度と、インフルエンザウイルスの20倍~30倍となっている。とてつもない致死率である。

コロナウイルスは知られているだけで7種類ある。そのうち4種類は、常在菌やヒトパピローマウイルス、ヘルペスウイルスのようにほとんど全ての人間が持っている。つまり、コロナウイルスというのは人間の免疫システムと共生する機構(メカニズム)を獲得しているウイルスである。コロナウイルスを殺す薬は、SARSMERSウイルス以来いろいろ研究しているが、未だ開発されていない。何故か?

人間の免疫系との共生メカニズムを持っているからである。コロナウイルスの怖さはここにある。最近の遺伝子解析によれば、新型コロナウイルスはHIVウイルスと同じアミノ酸配列を持っているらしい。つまり免疫不全を引き起こすのである。感染しても発症しない人がいるのは、免疫共生のメカニズムとともにHIVと同じような振る舞いをしているためだと考えられる。感染して完治したとしても、新型コロナウイルスは死んではいない。ウイルスが増殖すればいつでも人にうつすことになり、免疫力の低下や、何かの病気が引き金になって重症化することは十分に考えられる。新型コロナウイルスに一度感染すると死ぬまで体内に留まるということである。これがインフルエンザウイルスとの決定的な違いなのである。

ホモサピエンスが絶滅寸前を回避して2万年が経ち、その間、4種類のコロナウイルスと共生してきたが、今回の新型コロナウイルスの発生は、どうやら人類最大の危機を迎えたと言える。

 

<危機管理に対する国家精神の欠如>

今回の新型コロナウイルスに対するこの国の危機管理のあり方は、極めて問題である。民主主義もここまでくるともはや害であって益ではない。

なぜここまで危機管理ができないのか。

第一は、政治家の国民に対する責任の放棄である。専門家による対策委員会なるものの専門家の意見を実名入りで公表しろ。さらに安部と管、加藤は、政治家個人としての現状認識を表明しろ。野党は何をしているのだ。関西生コン事件と深い関わりがあるという辻本の花見質問に対して何時間かけている。立憲民主党の枝野というクズは、危機管理等は福島原発以来触れたくもないのだろう。

ダイヤモンドプリンセス事件の責任回避は、報道を見ていても明らかではないか。だれが責任をとるのだ。さらに、武漢市からの日本人の帰還では、航空運賃を当初は個人負担といっておきながら、批判が高まると国が負担するという。とんでもない話だ。これはあくまでも個人負担である。さらに言えば、駐在社員であれば企業が負担すべきである。こんな道理さえ毅然と国民に説明することさえできない政治家に政治を任せられるのか。

 

第二は、官僚の無責任さである。普段は、地方に対して予算をたてに権力を振りかざすが、こういった事態になると地方が何をどのようにすべきかの明確な方針も示さず、ただ検討しろとは言語道断である。今回の事態で、地方は中央官僚の無能さを改めて認識した。ダイヤモンドプリンセス事件では、寄港地である神奈川県が横浜市と共に不眠不休の活動であった。本来は、国が体制、責任者を公表して対策をとらなければならないが、何も公表されていない。ダイヤモンドプリンセスでは、乗員・乗客3600人を船内に残したまま対応した。さらに、武漢からの帰還者では民間のホテルの協力で隔離し、食事はコンビニ弁当だそうだ。コンビニ弁当を手配するのに、農水省の役人が担当したというからあきれてものが言えない。

東京には東京オリンピックの選手村があります。昨年12月に完成している。12千人を収容可能というから隔離施設としては十分ではないか。なぜ、使わない。

問題は沢山ある。民間でもできる検査をしない。自宅待機。保険の適用。隔離医療施設がない。医者が足りない。足りない、足りない・・・・・・。パンデミックなどは何時起きてもおかしくないのが現代ではないのか。

 

第三は、経済界の無責任な対応である。観光が駄目になるから、なるべく規制を緩やかにしてくれ。パニックになる情報は発信しないでくれ。金のことばかりではないか。経団連の意見等は、どこにも見当たらない。経済界の精神等というものは、腐れきっている。普段は偉そうに国家をしょっているような発言をしながら危機的状況になるとだんまりをとおし、あからさまに保身に走る。官僚の諸君、こんなクズを何とかするのが仕事ではないのか。そうか、君達もクズになったか。

 

第四は、感染情報の公表である。もはや、個人情報や人権、個人の自由等は論外である。北海道の情報公開のひどさにあきれかえる。氏名の公表はしなくても、どの地域で行動範囲はどのようなものであったか等の詳細について公開しなくては、予防のしようがないではないか。何とかいう金儲けクズ知事を選ぶ道民の精神を疑う。

 

第五は、医者や感染研の専門家という名のクズどもである。堕落論20172019まで、何度となく専門家という堕落者を挙げてきた。今回の事件は見事に当たってしまった。専門家の知見なるものは何の役にも立っていないではないか。治療している医師の努力には敬意を表するが、現場の活動を支援するために何をしているのだ。緊急予算が、わずか150億円だが付けられた。民間では検査技術がないから国や都道府県の機関でしか検査ができない。未熟ならば何故緊急に民間検査機関の教育をしない。未熟なのではない。民間の技術者の方がはるかに優秀である。予算を獲得してばらまく権限を持ちたいだけだ。1県あたり3億円強にしかならないのだが、ばらまき権限がほしいために民間にやらせない。何とも情けない精神ではないか。一方では死に直面している国民がいるというのに。この医療制度の頑迷さは、専門家なるものが作り出した。日本にCDCがないのは厚生労働省が省益を守るために反対しつづけてきたためである。隔離施設を通常の病院内に設置することは簡単にできる。米軍の野戦病院等にいくつも例がある。また、愛知県の開院前の大学付属病院に帰還者を隔離したが、開院手続き前なので医療行為はできないのだそうだ。バカ野郎! パンデミックを阻止するならば、いつでも、どこでも医療行為ができなくては意味がないではないか。この付属病院経営者の医療に向き合う精神はどうなっているのだ。こんな病院には死んでもいくものか。神戸大学の医学部の先生が、ダイヤモンドプリンセスの感染防止状況のひどさをネットで公開して、すぐに圧力がかかって止められてしまった。その勇気に敬意を表します。全国の病院の現場の医師達よ。御用専門家のクズどもを糾弾しようではないか。もっと声を上げよ。医者の精神とは何かを問え。

 

 

新型コロナウイルスの感染拡大は、もはや止めることはできない。我が国の政治家、官僚、財界人、医療専門家の堕落した精神が生み出したものである。恐らく経済は、後、数ヶ月で最悪の事態を迎えるだろう。東京オリンピックどころではない。国民の数万人が死の恐怖を迎えることになる。さらに、コロナウイルスが我々にとりついて離れず、子々孫々までその体内に残ることは間違いない。いつかは、特効薬が開発されるだろうが何時になるかは全く分からない。ひざまずいて天命を待つ、令和の時代の到来である。

 

2020/02/25


2019/09/18

この国の精神 「日本精神(史)研究」(1)

「日本精神」に関する研究

 

「この国の精神」を論究する前に、これまでに「日本精神」について書かれた文献を見る必要がある。「この国の精神」は、極めて広い領域にわたるが、これから取り上げる「日本精神」とは、時代精神とも言うべきものであり、ある時代を生きた特定の人々の意志、あるいはその時代の国民の一般的意識を指している。一般的とは、平均的と言っても良い。

「日本精神」という表題で最近出版された図書に、長谷川宏氏の「日本精神史(上下、講談社、2015年)」というのがある。まだ、読んではいないが、古代から現代にいたる思想、文化を網羅的に整理している一方、ある時代の精神とは何であったかを論じるというものではなさそうなので、とりあえず除外しておく。

上記の図書を除くと、「日本精神」に正面から挑んだ図書は、下記の3件である。

①日本精神の研究 玄黄社、1924年(大正13年) 安岡 正篤

②日本精神史研究 岩波書店、1926年(昭和元年) 和辻 哲郎

③日本精神研究 文録社、1930年(昭和5年) 大川 周明

 

上記は、出版年度順に示したものであるが、いずれも小論文を再編集したものであり、掲載論文の発表年はかなり早い時期のものも含まれている。三人の著者の中で、大川周明が1886年(明治19年)生まれで三人の中では最も年上、次いで和辻哲郎が1889年(明治22年)生まれ、安岡正篤が一番若く、1898年(明治31年)の生まれである。この三人はいずれも東京帝国大学を卒業しており、和辻哲郎、安岡正篤は旧制一高、大川周明は旧制五高の出身である。

 

彼らの青春時代は、明治維新から40年~50年が経ち、欧米風の法制度、科学技術、宗教、思想・哲学、風俗など、我が国の世相は、急激に変貌した時代である。上記の著者達は、明治19年以後の生まれであり、大川周明、和辻哲郎は日露戦争を、安岡正篤はロシア革命、第一次世界大戦を果敢な思春期で迎えている。

著者達が日本精神を論じる以前の明治維新から日露戦争までの我が国は、西欧の文化・文明の吸収に躍起となった時代である。そういった文明開化の荒波の中で、福沢諭吉、中江兆民らが、現代日本の言論、評論への道を切り開いた。

 

我が国は、日清・日露戦争の二度の勝利体験を経た結果、台湾領有、日韓併合へと突き進む。日本は、何故、西欧列強の植民地政策を真似るかのような政治思想に向かったのだろうか。幕末から明治初期にかけて、東アジアにおける西欧列強の侵略行為を概観しておかなくてはならない。

 

1840年、清国とイギリスの間で有名なアヘン戦争が勃発する。イギリスがインドで作ったアヘンを中国に売りつけて莫大な利益を得ていたことに清国が反発したものだが、清国が負けてイギリスが香港を永久領土とすることになる。

16年後の1856年、第二次アヘン戦争と呼ばれるアロー戦争が勃発する。この時は、イギリス・フランスの連合軍との戦争となり、北京が占領下におかれる。イギリス・フランスの連合軍に加えて、アメリカ・ロシアが機に乗じて参加する。清は、莫大な賠償金を支払わされた。ロシアは調停国であったが、漁夫の利で満州沿海部を領有した。19世紀後半の中国は、イギリス、フランス、アメリカ、ロシア等西欧列強の軍事力の前になすすべもなかった。蒸気船が軍艦に採用され、大量に兵士・兵器の輸送が可能になったこと、近代兵器による破壊力の増強、近代戦術等、西欧列強との戦力差は明らかであった。

 

幕府・雄藩は、こういった中国の惨憺たる状況を把握していたことは確かである。吉田松陰は、「朝鮮を責めて、質を納れ、貢を奉ずること古の盛時のごとくならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋諸島を収め、進取の勢を示すべき」「国力を養ひて取り易き朝鮮、支那、満州を斬り従えん」(Wikipediaより引用)と説いたそうである。明治初年の征韓論、日露戦争後の台湾領有、日韓併合へと向かう一連の思想的系譜は、吉田松陰に始まるという説がある(秦郁彦)。しかし、同時代には佐藤信淵らの国学者が同様の思想を展開しており、徳川光圀の水戸学、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤らの国学思想にもつながる。

 

一方、日本の幕末期の西欧では、マルクス・エンゲルスが資本主義の研究に没頭していた。「経済学批判」、「資本論」第1巻の発表である。「商品・資本の所有者が支配者」となり、「イノベーションが失業者を生み、労働価値は減少し」、そのため賃金は上がらず、「さらなるイノベーションは、剰余価値の減少を招き、利潤率が低下し」、したがって資本主義的生産の限界に達するというのが、資本論の趣旨である。我が国の江戸時代末期の頃である。

 

日本は、日露戦争を契機として、近代資本主義を加速させることになるが、同時代の欧米列強は、欲望の資本主義の真っ只中にあった。産業革命から100年が経過し、科学技術は飛躍的に進歩した。マルクスは、この時代のイノベーションと労働価値の考察から、「手動の製粉機が封建社会を生み、蒸気機関が資本主義を生む」と結論づけた。自由をうたう資本主義に対して平等をうたう社会主義の萌芽である。

 

ところで、共産主義と社会主義とはどこが違うのか。現代では、同義として使用されているが、本来、共産主義とは資産・財産の私的所有を廃し、共有による平等な社会を目指すという思想である。社会主義については、これも諸説あるが、個人主義に対する社会主義という言い方からも、個人の自由を原理とする資本主義・市場経済に対する計画経済、社会保障政策による政治思想をいう。

 

さて、経済理論つまり経済構造及び経済現象の解明は、アダム・スミスの国富論に始まるとされるが、マルクスが指摘したように産業革命というイノベーションがもたらした資本主義経済の発展とともに多くの研究がなされていた。19世紀初頭には、ベンサムが「最大多数の最大幸福(the greatest happiness of the greatest number 幸福な個人の総計が、社会全体の幸福を示す)」という資本主義経済における道徳原理としての功利主義の正当性を唱える。勿論、この原理には、合成の誤謬、集計の誤謬、幸福の定義等々、現在では様々な問題も指摘されているのだが。

 

明治中期の自由民権運動が一段落し、日露戦争が終結した後、工業生産の近代化が進む中で、共産主義思想が我が国にも湧き起こる。現代の我々が考えると当然の帰結であるが、政治運動、労働運動、農村運動等の社会運動の発端は、思想が先行するのではなく、集団化せざるを得ない逼迫した現実的問題によって発生し、その運動の継続のために思想・精神が必要となるのである。

 

こういった時代背景の中で、日本精神に関する研究が発表された。著者の大川周明、安岡正篤は、右翼あるいは保守思想家であるが、和辻哲郎は、哲学・倫理学、文芸評論といった、政治思想とは一線を画した時代の文化に関する評論家である。人間の精神をどの視点で捉えるか、精神は様々である。

 

 

和辻哲郎 「日本精神史研究」

 

和辻哲郎と言えば、「古寺巡礼(大正8年)」、「風土(昭和10年)」等が著名である。「日本精神史研究」は、「古寺巡礼」の後、「思想」等の雑誌に掲載した論文を再編集して出版された。「古寺巡礼」は、和辻29歳の作品である。私も、奈良に魅せられた一人であり、二年間で十数回も奈良を訪問し歩き回った。古寺建築や仏像の美への興味というよりは、この国の生い立ち、日本人とは何か、1500年前の日本人の痕跡に直接触れてみたいという、言いようのない衝動からであった。

 

「日本精神史研究」は、和辻が30歳代の作品であり、大学の講義録等が基になっている。和辻が最初にもってきた論文は、「飛鳥寧楽時代の政治的理想」(大正11年、1922年)である。

 

この論文が書かれた時代は、第一次世界大戦の戦争特需が終わって景気が低迷し始め、前年には原敬の暗殺事件、翌年には関東大震災が発生している。婦人参政権運動も始まった。これまでの特権階級による政治から、原敬に代表される庶民政治への期待が膨らんだ時期でもあった。

 

大正時代というのは、僅か14年たらずの期間であるが、戦前思想の醸成時期として欠くべからざる時代である。大正5年、河上肇が「貧乏物語」の連載を始め、大正6年(1917年)にはロシア革命が勃発。大正時代とは、我が国における共産主義、社会主義思想の始まりといって良い時代であった。

 

ところで、ヨーロッパの共産主義・社会主義思想家、革命家を支援したのは、ドイツと日本である。日露戦争当時、明石元二郎は、レーニン、トロツキーに接近し、現在の価値で400億円を超える資金を革命工作に投下した。後に、レーニンは、日本の支援に感謝していると記している。

 

和辻は、飛鳥寧楽(奈良)時代、645年の乙巳の乱(大化改新)に始まる天皇制、その後の律令国家の成立を理想国家としてとりあげた。この一文の最初は、政(まつりごと)は祭事からはじまり、「祭事の総攬」(総攬とは束ねること、統括するという意味である)の機運が起こるが、「祭事が支配階級の利益というごときことのためでなく民衆の要求に基づいて起こったとすれば、この祭事の目ざすところが民衆の精神的及び物質的福祉にあったことは疑う余地がない」という。我が国の原始的政治の発端が少数者の権力欲によって起こったものではなく、衆人が天皇の即位を懇願したものだと言う。

 

原始部族において、呪術的・精霊的原始宗教(シャーマニズム、アニミズム)が部族統治の必然的帰結であることは、未開人の文化人類学的考究からも事実である。魏志倭人伝に登場する日本における部族統治がそのようなものであったであろうことは容易に想像できる。しかし、一端、原始的であれ統治の仕組みが発見されると、そこには少数の権力者と多数の衆人という階級的関係が生じることは明らかである。「衆人が天皇の即位を懇願」するとは、「古事記」が示す神話、国作り物語に他ならない。祖霊崇拝とシャーマニズムが融合し、神道へと変化していく時代である。飛鳥寧楽時代の天皇制への移行が民衆の要求によってなされた理想政治だと、和辻は何の疑問も呈することなく断定する。

 

さて、和辻がこの小論文を書いた大正時代は、共産主義、社会主義思想が我が国の底辺で渦巻き、小作農を中心とする農民運動、自由奔放な資本主義に対する労働組合運動が頻発している時代であった。和辻が天皇を中心とする政治こそが民衆の要求に応える政治であり、これこそが日本政治の基本的・伝統的精神であると主張するのは何故か。和辻の論調には、すべてにおいて時の政治に対する批判という姿勢が感ぜられず、悪く言えばおもねりではないかと思われる側面がある。文芸評論とは、時代批判ではなく、美に対する絶対的評価であらねばならぬといった和辻の思想が見え隠れするのである。芸術に絶対なる価値は存在しないのだが。

 

次いで、理想的国家制度として、班田収受の法、律令国家の成立を挙げ、班田収受の法、つまり租税制度を詳細に解説している。班田収受の法とは、中国の制度に習った租税制度であるが、当時の中国では有名無実化している制度である。班田収受の法は、戸籍を設定し、戸当りの粗税額を決定したことである。つまり、一人当り田畑面積を決めれば、1戸当りの粗税収量が決まるというものである。班田収受の法を実行するためには、公地公民であることを原則としなければならない。公地公民という言葉は、日本書紀のどこにもでてこない。公地については、養老律令に見られるが、公民という言葉はない。公地公民とは、歴史学者や社会学者によれば、土地や人民は公共のものであり、権力者が自由にはできないものだと言うが、日本書紀や養老律令のどこにもこのような定義はない。ここでいう「公」とは、「大君、天皇」のことであり、当時の文献からも周知の事実である。つまり、国土と人民はすべて天皇のものだということである。学者というものは時代の要請に応じて、単純な解釈さえ平気でねじ曲げるのだ。

 

班田収受の法の目的は、戸籍制度を徹底させることで、毎年の税収を安定させ、かつ、確実に確保することである。さらに、税に関して地方豪族の介入を許さず、中央集権体制を確立することこそが重要なねらいであったと思われる。

 

ところで、この時代は、朝鮮半島南部に存在した百済朝との関係が極めて深い。一説には、百済語が日本語の起源であるというが、後述するように逆ではないかと考えられる。つまり、百済語の原型が日本語ではないかと思われるが、百済語は失われており、片鱗だけが確認されている。中国唐が勢力を伸ばし、朝鮮半島に進出し、20年後には、有名な白村江の戦いによって百済は崩壊する。財源の確保、国民皆兵制度を確立しておくことは、時の政権において急務であったろう。

 

さて、班田収受の法、律令制は、本当に理想的制度であったのだろうか。一人当りの田畑面積を基に、戸籍にしたがった戸毎に土地を分け与えることが本当に可能だったろうか。これだけ立派な税法を作ったのだから、どこかに当時の戸数等の調査結果が記録されていないかと探してみても、日本書紀はおろかとこにも見当たらない。地方の記録には一部発見されているものもあるが、全国の記録はない。この国のこの時代の人口は、およそ400数十万人と推定されており、戸数にして4050万戸だが、位階階級に応じて配分面積が異なること、既に所有している土地もあることから、再配分するにしても、誰にどの土地を与えるかをどうやって決められるのだろうか。まして、耕作地がどの程度あったかも分からないのだ。

 

すべての土地を収用し、再度配分しなおすという施策を実施することは実現不可能である。とすれば、この法は、税額を決定するためにだけ利用されたと考えるのが妥当なところである。土地を多く所有しているものにとっては都合のよい税制であるが、土地のないものにとっては重税悪政である。恐らく、戸籍のない小作人が多数発生したに違いない。歴史学的には、この時代に難民(律令難民)がかなり発生したという報告もある。日本書紀等にその記録を残さなかったこと等を考えると、実態として、公地公民とはならず、単なる税法であったと考えるところが妥当なところだと思われる。平等な社会とは真逆の、格差が急激に拡大し、大衆が重税に苦しんだ時代ではなかったかと思われるのだ。

 

和辻は、実に丹念にこの班田収受の法の内容を調べている。想像にすぎないが、公地公民制に少しは疑念を抱いていたのかもしれない。しかし、当時の歴史学的知見においても疑義あることは知られていた(津田等)はずである。和辻の結論は、公地公民が実施され、天皇によって土地が配分され、比較的軽い税で国民は豊かであり、理想的国家に近かったとする。

 

和辻は、この論文で何を言いたかったのか。この国の立国の精神は、この理想社会の実現にあると言いたかったのだろうか。この論文は、戦後、和辻の没後に岩波書店から再版されている。岩波文庫版の加藤周一の解説では、「内田義彦は、「作品としての社会科学」といった」と書いている。この本に載っている一連の論文を社会科学と呼べるかどうかには大いに疑問がある。少なくとも科学というには余りにも些末であり、作品と呼ぶにはその芸術性に迫らなければならないからである。

 

古代の政治を理想的なものとし、それを範として民族・国家の精神的基盤を論じる手法は、孔子の時代からあった。孔子は、殷周の理想政治を度々引用する。勿論、悪政をも、である。理想政治を古代や神話に求め、民族精神のあり方を論じる手法は、近世以前の美徳を正義とする政治論であり、理想社会とは何かを構想的、論理的、かつ学術的に論じるのは、産業革命以後の自由を正義とする近代政治論からである。つまり、人類が未来社会を予測し想像し始めたのは僅か300年前のことである。近代科学がもたらした最大の功績は、人間の想像力の飛躍的な成長であると言えないか。

 

和辻は、この小論文の最後に津田左右吉の言、「一種の空想に過ぎないこの極端な共産的制度が長く継続せらるべきものでないことは言うまでもあるまい」を引いて、「というべき見方は、この偉大な歴史的事実を理解したものとは言えない」と断定し、「徹底的に実行せられない法令が、「空想」と呼ばるべきであるならば、多くの私人法人が脱税に苦心せる現在の税法も、また「空想」であろう。が、我々は、現代においてすらも「空想」と呼ばるるごとき津田氏のいわゆる「共産的制度」を、理想的情熱と確信とをもって千余年前に我々の祖先が樹立したという事実の前に目をふさいではならぬ」として締めくくっている。

 

津田にしても、和辻にしても歴史に対して、歴史的事実に対して一定の疑念をもって取り組んではいるようだが、政治思想を歴史的に考究するという立場が欠如していると思われる。飛鳥寧楽時代の税制と大正時代の法制度を同列で比較することなどは言語道断と言わざるを得ない。

 

1400年前の我々の祖先が、高邁な精神をもって平等な社会に向けた理想政治を行ったかどうかは分からないが、少なくとも、それほど単純なものであったとは思えない。権威と権力の分離、天皇の神格化、重税・格差社会、一局集中、厳格な階級・差別社会、小作制等々、この時代が作り出したかたちは、近代まで引き継がれ、第二次世界大戦まで部分的には存在し、現在にその痕跡を残している。

和辻は、1400年も継続することになる世界にも希な君主制がこの時代の大衆精神によってもたらされたと言いたかったのだろうか。和辻思想の根幹に関わる問題である。もう少し、この時代の精神に迫ってみよう。

 

話は逸れるが、過日、桜井よしこさんの外国人記者クラブでの会見(元朝日新聞記者による慰安婦報道名誉毀損訴訟の棄却判決に関する記者会見)のビデオを見ていて、外国人記者の気になる発言があった。桜井よしこさんが韓国と日本との歴史を説明したことに対して、司会の女性外国人記者が桜井さんに、「あなたは歴史家ではありませんよね」と、質問というよりは意見・批判ともとれる発言をしていた。

 

桜井さんは何も反応しなかったが、こういうバカな質問をする輩が日本人だけではなく世界にもいることに驚いた。「あなたは専門家ではありませんよね」という質問が如何にばかげた質問かであるか。最近、評論家等言論人が経済・歴史・社会・科学に関する意見を言うと、「専門家でもないのに」とか、「専門家以外が勝手なことを言って」など、揶揄、批判するものが少なくない。特に、ジャーナリスト、官僚、学者、政治家にその傾向が強い。

 

そもそも、彼らの専門的知識なるものがどれほどのものか、かつて真理だと言われていた原理・法則が嘘であったという例を取り上げれば山ほどある。例えば、「樹木の樹高成長は林木密度とは無関係である」という原理は、つい最近の経過観察結果から「高密度林分では樹高は低くなり、低密度林分では高くなる」ことがわかった。しかし、こんなことは森林を長年観察していれば、今更発見などということもなく、私だって知っていた。自然科学でさえこうなのだから、社会・人文科学においては歴史とともに劇的に変わることさえある。専門分野が細分化されればされるほど全体としての曖昧さの度合いは増してくる。情報のエントロピーである。素人が、評論家や言論人が専門的知識を言論表現において使用する時、そのテーマがアプリオリである場合、あるいは文献、書籍等で公表され異論がない場合では、利用するのは当たり前であり何の支障もない。利用するからには十分に裏をとっていると考えるべきだ。質問する側が知らない事実であるからといって「専門家ですか」などの質問は、質問者として不適格であり、それこそプロとして失格である。

 

ときに、日本と朝鮮半島との関係は、歴史的にどのようなものだったのだろうか。最近の日韓関係の悪化に影響されたわけではないが、ちょうど良い機会だから勉強してみた。が、何と、資料がないのである。日本書紀以前の資料が極めて少ないこと、朝鮮史の資料が少ないこと、中国資料にもほとんど朝鮮半島のことは記録されていないこと等、記録があるのは、豊臣秀吉の朝鮮征伐、江戸時代の対馬藩雨森芳洲以後なのである。

 

とは言っても、近年の考古学的発見、DNA解析の進歩により、日本人のルーツが解明されつつあるようだ。国立歴史民俗博物館の篠田氏等が行った縄文人、弥生人のDNA解析、特にY染色体の解析から日本人と朝鮮人とはルーツが違う、つまり違う民族だということが分かった。これまでは、日本人のルーツは朝鮮人、つまり渡来人だと言われてきたが嘘だったのだ。朝鮮半島からの渡来人によって縄文人は、北と南に追いやられ、渡来人が弥生人となったというのがこれまでの定説だった。しかし、Y染色体つまり男系DNAの解析では、弥生人は、縄文人と中国系及び満州系渡来人との混血であり、特に縄文人の特徴を多く残していることがわかった。さらに、東北及び沖縄の弥生人は縄文人そのものでありほとんど混血が進まなかったこともわかった。それを裏付けるように、朝鮮半島南部の発掘調査では日本の縄文時代に相当する地層から縄文土器だけが発見されている。縄文時代には、日本の縄文人が朝鮮半島南部に住んでいたが、その後絶滅したと考えられている。現代日本人のルーツは、朝鮮半島からの渡来人ではないのである。

 

朝鮮人のルーツも分かってきた。朝鮮半島の日本渡来の縄文人が絶滅した後、中国漢族(南中国系)が朝鮮半島南部に住み着き(衛氏朝鮮)、そこに満州族が侵入して混じり合ったのが現代朝鮮人のルーツである。日本の弥生時代のことである。弥生時代は西暦200年代まで続くが、魏志倭人伝に記録された240年頃には、日本は朝鮮半島を経て魏に朝貢しており朝鮮半島との関係を示す資料はどこにもない。この時代の朝鮮半島南部は、馬韓、弁韓、辰韓の三韓時代と呼ばれるが、村落程度であり、実態としては中国魏領であったと推測される。

 

鳥取県青谷遺跡から発掘された弥生人は、人骨の年代測定では2世紀頃と推定され、既に中国系のDNA配列が解析されていることから、朝鮮半島経由で中国との交流が始まっていた。

 

古墳時代の390年代には、広開土王碑文として知られる高句麗の記録があり、日本(倭)が百済、新羅に兵を送って日本の領土としたが、その後高句麗に滅ぼされたとされている。百済人が日本人のルーツと言われたこともあったが、これもDNA解析から百済人と日本人は関係がなく、百済人は漢族と満州族との混血であることがわかっている。ということは、百済語が日本語の基だということも疑わしく、日本語が百済語の基になったと考えられ、百済が滅びたことで百済語も失われたとするのが妥当なところだろう。

 

西暦350年頃から680年頃までの330年間、朝鮮半島は高句麗、新羅、百済が頻繁に戦争し、高句麗が勝って他の2国が負け、負けた国が復活しては戦争してまた負けるを繰り返している。最終的には、唐が朝鮮半島を制圧するが、すぐに朝鮮半島を放棄し、生き残った新羅が統一することになる。唐が朝鮮半島を放棄したのは、農耕地がほとんどなく、金も銀も出ない、つまり利がない貧しい国土のためであった。680年から936年まで新羅が続き、936年から1392年の李王朝まで高麗時代が続く。李王朝は日韓併合の1910年まで続くことになる。

 

朝鮮半島は、今でこそ北部山岳地帯にレアメタルが豊富だと言われるが、歴史的にはほとんど不毛の地域であった。ちなみに、地質・土壌は、花崗岩の風化した砂質土と花崗片麻岩の風化した粘土である。日本では特殊土壌地帯(特土、マサ土)に相当する。森林植生は、極めて貧困であり、クロマツ、アカマツ、モミ、ナラ等であるが、土層厚が浅く立木が曲がる(理由は不明)。日本のように通直なスギ、ヒノキは成立しない。百済時代の発掘棺材はコウヤマキであり、コウヤマキは日本及び済州島以外では絶滅しているので、日本から輸入したものと考えられる。

農業生産には不向きな地域であり、古代の日本及び中国からみれば、交易の中継地としての価値しかなかったと思われる。

 

西暦400年頃に、日本が朝鮮半島南部にまで進出しなければならなかった理由は、どこにも記録がないからわからないが、当時の中国は三国志の時代が終わり、ころころと王朝が変わる混沌とした時代である。そのため中国は、朝鮮半島に関心がなかったというところだろう。日本から出兵した僅かな兵で百済、新羅を制圧できたのだから、国家というには余りにも規模が小さく、せいぜい村落程度ではなかったかと推定される。さらに言えば、この時代、日本という国家は存在せず、日本のどこかの部族が朝鮮半島に進出したと考えられる。日本の進歩的部族からみれば、朝鮮半島の村落間闘争は中国との交易の邪魔になったのではないだろうか。

 

この後、日本は、朝鮮半島とは政治的に一線を画し、中国晋・宋と朝鮮半島南部を経由して直接交流することになる。仁徳天皇の時代である。同時代の中国では、仏教が急速に普及し、書家の王羲之等、文化的進歩の著しい時代である。400年代から500年代にかけての100年間は、ヤマト王権の成長時代と言えるが、500年代初頭には、新羅と関係の深かった九州豪族磐井と任那等朝鮮半島南部を支援するヤマト王権との間で磐井の乱が勃発し、ヤマト王権が勝利する。朝鮮半島南部にヤマト王権の出先機関があったことは間違いなさそうである。

 

この頃には、朝鮮半島南部では仏教が盛んになり、538年百済から仏教が伝来する。ということになっているが、果たして本当か。

 

ところで、儒教が日本に渡来したのは、応神天皇の16年、王仁(中国人)が論語と千字文をもたらしたのに始まるとされる。応神天皇が実在の人物であるか否かは確かではなく、世界遺産登録に伴い、2011年に応神天皇陵墓が調査されているが、結果は公表されていない。応神天皇の16年は西暦275年(日本書紀)とされるが、最近の研究では405年ではないかと言われている。中国で千字文が編纂されたのは5世紀末から6世紀初頭と推定されるので、王仁がもたらしたとする年代は、千字文の編纂時期よりも100年以上も遡ることになる。応神天皇陵とされる陵墓の建立時期が5世紀初頭と推定され、この陵墓が応神天皇陵であることが証明されれば、応神天皇の在位期間は4世紀~5世紀にかけての時代ということになる。それでも、千字文の編纂時期よりは早い時期となるので、千字文に似たような漢字の練習用木簡等がもたらされた可能性はある。いずれにしても、かなり古い時期から論語を読み、学習していたと考えられる。聖徳太子の「以和為貴(和を以て貴しと為す)」も論語から引用されたとも言えよう。

 

漢字が伝来した時期を特定することは困難であるが、弥生時代末期から中国との交流があることを考えると西暦300年から500年頃にかけてかなりの漢字文献が伝来していたことは容易に想像できる。また、儒教も同様にかなり早い時期から入っていたと思われるが、翻訳・理解が可能になったのは500年代に入ってからではないかと思われる。この国は、孔孟思想、老荘思想等の究明にはまだまだ未熟であった。中国で仏教を国教としたのは、南朝・梁(502 - 549年)の武帝の時代であるから、仏教伝来は、断片的には400年代に、仏教思想としては恐らく500年以後のことであろう。

 

前述のように、500年代初頭の磐井の乱において近畿地方を拠点としたヤマト王権が九州豪族を平定して、どうやら日本の部族統一となったようである。また、仏教も朝鮮半島を経て日本に伝来するが、歴史上は百済王が500年代中期に経典、仏像を倭王に献じたとしている。中国本土の仏教事情は、南朝が国教、北朝が弾圧と分かれていた。朝鮮半島では、百済、新羅が仏教に熱心であることからも、百済人の多くが中国南朝出身者であると推定される。

 

このように西暦500年に入ると、日本人の知識層では漢字が常用文字となり、仏教、儒教、道教といった中国思想もまた知識層に広まった。それでも、仏教の排斥勢力(物部氏)と仏教推進派(蘇我氏)の対立は激しく、結果的に物部氏が滅ぶ。物部氏は騎馬民族系あるいは中国北方系・満州族系渡来人と考えられ中国の反仏教系に通じ、蘇我氏は武内宿禰を祖先とすることからヤマト弥生人系と漢族系・朝鮮系の混血と考えられ、仏教系であったとも考えられる。

 

西暦500年代は、日本という国家の成立において極めて重要な時代であったと考えられる。

まず、日本語と文字の対応付けである。つまり漢字の読みを日本語に取り入れたことである。この漢字の読みは、取り入れた時代によって呉音、漢音、唐音と変化する。漢字の読みとは、例えば、言語道断は、呉音では「ごんごどうだん」、漢音では「げんごどうだん」となる。日本に特有の名詞、例えば植物、魚の名前、地名、助詞、形容詞等は、漢字の読みをあてる借字が用いられた。これが万葉仮名の発明である。万葉仮名は400年代末には完成していたとされる。漢字の日本語化、万葉仮名の発明で、中国語文法であるSVO形式を日本語文法のSOV形式に変換することが可能になった。ひらがなが発明されるのは平安時代初期(800年頃)というのが定説であり、万葉仮名が利用されていた期間が250年ぐらいあったことになる。これは少し長すぎると思われるが、万葉集の完成時期を考えると妥当なところであろう。

 

ところで、万葉集の和歌は、いわゆる七五調でできている。これは日本語の基本的リズムではないかと思われる。万葉集の初期の和歌が600年頃であるから、万葉集の編纂とともに洗練され様式化していった。日本語の発音は、韻を踏むようにはできていない。発音数によってリズム感を生み出す。この七五調のリズムについて、井上ひさし(私家版 日本語文法(新潮文庫))は、「2n+1」の原則であると言っている。nは名詞・動詞などの語数である。日本語の名詞・動詞には2語、3語が多く、例えば、カワ、ミズ、ヤマ、カゼ、ウミ、ソラ、ハル、ナツ、アキ、フユ等々。+1は助詞をさしている。日本語は、その特性から必然的に七五調のリズムを有していると言える。必然的に誕生した和歌は、万葉集、古今集そして俳句へと進化する。

 

国家感、政治思想の形成においても、この時代は重要である。近代まで、国家と宗教は一体であった。宗教観は、すなわち国家感である。西暦400年代までは、卑弥呼に始まる卜術(占い)を用いたシャーマニズム、山中他界という祖霊信仰、精霊信仰(アニミズム、霊山信仰)が混在していたと考えられる。この時代になると、儒教、道教、仏教等が断片的な知識として伝来する。シャーマニズムと祖霊信仰が混在し、部族長の祖先を祖霊神として崇め、部族長自身が祖霊神との通信役として部族に君臨するということもあったろう。さらに、中国王朝の変遷についても、三国志等の伝来により知っていたかもしれない。当時の日本は、中国皇帝の正当性が天命によることは知っていたし、中国王朝の栄枯盛衰も知っていたはずである。ヤマト王権の継続には、中国皇帝の天命方式は都合が悪い。儒教、道教、仏教等は問題外である。王権の祖先達を神々とし、祖霊神を祀ることにより王権の直系のみが神となる信仰、つまり、神道の基本様式がこの時代に形成されたと考えることにあまり無理はなさそうである。

神道と言う言葉が記録に登場するのは、日本書紀の用命天皇紀(580年頃)である。神道には教義・経典がない。そのため、仏教、キリスト教等の宗教と比較することは難しい。神道は、古事記、日本書紀に見られる国作り神話によってその体系を確立する。

 

この祖霊神信仰は、日本に限らず地球上のすべての人類に共通に見られるが、日本において神道として権力機構に根付くには、それなりの理由があったのではないかと思われる。縄文弥生人を起源とする日本人と大陸・半島渡来人が融合する、西暦400年から500年にかけて多くの渡来人が入ってくる。このとき、縄文弥生系の、つまり民族系の王権維持の正当性として神道が広まった。それも、男系を原則とするのである。勿論、女帝もいたが、結果的には直系の男子へと継承される。この国は、朝鮮半島とは異なり、外敵に侵入されたことがなく、従って、戦争に負けて男がすべて殺され、女子供が奴隷になるということのなかった国である。混血があったとしても男系では、縄文弥生系民族のDNAは継承され続けるのである。民衆は、民族系の王権が継承されることに納得したのであろう。現代で言えば、難民が流入し、難民の中から大統領が出てくるのは許さないというようなものである。

王権継承の正当性を示す国家宗教神道の発明は、200年以上の時間をかけて、古代日本の知識人が生み出した傑作である。

 

600年代初頭の聖徳太子時代に、行政組織、法律(憲法17箇条)が制定され、聖徳太子の死後、蘇我馬子の専横時代が始まり、645年の蘇我入鹿暗殺へと進むとするのが日本書紀である。ここで重要なのは、500年代から600年代にかけて、天皇派、つまり王権派は、朝鮮出兵(新羅討伐、百済支援)であり、蘇我氏は出兵反対派であることである。蘇我馬子が、崇峻天皇を暗殺したのも朝鮮出兵を止めるためであったとされている。この時、暗殺者に選んだのが九州の豪族であり親新羅派磐井氏の一族であった。征韓論は飛鳥時代からあったのだ。

 

仏教の普及、律令制の推進は、蘇我氏の功績である。しかし、蘇我氏が失敗したのは、天皇の権力を抑える、つまり権力掌握の正当性、大義がなかったことであろう。乙巳の乱により権力を回復した天皇派は、20年後に百済救援のために白村江へ派兵し、唐・新羅の連合軍により全滅することになる。天皇派がなぜ百済だけを支援したかは、よくわかっていない。西暦600年からはじまる遣隋使は、新羅に対する牽制だという説もある。ちなみに遣隋使は、三回~五回程度と言われるが、後半には大型帆船の造船が可能となり隋との直接航路が開設され、朝鮮半島を経由するルートはあえて回避している。白村江の戦いの後も遣唐使は継続するが、新羅との交流は途絶える。665年以後、平安時代を通して、高麗人海賊が九州を襲うという事件が数度あるようだが、鎌倉時代の元寇までの600年間、ほとんど交流の記録は見られない。日本は、朝鮮半島との交流を必要としなかった、つまり、朝鮮半島と関わると一方的な支援だけになり、見返りがない、つまり国益を損なうと考えたのかもしれない。

