この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―昭和42年~昭和49年―
この国の精神 昭和歌謡にみる大衆の精神―昭和42年~昭和49年―
秋 隆三
<昭和40年代とは?>
やっと、昭和40年代に入ることができた。歌謡曲を聞いていると、聞いただけで何となく納得してしまい、その時代とは何だったのかと考究することを忘れてしまう。オルテガの言う大衆とは、こういうものなのだろう。
昭和46年に丸山真男の「日本の思想」(岩波新書)が出版された。丸山が書いたのは、昭和32年から34年頃であるが、昭和30年代、40年代の思想界について論じたものと言えよう。
122ページまでは、かなり専門的であり、丸山の思想研究の総括とも言うべき論点が整理されているが、なかなかに読みにくい。第3章「思想のあり方」(昭和32年岩波文化講演会の収録)についてからが、丸山の本音が見えてくるところである。
丸山は、第3章冒頭で「人間はイメージを頼りにして物事を判断する」として次のように述べている。「こういうふうにして何となくいつの間にか拡がっていったイメージがほんものから離れて一人歩きする・・・・・・・。自分が環境から急激なショックを受けないように、あらかじめ個々の人間について、あるいはある集団、ある制度、ある民族について、それぞれイメージを作り、それを頼りに思考し行動する・・・」
現代脳科学においても同様に説明できるが、急激なショックというわけではなく、人の記憶や思考というものは、抽象化された言葉でなされているので、例えば、赤いリンゴも黄色いリンゴもリンゴとして記憶し、リンゴの味やにおいも同様に抽象化された記憶なのである。丸山が言うイメージとは、記憶と思考における抽象性と捉えられよう。これは、人工知能のディープラーニングにおいても同様である。こういったメカニズムがAIと脳とで同じかどうかはわからないが。
しかし、世の中がますます複雑怪奇になり、多様になると自分の抱いているイメージでは感覚的に現実を確かめることができなくなる。つまり、環境が複雑になると、われわれと現実の環境の間に介在するイメージの層が厚くなってしまい、固まってしまうのだと丸山は言う。そして、ついには、無数のイメージが独自の存在、つまり化け物と化してしまう。簡単に言えば、「アメリカとはこういう国だ」という場合である。
丸山は、このあと日本思想の特殊性について、有名な「タコツボ」型文化の解説を始める。
一方、同時代の会田は、「日本のナショナリズム」を力説する。ナショナリズムを欠いているということがどれだけ世界史的にみて特殊なことかと言う。そのとおりであろう。
丸山は、日本の特殊性について、学問や組織が過度に専門化していく問題は世界共通だが、日本の機能集団の多元的な分化は、それとは別の、人間をつなぐ伝統的な集団や組織というものがないことだと言う。欧米には、教会やサロンがあるが日本にはそのようなものはない。個別の機能集団がタコツボ化していくと、集団間相互のコミュニケーションが失われ孤立化する。戦前には、「天皇制」によって国民的意識の統一を図っていたが、戦後にその結び目がほぐれてしまったと言う。
タコツボ化した機能集団の集まりである日本にナショナリズムなど育つはずがないのである。
この状況は、バブル崩壊後にさらに激しくなった。経済のグローバル化だ、中国進出だ、アジアだと世界に飛び出した企業集団は、丸山の言うタコツボ文化を保ったまま飛び出した。機能集団とは別の日本人としての共感、統一感、精神、思想の何も持たずにである。勿論、アメリカ人にそれがあるかと言えば、明確なものを指摘することは難しいだろうが、機能集団以外のコミニュケーション手段、例えば、クエーカー教徒であるとかクリスチャン等がある。
さて、昭和40年代の世相はどうだったろうか。ベトナム戦争が激しさを増し、学生運動は過激さを増していた。経済は、高度経済成長の真っ只中である。物価、地価はどんどん上がるが、給与も上がる。団塊世代が成人となり、膨大な労働力が供給されると同時に、消費も一気に拡大する。
昭和歌謡もこの時代に突入すると同時に激変することになる。これまでの演歌は影が薄くなり、ムード歌謡、日本型シャンソン、フォークへと多様化する。
それでも、昭和30年代後半から、三波春夫の歌謡浪曲は爆発的なヒットを放つ。忠臣蔵を題材にしているが、この時代の企業組織の拡大・成長に伴う組織と個人の葛藤や、組織強化のイメージと重なるものがあったに違いない。忠臣蔵は、現代においても暮れになると必ずと言って良いほどTVドラマで放送される。日本大衆の精神は、それほど変化していないのかもしれない。
