この国の精神 緊急 一(いち)か八(ばち)かの新型コロナウイルス対策
<ばくちをうった日本政府>
ヨーロッパの新型コロナウイルスによるパンデミックはやむ気配がない。ベルギーから電話があり、状況を聞いてみた。ヨーロッパでも日本と同じように、感染者数には疑いを持っているようだ。子供の春休みにイタリアにスキー旅行に行った人の大半が感染しているらしいが、感染検査を受けないのが実態のようである。それにしても、我が日本の今回の対応は間違えているとしか考えようがない。
このまま、収束すれば良いが、感染爆発の危険性はかなり高い。政治家や専門家がまやかしの科学によって国民をだまし、一か八かの賭けにでたのが今回の日本の対策だ。
日本という国は、危機に陥ると運を天に任せ賭けに出る。明治維新以来、国際的危機に直面するとばくちをうつのだ。日清・日露戦争、支那事変、第二次世界大戦等は、その典型的な行動様式と言って良い。日清・日露戦争は、何とか賭けがうまくいった方であるが、ばくちの打ち方を変えたのが第二次世界大戦である。戦争に勝つか負けるかに賭けたのではなく、上手に負けるか下手に負けるかに賭けたのである。ばくちは、人間の性であり、思考における麻薬のようなものだ。例えば、経済とは一種のばくちであり、経済学なる学問はこのばくちの解明を目的としている。経済現象を一か八かのばくち的行動原理ではなく、損得勘定の科学的現象として解明しようと考えたのが経済学なのだ。だから、科学としての経済学は会計学を基礎とするのである。
話は、新型コロナウイルスに対する日本の対応である。日本は、世界のどの国とも異なる対応を選択した。それは、可能な限り感染者を選別して感染者を隔離し、人への感染を止めるという方策を放棄したことである。つまり、感染が疑われるという基準を作り、症状が現れ、かつ保健所あるいは相談所が疑わしいと判断した場合のみ感染検査を行うというものである。症状が現れないと感染しないということを前提とした対応方法である。しかし、最近の臨床報告では、無症状感染者もかなり長期(30日以上か)に渡って感染能力があるということが分かってきた。自己診断で感染していないと考えていても、他者に感染させている可能性が高いということだ。なぜ、この国は、感染拡大を抑制できるという科学的根拠もなしに、このような非科学的で無謀な対策を選択したのだろうか。まさに、第二次世界大戦のばくちと同じ選択をした。つまり、どうせ感染が広がるのならば、うまく感染を拡大させるか失敗して感染爆発を起こすかのどちらかにかけるというばくちである。
<日本の対策は科学的に正しいという主張の嘘>
感染予想について報道が見られ始めた。R0(アールノート)、SIR数理モデルにより感染拡大を予測しているものだ。つい最近(3月20日)も、某国立大学教授が、今回の国の感染対策は、疫学的に、科学的に検討された結果だと言っている。
本当か? 嘘だ!
対策の前にこのような説明をせず、何故後付けで「この対策が正しい」などという嘘を、もっともらしく解説しうるのか、その精神を疑う。こんな奴は学者ではない。
この某教授は、SIR数理モデルにより感染拡大を予測しているから、現行対策は正しいと主張するが、こんなことは当たり前である。何らかの予測モデルによらなければ、対策の結果を予測することなどは不可能である。この某教授は数理モデルを長々と解説しているが、数理モデルが科学的なるものの根拠にはならないということを全く理解していない。これが学者かと疑うのはこの点である。さらに言えば、数理モデル等の数学モデルによる予測などは、もはや化石に近い理論である。具体的な施策等の複雑な構造的予測手法として役に立たないことは自明であり、現代では情報構造モデル、複雑系等々山ほどあるのだ。
科学的であるか否かは、モデルにあるのではなくデータにある。感染率をどんなデータによって確認したか。サンプル収集の条件とは何かである。最近の報告によればクラスター感染ではなく、市中感染の割合が高くなっている。さらにランダムサンプリングによる感染検査などは全くなされていない。つまり、感染率は種々の条件によって異なるということである。感染確認者の8割が誰にも感染させていない等を証明するデータはどこにもないのである。
クラスター感染の感染率が高いことは当たり前であるが、市中感染であっても小規模クラスターは容易に形成される。食堂、コンビニ、通勤電車等々である。それに、このウイルスの感染力は極めて強く、飛沫を浴びると数秒で自己細胞に侵入することも分かっている。感染者の飛沫を浴びれば、無症状であっても感染している確率は極めて高いということである。この某教授は、韓国などに比べて検査数が少ないのは、本当に発症者が少ないからだとさえ言い切っている。しかし、前回も示したように、病院の外に、診療拒否を掲げている状況でどうやって感染検査が受けられるのだ。さらに、院内感染を恐れて自主的に病院に行かない感染者が沢山いるという情報がネット上に挙げられている。