 

さて、こうやって日本の国家成立の歴史的背景を、日本人ルーツの大陸との関係、中国、朝鮮半島との関係、日本の古代宗教と伝来宗教との関係で見ると、日本国家立国の精神を和辻が言う「祭事の総攬」で片付けることは到底できないのである。

西暦645年を画期として、日本という国家が成立していくが、立国の精神は下記のように整理できるのではないだろうか。

①国家権威(国体)を全て天皇に集中し、その継承は祖霊神信仰を基本とする神道におき、これを国教とする。

②儒教の導入は、官僚組織及び社会秩序維持のための道徳的規範にとどめる。

③霊山信仰・精霊信仰・祖霊信仰等の古代宗教は、伝来宗教である仏教と融合し、これを大衆宗教として定着させる。

④国家権力は、天皇の臣下である官僚の合議と天皇の承認によって行使する。

 

このように整理すると、この時代以後の中国、朝鮮半島との関係も理解できる。

まず、中国との関係は、中国の冊封を受けずに対等の関係を保った。遣唐使も平安時代前期をもって終了し、平清盛の宋との交易まで交流を絶っている。もはや、大陸から導入すべき知識・技術はなくなったのである。朝鮮半島とは、白村江の戦い以後、豊臣秀吉の朝鮮征伐まで交流らしき交流は見られない。

しかし、国家としての交流はないが、地方豪族や商人・僧侶の交流はかなり頻繁にあったようである。政治的な交流はしないが、文化、経済的交流は禁止しなかったということである。

 

 

和辻は、この後、推古時代の仏像について、天平美術様式、万葉集、万葉集と古今和歌集の比較、竹取物語、枕草子、源氏物語、もののあはれ、と飛鳥寧楽時代から平安時代にかけての芸術論を展開する。

この人は、津田左右吉が主張する「大陸文化の模倣論」に対する批判論として、論文をまとめたのかもしれない。和辻は、夏目漱石のところに通った文人の一人であり、口語体論文としてはこの時代の中では、ひときわ優れているが、1920年代の人文系の論文様式には閉口する。事象の説明のために、要点をぼかし修辞文をこれでもかと書き連ねる。この様式は、ヨーロッパの近代人文系論文の特徴であり、日本においても踏襲(模倣)している。明治初期の言論界、福沢諭吉、中江兆民らの著述した漢文系文章は、結論・要点が簡潔明瞭である。

残念ながら、これら和辻の作品から時代精神とは何であったかを読み解くことはできない。つまり、結論がぼけていて理解不能なのである。さらに、美術評論、芸術論としても、人間の美的感性のもつ根源的普遍性、知性・理性による美的認識への言及がないことから、十分なものとは言えない。

しかし、明治、大正期という時代背景を考慮すれば、その時代としては十分に先進的であったことは疑いようのないものである。

 

 

最後に、長文の「沙門道元」を載せている。道元は、中国五禅の一つである曹洞宗を広め、永平寺の開祖として知られている。鎌倉時代は、仏教哲理の究明時代と呼べる時代である。平安貴族政治から武家政治へと激変し、貴族によって支えられていた仏教から武家・庶民のための仏教へと仏教も内部からの変質が迫られた時代である。鎌倉時代初期に親鸞が、約20年遅れて道元が、さらに20年ほど遅れて日蓮が現れる。親鸞は、「悪人なおもて往生す」と弱きものこそ救われると説き、難行・苦行や教義究明ではなく称名念仏という感性による万人成仏を説いた。道元は「只管打坐」の坐禅・瞑想による脳内化学反応が引き起こす、感性でもなく理性でもない知的幽玄性に成仏を見た。日蓮は、法華経の平等主義こそが衆人成仏と説いた。

 

仏教哲学の根源に迫らなければ、道元の精神に迫ることは難しい。和辻は、宗教哲理の究明に「挫折」したと書いているが、宗教哲学は、元来、霊性に関する論理的矛盾を矛盾とせず、あるがままに信じ、アプリオリなものとして展開するものである。理性によって理解しうる論理的世界ではない。

 

無神論者である私には、宗教哲学は手に余る課題である。和辻が、道元の精神に日本の精神を探ろうとしたのか、道元をとおして鎌倉時代の時代精神に迫ろうとしたのかはわからない。しかし、これだけは言えそうである。親鸞、道元、日蓮の出現は、平安貴族社会にぶら下がり、堕落しきった仏教界に訪れた自己改革の旗手であった。現世利益、極楽浄土、怨霊祈祷と自己利益のための宗教と堕した仏教を、本来の万人救済、平等成仏へと復し、荒廃した社会、混乱した人心(精神)を立て直すことであった。

 

ここで注目すべき点が一つある。道元は、宋に渡り、曹洞宗を我が国にもたらしたが、思想の輸入にあたり、道元は禅宗の非論理性に疑問を抱いたというのである。宗教というものは、霊的存在を基本とする限り、非論理性を内包している。道元がそれを知らないはずはない。そうではなく、禅の本質を知るには、禅なるものの全否定から始め、否定的論理を構築する。その上で否定的論理を否定する可能性を探り、否定論理を否定する論理を構築するのである。このことによって、否定の否定は肯定となりそのまま残り、否定の否定ができないものは新たな発見となる。この否定の否定の弁証法、再否定弁証法によって、輸入思想は単なる模倣ではなく、一定の客観性を持った独自の思想へと変貌するのである。

これは、じつはカントの批判哲学の論理手法であるが、批判理論を再度批判すると言う意味でフランクフルト派の批判理論を超えるものである。理性的に想像しているものを否定し、再度否定たり得るものを理性的に想像する。

否定の否定というスパイラルな思考、ネガティブ・スパイラル(Negative Spiral)思考(=ダブル・ネガティブ・シンキング)こそが、中国に比べあらゆる面で遅れていた日本が醸成した独自の精神であったとは言えないか。

 

和辻の「日本精神史研究」から、何が日本精神かを汲み取ることは困難であった。和辻がこの論文をとりまとめたのは、20代後半から30代前半のことである。当時の時代性をみても、和辻は相当に意気込んでいたと思われる。しかし、意気込みに反して、思想的、歴史的、論理的追求の甘さが文章の迫力のなさに表れている。

非才浅学の者の赤面もなき和辻批判をお許し願いたい。

 

飛鳥寧楽時代から鎌倉時代にかけて、我が国が、中国大陸から輸入した膨大な文化・文明を、縄文弥生人を祖先とする我々の祖先がどのような精神によって独自の文明・文化を求めたか。

それは、輸入文明・文化への熱望だけではなかった。熱望し、批判し、さらに批判する精神である。熱望者、批判者、抗議者となることによって真に必要な創造物を選択するという思考過程=精神の確立である。

西暦200年代から1200年代までの1000年という長い時間をかけて、国家制度、思想、宗教、技術等々、あらゆる「この国のかたち」の創造にとってネガティブ・スパイラルな思考が欠かせない精神であった。

 

日本は、第二次世界大戦で負けた。完膚なきまで、回復不能なまでたたきのめされた。復興のためには、勝者の論理・文明を無条件に受け入れねばならない。相手を否定してはならない。戦後民主主義は、否定なき輸入物として定着し、奇跡的経済回復を成し遂げた。情報化・グローバル化した現在、この国の新たなかたちをどのように作るべきかが問われている。この国が依拠した独自の精神に立ち戻り、輸入モノではない自らの文化・文明に対する再否定弁証法的な再批判精神こそが必要なのではないだろうか。

 

                                           令和元年918
2019/06/17

この国の精神 精神(心)とかたち

精神とは何か

 司馬遼太郎に「この国のかたち」という、紀行文というか、随筆というか、何とも言いがたい作品がある。司馬師匠にあやかってこのタイトルを付けたわけではないが、「この国」の「かたち」というテーマの漠然さに比べれば、「精神」というだけ、テーマは絞り込めていると言えそうである。

 かなり昔のことだが、某墓園企業が次のような宣伝文句を流していた。
      「心はかたちを求め、かたちは心を勧める」
 実に名言ではないか。人間が作りだした物とは、物体・ハードだけではなく、生活習慣、経済行為、集団規則、国家、政府、法律等のいわば無形・ソフトなものも含めたモノである。かたちとはモノのことである。かたち・モノは、人間の意識・心が創り出した。人間がモノを創り出すと創り出したモノが心にもっと作れと語りかけるのである。モノと心の相互作用こそが、知性である。司馬師匠の「この国のかたち」は、「この国の精神」が作り出し、「この国のかたち」が「この国の精神」を醸成すると言い換えることもできよう。

 しかし、精神という言葉は、かなり曖昧で抽象的だ。「精神力」だなどと言えば、「おじさん、今時そんなこと言わないでよ」と小娘にバカにされ、「心の問題」などと言い出そうものなら「私の心がわかると言うの」と言われ、「気合いだ」などと叫べば「レスリングの応援か」と笑い飛ばされる。とかく、「精神」に関わる言葉を使うには「気」を使う時代となった。

 かくのごとく、「精神」とは、個人の心の働きを意味しているが、それは、意識的なものだけではなく、無意識の中にも存在する。一方では、同じ考え方を持つ人間が集まれば、集団の意志、志、思想となり集団、地域の精神となる。「大和魂」、「アメリカンスピリッツ」等は、国の精神を示す。 

 ところで精神とは何かである。今更であるが、辞典の解説を見るのが手っ取り早い。
百科事典マイペディアでは、「物質あるいは肉体(身体)に対する語で,認識,思考,反省などを行う人間の心的能力」とある。「人間の心的能力」とは何だ。ますますわからなくなるではないか。人間の脳内で行われる知的作用のことなのか。しかし、この説明の後に、「近代以降の西洋哲学では,精神を実体ではなく機能,知的能力ではなく意志・意欲と考える傾向が強い」とある。こういう説明になるともはや無茶苦茶と言わざるを得ない。「実体のない機能」とは何なのだ。意志・意欲は知的能力ではないのか。

 それでは、平凡社世界大百科事典(第2版)では、どのように説明しているかといえば、「〈心〉と同じ意味にも用いられるが,心が主観的・情緒的で個人の内面にとどまるのに対し,〈精神〉は知性や理念に支えられる高次の心の働きで,個人を超える意味をはらみ,〈民族精神〉〈時代精神〉などと普遍化される」としている。こちらの説明の方が論理的であり、納得がいく。精神とは、「知性や理念に支えられる高次の心の働き」としており、百科事典マイペディアの「知的能力ではない」という説明と全く逆の意味になる。

 精神とは、心としての意味もあるが、多くの場合は、知的作用が発揮された結果としての想像物をモノとして実現する場合の強い意志、意欲をさすと考えられるのではないだろうか。心の場合には、心が沈むとか、心が悲しみで一杯になるとか、うきうきした心というように個人を取り巻く環境変化が、個人の知覚と認識によって感情脳に与える変化と捉えられる。精神は、あの人は強い精神力の持ち主だというように、周囲の変化に動揺することなく、理性的に振る舞うことができるというように用いられる。精神とは、理性的判断能力そのものを指しているとも言えそうだ。

 「精神」という漢字は、中国の古い漢語にもあり、元来、エネルギーや力と言った意味である。日本では万葉集に登場するという。心、気力、やる気、霊魂等モノに対する人間の内的な働きや形而上的なものであるとした。古くから、それもかなり古くから、モノに対する人間の思考そのもの、あるいは哀れみや恥、礼儀や善悪の判断(孟子の四端、「孟子巻第三 公孫丑章句上 凡九章 六」)といった感情の働きを指した抽象的概念としての「精神」は、恐らく全人類に共通であると思われる。 

 孟子の四端が出てきたので少しばかり寄り道をしながら「精神」について考えてみよう。孟子は、紀元前372年~289年に実在した人物である。紀元前300年代の中国は、春秋戦国時代の真っ只中であり、小国が乱立している時代である。孟子は、孔子の約100年後に誕生しており、孔子の孫に学んだと言われているが、年代が合わないのでひ孫ぐらいがいいところかもしれない。孔子の教えを孟子が孔孟思想として発展させ儒教を完成させたとも言われるが、一つの思想なり教義の体系というものは一人だけで作り上げられるものではない。百年以上数百年の時間をかけて、それも多数の弟子達の手によって作り上げられ、弟子が弟子を育てるという組織化の過程とともに体系化されると考えるのが歴史解釈の常識である。思想が組織化を図り、組織が思想を勧めるとも言える。

 孟子の有名な説話に、孟母三遷というのがある。子供の教育に周囲の環境が影響することを説いた物語である。昔も今も、子供を育てるためには母の知恵が重要であることに変わりは無い。

 孟子は、公孫丑の治世についての問いに対する答えの中で、人の心とは何かについて次のように言っている。
      無惻隠之心、非人也
      無羞悪之心、非人也
      無辭譲之心、非人也
      無是非之心、非人也
 惻隠之心とは、見るに忍びない哀れみの心であり、人は生まれながらにこの心を持っている。羞悪は、悪を恥じること、辭譲は譲りあうこと、是非は善悪の判断であり、この4つの心を四端という。これらの心は、学習と経験によって一層磨きがかかり、仁・義・礼・智の四徳となる。

 思想というものは、このように言い切ってしまわなければならぬ。惻隠の情なきものは、人ではない。獣であり、たたき切ってしまえと言わんばかりの迫力である。孔子の論語には、このような言い方はない。仁についての説明はまったくといってない。極めて、短かく、簡潔すぎるぐらいの文章である。

 惻隠、羞悪、辭譲、是非の4つの心を共に備えていることが、人間であることの必要十分な条件である。
話はそれるが、最近のニュースに子殺しのニュースの何と多いことか。母親までも父親と一緒になって虐待するという。孟子に言わせれば、こんな奴は人ではない。鬼畜・獣の類いである。母親は、子供を連れて男親の暴力から逃げるのが普通ではないのか。何とも、悲しく、見るに忍びないニュースだ。隣近所のおじさんやおばさんは何をしているのだ。こんな町には住みたくもないと思うがいかがか。

 ところで、マイケル・サンデルというハーバードの政治哲学者が書いた「これからの正義の話をしよう」という本が数年前に話題になった。NHKがドキュメンタリーとして放送していた。この本の冒頭で、二つの道徳的ジレンマを取り上げ、正義としての道徳的な原理といったものが果たして導き出せるかという問題を提起した。その道徳的ジレンマの一つ目は、暴走する路面電車の例である。この例は、哲学的分析事例として有名である。二股に分かれた線路の左には5人、右には一人がいる。路面電車が暴走して分岐点に到達しようとしている時、あなたらどちらに進むかという問題である。これだけの条件で決められるわけがない。しかし、一人でも多くの人命を救うことを原則とすれば、右に進み一人を殺す方を選択する。この問題を孟子に問えば、簡潔明瞭に、惻隠の心に従い、一人を殺せと言うだろう。

 人命救出における選択問題は、度々、小説や映画の題材としても取り上げられる。プライベート・ライアンという、トム・ハンクスマット・デイモンによる戦争映画があった。マット・デイモン扮する兵士には、男兄弟が何人かいて、彼は末っ子であり、兄たちが皆戦士したため、一人残ったマット・デイモンをアメリカに残った母親の元に返すべくマット・デイモンの救出命令が下される。そこで、前線にいるマット・デイモンを救出すべくトム・ハンクス扮するミラー大尉は7~8人の部下と共に前線へ向かうのだが、最後にはドイツ軍の侵攻を止めるためにマット・デイモンだけを残してすべて死んでしまうという物語である。一人の命を救うために8人もの兵士を送り出すという設定は、まさに道徳的ジレンマそのものである。救出途中で戦死者がでるが、結末は、たまたまドイツ軍の侵攻に合って、マット・デイモンを残して全滅するということになっている。いずれにしても、一人の命を救うために、8人が犠牲になったが、結果としてはドイツ軍の侵攻を止め、マット・デイモンも自分だけ生き延びるわけにはいかないとして、共に戦ったことで、「一人でも多くの人命を救う」という道徳原理は成立しなかったことになる。

 西欧哲学に、孟子の「惻隠の心」に相当する精神原理を問うたものは一つとしてない。強いて挙げるならば、愛を説いたキリスト教倫理ぐらいのものだろう。倫理・道徳といっても、その基本原理は、西欧と東洋で天と地ほどの差がある。

 気、根性、魂

 精神と同じような意味を持つ「気」という言葉がある。例えば、気になる、気をつける、気を使う、気が付く、気に障る、気が散る、気合い、気力等々である。また、中国の武道、中国医学では、気功といった体内を巡る気の循環を重要視する。
根性は、言わずと知れた体育会系の基本原理である。根性とは、人が生まれながらに持っている性質というのが本来の意味であるが、元々は、仏教用語の機根に由来し、仏の教えを理解する力のことを指しているらしい。気力とほぼ同じ意味に使われるが、「ど根性」、「根性の曲がった奴」、「島国根性」、「野次馬根性」のように用いられる。 

 魂は、霊魂のことである。肉体は滅びても、霊魂は存在するというように、宗教的、形而上的にはその存在が信じられている。一方では、「大和魂」のように精神と同じ意味で用いられる。

 精神、心に関する言葉は、実に多くかつその意味も多様である。精神、心、気、根性、魂等、どのような言葉でも良いのだが、モノと人の思考、思惟の循環に着目して、現代のこの国の精神について考えてみたい。

何故、今、精神なのか
 

 今や、この国の社会は、高齢化が進み、子供の数が少なく、小学生から英会話だプログラムだとバカ丸出しの教育にとりつかれ、一人当りGDPは落ちるに落ち、それでいて国民は何となく豊かであると思い込み、ちまたにはスマホ中毒患者があふれかえり、30過ぎても職に就かず、子供を作れば虐待し、高齢者が車で徘徊し人を殺す。

 今や、この国の政治は、社会保険・年金制度の維持に汲汲とし、70歳まで働けといい、貿易戦争で震え上がり、自国を守る軍隊さえ憲法に明示できず、与党は官僚統制さえままならず、制度疲労のほころびの修復にやっきとなり、野党は国内・国際問題の本質さえ問えず、財政赤字には見て見ぬふりをし消費税さえ上げることができない。

 今や、この国の経済は、共産主義国家のリスクに目をつむり、利に走って慌てふためき、経営者は貯め込んだ金の使い方も知らず、労働者は保身に走り給与を上げろと叫ぶことさえできず、日銀は紙くずとなるであろう国債を買い込み、産業界はイノベーションが今にも起こると嘘をつき、経産省は太陽光発電だ再生可能エネルギーだと国民をだまして金をとり、禁煙・嫌煙だと叫ぶかたわらでスマホ中毒患者を山ほど作り出し、国家は金で動くとたかをくくる。

 今や、この国の科学技術は、アジア最大のノーベル賞受賞国家だと奢り、大学は教養なき専門ばかの学者であふれかえり、学生はバカ高い授業料に文句も言わず、企業は技術開発には投資せず、科学者は地球温暖化に沈黙する。

 この国の今のかたちを、社会、経済、政治、科学といったジャンルで皮肉るとこのようなものかもしれない。このような状況は、何も日本に限ったことではなく、先進国に共通である。しかし、世界では、国民が声を上げている。フランス、ブレグジット、極右の政治活動(オルタナ)、白人至上主義、香港の大規模デモ等々。しかし、この国には、未だその兆しさえ見えぬ。
今、ここにあるかたちは、今の我々と少し前の親たちと、もっと昔の先祖達の精神が作り出したモノである。時代時代の国のかたちは、時代時代の国民の精神が作り出し、かたちと精神の循環により文化文明が形成される。 

 政治・経済・社会の様々な問題、つまり現代のこの国のかたちの歪みを問うには、この国のかたちを作り出した根源であるこの国の精神を問わなければならない。

 何はともあれ、この国の精神に迫った文献を追ってみることにする。

                                                                                2019年6月17日
2019/06/06

堕落論2019 今の世の中あれやこれや

★なぜ、今、堕落論なのか

 

坂口安吾の衝撃的な随筆、「堕落論」にインスパイアされてこの文章を書き始めたのは、2017年の夏であった。私は、戦後生まれで、堺屋師匠が名付けた団塊の世代である。戦争は知らないし、まして戦前の世相などというものは全くわからないが、子供の頃に、両親から戦前の写真帳を見ながら戦争の話を聞いたことがある。しかし、中学に入り日本の歴史を知ってからは、両親と戦前の話をした覚えはない。戦前の日本がアジア各地で行った戦争について、様々な情報から知ったからかもしれない。何はともあれ、太平洋戦争を引き起こした日本が悪者であることに何の疑いも持たなかった。

 

大学時代はノンポリに近かったが、それでも安保、ベトナム反戦デモには参加し、機動隊との衝突も経験した。

あの頃の熱気は何だったのだろうか。ニーチェだ実存主義だ、共産主義だ資本論だと手当たり次第に本にのめり込んだ。11冊を目標にしたのだからとんでもない乱読である。当時は、分かったつもりでいたが、今になって思うと何も分かっていなかった。当然、「堕落論」も読んでいたが、ほとんど印象に残っていない。当時、私が何を考えていたかを思い出そうとしても全く思い出せない。それこそ、「記憶にない」のである。貧乏学生が、アルバイトと通学と、ときたま参加する学生運動にすべての時間を費やしていた。何かを考える、考え出すということをほとんどしていなかった。ただただ、知識をむさぼりあさっていた。社会人となってからは、高度経済成長のおきまりのコースをひた走る。

 

バブル経済が崩壊した後は、ご多分にもれず食えなくなった。食わなければならないから、片っ端から仕事を引き受けてこなすことの毎日である。しかし、ここでちょっと考えた。これまで突っ走ってきた人生を少しばかり振り返ってみたのだ。最先端の科学・技術にずっぽりと浸り、進歩だシンポだとカルト教団の熱狂的信者のようになっていた自分に気がついた。さらに、新たな科学的発見や技術革新なるものがほとんどないことに疑問を持ったのである。遺伝子解析にしてもタンパク質の構造解析にしても方法論は既に解明されている。新たな追加的発見は時間の問題だ。インターネットやスマホ等もまさに時間の問題なのだ。人工知能なんか20年前にやっているではないか。科学的進歩なるものが限界を迎えたと感じたのである。ちょうど、その頃オーム真理教事件が起こった。何と、我が国最高学府の医学部出身者が信者となっていたではないか。専門バカというが、ここまでバカになると言いようがない。私は、中途半端で不真面目な科学者ではあるが、仮にも科学に身をおいているからには、神の存在は信じないし、無神論であり、無宗教である。

 

その当時、地球環境問題が浮上し、その上、ソビエト連邦の崩壊まで起こった。直感的に、人間とは何かを知らなければならないと考えた。そこで、自然生態系の研究を始めることにした。特に、人間を含めた自然生態系に関する研究である。このテーマであれば、とりあえず短期的には何の成果も得られない。ひたすら歴史を追い現実を観測するだけである。それも、人間の側から観測する必要がある。当然、今もって、「人間とは何か」への解答は得られていない。

というわけで、2017年の終戦記念日から堕落論2017を書き始め、20182019と少しづつ書き進めてきた。堕落は、人間の本性であり、知性の本態であると確信する。堕落は、知的生命体である人間にだけ与えられた特権である。人間は堕落するから、神や仏を想像し創り出した。堕落しなければ、神や仏は必要ない。犬や猫、猿やオランウータンには、神も仏も必要ない。堕落の根源は、人間の欲望にある。

 

ところで、欲望とは何かである。日本語では、欲望、欲と言うが、英語を調べると、desirelustgreedthirsthungerappetite、等々といろいろある。英語では、性欲、食欲、強欲等のような欲望の種類や強度によって使い方があるようである。

人間がなぜ欲望を抱くかについて、脳内のメカニズムはほとんど解明されていない。大脳側頭葉の旧皮質という原初的脳が食欲や性欲、恐怖や攻撃という生理的・本能的欲求に反応し、自己顕示欲や野心といった想像的な欲求は前頭葉の思考部が関係していることは分かっている。欲求に関係する脳が、内的・外的ストレスによりどうして反応するのか、その反応がなぜ思考に影響を与えるのか、欲求によって活発化した思考脳がなぜ想像的なのか、ほとんど何も分かっていない。

今から半世紀以上前に、マズローが欲求の5段階説を唱えた。「生理的欲求」「安全への欲求」「社会的欲求」「自我欲求」「自己実現欲求」の5段階である。性欲や食欲といった人間の生理的欲求から順により高位の欲求へと発展する。本能的で動物的な欲求から知的欲求へと欲求は際限なく拡大するのである。

キリスト教、イスラム教、仏教等宗教では、本能的欲求に耐えることから修行が始まる。人間の欲望の始まりである本能的欲求(五欲、六欲)に耐えられなければ、高次元の想像的欲求をコントロールし、正しい知性の働きへと導くことなど到底不可能なのだ。

 

人間の飽くなき欲望は、堕落への道であることは間違いないが、反対の堪忍、忍耐、自重もまた限度を超えれば人間破壊・社会の停滞につながる。生きていける最低限に生理的欲求を押さえ、不安や恐怖からひたすら逃避し社会から遠ざかるような生活は、確かに堕落してはいない。しかし、こういった遁世、隠棲、厭世的思想、清貧思想が蔓延すれば、社会は崩壊の道を進むことになる。

欲望の制御とは実に難しいものである。人類の進歩は、知的探求と欲望の制御によってもたらされた。欲望の制御、堕落は、知性を働かせ豊かな想像力を発達させた。知性とは想像力であるとも言える。

2500年前の人類がどれだけ遠い未来を、そしてどのような未来を想像できたかは全く分かっていない。人類の知的進歩の本質は、想像可能な未来時間と内容である。江戸時代の武士、農民、庶民がどのように未来を想像していたのか、これも全くわからない。江戸の都市計画等をみるとそれなりの未来を想像していたことは間違いない。しかし、人類が確固たる未来社会を想像し始めたのは、19世紀近代西欧科学の発展以後のことではないだろうか。ただし、神や霊的存在という空想の世界は別である。

 

いつものように、話がそれてしまうことはご容赦願いたい。これも、自由にものを言うために必要不可欠なことであるから。ということで、堕落の視点から最近のトピックスをみることで、この堕落論を一時中断としよう。

 

★厚労省の不正統計問題 あれやこれや

 

文部科学省、財務省に続いて今度は厚生労働省の不正統計問題だ。不正の対象となった統計は、「毎月勤労統計調査」という統計だ。それも、本来悉皆調査をしなければならないところを適当なサンプリング調査でやったので不正だということらしい。毎月勤労統計だから、毎月調査をしているのだろうが、今の時代に何も悉皆調査をしなくてもと思うのは、不正をやったとする厚労省の役人ばかりではあるまい。それにしてもだ、統計を軽く見過ぎている。厚労省には、人口統計や労働統計等、国の重要統計が集中しており、古くから統計の専門家がごろごろしていた。厚労省官僚のトップクラスは、必ず統計部局に配属されて勉強したものだ。統計手法によって誤差が異なることは熟知しているはずである。

 

ところで何が問題かと言えば、報道によれば「アベノミックスの成果をよく見せるために官邸から調査の改ざん指示があった」というものである。一方、不正調査をした厚労省の理由は、

①大手企業が調査に時間がとられるため、協力を得るのが難しくなった。

②統計関係の予算が十分なものではなく、調査に支障を来していた。

というところだ。

 

勤労統計調査であるから、産業種類別賃金等の実態調査である。今どき、手作業で給与計算をしている企業などよっぽど零細な企業以外には考えられない。何故、厚労省は、こういった決まり切った調査のシステム化をしないのだろうか。コンピュータ化された給与計算結果を所定の様式に集計整理して、都道府県に自動的に送信するなどは、極めて簡単だ。様々な役所のルーティン化している統計調査業務等は、システム化すべきであるが、何故かしようとしない。

 

ところで、国の統計がおかしいのは、今に始まったことではない。1213年前であったか、産業連関表の分析をしようとデータを整理していたら、中間投入額とその合計値が違うではないか。産業連関表は、産業分野別に中間投入額が算出されているから、どこにデータミスがあるのかを発見するのはかなり難しい。ミスは1箇所どころではなかったと記憶している。こんなデータが10万円以上で売られていたのだからたまったものではない。平成の市町村合併が終了した頃には、今度は統計の種類・内容が変更された。例えば、それまでの事業所・従業者数統計は、経済統計に変更され、内容も簡素化された。総務省だけではなく、農林水産省、経済産業省、国土交通省、厚生労働省等々、すべての省庁の統計内容が簡素化(詳細部分を省く)されてしまったのだ。ちょうど、民主党政権への移行時期に一致する。その前から、予算削減により徐々に統計の簡素化が進んでいたが、民主党政権下の事業仕分けによって一気に進んだ。

 

何のことはない、不正統計問題の根は、事業仕分けによって省庁外郭団体を一掃し、統計内容までも簡素化してしまうという予算削減にあった。勿論、役人の怠慢、堕落は否めないが、これにも原因がある。橋本内閣以後の構造改革と称する機構いじりである。この官邸主導の役人管理体制は、民主党政権下で完成される。行政組織というものは、それ自体が社会主義体制である。政治が行政組織を管理するということは、ポピュリズムを常套手段とする民主政治において、政権政党の都合のいいように官僚組織を支配し、社会主義的官僚体制をさらに強化することになりかねない。特に、議会制民主主義においては危険である。

 

官僚の自律性を維持することは、極めて困難である。日本だけではなく、世界各国の行政組織においても似たり寄ったりと思えば良い。規則、法律、罰則等を強化することである程度は可能であるが、規則・規制による組織管理に限界があることは、歴史が示している。企業経営では、経営者の人格がマネージメントの基本となる。経営者の人徳である。何を経営組織の目的とするか、何をもって経営行動の正義とするか、組織人の使命とは何か、等々、徳目と倫理に関する見識、教養が経営組織の自律性に大きく影響する。

 

規則・規制による組織管理を強化すると、役人は自律的には動かなくなる。良くも悪くも、官僚体制というものは、官僚OBも含めた内発的自律思想によって組織が維持されていた。官僚組織における自律の精神とは、単なる規則ではない。今の官僚統制は、歴史と伝統に裏打ちされた価値観、使命感に基づく官僚思想を断ち切ったのである。

 

国会の議論は、「官邸が政策成果を有利にするように統計改ざんを指示した」のではないかという点である。こういう事実があったがどうかはわからないが、統計データの扱いが争点になっていることは、上記のように事実である。仮にも国会における議論である。未熟な民主主義発展途上国の国会が、政権の追い落としを狙って執拗に野党が与党を攻撃する手法と同じである。森友問題をはじめとしたこの23年の政治論争は、正しくない。規則・規制が改善になると信ずる政治思想こそが問題なのである。どうすれば、官僚の自律的精神、進取の気性を喚起せしめることができるのか。贈収賄や役人の腐敗は、目に見える堕落であるが、精神の堕落は目に見えない。日露戦争が終わり大正期に入ると、明治維新の元勲や言論人の大半が亡くなってこの世にはいなくなった。官僚の精神的支柱であった維新の志士がいなくなったこの大正デモクラシーの時代は、まさに官僚・高級士官の精神的堕落の始まりであった。出世とごますり、忖度である。陸軍大学校では、そういう奴を納豆と呼んだそうだから、公然の事実となっていた。納豆的な奴が官僚、軍人のトップに座り、政治家となったことが第二次世界大戦の悲劇を生んだとも言える。政治家の諸先生方よ、今の世の中、目の前にある現実問題とその本質について言いたいことは山ほどあるのではないのか。ちまちました問題は、法的手続きでわかりやすく簡便に処理し、問題の本質を問え。

 

★朝鮮半島情勢 あれやこれや

 

二回目の米朝会談がものわかれで終わった。トランプは、会談途中で席をたったとか。何はともあれ、米国流ドタバタ劇というか、ビジネスドラマを地で行く演出ではないか。これで、一国の命運を決めるのであれば、こんな簡単なことはないが、国の命運は、企業間取引とは訳が違う。北朝鮮という国家のよってたつ論理などというものも、はなはだ怪しげなものである。

最近の報道によれば、北朝鮮に拘束されていた米国人青年の医療費2億円を、北朝鮮が米国に支払えと請求したという。根拠は、解放交渉にあたった米国側高官が解放条件として文書に署名したからだそうだ。米国側高官も「支払うべきだ」とか何とか言っているそうだが、手続きからすれば、そういう契約をしたのだから支払うのは当然であるが、米国の報道によれば、拘束中の拷問によって脳に損傷を受けたとある。それが事実であるならば、被害を与えた北朝鮮側が賠償金を支払うのが妥当なところだろう。米国青年が何のために北朝鮮を訪問し、何故スパイ容疑をかけられたのかがよくわからない。本当に脳に損傷を受けるほどの拷問を受けたのかどうかも詳しくは報道されていない。

 

北朝鮮だけではなく、韓国情勢も怪しげである。韓国大統領の文在寅という人物は、北朝鮮からの避難民の子であるという。相当貧しい家庭で育ったようだ。

ところで、韓国の政党というのは実にわかりにくい。リベラルと保守という二大政党ではなく、社会情勢によってめまぐるしく変化する。日本の野党の分裂・融合みたいなことをしょっちゅうやっている。韓国には、戦前の日本の治安維持法みたいな国家保安法という法律があって、共産主義等の政治活動は禁止されており、言論の自由もない。この法律によって、共産主義的労働運動も政治活動も禁止されているため、反保守の政党がどこまで民主主義的であるかの評価は極めて難しい。つまり、政党幹部が共産主義者なのかどうかの判別は困難なのである。

 

文在寅は、金大中、盧武鉉と続く反保守系政治家である。金大中は、日本のグランドパレスから拉致された金大中事件で有名である。たしか1973年頃と記憶している。不思議なことに、この事件の前後から北朝鮮による日本人拉致事件が頻発する。金大中の拉致には、日本の右翼ややくざが深く関わっていた。この事件の25年後、金大中は韓国大統領に選出される。金大中の有名な政策に太陽政策という北朝鮮との融和政策がある。北朝鮮への5億ドルの不正送金問題、息子達による不正蓄財問題で失脚するが、太陽政策によってノーベル平和賞を受賞する。このノーベル平和賞にも不正働きかけがあったらしい。北朝鮮に送金された5億ドルは、現代グループが画策したようだが、金正日とその息子で最近暗殺された金正男、粛正された張成沢にわたったということが分かっている。

 

現在の北朝鮮の脅威は、金大中の太陽政策と不正資金によってもたらされたのではないのかと考えるのは、何も朝鮮半島情勢の専門家に限ったことではなかろう。北朝鮮のミサイル、核爆弾開発は、2000年以後急速に進展している。金大中の後に大統領となった盧武鉉は、太陽政策を継続し、北朝鮮との融和政策を進めた。盧武鉉もまた、不正資金疑惑、親族の贈賄容疑、逮捕有罪があり、退任後自殺した。

 

ところで話はそれるが、識字率と国政との関係を少し調べてみた。19世紀の先進諸国の識字率と現代民主政治とに関係があるのではないかと考えたのである。19世紀中頃のイギリス、フランスの識字率は、都市部では70%以上という説もあるが、小学校の就学率が両国とも10%未満という説もあるので本を読む、日記を書くといった能力は、良く見ても40%程度ではないかと推定される。アメリカもほぼ同様の水準ではないかと思われる。日本の場合には、寺子屋制度の就学率が80%を超えていたというから、いろはの読み書きだけではなく論語までも読めた可能性は高い。戯作本が飛ぶように売れ、貸本屋も繁盛したことから都市部では50%以上であったと推定してもいいだろう。一方、中国はどうかといえば、20世紀初頭でも20%に満たないと推定され、王朝の役人、商人、僧侶等に限定されていたと思われる。韓国の識字率はよく分かっていない。韓国側の説では、日韓併合以前の韓国には、私塾が沢山あって識字率が高かったが、併合後の学校制度では授業料が払えなくなり識字率が低下したとされている。日本側の記録では、1910年の日韓併合後に学校制を開始しても識字率が向上せず、福沢諭吉等は、原因として漢字による文字表記ではないかとしてハングル文字の使用を進めている。ハングル文字の利用が盛んになるのは日韓併合以後であると考えるのが妥当なところである。

 

さて、こういった各国の識字率をみると、民主的政治が進む背景には、どれだけ多くの国民が読み書きできるかということが大きく影響していると言えるのではないだろうか。中国は漢字発祥の地であるが、あまりにも漢字が難しく、2千年以上に亘り特権階級以外の庶民は読み書きができなかった。韓国の文字は漢字で代替していたが、日本語のカナに相当するハングル文字が近代以後に使用されるようになり、普及したのは20世紀に入ってからである。カナだけで書かれた文章がいかに読みにくいか、ハングル文字による文章の読解のややこしさが想像できよう。文学、評論、哲学、歴史、法律、思想等々、およそ論理的な文章等が、カナだけで記述されていると想像してみると良い。漢字はそれ自体が表意文字であり、見ただけで意味が理解できる。西欧の単語もギリシャ語、ラテン語を起源としており、単語を見れば意味が理解できる。カナやハングルは表音文字なので見ただけでは、単語、熟語のような読解が難しい。

 

ある国家国民の識字率だけではなく、使用している文字によって国民の論理的理解力の度合いを評価することが可能だとも考えられる。最近の中国の簡体字等は問題である。現代中国人の大方は、歴史的文書はほとんど読めないと思われる。韓国人はさらにひどく、19世紀以前の歴史書は読むことさえ不可能である。

 

最近、武士道を調べるために「葉隠」を読んだ。江戸時代1700年頃の鍋島藩の武士が聞き書きした文書である。読み始めは、漢字辞典と首っ引きで少し苦労したが60ページ目ぐらいから、すらすらと読み、理解できるようになった。漢字かな混じり文であれば、平安時代ごろまでの文章は、訓練すればほとんどの人が読んで理解することができると思われる。

 

識字率、文字様式の歴史が、国民の民度や文化度を大きく左右したと考えられる。国民の知的成長度合いは、社会・経済・政治の進歩と密接に関係する。その国の言葉は重要であるが、最も重要なのはどんな文字を使用するかだ。日本は、明治維新以後、西欧文学、哲学、科学、法制度等を輸入するために、膨大な造語を作った。曖昧な翻訳後もあるが、それでも江戸時代に使用していた漢字のイメージと合致する言葉をあてて、直感的に判断可能なものとした。このことが、明治期における国民知性の飛躍的進歩となったことは疑いようがない。

 

さて、文在寅であるが、この人は、盧武鉉の弁護士事務所に勤務することで、政治的活動に加わることになったようだ。盧武鉉という人は、弁護士活動の当初はやたら金儲けがうまい弁護士だったようである。文在寅も同じ弁護士事務所だから、金儲けはうまい方だと思うが、盧武鉉が大統領時代には、側近であった。盧武鉉の不正資金問題にもおそらく深く関与していたと思われる。

 

文在寅の思想が共産主義的であるのか自由主義的であるのか、右か左かの程度は分からない。しかし、アメリカ的なリベラリストというよりは、冷戦時代の資本主義国における左派のイメージに近いと思われる。日本の1980年代で言えば、社会党よりは共産党に近いというイメージである。

 

韓国の政治情勢は、李承晩以来、日本では想像さえ困難な激変を続けている。歴代の大統領は、すべてといって良いほど金権、不正蓄財で暗殺、自殺、投獄されている。こんな国とまともな付き合いができるわけがない。我が国の立ち位置は決まっている。我が国の政治家は、自らを律し、我が国の国家思想である、資本主義、自由主義、民主主義、平和主義、人権主義、環境主義等を確固たるものとし、抑止力としての軍事力を憲法に明記して、これが国家の正義であることを毅然として韓国に示すべきである。このことは韓国だけではない。グローバル経済に浮き足立っているアジア諸国の政治・経済に対して我が国の正義を示すことこそ、太平洋戦争の真の終結である。

