この国の精神 思考停止社会(2) ―情動とは何か―
秋 隆三
感情とは何かという課題は実に難しい。古来、様々な宗教、思想、哲学の目的は、感情とは何かを究明することであった。人間社会は、まさに感情の渦であり、様々な問題の解決にとって、まず感情の問題を解決する必要があった。
<ロシアの核使用確率は20%以下?>
ウクライナ戦争、イスラエル・パレスチナ戦争等は、まさにこの感情のぶつかり合いと言っても良い。ところで、ウクライナ戦争であるが、弾薬庫の爆撃以来、ウクライナは次の弾薬庫に向けた攻撃を行っていない。なぜ、攻撃しないのか? ドローンがなくなったのか? どこからか圧力がかかって止めたのか? 単なる政治的パフォーマンスだったのか?
ロシアのICBM発射試験爆発前後に、北欧では大気中のプルトニウム濃度が異常に高くなっていることが観測された。原子力発電所の放射線漏れか、核弾頭からのプルトニウム漏れか。そこで、核爆弾の仕組みを少し調べてみた。
核爆弾には2種類あるようだ。広島型は、ウランだけしか利用できない比較的単純な方式であるが、長崎型はウランにもプルトニウムも利用可能な方法であり、現代ではこれが主流となっている。プルトニウムは、原子炉で産生されるので、原子力発電所があれば簡単に手に入る。この長崎型原爆は、丸い形状で、外側を通常爆薬で覆い、コアの部分にプルトニウム、コアの中心部にイニシエータを配置し、外側の火薬を爆発させて爆発圧を中心部に集中させることでプルトニウムを超臨界にし、中心部のイニシエータによって中性子を発生させ、核分裂が生じるという仕組みである。このイニシエータに用いられるのが、ポロニウムという物質だがこれは自然界にも存在し、ラドンに多く含まれる。ポロニウムはアルファ線を発生し、アルファ線がベリリウムに照射されることでベリリウムが中性子を放出する。ポロニウムが発生するアルファ線は10cm程度しか飛ばない。ベリリウムをアルミ箔などで覆っておくとアルファ線の影響を受けることがないので密着させても問題はない。このポロニウムで有名な事件は、英国でおきたロシア人のスパイ暗殺事件である。ポロニウム210の半減期は130日程度と言われているので、核弾頭に搭載するイニシエータは、4ヶ月程度を最大として交換管理する必要がある。つまり、核弾頭には装備せず、必要に応じて装着する。保管されているイニシエータは4ヶ月毎に交換する必要がある。半減期を超えたポロニウムは、原子力発電所の原子炉内に入れると1ヶ月程度でポロニウム210に回復する。
核爆弾を管理することは容易ではない。ロシアには、1万発を超える核弾頭があると言われているので、これらを常時利用可能にするためには、1日あたり200発程度のイニシエータの交換が必要となる。こんなことは、ロシアの経済力では到底不可能である。おそらく、20~30発程度は、いつでも利用可能にし、後は、利用する時にイニシエータを製造装着することになるだろう。
さらに、今回の核弾頭搭載ミサイルの爆発事故のように、ミサイルの管理不良は致命的な問題となる。発射失敗すればそこで核爆発を誘発する。
核弾頭ミサイルを使うことなどは、どう考えても現実的ではない。核爆弾を使うとすれば、爆撃機からの投下が最も実現性が高い。これも、ロシア領内で撃墜されれば、自国内で核爆発を起こすことになる。
このように考えると、核爆弾を使うということは、一か八かの賭けになる。口で言うほどの脅しにさえならない。ロシアが使う確率は、20%以下といったところが妥当なところだろう。それも命がけだ。
<米国大統領選挙目前>
米国大統領選挙の世論調査では、トランプが誤差の範囲だがやや有利だ。トランプは、この1ヶ月ぐらいの間に相当変わった。何が変わったかと言えば、一つは人相である。あの人を見下すような視線から、人に寄り添うような視線に変化した。さらに、あのきついジョーク(ローストジョークと言うそうだ)の連発である。まず、マクドナルド・ハンバーガー店での手伝いだ。ハリスよ、お前は、こういう仕事をしてたんだって? 本当か? 次いで、ゴミ収集車に乗って「共和党支持者というゴミを集めるか」と演じる。米国人は、こういうジョークが好きなのだ。イギリス人ならばさしずめきついブラックジョークで一発食らわすというところだろう。これが、トランプの本来の良さである。暗殺事件が、彼の死生観を彼本来に戻したのかもしれない。
こうなると、トランプが勝つかもしれない。トランプが大統領になっても、政治・経済等はそれほど急に変化はしない。なにしろ、トランプはアメリカンドリームを背負って立つ商売人なのだから。しかし、時間とともに、トランプ流が発揮されるだろう。未来はさておき、今、現実の問題への対応力は、トランプが優れているからだ。今、目の前の問題を解決することで、未来は変化する。トランプが大統領になると未来のアメリカは変わるかもしれない。
<感情とは何か?>
核爆弾と聞いただけで、危険なもの、戦争に負ける、といった思いが直感的に浮かぶ。核に関する感情的反応である。同じように、トランプと聞いただけで、拒否反応を起こすのは、まさしく感情である。
脳科学の先駆者に、オランダの脳科学者ダマシオという学者がいる。彼の著作「感じる脳」(ダイヤモンド社、2005年、田中三彦訳)によれば、我々が「感情」と呼ぶものは、実は、「情動」と「感情」という機能で構成されたものであると言う。
この本は、少々やっかいな本である。オランダの哲学者スピノザの言論を引用しつつ脳科学について解説するというややこしい論法を用いている。