それでは、昭和42年から49年までの歌謡曲を見ていこう。歌謡曲とフォークを分けて整理した。
<昭和42年~49年の歌謡曲>
(112)あなたのすべてを(昭和42年)
佐々木勉 作詞・作曲で歌も歌っている。恋病であるが、この時代に入ると、恋に落ちる歌がはやりだす。歌謡曲というよりは、フォークの先駆けとも言える。
https://www.youtube.com/watch?v=LwcSpXN_UXQ
(113)粋な別れ(昭和42年)
浜口庫之助作詞・作曲、石原裕次郎が、主演映画「波止場の鷹」の主題歌として歌った。石原裕次郎主演の日活映画は、この時代すごいもので、1年に6作ぐらい制作されている。石原裕次郎の声質がずば抜けている。
https://www.youtube.com/watch?v=13jGH-JcOzI
ちあきなおみ版である。ちょっと面白い。
https://www.youtube.com/watch?v=5MvXDyHWY00
同年の映画「夜霧よ今夜も有難う」も、浜口庫之助の作詞・作曲である。この歌も裕次郎にぴったりである。
https://www.youtube.com/watch?v=rVG3x1BsE-4
(114)君こそわが命(昭和42年)
作詞は川内康範、作曲は猪俣公章で水原弘の奇跡のカムバック曲である。この曲も恋に落ちる曲である。昭和20年代、30年代の失恋とは違う新たな恋病の歌謡曲である。
https://www.youtube.com/watch?v=PljdauSi1wY
(115)こまっちゃうな(昭和41、42年)
遠藤実の作詞・作曲で山本リンダが歌って100万枚を突破した。遠藤実がこんな歌も作曲するのかと驚きである。
https://www.youtube.com/watch?v=pIAo-CxHKiM
(116)小指の想い出(昭和42年)
作詞:有馬三恵子、作曲:鈴木淳、伊東ゆかりが歌ってヒットした。これも、昭和の新しい恋病の歌である。
https://www.youtube.com/watch?v=tS24d0fCFfA
(117)三百六十五歩のマーチ(昭和43年)
作詞:星野哲郎、作曲:米山正夫、水前寺清子が歌いヒットした。ベトナム反戦運動等、そろそろ社会が騒がしくなり始めた頃であるが、何とも明るく、しっかり地に足をつけて頑張ろうという歌である。水前寺清子の明るい声質とぴったりフィットした。
https://www.youtube.com/watch?v=BCk5t8DTzRs
(118)世界は二人のために(昭和42年)
作詞:山上路夫、曲作・編曲:いずみたく、佐良直美が歌いヒットした。どちらかと言えばフォーク調である。
https://www.youtube.com/watch?v=434GlcJIVbY
いいじゃないの幸せならば(昭和44年)もヒットした。この詩は、面白い。
作詞:岩谷時子/作曲・編曲:いずみたく
https://www.youtube.com/watch?v=_0ZcktxfF-g
(119)ブルー・シャトー(昭和42年)
橋本淳作詞、井上忠夫(当時。後に井上大輔)作曲、ジャッキー吉川とブルー・コメッツが歌いヒットした。GS(グループ・サウンズ)が、僅かな期間であるが流行する。
https://www.youtube.com/watch?v=52YWxKiVr1o
(120)伊勢佐木町ブルース(昭和43年)
作詩:川内康範 作曲:鈴木庸一 編曲:竹村次郎、青江三奈の再起ヒット曲である。この時期、ご当地ソングが流行する。
https://www.youtube.com/watch?v=s-dLf7e3cH4
(121)命かれても(昭和42年)
作詞:鳥井実/作曲:彩木雅夫 森進一が歌った。この時期、森進一が活躍し、数々のヒット曲が生まれる。
https://www.youtube.com/watch?v=99YRi4YNktI
盛り場ブルース
年上の女
一人酒場で
(122)ブルーライト横浜(昭和43年)
作詞:橋本淳/作曲・編曲:筒美京平 いしだあゆみが歌ったご当地ソング。
https://www.youtube.com/watch?v=F8RPkEl6pyM
(123)星影のワルツ(昭和43年アレンジ版)
作詞:白鳥園枝/作曲・編曲:遠藤実 千昌夫 アジアでもヒット