 

慰安婦保証問題が再燃している。何とも切ない話だが、性ビジネスの問題は、この世の中に男と女がいる限り避けて通れない問題の一つである。突き詰めて考えれば、婚姻そのものが性のディールだ。汝、姦淫するなかれとは、キリストの山上の垂訓である。キリスト教では、婚姻は男女の性に関する固い契約である。キリスト教という宗教は、男女の性に関しては厳格である一方、あえて見て見ぬふりをする。マグダラのマリアとキリストとの関係は微妙であり、ダン・ブラウンのダヴィンチ・コードという小説で有名になった。キリストの子孫は今でも存在するらしい。キリスト教という宗教は、セックスについて建前と本音を使い分けている。キリスト教の浸透と共に男尊女卑の思想が広がったと言っても良い。

 

ところで、慰安婦問題が気になって、売買春について少し調べてみた。日本、中国、韓国、アメリカ等は、現在も売春禁止であるが、ヨーロッパ、アジアの多くの国では、売春は合法なのである。オランダ、ドイツ・ハンブルグ等の飾り窓の女は、隠れた観光名所になっている。売春には、人身売買、性病、麻薬等薬物問題がついて回るので、深刻な社会問題となる。組織的な犯罪ではなく、個人間の性の取引であれば、自由とするというのが主流になりつつある。

 

戦前は、公娼といって、国が認可した売春宿があった。日本だけではなく世界中すべてと言って良い。日本は昭和31年の売春禁止法により禁止となったが、韓国にはつい最近まで国営の売春宿があったらしい。軍隊と慰安所は、まさについて回っており、戦後もしばらくの間は韓国軍にもあったという。

 

それでは、この慰安婦問題をどのように解決すべきなのだろうか。どうも、方法は一つである。売春は、人類不滅の、かつ根源的ディールであることを考えれば、日本、韓国、ヨーロッパの売春の歴史と現在、そして売春が如何に根源的なものであるかの解説本をだれかが書いて、世界で販売することである。世界のすべての国で、軍隊の駐留地には合法、非合法に関わらず必ず売春地区が隣接している。韓国の駐留米軍と売春の実態レポート等は、アメリカでは相当売れるはずだが、CIAから脅迫されそうだ。

 

徴用工問題にも困ったものだ。桜井よしこさんの解説ではないが、慰安婦や徴用工問題の裏には、日本政府あるいは韓国政府から基金を出させ、それを食い扶持にする集団がいるのではないかと疑いたくなるがどうだろうか。左翼系活動家・弁護士・政治家等の集団である。

 

徴用工については、一部には過酷な労働もあったかもしれない。日本国内でさえ、蟹工船ではないが、奴隷同様の労働環境が一部にはあった。戦前の日本のプロレタリア文学にも数多く見られる。戦前の軍需産業への就業は、何も日本だけに限ったことではなく、イギリス、アメリカ、ドイツ等でも見られるし、植民地においても現地人の徴用は常識であった。賃金、労働条件が日本人と同一であり、強制的労働ではない限り、法的な制裁を受けることは不当である。

 

慰安婦、徴用工問題も含め、日本が韓国に対してとるべき姿勢は、前述のように何が国家の正義であるかを毅然と示すことである。日本国民は、戦後の破壊と貧困の中から国民の懸命の努力と弛まぬ技術の研鑽によって世界第3位の経済大国にまでに成長した。その間、可能な限りの戦後賠償と惜しみない技術協力によって韓国の経済成長に寄与してきた。現在においても、通貨スワップは終了しているがいくつもの経済協力を継続している。韓国政府のここが悪い、あそこがおかしいと言うことはもはや止めよう。客観的な分析による理性的な判断を行い、韓国に対する対応策の妥当性を丁寧にかつ論理的に説明し、果断に実行すべきである。韓国の反日や抗日運動がどのような動きを見せようと一切反応はしないことだ。ニュース報道は、冷静に報道すべきである。

 

★アメリカの大統領 あれやこれや

 

ところで、1993年以後のアメリカ大統領は4人であるが、このうち、ビル・クリントン、ジョージ・ブッシュ、ドナルド・トランプ3人は、1946年生まれの同い年である。バラク・オバマは、1961年生まれであるから、これら3人に比べればかなり若い。クリントン、ブッシュ、トランプ3人の生い立ちの共通点と言えば、1946年生まれの同い年以外に、ほとんど共通点は見られない。

 

クリントンの育った家庭環境は、義父がアル中で酒癖が悪いということを除けば、戦後の平均的家庭といったところだろう。1968年ジョージタウン大学を卒業というからまあ順当に進んでいる。その後、オックスフォード、イエール・ロー・スクールに進むという長い学生生活をおくっている。1960年代後半のベトナム反戦運動にも参加しているが、それほど熱心な運動家というでもなく、むしろ学生時代から政治活動に参加して留学、ロー・スクールへのチャンスをものにした、努力家で運のいい男というところだ。1978年のアーカンソー州知事選に勝利するが、その前に下院議員選での敗退、州司法長官選勝利等を経験している。企業実務経験がほとんどない、政治好きの幸運な南部生まれの青年がそのまま大統領になった。

 

ブッシュは、言わずと知れた東部コネチカットの名門ブッシュ家の長男である。イエール大学を卒業し、ベトナム戦争中にテキサス州兵として6年間を過ごしているが、ベトナムには行ってはいない。その後、石油会社やMLBのオーナー等をして食いつなぎながら1995年にテキサス州知事になる。ブッシュの政治活動は、この時から始まり、2001年に大統領になった途端に9.11同時多発テロにあう。クリントンに比べると、名門ブッシュ家という後ろ盾で大統領にはなったものの、実についてない男と言わざるをえない。

 

トランプは、ドイツ人移民の父とスコットランド人の母の間に生まれた5人兄妹の4番目である。ニューヨークのクイーンズで育ち、ブロンクスの大学に入った後、ペンシルベニア大に転校している。クイーンズ・ブロンクス育ちというから人種のるつぼで育ち、相当手の付けられない不良であったらしい。他の兄妹についてはよくわからないが、姉には裁判官などもいるようで、トランプは、兄妹のなかでは出来のいい方ではない。大学卒業後は親父の不動産業を手伝い、その後不動産開発業で独立するが、地上げ、カジノ経営等何でもやっているので、推測だが、その筋とも少しは関係しているのではないかと思われる。一時期は、事業に失敗し借金を抱えるが、何とか乗り切ったようだ。現在も中国の銀行に多額の借財があるという噂もあり、中国に貿易戦争を仕掛けるのもなんとなくうなずける。

 

クリントンは、品行方正で努力家、そこそこに勉強ができて野心もあり、女好きの好青年タイプ。ブッシュは、才能はないが、天性の人の良さと親父の七光りで何とかのし上がったお坊ちゃんタイプ。トランプは、商売人の父親に「金の稼ぎ方」を仕込まれ、脅しとごますりの才能に磨きをかけた典型的商売人二世タイプ。

 

オバマは、以上の3人の大統領に比べて、15歳も若く戦後世代ではないこと、アメリカ初の黒人大統領であること、演説のうまさ等が目立っているが、オバマケア政策以外にはこれといった新たな政策はなかった。現在の中国の経済成長と覇権主義に何もせず、知的所有権問題を無視したとか、イラクからの米軍の撤退を早めたためにISを肥大化させた等、無能な政策に対する批判が大きい。ブッシュ後のテロ対策を政策の主眼とすべきところをやりきれなかった。政治的経験の浅さと、生まれ育ちから推測できるが、周囲の人の空気を巧みに読む知恵が、「Change」のスローガンだけで何もしなかった大統領となったとも言える。

 

クリントン時代は、ITバブル期であり、アメリカのIT企業が飛躍的な成長をとげ、米国中が沸きに沸いた。不動産証券化、活発な住宅開発とともに新たな金融商品が次々に生み出された。クリントンにもこれといった政策はないが、しいてあげるとすれば政策手法に成果主義を取り入れたことぐらいだろう。成果主義とは、政策成果をアウトプットではなく、アウトカムで評価するという手法である。これがなかなかわかりにくい。アウトプットとアウトカムでは何がどう違うのか。このことは少しおいて、そもそも政策をどのように評価すべきかについては、古くから様々に議論されてきたにもかかわらず、何故この時期にクリントンが成果主義を唱えたかである。推測にすぎないが、アメリカ経済がITバブルによって奇跡的に再生・回復したこと、Windows95の登場によりインターネットの発展が期待され新たなIT市場が生まれること、情報通信技術の発達によりグローバルな金融市場が形成されると見込まれること、等々の経済成長をもたらした要因が、企業経営の成果主義による結果だともてはやされたことがあると思われる。当時、経済学者は、もはや米国に不況はないとさえ言っていた。今になって考えると、単なるイノベーションであって、すべて嘘だとわかるのだが。

 

クリントンは、企業経営の成果主義という考え方を政策手法に採用した。1980年代中頃から政策科学なる学問が登場し、NPMNew Public Management)という経営手法を政策に取り入れた。この手法を、政策評価に応用し、1993年に政府業績評価法 GPRAGovernment Performance and Results Act)という法律を制定する。この制度は、成果目標(アウトカム)を数値目標で示し、毎年評価するというものである。その後、同様の制度は、旧英国領である、オーストラリア、ニュージーランド、カナダで採用され、日本も採用した。

 

ところがである、9.11以後、政策の計画様式としては現在も継続しているが、肝心のアウトカムの数値目標なるものは、姿を消してしまう。さらに2000年代に入ると、住宅バブルとなり、企業の成果主義等はどこかへとんでいき、金融工学による荒稼ぎが主流となる。

 

当時、日本では政策評価だ事務事業評価だとどこかの県の知事が叫んでいた。細川内閣、村山内閣と革新政党時代のことである。

 

実は、この成果主義による政策運営というのは、実に面倒なシステムなのである。企業の成果主義などというものはいい加減なもので、利益の一定額を研究開発や社会貢献に使い、消費者の潜在的購買意識に良い企業イメージを植え付けることで、消費者が商品やサービスを選択する場合の優位性を確保するというものである。いわば、経営の保険のようなものをアウトカムというと思えば良い。こんなものが政策成果に利用できるわけがない。企業ならば、低コストで効果の高い方法に金を使えば良いが、政策となるとそうはいかない。くそまじめに、政策目標を検討し、成果目標なるものを何とか創り出し、それも実行可能な範囲の数値目標をひねり出す。そして毎年、毎年データを集め評価するのである。税金がこれでもかこれでもかと投入される。すべてが無駄であるとは言わないが、国や都道府県が実施している今の政策評価なるものは、90%は不要だ。1/10以下に簡素化すべきである。成果指標は不必要だ。定性的目標でよい。政策評価は、議会で議論すべきである。

 

米国は、日本の会計検査院とは異なり、議会にGAOという監査機関が設けられている。業績評価は、議会委員会の専権事項なのである。

 

ところで、新自由主義経済とか自由放任経済といった経済思想が、このクリントン時代に再燃する。IT革命でイノベーションに成功した米国にとって、グローバル化した金融市場は何はともあれ自由放任でなければならなかった。これに対しても、クリントンは何もしなかった。前述のNPMGPRA、そして費用対便益(B/C)という政策評価の3本柱は、この時代の新自由主義経済思想を理論的背景に形成された。

 

新自由主義経済思想なるものは、フリードマンらの経済学者達が提唱した。簡単に言えばというよりこれしか理論的根拠はないのだが、すべての経済は、市場に任せれば良いという思想である。それも完全に自由な市場にである。医療、福祉、教育等、行政サービスのほとんどすべても市場経済でやるべきだという。こんなことができるわけがないことは、ちょっと考えればわかることである。貧富の差、つまり格差の大きい社会では、教育さえままらないというのに、市場経済による教育経済システムなどを導入すれば格差はさらに広がることになる。さらにいう。格差が広がったら貧困層には税金とは逆に国から給付金を支給するのだそうだ。こうなると、自由放任の資本主義経済は格差社会を生み出すと証明しているようなものだ。

 

ところで費用対便益という経済手法にも問題がある。便益をすべて貨幣価値に換算して評価するというのが費用対便益分析である。公共事業などの公共政策の効果のうち経済効果として貨幣換算可能なものもある。例えば、道路や橋を作ればそれなりの経済効果は発生する。さらに、公共事業そのものが経済波及効果として雇用を生み、技術開発を促進させる。ケインズの乗数効果である。しかし、貨幣価値に換算できないものも沢山あるのだ。この便益という概念を研究したのがベッカーである。フリードマンの弟子であり、新自由主義経済を担いだ経済学者の一人である。とんでもない学者で、自殺の便益等とてもつもない貨幣価値への換算方法を考え出した。

 

新自由主義経済学なるものに、格差是正の経済思想といったものはちりほどもないのだが、格差社会が広がるとみると、前述のように貧困者への給付金制度だと主張し始める。これでは社会主義ではないか。そうか、新自由主義思想とは、状況に柔軟にかつ自由に問題解決に当たる経済手法なのだ。経済思想・哲学というには余りにも狭小であり、経済理論というよりは経済手法といった方が適切であろう。

 

自由放任の経済学だけではなく、特に経済学は、極めて危うい学問である。経済学に限らず、社会科学という学問(科学と呼べるかどうかは問わなければならないが)全般が危うい学問なのである。経済政策、医療福祉・教育等の社会政策、公共政策全般に対して、社会・経済学者は自説の経済理論(理論というよりは手法)は絶対正しいとしてやたらと実験したがる。こういった社会実験で成功した試しがない。日本のバブル経済は、フリードマンが日銀の顧問であった時期に一致し、マネタリズムそのものによってもたらされた。バブル崩壊した時には、急激な金融引き締めが原因でありもっと緩やかにすべきであったと言っている。バブルの前には円をどんどん印刷して、ドルをやたら買わせていたのにである。

 

何はともあれ、1990年代アメリカのITバブルは、その場限りの金儲けとばくちに明け暮れる金融経済に依存した自由放任経済システムへと突き進むことになる。これがクリントン政権の本質である。

 

クリントンからブッシュに替わってすぐに、あの9.11が発生した。米国にとって歴史的衝撃である。ちょうど徹夜で仕事をしており、テレビを付けっぱなしにしていた。すると、突然ニュースが飛び込みツインタワーから煙りが上がっている。何が起こっているのか放送している方もわからないようだったが、2機目の飛行機が突っ込んでいくところがリアルタイムで放送された。攻撃目標となったのが、ウオールストリートの貿易センタービルであり、アメリカ金融経済の中心地であった。

 

ブッシュも運が悪いというか、本来ならばクリントン政権下で起こってもおかしくないテロであるが、なにせ、外交的には何もしなかったクリントンの後に大統領となったのである。イラクのサダムフセインからみれば、父ブッシュの湾岸戦争以来、にっくきブッシュ一族である。

 

ブッシュ政権の最後の年には、あのリーマンショックに陥る。つくづくこの男はついていない。住宅バブルの芽は、既にクリントン政権下のITバブルと同時に発生していた。

 

テロ対策と経済再生という二大政策課題に対して、オバマは「チェンジ」と叫んで登場した。この男もオバマケアという医療改革だけが政策成果として挙げられるが、他にはこれといった政策はない。テロ対策どころか、イラク、アフガニスタンからの撤退、アラブの春とその失敗、ISの台頭、中国の覇権主義の助長等々と外交上の危機的失政を招いた。と言っても、当人はノーベル平和賞を受賞するというのだから話にならん。

 

そして、わがトランプの登場となる。堕落論2018にも書いたように、この男の登場にはいささかびっくりした。私がびっくりするより、当の本人が最も驚いたに違いない。まさか当選するとは思ってもいなかったのだろうから。当選するなりメディア批判、フェークを連発する。オバマケアの撤回、メキシコとの壁と移民規制問題、次いで、同盟国に対して驚異から守ってほしければもっと金を出せだ。今は、盛んにディールしている中国との貿易問題である。

 

この男の価値基準は、これまでの行動をみれば極めて単純明解であることが分かる。今、やれることをやるということだ。それが、選挙で勝つために必須であり、他のことはどうでも良いのである。しかし、考えてみれば、理想を掲げて挑んでみても、たかだか4年か8年で、世の中がそれほど変わるわけではない。それよりは、票集めであっても見たくない現実問題にメスを入れるのであれば、最も確かな政策である。それが遠い将来においても正しい政策であるかどうかは、誰もわからないのだから。今、トランプがやっていることは、少なくとも誰もが見たくない現実であることは間違いない。企業経営の本質は、理想を求めて、いけいけどんどんで闇雲に突っ走ることではなく、今、そこにある問題、それも誰も見たくない現実問題をいかに早く解決するかにかかっている。先送りしないで終わりにすることが重要なのである。

 

中国との貿易問題は、貿易問題が問題なのではなく、共産党一党独裁による共産主義政府が巨大化することに対する危うさーリスクーである。このまま放置するわけにはいかない。かつて、冷戦時代に、経済は東西に分断されていた。中国市場が自由主義圏とは一線を画すことになるのは、今の政治体制が続けばかなり近いうちである。それで困るのは金余りの投資家や企業だけだ。その時には、経済構造を作りかえればいいだけではないか。10年程度は相当苦労するかもしれないが、日本が生き残るには最善の方策である。日本企業も既に中国から徐々に離れ始めているとは思うが、そろそろ引き上げの方法とタイミング、他の民主主義国への移転を本格的に考えておく時期である。そのために、400兆円を超える内部留保を貯め込んだのだから。

 

トランプは、クリントン以来ほとんど何もしなかった大統領に比べればそれなりにやっている方である。ここまでくると、もう少し続けてやってくれと言いたくなる。アメリカ国民ももう少しやらせてみるかという感じになっているのではないだろうか。

 

何はともあれ、ここしばらくはトランプから目を離せない。米中貿易問題と覇権争い、北朝鮮問題と戦争、中東紛争等々、どれ一つとっても我々の生活と密接に関連する。メディアにとっては大喜びだ。メディアが煽らなくても、トランプがかってにやってくれる。

 

★平成から令和へ  あれやこれや

 

平成から令和へと元号が変わった。考えてみれば、現代では元号なるものに何の意味もない。歴史的には、中国皇帝による統治年を示し、紀元前140年の「権元」が始まりである。日本では、大化の改新(最近では大化の改新とは言わないようだ)が元号の始まりとされている。元号の平均年数を調べると、たかだか数年といったところだ。天変地異や政変があると、良い年にしたいと元号を変える。一世一元号となったのは、明治からである。明治時代以後、天皇の即位年数は、天皇と同年代の国民の平均的労働年数にほぼ一致するので、元号は、時代感覚というか時代性をなんとなく表している。

 

「令和」の典拠は、『万葉集』巻五の「梅花謌卅二首并序(梅花の歌 三十二首、并せて序)」/天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也」である。「令和」の選定については、文藝春秋2019年6月号に選定者の一人である中西氏が一文を載せており、令和の令は、麗しいという意味であるとしている。

梅花の歌序の一部は下記のようになっている。

于時初春令月 氣淑風和

時に初春の令月(この場合『令』は“物事のつやがあるように美しい”の意)

新日本古典文学大系『萬葉集(一)』(岩波書店)の補注では、「令月」の用例として詩文集『文選』巻十五収録の後漢時代の文人・張衡による詩「帰田賦」の下記の句を挙げているという。

於是仲春令月時和氣淸原隰鬱茂百草滋榮

仲春の令月、時は和し気は清む

 

天平二年は、西暦では730年であり、桓武天皇の平安遷都の64年前に当たる。大伴旅人が左遷されて太宰府に赴任し、正月の宴会で作った歌である。

 

令月の意味は、広辞苑によれば、

①万事をなすのによい月、めでたい月

②陰暦2月

となっている。参考に和漢朗詠集の例を挙げている。平安時代以後の解釈ではめでたい月や2月の意味で使われていたと思われるが、奈良時代のこの時代ではどうであったろうか。

 

その前に、暦について少し調べておく必要がありそうだ。天平2年頃、我が国で使われていた暦は、儀鳳暦という中国唐の麟徳暦を使用していた。この暦は、進朔という方法をとっていなかったので、暦と季節とのずれが大きかったと思われる。現在の暦は、グレゴリオ暦という太陽暦であるが、江戸時代までは太陰太陽暦あるいは陰暦、現代でいう旧暦であった。この陰暦は、地球が太陽の周りを回る黄道周期と月の周期とからなる二十四節気というややこしい暦である。1月1日を、冬至と春分の中間日として、1年を月の周期12で分割するが、一端1月1日を決めると1年で11日ぐらいずれてくる。このずれを補正するのが進朔という方法である。朔は新月のことであり、1日のことである。太陽と月・地球が並び、月が真っ暗になる日のことで、1直線になれば日食である。夜になって月が最初に見える日のことを朔日ということもあるが、この時代にどれを朔日としたかは分からない。しかし、大伴旅人が新春の宴を開いた正月13日は、望月、つまり満月だったと思われる。正月元旦の神社詣は、朔日の前日の夜の厄除け(節分)であり、元日のお祝いは、元来、1月の満月の夜に歳神(としがみ)を迎える神事であったものが1日元旦に行われるようになったと考えられるが、中国や日本の一部の地域では望月を1年の初めの祝いの日としている場合もある。歳神とは、民俗学、古代宗教の研究等でも知られるように、日本の古代では人が死ぬと山に葬った。通常、霊は山にいるが新年の初めに里に下りてくる。そのため、社(やしろ)が山の入口に作られ山から下りてきた霊が山に帰るまで止まるところとされた。

 

ということで、大伴旅人が開いた宴は、新年の歳神を敬う宴であると考えられる。太陰太陽暦は、1年の日数はかなり正確である。元日が新月であれば、満月は14日の夜中になると思われるが、新月から数えて14日目とすれば、13日が満月となったかもしれない。いずれにしても、まだ望月を年の初めとする風習はあったと思われる。梅の開花時期は、温暖化の現代では、奈良地方で1月末、九州北部で1月10日頃である。陰暦では、九州の梅の開花は12月末頃、奈良で1月上旬といったところだが、西暦730年ごろの平均気温はどうだったかである。これも研究されていて、屋久杉の年輪を炭素同位元素により測定して推定している。大化の改新前後は、寒冷期にあたりかなり寒かったようだが、この西暦730年前後から温暖化となっているから、現代ほどではないにしても、現代歴の1月末頃、陰暦の12月下旬には九州で梅が開花したと推定される。ということは、大伴旅人が歌ったように、初春1月13日頃は梅が満開であったと思われる。平安遷都後の西暦900~1000年頃の京都は、温暖期に当たる。2019年の京都の梅の開花は、2月24日であったから、平安時代中期では今よりはやや寒いので、満開は新暦の3月上旬、陰暦では2月上旬と考えられる。2月を梅見月と呼ぶのも納得できる。

 

令月の令という字を漢字源で調べると、上の「人」は、集めるとか、冠という意味であり、下の文字は、元来「ひざまづいて神意を聞くさま」と解説されている。

「帰田賦」の「仲春令月」は、仲春も令月も2月を示しているが、仲春はそのままで令月は2月と呼ぶ方が語呂が良い。つまり、「時は、春なかば2月」であり、仲春は2月にかかる言葉と解釈できる。しかし、大伴旅人の歌の解釈には次のように少し工夫がいると思われる。

①「時に初春であるが2月のようだ」

太宰府に赴任して初めての正月だが、奈良に比べてかなり早い梅の開花に驚き、「帰田賦」の句を借りて洒落たものと解釈する。

②「時に初春、歳神を迎えるめでたい月だ」

「令月」を先祖神を迎えるためのめでたい月と解釈する。「帰田賦」の2月の意味ではなく、「帰田賦」の句にかけたもの。

③「時は初春、麗しい月だ」

万葉集の常識的解釈。

 

大伴旅人の句に対する長い私見で恐縮である。「令」を単純に「良い」と解釈するには、やや抵抗があったためであり、何故、「令」を「良い、よし」と同義とするかについての説明がどこにも見られないためである。現代でも使われる、「令嬢、令息、令夫人、令兄」等の「令」は、敬称であり、しいて解釈すれば「ご立派なお子さん」等という言い方と同じである。「心から敬意を払います」という意味ともなる。「麗しい」という意味では余りにも意訳ではないかと思うがいかがだろうか。

 

さて、平成が30年続き、次の令和が現天皇の御存命期間とすれば、およそ30年といったところだろう。今の働き盛りの30代、40代の時代となる。令和時代の終わりは、2050年頃となり、人口は1億人を下回ると言われている。令和時代は、人口減少の時代だ。気候変動はますます激しくなり、関東大震災、南海トラフの発生確率は、70%以上と予想されている。「人智を尽くして天命を待つ」時代と言っては言い過ぎだろうか。もはや、人智では何ともしがたく、ひざまずいて天命を聞き、国民相和して奮闘努力する令和の時代となるのかもしれない。

 

★「今時の若い者は」  あれやこれや

 

今時の若者には欲がないと言う。最近の報道でも、欲のない若者についての特集があったと記憶している。「今時の若い者は」は、おそらく限りなく古くから、老人が当世の若者に対して抱く感嘆の普遍的言葉である。

考えてみると、私の若い頃にも、年寄りは「今時の若い者は」と言っていた。学生運動が過激化した時代である。当時の思想は、戦前からの大川周明、安岡生篤、文芸評論の和辻哲郎、小林秀雄、政治思想の丸山真男、福田恆存、吉本隆明、小田実、さらにマルクス・レーニンと、まさに思想の混濁、ごった煮状況であった。戦前・戦中世代においても、保守、中道、左派と様々であった。国鉄・私鉄のストライキは、当たり前の時代である。学生運動は、しまいには赤軍を名乗り、粛正、ハイジャック、国際テロにまで過激化する。こういった運動も、団塊世代が社会人になった1970年代半ばから、嘘のように消えていった。

 

今時の若い者は、何故こうも欲がないのだろうか。欲がないのではなく、欲のレベルが違うのではないか。いろいろ考える前に、まず「今時の若い者は」の「若い者」とは誰をさしていうのかから考えなければならない。

 

同じような表現に、例えば、「国民感情」の国民とは誰か、とか、「大衆」・「庶民」とは誰かといった疑問がある。スペインの哲学者、オルテガの名著「大衆の反逆」では、大衆とは平均的な国民をさすと言いながら、国民の何を平均するのか等、大衆とは何かについて論究している。そのとおりである。

 

今時の若い者」の年齢はどうだろう。まず、「今時の若い者は」という言う側の年寄りの年齢からみなければならない。年寄りが現役からはずれる60代以後と考えるのが妥当なところだろう。平均的には70歳前後と考えておくことにしよう。そうすると、70歳前後の人にとって若い人というのはどうなのかということだが、自分の子供達の年齢以前とみることができるのではないだろうか。70歳前後の人たちの子供の平均年齢を仮に40歳としておくことにする。次に「若者」の最低年齢であるが、労働力年齢の最低が15歳だが、投票権が与えられる18歳以上とでもしておこう。これで、「今時の若い者」を、18歳以上40歳未満と考えることができる。

 

次に、「今時の若い者の欲」とは何かを問わねばならない。欲といっても、前述のように種類・程度等、結構色々である。マズローの言う欲求5段階のどの段階のどんな欲望をさすのかである。生理的欲求である性欲が減退することはあっても無くなるわけがない。食欲について同じだ。飢えて死ぬかもしれない、生きていけないという恐怖は、確かに戦後の一時期に比べれば、現代は無きに等しいが、それでも生きたいという欲求にそれほどの差があるとは考えられない。

 

ところで性欲であるが、文藝春秋の今年の6月号に、「30代の150万人が「性交渉未経験」」という記事が載っていた。日本人の30代の人口のうち10数%が異性との性交渉未経験だというのである。イギリスやオーストラリアでは、1%~5%だという比較分析もされている。要因として、所得が低いとか雇用形態が不安定だとかが挙げられている。しかし、現在の失業率は、3%未満であり、ほぼ完全雇用状態に近い。所得が低いから彼女を作らず、セックスが未経験だというのには少々無理がある。未経験なのだから、一度も異性とセックスしていないのだ。全く、別の要因ではないのかという疑問がわくがどうだろう。例えば、ホモやレズが数%いるのではないのか、あるいは、肉体的欠陥(勃起不全等)があるとか、何らかの精神障害のある人達が数%いる等も考えられるのではないのか。

どんな要因にしろ10数%というのは、異常な状態である。仮に、肉体的・精神的欠陥によるとすれば、セックス未経験では済まされない社会問題と考えなければならない。現在の30代が老後になると、確実に単独世帯が10数%発生し、そのうち数%は精神障害があることになる。これだけで、将来の社会保障制度は破綻する。

 

話はそれるが、「今時の若い者」のうち、自閉症、発達障害、学習障害、精神病等々の精神障害者が何%いるのかは、全くわかっていない。DV、虐待等のニュース報道が後を絶たないが、これらも一種の精神障害である。田舎では、発達障害、学習障害の若者や、遺伝的な精神疾患のある若者が、都会に比べるとはるかに多いように見える。都会に出て行けないために、結果として田舎に残り、田舎に濃縮されるのである。こういった精神障害者に加えて、アルコール依存症や酒乱、ドラッグ漬けの若者の増加である。丸山某という国会議員が、戦争しなければ云々で維新の会を除名されたという。東大出のエリート官僚であっても、酒を飲むと思考回路がおかしくなる。あきらかに何らかの精神障害としか考えられない。

 

性欲の有無は別にしても、セックスをしたくないという若者に金銭欲や名誉欲、権力欲、達成欲といった野心や欲望はあるのだろうか。野心家や金銭欲の強い人間ほど、性欲も強いというのが一般的であり、英雄、豪傑、権力者の歴史がそれを示している。性的支配欲も強いのである。

 

NHK-BSの「クールジャパン」という番組で、日本の若者には欲がないというのをやっていた。「今時の若い者」は、リスクを避けるのだそうだ。リスクというのは、将来の損得勘定のことである。今、こんな行動をとれば、将来、損をすることが予想される場合には、行動しないということだ。それでは、将来どうなるかわからない場合、つまり不確実な場合にはどうするのだ。リスクというからには、不確実な場合には、勿論、何もしないということだろう。つまり、「今時の若い者」は、損得勘定だけを自らの行動基準においているということか。

今の世の中、何も変える必要がないという精神が「今時の若い者」の精神だそうである。確かにそうかもしれん。何とも平和で、仕事も選ばなければあり、食うに困らず、困れば親が何とかしてくれ、社会保障もそこそこにあり、差別もない、素晴らしい日本に暮らしているのだから、何も変える必要を感じていないのである。

「金で成功することは評価されない」のが「今時の若い者」だそうだ。会社を作り、大金持ちになったところで、何ほどのものか。「そんな者は、俗物」だと言わんばかりであるが、どうもそうではなさそうである。最近、噂のウーファーの日本法人が、初任給を倍にして募集をかけたそうだ。若者の目の色が変わったというから面白い。大企業が、横並びの給与しか出さない時代が長く続いた。高度経済成長期には、外資系の企業と日本企業では初任給で2倍近い差があったと思う。優秀な人材の多くが外資系に流れていったこともあった。

将来に安定を求める若者が多いのだそうだ。つまり、給与はそこそこでも、長く努めることができて安定していることを望むという。そういえば、バブル経済の崩壊後、公務員への就職志望学生が急激に増加した。高度経済成長時代の就職志望は、何と言っても民間企業であった。公務員の給与がかなり低かった。東京ではとても生活していけなかったのだ。しかし、その後公務員の給与が加速度的に上昇し、現在では、中小企業レベル以上、大手製造業なみの給与だろう。公務員同士で結婚し、共稼ぎであれば、何とも優雅な生活である。

ところで、「今時の若い者」は、政治の話はしないのだそうだ。政治の話をすると、シリアスな話になってしまうので避けるという。社会保障問題、選挙、国際情勢等々、考えてはいるようだが、報道等を見聞きして一人で考え、自分の思考だけで納得する。誰とも話さないのである。社会、政治、経済、環境といった問題は、仕事上の問題や技術的問題とは異なり、白黒の解決が得られない問題である。各人各様の意見がある。しかし、問題をどの視点で捉えるか、問題の本質はどこにあるかを探るためには、人との意見交換は重要であり、学ぶことの原理でもある。学ぶとは、単に知識を得ることではない。問題の本質を発見することである。思考の壁を打ち破ることだ。「今時の若い者」は、年寄りの話も聞きたくないのである。何とも、浅薄で、薄っぺらな「若者」が多くなったものだ。それでいて、政治問題を全然知らない訳ではない。「君はそんなことも知らないのか」と言われるのが嫌なのだろうか。知識などは、お得意のスマホで簡単に調べられる時代だ。昔のように、知らないことは恥ではないのだ。知らないものは「勉強します」と言えば良い。

 

年寄りは、何時の時代でも「今時の若い者は」と言ってきたが、最近はほとんど聞くことがなくなった。年寄りが言わなくなったのだ。そんなことを言うと若者から嫌われるからだそうだ。年寄り諸君、嫌われるような悪いことをしてきたのか。嫌われたっていいではないか。言わなければ、「今時の若い者」は、ますます内にこもり、精神病者のようになっていく。「今時の若い者は何をしている」、「私の、俺の若い頃は」と声高に叫ぶのだ。それが、若者に対するエールであり、励ましになると信ずる。

 

 

今の世の中まだまだ沢山の問題がある。社会保障・税の問題、グローバリズムとトライバリズム、共産主義と自由主義、資本主義と社会主義、日本の産業構造・・・・・・等々、考えてみれば、どれもこれも手に余る問題ばかりだが、問題の本質を探るにはまさに好機ではある。

現代は、古代から20世紀にかけて、人類が築いてきた真理探求の論理・哲学、思想なるものの大半が嘘か、あるいは間違いであり、新たな地平があるかもしれないという時代に入ったと感じるのである。こういった問題に対して、全く別の視座から考え直してみるとしよう。

                                           令和元年517
2019/06/06

堕落論2018 恐怖の思想―エピローグ―

  日産のゴーン会長が逮捕された。有価証券報告書に役員報酬を虚偽記載した容疑である。日産の2017年度の年商は約13兆円、純利益は5000億円であり、約14万人を雇用している。1998年には、負債額2兆円を抱え経営危機に陥ったが、1999年にルノーの出資を受け、ゴーンが社長となってリストラを断行し再建した。逮捕理由は、金融商品取引法違反とその他背任容疑である。脱税したわけではない。有価証券報告書には、1億円を超える役員報酬がある場合にはもれなく記載することが求められており、虚偽記載が明らかな場合には、1000万円以下の罰金または10年以下の懲役となっている。単年度分の報告でたまたま記載しなかったなら、それほど悪意があるものではなく出来心だったとして罰金程度で済むだろうが、8年間にわたって指示、実行したとなれば、株主への情報提供を意図的にゆがめたとして実刑(執行猶予はあるだろうが)は免れない。有価証券報告書への記載義務というのは、重みがあるのである。株の公開、市場からの資金調達には、透明性が重要であり、虚偽記載となれば重大な詐欺となるということだ。14万人の企業のトップとして人格欠如である。しかしだ、日産といえどもたかが民間の一企業にすぎぬ。儲けたら、経営者はそれなりの報酬を得るのは当たり前である。10億円なら良くて、20億円では駄目だという理屈がわからない。私のように、貧乏のどん底にいると10億円でも20億円でも100億円でも変わりは無い。私とは全く無関係な数値だからだ。

  ゴーンは、ルノーや三菱自動車からも報酬を受けていて、ルノーからも10億円弱の報酬があったそうである。ルノーの報酬も虚偽記載ではないのかと疑いたくなるが、どうなのだろう。3社の報酬を合計すると30億円を超える。これだけの報酬をもらいながら、ニューヨーク、パリ、レバノン、東京の住宅が社宅というのも何ともけちな話ではないか。ところで、社宅であっても家賃を払わなければならないのは、日本ぐらいなものである。世界的には、無料かほぼ無料に近いのが普通であり常識なので念のため。日本の税制がおかしいのである。企業経費に制限がありすぎる。ブラックマネー化することに神経質になるのは大いに結構だが、交際費は駄目、家賃は駄目、食費、保養費用は駄目、出張旅費は駄目では、景気が良くなるわけがない。そこまでして、法人税をとるのか。それなら法人税率など下げるのは一体何のためだ。話がそれたが、ゴーンは、これだけの所得を何に使っているのだ。住宅ぐらい楽に買えるだろうに。この人にとって美徳は恐怖なのである。美徳というものが世の中になければ、この人は罪を犯す必要がなかった。美徳、人徳を理解できないのである。徳こそが人を動かし、大義をなすことを知らないのである。

  ルノーの経営が悪化しているそうである。日産は、以前はルノーの支援を受けて再生したが、今度は日産がルノーを支援する番であるが、そうはうまくいかないだろう。ルノーは日産の持ち株を売るかもしれない。それも、中国企業等にである。この事件で日産の株も、ルノーの株も安くなるから、買うなら今だ。ルノーは、いわば国営企業みたいなものだから、あっさりと中国企業に売却することも十分考えられる。これからどうなるか、日産の従業員には申し訳ないが、面白くなる。それにしても、1999年当時、日本の政治家、経産省、経済学者、経済人は何をしていたのか。それどころではなかったか。何もしなかった10年、20年の真っ最中だったのだから。

  話はそれるが、ネット企業や携帯電話会社の純利益率は、売上高の10%~20%にも達する。日産など製造業の純利益率は、せいぜい5%程度がいいところだ。このネット企業や携帯電話会社の儲けすぎはどうするのだ。消費者や利用者では、どうにもならぬ。回線使用料が安すぎるのか、安すぎるとすれば、回線使用税かなにかを創って税金でとる以外には方法がない。それとも、企業競争が機能していないのではないのか。独占禁止法、公正取引はどうなっているのだ。法人税制、企業競争に関する規制、誘導はどこかおかしい。経済循環の認識、原理が、どこかゆがめられている。世の中の政治家、経済学者なるものが、経済、経営活動の実態を知らない、知らないというよりは体験・体感がないために、知識と単純なモデルで制度やシステムを作る。制度やシステムに不具合があると、さらに知識とモデルで改善・改正と称して変更する。これを屋上屋を重ねるという。景気が良くなったといいながら、個人の消費額は減少している。景気がよく見えるのは、株価ぐらいのもので、消費性向が減少すれば景気が悪くなるのは目前ではないか。企業に金を使わせないように規制ばかりしていては、景気が良くなるわけがない。
  
  人手不足が深刻だそうである。外国人労働者を雇用しなければならないという。本当なのか。必要なのは、低賃金労働者のことではないのか。介護人材が必要だと言うが、介護要員の給与は、毎年上げられるのか。農業労働者が必要だという。今だって、インドネシア当りから大量の季節労働者が来ているが、逃げ出すものが相次いでいる。昔のたこ部屋みたいな宿舎に押し込まれ、午前3時から午後5時まで働かされては、たまったものではない。勿論、午前中の休息はあるというだろうが、朝飯がにぎりめしだけでおかずもないというひどさだ。農業技術研修などはどこでやっているのだ。キャベツもぎ、大根抜きが農業研修か? 同じ外国人が、毎年来るなどということは皆無といって良い。それでも、経営手法、農業生産技術、販売方法、語学研修等をきちんとやっている農家には、毎年同じ外国人が来ている例もある。彼らは、帰国してそれなり母国で成功し、地域リーダーとして活躍しているものもいるし、そのまま日本に定着し、日本で農業を行っている者もいる。こういった例は希であり、受け入れ農家の技術・経営水準が高く、経営者の人格が優れている場合に限られる。外国人労働者を受け入れる場合には、まず、日本人経営者の資質、技量を磨かなければならない。

  自民党は、急ぐ必要があるというが、オリンピックに向けた建設労働者不足を何とかしたいだけではないのか。オリンピックの施設の建設業者の倒産報道が目立つ。東京都の小池知事が、何も発言しないのはなぜだ。小池知事だけではない。地方から何の声も上がらない。野党も困ったものだ。人手不足の実態をなぜ独自に調査しないのだ。労働力不足は企業にとって恐怖なのか? 給料を上げればいくらでもとは言わないが、それなりに労働力を確保できるのは当たり前のことである。給料は上げられない。低賃金、単純労働力があれば儲かるという、中小・零細企業が人手不足なのである。地域に根ざし、頑張っている中小・零細企業も多いが、給料を上げよ。それで経営ができなければ廃業せよ。そうしなければ堕落するだけだ。中小企業の廃業が多くなるということは、大企業も危ないということである。この問題は、大企業の問題である。まず、政府公共事業・委託事業の人件費を上げよ。それも中途半端では駄目だ。大幅に上げる必要がある。次に大企業の給与も上げよ。

  ボブ・ウッドワードの「Fear(恐怖)」がアメリカでベストセラーになっているという。トランプの政策を批判した本であるが、著者があのウオーターゲート事件の担当記者ということも人気に拍車をかけた。フランス革命時代のジャコバン派が行った恐怖政治が、現代の先進諸国で再現されることはない。民主主義社会において、国民の多数が「正義」ではなく「わかりやすさ」を選択した時に恐怖の政治が始まるのである。地球温暖化に潜む恐怖は、気候変動の原因が温暖化にあるという「わかりやすさ」が、温暖化対策という短絡した政策へと向かわせることである。政治、経済、科学、宗教観、企業規模、消費規模等、100年前とは比べものにならないほど進歩している。進歩とは何かを定義するとすれば、「複雑さ」の度合いであるといえる。なにもかも、100年前に比べ複雑になっている。「恐怖」も例外ではない。恐怖の政治、恐怖の経済、恐怖の社会がいつ見えてくるかは、誰も予想できない。法律、規則、ルールでがんじがらめの社会になればなるほど、それらをすべて否定する陰の、裏の社会が必ず力をつける。ギャング、やくざといった既成の非社会的組織ならまだしも、権力を握る政治組織、官僚組織、大企業の経営組織が秘密結社のような裏の組織が自然発生的に生まれると考えるべきである。社会・経済の進歩に潜む堕落とは、こういうものだ。裏の組織は、確固たる意志をもって作り出すものではない。腐敗と堕落の泡のようなものが組織の中で、ボコボコと誕生する。しかし、この泡の存在を誰も知らない。これこそが、進歩した社会における恐怖である。
                                                                2018/11/26
2019/05/29

堕落論2018 恐怖の思想―民主主義・自由・言論・ネット社会―

 ネット社会が、人間に潜む飽くなき欲望の情報空間であることは、これまでも何度か論じてきた。ツイッター、フェースブック等々、SNSと言われるサイバー空間は、あらゆる画像、動画、音、言葉で満ちている。日常の他愛もない出来事から、金儲け、セックス、中傷、宗教、政治問題・・・・そして私のブログのような言論である。ネット社会は、情報だけの社会なのだから、むなしいものだと言えばそれまでであるが、ネット社会がどのような社会であるべきかを考える意義はある。ネット社会は、民主主義の投影なのだろうか?