スピノザは、1632年オランダで生まれた。同年には「正義論」で有名なジョン・ロックも誕生している。スピノザ誕生の前後100年は、科学、文学、哲学、宗教、政治等、大革新の時代であった。ルターの宗教改革が終わり、イギリスではトーマス・ホッブズが「リバイアサン」を発表し、清教徒革命が起こり、シェークスピアがひたすら恋の苦しみと親子の情に悩み文学・演劇に打ち込んだ。スペインでは、セルバンテスが日夜空想を膨らませ、イタリアではガリレオ・ガリレイが地動説を唱え、バチカンを震え上がらせた。フランスではルネ・デカルトが「我思うゆえに、我あり」と叫び、近代哲学的方法論を論じる。絵画では、レンブラントが活躍し、物理学では、ニュートンがリンゴの落ちるのを見て引力を発見する。そして、フランス革命、アメリカ合衆国の独立へと続いていく時代である。
ダマシオが、スピノザを「情動と感情」の科学的解説に取り上げたのは、それなりの理由がある。一つは、両者ともオランダ人でありユダヤ人である点だ。16世紀後半からスペイン、ポルトガル系ユダヤ人が、オランダあるいはネーデルランド諸州、プロテスタント系国家に大量に移動している。16世紀末に太陽の沈まぬ国といわれたスペインのフェリペ2世が異教徒不寛容主義をとったためである。スピノザの父親もポルトガル系ユダヤ人の移民だし、勿論、ダマシオもユダヤ人である。ローマ時代以後の歴史を見ると、大陸の国家が異教徒不寛容主義をとると、必ずと言って良いほど国家が崩壊する。グローバル社会は、信仰の自由を必要とする。二つ目は、スピノザが近代哲学の道を切り開いたという点である。地動説から天動説へ、ニュートン力学の発見等々、自然科学が学問として独立する。これまでの、宗教観が根底から揺さぶられた。スピノザは、汎神論を掲げ、一神教的神を否定する。絶対的真理、絶対的理性が存在すると信じるところに精神の自由はない。オルテガの言うように、科学の進歩は精神の自由を根源とするのだ。
<情動とは何か?>
ダマシオは、「情動」と「感情」は別物、つまり、心の反応プロセスが異なると言う。
「情動」は、人が生きるために必要とする自動化された生命調整装置なのだとしている。つまり、高度に進化した「人」になる遙か前の原初的生命体において、脳は存在しないが生命管理のための機構、ホメオスタシス機構を獲得した。この、ホメオスタシス機構を理解しなければ、感情のメカニズムを理解することはできない。
結論を先に言えば、我々の脳の内部には、体全体はおろか、脳そのものにさえ集中的な制御機構は存在しないということである。コンピュータがCPUという中央処理装置とソフトによって制御されているが、こんな仕組みにはなっていない。つまり、脳の各部は勝手に機能しているのである。これと同じような機構は、森林生態系にも見られる。生命体が勝手に森林の中で生きているが、森林はある程度一定状態を維持する。近年、土壌菌のネットワーク構造が森林生態系の状態維持に重要な役割をはたしていることが発見された。脳の中では、神経細胞とホルモン等の化学物質が、ニューラルネットワークを形成している。
ダマシオは、情動のプロセスを樹木の下部から上部の枝へと伸びる構造に例えている。もう少しわかりやすく言えば、「インプット→評価反応→アウトプット」が自動的に行われる最も原始的な層から徐々に上位の層へとインプット→アウトプットのネットワークが伸びていく。最下位の原始的な層は、体内の生命活動(代謝)、感覚諸器官からの信号、免疫系信号等である。その上に「苦と快」と結びつく行動(反応)がある。この反応は、人間では感じることができるし感じた内容を言葉にすることもできる。例えば、苦しい、快い、やりがいがある、苦痛だ等である。ここまでの反応は、日常茶飯事に見られるものもあるし、目には見えない反応もある。前者は、傷を受けた手をかばう等であり、後者は免疫系の反応である。こういった反応は、苦を形成する基盤となっている。これらの上のレベルにあるのが、「動因と動機」(drives and motivation)と呼ばれる領域である。例えば、空腹感、喉の渇き、好奇心、探究心、気晴らし、性欲等である。エネルギーが不足するという動因によって空腹感という動機が形成されるというように。「欲求」と言っても良い。「欲望」は意識的感情であるとすれば、「欲求」は、ある特定の動因によって活発化する行動的状態(空腹感等)であると言える。
そしてこれらの上位に「情動(狭義の情動)」が存在する。喜び、悲しみ、恐れ、プライド、恥、共感等であり、これらの上の最上位に感情があることになる。
少し難しくなってきたが、ここまでが情動というものであり、これらのすべての仕組みは、DNAによって、生まれると同時に、あるいは直後に、学習することなく確実に作用するようになっている。泣きわめくとかしくしく泣くといった反応の形態は、生まれた時にすぐに作用するようにできている。さらに驚くべきことに、自動的、定型的パターンとなっており、一定の条件下で作動する。しかし、経験、学習によってなぜ泣くかが変化する。
ここまでの反応は、外界、内部の環境変化が生命に関わる場合、生命体はその変化を検出し、自己保存、効率性にとって有益な状況となるように反応(構造変化を起こすわけではない)する。
情動の反応において、その構造は極めて複雑である。つまり、我々の内外で起こる環境変化は、一つのインプット・反応・アウトプットだけではなく、極めて大量の情報で構成されているからだ。
狩猟採取時代の人間の情動と、現代社会における情動では、使わなくなった情動もあるし、新たに必要となった情動もある。しかし、遙か昔の情動が失われたわけではなく、どこかに残っている。
今回は、ダマシオの「情動と感情」の一部の紹介にとどまったが、次回は、欲望、感情について整理してみよう。
2024/11/04
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