https://www.youtube.com/watch?v=sQUosDz7w8g
(124)いい湯だな(昭和41年、43年)
永六輔作詞、いずみたく作曲、昭和41年にデューク・エイセスが歌っている。群馬県のご当地ソングとしてリリースされたとのことである。昭和43年にザ・ドリフターズが歌い、「8時だよ全員集合」で使用してヒットする。
https://www.youtube.com/watch?v=UcqfxF-cJOo
(125)今日でお別れ(昭和42年、44年再発売)
作詞:なかにし礼、作曲:宇井あきら、菅原洋一が歌った。
https://www.youtube.com/watch?v=nnYHCEO1sLA
(126)座頭市
川内康範作詞、曽根幸明作曲、勝新太郎が歌った。
勝新太郎主演で26作シリーズ映画の主題曲。主題曲は、その作品によって様々であり、この歌は後年作られた。
(127)東京でだめなら(昭和44年)
作詞:星野哲郎、作曲:首藤正毅、水前寺清子が歌った。東京でだめなら名古屋があるさ、名古屋がだめなら大阪があるさ・・・と夢さえあればどこかで花が咲くと歌う。現代では、とても考えられない歌である。
https://www.youtube.com/watch?v=fDlXNacri1k
(128)長崎は今日も雨だった(昭和44年)
作詞:永田貴子,作曲:彩木雅夫、内山田洋とクール・ファイブの最大のヒット曲。
https://www.youtube.com/watch?v=YGfseX5WdVE
(129)港町 涙町 別れ町(昭和49年)
浜口庫之助作詞作曲、石原裕次郎が歌った。
https://www.youtube.com/watch?v=3ziMhYBGs2g
(130)港町ブルース(昭和44年)
作詞:深津武志/補作詞:なかにし礼、作曲:猪俣公章、森進一が歌ってヒットした全国港町を網羅したご当地ソング。
https://www.youtube.com/watch?v=LMaLeZAJEIU
(131)男はつらいよ(昭和44年)
作詞:星野哲郎,作曲:山本直純、渥美清が映画「男はつらいよ」の主題歌として歌った。26年間に48作が公開された。
https://www.youtube.com/watch?v=qjd-4rrX1K8
玉置浩二が歌っている。
https://www.youtube.com/watch?v=EHl1BbyChnI
(132)希望(昭和45年)
作詞:藤田敏雄、作曲:いずみたく、編曲:川口真 岸洋子が歌ってヒットした。
https://www.youtube.com/watch?v=fSbTj_zl1CE
(133)京都慕情(昭和45年)
作詞:ザ・ベンチャーズ、訳詩:林春生,作曲:ザ・ベンチャーズ 渚ゆう子が歌ってヒットした。
https://www.youtube.com/watch?v=zekvNWZlStM
(134)知床旅情(昭和35年、46年)
森繁久彌が作詞・作曲、森繁久弥が歌っているが、46年に加藤登紀子が再リリースして140万枚を売る。
森繁久弥版
https://www.youtube.com/watch?v=tfjKZD03Ox8
加藤登紀子版
https://www.youtube.com/watch?v=OGXCachBfYY
(135)また逢う日まで(昭和46年)
作詞:阿久悠 作曲・編曲:筒美京平、尾崎紀世彦がうたって大ヒットする。
https://www.youtube.com/watch?v=CCUN3658HKU
(136)よこはま たそがれ(昭和46年)
作詞:山口洋子/作曲:平尾昌晃、五木ひろしと名前を変えてやっとヒットした曲である。
https://www.youtube.com/watch?v=tPCWCN1QoGA
(137)わたしの城下町(昭和46年)
作詞:安井かずみ。作曲:平尾昌晃、小柳ルミ子が歌いヒットした。オリコン12週1位の記録がある。
https://www.youtube.com/watch?v=UaKe0TwITlc
(138)おまえに(昭和41年、47年)
岩谷時子、吉田正、フランク永井が歌い、昭和52年に再リリース、ロングヒットの代表作である。
https://www.youtube.com/watch?v=GgX0WMrmH1c
(139)喝采(昭和47年)
作詞:吉田旺、作曲:中村泰士。ちあきなおみが歌い大ヒット。
https://www.youtube.com/watch?v=tOGB74vILT0