 ところで民主主義とは何なのだ。日本では、戦後民主主義として、戦後の占領下に押しつけられたアメリカ民主主義ということになっている。民主主義という言葉は、民主と主義という二つの言葉からなる。「主義」と言う言葉は、福地桜痴(源一郎)の訳と言われている。福地は、英語のPrincipleの訳として用いたが、Principleの語源は、Prinであり最初のことを意味し、原理、原則を指している。原理、原則から発展して、体制、制度まで意訳されることになるが、さらに意訳すれば「良いこと」とも言える。ちなみに「社会」も福地の訳である。「社会」は、Societyの訳であるが、Societyの本来の意味は、「仲間」である。同業者仲間とか、クラブ仲間といった意味だ。民主主義は、民主を原理・原則とする制度・体制のことになる。それでは民主とは何かと言えば、これは古い中国の言葉、漢語である。本来は、民の主(あるじ)、つまり君主、皇帝のことであるが、いつの頃からか人民に主権があることの意味に使われるようになった。日本語には、このように元々の意味と真逆の意味になることがよくある。言葉の定義にあまり厳密性が要求されないことも日本語の特徴かもしれない。

 さて、君主が存在する国で、人民に主権がある制度のことを民主制と呼ぶ。イギリスとか日本のように女王や天皇等の君主がいる民主主義のことである。これに対して、フランス、ドイツ、アメリカには君主がいない。君主がいなくて民主主義である制度を共和制という。ややこしいはなしだが、いずれも民主主義に変わりはない。共和という言葉は、中国の史記にあるらしい。共同和合の意味である。共和に相当する英語はなく、Republicと言う場合には共和政体をさす。元来は民衆の物という意味であり、公共財であり、政体をさす。政体は国家ではないのかというと、話がややこしくなるが、厳密には国家と政体は別物である。日本という国家は、領土と国民という物理的存在であるが、政体は国家の運営・経営を司る主体、組織をさす。というこで民主制も共和制も民衆の合議制による政体運営という意味では同義である。

 さて、○○主義という言葉だが、この言葉にはある特定の明確な思想という意味が込められている感がある。しかし、古い中国語では政治思想などではなく、個人的な思考・嗜好をさす言葉のようである。例えば、私は肉を食わない主義だという言い方である。英語では、-ism(イズム)が付けられる。何とかイズムである。コミュニズムは共産主義、キャピタリズムは資本主義、リベラリズムは自由主義と何でもイズムになる。-ismを辞書で引くと、Doctrineと同義とある。教義、学説、政策上の主張のことである。だから、自由主義というときには自由に関する学説、主張を意味する。しかし、民主主義の英語は、 Democracyでありismは付いていない。Democracyを民主主義と誰が訳したかは全く不明である。Democracyは、古代ギリシャ語のデーモスとクラトスとを合わせた言葉であり、人民・民衆による権力・支配を意味する。反対語は、アリストス(優れた人、哲人)による支配、寡頭制である。古代アテネの都市国家では、権力者の選出は市民権を有する市民による直接選挙で選出された。

 Democracyという言葉は、民衆による国家経営の単なる手続き・手法を指しているにすぎないと考えられる。Democracyが民主主義と訳されると、人民主権の確固たる思想にまで拡張されてしまう。どうも言葉というものはややこしいものだが、明治維新という近代化がもたらした我が国特有の言論の混迷と言わざるを得ない。明治維新以前に○○主義という言葉を見つけることは困難である。なかったのだ。確固たる自己主張を嫌った日本人には、○○主義という言葉は適切ではなかったこともあろう。欧米でも、○○主義という言葉が、思想・哲学用語として登場し、知識人が頻繁に用いるようになるのは17世紀以後であろう。個人主義、自由主義、重商主義・・・・。哲学・思想論争、経済論争、政治・政策論争等々のいわゆるディベートにおいて自らの主張と他の主張とを区別し二元論で整理するためにこのイズムという言葉は都合が良いのである。およそイズムは常に対語(反対語)となっている。

 民主主義の定義はこれぐらいにしておくが、この民主主義なる言葉をことさらのように啓蒙したのが戦後義務教育である。こう言われると、クラス会、生徒会等を思い出す方も多いだろう。級長や生徒会長の選挙、クラスでの議決は、多数決で決めるが、この方法を民主主義と呼んだ。多数決民主主義と言うそうだが何とも大げさな表現である。参加者多数決方式とか何とか言えば良いものを、民主主義とは大げさにもほどがある。この民主主義の延長線上に、市長選挙、地方議会、国会がある。物事は多数決で決めなければならないという思想が戦後民主主義なるものの本質である。多数者の意見が正しく、少数者の意見は正しくないので、多数決で決まったことに少数者は従わなければならない。従うのが嫌なら所属する組織から出ていけば良いが、学校もそうだが地域社会、国からそう簡単に出て行くわけにはいかないから、少数意見者は多数者に従属することになる。民主主義社会では、自由は多数者にのみ与えられ、少数者は制約を受け、自由が制限されるのである。国会で決まる法律は、全てこの命題から逃れることはできない。

 自由についても、遙か昔から議論されてきた。ミルの自由論等は有名である。一般的に「自由」を論じる場合には、あくまでも個人としての自由という前提条件で論じられる。社会あるいは組織の構成員としての自由、政治的自由については、ミルの自由論、バーリンの自由論に常識的に論じられるにすぎない。つまり、集団・組織の法律、ルール、約束等を前提条件として、個人は、人としての道理を守る限り自由であると。しかし、民主主義の多数決の原理は、少数者の自由を奪うこともある。ミルの自由論においてもこの点は指摘されている。戦後民主主義なるものは、社会秩序を維持する上で最善であるかのごとく、小学生から職場まで、全ての国民を啓蒙した。単なる、集団秩序の意思決定の手法にしか過ぎない単純な多数決手法をである。

 法律は、議会で決定される。議会は議員で構成し、議員は国民の投票で選ばれる。どんな法律をつくるかは、選挙の時点ではわからない。国民は、法律の意義、効果については、ニュース報道以外に知る方法がない。それどころか、国民は、その法律について議会で反対を表明することもできない。議員に議会決定の全てを委託しているからだ。

 自由を辞書で引いてみると、中国の後漢書に登場するというから、古い中国の言葉であるらしい。元来は、勝手気ままの意味で使用していたとある。哲学的、政治的に用いられる現代の自由ではない。英語では、Freedom、Libertyである。両語とも、抑圧からの解放を意味している。人間が、勝手気ままに、やりたいことをやっていたらそれこそ大変なことになるが、奴隷として自由を奪われ、売買され、殺されるという言いようのない抑圧もまた大変である。

 奴隷制についてちょっと見てみよう。古代では、奴隷は当たり前である。古代ギリシャの都市国家では、それこそデモクラシーの国家であるが、都市間の戦争は、日常茶飯事であった。負けた国家の民は、男は子供から老人まで全て殺され、女は奴隷とされた。プラトンもアリストテレスも奴隷制は当たり前、常識であると考えていた。ヨーロッパの奴隷制の廃止は、19世紀前半から中期にかけてイギリス、フランス等が廃止している。アメリカは、リンカーンで有名であるが、1865年に廃止された。隣の韓国には、奴婢制度が儒教的階級制度として定着しており、実質的には日韓併合(1910年)の前年に廃止された。中国の奴隷制も1909年で建前では廃止となるが、実質的には1949年の中華人民共和国の建国まで存続していた。我が日本は、律令制がとられていた奈良時代後期から平安時代前期までは奴婢制があったが、律令制の崩壊とともに姿を消した。日本の制度というものは、西洋や中国等に比べて明確な定義のないままに時代を重ねる、つまり習慣法的な性格が極めて強く、いつのまにか忘れ去られていくという摩訶不思議なものになっている。それでも、人身売買は残っており、実質的な奴隷制は、かなり続いたと考えられる。森鴎外の小説「山椒太夫」は、平安時代後期の人身売買の物語であるが説経節をネタ元にしたと言われる。江戸時代の飢饉では農家が娘を売っていた。ただし、江戸幕府は、度々人身売買禁止令を出していたようだが、世の中は、年季奉公という名目でかわしていたようである。ただし、実質的な賎民差別はあり、現代に痕跡を残している。

 西欧、中国等、日本を除く多くの国家では、長い間奴隷制が合法であった。圧政と奴隷制からの解放が近代に入ってやっと実現に向かい、改めて個人の自由とは何かが政治思想の主要命題として取り上げられることになる。民主主義に自由が内包される思想は、抑圧からの解放という歴史を踏んだ欧米国家が近代に獲得した思想と考えられる。日本では、江戸幕藩体制に圧政がなかったかと言えば、度重なる飢饉と百姓一揆をみると圧政に近いとは言えるが、西欧、中国、韓国のような奴隷制はない。しかし、武士階級とそれ以外、農民の移動禁止等、自由を束縛するルールは存在した。武士道などは、武士階級が自らに課した死のルールである。見方を変えれば、自由死のための作法とも言えるだろう。世界の中で日本だけが西欧的政治制度や中国・韓国の儒教的階級制度とは異なる、士農工商という緩やかな階級制とその階級制を維持するために、支配階級である武士が自らを律するために作りあげた美徳による統治であった。それがである。明治維新以後、西欧近代主義が生み出した自由論が日本に襲いかかるのである。それでも、明治の先人達は、巧みに情報を選別して政治制度や種々の思想形成に利用した。しかし、輸入思想の混濁は今に残っている。民主主義思想は、自由、平等等の思想とともに戦後民主主義なるものとして現在まで混濁したままである。

 輸入思想であれ、伝統的思想であれ、現代の社会・個人の生活においては、ほとんど何の関係もないといえなくはない。無関係に見えるのである。結婚もせず、政治には関心がなく、今を楽しく生きれば良いと考える若者達。それでいて、何となく虚無感が漂い、徐々にニヒリズムへと落ち込んでいるように見えるのは何故なのだろうか。こう感じているのは私一人だろうか。ハロウィンとかで、渋谷に繰り出したおびただしい数の化け物達。かつて、若い頃、アメリカでハロウィンを経験したが、渋谷のは何とも異様な光景であった。ケルト人の魔除けが由来らしく、アイルランド系移民の多いニューヨーク当たりで盛んに行われており、化け物パレードまである。それにしても、ゴミは散らかし放題、物はぶっ壊すとは。こんなことをやるぐらいなら、ストライキやデモでもやってくれ。移民政策が本格化しそうな雰囲気だし、給料は上がらず、企業は400兆円もため込んでいる。国は、夫婦共稼ぎをやれという。医療保険だって破綻しそうだし、介護保険などというあきれた制度まであり、将来年金はもらえても生活できそうにもないぞ。日本の労働組合なるものは一体全体何をしているのだ。働き方改革で満足してしまったのか。学生諸君、今は売り手市場だが、もうすぐ移民で仕事が奪われるぞ。君たちごときの技能では、移民者のハングリー精神には勝てそうにないのだ。

 昔から、年寄りは、「世も末だ」と嘆いて死んでいったが、そう簡単には「末」にはならなかった。しかし、明治維新、日露戦争、第二次世界大戦と、この150年間で三度も「末」を経験した。特に、第二次世界大戦の敗戦は、まさに「世の末」であった。「世の末」から立ち直り、どうやら平和になったと思ったら、白人至上主義、虚無な若者達、ニヒリズムへの傾倒、ネオナチ、オルト・ライト(オルタナ)・・・・等々、ISもびっくりしそうな言論、思想がいつのまにか世界中で同時進行しているでなないか。

 西部邁氏がなくなってからもうすぐ1年になる。保守思想家として言論人として実に痛快な人であった。私の師匠の一人である。ずっと昔、若い頃にお会いしたことがあるが、言論人としての人格に磨きがかかったのは、60歳を過ぎた頃ではないだろうか。民族の歴史、伝統、文化こそが国家の骨格であり構造である。アメリカなどという伝統のない人工的国家を国家と呼べるか・・保守の神髄はここにある・・・私にはこのように聞こえてきた。話は逸れるが、西部師匠の言論は、そこらへんの物知り顔の言論人にはない、独特の臭いがあった。人によってはそれを下品だとか、厭らしいとか感じる者もいたかもしれない。しかし、人生において失意のどん底を経験し、貧乏の極みまで追い詰められた人間は、こういった経験のない人間にはわからない独特の臭いをはなつのである。それは、感性と理性の絶妙なバランスが生み出す独特の言論表現と言っても良いだろう。経験と直感というフィルターを通さない言論に価値はない。堕落の底を自分の足で歩いた者だけに思想、哲学を語る資格がある。西部師匠が挑み続けた言論は、机上の、脳内の、思考のみで作りだした言論ではなく、思考結果を体験、経験、直感という感性実験を通して思想へと昇華させることであったと思われる。年老いた思想家にとって、過ぎし日の経験のみが自らの思想のよりどころとなる。それではならぬ。たとえ老いた肉体であっても、生きている間は生きるという体験と思考との循環がなければならぬ。死の体験は、西部師匠の最後の思想への挑戦であった。

 さて、アメリカの中間選挙が終わった。トランプ政権の2年間の評価が下されたが、大方の予想どおり上院は共和党、下院は民主党となった。選挙結果に対して、専門家なるものが、アメリカの分断に拍車がかかったとか、多様性が増加したとか、何が分断で何が多様化なのかほとんど意味不明の単語を並べている。分断とは、右派と左派に極端に世論が分かれることを言うらしい。極右と極左でもいいだろう。どこかの国では、極右と極左が手を組んで連立を図ったという最近のニュースがあるが、これは分断ではなく融合になる。トランプよりのミニトランプを右寄りの保守といい、サンダース寄りの社会主義擁護派を左寄りのリベラルというらしい。アメリカばかりではなく、およそ民主制の国家というものは、右と左に大きく揺れ動くものだ。民主制は、物事の決定に時間がかかる。少数派の意見も取り入れるから中途半端な決定になることは避けられない。しかし、決まらない状態が長く続くとさすがに社会に様々な歪みが生じる。例えば、保険制度の不公平制や、公務員の堕落などである。そうなるとジャーナリズムが儲けるチャンスとばかりに、大衆受けする情報を流す。大衆は、刺激的な情報に飢えているからそれとばかりに政治批判、体制批判に回る。いよいよ政党の出番となり、革新性をスローガンに刺激的で極端な言葉で大衆を扇動する。これが、右寄り又は左寄りである。専門家なるものが、分断された社会などと声高に叫ぶのも大衆受けを狙った自己宣伝だ。アメリカは、遙か昔から、白人社会から様々な人種の社会へと変化していたことは、オバマ大統領の誕生で明らかではないのか。今更、多様性などとことさらに分析する必要もない。多様な人種、多様な宗教で構成された社会が、法律以外の何を基に国家の基盤となる社会秩序を形成しうるのか。アメリカという国家は、21世紀の今でも実験国家である。

 アメリカが社会主義国家になるわけがない。だから、社会主義擁護派のリベラリストというのもおかしな話だ。アメリカだって国家体制は社会主義であり、世界一の軍隊等はその代表格である。サンダースの言う社会主義といっても、福祉、教育等の公共サービスの拡大を意味しているに過ぎない。トランプ流の保守思想だって当たり前の話だ。日本をみろ。移民は原則禁止である。不法に入国すれば強制送還だ。周囲を海で囲まれているから、壁は作る必要がない。貿易不均衡だから関税をかける、そのとおりではないか。中国が知的所有権を侵害しているのは、公然の秘密であり、テクノロジートランスファーとか何とか言ってごまかしているにすぎない。そんな国は許さないというのも納得がいく。自由貿易だ、グローバル化だなどと叫ぶ方がおかしいのだ。国境を越えた、グローバルで自由な経済、経済に国境はないという思想は、正しいのか。思想だから正しいとか、不正とかの問題ではないが、アメリカの保護主義に対して、自由貿易こそが正義なのか。

 確かに、貿易は、古代から行われてきた。2400年前のギリシャ・アテネの経済は、貿易で成り立っていた。都市国家であり、農業生産はゼロに近い。ギリシャ時代の経済システムというのは、今でも理解に苦しむ。小さな都市国家のほとんどが貿易によって国家経済を成り立たせているのである。そのかわりといっては何だが、しょっちゅう戦争をしている。やくざの抗争と同じで、シマの奪い合いだ。勝てば、奴隷、つまりただの労働力が手に入る。いわば、戦争は一種のビジネスではなかったのか。貿易の対象商品は、金属加工物、壺などの陶器、酒だ。当時としては、先端の工業製品である。おわかりか、技術革新に成功した都市国家が富を得る。製品開発だけではなく造船、武器、戦闘技術も技術革新されるから、貿易国家はますます強くなる。かくして、アテネは古代ギリシャの覇権を握る。

 国家経済は、技術革新、貿易によってのみ維持される。しかし、我が日本の江戸時代は、鎖国政策をとっていたから貿易量は僅かであった。江戸時代中期以後の100年間ぐらいは、人口3千万人程度で安定している。国内だけで完結した経済システムであるが、幕藩の財政は、相当厳しかったようだ。上杉鷹山のように、藩の特産物に知恵を絞り、江戸に移出して稼がなければならない。200以上の大名国家が、農産物、工芸品に知恵を絞るだけ絞って100万都市江戸に移出を試みた。織物、工芸品等に見られる伝統的技術の大半は、この江戸時代に確立された。さらに、色彩、デザイン、構図等の美的感覚と絵画的技術も同様に磨かれた。何のことはない、江戸時代はギリシャの都市国家と同じようにイノベーションの時代なのである。ただし、戦争というビジネスは許されなかった。

 西欧社会における戦争というビジネスは、第一次世界大戦まで続いた。戦争に負けたドイツは、現在の日本円に換算すると200兆円を超える賠償金を請求された。これがナチズムを生み出した。ちなみに、この額はその後1/40まで圧縮されるが、1990年から2010年までかけて残りの分を支払っている。賠償金だからビジネスとは言いがたいというかもしれないが、現物、つまり戦争で失われた家畜、燃料等は現物賠償となっているので金は相手国に支払われる。賠償金を受け取った国は、戦死者への補償等はしないので、国が勝手に使うことになる。韓国との慰安婦問題で、我が国が韓国に支払った賠償金には、慰安婦補償や徴用工補償も含まれているはずだが韓国政府は何もしなかったのと同じだ。

 ここまで見てくると、国家経済というものは、イノベーションと貿易なしには存続しえないことがわかる。国家間の貿易を自由にするということは、経済が一体的になることを意味し、経済からみれば国境が必要ないことになり国家も必要がないことになる。国家が存続していくためには、国家間の自由な貿易、自由な経済は、原則禁止にしなければならない。ここに、経済と国家の関係に矛盾が生じる。国家でありつづけるためには、イノベーションと貿易によって豊かな経済を作りださなければならないが、自由な経済、貿易は国家を崩壊させる。イノベーションも同じであり、革新的な科学、技術は、グローバルな環境で生まれ、世界中から情報を収集する必要があるが、国境を超える自由な技術革新は、国家の衰退を招く。

 国家が存続するためには、国境を越える自由なイノベーションと貿易、つまりグローバルな経済を適当に調整・制御しなくてはならない。トランプを除く多くの国家リーダーは、グローバル化、自由貿易を叫んでいる。しかし、叫べば叫ぶほど国家存続の意義が問われることになる。大衆、民衆にとって国家とは何かである。

 そこで、国家とは、風土、言語、宗教、伝統を一にする共同体であると定義してみよう。特に、歴史が大きくものを言う。国家には、歴史が不可欠なものとするのである。それも長い歴史がなければならない。日本の歴史は、記録が残っている時代でみると1500年程度といったところだろう。ヨーロッパにしても、記録があるのは、ギリシャ、ローマが主であり、スペイン、フランス、イギリス、ドイツ等にローマ時代の遺跡がある程度だ。イタリア、ギリシャ以外の西欧諸国でもせいぜい1900年程度と考えられる。特に、古い文字・言語の記録があるのは、エジプトとバビロニアであり、4000年以上であるが、現代の言語にその痕跡は見られない。言語の歴史からみると、北アフリカ諸国、アラブ、ペルシャを起源とする中東諸国のうちトルコ等の一部の国家が2000年以上である。これらの諸国と比較すると、アメリカなどは、僅か250年だから、日本の江戸時代中期、徳川吉宗以後の歴史しかない。世界を見回すと、歴史の浅い国が意外に多いことに気づく。南北アメリカ大陸全土、ロシア、東南アジアの一部、東欧圏の一部、アフリカ大陸中南部、オーストラリア等であり、地球の陸域面積の6割以上は、歴史の浅い国家だと言って良い。中南米の古代マヤ文明は、1万年前からとされるが、中南米全体が17世紀以後、スペインの侵略により破壊されており言語も喪失している。このようにみてくると、言語、文化、歴史を今に残す国家としては、エジプトを起源とする北アフリカ諸国、ギリシャ・ローマを起源とするヨーロッパ諸国、ペルシャを起源とする中東諸国、漢字4千年の歴史を残す中国、そしてこれらには及ばないが我が日本ということになる。 

 ところで、中国の覇権主義が近年国際問題として浮上している。一帯一路だそうだ。陸の鉄道網は既に東欧にまで達した。海路は、南沙諸島の軍事基地化をはじめとして西太平洋、インド洋まで進出している。港湾整備の資金を融資し、返済が困難になると90年間の管理権を獲得する。中国の海外基地づくりに関する新手の手法といったところだろう。中国の海外経済戦略はかなり荒っぽく、融資と人の移住であるが、ひょっとしてかつてのソビエト社会主義共和国連邦のように、中華人民共和国連邦を目指す野心があるのではないだろうか。今でも香港、北朝鮮、チベット、内モンゴル自治区で連邦制国家になることは可能だから、そのうち台湾、ベトナム、カンボジア、フィリピン、タイ、ラオス、ミャンマー等々を金で取り込むということは考えすぎだろうか。

 中国の人口はおよそ13億8千万人、ほぼ14億人であるが、1880年頃の地球の総人口に匹敵する。中国を統治するということは、1880年代の世界を統治しているのと同じなのである。インドの人口は、約12億人で中国とインドの人口を合わせると26億人となり、1950年代の地球人口に匹敵する。中国、インドの統治システムによって、1950年代の全地球の統治が可能となる。考えてみるまでもなく、中国やインド政府の統治システムとはとてつもない代物である。経済、技術、軍事、統治システム等々の進歩がもたらした結果ではあるが、大衆・民衆の経済水準の向上が現在の国家統治をどうやら可能にしている最大の要因であろう。経済成長がとまり、貧富の格差が拡大するともはやどんな統治システムをもってしても国家の存続は困難となる。インドは民主主義、中国は共産主義と統治思想と制度は異なるが、共通しているのは資本主義という経済システムである。資本主義であって継続的な経済成長があり、所得の再分配がうまく機能している間は、国民大衆の生活においてどんな政治思想も無関係である。平たく言えば、毎年給料が上がり、税負担に無理がなく、合理的な社会保障制度があり、公共事業が毎年一定規模実施され、犯罪が少なく安全であり、政治が堕落・腐敗していなければ、どんな政治制度であっても国民大衆の多くは満足する。インド、中国は、どうあっても経済成長と公共事業を止めるわけにはいかない。止まると国家が崩壊する。崩壊したときには第二次世界大戦の数倍の規模の戦争が始まる。この二つの国は、核爆弾を保有しているのだから。

 しかし、もう少し踏み込んで考えると、経済成長や技術革新がそんなに長く続かないことは明らかだ。我が日本が全てを物語っている。1955年を成長開始時点、1990年を成長終焉と考えるとわずか35年しか続かなかった。現代の技術革新は、1960年代に比べると遅々としている。マイクロソフトでもグーグルでもネット・ニュースの技術情報を見ると、スマホや自動車のニュースばかりだ。こんな程度の技術革新は、革新とは言い難い。人工知能だって同じである。もはや画期となる技術革新が生まれる可能性は、確率的にもかなり低い。既存技術の製品が人口の半数程度にいきわたると、恐らく成長は鈍化し、低成長となる。日本のシンクタンクは何をしているのだ。自然環境がどうのこうのと政府の提灯もちみたいな調査レポートばかりでは存在価値がない。インド、中国の未来シナリオをしっかり描け。単純なモデルでも、中国で今後10年以内、インドで20年程度で国家崩壊の危機があるというシナリオは描ける。こういったシナリオを描く場合、最も重要な要素は、その国がよってたつ政治思想、国民大衆の土着思想・宗教感である。

 民主主義と自由のテーマが、とてつもない方向に進み始めた。言論とは、本来こういうものだ。一つのテーマについて、広い領域に目を向けて関連する問題を片っ端から取り上げ、その議論の限界、これ以上は議論をしても堂々巡りを始める限界点を探るのである。深くえぐるのは、テーマやそれに関連する言葉の持つ根源的意味、本質的意味に限定する。広い領域に目を向ける時には、広く浅く、つまり大きな視野が必要となる。そして、科学技術については専門的知識と正確性を、歴史、思想については深い洞察力と直感力が要求される。ここでいう洞察力とは、ものごとに対する評価の多面性、多元性である。直感力とは、知識による判断をさすのではない。言葉を認識する知力と知的経験とが融合し、論理を超えた脳内領域で生じる瞬間の判断、ひらめきである。現代における言論とは、18世紀から続く哲学や論理学の系譜とは全く異なる。言論は、思想的論究と科学的根拠による問題限界の重層的証明でなければならない。

 さて、現代のネット社会をみてみよう。トランプのツイッターで有名になったフェイクニュース、極右勢力によるヘイトクライムやナチズムの喧伝、イスラムテロ集団の残虐行為、そうかと思えば、殺人、爆薬製造、自殺幇助等の異常者の世界、悪質なアダルトサイト、出会い系サイトというあからさまなセックス交換サイト・・・・・・・。ネットTV、ニュースサイト、ネットラジオもある。とにかく、画像、音、文字、情報といわれるものは全ての種類の情報がネット上にある。

 これらの情報のどれが正しく、どれか正しくないか。どの情報が正確でどの情報が不正確なのか。何が事実でなにがフィクションなのか。一つの情報から判断することは困難である。例えば、グーグルのニュースサイトには、新聞社のニュースもあれば、その他のニュースも混在している。マイクロソフトのニュースサイトに至っては、これがニュース報道かという内容の情報まで入っている。よく、言われることだが、大手新聞社のニュース報道は、必ず裏をとり、その事実が確かであることを確認して報道すると言われるが、常識の範囲ではそうらしいが、朝日新聞の慰安婦報道のように、明らかに作りあげた報道もある。アメリカのワシントン・ポスト、ニューヨークタイムズのでっち上げまがいの報道などは昔から有名である。トランプが、フェークだと叫ぶのも当然と言えば当然なのである。

 話はそれるが、ネットニュース文章のひどさにはあきれて物が言えない。これが、報道文章かと唖然とする。大手新聞社の文章は、まだましだが、それでも何を知らせたいのか全く意味不明の報道まである。ところで、NHK BSニュースというのがあるが、最近のニュースの手抜きにはあきれ果てる。ある事件の現在状況を報道しているらしいが、その事件はどういった事件で現在どこまでわかっているのかといった説明が全くないから、受け取る方が何が何だか全くわからない。さらにひどいのは、ニュースタイトルを読むだけで終わりというのもある。ニュース映像が全くないのだ。200億円も利益をあげておきながら、手抜き報道にもほどがある。それでいて、低質なドラマに金をかける。経営者は、みんな首だと言いたくなるが、総務省さん何とかしてくれ。

 この堕落論2018を乗せているブログを見ると、ほとんどどうでもいい(利用させてもらっていながら、辛口の批判で申し訳ないが!)情報ばかりである。料理のレシピや、子供の誕生、成長、芸能人の結婚・離婚・・・・日常茶飯事のことであるが、時々、暇なときにこういったブログに目を通してみる。こういった情報は、昔は茶飲み話や井戸端会議でやっていたものだ。私などは、ときどき買い物に行ったときに、年増の店員さんと暇つぶしに話す内容である。別に悪いとは言わないが、それこそ、友人達と話をすれば良いだけなのだが、現代とは、話す機会が少なくなったのではないかとも思う。

 ところで、このネット社会を支えているものは、パケット交換網という通信技術である。1960年代のアメリカ国防総省が開発した技術であるが、1990年代までは、回線スピードが遅すぎて使えなかった。パケット交換網とは、簡単に言えば、複数のコンピュータを一つの回線でつなぎ、コンピュータ間での通信を行うものである。通信方式は、パケットと呼ばれる情報の集まりで行う。コンピュータには、それぞれアドレスが付けられており、AというコンピュータからBというコンピュータへパケット情報を送るときにBのアドレスを付けて回線に送り出す。回線上には、A、B、C、D・・・・等複数のコンピュータが接続されており、それぞのコンピュータは、自分のところにくる情報かどうかをパケット情報の中の送信アドレスを見て判断し、送信先がBになっていればBのコンピュータがパケットをピックアップする。回線上の情報については全ての接続コンピュータを通過することになる。この接続コンピュータのことをサーバーと言う。通信網は、回線を提供する会社(日本ではNTT等)が設計して配線する。

  この単純な通信原理からもわかるように、インターネットは、回線が接続されていれば世界中を飛び回る。ネット社会というのは、完全にグローバルな社会と言って良いのである。勿論、言語の障壁があるが、自動翻訳が進めば、文字、音声は関係なくほとんど同時に翻訳されるから、将来的には言語障壁はなくなると考えて良い。しかし、都合の悪いことに、銀行取引、カード決済、電力会社の電力制御等々、かつては専用回線を利用していた業務用オンラインシステムがインターネット回線を利用している。サーバーをハッキングすれば、インターネット上にある世界の全てのこのような重要な情報にアクセス可能になることである。ところで、映画にあるような、パソコンからちょこちょことやってハッキングするという情報犯罪は、実はそう簡単にはできない。通信は、サーバーを経由するために、まずサーバーをハッキングし、サーバーの中に入り込むことから始める必要がある。理論的には、サーバーを直接コントロールできれば、銀行取引情報、カード情報などの重要な情報を盗むことも可能である。インターネット社会の情報犯罪は、そう簡単ではないが、通信情報が解読できれば物理的な障壁はほとんど皆無であると言って良い。元来、通信技術というものは無線であれ有線であれ、相当脆弱なものであり、暗号化なしには、情報を保護することは難しいものである。情報犯罪は、窃盗、侵入、名誉毀損等、世界中どの国もほぼ変わらない刑法で対応可能であるが、こういった明らかな犯罪は別として、ネット上に公開されている情報が野放しでいいのかという問題はある。

 それでは、ネット上の様々な情報について、民主主義と自由の概念のように一定のルールの下に情報を管理することが果たして可能がどうかを検討してみよう。表現の自由、言論の自由の原則から規制すべきものなのだろうか。あるいは規制がかけられるのだろうか。

 まず政治的情報である。アメリカの中間選挙が終わったが、選挙のたびに候補者同士で熾烈な中傷合戦がネット上で展開される。これに有権者や、応援団体、過激な思想団体が加わって、まことに賑やかなことだ。ありもしないデマ情報をネットに流して相手の名誉を傷つければ、犯罪であるから告訴して法定で争えば良いが、過激な思想、例えばヘイトクライム、左翼思想といった情報は、言論の自由からみても犯罪と見なすことは難しい。ドイツでは、ヒットラーが書いた「我が闘争」という書籍は出版禁止であるが、日本では禁止となっていない。言論の自由といっても、国の歴史的背景から制限範囲はそれぞれである。アメリカのテレビドラマを見ていると、中国のスパイ、ロシアの陰謀等、敵対的国家の国名が実名で登場するが、日本で国名を実名とした国際紛争のドラマは作った試しがない。勿論、第二次世界大戦の映画などは別だが。例えば、北朝鮮の諜報活動とテロ行為を題材にしたドラマなどは、誰も作ろうとしない。もし、こんなドラマを作って公開したらどうなるだろう。政策批判、極端な政治思想等のネット上での公開は、欧米諸国では当たり前だが、日本ではごく僅かに右翼などで見られる程度である。中国では、政治批判は許されない。イスラム圏や僅かに残る共産圏では、厳しい言論統制がある。

 ネット上の言論統制は、それほど難しい技術ではない。交換網を提供しているのは国内企業であるから、接続されているサーバーを監視すれば良いだけである。

 アメリカでは、グーグルやフェイスブック等の情報サービス企業が、サーバー内を自己責任で監視して不適切と思われるサイトを削除しているという。

 政治的情報に関する言論の自由は、国家ごとの政策に関連して、国内公開情報を制御することになる。勿論、国外の情報も見ることが出来なくなるのは当然である。

 商品情報についてはどうだろう。アマゾンで時々買い物をするが、商品情報の少なさというか、不確かさというか、とりあえず情報の内容が貧弱すぎる。書き込み情報は、少しは参考になるが、宣伝まがいの書き込みもあれば、競争相手の書き込みではないかと疑いたくなるような内容であったり、書き込み情報も信用できない。かつて、「暮らしの手帖」という雑誌があった。広告を載せない雑誌であり、商品評価を厳密に行っていた。「暮らしの手帖」は廃刊になったが、別の商品評価の雑誌が市販されているようである。ネット上で、商品評価情報を得るためには、電子書籍を有料で入手する以外にはなさそうである。

 フェイスブックやツイッター等のSNSについてはどうだろう。個人の宣伝から仲間集め、クラスメートのいじめ等、様々であり多様なのは当たり前である。職業上の不満、制度への不満、差別への抵抗等、社会性の高い情報も多い。最近のニュースによれば、千葉大学の某先生が、ネット社会は「中抜き」社会だと解説している。「中抜き」とは、ネット社会が出現するまでは、民衆と政治の中間的組織が民衆の声をとりまとめ政治へと届けるという構造があったが、ネット社会の出現によりネット上で直接民衆の声を収集できるようになったため、従来の中間的組織の必要性がなくなったことを意味するらしい。これは、国民諸団体と国政、地域コミュニティと地域政治、メーカと消費者、企業団体と政府というような社会機構の崩壊であるというわけである。勿論、政治(国政、地域政治)と民衆の中間に位置する組織の大部分は、政治的に作られた組織であるから、政治的意味合いが薄れれば組織は不要になるので、ネット社会の出現が中抜きの原因とは限らない。多くの場合、経済成長に伴う企業の淘汰・整理、社会制度の進歩による国民生活の向上等が要因となって、従来の様々な社会活動の意義がなくなったことが中間組織の消滅の原因となっていると考えられる。しかし、見方を変えると、新たな組織化の可能性もある。ネット上で、新たな社会問題への活動を呼びかけ仲間づくりを始めるかもしれない。例えば、介護保険制度に対する不合理性を訴え、活動組織を立ち上げる等である。社会制度、税制、規制が細分化され精緻になればなるほど、住みにくい世の中になることは間違いない。これらの一つ一つに焦点をあてて社会運動を展開する組織が、従来のように政府主導で生まれるはずがない。ネット社会は、制度の堕落を見逃さないと信じよう。

 ネット社会は、容易に言論の自由、表現の自由、思想の自由を統制することができるということが重要なのである。ネット社会に民主主義といった大それた思想を持ち込むことは出来ないと考えるべきである。ネット犯罪は、監視しなければならないが、犯罪を立証することが難しい情報については、規制は必要ない。ウイルスやHPを偽り情報を盗む等の明らかな犯罪については、国際的ネットポリス機構を作るなどの対応策が必要である。しかし、ネット犯罪の大部分は、被害者からの告発がなければ取り締まりが難しい。そのためにも、ネット告訴やネット犯罪に関する法律とネットポリスの設立は、急務である。

 自由な言論、思想、表現は、一面において人間の堕落した側面でもある。堕落こそが人が人として再生する唯一の手段である。人間の一挙手一投足を制御する法律・制度・システムからは、何も生まれてこない。こういった束縛から自由な情報空間としてのネット社会をどのように守り抜くかを考える時代に入った。精緻、微細な規則づけの民主主義という、恐怖の未来に対して、ネット社会の自由は守り抜けるかが問われている。ISの首切り情報がネットに出た。戦争現場の悲惨な情景がネットで流れた。危険なセックス動画だ。殺人ライブだ。自殺だ。ネオナチだ。オルトライトだ。・・・・・。異常者を生み出す危険な情報については、何とか制御するにしても、まあ適当なところで妥協せざるを得ない。ネット社会は、可能な限り自由な社会であり、堕落していることが未来を切り開くカギになるとは言えないか。
                                 2018年11月20日
2019/05/29