2月から始まり、保健所が感染検査の判断をすることから、どうやら相談センターの判断へと移行したが、医師の判断で直接検査を実施するところまでには至っていない。それどころか、感染者を診断したことで診療停止や医師への感染を恐れて診療拒否する病院が増加し、その結果検査数が増加しない状態となっている。可能な限り、疑わしきは検査する必要がある。
それによって隔離ベッドが足りないのであれば、今ならいくらでも方法がある。欧米がやっているように、観光客が来なくなって倒産寸前となったホテルを2ヶ月借り上げる等は、日本の都市部ではいくらでも可能である。東京ならばオリンピック選手村に12000ベッドがある。医師や医療スタッフは、都市部の小規模医院では現在、患者が全く来なくなって、給与さえ払えなくなっている状況だ。こういった資源をかり出して、検査や無症状、軽症者に対する対応を行えば簡単に対策が可能である。今だから可能なのだ。
<PCR検査の精度>
ところで、PCR検査の精度があまり良くないので、感染検査結果を信用できないなどと政府の関係者が言っている。当初、加藤厚生労働大臣は盛んに言い訳していた。さて、PCRの精度はどの程度のものなのか。どこにも公表情報がないのだが、いろいろ話を聞いていると95%程度の精度はあるらしい。この精度の意味は、明らかに感染者と分かっている者で検査をすると95%は陽性、5%は陰性となることであり、逆に、非感染者で検査をすると5%は陽性となるということである。それでは、感染しているかどうか分からない人を検査したとき、本当に感染していると判定できる確率はどのくらいになるのだろうか。有名な、ベイズの定理である。高校数学確率論、大学教養レベルの問題だが、このベイズの定理をベイズ推定として実際の問題で扱う場合には、かなりの発想の転換を必要とする。
95%精度のPCR検査を実施したとき、一体全体どのくらいの確率で真の感染者を発見できるかは、感染率が分からなければならない。そのためには、できるだけ多くの感染検査の結果が必要になる。イタリアの例でみると、3月22日時点で約18万件の検査を行い、4万7千人の感染者数となっているので、感染率は約26%である。この場合のPCRによる陽性判定の精度は、87%程度であり、陰性判定の精度は98%程度となる。つまり、イタリアではPCR検査で陰性と判定された場合は、98%の確率で陰性であるので、その他の検査、例えばインフルエンザや細菌検査を行って陰性であっても、医師による所見によっては隔離する。陽性の場合には、無条件に隔離するが、陽性である確率が87%であるので陽性者100人のうち陰性の可能性が高い人が13人はいるため、その後さらに複数回のPCR検査によって判定する。
<国民の命を天秤にかけたばくち政策 恐るべき帰結主義>
第二次世界大戦後、初めてのパンデミックである。「感染を止められないならば、うまく感染させる」というばくち戦略を選択した我が国の政府及び専門家の腐れきった精神は、第二次世界大戦に向かった当時の軍部(専門家)と政府の精神と本質的には同じである。
イタリア、フランス、アメリカの今回の対応には、まずい面もあるけれども、対応の精神において敬意を表したい。彼らは、何はともあれ人命を第一とし、全ての感染者を洗い出すことを戦略目標においた。例え、医療崩壊に直面しようとも恐れないのである。イタリアを見てみろ。確かに医療崩壊しているが、医学生や看護生、軍隊までも動員した。もはや戦時体制なのである。
中国武漢の新規感染者数が0だから、収束の可能性は高い等という専門家がどこにいる。こんなことを言っている国は日本だけではないか。共同通信の報道では、武漢の情報は全て封鎖されていて、武漢の医師の情報によれば、新規感染者数は多数に上ると推測している。
韓国の感染検査は20数万人に上り、そのうち感染者数が8800人である。感染率4%程度と推定されている。日本ならば、既に50万人程度の感染検査を終えていなければならないはずだ。
日本の新型コロナウイルス対策について、欧米諸国は、かなりの情報を収集し、知っていたはずである。しかし、日本方式をとらなかった。できるだけ感染検査を行い、可能な限り多くの感染者を隔離する方法を選択した。
何故か?
一か八かというばくち的政策はとらないという思想と精神である。公共の利益こそが民主主義の根幹をなす思想であり、民主主義という政治を担う政治家や専門家の根本を流れる精神であるからだ。
欧米諸国は、「国民の命」が第一であり、そのためには誰もが理解できる「可能な限り検査をし、感染者を隔離して、新型コロナウイルスの収束を待つ」ことを選択した。結果主義・帰結主義に陥らない選択をしたのである。
この国の新型コロナウイルスへの対応は、専門家なるものが優生学のごとき偽科学をまき散らしてばくちをうつ。地球温暖化対策にもつながる恐るべき様相を呈し始めた。
ここしばらくは、新型コロナウイルスの動向から目を離せないが、ひたすらこのまま収束することを願うばかりである。
2020/03/23
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