(140)せんせい(昭和47年)
作詞:阿久悠,作曲:遠藤実、森昌子が歌った。山口百恵、桜田淳子とともに「花の中三トリオ」。
https://www.youtube.com/watch?v=EYnuZLPbTsE&list=PL188D7F83B63C222F&pp=iAQB
(141)どうにもとまらない(昭和47年)
作詞:阿久悠,作曲:都倉俊一、山本リンダが歌った。何とも言いようのない歌である。
https://www.youtube.com/watch?v=ceC9CXXDAto
(142)五番街のマリーへ(昭和48年)
作詞・作曲: 阿久悠(作詞); 都倉俊一、ペドロ&カプリシャスが歌ってロングヒットとなる。
https://www.youtube.com/watch?v=CxKS8mFGRTw
ジョニーへの伝言
https://www.youtube.com/watch?v=vz5k2UrrYoQ
(143)花街の母(昭和48年)
作詞:もず唱平,作曲:三山敏、金田たつえ
https://www.youtube.com/watch?v=i7MUz-7Gzt8
(144)昭和枯れすすき(昭和49年)
作詞:山田孝雄、作曲:むつひろし、さくらと一郎
https://www.youtube.com/watch?v=iHpdxhwgJpA
(145)二人でお酒を(昭和49年)
作詞・作曲: 山上路夫(作詞); 平尾昌晃、梓みちよ
https://www.youtube.com/watch?v=NE3ttugoKq4
<フォーク・ソング 昭和42年~49年>
(146)この広い野原いっぱい(昭和42年)
小薗江圭子の作詞、森山良子の19歳のときの曲である。
https://www.youtube.com/watch?v=BZBbi7bUa3M
(147)帰って来たヨッパライ(昭和42年)
作詞:フォーク・パロディ・ギャング(松山猛・北山修)、作曲:加藤和彦、編曲:ザ・フォーク・クルセダーズが歌った。アングラフォークと呼ばれる。
https://www.youtube.com/watch?v=HgW5KUyJarw
イムジン河(昭和43年)
作詞・作曲: 作詞:朴世永、松山猛(訳詞)
https://www.youtube.com/watch?v=0MdCLjr9STs
(148)山谷ブルース(昭和43年)
作詞:平賀久裕・岡林信康、作曲・編曲:岡林信康
日本のフォーク・ソングとして、高石ともやの「受験ブルース」と共に大ヒットした。
https://www.youtube.com/watch?v=6n4mJsMi81g
友よ(昭和44年)
歌:岡林信康. 作詞:岡林信康. 作曲:岡林信康
1969年、新宿駅西口地下広場で展開されたベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)で歌われた。歌った記憶がある。
https://www.youtube.com/watch?v=MOOpLHTV8Go
(149)受験生ブルース(昭和43年)
作詞:中川五郎/作曲:高石友也
https://www.youtube.com/watch?v=_VpFqy3f7ok
(150)自衛隊に入ろう(昭和44年)
作詞:高田渡、作曲:ピート・シーガー(アンドラより)。この高田渡という歌手は何とも言えないムードがある。
https://www.youtube.com/watch?v=QfffBvRhlNA
(151)風(昭和44年)
作詩:北山修、作曲:端田宣彦 シューベルツ
https://www.youtube.com/watch?v=ugtGClQLUdQ
(152)白い色は恋人の色(昭和44年)
作詞: 北山修、作曲: 加藤和彦 ベッツィ&クリス
https://www.youtube.com/watch?v=aF5ATASda74
(153)白い珊瑚礁(昭和44年)
阿久悠、田辺信、ズー・ニー・ヴー
https://www.youtube.com/watch?v=oHfiHKjkhAw
(154)白いブランコ(昭和44年)
作詩:小平なほみ、作曲:菅原進、ビリーバンバン
https://www.youtube.com/watch?v=b4iMbJi_-2c
(155)アンドレ・カンドレ(井上陽水)/カンドレ・マンドレ(昭和44年)
作詞・作曲:マンドレ(井上陽水) 井上陽水のデビュー曲、昭和46年に井上陽水として再デビュー。