堕落論2018 恐怖の思想-自由にものが言えない社会-

  クライトンは、「恐怖の存在」の最後に、「自由にものが言えない社会」について、オールストン・チェイスの言葉、「真実の探求が政治的意図でひっかきまわされるとき、知識の探求は権力の追求に堕する」を引用した。オールストン・チェイスという人は、日本ではほとんど知られていない。アメリカでも知っている人は少ないと思うが、ハーバードを出た哲学者である。クライトンの言う「自由にものが言えない社会」とは、政治における科学的知見の悪用、乱用を意味する。現代の日本では、個人や仲間同士で自由にものを言っても誰にもとがめられることはない。

  例えば、「今の国民健康保険制度はどこかおかしいぞ、あれが税制なのか」といった会話は自由である。本当にこの制度の不合理性は、徹底的に追求する必要がある思うが、国会での議論などは聞いたことがない。

  地球温暖化問題とその対策は、極めて政策的であり、政策なしでは二酸化炭素の排出量の抑制などは到底不可能である。しかし、二酸化炭素濃度が、地球温暖化の要因であることは今もって科学的に検証されていないことはこれまでの説明でも明らかである。科学者が、何も言わないのである。現役の学者が、「温暖化はどこかおかしい」等と発言すれば、「おまえそれでも学者か」と罵倒され、失職するかもしれない。「もったいない学会」という名の学会HPをみると、完全にリタイヤした学者が自由に発言しており、大方は、「地球温暖化と二酸化炭素濃度との関係は、科学的には検証できない」というものである。この点は、クライトンも指摘している。現役の学者と「金」は、密接に関連しているため、年金暮らしにならないと本当のことが言えないのだ。何とも、情けない社会である。現役世代が「自由にものを言う」ためには、全てを捨てなくてはならない。まさに、清貧に身を置く覚悟がいるのである。

  遙か昔に読んだ、中野孝次の「清貧の思想」という本を取り出して再度読んでみた。「貧乏」では人後に落ちぬ貧乏人で自慢できるほどの貧乏人である今の私からみると、この人は、本当の貧乏を知らないのではないかと思える。「貧乏」については、別の機会に論じることにしよう。

  クライトンは、「自由にものが言えない社会」が如何に恐怖の社会であるかを、「優生学」を例に説明している。「優生学」については、NHKでもフランケンシュタインの何とかという番組で取り上げていたのでご存じの方もいるだろう。さらに、最近の話題では、旧優生保護法により断種や不妊手術が強制された問題がある。

  「優生学」は、1883年にフランシス・ゴルトンにより提唱された科学と言われるが、現在では疑似科学、つまり科学とは似て非なるものとされている。しかし、優生なものは遺伝的に継承されるとする考え方は、古代から現在までほとんど信仰といって良いほどに信じられている。劣等な人間からは劣等な人間が生まれ、劣等人種の人口が増加することで社会の秩序が失われるというのが、優生学のいう基本理論である。何が優生で何が劣等であるかという定義さえ曖昧なまま、人間の価値を人種差別にまで適用したのが戦前のナチである。日本でも、ナチほど過激ではないが、同じような思想はあったし、人種差別が半ば公然と行われていた。戦前の日本は、ドイツ等の欧米諸国に比べて、極端な優生学論者ではなかったが、戦後になってにわかに「優生学」が政策に登場する。昭和23年の優生保護法の制定である。

  優生学が、科学ではないことは今では常識となっているが、当時は先端の科学として認識されていた。科学とは何かは、既に19世紀の学会で相当に議論されていたから、優生学が科学ではないことぐらい、学者の間では当たり前であったはずだ。しかし、学者は誰一人として、とは言い過ぎだが、ほとんどの学者は何も言わなかった。

 1920年代頃から優生学理論は、幅広い知識層、経済人から支持を得ることになる。ルーズベルト、チャーチル、グレアム・ベル、マーガレット・サンガー、スタンフォード、H・G・ウエルズ、バーナード・ショー、等々、蒼々たる知識人が支持を表明する。さらに、カーネギー財団、ロックフェラー財団等が研究資金を提供するに至ると、アメリカ科学アカデミー、全米医師会、アメリカ学術審議会などの学術界、ノーベル賞学者までもがこぞって賛同し始めた。なんと、1939年の第二次世界大戦の直前までアメリカからドイツに研究資金が流れていたのである。

  この理論、つまり、「優秀な人間が遺伝的に増加する速度は、劣等な人間が遺伝的に増加する速度よりは遅い」という理論を、一般論にまで拡大して社会問題に無理矢理適応させたものである。この理論に問題があることは、すぐにおわかりだろう。日本には「鳶が鷹を生む」ということわざがあるように(英語にも、「A black hen lays a white egg」ということわざがある)、劣等な人間から突如優秀な人間が生まれることは生物学的にも歴史的にも知られた現象である。だから、「何世代か後には、世の中は劣等な人間が圧倒的に多くなる」ということにはならず、優劣度合いによる人間の分布は、正規分布のようになる。優生学という似非理論は、極めて狭い条件で成立するかもしれないが、社会現象として成立することはあり得ない。従って、科学的には間違いなのである。何故、科学理論としてノーベル賞学者までが支持することになったのか。政治と金が「知」を堕落させたとしか言いようがない。

  現代の学術論文なるものを見ていると、研究成果が社会の役にたつかという点で言えば、優生学の理論展開と同じような論文がほとんどである。極めて限定的な条件での成立成果であり、一般的状態どころか特殊な状態でも起こり得ないと考えられるにも関わらず、新たな発見だとして発表される。そのような条件の発生確率がどの程度なのかには一切触れられずにである。現代においても科学的理論なるもののほとんどが、この優生学の理論展開と同じなのである。研究は、それなりにかなり厳密ではあるが、研究成果を社会に適応させる場合には、実にいい加減な仮説、理論展開を基にする。政策と科学は密接に関連しているが、様々な科学分野を統合して政策に適応させる科学は存在しない。

  地球温暖化、温暖化ガス排出問題等々は、この優生学という社会運動とどこか似ているとは言わないが、科学的というにはあまりにも問題が大きいと、マイクル・クライトンは言う。最も大きな問題は、優生学がそうであったように、科学者が自由にものを言えない社会だと言う。優生学の時代には、時のノーベル賞学者や政治家、作家が、こぞって賛同した。現代の地球温暖化も同様である。

  豊かな社会とは、定義はいろいろあるだろうが、端的には、企業が成長し、個人所得が増加し多くの国民が食べるには困らず、文化的な生活を営める社会のことであるが、こういった社会の最大の特徴は、税収が増加することによって際限なく肥大化する政府組織の存在にある。政府組織が、ある一定規模を超えると、もはや誰も止めることができない自己増殖の循環に入る。政府組織が豊かな社会を走るためのエンジンと化すのである。戦争状態となった政府の暴走を誰も止めることができないのと同じである。19世紀後半から成長を続けた資本主義社会は、二度の世界大戦を引き起こした。豊かな社会とは、社会の進むべき方向について、自由にものを言わせない社会なのである。豊かな社会は、暗黙のうちに、「豊かでありさえすれば」として自由にものを言わせない社会を容認し、こういった時間が長く続くと、政府組織という権力組織が豊かさに潜む堕落を餌に勢力を伸ばすのである。

  地球温暖化問題とは、豊かさに潜む堕落が作り出した新たな権力そのものである。知識人の諸君、科学者の皆さん、我が少国民よ、社会はどこかおかしいぞと叫ぼうではないか。
 
  安倍総理の三選が決まったそうだ。対立候補の石破氏は、地方創生、貧困が主な政策課題であったが、本音は自民党のなかで自由に議論できないムードに対する批判にあったのではないかと思う。かつての自民党、具体的には田中、三木、福田等々、1980年代初頭の自民党では、それこそ、これが政権与党かと疑いたくなるような議論があった。勿論、議論の細々した内容が報道されることはなかった。議論には、政治記者も加わっていたのだから、オフレコなどという前に、議論に加わった者として当然の仁義を通した。自由にものを言う社会にとって、知識、論理等に付随する教条性は有害である。自由にものが言える環境を作り出すためには、ものごとに対する個々人の経験と直感による極めて原初的な疑問が必要である。疑問の端緒を生み出す直感の確からしさを確認するために知識と論理が必要なのである。政治家の政治信念、理念といったものは、自由にものを言う風土がなければ醸成されることはない。かの、トランプを見ろ。政治とは何かについて、自由にものを言いあう環境の欠如が生み出した典型的な政治家である。トランプの価値観は、現実の損得勘定だけである。現実とは、少しだけの過去と、現在と、少しだけ先の未来であり、損得勘定とは、損か得か、儲かるか儲からないかである。今、損をしても数年先には儲かるからやるという未来の損得勘定は、トランプの価値観には存在しない。莫大な遺産を相続し、現実の損益勘定だけのビジネスによって何とか成功してきた経営経験が生み出した、極端に現実的な高利貸し的経営思想である。ビジネスは、利益がなければ継続は不可能であるから、ドラッカーが言うように利益を出すことは企業にとって経営目的ではなく活動継続のための制約条件でしかない。高利貸し的経営は、一に利益、二に利益、三、四がなくて五に利益、つまり利益が目的のすべてとなる経営のことである。トランプの言動をみると、アメリカ・ファースト、国益重視、国益になるならば嫌な相手でもお世辞を言い、それで駄目なら脅し、脅迫、とりあえず何でもする。

  政治思想が現実的であるべきか理想的であるべきかという論争は、ギリシャ時代から論争されてきた。E.H.カーは、1919年から1939年までを危機の20年と呼び、この時代の理想主義と現実主義との相克を分析した。トランプには、政治思想というものがない。政治思想としての現実主義でもない。政治における現実主義は、今そこにある貧困、今そこにある人種差別、今そこにある難民問題等、今そこにある現実問題に対する政治的処方のあり方にある。

  とはいっても、世論調査によれトランプを支持する者は40%以上はいる。株や金融商品の動きを見ると、トランプの言動で乱高下し、トランプが言動修正するたびに上昇に転ずる。石油価格もあっという間に40ドル台から70ドル台まで上昇した。このままいくと、シェールオイル・ガスによるミニバブルが起きそうである。トランプが、誰かわからないが、背後にいる経済人に巨額の利益を誘導しているとみるのは、思い過ごしだろうか。「ブラック・リスト」というBSドラマを見ていると、トランプが、秘密結社の幹部のように見えてくる。ところで、「ブラック・リスト」は、面白いので一度見てください。米国のTVドラマは、科学捜査もの、FBI、CIA等、サスペンスがほとんどだが、いずれも良く考えている。駄作も少なくないが、面白い番組は、複数のシナリオ・ライターによるグループ作業らしい。到底、一人で考えられる範囲を超えている。複数の人間でシナリオ創りしたからといって、必ずしも面白くなるわけではない。普通は、バランスが悪い、物語の合理性が失われる等、いわゆる面白くなくなる。優秀なインテグレータがいるのだ。極めて豊富な知識と教養を持ち、文芸的才能だけではなく、芸術全般に関する感性豊かなインテグレータである。我が日本はと言えば、NHKの何ともつまらないドラマばかりだ。時代劇には、時々面白いものもあるが、面白いのは池波正太郎のリメーク版ぐらいのものだ。原作がいいからだ。女性には申し訳ないが、女性が脚本・脚色のドラマというのはどうして面白くないのだ。脚本家、脚色家の大半は、今や女性だからあきらめるより仕方がないか。

  話が逸れてしまった。自由にものが言える社会では、こういう意見もお許し願いたい。面白くないものは、面白くない。韓ドラも同じだ。10年前の韓ドラは、日本にはない斬新さがあり、面白かった。最近のは、二番煎じどころか五番煎じ、六番煎じだ。韓国時代劇のあの"はでばでしさ"は、昭和30年代の東映時代劇ではないか。内容にしても、韓国王朝時代とは似ても似つかない。儒教政治、奴隷制度、過酷な刑罰制度、経済格差等韓国王朝時代と日本の江戸時代とでは天と地ほどの違いがあるはずである。何故、自国の歴史についてある程度の正確さを踏まえたドラマを創れないのだ。日本のバブル時代にも沢山のミステリードラマが作られた。どれもこれも実につまらない。原作が悪く、脚色もひどい。そんな作品を20年も作っていると、もはや面白い作品が生まれなくなる。堕落するのだ。そのときのブームにのった価値観が、人の感性を堕落させるのである。たかがドラマだ。たかが脚本だ。ものを言っても仕方がない。

  そうだ、これこそが、自由にものを言えない社会を生み出す源泉なのだ。少子高齢化社会は、自由にものを言わない社会を創りだした。研究者が完全にリタイヤしてから、本当のことを話すと言ったが、リタイヤしても本当のことを言わない研究者がほとんどである。現役時代の金と権力と地位の保身のための発言や何も言わなかったことに対する羞恥心や自尊心から何も言わないままに死んでいく。そこへ行くと、私のような少国民は気軽なものだ。老人達よ、ボケている場合ではないぞ。もう死ぬだけだから、後は野となれ山となれではない。今の社会はどこかおかしいとは思わないか。おかしいはずだ。いつの時代でもおかしなことは山ほどある。

  スエーデン社会の報道が時々ある。税金は、高いが社会保障が行き届いた理想的社会のように。しかし、現実社会はどうなのだ。夫婦共稼ぎをしなければ、年金支給額が制限され、子育てにくたくたになっている社会だ。こんな社会が、理想的社会か。我が国でも、女性の労働力の活用とかで、政府は、夫婦共稼ぎ社会の実現を目指している。そのための働き方改革だ。女性が社会進出することは、大いに結構だし、大賛成である。能力があり、やる気のある女性は多い。男女平等の就業機会づくりや労働環境づくり、女性差別のある仕事・慣行等を徹底的に排除する社会の実現は重要である。だからといって、夫婦共稼ぎ社会に持って行こうというスエーデン型の政策には断固として反対する。女性の社会進出を推進した結果がスエーデン社会だ。女性の社会進出を推進すると、扶養控除がなくなり、年金制度も制限され、社会保障制度そのものが夫婦共稼ぎを前提とした社会に組み替えられていく。今の日本は、その途上にあると言っても良い。社会学者、経済学者が、科学的根拠のない社会実験をしたがるのだ。我が国の介護保険、年金制度、医療制度等の社会保障制度は、まさに学者の社会実験の場となっている。制度の持つ不公正、不公平、不平等は全て無視し、国家として国民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことの保障を放棄し、保険制度という何の科学的根拠もない社会実験を続けることは、ある意味では国家的犯罪にも等しい。女性の社会進出、共稼ぎ世帯の推進、社会保障制度の充実、国家による救済社会・・・・。理想社会の実現へと向かっているように見えるが、その実、無限に拡大する国家組織が背景に潜んでいる。これこそが、恐怖の社会なのだ。

  介護保険制度などは、即刻廃止すべきである。こういうと増え続ける認知症老人はどうするという意見が出る。介護保険でもカバーできません。金持ちならば、資産を処分して有料ホスピスに入れば良い。数百万人に上る貧困老人に対しては、無料のホスピスを全国の山村に設置すべきだ。過疎化している山村には、使われなくなった公共施設がごろごろしている。認知症老人にプライバシーもへったくれもない。快適な空間、冷暖房、食事の提供、集団介護システムがあれば良い。期間は、せいぜいあと20年程度だ。全国1000の山村で、1山村当たり1000人収容であれば百万人は収容可能である。百万人の維持費は、年間2兆円もあれば十分である。施設改修費でも1兆円ぐらいだろう。20年間で41兆円で済むのである。なぜ、介護保険などという面倒くさいシステムを考え出したのだ。

  社会保障制度には、おそるべき恐怖が潜んでいる。単純明快に解決可能なシステムがあるにも関わらず、あえて面倒くさいシステムを作り出すには、何か理由があるからに他ならない。

  地球温暖化などもその典型である。二酸化炭素の排出量を抑制するために、莫大な税金が投入される。二酸化炭素の吸収システムの開発には、ほとんど投資されない。技術的には、吸収対策の方が単純明快であるにもかかわらず、しないのである。今世紀末には、海面が上昇し、沿岸域の都市は水没する。なぜ、都市移転を進めないのだ。

  一方で、電気自動車だそうだ。電力供給のためのインフラ整備に50兆円、電力供給量を現在の数倍に上げなくてはならない。こんなくだらないことのために電化が必要なのか。電力インフラの再整備をするぐらいなら、光合成による水素生産の方がはるかに現実的である。学者に言わせると水素生産の方が、電力生産よりもはるかに費用がかかるという。嘘だ、うそだ、ウソだ。これらの問題を打ち破るのが、科学ではないか。かつて、大型コンピュータ全盛時代に、パソコン等は、能力的に汎用機にはかなわないから、パソコンがとって変わることはないと、研究者や企業の技術者が叫んだ。しかし、そんなことは20年も続かなかった。大企業が推進しなかったのだ。パソコンの開発スピードを上げると、汎用機が売れなくなるからだ。電気自動車も良く似ているが、エネルギー全般の問題に関わる。もはや原子力発電では、無理である。新たな物理学を持ってしても、核廃棄物の無害化は不可能だからだ。そうなると、水素発電、核融合、放射線のでない核分裂、反分質エネルギー等を推進しなくてはならない。こういった研究開発にどれだけの投資がなされているのか。微々たるものだ。

  太陽光発電風力発電などはもってのほかだ。止めてくれ。こんなインフラ整備に税金や電力料金を使うのはやめてくれ。ゴミの山を作るだけだ。昔、炭鉱にはぼた山があったが、太陽光発電風力発電は未来のぼた山だ。

  自由にものが言えない社会は、科学者や研究者だけが保身のためにものを言わないのではない。彼らがものをいわない社会には、もっと沢山のものを言わなければならない問題が潜んでいる。自由にものを言えない社会は、自由にものを言わない人々、国民がつくりだしたのだ。恐れるな。知識がなければ、勉強すれば良い。ものを言う場は、昔と違ってサイバー空間があるではないか。スマホのかけ放題電話で無駄話をしている暇があるなら、SNSでも何でもいい、ネットにだせ。誰も見なくても結構。自由にものを言うことが重要なのだ。
                                   2018年10月8日
  
2019/05/29

堕落論2018 恐怖の思想-地球温暖化の恐怖 2-


  インターネットで最近の地球温暖化問題を見てみると、盛んにティッピング・ポイントという言葉が出てくる。臨界点のように訳されているが、後戻りできない点のことである。どうも、元々は、マーケッティング用語として使用されたようである。辞書によれば「tip」にingを付けた言葉である。「~から転じる」という意味らしい。今まで売れなかった本が急に売れ出すというような使い方をする。だからといって後戻りできなくなる点を指してはいない。急に売れ出した本も、時間がたてば売れない状態になる。
 
 こういう言葉を、常識のない科学者が、受けを狙って使うと、温暖化を止められなくなる臨界点、ティッピングポイントだということになる。今や、ティッピング・ポイントは、人類生存の恐怖の言葉と化した。
 
 二酸化炭素等の温暖化ガスの濃度が高くなり、ある一定値(ティッピング・ポイント:転換点)を超えると、地球の熱放射(宇宙に熱を放射する)の量が減少して、いわば魔法瓶の中の状態になって地球全体が高温のままの状態になる。この状態になると、太陽熱の一部を吸収しつづけることになり、地球の高温化が加速するというものである。人為的な二酸化炭素排出量を止めない限り、大気中の二酸化炭素濃度は上昇すると前回にも説明した。海水・森林が二酸化炭素を吸収する。しかし、森林は、二酸化炭素の吸収と排出については、プラスマイナス・ゼロなので長期的には対象外である。勿論、育成の仕方と200年ほどの期間内では、若干であるがプラスに働くかもしれないが、長期的循環の条件では、二酸化炭素の吸収源とはなりえない。従って、海水の二酸化炭素吸収力が頼りである。温暖化によって海水温が高くなるとともに、吸収力が低下し、限界に近づいているというのが、温暖化加速説・ティッピング・ポイント説の根拠となっているらしい。
 
 こういうこともありうるかもしれない。しかし、考えてもみろ。地球の歴史では、35億年前から25億年前の間に、シアノバクテリアが海水中で爆発的に増加し、光合成の働きによって膨大な酸素を放出した。シアノバクテリアは、現代でも大量に生存しており、光合成を続けている。爆発的に増加した原因は、海水中に二酸化炭素が大量にあったことを示している。
 
 ところで、植物には葉緑体があり、光と二酸化炭素から有機物と酸素を作る。小学校高学年で学習するから、光合成を知らないと言う人は希であろう。ところがである、この光合成というものがどのようななメカニズムなのか、どのような化学反応であるかは、つい最近までわからなかったのである。光合成について調べると、現象の説明か、せいぜい光による電気的反応程度の説明しかない。2017年、理化学研究所のSACLA(X線自由電子レーザー施設:高性能の電子顕微鏡みたいなもの)が、葉緑体中の光合成タンパク質の中に「ゆがんだイス」と呼ばれる触媒機能を持つ分子構造を特定した。水分子を分解して酸素を放出するのである。水の電気分解に似たようなものであるが、分解された水素は、二酸化炭素と化学反応を起こして別の有機物(例えばセルロース等)を生成するらしい。これだけ科学技術が発達しても、誰もが知っている光合成さえ人工的には出来なかったのだ。人工光合成システムが可能になれば、二酸化炭素の固定だけではなく、水素の生成も可能になる。エネルギー問題、二酸化炭素問題は一挙に解決する。とはいかないが、方向性を見いだすことはできそうだ。

 二酸化炭素の排出量抑制、COPだコップだと叫び、森林破壊だ消滅だ、森林が二酸化炭素の吸収源だとバカの一つ覚えのように叫ぶ世界の政府、環境保護団体なるものは、一体全体、何をしているのだ。毎年、何だかんだと集まって金を使い、結局、何も決まらない約束、決まっても守るこのできない約束を机上で作るだけである。どうせ金を使うならこういうところに金を使えと言いたくなるがいかがだろう。エネルギーにしてもそうだ。代替エネルギーだといって、自然災害ですぐに壊れ、耐久性能の低い、ちゃちなソーラーパネルや風力発電を山ほど作り、いくら作っても化石燃料の使用量は減るどころか増えている。さらに、電気自動車だそうだ。都市の大気は少しは改善されるだろうが、エネルギー使用量は増えるばかりだ。

 話が逸れて、愚痴になってしまった。愚痴の部分も、この「地球温暖化の恐怖」で取り上げてみたいが、”ティッピング・ポイント”に話を戻そう。
  
 さて、ティッピング・ポイントのもう一つの論点は、温暖化が進むと、北極、南極、グリーンランドの氷が溶け、深層海流の流れが止まって気候変動が進む、それも極端に温暖化するというものである。地球の歴史の中では、1万2千年前頃に深層海流が止まったことが知られている。「ヤンガードリアス」期と呼ばれる北大西洋で起こった気候変動である。2万年前の氷河期が終わり温暖化に向かった頃に、ヨーロッパやグリーンランドの氷床が溶けて大量に大西洋に真水が流れ込み、北大西洋の深層海流が止まった。それでは温暖化したかというとそうではなく、北半球全体が、一時的な小氷期になったのだ。それも温暖な状態から寒い状態に移行するまでに数十年という短期間で移行したという。この後、寒冷化は、1300年ぐらい続いたらしい。深層海流が長期的な気候の安定化に大きく影響していることは、わかってきている。深層海流の周期は、千数百年だから、「ヤンガードリアス」期のように、一端止まると、千数百年は気候が安定しなくなる。特に、北半球の高緯度地域は、暖かい海流が北極に移動しなくなるので寒冷化する。しかし、深層海流のメカニズムは、北極や南極の氷塊だけではなく、潮汐という月と地球と太陽に関係があることは明らかだ。温暖化が進むと深層海流が止まり、急速に地球は寒冷化すると考える方が正しいではないか。北極海や、グリーンランドの氷が溶けるのは地球を冷やそうとしているのだ。温暖化が止められなくなるという根拠にはならない。二酸化炭素濃度が高くなり、温暖化が止められなくなり、地球が金星のようになって、生命体は消滅する、それも100年後だなどの風説は、ノストラダムスの大予言みたいな話で、デマもいいところということになる。むしろ、寒冷化を心配しなくてはならない。

 ところで、ティッピング・ポイントはどうなったのだ。深層海流が止まることで、赤道付近で熱を吸収した海水の行き場所がなくなるから、赤道付近は高熱になるが、極に近い高緯度付近は、深層海流が止まったことで海水からの熱放射がなくなり、極端に寒くなる。高緯度付近の大気が冷えて収縮し、部分的に大気層が薄くなることが寒冷化の原因だ。赤道付近の高温状態も長くは続かない。極めて短期間で冷やされて、地球全体が寒冷化する。

 以上のように推測すると、ティッピング・ポイントなどはないと考える方が妥当である。「ヤンガードリアス」期の極地域の氷が溶けたのは、二酸化炭素が原因かどうかはわかってはいない。しかし、化石等から大規模な火災が発生したことは確からしいから、二酸化炭素濃度も急激に上昇したことは推測できる。彗星、隕石が衝突し、粉塵により太陽熱が遮られ寒冷化したという説もあるが、最近では否定的である。

 仮に、今世紀末に二酸化炭素濃度が極めて高くなり、地球の平均気温が現在よりも2℃以上上昇し、極の氷が溶けて「ヤンガードリアス」が発生したとすれば、22世紀初頭の数十年間で地球は急激に寒冷化する。勿論、グリーンランドや南極の陸地の氷床がとけるのだから海面上昇は避けられない。しかし、それも一時的である。寒冷化が始まると、北半球の仙台ぐらいの緯度地帯の山岳部は、全て氷河に覆われ、海面は急激に後退するだろう。「ヤンガードリアス」期のイギリスの年平均気温が-5℃というから、東京の年平均気温は0℃ぐらいであろう。とても生活できる環境ではない。およそ、日本全体での農業生産は困難となり、現在のような1億人を超える人口を支える等は不可能である。日本と同じような状態が北半球全体で起こるから、現在の先進国は全て消滅する。寒冷化は、恐怖の時代を作り出す。さて、22世紀初頭に、化石燃料はあるだろうか。寒冷化して、人口は112億人に達し、食料がなくエネルギーもない状態で、どうやって人類が生存できるだろうか。温暖化問題ではなく、寒冷化問題の方が人類にとっては恐怖ではないのか。

化石燃料は枯渇するのか?>

 ティッピング・ポイントは、学者やジャーナリズムが、人々の好奇心をかき立てるために、ウケを狙ってでっちあげたのではないかと推測できる。それでは、化石燃料枯渇の恐怖についてはどうだろう。地球上の資源が有限であることは当たり前であるから、化石燃料だって有限である。これは、誰が考えても正しい。だとすれば、化石燃料は枯渇しないという主張は嘘である。いつかは枯渇するのだ。それが50年後なのか500年後なのか、それとも5000年後なのか誰もわからないということである。実は、地球の資源が有限であるということを人々が認識し始めたのは、つい最近のことである。

 「宇宙船地球号」という言葉は、19世紀のアメリカ合衆国の政治経済学者、ヘンリー・ジョージがその著書「進歩と貧困(Progress and Poverty)」(1879年)のなかで登場させた。このときの「宇宙船地球号」は、汲めどもつきぬ「未亡人の壺」(旧約聖書)であり、資源は無限に存在すると考えた。それから90年後には、バックミンスター・フラー(Buckminster Fuller)が「宇宙船地球号操縦マニュアル」(Operating manual for Spaceship Earth 1963)により資源は有限にしか存在しないことを主張する。K.E.ボールディングは、「来るべき宇宙線地球号の経済学」において、開いた経済と閉じた経済という極端な経済モデルにより、社会的、経済的、倫理的価値の逆転を論じた。

  100年前と現在とでは、地球資源の有限性に対する考え方は正反対である。わずか1世紀前には、地球の資源は無限に存在すると考えられていたのだ。

 ところで、化石燃料の埋蔵資源量がどのくらいあるかについて正確にわかっているのだろうか。図-1は、エネルギー資源の確認埋蔵量を可採年数で表したものである。確認埋蔵量とは、現段階の技術と価格で経済的に見合う採取可能な資源量のことであり、可採埋蔵量とも言われる。可採年数は、確認埋蔵量をその年の生産量で割った年数である。図-1のグラフでは、石油は51年である。それでは、51年後には石油がなくなるのかと言えばそういうことはない。確認埋蔵量は、1970年代には40年程度であった。その後もしばらく40年が変わらず、2010年頃から50年と言うようになった。まあ、とりあえずいい加減で適当なのである。石油資源量の統計は、森林資源統計のように国家的統計ではない。世界の生産量の上位は、米国、サウジアラビア、ロシアの三国である。米国は何らかの資源調査を行っているが、その他の国では、企業が管理しており、資源探査も企業が行っているので、どのくらいの資源量があるかは、企業機密となっているため、本当のところはわからないというのが実態である。とりあえず、メジャーと呼ばれる石油会社の情報を基に、現在の可採可能な資源量を集計すると図-1のようになるということである。

  図-1 エネルギー資源の可採年数

 石油資源の探査には、莫大な費用がかかるそうである。そのため、探査しても予想どおりの埋蔵量が確保できなければ探査費用倒れで倒産に追い込まれることもある。可採年数がつい最近まで40年程度だったが、50年以上となったのは、オイルサンドやオイルシェールも統計に含めることにしたためである。

 地球そのものが鉄と炭素で出来ているみたいなものだから、生命体が鉄と炭素だけで生きていけるならば、資源はほぼ無尽蔵といっても良い。石油は、炭素と水素の化合物である炭化水素と呼ばれる物質である。炭素の数が1個の場合はメタン、2個になればエタン、3個ではプロパンとなる。炭素元素の結びつき方によって炭化水素の特性が変化する。石油は、炭素の数が5個以上10個程度までを言うらしい。炭素は、炭素としても存在するが、二酸化炭素や有機物・無機物の形でほぼ無尽蔵にある。しかし、水素は自然の状態では存在しない。水や有機物の中に存在する。だから、炭素と水素が含まれる有機物から石油が作られるという説は、合理的で説得力がある。有機物起源による石油生成説のことを石油有機起源説というらしい。油田地域は、大陸移動前の太古の大陸の海岸線に多く分布しており、油田からは生物化石が発見されていることから、この有機起源説が有力な仮説であった。

 これに対して、最近、石油無機起源説が有力となってきた。46億年前、地球誕生頃の膨大なメタンガスが地球内部に閉じ込められ、それが基岩部の割れ目からしみだして地下数千mで、地熱と地圧で石油に変化したというものである。これ以外にも岩石と水から石油ガスが作られることは実験的にも確かめられている。2005年に文藝春秋の日本の論点で取り上げられて話題となった。調べてみると、1870年代のメンデレーエフが始まりらしいから、かなり古くからあった仮説である。この仮説が真実であるとすれば、石油もほぼ無尽蔵に存在することになる。要は、探査・採掘技術の如何に関わることになる。

 石油生成の起源は、恐らく両方考えられるのだろう。2~3億年前の有機物を起源とする石油と、地球創成に関わるメタンガスを起源とする石油、あるいはこれらの要因が重なって生成された石油である。石油無機起源説の正しさが示されれば、石油あるいは石油ガスは、ほぼ無尽蔵と考えられる。

 石油の埋蔵量は、正確にはわからないのである。まあ、50年程度はあるということさえ確かであれば、「後は野となれ山となれ」である。今まで、何とかなってきたのだから、その先もあまり心配する必要はないということだろう。しかし、将来のエネルギー状況がこれほどあやふやな状況で、人類70億人の経済活動がよく営めるものだと考え込んでしまう。50年後に石油がなくなることが確実だとすれば、石油価格は暴騰するだろう。それが100年後であっても枯渇することが確実なら、希少性の原理から買い占めなどで高騰することは間違いない。庶民の生活で石油を消費するなどはとても考えられない価格となる。つまり、枯渇はしないと誰もが予想しているから、価格は安定しているのである。かつて原油価格が高騰した時代があった。現在も上昇しているようだが。第一次、第二次オイルショック(昭和48年、54年)の日本では、トイレットペーパーさえスーパーから消えた。その後、世界各地で油田開発が進み、ソ連の崩壊とともにロシア石油が、テキサス油田の枯渇に変わるオイルシェールの開発、カナダのオイルサンド、ベネズエラ、アフリカと次々に石油資源開発が進んだこともあって、比較的低価格で安定したが、2003年のイラク戦争を機に原油価格は上昇し、1バレル140ドルを超える価格を付けた。2008年のリーマンショックで30ドル台まで急落した。しかし、その後再上昇したが2015年以後は、比較的安定していた。先物市場と言っても、何十年も先の資源量の需給状況ではない、今よりもほんの少し先の、ほぼ現実といってよい程度の需給状況で動く価格変動である。石油資源の埋蔵量とは無関係と言って良い。

 石油市場にとっては、石油資源の可採埋蔵量が、毎年毎年、継続的に40年~50年と評価されていることが重要なのである。この可採埋蔵量の年数が短くなると、現実の需給状況で存在する市場が機能しなくなるのである。

 人間の知性というか精神というものは、何ともはかりがたいものではないか。現代社会にとって必要不可欠な基礎的資源である石油の埋蔵量が、40年~50年はもつらしいということがどうも確からしいと誰もが認識すれば、それ以上先のことは心配しないのである。もっぱら目先の利益のためだけの活動に終始する。それ以上先のことは、そのときに生きている人間が考えれば良いのだ。「後は野となれ山となれ」という思想は、人間存在の真理をついているのだ。それは、一方では、資本主義の真理であると言えなくはない。

 マイクル・クライトンは、「資源枯渇が目前に迫っていると信じている人は少しおかしい・・・」と言う。おかしいのは、資源枯渇教の信者ではなく、当面は資源枯渇がないと信じている市場経済にある。石油資源の市場が、市場を形成する企業、政府が、「現在の需給状況をみると、当面、資源枯渇にはならない」ということを相互に確信しあっているから市場が成立しているのである。市場経済というのは、たかだかこの程度のものである。市場経済は、目先の利益の追求だけに存在する。安定した市場とは、せいぜい40~50年程度の安定供給を前提条件として成立するのだ。考えてみると、人が成人し、家族を持ってから死ぬまでの人生期間とほぼ同じ年数ではないか。ある時代に生きている多くの人々が、死ぬまでに資源枯渇がなければ全てよしなのである。その後は、どうなろうと知ったことではない。

石油資源枯渇問題から見えてくる現実社会とは?

 石油資源は、当面は枯渇しない。当面とは、100年か? 200年か? いずれにしても数千年も先のことではない。技術的・経済的限界に近づいていく。埋蔵量自体は、ほぼ無限であったとしても、探査・採掘可能な技術を開発できないのである。しかし、石油資源の市場では、可採可能な埋蔵量は40年から50年と評価し続ける。石油資源が世界の主要なエネルギー資源であるかぎり、石油会社や産油国は、確認埋蔵量を減らすことはない。そして、Xdayが突然訪れる。テキサスの油田が枯渇したと同じようなことが世界の産油国で発生する。

 話は変わるが、イギリス、ドイツ、フランスは、2040年までに完全に電気自動車への転換を進めるそうだ。といっても、EVだけではなく、HV、PHVも含めて電気自動車と言っているから、ハイブリッド車が対象とみて良い。HV、PHVにはガソリンエンジンが搭載されているから、排気ガスがなくなるわけではない。仮に、完全に電気自動車(EV)に転換すると、電力供給量を今の50%以上にしなければならないという試算も出ている。安定した電力供給を前提とすると、太陽光、風力発電では無理だそうで、火力発電所と送電線網の追加が必要になるらしい。その投資額が、イギリスで10兆円以上、日本ならば50兆円以上と推定されるという。何ともばかばかしい話だ。石油資源の消費量が減ることはなさそうである。電気自動車が、科学技術の進歩の結果だと考える愚かしさと、それを利用しようとする政治と経済こそが、地球温暖化に潜む恐怖である。

 地球温暖化問題には、石油資源経済というグローバルな経済システム、国益の名の下にうごめく世界政治、エネルギー消費から逃れられない自動車産業、増え続ける電力需要を抱えた電力企業、等々、我々の日常とかけ離れた巨大システムがその解決のカギを握っている。例えば、電力消費は、家計部門が多いから、エコな生活を送りましょうと叫んでみても、現実社会では電力消費量を減らすような動きは何処にも見られない。国家を挙げてEVの普及をする等は、まさにその典型的な例である。電力消費量を今の半分に減らすことが出来たとしたら、全ての電力会社は、破産するか、電力料金を今の倍にしなければならない。第二次世界大戦後、世界の先進国の国家目標は、経済成長であった。鉄は国家なり、電力こそが成長のカギだと叫んだ。
 
 二酸化炭素濃度を抑制する、つまり、石油消費量を減らす等は、到底不可能である。二酸化炭素濃度は減らない。地球が温暖化するとは限らない。気候変動は二酸化炭素濃度とは無関係に発生する。これが現実であり、これまでの考察の結論である。クライトンが2004年に考えたことにも間違いはあるが、15年経ったが大方は正しそうである。クライトンと共通の感慨は、「自由にものが言えない社会」になっていることだ。地球の温暖化の恐怖の第三弾は、この「自由にものが言えない社会」の恐怖をとりあげてみよう。
                                                                  2018年7月16日

2019/05/28

堕落論2018 恐怖の思想-地球温暖化の恐怖 1-

  マイクル・クライトンという作家をご存知だろうか。映画「ジュラシック・パーク」の原作者、テレビドラマ「ER緊急救急室」の脚本家と言えばおわかりだろう。クライトンが2004年に発表した「恐怖の存在」という小説がある。環境テロリストの暗躍とその謎の究明をテーマにしたサスペンスで、結構面白い。この本の下巻387ページに「作者からのメッセージ」という一節がもうけられている。クライトンは、この本を書くために、3年間、環境問題の関連書を大量に読み込んだという。私も、1990年から環境問題に足を踏み入れた。1997年12月には、京都でCOP3が開かれ京都議定書が採択されたから、2000年前後は、地球温暖化問題が世界的なテーマとして浮上した時代である。
 クライトンの小説「恐怖の存在」は、地球温暖化という誰もその真実を究明できない問題に我々はどのように向き合うべきかを問うた。「自由にものが言えない」時代の到来である。
 この「自由にものが言えない」という風潮は、私感であるが2000年前後から始まったと思われる。1989年のベルリンの壁の崩壊、その後のソ連共産主義体制の終焉により、自由主義経済が最善のものであり、資本主義の勝利だという主張。そして到来した環境至上主義の時代である。今や、世界的に「自由にものが言えない」は、当たり前になりつつある。自由主義はどこにいった。
 
 クライトンの「作者からのメッセージ」を要約すると次のようなものである。
地球温暖化問題について>
 ○二酸化炭素の増加は、人間の活動にその原因がある。
 ○地球の気候は、小氷期(1850年頃に終わった)以後、温暖化に向かっていて、現在もその
    過程にある。
 ○現在の温暖化が、自然現象なのか、人間の活動によるものなのか、誰もわからない。
 ○これから温暖化がどれだけ進むか誰もわからない。
 ○温暖化は人間の陸地の利用によるものだ。
 ○気象モデルにより政策を決定する前にモデルの検証に時間をかけた方が良い-10年か20
  年-
<化石燃料について>
 ○200年間「資源枯渇が目前に迫っている」と言っているが、このような警告に惑わされ、
      信じている人間は少し変だ。
 ○資源枯渇が人間の様々な計算に根深く浸透していることは確かだ。
 ○温暖化問題がなくても、化石燃料から別のエネルギーへの切替は、来世紀には進むだろう。
 ○2100年の人口は、現在よりも減っており、22世紀にはもっと豊かになり、より多くの
      エネルギーを消費し、ずっと豊かな自然を満喫している。
 ○こういった問題を心配する必要はない。
<安全について>
 ○安全に対する現在のこだわりは、ヒステリーに近い。
 ○このこだわりは、資源の浪費であり、人間の精神を萎縮させる。
 ○最悪の場合、全体主義に通じかねない。この点を啓蒙する必要がある。
<環境問題について>
 ○持続可能な開発や予防措置等の環境基本方針は、先進諸国の経済的優位性を維持し、発展途上国
     に近代帝国主義の尻ぬぐいをさせるものだと結論する。
 ○予防措置は自己矛盾だ。予防措置を適切に運用した場合、予防措置自体を実行できなくなる。
 ○環境問題に対する人々の純粋な善意が蝕まれている。偏見、意図的な考えの歪曲、もっともらし
      い理由付け、きれいごとでごまかした私利追求、意図したとおりに進まないこと等があるため。
 ○世界は変化している。しかし、イデオロギーと狂信者は変わらない。
 ○科学はすさまじい変革の中にあり、進化と生態環境に関する考え方は大きく変わったが、いまな
      お環境活動家は、1970年代の知見と論法にこだわっている。
 ○自然保護の方法はまったくわかっていない。フィールド研究の形跡は見当たらない。足を引っ張
  っているのは環境保護団体だ。デヴェロッパーといい勝負だ。違いは強欲か無知かという点だけ
  だ。
 ○生態系を訴訟で管理することは不可能。
 ○自然環境ほど政治的なものはない。環境を安定的に管理するためには、全てのステークホルダー
  の参加を認めなければならない。
 ○政策研究には、研究者が公平中立を維持し、ひもつきでない資金を使える仕組みが必要。
 ○公正で偏りのない研究成果を許容する出資者など、この世には存在しない。
 ○環境の開発者には、環境保護団体、政府機関、大企業が含まれる。これらの全てが等しくスネに
  傷を持つ身だ。

 地球温暖化問題は、政治、経済、社会、環境、科学技術という、いわば人間の活動の全ての分野が引き起こしている問題であり、その構造は極めて複雑である。行き着く先は、「進歩とは何か」という思想的・哲学的問題となる。そこへ行く前に、まず、地球温暖化問題とは何かから始めよう。

地球温暖化問題とは何か☆

 地球温暖化が問題となるのは、1988年にIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が設立された以後であると考えられる。温暖化ガスに関する学術的研究は、1930年代には既に研究論文が発表されているので、二酸化炭素やメタンガスの温暖化効果は、既知のものであった。政治的に大きく取り上げられるのは、1992年のリオ会議(地球サミット)で採択され1994年に発行された気候変動枠組条約以後のことであると思われる。具体的な削減目標が設定されたのは、2007年の京都会議(COP3:第三回気候変動枠組条約締約国会議)である(京都議定書)。以来、以来2017年のボン会議まで23回(COP23)開催されている。環境問題に関する国際連合の取組は、少し複雑であり、公害、生物多様性、湿地の保存等多岐にわたっている。環境問題をこれだけ細分化し、誰が何をしようとしているのかが非常にわかりにくい。ここらへんにも、環境問題を政治的・経済的に利用しようという意図が感じ取れる。
 さて、それではこのような国際的な問題として取り上げられる地球温暖化問題とは何かである。大まかに次のように整理されよう。

(1)大気中の二酸化炭素濃度の上昇は人為的なものか?