https://www.youtube.com/watch?v=vcOr3y_MPSw
傘がない(昭和47年)
https://www.youtube.com/watch?v=bnEX9lJACKU
夢の中へ(昭和48年)
https://www.youtube.com/watch?v=zIxBzIgdPeE
心もよう(昭和48年)
https://www.youtube.com/watch?v=9TWH8nj7dFM
(156)時には母のない子のように(昭和44年)
作詞:寺山修司/作曲:田中未知、カルメン・マキ
https://www.youtube.com/watch?v=TuN03KG8Ymk
(157)ひとり寝の子守歌(昭和44年)
作詞:加藤登紀子,作曲:加藤登紀子
https://www.youtube.com/watch?v=hfYDxsH7xr4
(158)フランシーヌの場合(昭和44年)
いまいずみあきら作詞、郷伍郎作曲、新谷のり子 プロテスト・フォークの代表作
https://www.youtube.com/watch?v=fIYFbDQPNJg
(159)真夜中のギター(昭和44年)
作詞:吉岡治/作曲:河村利夫、千賀かほるが歌いロングヒット
https://www.youtube.com/watch?v=SZALv1S3NUM
(160)竹田の子守歌(昭和44年)
採譜したのは、作曲家の尾上和彦 森山良子、赤い鳥等が歌っている・
場所は、京都市伏見区竹田と言われる。
https://www.youtube.com/watch?v=1IeuDyR3ax4
(161)誰もいない海(昭和42年、43年、45年)
作詞:山口洋子、訳詞:ジェリー伊藤、作曲:内藤法美、トワ・エ・モワ、越路吹雪が歌った。
https://www.youtube.com/watch?v=TdRQE_dLgxs
越路吹雪版
https://www.youtube.com/watch?v=pLNw0I4Kt4Q
(162)酔いどれ女の流れ歌(昭和45年)
みなみ らんぼう作詞作曲、森本和子が歌った。
加藤登紀子版
https://www.youtube.com/watch?v=fVF8sD4FMnc
(163)イメージの詩(昭和45年)
作詞:吉田拓郎,作曲:吉田拓郎 吉田拓郎のデビュー曲。
https://www.youtube.com/watch?v=Jp24mwqQ9WQ
結婚しようよ(昭和47年)
https://www.youtube.com/watch?v=ryutpbPwrz4
旅の宿(昭和47年)
https://www.youtube.com/watch?v=i0IvbEXMRsY
(164)花嫁(昭和46年)
作詞: 北山修 、作曲: 端田宣彦・坂庭省悟、はしだのりひことクライマックス
https://www.youtube.com/watch?v=c38bMZzPGm0
(165)神田川(昭和48年)
作詞:喜多条忠、作曲:南こうせつ、南こうせつとかぐや姫
https://www.youtube.com/watch?v=JSgyHiKESGw
(166)白いギター(昭和48年)
作詞:林春生/作曲・編曲:馬飼野俊一、チェリッシュ
https://www.youtube.com/watch?v=QwTWA60blbA
テントウムシのサンバ(昭和48年)
https://www.youtube.com/watch?v=1KNX3_REMOk
(167)愛のくらし(昭和46年)
作詞:加藤登紀子、作曲:アルフレッド・ハウゼ
https://www.youtube.com/watch?v=Gl_6vLHLegM
黒の舟歌(昭和49年)
作詞:能吉利人,作曲:桜井順、加藤登紀子
https://www.youtube.com/watch?v=lsZdcs-USwQ
(168)襟裳岬(昭和49年)
作詞は岡本おさみ、作曲は吉田拓郎、森進一が歌ってロングヒット。
https://www.youtube.com/watch?v=ROsl65oxb2w
(169)精霊流し(昭和49年)
さだまさし作詞作曲、グレープ歌。さだまさしの実質デビュー曲となった。
https://www.youtube.com/watch?v=4QEgGwZRIK8
<ベトナム反戦運動、全共闘等々>
この時代、ベトナム戦争が泥沼化し、学生・若者を中心に反戦運動が広がった。フォークソングは、言わば社会的抵抗運動の声とも言える。