 産業革命以後、化石燃料の消費量が急激に増加した。と同時に工業化の発展・経済成長、農業革命等により人口、化石燃料の消費量が急激に増加した。人口増加、経済成長により農地開発、都市開発、森林減少が進み、これらが原因で大気組成の二酸化炭素濃度が上昇した。以上のことはほぼ確かであるが、二酸化炭素排出量には構造的な問題があるのではないのだろうか。二酸化炭素排出量と大気中の二酸化炭素濃度との関係を見てみよう。

①世界の二酸化炭素濃度の推移を、電気事業連合会が公開しているグラフ(図-1)で見てみよう。


               図-1 二酸化炭素濃度、排出量の推移(電気事業連合会HPより引用)

 産業革命以後の1900年頃の二酸化炭素濃度は300ppm程度であったが、第二次世界大戦以後急激に増加し、2006年には382ppmにまで上昇した。2018年の最近の発表で400ppmに達したと報告されている。化石燃料の消費量及び二酸化炭素排出量は、第二次世界大戦後に急激に増加した。このグラフをみると、化石燃料の消費に伴う二酸化炭素の排出量の増加と大気中の二酸化炭素濃度の増加には明らかに関係性が見られる(相関がある)。

 ②人口増加についても図-2で見てみよう。2050年、2100年の人口は推計値である。
 1800年代の人口は10億人程度であったが、第二次世界大戦以後急激に増加し、現在では70億人と約200年で7倍となった。最近の発表では、今世紀末には112億人になると予想されている。

           図-2 世界の人口

③以上の三種類のデータをみると、「人口の増加によって化石燃料の消費量が増加し、それと同時
 に化石燃料に起因する二酸化炭素排出量が増加した。その結果として大気中の二酸化炭素濃度が増
 加した」と解釈することができる。しかし、本当にそうなのだろうか。つまり、人口の増加が原因
 なのだろうか。化石燃料の消費増大の要因は、単純に人口増加だったのか。
  これらの単純なデータだけからでは判断は難しいが、推理の方法はある。図-3は、これま
 でのグラフを人口1億人当たりの二酸化炭素排出量と二酸化炭素濃度に置き換えたものであ
 る。グラフから数値を読み取っているので相当な誤差があることはご容赦願いたい。
  図-3 人口1億人当たりの二酸化炭素濃度及び化石燃料からの排出量

 化石燃料に起因する人口1億人当たりの二酸化炭素排出量は、1850年と比較すると2000年には12倍以上となっているが、大気中の二酸化炭素濃度は、2000年には1850年の1/3程度に減少している。化石燃料由来の二酸化炭素排出量は、人口の増加速度以上に増加しているらしい。特に、第二次世界大戦以後現在までの人口1億人当たりの排出量はかなりの速度で増加している。一方、人口1億人当たりの大気中二酸化炭素濃度は、1850年以後一貫して減少である。二酸化炭素排出量が増加し、大気中濃度が減少しているということは何を意味しているのだろうか。考えられる要因は一つだけである。化石燃料使用量が人口の増加に比例して増加していないことが図-3という結果の原因と考えられる。つまり、人口増加に見合うだけの化石燃料を使用していれば、大気中の二酸化炭素濃度もそれに比例して増加しなければならないが、そうはなっていないことによる。図-3のような静的な分析では、ここら辺の状況を把握することは難しい。そこで、動的、つまり時間の変化量で分析してみよう。図-4は、50年間の変化量として、年間二酸化炭素排出量、二酸化炭素濃度、人口の各増加量を基に、増加人口1億人に対する排出量、濃度の増加量をグラフ化したものである。

図-4 人口1億人の増加に対するCO2排出量、CO2濃度の増加量

 図-4のグラフから、二酸化炭素排出量の50年毎の人口1億人当たり増加量は増加傾向を示すが、二酸化炭素濃度の増加量は、1950年までは同様に増加傾向を示し、1950年以後は減少に転じている。排出量増加分の増加率が、1900年は1850年の2.4倍、1950年は1900年の1.7倍、2000年は1950年の1.5倍と、排出量の増加率が鈍化しているのに対して、人口増加量増加率は、1950年は1900年の1.6倍、2000年は1950年の4倍と極端に増加した。このことが、図-4の人口1億人当たり二酸化炭素濃度が1950年以後減少となる原因である。
 化石燃料の消費量が鈍化している要因は、イノベーションによって燃料の消費効率が高まっていることが挙げられるが、それ以外に人口増加の背景も要因となっていると考えられる。人口増加の構造に問題がありそうである。1950年までは、排出量の増加と二酸化炭素濃度は、ほぼ連動して増加している。このことは、産業革命以後、1950年までは、主に工業先進国で人口が増加していたと考えられる。ところが、1950年以後は、発展途上国、低開発国で人口が増加し、化石燃料の主たる消費国である先進国での人口増加はあまりなかったのではないかと推測できる。先進国は、化石燃料を使って生産した商品を低開発国に輸出する。低開発国は、開発支援を先進国から受けて豊かになり栄養状態が向上して人口が増加する。人口増加の構造は1950年を境に変化したと考えられる。グローバリズムという資本主義の拡大は、人口構造に影響を及ぼし、化石燃料の消費構造にも影響を及ぼした。人口増加と経済成長、グローバル化に関する研究が必要である。

(2)化石燃料由来の二酸化炭素排出量はどの程度大気中に残留するのか?

 化石燃料由来の二酸化炭素排出量の全てが大気中の二酸化炭素濃度に反映されるわけではない。海水に吸収され、海水循環をとおして地球内部に入り分解される。二酸化炭素排出量のうち大気中にとどまる割合は、50%以下だと言われている。
 そこで、1900年から2000年までの100年間の二酸化炭素濃度の上昇分に相当する二酸化炭素重量と、その間の石油消費量との関係を試算した。算出方法は、気体の状態方程式(高校化学程度の知識)と簡単な数学だけである。問題を単純化するために、下記のような条件で計算することとした。
<試算条件と結果>
 ☆図-1のデータを利用し、二酸化炭素濃度の増加分を下記のように算出する。
  1900年の二酸化炭素濃度:300ppm
      2000年の二酸化炭素濃度:400ppm
      1900年に比べて2000年には100ppm増加したとして、増加分の二酸化炭素重量を算出
  する。
      ○二酸化炭素が大気中に拡散する場合の標高は、最低で5千m、最高で1万m
  ○大気圧は二酸化炭素の拡散層厚5千mの場合、平均800hPa、1万mの場合、
   平均600hPa。
  ○二酸化炭素の拡散層厚が5千mの場合、平均温度は絶対温度273度、1万mの場合は
        258度(地球表面の平均気温は15度C)。
  ○算出結果(二酸化炭素の増加分100ppmの重量)
        拡散層厚5千mの場合:約3千億t
                        1万mの場合:約4千7百億t
                                   平均すると約4千億t
 ☆図-1のグラフから化石燃料由来の二酸化炭素排出量について1900年から2000年までの
  排出量の総量を算出する。
  ○グラフから1900年、1950年、2000年の数値を読み取って単純グラフ化して算出。
  ○1900年~2000年二酸化炭素排出量の合計は、約9千百億t。

 以上の試算結果を考察すると下記のとおりである。
 ☆1900年から2000年までの二酸化炭素濃度は100ppm上昇し、この増加分の二酸化炭 
  素重量は約4千億tである。
 ☆1900年から2000年までに化石燃料に由来する二酸化炭素排出量増加分は約9千百億tであ
  る。
 ☆1900年から2000年までに地球上で排出された二酸化炭素の約42%が大気中に残留し、
  残りの58%は海水等に吸収されたかあるいは森林・植物の光合成により吸収されたと推測され
  る。
    
 化石燃料に依存したエネルギー利用を仮に1950年ベースにまで落としたとしても、大気中の二酸化炭素濃度は確実に上昇する。2000年現在(400ppmとして)、大気中には約1兆6千億tの二酸化炭素が残留しており、自然条件化では新たな二酸化炭素の排出量をゼロにしない限り、二酸化炭素濃度が減少するとは考えにくい。仮に、化石燃料の使用量をゼロとした場合、二酸化炭素濃度を1900年ベースの300ppm程度まで落とすには、どれほどの年数が必要かという試算はどこにも見当たらない。試算してみよう。1900年から2000年まで大気中の二酸化炭素は4千億t増加した。海水等に吸収された二酸化炭素は、排出量増加分からこの4千億tを差し引いた5千百億tである。100年間で吸収したので100で割ると、年間51億t吸収可能である。大気中の二酸化炭素増加分の4千億tが年間51億tづつ吸収されるとすれば、約80年となる。今後、化石燃料の使用量をゼロとしても、1900年の二酸化炭素濃度にまで落とすためには80年を要することになる。ということは現状の二酸化炭素濃度で維持するためには、毎年の化石燃料使用量を二酸化炭素排出量51億tベースとなる1950年代にまで落とさなければならない。現在の使用量を80%減少させるということになるだろう。二酸化炭素の吸収のメカニズムは未だわからない点が多く、こんな単純な計算では無理かもしれないが、現代のグローバルな経済状況をみると、二酸化炭素濃度を現状ベースで維持することなど到底不可能である。二酸化炭素濃度は、化石燃料の消費を止めない限り増加し続ける。これがティッピング・ポイントということである。もはや、パリ条約ごときの二酸化炭素排出量抑制策では、大気中の二酸化炭素濃度を低下させることなどは不可能なところまできたということだ。

 それにしても、IPCCや環境省というのは地球温暖化について何とももどかしい表現しか使っていない。研究者の論文やレポートにしてもそうだ。高校レベルの数学、簡略化すれば中学レベルの化学と数学の知識で、化石燃料の消費量が二酸化炭素濃度に及ぼす影響を推定することができるにも関わらず、専門的用語、わけのわからない都合の良いグラフをひけらかして、環境問題の専門家が言うのだからまかせておけという。傲慢である。これこそが、知性の堕落なのである。

(3)地球は温暖化しているのだろうか?

 さて、大気中の二酸化炭素濃度は、400ppmを超えていると推定されるが、それではこのことが原因で地球全体が温暖化しているのだろうか。地球の平均気温の変化を、図-5のグラフで見てみよう。
 このグラフは、気象庁が公開しているものであり、地球の年平均気温(陸域における地表付近の気温と海面水温の平均)の偏差を示している。赤線は、直線で回帰したものであり、100年間で0.73℃上昇したことを示している。
  このグラフからわかることは以下の三点だけである。
①1900年以後、確かに、地球の年平均気温は、上昇傾向を示している。
②しかし、何故か、1950年前後から30年間だけは、ほぼ変化のない安定した期間を示してい
 る。1950年前後は、前述のように化石燃料の消費量が増大する変曲点に当たっている。
③1915年頃から1935年頃までの20年間は、一定率で上昇している。
 
 以上のことと二酸化炭素濃度の上昇との関係は、このグラフだけでがわからない。

                  図-5 気象庁が公開している地球の年平均気温

 そこで、二酸化炭素濃度と年平均気温との関係のグラフを探した。図-6のグラフは、小川氏(名古屋大学名誉教授)が作成した、二酸化炭素濃度、年平均気温偏差、太陽活動との関係のグラフである。このグラフをみる限り、1985年頃までは、二酸化炭素濃度と年平均気温との関係は、無関係である。むしろ、太陽活動と年平均気温との関係が見られる。1985年から2003年頃までの期間は、二酸化炭素濃度と年平均気温に関係がありそうであるが、2003年以後の年平均気温の低下は、太陽活動の低下と関係しているように見える。

                          図-6  小川氏作成の地球気温変化
 どうも、地球の気温は、この程度の二酸化炭素濃度の変化ではあまり大きな影響を受けないのではないかとも考えられる。
 図-7を見ていただきたい。このグラフは、ドームふじ基地(南極の4つの基地の一つであり氷床コアの調査地である)の分析結果を「東北大学大学院理学研究科大気海洋変動観測研究センター」のHPで公開していたものを引用した。過去35万年の氷床コアを分析すると、10万年~13万年の周期で温暖期となり、その間は氷期になっている。南極で温暖期と氷期の温度差は、15℃である。このことは、氷期には地球の年平均気温は0℃であったことになるから、ものすごく寒かったはずである。温暖期はせいぜい2万年程度しか続かず、急激に氷期に移行している。温暖期と氷期の変わり目は極めて短期間に起こっていることがよくわかる。このグラフから、現在の温暖期は既に終わっており、あと2~3千年後(数百年後かもしれない)には、地球はものすごく寒くなるとも見て取れる。
 
                        図-7 南極ドームふじ基地の氷床コアの分析結果

  大気中の二酸化炭素濃度もメタン濃度も同時に上昇しているが、よくみるとやや気温の上昇の方が先行している。つまり、地球気温が上昇し始めると少し遅れて(数百年程度か?)二酸化炭素やメタンの濃度が上昇し始めることを示している。また、いずれの温暖期にも、二酸化炭素の濃度は300ppm程度がピークになっている。この二酸化炭素濃度は、南極の濃度であるから、地球全体の濃度、あるいは北半球の濃度となると、かなり高くなると考えられる。ひょっとしたら倍近くになるかもしれない。
 さらにもう一つグラフをみてみよう。図-8のグラフは、国立極地研究所が公開しているグラフである。グリーンランドの氷床コアの分析結果である。

       図-8 グリーンランドの氷床コアの分析結果による地球温度の変化

  一番下のグラフは過去4000年の変化を示したものだが、紀元前2000年頃から1000年頃までの3000年間は、かなり高温であった。1000年頃から現在まで小氷期に近い低温期であったが、最近はやや高温期に入っている。それでも1300年前(奈良時代頃)の高温期に比べたらかなり低い。

 公開されているデータからみると、地球気温の変化を100年程度の短期的変動で推定することは難しいことがわかる。勿論、統計的な気象観測というものが確立したのは、せいぜい50年前ぐらいだから、それ以外は、全て推定やシミュレーション、氷床コアの分析に依らざるをえない。大気中の二酸化炭素濃度が高くなったから、地球気温が上昇したという因果関係を説明することは、極めて難しいことが、これだけのデータでもよくわかる。地球シミュレーションによれば因果関係が認められると説明する研究者がいるが、二変数間の相関を基にしたシミュレーションは信用できない。気候変動に関連する変数の数は、膨大なものであり、その関係は極めて複雑である。数学では三体問題(三変数間相互に関係がある場合)が解けないのは常識である。

 さて、ここで、冒頭で取り上げた、マイクル・クライトンからのメッセージに戻ってみよう。まず、地球温暖化問題であるが、二酸化炭素等の温暖化ガスの排出量が増加してはいるが、これが原因で地球が温暖化していると断定するためには科学的根拠に乏しく、現段階では因果関係があるとした議論は正しくない。誰にもわからない。しかし、陸域の偏った土地利用(大都市への人口集中と化石燃料の大量消費)がもたらす様々な局地的気候変動は増加すると考えられる。氷床コアの分析等によっても、地球が寒冷化に向かうと考える方が妥当である。これも21世紀末に寒冷化するわけではない。数百年から数千年の間に急速に寒冷化するのではないだろうか。寒冷化の原因についても解明されていない。 
 二酸化炭素濃度が上昇するスピードは、現在の化石燃料消費量水準で推移するとした場合、年間2ppm程度のスピードで上昇する。しかし、酸素濃度は目立って減少しない。大気中の二酸化炭素量に比べて酸素量が圧倒的に多いためである。100年後には、二酸化炭素濃度は600ppmに達していることになるが、この程度の濃度では人体への影響はない。喫煙者の血中二酸化炭素濃度はこんなものではないだろう。さらに、大都市部の居住者の血中濃度も相当に高いはずである。問題は、エネルギー全体の利用量が、都市部を中心に急激に増加することだ。ヒートアイランド現象の影響である。地球がその前に一時的に寒冷化すると、大気中の二酸化炭素濃度は最大100ppmほど減少すると考えられるが、二酸化炭素濃度が500ppm以下に下がるとは考えにくい。化石燃料由来の二酸化炭素排出量を完全にゼロにするための方策があったとしても、使用エネルギー量が減少しない限り、地球は局地的に暖め続けられ、熱放射は増大する。二酸化炭素濃度が1000ppmになったとしても健康不安は少ないと言われている。当面、二酸化炭素濃度による問題はないと考える方が妥当である。

地球温暖化と二酸化炭素濃度の増加は別問題なのか?

 以上のように、現段階では別問題であると考えた方が科学的である。地球温暖化というよりは、気候変動の問題である。今回のような記録的豪雨は勿論、大規模山火事、干ばつ等、世界で局地的に発生する気候変動は、予測さえ困難である。今回の記録的豪雨などは一週間前には予報さえ出ていなかった。気候シミュレータは、どうなっているのだ。アメリカの大規模山火事にしても予測さえ困難である。二酸化炭素濃度の増加と地球温暖化を結びつけ、さらには局地的気候変動にまで関連づけ、地球規模での対策をとろうとする背景には一体何が存在するのだろうか。
 今や、地球温暖化問題に異を唱えれば異端者である。それを考えれば、「もったいない学会」等はがっばっている方だ。IPCCは、二酸化炭素排出量を今世紀末にはゼロにすると言っているそうである。どんなエネルギーをもってそれを可能にするのか。そんなものは、科学的にまだ発見されていない。科学者からは、何の異論もあがっていない。そうであった、学者、研究者は、既に堕落しているのであった。地球温暖化問題、二酸化炭素問題は、誰も何も言えないという社会を地球規模で作り出した。かつての優生学と同じである。劣等な人間は、断種してしまえ。劣等人種は、皆殺しである。当時の巨大資本・企業はこぞって優生学を支持した。地球温暖化問題、二酸化炭素問題は、ナチのホロコーストの思想が、形を変えて出現したのである。グローバル企業が競って地球温暖化問題を取り上げているのも、当時と同じである。ナチと同じようにドイツ、イギリスを中心とした、優生学的思想の系譜だ。第二次世界大戦後、その思想は消滅したと考えられていたが、思想の根底は消えていなかった。
 地球温暖化問題の根は深いところにある。地球温暖化問題の第二弾は、資源枯渇問題に触れてみよう。ここにも恐怖が存在する。

                                2018年7月8日
2019/05/28

堕落論2018 恐怖の思想-序-

「恐怖の思想」

 人に限らず、全ての動物にとって「恐怖」は、生と死の境界に位置する唯一の感情である。
 恐怖による人間の支配は、今に始まったことではない。人が人を支配する根本原理は「恐怖」である。「俺に刃向かえば殺す」、「法に背けば死刑だ」、「我が国は原爆を持っている」等々、レベルは違うが、恐怖が最も有効な支配手段であることは疑いようがない。会社でも同じだ。言うことに従わなければ左遷になるし、首になるかもしれない。組織管理と言えば聞こえはいいが、どんな管理手法を用いようと、衣の下には「恐怖」という鎧がある。マネジメントサイエンスの基本原理としての「恐怖」の存在は真理である。

 刑法、民法、商法等々の法理論は「してはならぬ」を原理とする。違反すれば、罰則により処罰される。罰則という恐怖によって国民を規制し、社会秩序を保つ。社会秩序の根本原理も「恐怖」である。

 一方、人間にとって、恐怖は生きるために必要な感覚でもある。現代人の恐怖に対する感度は、昔の人間に比べてかなり低くなったと言われる。恐怖に対する鋭敏性を失った人類は、絶滅の道をひた走ることになるかもしれない。「恐怖」は、人類生存のための原理でもある。

  「恐怖」は、個人の感性において最も鋭敏であり、生存の原理であるがために、政治的、経済的、社会的支配論理の根本原理ともなる。「恐怖の思想」とは、政治的・経済的・社会的人間支配の思想であり、人類生存の根本思想でもある。
                          
現代の恐怖

 現代における政策目標の第一は、「安心」、「安全」である。「安心」は、不安の少ない社会であり、「安全」は、危険な目にあうことの少ない社会のことだろう。こんな社会が実現できるかどうか、はなはだ疑問である。自然災害をできるだけ少なくしたいということならばわからぬわけではない。堤防を作り洪水被害を防止し、津波の被害を最小限に抑えようということである。だが、国民全体の漠然とした不安を解消するなどは到底不可能である。例えば、自由、平等、平和、正義等は、よく見られる政治的スローガンであり、哲学的、思想的、歴史的には議論し尽くしている。しかし、安心、安全となると、議論、究明の余地のない単純な概念であり、国家目標とするにはあまりにも幼稚なものとなる。

 日本語では、不安と恐怖は異なるという。不安は、恐怖の対象がはっきりしない漠然としたものであり、恐怖は対象がはっきりしているというのである。キルケゴールの実存哲学の受け売りだろう。英語では、不安も恐怖も同じだ。不安と恐怖は、恐怖感の程度の差でしかない。Fear、Anxious、Worry、Terror等々であるが、このうちTerror(テロ)だけは不安どころではない恐怖である。健康不安と言えば、いつ病気になるかわからない不安であるが、病気に対する恐怖とも表現できる。死に対する不安は「死の恐怖」である。しかし、両者には微妙な違いが感じられる。例えば、健康不安は、病歴があって普段から健康に注意しなければ病気になるのではないかという不安である。人の恐怖感には様々なレベルがある。日本語でも、不安、心配、気がかり、畏敬、恐れ等で表現される言葉がある。恐怖以外の感情と恐怖とが重なりあった複雑な感情を表現するものとなる。しかし、これらの複雑な感覚の第一には恐怖がある。恐怖=死への感覚を核にその他の感覚が複雑に関連するのである。「恐怖の思想」とは、人間の生存に関する恐怖の政治的、経済的、社会的問題に関する考え方である。
 現代社会における「恐怖の思想」として、「地球温暖化」、「民主主義」、「資本主義」、「科学技術」の4つの問題について考えてみよう。


 まず、最初に「地球温暖化問題」を取り上げる。1997年12月、京都議定書が採択された。地球規模で二酸化炭素排出量削減に取り組むというものである。2000年前後には、二酸化炭素による地球温暖化は本当なのかという議論が巻き起こった。二酸化炭素濃度、地球の平均気温計測、地球シミュレータに対する疑問等、どちらかと言えば科学的・技術的な曖昧さ、不確かさについての問題であったが、それよりも誰にもわからない地球文明の破滅というシナリオを政治的手段とすることに対する強い警戒感でもあった。

 二酸化炭素の排出量は、第二次世界大戦後から急激に増加している。人口増加と科学技術の進歩によるエネルギー消費量の増加が主な要因である。二酸化炭素濃度の急上昇は、地球温暖化の原因となり、地球規模の気候変動によって深刻な被害がもたらされる。そのため、化石燃料の消費量を抑制し、再生可能エネルギーに転換する等の対策を行うというのが地球温暖化対策である。

 二酸化炭素濃度はどこまで上昇するのか。二酸化炭素濃度がどの程度になると人間は死ぬのか。二酸化炭素を固定・吸収する方法はないのか。森林は二酸化炭素の吸収源となりうるのか。等々、二酸化炭素の排出・吸収に関しても様々な疑問がある。

 地球温暖化はどこまで進むのか。小氷期に向かう気候変動とどのように関係しているのか。気候変動はどの程度のものになるのか。海面上昇を止めることはできるのか。ティッピング・ポイントは本当にあるのか。等々、気候変動がどうなるのかさえわからない。

 代替可能エネルギーは、本当に利用されているのか。代替可能エネルギーで現在のエネルギー需要をまかなえるのか。代替可能エネルギーを効率的に利用するためにはどれほどの投資が必要なのだ。自動車を全て電気自動車に転換する、本当にできるのか。等々、エネルギー問題もわからないことばかりだ。

 一体全体、誰もわからない問題にどれほどの税金が投入されているのだ。投資効果はどれだけあがったのだ。来たるべき海面上昇、二酸化炭素濃度上昇に対して、真に取り組むべき対策は、他にあるのではないのか。この20年間の対策はほとんど無意味だったのではないか。等々、COPや我が国の取組についてもわからないことばかりだ。

 二酸化炭素濃度の上昇を疑うのではない。疑うべきは、対策の愚かしさ、愚策についてである。人類生存に関わる恐怖として、様々な角度から迫らなければならない。とりあえず、迫ってみよう。世界の堕落の行き着く先をみるかもしれないのだ。

民主主義に潜む恐怖

 民主主義の歴史は古く、ギリシャ時代に遡るから約2,400年前である。それ以前の文明に存在したかどうかはよくわかっていない。世界4大文明は、紀元前3000年頃に誕生した。なかでも、メソポタミア文明には、最古の法典であるウル・ナンム法典、ハンムラビ法典がある。およそ紀元前2000年頃のものである。ギリシャ文明における民主制の誕生が紀元前500年頃とすると、法制度が発明されてから民主制が誕生するまでに1500年を要している。ギリシャ文明も300年ほどでローマ文明へとその舞台を移す。ローマ文明は、共和制から皇帝制へと移行しつつ西暦400年~500年頃に西ローマ帝国の滅亡で西ヨーロッパ地域の覇権を失う。西暦400年頃からルネサンス期の1400年頃までの約1000年間のヨーロッパは、ゲルマン民族であるフランク族の定住、北からの民族移動、イスラムの勃興、キリスト教の興隆等々、宗教的教義を規範とする封建制国家へとめまぐるしく変化する。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教という起源を同じくする宗教間の熾烈な覇権争いであり、宗教哲学と政治・経済・科学との分離の産みの苦しみと言うことも出来よう。ルネサンス期に入ってどうやら形而上的呪縛から解き放されたが、一方では、宗教的霊性と人間の理性、知性との関係に哲学者が悩み続けることになる。ローマ時代初期、つまり、キリスト教の誕生ともに民主主義は文明から姿を消した。民主主義が再び歴史に登場するのは、1789年のフランス革命であろう。現在、我々が使っている「左派」という言葉は、この時代のフランスで生まれた。議会の左側に革命を主導したジャコバン派が座ったことに由来する。しかし、このジャコバン派の粛清はすさまじく恐怖政治と呼ばれる。19世紀には再び王政が復興するが、18世紀の絶対王権と異なり、制限付ながら民主制となった。議会制の歴史を見ると、イギリスが13世紀には王政の元で議会制を採用しているが、現代の民主主義とは異なる。現代の民主主義に近いのは清教徒革命以後の18世紀にはいってからと考えられる。近代民主主義は、西欧では概ね18世紀半ばに形作られたと考えられ、せいぜい250年の歴史とみてよいだろう。日本では、明治20年の帝国憲法の制定以後であるから130年程度と、西欧の半分の歴史でしかない。

 ギリシャ時代の終焉とともに民主主義は効力を失い、2000年の時を経て再度復活する。この2000年間に帝国制、封建制、王政、君主制等々、どちらかと言えば支配者側に好都合な統治制度の実験が続いた。民主制は、権力層には都合が悪いのである。しかし、250年もああでもないこうでもないと民主制、民主主義を続けてくるとその思想にも、ほころびが見え始めた。最初の民主主義の失敗は、第一次世界大戦後から第二次世界大戦までの20年間である。第二次世界大戦の終結で一端修復されたかに見えた。我が国では、見よう見まねの戦後民主主義なるものが戦後復興、人口増加を伴う経済成長とともにあたかも真の民主主義であるかのように現在まで継承された。果たしてそうであったか。バブル経済崩壊後の政治、経済、社会を振り返ってみよ。

 現代日本における民主主義とは何かを問わなければならない。「恐怖の思想」の第二弾は、戦後民主主義に潜む恐怖である。

資本主義に潜む恐怖

 1998年、ソビエト連邦が崩壊し、共産主義、社会主義体制が崩壊した。中国は、1978年に鄧小平により改革開放路線が決定され、社会主義体制下での経済の自由化(価格の自由化)が進められたが、現在の経済成長につながるのは、ソビエト連邦の崩壊以後である。
 資本主義を英語では、Capitalismと言うが、語源はCap=頭である。資本を持っているものがCapとなることを意味する。資本主義の特性を論じたのは、アダム・スミスでありマルクスであった。勿論、彼らだけがこの仕組みがなんであるかを論究していたわけではない。18世紀以後現代にいたるまで、資本及び資本主義の特性については、自由放任、市場ルール、公共経済等々、議論、議論の連続である。今や、アメリカ社会は、国民の僅か1%に大部分の所得が集中する資本主義社会の堕落の極致となった。資本主義は、ルールなしの自由な社会では、放っておけば富める者はますます富み、貧しき者はさらに貧しくなる。経済の歴史がそれを示している。それでは、ルールがあれば貧富の格差は縮まるのだろうか。現代社会には、様々なルールがあるが、それでもアメリカのように貧富の格差は埋まらず、さらに広がっている。19世紀、20世紀初頭の金持ちは、基本的に悪い奴だった。だます、脅す、賄賂を使うは当たり前であり、邪魔な奴は殺してしまう。マフィア、やくざ等々もびっくりであり、政治権力とも密接につながっていた。この伝統は、今もあるかもしれないのだ。資本主義の反対は共産主義である。しかし、共産主義経済がうまくいかないことは、ソビエト連邦の崩壊、中国共産党の経済政策転換が示した。資本主義は、どのようなルール作りをしようと、人間の欲望と堕落をその源泉とする限り、自己崩壊へと転落する恐怖を内在している。「恐怖の思想」の第三弾は、資本主義に潜む恐怖である。

科学に潜む恐怖

 人工知能=AI、ひも理論、新たな物理学、分子生物学、バイオテクノロジー、宇宙科学等々、新たな科学的発見だと喧伝される。人工知能については、以前、説明したとおりである。21世紀になって、新たな科学的発見なるものが果たしてあったのだろうか。

 それはともかく、近代科学の進歩、技術の発展は、経済的、社会的、環境的、政治的なあらゆる側面においてとてつもない影響を及ぼした。第一次世界大戦以後の戦争は、それまでの戦争ではみられなかった破壊力である。科学・技術の進歩・発展は、それ自体のなかで生じるのか、あるいは、社会や経済の進歩との相互依存性によるものなのか。人間は欲望の動物である。欲望の故に自律を求め美徳を最善のものとした。しかし、科学者に美徳はない。欲望のままに未知なるものに挑む。宗教的戒律から解き放たれた人間にとって科学が自己完結的に進歩することは必然なのである。

 科学の進歩といっても内容が問題である。科学の何が進歩したのかである。社会科学、自然科学を問わず、科学は、まず、様式である。研究者になるために同業者仲間に入るところからその「様式」が始まる。手っ取り早く、どこかの学会の会員になるが、これだけでは駄目で、気の合う仲間を数人作る必要がある。研究方法、論文様式についても文句のない「様式」をマスターしなければならない。研究版の小笠原流とでも言えよう。この「様式」をマスターするにために数年をかけなければならない。研究者の何割かは、「様式」だけのために一生をかけている。次が研究テーマである。他人とは違う、誰もやっていないテーマを選ぶのは当然のことだ。研究テーマは、極めて狭い領域であるから、そのテーマで一つの新たな発見があるとわからない部分がさらに数倍に膨れあがる。こうして、先行研究者の発見によってもたらされた新たなわからないテーマを次の研究者がテーマとする。おわかりのとおり、研究テーマは、ねずみ算式に増加する。それも、重箱の隅どころではない、微細な分野であり、素人では何がこれまでのテーマと異なるのかを見いだすのは容易ではない。ここまで研究テーマが細分化されると研究成果の評価が難しくなる。さあ、そのためには、前述の「様式」が重要となる。研究仲間の評価、研究方法、論文の様式である。科学は、「様式」と微細な研究テーマとの間のキャッチボールに終始することになる。学会はもはや研究成果を論じ合う場ではなく、業界と化している。人類の生存、進歩への貢献とはほど遠い。研究者不足であるとして税金を投入し続ける。さらに悪いことには、重箱の隅どころではない微細な分野の研究者が、社会、経済、政治、環境等の総合的問題について学識経験者なるものとして解決案を提案する。問題の本質的所在さえ考えたことのない者が答えられるわけがない。もっと悪いことは、科学は、「価値」問題を扱わないことである。価値とは、何が良くて何が悪いか、何が一番で何が二番かということだが、科学にとって、序列、優劣は無関係である。

 科学に潜む恐怖とはこういうことである。ねずみ算的に増加する科学分野と、科学と密接に関連する政策、企業のイノベーションには20世紀に常識であった創造的破壊などは期待できそうにもない。際限なく拡大する科学に潜む恐怖なるものを見ることにする。

 恐怖の「恐」という字を漢字源で調べてみた。「恐」の上部は、穴を開けるという意味で、それに「心」を付けて、心の中に穴が開いた状態を意味するという。「怖」は、心が布のように薄いことを意味する。従って、「恐怖」とは、心を突き通して穴があいてうつろになり、ひらひらしたような状態ということになる。いてもたってもいられない不安ということだ。

 我々の生存にとって、今、そこにある恐怖を感じ取ることは、もはや理性的で分析的な能力だけでは困難である。今、そこにある問題とは、現実的な問題だけではなく、少し前の過去と少し先の未来も含めた問題である。遠い未来はわからない。しかし、現実の問題が少し先にも続くとすれば、それはかなり遠い将来にも持ち越されるのである。「恐怖の思想」には、これ以外に例えば、「社会による救済」という「恐怖の思想」もある。これは、最後にみることにしよう。

                                2018年6月10日
2019/05/28

堕落論2018 森友問題とは何か? -官僚制の堕落-

 去年から国会と言えば森友問題である。森友問題に何の興味もないが、もういい加減にしたらどうだと言いたくなるのは私一人だろうか。大阪地検が捜査をしているのだから、地検の捜査結果を見てはどうだ。野党にとっては絶好の政局到来だろうが、国民からすれば何ともちまちました民主主義ではないか。

 森友問題は、国有地の売却に安倍政権が関与した疑いがあるという点から始まった。安倍総理夫人というのも何とも訳のわからない人物である。一国の総理夫人ともなれば、もはや私人とは言いがたいにもかかわらず、一介の私立小学校の名誉職につく等は言語道断である。それも、極右的教育思想にかぶれた小学校にである。森友というのは、元々は珠算塾の創立者であったらしく、珠算教育では名の知れた人物のようである。教育勅語を子供達に暗記させるというのだから、時代錯誤どころではない。一朝ことあらば、天皇のために死ねという。それこそ堕落論の出だしを地でいっているようなものだ。
 
なぜ国有地の売値を9億円から150万円まで値下げしたのか?

 ところで、森友学園に売却された国有地の市場価格はどの程度のものだったのだろうか。ネットの情報によれば、不動産鑑定評価額は9億5千6百万円(2,658坪程度、坪当たり36万円)だが、実際の売却額は、150万円(坪当たり564円)だった。なんと、地下のゴミの処分費が8億2千万円、以前に処理したゴミ処分費が1億3千万円であったため、この両方のゴミ処分費の合計額が評価額から差し引かれて、150万円で売却となったものである。2011年には大阪音楽大学が7億円で入札したそうだが、近畿財務局が安すぎるとして落札できなかった経緯がある。大阪国際空港に隣接し、騒音指定地域になっている土地だから、とても良い土地だとは言えない代物である。それにしてもだ、坪564円なら私だって買っておいてもいいかなと思う。ドッグランにしても十分元手はとれそうだ。
  9億6千万円の土地を150万円まで値下げした理由がゴミ処分費に8億2千万円+1億3千万円かかるというのがよくわからない。国土交通省の試算だそうだ。鉛やヒ素が大量に含まれているのであればわかるが、どれほどの環境影響物質なのか等は何も報道されていない。そもそも、騒音にプラスして公害物質が大量に含まれる土地で小学校を経営するなどは論外ではないか。
 いずれにしても、売買価格がなぜこれほど安くなるかは大きな疑問である。報道情報によれば、当初は深さ3mまでのゴミ処理であったが、9.9mまでボーリングしたらボーリングの刃の先端にゴミが付着していたため、深さ10mまでのゴミ処理としたとのことである。深さ10mで2,700坪の汚染土壌の処理と再埋め立てなら、常識で考えても坪50万円程度はかかることになる。汚染土壌の深度は、今もってわからない。
 
国政調査権(国会証人喚問)の欺瞞

  前理財局長に対する証人喚問が行われたが、訴追の恐れがあるので話せないで終わりである。証言拒否は偽証には当たらない。さらに、「記憶にない」も証拠がない限り偽証ではない。国政調査権(証人喚問)なる制度は何の効果もないというのが一般的感想である。国会ショーのクライマックスといったところか。それにしても、大阪地検の捜査結果が出るのが遅すぎる。
 国政調査権というものは、野党の少数意見を広く国民に知らしめるためのツールである。そうだとすれば、野党はもっとこの権利を有効に使わなければならない。政治家の対応の何と下手くそなことか。政治家が証人喚問の壇上で証人に証言を求めるにはそれなりのテクニックが必要だ。当初は、国有地の売却に関する安倍総理周辺の疑惑だったが、現在は、理財局の公文書改ざんへと変化した。森友問題が国民にとってわかりづらいのは、何が問題なのか、何が法律に違反しているのか、何が不道徳で悪なのかがよくわからないことである。

森友問題の本質とは何か?

  そもそも、森友問題の本質とは何かである。
 第一点は、国有地が不当に安く売却されたことである。前述のように実質150万円で売却されたとすれば、安く売らなければならなかった理由があるはずである。仮に、安倍総理夫人の関与あるいは関連するものの何らかの圧力があったとしても、手続き、決済は財務省理財局によってなされたことであり、理財局内部において手続き上の不正があったことになる。大阪地検の捜査もこの点に集中するであろうことは容易に予想される。
 第二点は、安倍総理夫人及び関連政治家の関与の程度の問題である。金銭の授受等があったとすれば、大阪地検の捜査範囲であるが、そういうことがなくかつ政治家の圧力と言えるほどのものがなかったとした場合の問題は何かである。仮にも一国の総理夫人が関与していたのだから、法的に問題はないとしても、政治倫理・道徳においては最低の行為と言えるのではないか。反省し、今後は注意しますだけでは納得できる問題ではない。何らかのけじめがなければ、一国のリーダーとして現政権を維持することは難しいと考えられる。
 第三点は、決済文書の改ざん問題である。国有地の売却に関して手続き上の書類が改ざんされたことは、公文書管理法違反だとするものである。財務省における組織管理の問題である。公文書もワープロで作成される。ご存じのようにワープロで文書を作成する場合には何度も修正を入れることになるので、修正の都度保存することはできない。また、校正記録を残すことはできるがこれも最終的には反映させて履歴を消してしまう。公文書といってもどの時点をもって公文書とするかは容易ではない。米国の公文書管理機構と比較した日本の貧弱な機構について論じられる。米国の公文書管理記録局(公文書館)に保存される公文書は、各省庁の手を離れた文書を一元化して管理しているものであり、日本にも同様の組織があるが規模は比較にならないほど小さい。各省庁で保管管理するよりも効率的であるので、このシステムを活用すれば良いが、公文書館で保存されていない公文書は存在しないことになる。仮に、公文書管理が米国並みのシステムで管理されたとした場合、今回のような公文書改ざん問題は発生しないかというと、それは別である。公文書館に改ざん後の文書を送っていたら、改ざん問題にはならないではないからだ。理財局内部で再度決済し直したとしても、それは内部手続きの問題であって公文書として保存管理する前のものであり、そういった文書は全て破棄したで終わりである。つまり、文書作成と修正は常に発生するのが当たり前なのだから、最終的に保存管理される文書が公文書であると定義すれば、今回の事件は公文書改ざんと見なすことは難しい。財務省という官僚の中の官僚が、二人の自殺者を出すほどの事件ではあるまい。
 第四点は、官僚制度の問題である。政府組織というものは社会主義体制であると、堕落論2017でも論じた。官僚制度は、ギリシャ時代の昔から、民主主義であろうと共産主義であろうと絶対王政であろうとその本質に違いはない。ソクラテスは「国家」の中で、哲人政治こそが理想の政治と説いた。政治家が賢者であることを必須とする政治思想である。しかし、国政を実行するのは役人だから、役人こそが賢者、哲人でなければならない。孔子は、儒教思想による政治の実践を求めて全国諸侯を訪ね歩いて一生を終えた。それは、豊富な知識と高い教養を持ち徳を身につけた仁の人による政治こそが理想の政治と説いたのである。ソクラテスは孔子よりも100年ほど後の人であるが、社会や人間の理想像というものはこの時代に全て論じきられたのかもしれない。勿論、人権については、近代言論の産物ではあるが。官僚制の研究は、20世紀初頭のドイツ人経済学者、マックス・ウエーバーに始まる。階級的で硬直的な組織機構、社会主義的体制は世界共通であり、まさにグローバルなシステムである。こういった特性を持つのは、法治制度における行政組織では当たり前である。行政組織の活動は法律によって定められ、機能の多くは許認可に関わるから、許認可決済の手順に従ったピラミッド型の組織機構となる。情報化が進み、民主主義が国民に浸透した現代においても、この官僚組織に替わるシステムを作り出すことはできない。作り出せないという表現は間違っている。システムを変えるような切羽詰まった状況にはならないと言った方が適切である。

森友問題、加計学園問題などはうんざりだ!

 この堕落論2018を書き始めたのは、3月半ばのことだった。連日の森友ニュースにうんざりしつつ、この問題の本質はどこにあるかを考えた。考えれば考えるほどうんざりするのである。加計学園問題についても同様だ。愛媛県の一地方が、地方再生に目を付けたのが認可されない獣医学部の新設だった。アジアから留学生を集められるのだ。少子化にあって学校新設がビジネスになるわけがないのは誰でもわかる話だが、あえて挑戦した。国際的には、かなり可能性が高いビジネスになるかもしれないからだ。グローバルビジネスの中で、獣医、歯科医、医師の養成は、マーケットは小さいが高度な医療技術を有する日本にとっては結構おいしいビジネスになるかもしれない。つまり、グローバルな市場で、日本がリードできる分野は、ニッチな市場なのである。あらゆる工学分野、農学分野、観光学などのサービス分野等での人材養成産業は、どの分野をとっても労働市場は小さいがアジアでは有望な市場なのである。文部省の硬直した慣習を打ち破るには、これしか手がなかったのか。多分、これしかなかったのである。野党の追及の意味、目的が曖昧で、うんざりしていた。大所高所から、攻め込むことができない。未成熟な民主主義というべきか、堕落した民主主義というべきか。一つのビジネスチャンスが、なだれ的にビジネスを生み出すかもしれないのに、その芽をつむのである。こういうのは、通常、政権与党が仕掛けるか、官僚組織や検察が仕掛けたりするものだ。加計学園問題には、何となくこういうにおいがするがどうだろうか。

官僚制を廃止する方策はないのか?
 
 官僚制はすぐ堕落する。再発防止、綱紀粛正・・・。言葉は並ぶが、時間がたつと忘れてしまう。社会主義体制は、堕落するのだ。堕落しない理想的な組織であるべきであり、正義こそが使命だとして組織管理をすると必ず堕落するのである。資本主義的組織、企業組織は、元来、堕落を内包している。元々、企業は堕落した組織なのである。移り気な市場,金と欲望の堕落社会を生き残るには、衣の下に堕落を抱き込んでいなければならない。企業にとって堕落こそが鎧であり武器である。
 公僕を理想とする組織が、21世紀の資本主義社会に存続すること自体が異常である。官僚制を廃止せよ。廃止できずとも、官僚機構の階級制を廃止せよ。官僚制に内在する腐敗、怠慢、傲慢を、自らの組織内で正し、罰する仕組みを作らなくてはならない。組織内からの告発制度を作り、警察・検察などの従来の司法制度とは異なる国家組織内の司法制度を作れ。公文書管理などに森友問題みたいなちまちました手続きを入れるな。
 このためには何をするべきか。まず、法律改正、新法の発議は数年間停止せよ。規制緩和、旧法の廃止だけを国会審議とすべきである。これによって、官僚の仕事は、現法の執行だけである。暇な部所は廃止・統合せよ。当然、政治家も暇になる。政治家、公務員の給与は高すぎる。恐らく、先進国をみてもこれだけ高い給与を払っている国は他にない。公務員採用試験を現在の階級的試験から、一律の試験に変更せよ。中卒であろうと高卒であろうと大卒・院卒であろうと、試験は一本である。次は、終身雇用の廃止である。EUのように期間契約にすることである。期間契約制度を採用するからこそ、新法や法に準ずる規則等の変更を定期的に一定期間停止する制度が必要になる。
 これだけ法律が整備されているのだから、5年程度法律改正などはなくても何の支障もない。これだけで官僚制は終わる。堺屋師匠の言うように官僚制こそが日本のガンなのかもしれない。

                                2018年4月20日

2019/05/28

堕落論2018 人工知能で何が変わるか?

  2016年から2017年にかけて科学技術最大のニュースを挙げるとすれば、重力波の発見と人工知能(AI)だろう。人工知能が囲碁界最高のプロ棋士に勝った。将棋では既に人工知能が勝っているが、囲碁は将棋に比べると思考形態が人間的であるため、人工知能は勝てないのではないかと言われていた。ところがである。あっさりと人工知能が勝ってしまった。

人工知能は革新的技術か?・・・本当か?
  
  ところで、人工知能とは何かである。ネットで検索しても人工知能を理解することは容易ではない。ディープラーニング、ニューラルネットワーク、機械学習等々、様々な専門用語ばかりで、それが人工知能とどんな関係があるのかはほとんどわからない。コンピュータが人間のと同じように、言葉や画像を認識し、学習し、問題に対して判断を下すというのだろうか。現在のAI技術は、どこまで人間の知性に近づいているのか、将来どの程度まで成長するのだろうか。実は、わからないことだらけなのである。

  しかし、ニュース、テレビを見ると、今にも人工知能が人の仕事を奪うことのように伝えている。昨年、NHKが長々と内外の専門家なる者を数名集めて人工知能がもたらす社会変革に関する討論会を放送した。人工知能と呼ばれるコンピューターの仕組み、現在の技術、将来の技術進歩等に関する情報は何も放送せず、ただ人工知能が実現したらああなる、こうなるという無味乾燥というか、全く意味のない議論だった。受信料を徴収しているのなら、もっとましな放送ができそうなものだが、何ともおそまつな内容で話にならん。NHKの科学技術に関する放送のほとんどはこのようなものだ。NHKの企画スタッフが理解していないのだ。十分な知識と経験がないため、いい加減なところでごまかしてしまう。コズミックフロントという天文・宇宙の番組があるが、15分で終わる内容を無関係な内容でごまかして1時間に引き延ばす。韓国ドラマのNHK天文ドキュメンタリー版である。将棋・碁の人工知能との対決番組があったが、人工知能のアルゴリズムの説明が全くといってよいほど欠落している。コンピュータ碁のアルゴリズムは著作権フリーで公開されているのだから、もっと追求しなくては意味がない。こういった報道の意図しているところは一体何なのか。人工知能社会がすぐにでも実現され、大きな社会変化が起きるぞと国民に警告し脅すことなのか。恐怖、脅迫が社会を変えるという恐怖の思想ではないか。

  民間シンクタンクのHPを見ると、「日本の労働人口の49%が人工知能やロボット等で代替可能に」なると公表している。それも、今から12年後の2030年のことだそうだ。コンピューターによる自動加工システム、自動倉庫等は、ものすごいスピードで改善・改良が進められており、今更人工知能などと大げさなことを言うこともない。

  人工知能が社会を変えるのか。本当か?。2018年の始まりは、人工知能の真実にせまろう。おそらく、ここにも堕落の何かが潜んでいるに違いない。

が情報を記憶する仕組みはどうなっているのだ?

  人工知能とは何かを知る前に、人間のの働きをみなくてはならない。近年では科学という科学が急速にの働きを解明している。の解剖学的解明は、1920年代から盛んに行われ、1940年代には神経細胞の構造が解明されている。ニューロンの働きである。

  最近、二冊の本を読んだ。佐藤愛子さんの「90歳。何がめでたい」と養老孟司さんの「遺言」である。久しぶりに丸善に寄ってぶらぶら見ていたら、とりあえず沢山積んである本があったのでとって見たらこの二冊の本だった。ただ、それだけで選んだので著者には申し訳ない。佐藤愛子さんの話し方や風貌を見ていると、何故か母を思い出し、親しみを感じる。大正生まれの女性に共通の何かがあるのかもしれない。「90歳。何がめでたい」は、最近の世相の異な事や、もの申すことが何となくはばかれる風潮に対する佐藤愛子さんの笑い飛ばしである。考えようによっては世間の脳内の問題とも言える。 

  脳に関連するのは、「遺言」である。養老先生は、「バカの壁」以来、私の師匠である。養老師匠は、物の見方、考え方には、様々な視点があることを説く。「遺言」は、意識と感覚とのバランスを論じたものと言って良いが、人間の脳の活動を、養老師匠の解剖学的知見とものの見方を基に思いのままに記述したものである。さすがに養老師匠、はじめに哲学についてことわりを入れてある。哲学は、ギリシャの昔から脳の中の問題を取り扱うからだ。養老師匠も脳の記憶のメカニズムとその活性について考えた。特に、静止記憶ではなく、時間経過を伴う記憶、動的記憶ともいうべき記憶である。

  脳の記憶のメカニズムは、静止記憶であろうと動的記憶であろうと、ほとんどわかっていないらしい。脳の神経細胞の1個には、核を中心に樹状突起と呼ばれる組織が沢山でている。一つの樹状突起には他の神経細胞から情報を受け取る受容体が1万個以上あるらしい。核からは他の神経細胞に情報を伝える伝送路ともいうべき軸索が一本伸びている。軸索の先にシナプスという他の神経細胞に情報を伝達するための器官がこれも1万個以上あるらしい。神経細胞は、他の神経細胞のシナプスから樹状突起の受容体で情報を受け取り、それを自分のシナプスを通して他の神経細胞に情報を伝える。情報といっても電気信号である。シナプスと受容体の間は化学的に結合しているので、シナプスは電気信号を伝達物質の放出に変え、受容体は伝達物質を受け取ると電気信号に変える。ここまでは、どの教科書にも書いてある。この神経細胞がどのような方法で情報を記憶するのだろうか。ディジタル回路に置き換えると、入力端子が1万個、処理装置に核があり、出力端子が1万個である。1万個の入力端子のうちどこかの入力端子がオンになると、どこかの出力端子がオンになるのだろうか。仮にそうだとすると入力から出力への経路を調節する働き(交換回路)が神経細胞になくてはならない。あるとすれば核にあることになる。どうやら、神経細胞核の遺伝子が作り出すタンパク質が関係するらしい。何度も同じ刺激、つまり入力があると、神経細胞核は、特殊なタンパク質を合成して、そのタンパク質がシナプスから放出される伝達物質を制御する。しかし、どのシナプスを活性化(発火)させるかはどうやって決めているのだ。要はわからないのである。ごくごく一部の機能が徐々に解明されているのが現状である。現代科学とは、このように重箱の隅どころではない微細な部分の解明なのである。微細な部分が解明されなければ全体がわからないという典型的な例が脳である。勿論、微細な部分がわからなくても現実の生活には何の支障もない。原因と結果が現象として解明されていれば現実世界の問題の99%以上は、解決可能だからである。だが、人工的な知能を作るということになるとそうは行かない。

  人間の脳の記憶のメカニズムは全くわかっていない。記憶のメカニズムがわかれば、思考の機構も解明されるだろう。少なくとも、現在のコンピュータ(ノイマン型コンピュータという)の記憶や演算のメカニズムとは似て非なるものであることは確かである。

コンピュータの記憶・演算はどうなっているか?

  それではコンピュータの構造を見てみよう。現在のコンピュータのプログラムによる処理メカニズムは、ノイマン型コンピュータと呼ばれる。ノイマンというのは数学者の名前である。ノイマンという人は、天才ではあるがややサイコパスなところのある人だったようで、水爆の開発に深く関与した。キューブリック監督の映画「博士の異常な愛情」のモデルとされている。コンピュータは、命令を一つづつ実行する逐次処理が原理であり、この60年間何も変わっていない。命令の解読部と呼ぶ回路と実行部という回路の二つの回路で一つの命令が実行される。解読部は、命令(二進数のコード)コードによって実行回路のどの回路にデータを送るかを決める。実行回路は、加算するとか減算するとかいう回路のことである。命令が加算であれば、加算回路の二つの変数の格納部分に、命令に付随している記憶番地の内容を計算用記憶領域にわたして、加算回路を実行させる。コンピュータは、ただこれだけしかしていない。お気づきだろう。電卓で計算する場合と同じなのだ。コンピュータの加算回路部分が電卓になっていて、電卓では命令解読部を人間がやっているのである。こんな単純な計算原理で人間の脳に匹敵する情報処理が果たして可能かどうかである。

  情報検索は、単に記憶装置に入っている情報を検索するだけである。グーグルで検索する場合、検索キーを入力すると、サーバーの検索プログラムが起動して上記のような計算原理で格納されているキー情報を探すだけである。勿論、検索確率等の検索効率を高めるための様々な工夫がされているが。

  現在のコンピュータの処理速度がものすごく速いこと、膨大な記憶容量となったことが、あたかもコンピュータに知能があるかのような錯覚をもたらしたとも言えそうである。そもそも、人工知能なる言葉は、マッカーシーが1955年に提唱したArtifitial Intelligence(AI)の邦訳である。当時のコンピュータの性能は、現在に比べればそれこそひどいものであるが、当時としては先端であった。マッカーシーの功績の一つはタイムシェアリング理論の提唱である。マルチタスクを実現するために、これ以後様々な工夫が試みられる。

  データの記憶は、0と1の二進数に置き換えてD-RAM、ハードディスクに格納する。コンピュータのデータ記憶とは単純なのである。画像にしても同じだ。単純に白か黒であれば0か1で良いので1ビットで良いが、カラーになると三原色に色の強度を付加するのでビット数はかなり多くなる。それでも二進数で記憶することに変わりはない。

  人間の脳の記憶のメカニズムはほとんどわかっていないが、神経細胞(ニューロン)の構造からみても、脳の記憶方式は、コンピュータの記憶方式とは全く異なるものであることは容易に推測できる。脳の記憶のメカニズムが知能をもたらしたとすれば、二進数の単純な記憶方式がコンピュータに知能を与えるとはとても思えないはずである。人の知能の進化は、情報の記憶の仕方によってもたらされたと考えることができるのではないだろうか。養老師匠によれば、脳内では、感覚所与は最終的に言葉に抽象化されるという。この辺になると、「脳科学」の進歩を待たなければならない。

囲碁・将棋の人工知能は、本当に知能なのか?

  人工知能がプロの棋士に勝ったからコンピュータは知能を持ったといえるか。囲碁のルールはいたって簡単である。縦横それぞれ19本の線を引き、その交差点に白と黒の碁石を交互に置いて、自分の碁石で囲った領地が相手の領地よりも多ければ勝ちである。それ以外のルールは、自殺手、コウ、セキぐらいのもので、他に3コウ等があるぐらいだから、極めてシンプルなものである。黒が第1手を打つ。どこに打ってもかまわないが、長い囲碁の歴史から、序盤の定石がある。定石で打てば大体五分五分の形勢となることはわかっているので、囲碁を学ぶときは、この定石を覚えることから始める。コンピュータ囲碁の初期は、盤面全体では難しかったので、定石や詰め碁といった碁の練習用のようなものであったが、後にモンテカルロ碁が登場したことで、にわかに人工知能が注目され始めた。モンテカルロ法というのは、確率的現象を利用して問題の数値解法を行うことである。簡単に言えば、コンピュータで膨大な乱数を発生させて結果を見ることである。例えば、コンピュータでさいころの丁半ばくちをやるとする。コンピュータが壺ふりで胴元である。コンピュータは、1から6までの乱数を二度発生させて丁か半かの目を出せば良い。これを繰り返すと、丁と半の出る確率は50%になるはずである。コンピュータで1万回ぐらい繰り返すと確かめられる。モンテカルロ法は、コンピュータの乱数発生機能に着目した計算手法である。有名な計算例では、円周率の計算や数値積分がある。

  囲碁のモンテカルロ法は、乱数を発生させてむやみやたらに石を置くのである。勿論、ルールを守ることが前提である。何度も、コンピュータに最後までやらせて勝率の高い次の手を打つという方法である。これが人工知能かと言えば、人工知能とは言いがたい。単なるシミュレーションでしかない。コンピュータ碁が人工知能(AI)と言えるようになるのは、ディープラーニングが登場してからだ。

  ディープラーニングというのは深層学習と呼ばれている。この方法の特徴は、ニューラルネットワークというコンピュータ解析手法を採用した点である。さあ、ここからが少しはAIらしくなる。ニューラルネットワークを検索すると、沢山の解説が出てくる。脳の神経組織の機能を模して開発されたソフト手法とか何とかである。確かに少しは(ほとんど似ていないと思うが)似ているかもしれないが、ネットワークモデルの特殊な例である。理論的な研究は1940年代からあることはあった。しかし、実際に利用することはほとんどなかった理論である。なぜなら、やたら計算しなくてはならないからで、計算時間が膨大な割には成果が少なかったからだ。それと、学者が嫌ったこともある。学者は、美しく単純な数式を求める。今でもその傾向は強いのだが。このニューラルネットワークが一番得意とするのは、画像認識である。良く例に出されるのが、手書き文字の認識である。人によって書き方がまちまちな文字をどうやって正確に識別するかである。それまでは、様々なパターンを作っておいて、パターンの合致したものを選択するという方法だった。しかし、これは学習ではなくてコンピュータが記憶したことと付き合わせるだけである。このニューラルネットワークでは、入力された内容を数段階(ニューロンの層のことで複数のニューロン層で構成される)に分けてパターンの特徴付けを行い最終的に抽象化して正解に対する確率を決定する。この特徴を抽出・抽象化する過程(重みとかバイアス、フィルターと呼ばれる)の数式の係数やパラメータの決定手法を学習と呼んでいる。つまり、ニューラルネットワークを経て得た解と既にある正解との誤差を最小になるようにパラメータを決定すれば良いのである。そのためには、正解が必要となる。正解モデルを教師とみなして学習するので教師付学習と呼ばれている。

  最近、ニューラルネットワークに関する非常にわかりやすい本「Excelでわかるディープラーニング超入門」(涌井良幸、涌井貞美 著 技術評論社)が出たので紹介しておこう。この涌井師匠達のの数学計算の解説書(他にもある)は、難解な理論を実に丁寧にわかりやすく解説している。これ以外に、囲碁の人工知能の本は多数あるが、アルゴリズムを丁寧に解説することを回避したインチキ本がほとんどである。

  手書き文字の認識であれば、時間はかかるが正解モデルが多数あるので、教師付学習を繰り返せばかなり精度の高いモデルが完成する。しかし、ゲームの場合、正解モデルの数には限界がある。そこで正解モデルがない場合の学習方法を考え出した。つまり、コンピュータ同士で対決することで学習する方法であり、これを強化学習と呼んでいる。涌井師匠達の本は、強化学習については触れていないのでご注意を。

  さて、ニューラルネットワークという計算手法によってコンピュータが問題を学習し、正解に近い回答を得るためのパラメータを得るということまではわかった。、ニューラルネットワークは、複数のニューロン層で構成され、入力データはフィルターによって特徴付けがされることもわかった。しかし、フィルターを経由すると何故特徴がうまく抽出できるかは、実はわかっていないのである。さらに、中間層を何枚にすれば正解確率が高くなるかもわかっていない。ほとんどが経験的にわかったと言って良いのである。囲碁の場合の強化学習等は典型的な例である。
  
ディープラーニングという人工知能は何に利用できるのか?

  今流行のディープラーニングが何に利用できるかを考えてみよう。AI囲碁は、ゲームであるからまあ、ゲームソフトの場合には利用できるかもしれないが、一般的には囲碁の事例を実務分野に応用できる可能性はほとんどない。画像認識には、昔から利用されていたから、この分野には活用出来そうである。気象観測、偵察衛星、道路安全管理、公共施設の点検監視等々、画像認識により自動的に判断する分野への応用は極めて広い。これは、音についても同じである。例えば音声認識等は、今後極めて高い精度となるだろう。教師となるデータが沢山得られる分野については、ディープラーニングの得意な分野なのである。

  音、画像等、養老師匠の言う感覚所与を数字・言語・パターンへと抽象化する手法であるディープラーニングは、活用目的によっても異なるがそれなりに進歩していくだろう。しかし、ディープラーニング的人工知能が進歩したからといって、世の中がどう変わると言うのだ。

自動運転が実現された自動車社会を想像してみると!

   自動車の自動運転試験が始まっているが、果たしてどんな自動車社会となるのだろうか。完全に自動運転が可能な自動車が開発生産されることになったと仮定してみよう。

  完全な自動運転が可能な自動車であるから、公道でのマニュアル運転が禁止されて運転免許は不要になる。運転免許講習所や、免許更新試験場は要らなくなり、大量の失業者が発生する。

  事故は、原則的に発生しない。事故が起きるとすれば、崖崩れや倒壊等による被害、故意に障害物を車に当てたり、飛び込む等の事故であるから自動車側には責任がないので、現在のような自動車損害保険は不要となる。不慮の被害にともなう保険だけになるので、損害保険会社の大半は倒産する。

  マイカーは、どうなるかと言えば、自分で運転することができないのだから、車を所有する必要性がない。車が必要な時は、ドライバーのいないタクシーを呼ぶことになる。田舎では、今や一人一台の時代だが、自動運転時代では、都市と同じで車を呼べば良い。こうなると、自動車メーカの生産台数は激減し、既存の自動車メーカは生き残ることができず、日本で1社か2社となり、生産台数も現在の1/10以下まで減少する。さらにEVだから自動車生産による経済波及効果は極めて低いものになる。もはや、自動車産業が経済成長の牽引産業ではなくなる。

  トラック輸送はどうかと言えば、ドライバーは不要だが、荷物の積み卸しや整理にはどうしても人手がいるので、人員削減はあまり望めそうにない。しかし、ドライバーが不要なこと、事故がなくなることから輸送コストは低下する。

  バス、タクシーはドライバーが要らないから、人件費が激減する。人件費が激減しタクシー利用が増加することから、タクシー代は格安になる。このため、公共交通網が発達し、自動車社会の基本は公共交通システムに転換することになる。

  こんな社会になることを自動車産業が望むだろうか。望むはずがない。ということは、人工知能により完全自動運転が可能な自動車などを自動車メーカが本気で開発するわけがないということだ。

  自動車メーカが人工知能開発を進めるとしても、現在の運転のごく一部、それも補助的な部分だけに限定されることになる。

  さらに、カーライフに代表されるように、人は何よりも自動車を運転したいために自動車を買うのである。あの機械の塊を自ら運転する快感こそが自動車市場の根底にある限り、人工知能による完全自動運転車は実現されない。

  ディープラーニングの仕組みは、科学的・論理的に説明不可能な部分で構成されているため、この技術をそのまま自動運転に採用することは難しい。さらに、教師付学習をするにしても、一般公道でどうやって学習させるのだ。事故体験がなければ学習のしようがない。仮に、今後、人工知能の学習が進んだとしても、完全自動運転の自動車が普及するとは考えられないのである。

  今から45年前になると思うが、宇沢師匠(宇沢弘文 経済学者)が、「自動車の社会的費用」を発表した。日本の自動車社会の到来が社会的費用の増加をもたらし、その結果、いびつな都市交通体系へと変貌する社会のあり方を説き、道路という社会的共通資本の効用の解明を説いた。完全な自動運転自動車社会は、理想ではあっても、現実となることを妨げる様々な要因を産業・社会、人間自体に内在するという矛盾を有することによって実現不能なのである。

人工知能は、現代コンピュータ科学の限界を見せた!

  このように人工知能技術や人工知能社会を見ていくと、現代のコンピュータに知能を持たせることは不可能であることが、ディープラーニングの進歩によって明らかになったとも言えよう。現代コンピュータ科学の限界である。プロセッサーの数やスピード、記憶容量の問題ではない。コンピュータの原理、機構そのものに問題があり、限界なのである。

  水力や風力をエネルギー源とした粉挽き機、石炭をエネルギー源とする蒸気機関、石油をエネルギー源とした内燃機関と人類は僅か250年の間に科学技術を進歩させた。しかし、一方では、核エネルギーによる発電は、150年前に発明された蒸気タービンによる発電である。核エネルギーを直接電力に変える科学は未だ発見されていない。人工知能も同じである。人工知能らしきアルゴリズムは、脳内記憶機構とは似て非なるニューロンと名付けられた単純なモデルとこれまで不可能であった最適化理論を数値解法により可能としたことのみで実用化されたのである。現代コンピュータ科学の延長線上に人工知能は存在しない。新たなコンピュータ理論の構築が必要なのである。

人工知能によって代替される職業・・単純労働の消滅なんて嘘だ!

  ところで、人工知能の進歩によって、人工知能搭載ロボットやコンピュータにとって変わられる職業について前述のようにどこかのシンクタンクが発表していた。我が国は、移民の受け入れ政策をやっていないから、ダーティワークや単純労働を日本人がやっている。しかし、世界の先進国は、全て移民を受け入れており、こういった職業の多くは移民(難民を含む)がやっている。移民、難民による労働コストと人工知能によるコストのどちらか安いかの単純な損得計算で決まる。靴のメーカの国際化の話は有名である。労働賃金の安い国で10年間製造すると、さらに賃金の安い国を探して移動する。

  この人工知能による代替可能性の高い職業をみると、全て人工知能で置き換えられるかのようになっているが、「何を考えているんだ。馬鹿者」と言いたくなるのは、私一人だろうか。例えば、ゴミ収集員とあるが、ゴミ収集作業の大変さがわかっていない。ただ、ゴミ箱から収集車に積み替えるだけではない。散乱している場合には、それらを集めて掃除をする。生ゴミなら臭いの対策もしなくてはならない。大体、ゴミ箱が定位置にあるなどというのは、ドイツぐらいなものだろう。どでかい金属製のゴミ箱をつり下げて回収する仕組みだが、日本のように、道ばたにゴミ袋が置かれていてネットがかぶせてある場合にどうやって人工知能回収車が回収するのか。

  また、一般事務職というのもある。定型的事務作業なら今もコンピュータ化されている。事務職が重要なのは、定形外の何が起こるかわからない事態への対応である。それに行政事務職というのもある。今でも情報システム化によって行政事務作業の大半はコンピュータ化可能である。あえて人工知能を使う必要もない。行政が、システム化をすると何か不都合なことがあるのか、あるいは、ワークシェアリングを維持することのなか、何らかの理由があってシステム化をしないようにしているのである。

  どうも、単純作業というものは人間の作業ではなく人工知能でやるべきだということを頭から信じ込んでいる馬鹿者がいるようである。これだけコンピュータ化が進んだ状況で、単純作業であっても人間がやらなければならない部分があるとすれば、それにはそれなりの理由があるからだ。

  創造的ではない単純作業は、今更、人工知能もへったくれもなく、コンピュータ化することはむずかしくない。コンピュータ化しないのは人件費の方が安く、労働市場があるからだ。移民だけではなく、発展途上国への企業進出等、今や労働市場はグローバルなものとなっている。賃金の安い国で起業すれば経済発展にもなり、新しい市場が生まれる。経済成長は、人工知能よりも優先するのである。

  それでは、人工知能を最も必要とする分野とはどういった分野かである。結論から言えば、知識産業でありクリエイティブな職業こそが必要とする。前述の、シンクタンクが発表した人工知能では代替できない職業こそが人工知能を必要とするのだ。シンクタンクの発表結果とは全く逆ではないか。

  例えば、デザイナーの仕事を考えてみよう。彼が商業デザインの新たなロゴの開発をしているとしよう。いくつかの案を思い立ったので、人工知能で検証するとする。人工知能は、画像認識で彼のデザインを読み取り、ネット上にある様々な画像から類似のロゴを検索する。このとき、画像で検索はできないので、言語に置き換えなければならない。ロゴ、デザイン文字、商業デザイン、ロゴのタイプ等々、ロゴの画像から考えられる単語、文章を作り出し、ネット上で検索をして類似画像を認識して抽出する。ここまで人工知能がやってくれれば、人工知能は彼のアシスタントとして十分である。知的作業やクリエイティブな作業には、専門的知識のあるアシスタントが不可欠なのである。一方、単純作業は、手作業が主となるから、ロボットやハンド等の機械装置と一体としなければならない。単純作業の人工知能は、設備投資の負担が多くなるので、簡単には代替できないのだ。

  知的職業やクリエイティブな職業で人工知能が必要となるが、専門的知識のための人工知能プログラムを誰が開発するのだろうか。専門的分野であるから極端に言えば、ある一人のためのソフトということになる。おそらくだれも提供してくれないから、その専門家が自ら開発しなくてはならなくなる。しかし、人工知能の導入によって生産性は数倍以上に高くなることは間違いないので、大企業の研究開発部門やデザイン部門等では、人工知能への大規模な投資が行われる可能性は高い。

  人工知能は、単純作業の職種を奪うことは希である。むしろ、生産性の低い知的職業やクリエイティブな職業で活用される。それも、投資余力のある大企業で集中的な投資が行われる。

学者、マスコミが言う人工知能の話題を信じてはならぬ!

  人工知能の研究者・学者の言うたわごとを信じてはならぬ。学者、研究者は、とりあえず目立ちたいのだ。少子化で学生の数が減少し、大学の経営は難しくなる一方である。とりあえず人工知能の何たるかを知らなくても、人工知能、人工知能と唱えれば注目される。マスコミも同じだ。
  全ての人工知能なるものは、既存の科学技術の延長線上でしかない。ディープラーニングの登場で人工知能の研究開発が10年縮まったなどと言うのは、真っ赤な嘘であり、逆なのである。人工知能研究の限界が見えたのである。

  現代科学、特に純粋な科学、つまり、宇宙や物質の根源に迫る科学、生命の本質に迫る科学等々は勿論のこと、ソクラテスに始まる哲学、20世紀に進歩した社会科学等々は、20世紀末で終焉を迎えたという本(「科学の終焉」)が1997年に出版されたことがある。著者は、ジョン・ホーガンというアメリカのサイエンスライターである。この本は、科学評論ではなく、どちらかと言えば文芸評論であるが、狙いは面白い。当時の各分野の一流の科学者とのインタビューを通して、純粋理論に新たな発見の余地のないことをだらだらと書き綴る。この中には、既にニューラルネットワークや人工知能についても語られている。20年以上も前の話である。現代科学の大半は、コンピュータによる解析手法の進歩と分子生物学等の分子レベルでの新たな発見にとどまっていることを考えると、あながちこの本の狙いが間違っているとは言いがたいのである。

  科学ニュースには、全て何らかの裏があるのだ。重箱の隅どころではない、些細な発見であっても、天下をひっくり返すような大発見として報道される。コンピュータが囲碁で人に勝ったからといって天下の何が変わるのだ。それも、単なるコンピュータの高速化によってこれまで実用化されなかった数値計算(最適化手法)が可能となっただけであり、人工知能とはほど遠いものだ。

  科学ニュースや報道は、眉につばをつけて接しなければならない。学者、研究者が堕落したのではない。学者、研究者は、元来、堕落しているのである。堕落している者が、さらに堕落するのを見過ごすわけには行かぬ。

政策立案に科学は深く関与している?