昭和40年にベ平連が誕生し、昭和49年に解散となる。ソ連のKGBの資金が入っていたとも言われる。
昭和43年の東大安田講堂事件、新宿騒乱、昭和44年の新橋事件は、テレビで実況放送されるなど学生を中心とする運動は過激さを増していた。
学生運動の背景は、極めて複雑である。戦争反対、平和運動、大学自治等の問題も確かにあったが、急速な経済成長による所得格差・貧困問題もあった。
オルテガは、この時期の40年前、遙かスペインの彼方で、せっせと次のような論文をしたためた。「ヨーロッパに、数年前からいろいろと「奇妙なことが起こり始めている」として、サンディカリズム(労働組合主義と訳されている)とファシズムを挙げ、「サンディカリズムとファシズムという表皮のもとに、ヨーロッパに初めて理由を示して相手を説得することも、自分の主張を正当化することも望まず、ただ自分の意見を断乎として強制しようとする人間のタイプが現れた」ことを発見した。そして、大衆である平均人は、「自分の中に「思想」を見出しはするが、考える能力をもたない」と断言する。大衆の「思想」が「真の思想ではなく、恋愛詩曲のように言葉に身をつつんだ欲望に他ならない」とする理由は、「意見は主張するが、あらゆる意見の主張のための条件と前提を認めようとはしない」ことであると言う。
戦後日本は、アメリカ流の自由主義的デモクラシーを突き進んだ。昭和40年代とは、この自由主義的デモクラシーにおける政治権利の最も混乱した時代とも言える。オルテガは、自由主義的デモクラシーについて、見事に以下のように解説している。
「政治において、最も高度な共存への意志を示したのは自由主義的デモクラシーであった。自由主義的デモクラシーは、隣人を尊重する決意を極端にまで発揮したものであり、「間接行動」の典型である。自由主義は、政治権利の原則であり、社会的権力は全能であるにもかかわらずその原則に従って自分を制限し、自分を犠牲にしてまでも、自分が支配している国家の中に、その社会的権力、つまり、最も強い人々、大多数の人々と同じ考え方も感じ方もしない人々が生きていける場所を残すよう努めることである。自由主義とは至上の寛容さなのである。」
省略せず全文を載せたが、オルテガは、この結論にいたるまで、あえて焦点をぼかしながら説を展開するとい独特の書法をとっている。
自由主義的デモクラシーを、「人類がかくも美しく、かくも矛盾に満ち、かくも優雅で、かくも曲芸的で、かくも自然に反することに到着したということは信じがたい」と評し、「その同じ人類がたちまちそれを廃棄しようと決心したとしても別に驚くにはあたらない」ことだと言う。人類が自由主義的デモクラシーに到着したこと自体が奇跡なのである。サンディカリズムであろうとファシズムであろうと、近年のロシアの専制国家であろうと、どんな国家が出現しても不思議でも何でもないのである。
オルテガは、「大衆が何らかの理由から社会的な生に介入した時は、常に「直接行動」という形を」とると断言する。直接行動とは、「従来の秩序を逆転し、暴力を唯一の手段と宣言する」ことであり、自由主義的デモクラシー社会においては、この「直接行動」が公然と認められた規範として現れてきたと言う。1930年代のヨーロッパでは、ナチズムが力を付け、「ほとんどの国において、同質的大衆が社会的権力の上にのしかかり、反対派をことごとく圧迫し、抹殺」していると論じる。
昭和40年代は、平和運動、学生運動、社会主義活動等が入り乱れて社会を騒がせていたが、こういった活動は、大衆の中では少数派であり、多数の大衆は「直接行動」には見向きもせず、日々の生活と経済活動に追いまくられていた。マスコミが、こういった状況を社会変動として大々的に報道しまくった。
この時期の歌謡曲をみると、フォークソングという新しいジャンルが登場するが、これも1960年代後半のボブディランの影響を受けたものを日本流にアレンジすることから始まっている。しかし、昭和40年代後半のフォークには、政治的においは全くなく、恋歌、叙情歌とオルテガの言う、言葉に身をつつんだ日本歌謡へと変わるのである。
丸山の言う「タコツボ」化した機能集団、会田の言う「ナショナリズム」なき大衆の精神は、いよいよ欲望の極致の時代へと突入する。
次回は、昭和50年から昭和63年までの昭和最後の14年間を見ていくことにしよう。
2023/07/08
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