  ところで、政治・政策においても科学・技術は全ての分野で関与する。経済政策では経済学が、エネルギー政策では物理学・工学が、農業政策では農学が、福祉政策では社会学が、医療政策では医学がという具合である。時代の政策分野に対応して大学の学部が作られていると言っても良い。時代の要請がなくなれば、学部も消滅する。政策の立案・評価のプロセスでは、専門家なるものが深く関わっている。原子力委員会などはその代表的なものである。現代科学研究の大きな問題の一つは、重箱の隅どころではない微細な研究となっていることである。これが、70年前であれば、科学といえどかなりマクロな領域の研究であった。原子力、物理学、情報工学等々を振り返ってみればよい。社会科学の分野においてもそうである。70年前の経済学は、まだ、新古典派の時代であった。この頃の経済学の議論の一端は、ボールディングの著作が良く表しており、現代においてもその知識と洞察には感嘆する。

  当時の自然科学、社会科学の多くの研究者は、広い視野でものごとを見ていた。自らの研究分野についても現代のように論文の数で研究実績を問われることもなかった。大体、現在の学会論文なるものの内容のひどさにはあきれ果てる。テーマの設定の妥当性は勿論のこと、結果の検証もろくにない論文があり、中には結論さえない論文もある。100本のうちまあ何とか研究論文と言えるものは数本だろう。前述したように純粋に発見的な研究はほとんどなく、AIに代表されるような手法に関する研究がほとんどなのだ。それならば、今更、半世紀以上前の理論をこざかしく説明するなどは不要である。如何に、社会に役立つかを丁寧に説明するだけで良い。役立つことを説明しきれていなかったり、矛盾があれば、その論文はボツである。ちなみに、アインシュタインがノーベル賞をとった研究は、光電効果であり、相対性理論ではなかった。当時、相対性理論を評価できるものはほとんどいなかった。

  科学の学会なるものが業界と化して己の利だけを追求する。堕落である。学者や研究者は、元来、堕落していると言ったが、孤独、恐怖、欲望の中に生きるのだから堕落なのである。それが、集団となって欲望を満たし始めるとなると、まさに「科学の終焉」であり、堕落に堕落を重ねることになる。

  話がそれてしまった。本題は、政策における専門家の関わりであった。堕落に堕落を重ねる専門家、巨視的に物事をみる習慣のない専門家に政策という総合的な視野などあろうはずがない。誰かが、総合的にまとめなければならないが、現在の官僚あるいは政治家にそれができるのか。科学と政策の絡み合いをどのように整序可能なのか。民主主義や社会主義などのイデオロギーや制度、政治哲学、政治思想等々の問題ではない。細分化され複雑になった科学と社会との関わりを総合化可能な仕組みがあるのかという問題である。政策科学なるもののP-D-Aサイクル等のボケたマネジメントシステム(これも単なる手法でしかない)などでは到底不可能である。

                               2018年3月13日

参考
「90歳。何がめでたい」 佐藤愛子著 小学館
遺言」 養老孟司著 新潮新書
「Excelでわかるディープラーニング超入門」 涌井良幸、涌井貞美著 技術評論社
「科学の終焉」 ジョン・ホーガン著 竹内 薫訳 徳間書店
「自動車の社会的費用」  宇沢弘文著 岩波新書

2019/05/28

堕落論2017 「後は野となれ山となれ」という思想

  今そこにある現実-戦争、政治、情報社会-について、かなり不真面目で不純な評論家が、個人的経験と僅かばかりの知識と直感に頼って書き綴ってきた。しいて言えば、少国民の叫びである。記載内容の検証は、これをお読みになった方に委ねたい。この内容によって誰かの意見を変えたいとか、誰かに何かを行動させたいという意図のあるものではなく、私の心が思わず叫んだものである。
  
     ところで、今の日本に不満がないかと言えば、ないとは言えないが、それほど切羽詰まった不満があるわけではない。将来の日本に不安はないかと問われれば、今のままでは日本の未来はないと確信するが、正直なところ「後は野となれ山となれ」の心境である。それでは、「あなたは何を生きがいに生きているのか」と問われれば、「別に生きがいなどという大それたものはありません」と答えるだけである。今を生き、今を考えることに忙しく、生きがいなどというわけのわからないことを考える暇などないばかりか、こんなことを考えなければならないのならば生きている価値はないとさえ思う。そんなことではろくな死に方ができないから「自分探しの旅にでも出かけてみては」などと、旅行会社の宣伝文句のようなことを言われると、「馬鹿かおまえは」と言いたくなるが、そこはじっと耐えて、「どうもあやふやな人間なものですから」とか何とか言ってごまかす。

  堺屋太一氏が、以前から現代の若者について、「欲ない、夢ない、やる気ない」の3Yだと言っている。この人の著作のいくつかを読んだが、現状分析と未来への洞察ではほとんどぶれがない。以前から、未来学に関する私の師匠である、といっても、私がかってに師匠にしたのだが。情報社会のすばらしい点の一つをあげるとすれば、弟子が師匠を選ぶことができることだろう。情報空間に山ほどの情報と知識があり、知識の源泉を師匠とすることは容易である。ただし、師匠は弟子を選べない。これが江戸時代ならば、これと思う師匠に頼み込んで弟子にしてもらう。師匠は、頭の善し悪しは並程度としても、品性下劣で意欲のない者は弟子にはとらなかった。師匠が弟子を選ぶのである。現代情報社会はありがたいもので、かってに師匠を選ぶことができる。

  師匠堺屋が言うように、現代の若者には「欲がない」のだろうか。「欲」といってもいろいろある。この堕落論2017【情報社会Ⅰ】でも述べたように、情報空間は「自己顕示欲」という欲で溢れている。自己顕示欲は、人に見せたい、見てもらいたい、もっと言えば「私はあなたよりも上よ」と見せびらかしたいという欲求である。ヴェブレンの「有閑階級の理論」で実に丹念に展開されており、現代においてもヴェブレン効果として消費行動の分析や商品戦略の重要な思想である。社会から嫌われたくない、社会によく見せたいという自己から外部に対して発する欲求である自己顕示欲は、人間固有の欲のように見えるが、どうも人間だけではなく、社会性を持つ動物にも見られることから、動物の本能に近いところにあると思われる。人間が犬や猫、サルと異なるのは、知的レベルが高いために、欲求の発現の仕方が極めて複雑なことである。このように考えると、現代の若者の自己顕示欲はかなり旺盛であると言えなくもないが、発信している情報の内容を見ると、大半は自己の内面の吐露かつぶやき程度である。本来の自己顕示欲とは、もっとどろどろした欲の塊であり、こんなものではない。あまり欲が見え見えでは社会から嫌われるので、ほどほどのところで妥協して、ほどほどに自己宣伝する。若者に知恵がついたが、欲望の渦に身を置くことができないのである。情報空間で真の欲望が満たされることはあり得ない。

  こういった本能的欲求には、性欲、食欲のような生存欲とでも言える欲求がある。性欲はと言えば、今やネット上のアダルトサイトは、ただで見たい放題だ。何も苦労して女を口説き金を使う必要もない。現代のデートは割り勘らしい。恋愛も様変わりした。付き合ってすぐに寝るが、別れるのも早いそうだ。スタンダールや坂口安吾の「恋愛論」、ラッセルの「結婚論」はもはや虚論となりはて、若者にとって、全てを犠牲にしても相手と一緒になりたいという純愛は伝説となった。アダムとイブ以来、人間は恋に落ちて堕落するのである。恋に落ちた二人は、世間とは距離をおき、二人だけの世界に閉じこもって孤独な二人と化す。堕落とはこのようなものだが、現代の恋は、男女のありふれた関係であり、孤独や堕落とは無関係である。アダルトサイトで性的欲望を満たしたとしても、男女の性にまつわるどろどろとした欲望の果てを体感できるわけではない。性の堕落を避けるのが現代流恋愛術であり結婚観である。

  食欲はどうかと言えば、グルメ旅行だB級グルメだと何処へ行っても贅沢な食い物には事欠かない時代である。かつて、昭和30年代から40年代にかけて、日本が高度経済成長時代のまっただ中にあった頃は、誰もが「寿司が食いてー」、分厚い「ステーキが食いてー」と思ったものだ。贅沢品は高かった。とてもサラリーマンの給料では手が出ない代物である。毎日、仕事帰りに寿司屋で寿司をつまみながら一杯やるなどは、金持ちのステータスで、会社の社長か重役、商売人以外には無理だった。会社の交際費に制限がない時代だから、零細企業が儲けたら交際費で使わなければ税金で持って行かれるのだ。さて、現代となると、寿司は格安の寿司チェーンでたらふく食えるし、ステーキだって同じようなものだ。それにしても現代の若者のグルメ行動にはちょっとびっくりだ。生卵を食べるために車で数百kmもとばすのだそうだ。山梨県の田舎にうまい焼肉屋があると知れば、東京から食いに行くという。生卵1個で交通事故の危険もかえり見ず、ガソリン代と時間をかけて食いに行く、「馬鹿者」という前にあきれかえって物も言えない。珍味、グルメを格安で体感したからといって人生に何ほどの影響があるか。三度三度の食事に工夫を凝らし、毎日食べても飽きないメニュー、健康にいい食事、しかし贅沢ではないメニューを自ら考え、試行し、実践する知恵もない。グルメ情報に踊らされ、「あなた食べたことないの?」とこれみよがしのオタクを披露する。料理がうまいというのは、単に珍味であるとか素材とかではない。例えば、和食であれば、格式が高く、伝統的建築様式美に溢れた料理屋で、小粋な女将が、そっと差し出すセンスの良い向付けの絶妙な酢の物を肴に一杯やりながら、ちょっと危ない下ネタをさりげなく混ぜた会話を楽しむということだ。贅沢の極みであるが、これこそが食の堕落である。現代の若者のグルメ指向は堕落とはほど遠いのである。30代のうちに一度はこういう贅沢を身銭を切ってやってみろ。ただし、一度や二度の経験では、こういった楽しみを味わうことはできない。金と修行が必要だ。真の食の欲求を満たす堕落は容易ではない。

   師匠堺屋が言う「欲」を現代若者の一般的現象からみれば、欲望の渦にどっぷりとつかりきれず、かといって欲がないのではなく、少しばかりの欲で試してはみるが怖くて手が出せないのである。最近の脳科学によれば、思春期の反抗的行動は、記憶を司る海馬に近い部分に怒りに関する脳があり、記憶力が増す年代ではこの部分が敏感に反応するが、それに反して、理性を働かせる前頭葉が未発達なため怒りを理性的に抑制することができないことによると説明されている。さらに恐れに関する脳部分も海馬に近い部分にある。感情に関する全ての脳部位は、海馬という記憶メカニズム脳の近くに位置している。理性とは、問題に対して知識・経験知を論理的に組み合わせた対処方法のメニューとでもいうべきものであるから、怒りや恐れに対する対処メニューがない状態では、どうして良いかわからない状態となる。だから反抗的行動による経験知を積み上げなければならない。どうやら、若者に「欲がない」原因は、経済・社会が安定していることが原因だとは言い切れない。

  ところで、今から20年以上前になるが、30代の若手の研究者達と議論する機会が多くあった。その議論の中で、彼らの専門分野に踏み込んで批判めいたことを言うと、彼らは青筋をたてて怒り出したのだ。専門分野以外の社会問題や思想といった議論では、今度は黙り込んでしまう。質問を向けるとやはり真っ赤になって怒るのである。若手官僚との議論でも同じであった。当時は、こちらが年長なのに大人げなくむきになって議論を仕掛けたせいだろうかと、怒る理由がわからなかった。今、考えてみると、一つは、当時の若者達の知識人としての一般的教養レベルが格段に低かったことが考えられる。立花隆氏らが、若者の「知」的水準の低さを盛んに論じていた時代であった。知らなければこれから知ればいいだけである。恥でも怒りでもない。一方、専門分野といっても20世紀後半からは研究者の専門領域は極めて狭くなっている。現代では、重箱の隅どころではない。狭い領域の研究だからごく限られた研究者しか知らないのは確かである。しかし、だからこそ、他の多くの研究分野の人と議論することが重要なのだが、「そんなことは許さない」と怒りまくるのである。こういった知識人が現在50代前半となって、現代社会のリーダーとなっている。考えてみれば、現代は、教養なき大人達によって支配された恐るべき時代なのである。40年以前から始まった家庭内暴力、家庭崩壊、校内暴力、ゆとり教育、いじめ、少子化、高齢化といった社会変動と、バブル経済、デフレ経済という経済変動の二つの変動が、子供達の精神の発達に何らかの影響を与えたと言えそうである。

  師匠堺屋の言う3Y問題の解決策は、容易には見つかりそうにない。日本が破綻し、貧乏のどん底に身を置き、生きるためなら何でもするという状況にまで追い込まれない限り、精神革命は起こらない。現代は、意識改革などという生っちょろい手段では到底回復不能な時代なのだ。人間の精神は、欲望によってその根本が形成される。

  ところで、中国人の思想家に林語堂という人がいるが、彼は「中国=文化と思想」の中で、「中国人は進歩よりもむしろ生きることに重きを置いている」と語っている。中国の長い歴史は、孔子、老子らの偉大な思想家を生み出した一方、戦争にあけくれ数知れない皇帝を誕生させては消えていった。長い歴史の積み重ねによって中国庶民の生活思想に、「可知の世界はすでに先祖によって窮め尽くされ、人類管理の最後の言葉はすでに喝破され、書道芸術の最後の風韻はすでに発見されてしまった」という感慨を埋め込んだと、林師匠は言う。今を生きることにのみ思考し、何が美徳で何が正義か等々の先人が喝破したことについては思考を停止することにしたのである。現代日本人の思想そのものではないか。今を生きれば明日のことは明日考える。「風と共に去りぬ」という映画のシーンで、スカーレットオハラが「After all, tomorrow is another day!」と独り言を言う。直訳すれば、「結局、明日はまた別の日よ」となるが、「明日は明日の風が吹く」と訳す場合もある。しかし、頭の中が一杯になってこれからどうすれば良いかわからなくなった自分に「明日のことは明日考えよう」と言い聞かせるとする方が適切な訳のように思える。「後は野となれ山となれ」という思想は、人生観の本質を指している。

  断っておくが、知識と教養とは「知っているか知らないか」というレベルでは同じであるが、教養は知識を身につけ自らの思想、行為にまで高めることである。最近、社会問題、経済問題、政治問題で知識人、専門家なる者がテレビに出演して得意満面に専門的知識なるものを披露している。単なる知識の披露であり、知識人には違いないが教養人であるかどうかはわからない。この変動の時代を成長期で過ごした現代の知識人、専門家なる者が、専門的領域について話を始めると立板に水のごとくである。日本書紀、源氏物語、徂徠学等々、まあたいしたものだ。よく、そこまで体系だって記憶したものだと感心せざるを得ない。しかし、考えてみると、知は金で動き、知も商品なのである。一方の教養は金では買えず、金で動きようがない。ニュース報道やワイド番組が単なる知の切り売りにしか過ぎないとすれば、何とも浅薄な世相ではないか。日本の教養は何処に行ったのだ。これこそが「知の堕落」に他ならない。

  さて、師匠堺屋が言う「欲なし」については、中国思想にかの有名な「足るを知る」思想がある。「知足」思想は、老子・荘氏の思想の一つであり、「老子」の第33章、第44章、第46章に見られる。「足るを知るものは富む」から、「欲望を抑えてほどほどのところで満足すれば心穏やかに暮らせる」といった意味で使われている。国を支配し安定した治世とするためには、庶民の飽くなき欲望を抑えることが重要だという解説もある。この根拠は第46章の解説に見られるが、比喩として戦争を取り上げたもので、どう読んでも支配層を主語としているとは考えにくく、全ての人類に対して説いたものと考えるのが妥当なところである。前述の師匠林曰く、中国人の「足るを知る」思想とは、「人生から最も素晴らしいものを摂取しようとする堅い決意、所有する一切を享受しようとする欲望、万一得ることができずとも悔いなしとする心」であると。欲望を抑えるのではない。あらん限りの欲望で人生を生き、得られなければそれでも良いとするのが「知足」の精神なのである。2500年前の思想家が、「欲望を捨てよ、そうして心安らかに生きよ」と説いた「知足」の思想は、2500年を経ると、「欲望なき人生なんぞ何のための人生か、欲しいものが手に入らなければそれはそれで良い、後は野となれ山となれ」という思想となった。人間から完全に欲望を取り除くことはできない。生存欲、知欲、野心等、数え上げればきりがない。しかし、個人的領域に限られる欲望であり、他を犠牲にして得るものではなく純粋に個人の力で得られる欲望に関しては貪欲に追求し、所有することに執着するが、得られなくとも落胆したり後悔したりはしないということである。何となく、今の日本の生活思想に似ていないか。人生を楽しむためには貪欲であるが、社会や政治には関心がない。「経済はもはや生産ではなく消費だ」という経済学者の主張は、経済の実態から分析されたものだと思われるが、「知足」の思想は消費型経済に具現化されたのである。社会の変化は個人の生活思想の変化と同期し、経済の変化は欲望の変化にその本質がある。

  戦後復興の生活思想は、「武器よさらば」、「米国礼賛」、「経済優先」、「核家族」、「オラー東京さいくだ」、「3C」の言葉に代表されるように、自己及び家族を如何に豊かにするかというむき出しの欲望にあった。反面、労働争議、安保闘争等豊かさと対峙する貧困とイデオロギー闘争はあったが、豊かさの追求という欲望のスピードは、真理の追究のスピードよりも遙かに早かった。社会・経済・政治に関わる高邁な思想は、際限なく増大する個人の欲望によって駆逐された。誰もが、限りなき欲望こそが個人及び家族の豊かさの絶対的真理だと信じた。しかし、欲望が頂点に達した時、バブルがはじけた。際限なき欲望が行き先を見失った時代、その時代こそが「欲ない、夢ない、やる気ない」人間を生み出したのである。今や、現代思想ともいうべき確固たる思想はどこにもない。僅かに、師匠林が喝破した現代「知足」思想の日本版である。日本版という意味は、現代日本人は、中国人ほど確固たる人生への決意もなく、中国人ほど所有に執着せず、中国人ほどあきらめが良くないと言う点で日本版なのである。

  思想は、しばしば政治思想、社会思想、経営思想等々、国家、社会、組織の存在意義・価値の抽象的な論理体系として論じられる。しかし、思想は個人の思考そのものであり、個人が考えうる言葉を用いた思考の中の想像物であり創造物である。今そこにある現実ではなく、過去の事実でもない。今そこにある現実も、すぐに過去のものとなる。従って、思想はものごとの本質に迫るのである。自らの思考力を高め、思想的であるためには、ものごとに対して常に「何故、なぜ」と問わなければならない。思考を停止してはならぬ。何故、現代は「欲ない」かと問えば、前述のように様々な思考が可能である。一部は正しいかもしれないが、全てを説明してはいない。現代に思想はあるかと問えば、「思想」とは何かから問わなければならぬ。思想とは、抽象的で論理的で極めて理性的な創造物ではない。個人が、感性と知識と経験から個人をとりまく問題の本質に迫るとき思想となる。思想に関する文献は、明治以来、内外文献を問わず数多く出版され、戦後から1970年代までは、戦後思想としてマルクス等多くの出版物がある。思想は、マルクス主義であれ自由主義であれ、恋愛論であれ幸福論であれ、一人の個人の思考の結果に過ぎぬ。間違ってはならぬ、これらの思考の結果が絶対的真理であるとは限らないのだ。師匠丸山(丸山真男)は、日本では、「思想が対決と蓄積の上に歴史的に構造化されないという伝統がある」と言う。つまり、同じ論点を時間をおいて何度も繰り返し、いつのまにか元に戻ってしまい、真理の追究には至らないのである。特に戦後の科学技術、社会制度の変化は激しく、真理、真理と言っている間に現実社会がどんどん変質する。思想はフィクションであるとすれば、フィクションが現実とはかけ離れたものとなるのである。唯一、現実とマッチする思想があるとすれば、「後は野となれ山となれ」の思想である。

  我が国人口の25%が高齢者となった。死ぬ準備をしている人が4人に一人いるのだ。恐るべき社会ではないか。第二次世界大戦においてさえこんなことはなかった。「後は野となれ山となれ」は、やることはやったから後はどうなろうと知ったことかという意味で使われる。死に行く者に未練がないかと言えばないとは言い切れないが、100%死ぬのだから、未練があってもどうにもならぬ。「欲がない」かと言えば、いい女やいい男と最後に一度ぐらいはなどと下手な冗談を言うが、本音で言えば、いろいろな欲はある。しかし、どうにもならぬ。ヨーロッパ、アメリカ、日本がこういった状況に入り、中国もこれに続く。確実に先進国人口の1/4の中心思想は、「後は野となれ山となれ」となるのである。この思想は、社会に何をもたらすのだろうか。

  財産が沢山あれば、遺産相続で少しは残してやるが、できれば使いきって死ぬ方が爽快だ。ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマン主演の映画「最高の人生の見つけ方」は、余命を知った老人二人が、人生の最後にやりたいことをリストアップし、それを一つづつ実行して死んでいくという物語である。有り余る金で、グルメの極み、スリルの極致、性への陶酔と欲望と堕落の限りをやるが、結局のところ愛する者と最後の時を迎えるというものである。人生の結末は、真に自分が満たされて死ぬことである。

  これからの日本では、仏教・キリスト教などの宗教思想、武士道・商道など日本特有の伝統的道徳思想、「知足」思想などの東洋思想、これらが混じり合った思想の混沌などではなく、「後は野となれ山となれ」という単純明快な思想が流行る。思想が流行るという言い方はおかしいと思われるかもしれないが、「時代の思想」というように思想は人々に伝染し流行りすたりがある。流行りすたりの積み重ね、繰り返しの中からいつの時代にも生き続けた思想が、大衆、民衆、土着の思想として根付くのである。「後は野となれ山となれ」という思想は、人類普遍であり、現実である。思想というにはあまりにも単純であり明解すぎる。感情的でもなく、かといって抽象的・論理的で理性的な思考でもない。しかし、「後は野となれ山となれ」の心境に至るのは、たやすいことではない。まずは、やりたいことをやってみなければならぬ。人間はおろかなものだ。堕落しなければ、真の天国の門を見いだすことはできない。「ピンコロ」で死にたいと願い、神や仏を祈ってみても無駄である。健康に気を付けて、食事とサプリメント、運動に励んでみても無駄である。健康食品産業と健康器具産業を富ませるだけの人生の終焉などはやめておけ。やりたいことをリストアップするのだ。妻や夫、子や孫の心配などはする必要もない。派手な葬式や不相応な墓等は不要である。金があるなら、リストの中から順番に実行するのだ。いい女やいい男がほしいと思ったら、道徳や倫理はかなぐり捨てろ。やりたいことのために全ての力と金をつぎ込むのだ。自分のことだけではない。社会がおかしい、政治が悪いと思えば、仲間を集め政党を作れ。地方政党で十分である。社会活動への寄付などはやめておけ。金で済ますなどは下の下だ。私のように財産もなく金もない貧乏人は、働くのみだ。死ぬまで、ビジネスチャンスを追い続ける。老後に思い切りゴルフをやりたい。いいだろう、やってみろ。どうせやるなら、ゴルフ場の近くに住み、毎日やることだ。自分の何を満たせるかは、やってみなければわからない。そして、「後は野となれ山となれ」で最後を迎えるのである。

  「後は野となれ山となれ」という思想は、人が死に直面したときの現実の思考である。それが死ではなく、人生における一つの区切りであっても、自己以外の他者への未練を断ち切り、明日のことは明日考えるという覚悟こそがこの思想の本質である。

  戦後、70年以上経て、エネルギー不足となった若者達と、「後は野となれ山となれ」と死を迎える老人達で占められた日本において、政治は今よりはヨリ良くするといって法律を改正し、行政組織は屋上屋を重ね、国民負担を積み増し、重税へと進む。経済組織は、一向に生産性の上がらない日本に見切りをつけてグローバル化を加速する。今、死に行く人ができることは、「後は野となれ山となれ」の思想の実践である。それも徹底的にやることだ。もはや、政治・経済・社会・環境等はどうでもよい。後は生きているものが好きにやれば良い。地球の有限な資源は、利用し続ければ100年~200年で枯渇する。利用しなければ人類は死滅する。いずれにしても、数百年先には、人類が死滅することは明白な事実である。そんな先のことは生きていないのだから見ることはできない。やはり「後は野となれ山となれ」は真理である。
                                                                                                                                                                      2017年11月26日

参考
有閑階級の理論  ソースティン・ヴェブレン著 高哲男訳、筑摩書房
結婚論 バートランド・ラッセル著 安藤貞雄訳 岩波書店
恋愛論 坂口安吾 青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)
恋愛論 スタンダール著 大岡昇平訳 新潮社
中国=文化と思想 林 語堂 著  鋤柄治郎 訳 講談社学術文庫
日本の思想 丸山真男著 岩波新書
2019/05/28

堕落論2017 NHKはまだ必要か

  テレビ放送、インターネット、スマホだと世の中は、情報で溢れかえっている。情報爆発である。確かに、我々は、情報社会のまっただ中にいる。固定電話を持たない家庭が増えているという。固定電話の必要性がなくなったのである。私は、携帯電話もスマホも使わない。携帯電話は外出の時に持って出るが、緊急の場合の連絡用である。公衆電話がなくなったのだから仕方がない。公衆電話や電話ボックスが全くといっていいほど姿を消した。東京駅で公衆電話を探しても見つからない。日本だけかと思いきや世界的な傾向だそうだが、アメリカでは公衆電話が見直されているそうである。公衆電話の廃止は、採算性が悪いという理由だけではないと思われる。公衆電話があると、携帯やスマホの販売数が増えないからというのも理由の一つに違いない。
  
  テレビ放送も様変わりした。アナログ放送からデジタル放送へと通信方式も変わったが、それよりも放送チャンネルの多さである。地上デジタル放送のチャンネル数に大きな変化はないが、衛星放送のチャンネル数は、BS、CSでゆうに300チャンネルを超えるだろう。通信販売、有料放送、無料放送と放送内容も種々雑多である。

  このネットを中心とする情報社会の中で、公共放送なるものが存在し続けているぐらい不思議なことはない。公共放送について議論を進める前に、テレビ、ラジオ、新聞といった従来のメディアの現代的役割をみる必要がある。
  
  新聞については、全ての先進国において規模縮小、廃業に追い込まれており、ネット配信が主流になりつつある。有料の配信もあれば無料の配信もある。新聞の歴史をみると、新聞報道に対する姿勢は必ずしも中立的であったとは言いがたい。むしろ、新聞初期の時代には、時の政治権力、政府に対する批判勢力として機能し、言論の自由をうたっていた。日本語で批判というと、「あら探しをして人を中傷する」というイメージであるが、英語で「批判する」は、criticizeであり、勿論、「あら探し」や「非難」という意味もあるが、語源はギリシャ語、ラテン語にまで遡り、英語のcriticと同義である。criticは、評論、批評であり評論家、批評家の意味もある。何が事実で何が事実でないか、何がわかっていて何がわかっていないかの境界を明らかにすることを評論、批評という。新聞初期の役割は、政治評論であり社会評論であった。発行者の意志・思想が強く反映されたものであったが、新聞の販売を始めると、すぐに購読者のニーズへの対応を迫られることになる。要因は、経営が成り立たないことである。発行部数を増やし、広告主を探す必要に迫られた。明治初期から日露戦争直前までの新聞報道において、中江兆民が果たした役割は極めて大きい。現代政治思想の根幹は、明治10年頃から日露戦争直前までの、まさに兆民らが政治評論・社会評論で活躍した時期に形成されたと言える。この時期以後、新聞は良くも悪くもニュース報道を中心に、大衆・庶民が求める情報提供、政府のプロバガンダ等々、多種雑多な情報紙としてテレビ放送が開始されるまでメディアの本流としての地位を保つことになる。

  一方、テレビ放送は、昭和28年2月にNHKが、8月には日本テレビが実用放送を開始している。本格的にテレビが一般家庭に普及するのは、昭和34年の皇太子御成婚報道以後であると言われている。テレビ放送の特徴は、映像をリアルタイムに家庭に届けることにあり、皇太子御成婚のライブ放送等は、面目躍如といったところである。その後も、ケネディー暗殺、月面着陸、東京オリンピック、60年、70年安保闘争報道、浅間山荘事件24時間放送と、イベントや事件に事欠かない時代背景も重なって、テレビ報道は、新聞報道よりも優位にたつことになる。それでも、社説、評論等の文字による報道という特性を持つ新聞は、一面ではテレビ放送と一線を画していた。テレビ放送は、イベント・事件の映像を伝える点では優れていても、そんなに大それた事件や、大イベントがしょっちゅうあるわけではないから、ドラマや歌番組、クイズ番組等娯楽番組がその大半を占めていた。娯楽番組のほとんどは、アメリカの物真似であったが、アメリカの番組を見たことがない庶民にとっては、極めて新鮮なものであった。TVドラマで人気を博したのは、アメリカのTVドラマだった。今でも続く、NHKの朝ドラ、大河ドラマ、紅白歌合戦は、昭和を代表するTV番組であった。当時は、年齢を超える高い視聴率を確保した。これらの番組が、大衆から熱狂的に受け入れられた背景には、戦後経済成長というほぼ絶対的とも言える条件が重なっていた。豊かなアメリカ社会のニュース、ドラマ、音楽等が毎日のように日本の庶民に降り注いだ。そして、ついに、ジャパン アズ ナンバーワンの登場となる。

  1970年~80年代にかけて日本が熱狂的に浮かれた時代、経済成長の恩恵にあずかった最後の時代に、テレビ放送は考えられる限りの娯楽番組を制作した。

  インターネットの登場は、1995年のWindows95の発売後に広まった。本格的な普及は、光通信網の全国的整備以後であるから2010年代に入ってからである。日本の通信網の整備は、世界の先進国に比べてかなり遅れた。韓国に比べてもかなり遅い。この遅れが、その後の日本IT産業が世界の開発競争から遅れる大きな要因となったと考えられるが、もっと大きな原因は、バブル経済末期の1980年代後半から1990年代前半にあった。スマホは、2008年のiPhonの発売以後であるから、これも2010年以後といって良く、ここ数年のことである。GPS機能を除けば、ほとんどパソコンと同じ機能である。LSIの集積度、処理速度の飛躍的向上がスマホの誕生となった。理論的にははるか昔のものであり、製造技術の進歩によるものであるが、スマホよりも、サーバーと言われるコンピュータの処理速度と記憶容量の進歩はすさまじいものがある。また、この20年間のプログラム言語の進歩もかなりのものだが、言語というには少し問題があるかもしれない。

  インターネット上には、ありとあらゆる情報が記憶されている。ブログ、SNS、ツイッターには、世界中の膨大な個人情報が蓄積され、公開されていれば誰でも情報を見ることができる。トランプの言っているフェークニュースも堂々と出回る。サイバー空間は、まさに現実社会から情報だけを切り取った情報社会なのである。情報の発信者と受信者は、情報だけで相手のことを想像する。私は、中学生の頃、オランダの女の子と文通をしたことがある。文通の内容と言えば他愛もないことだが、一枚程度の便箋に書かれた内容で女の子のことを想像するのだからいい加減と言えばいい加減なものだ。現代の情報空間では、写真もビデオも掲載できるので、一枚の便箋よりも情報量ははるかに多いが、果たして、私が文通をしていた情報と何が違うのだろうか。私の文通の内容は、日常のこと、日本の歴史、習慣、家族のこと、学校のことであり、中学生が発信できる情報等はたかがしれている。女の子の手紙の内容などは全く覚えていない。サイバー空間を飛び交う個人間の情報のたぐいは、こんな程度のものである。サイバー空間を通してどんなに多くの人と交信したとしても、人生においてはほとんど無意味なものである。

  私がインターネットを利用するのは、メールが仕事上なくてはならないこと、新聞をとっていないので新聞代わりにニュースを見ること、辞書代わりに検索すること、ネット通販で書籍その他を購入することの4つである。肉体労働ではないので、情報さえあれば仕事ができるからメールは仕事上の必需品である。メール機能だけで元は取れている。ニュースを見るための利用があるが、テレビのニュース放送があまりにも内容がないので確認のために利用する。それこそフェークニュースがあるから、新聞社等のニュースで確認することにしている。辞書代わりの利用は、重宝するが内容に間違いが多いので電子辞書で確認する。また学術論文の検索は結構重宝している。ネット通販は、書籍の購入ではかなり便利だ。しかし、ぱらぱらと読んで選ぶということが出来ないので、これもネット上で書評等を検索したり、購入した雑誌等を参考に選択する。

    インターネット、スマホ、パソコン等を利用する情報社会の現実とは、私の利用範囲が一般的だろうと思うが、SNSで積極的な情報交換(おしゃべり)している個人も、アメリカの大統領でさえ利用するぐらいだから、膨大なユーザー数に達している。世界中で活動しているユーザー数は、20億人を超るという。世界人口の30%を超えるではないか。我が国でも6千万人~7千万人に達し、全人口の半数を超える。勿論、一人で複数の登録をしている場合もあり、かつ企業も登録しているから、人口と比較することは適切ではない。SNSユーザー登録数をみると、古くからあるSNS提供会社の登録数は年々減少の傾向を示し、新たなSNS会社が新技術を開発して登場するとユーザー数が増加する現象が起きている。

  何故、SNSに人が引きつけられるか。これまでのテレビ、新聞等のメディアでは、個人が情報を発信するなどということは不可能であった。個人が、メディアに取り上げられるのは、犯罪事件の犯人か政治家・俳優・歌手等の有名人に限られていた。それがSNSの登場で簡単に世界中に自分を発信できるようになった。目立ちたいという自己顕示欲を簡単な方法で実現できるのである。知性を発達させ言語を獲得した人間というものは、何ともやっかいな生き物である。情報社会は、自己顕示欲で充ち満ちた世界なのだ。堕落した世の中とは、欲で満ちあふれた社会でもあるから、仮想空間の情報社会はまさに堕落社会の代表とも言える。現実社会の中から情報を吸い上げて仮想空間に投影したら、自己顕示欲という人間の持つ一種の欲の情報が多数を占めたのである。SNSの内容を見ると、日々の行動、何を考えたか、自分が最近購入した物の情報等々、個人のありふれた内容ばかりである。「私が、僕が何を考えているか知って!」、「私が、僕が今日何をしたかわかる?」という情報に好奇心をかきたてられないかと言えば、興味を抱く人間も多いだろうが、長くは続かない。自己顕示欲を満たす情報は様々であり、グルメ、旅行、趣味、音楽、ファッション、コスメ等々の人間生活のあらゆる部面に存在する。SNSを経営する会社は、これでもかこれでもかと目先を変えて情報発信をしろと誘惑する。こうして、現実社会の多くの部分が、仮想空間で情報として記録され交換されることになる。現実社会の日常というものも他愛ない情報からなっていることを考えれば、ネット社会は情報による仮想社会だからこの点において変わりはない。しかし、現実社会と異なる点が一つだけある。現実社会で付き合う人間の数は、数人程度でそれもよく知っている人間であるが、ネット社会では膨大な数に上り、全く知らない人間であることだ。

  ところで、スモールワールドと言う言葉をご存じだろうか。ディズニーランドのスモールワールドのことではなく複雑系で取り扱うネットワーク理論の一つである。全く知らないある人と出会って話をしていると、共通の知人がいたといった経験がある人もいるのではないだろうか。「世間は狭いものだ」ということを科学的に立証したのがスモールワールドである。人間の情報ネットワークでは、人から人へと情報を伝達すると数段階でほぼ目的の人にたどり着くということである。SNSを利用すれば、このスモールワールドを体感することができる。

   話題が、SNSから複雑系へとそれてしまった。話を、NHK問題に戻そう。この70年間で、メディアの主流は、新聞からテレビ、テレビからインターネットへと大きく変化した。特に、この20年間の情報社会は、現実社会の投影としての性格-堕落の構造-だけが強調されている。

  さて、NHKであるが、NHKは、日本郵便(株)等と同じ特殊法人であるが、株式会社ではない。株式会社の場合には、株式公開を前提としているが、NHKは民営化の方向も見えない特殊法人である。NHKの受信料契約の憲法違反を巡る裁判が最高裁で争われており、1ヶ月後には結審の予定である。NHKは公共放送ということになっている。NHK問題を考えるとき、常に公共放送とは何かという極めて曖昧な問題を議論しなくてはならない。ちなみに公共放送とは、放送内容が公共的であるということではない。公共放送事業体としてのNHKという意味で使われている。アメリカにPBSという公共放送がある。PBSは受信料を徴収していない。参考までに、公共放送で受信料を徴収していない国には、カナダ、ニュージーランド等がある。PBSとは州や地方の小さな公共放送の連合体であり、NHKのような巨大な組織ではない。財源は、連邦予算、寄付金、広告収入等である。PBSは、市民的公共組織と言って良い。NHKが公共事業体かと言えば、特殊法人だから公共事業体には違いない。しかし、経営財源は、国の交付金も僅かながらあるものの大半は受信料収入によっている。利用者からの収入によって経営する点では、日本郵便(株)と同じであるが、郵便は利用したときに支払い、利用しなければ支払う必要はない。公共的事業体には、例えば電気会社、水道事業等があるが、いずれも利用しなければ支払う必要はない。

  ところで、気になる受信料契約であるが、イギリスBBCではテレビを買うときに半年分の受信料を支払った証明書を必要とする。ドイツでは、受信料徴収が連邦裁判で違憲状態であるとされ、世帯、事業所から無条件に徴収する方式に変更したとのことである。イタリアでは、面倒くさいので徴収をやめたそうだから、いかにもイタリアらしい。ちなみにイギリスBBCのチャンネル数は20を超えており、制作されるソフト数は、NHKとは比較にならない数に上る。

 日本、イギリス、ドイツは、強権的受信料契約制度と言えそうだ。イギリスの権力集中と国家的強権性は、王権の残像を今に残す伝統的国家統治思想と無関係であるとは言えそうにない。ドイツは、国家連邦は放送に関与しないことを国是としており、州の公共放送の連合体のARDとZDFで構成されている。ドイツは、ベルリンの壁の崩壊後、国鉄、郵便の民営化を行ったが、公共放送は州の管轄であることから体制は現在まで変わっていない。

  ところで、テレビ放送は全てディジタル化されたことから、基本的にスクランブル放送に設定することが可能である。いつでも有料放送と無料放送を切り替えることができ、無料放送の場合にはスクランブルを外せばいいだけである。何故、NHKは、有料放送にしないのかである。イギリスやドイツでも同じことである。イギリスの報道をみると、有料放送にすると契約数が激減するからだそうだ。契約数が減ると経営不能に陥るので有料放送にはできないというのがBBCの主張だ。

  公共放送を残さなければならないという政治的必然性は、どこから生まれてくるのだろうか。ドイツは、ナチス時代に放送がプロバガンダとして威力を発揮した経験から連邦としての公共放送をやめたが、州では維持し続けている。ヨーロッパ諸国では、第二次世界大戦時代の放送メディアに対する恐怖とでもいうべき記憶が今も後を引いているとしか考えようがない。国民の不満が大きくならないように、受信料を加減し、徴収方法に配慮しつつ、しかし、体制は残すというのが政治思想として今も脈々とヨーロッパ諸国の底辺を流れているのではないだろうか。このインターネット時代、ネット情報社会では時代遅れも甚だしいが、それよりも頑冥な政治思想の持つ怖さである。

  受信料の強制契約は、貧乏人はテレビを見るなということなのか。子供の貧困、生活保護費の増加、シングル家庭の増加等々、給食費さえままならぬ家庭が増えている時代に、年間2万円を超える受信料の強制契約は、まさに圧政に近い政治手法ではないか。

  一方、NHKの受信料契約については、最高裁により「契約の自由」、基本的人権を争点に争われている。しかし、いやしくも契約というからには、提供者、購入者の双方による契約が成立しなければならない。契約に関する常識的範囲では、NHKの受信料契約なるものは道理的ではない。前述のように、ディジタル放送ではスクランブル放送は常識であり、NHKを含め全ての放送電波がスクランブルされている。NHKは、有料放送に切り替え、契約世帯にのみ受信できるようにすれば良いだけである。BBCやドイツの公共放送においても同様の議論があったそうであるが、前述のように現在の規模を維持できなくなるという理由から問題を先送りしている。一定規模以上の受信料収入が必ず入ることを前提とした経営が存在することもおかしいと言えばおかしい。放送法により、受信者は受信料の支払が義務づけられているが、これもおかしいと言えばおかしい。年金制度も日本年金機構という特殊法人が行っているが、年金を支払わなければ年金は受け取れないのだから契約としては常識的である。放送法だけが、受信料支払いの義務化と強制徴収を可能にしている。「受信料契約は何かおかしい」と感じているのは日本だけではなく、世界中の先進国に共通ではないだろうか。

  公共放送が始まったのは、これも世界中ほぼ同時期の1920年代である。E.H.カーの言う「危機の20年」の時代に、ラジオ放送の実用化のための公共経営組織として登場した。第一次世界大戦から第二次世界大戦前までの20年間であり、この間の技術開発、軍備拡張はすさまじく、さらに世界各国の政治・経済も大きく変動する。世界連盟の設立、ロシア革命等、第一次世界大戦から第二次世界大戦までの世界情勢は、猫の目のように変化していた。政治思想、社会思想においても同様である。実用化可能となったラジオ放送は、当時の政治権力にとって、国内の思想的混乱を最小限に抑えるために、政治思想の啓蒙・普及のプロバガンダとして効果的で効率的な道具であった。第二次世界大戦がはじまると、公共放送のプロバガンダとしての効果は決定的となった。戦後回復期においても同様である。自由主義圏は反共産主義を、共産主義圏は反資本主義を喧伝するために、公共放送は格好のメディアとなった。戦前、戦中、戦後という危機的社会状況においては、政治的行動というものは向かう方向は違っていても、強固な社会秩序の樹立と言う点では同じなのである。

  しかし、こうも平和な時代が長く続くと、危機的状況において極めて効果があった公共放送の役割は失せて、公共放送の組織体そのものが漫然と肥大化するのみとなる。組織というものは、経営財源に何らかの制約がなければ無限に拡大する。歴史的に、公的組織そのものが内部から改革することなどはあったためしがない。受信料は、制約条件のない組織財源の典型的な例である。現在の経営が成り立たなければ、受信料を上げれば良いのである。郵政民営化は、貯金・保険資金の政府への流入を止めることが目的であったろうが、それよりも組織の肥大化に歯止めがかけられなくなる限界であったに違いない。この意味では、小泉改革は評価できる。NTT、国鉄の民営化も同様である。現在、残っているのは、NHKと国有林である。

  国有林問題もいつか堕落論2017の議論にあげなければならないが、まずはNHK問題である。なぜなら、公共放送の存在価値や税金でもない受信料を強制的に徴収することの合理性について、政治・政府は何も説明していないからである。組織の制限なき肥大化に対しては、NHK人事、予算の国会承認が歯止めになっていると言うだろう。経営が成り立たなくなり、赤字が累積される状況になったとき、国民は税金の投入を認めるのか。年間8千億円もの費用がかかる法人である。受信料収入が仮に20%ダウンすると毎年の赤字額は1,600億円にもなる。5年間続くと8千億円もの借金を抱えることになるではないか。少子高齢化社会で、20年後には高齢者世帯のほとんどがいなくなる。受信料収入は、今から毎年減少し、おそらく2~3年後からは、毎年、受信料を上げざるを得なくなるというのが現実である。

  最高裁の判決がどのようになるかは想定さえできないが、受信料契約に違法性があるということぐらいの判定がなければ、現代民主主義国家をスローガンとする我が国の正義と我が国が依ってたつ法治思想が疑われる。NHKという公的組織をどうするかは政治的問題である。政治家が現実を直視し、かつての政治家が自らの政治思想を貫き組織改革を断行したように、NHK改革を断行する時代に入った。目先の政治的野合と保身に汲汲としている堕落した政治業界が、NHKという巨大メディア組織に切り込むことができるか。国民国家では、政治家を選ぶのは国民であるから国民が悪いという批判は正しくない。なぜなら、国民にできることはうまいことを言う政治家に票を入れることぐらいだからだ。国民の関心が薄いから、公共放送は際限なき肥大化へ向かうという批判も正しくない。NHKを変えられるのは、政治家しかいないのである。一旦、戦争を始めたら国民には止められないのと同じである。政治だけが戦争を止められるように、特殊法人という政治的判断により設立された組織の自然膨張を止めることができるのは、政治だけなのである。
                                                                                                       2017年11月6日
                                                                    
参考
   明治初期に活躍した思想家、評論家。「中江兆民評論集」(松永昌三編 岩波文庫)等。
○ジャパン アズ ナンバーワン
   「ジャパン アズ ナンバーワン: アメリカへの教訓」(エズラ F. ヴォーゲル 広中和歌子、
        木本 彰子 訳 TBSブリタニカ)
○スモールワールド
      「複雑な世界、単純な法則」(マーク・ブキャナン 坂本芳久訳 草思社)
○NHK放送文化研究所のホームページで「シリーズ 世界の公共放送のインターネット展開」
 が紹介されている。https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/oversea/086.html
○危機の20年
   E.H.カー著 原 彬久訳 岩波文庫