干潟――そして泡瀬2
「東部海浜埋立計画」なるリゾート計画として、泡瀬干潟を埋め立てる話がもちあがったのは、
バブル期まっさかりの1980年代。
1987年に計画が策定され、干潟の一部を島のようにして埋め立て、
リゾートホテル、人工ビーチ、マリーナなどから構成される予定だった。
しかし、1991年バブルは崩壊し、多くのリゾート地は経営破綻した。
(もともとリピーターがいなければ、バブルであろうがなかろうが観光地としてなり立たない)
“東部海浜地区”もまた、2000年時点で企業をたった2社しか誘致できていなかったという。
(現在の不況で誘致が進むとも思えない)
公共工事によって仕事を得られる人々やリゾートに夢をかける人たちは
干潟の崩壊には目をつむって計画を推進しようとしている。
反対者のあげる声が存在しないかのように。
2001年、泡瀬干潟を守る連絡会が沖縄市の泡瀬沖合埋め立て事業についての
市民投票を求め、市民1万人もの署名を集めた。
市民だけではない。
オーストラリア環境遺産大臣、日弁連、沖縄生物学会、日本野鳥の会、
日本ベントス学会など幅広い分野にわたるさまざまな組織が反対を表明し
(工事着工後に発表されたものもある)、
さらにはラムサール条約事務局は泡瀬の埋め立てに対して懸念をつづった書簡を
環境相に送った。まさに異例の出来事である。
だが2002年についに工事は着工。
06年には、泡瀬干潟の埋め立て是非を大きな争点のひとつとする沖縄市長選挙が行われ、
埋め立て反対を訴えた東門美津子氏が当選した(←さめさんのエントリーも読んでね)。
ところが、彼女は支持者すべてを裏切り、干潟埋め立てにゴーサインを出したのだ。
<続きは下をクリックしてください>
☆左欄の署名をよろしくお願い致します
さめさんにトラックバックをいただきました。
ラムサール条約元事務局長のデルマー・ブラスコ氏が署名して下さったそうです。
トラックバック記事には英文の紹介文もあります(転載歓迎だそうです)。
2008年11月、沖縄地裁で泡瀬干潟埋め立てに対し、公金支出差し止めの判決がおりた。
だが沖縄県知事は議会を通さずに控訴、
反対派だったはずの東門氏を市長とする沖縄市も同じく控訴した。
翌09年1月には、地裁判決を無視した形で内閣府の沖縄総合事務所が
泡瀬沖合の本格的な埋め立てを開始することになっている。
現状でも、泡瀬の40%が護岸に囲まれ、9ヘクタールがすでに埋め立てられている。
その影響は甚大であり、海底は土砂におおわれ、
大量のサンゴが死んでしまったという。
貝類も窒息しかかり、上には藻が生えてきているそうだ。
実は、泡瀬の埋め立ては泡瀬の北側にある中城新港湾(中城でなかぐすぐと読むそうだ)の
新しい港の浚渫と関係している。
ここで港湾を浚渫して大型の船舶が入れるようにし、
浚渫した土砂を泡瀬干潟に捨ててしまおうというのである。
新港は自由貿易地域(フリーゾーン)として、川田干潟の埋め立て地につくられた港である(?)
川田干潟は出島方式で埋め立てられ、埋め立て前は
1000羽を越える水鳥が飛来していたということだが、
いまではわずか100羽ほど、トカゲハゼも全滅に近い状態らしい。
泡瀬干潟の埋め立てを続ければ、同じことになるのは目に見えているのではないか?
サンゴ礁、多くの鳥たち、珍しい魚や貝――
そうしたものに憧れて私のような人間は沖縄を目指す。
それがなくなったとき、リゾートなど何の役に立つ?
リゾートはどこでも同じだ。
泡瀬はハワイのハナウマ湾のような方向を目指すこともできると思う。
広大な自然環境保護区。年間100万人もの観光客が訪れるという。
リゾートはどこにでもあるが、泡瀬干潟は世界にひとつしかない。
自然はいつも独自だから。
☆環境省のがんばりにも期待しよう!
(ここまで読んでくれた人、ありがとう! 前日の記事を2つに分けました。推敲は…いまいち^^;)
バブル期まっさかりの1980年代。
1987年に計画が策定され、干潟の一部を島のようにして埋め立て、
リゾートホテル、人工ビーチ、マリーナなどから構成される予定だった。
しかし、1991年バブルは崩壊し、多くのリゾート地は経営破綻した。
(もともとリピーターがいなければ、バブルであろうがなかろうが観光地としてなり立たない)
“東部海浜地区”もまた、2000年時点で企業をたった2社しか誘致できていなかったという。
(現在の不況で誘致が進むとも思えない)
公共工事によって仕事を得られる人々やリゾートに夢をかける人たちは
干潟の崩壊には目をつむって計画を推進しようとしている。
反対者のあげる声が存在しないかのように。
2001年、泡瀬干潟を守る連絡会が沖縄市の泡瀬沖合埋め立て事業についての
市民投票を求め、市民1万人もの署名を集めた。
市民だけではない。
オーストラリア環境遺産大臣、日弁連、沖縄生物学会、日本野鳥の会、
日本ベントス学会など幅広い分野にわたるさまざまな組織が反対を表明し
(工事着工後に発表されたものもある)、
さらにはラムサール条約事務局は泡瀬の埋め立てに対して懸念をつづった書簡を
環境相に送った。まさに異例の出来事である。
だが2002年についに工事は着工。
06年には、泡瀬干潟の埋め立て是非を大きな争点のひとつとする沖縄市長選挙が行われ、
埋め立て反対を訴えた東門美津子氏が当選した(←さめさんのエントリーも読んでね)。
ところが、彼女は支持者すべてを裏切り、干潟埋め立てにゴーサインを出したのだ。
<続きは下をクリックしてください>
☆左欄の署名をよろしくお願い致します
さめさんにトラックバックをいただきました。
ラムサール条約元事務局長のデルマー・ブラスコ氏が署名して下さったそうです。
トラックバック記事には英文の紹介文もあります(転載歓迎だそうです)。
2008年11月、沖縄地裁で泡瀬干潟埋め立てに対し、公金支出差し止めの判決がおりた。
だが沖縄県知事は議会を通さずに控訴、
反対派だったはずの東門氏を市長とする沖縄市も同じく控訴した。
翌09年1月には、地裁判決を無視した形で内閣府の沖縄総合事務所が
泡瀬沖合の本格的な埋め立てを開始することになっている。
現状でも、泡瀬の40%が護岸に囲まれ、9ヘクタールがすでに埋め立てられている。
その影響は甚大であり、海底は土砂におおわれ、
大量のサンゴが死んでしまったという。
貝類も窒息しかかり、上には藻が生えてきているそうだ。
実は、泡瀬の埋め立ては泡瀬の北側にある中城新港湾(中城でなかぐすぐと読むそうだ)の
新しい港の浚渫と関係している。
ここで港湾を浚渫して大型の船舶が入れるようにし、
浚渫した土砂を泡瀬干潟に捨ててしまおうというのである。
新港は自由貿易地域(フリーゾーン)として、川田干潟の埋め立て地につくられた港である(?)
川田干潟は出島方式で埋め立てられ、埋め立て前は
1000羽を越える水鳥が飛来していたということだが、
いまではわずか100羽ほど、トカゲハゼも全滅に近い状態らしい。
泡瀬干潟の埋め立てを続ければ、同じことになるのは目に見えているのではないか?
サンゴ礁、多くの鳥たち、珍しい魚や貝――
そうしたものに憧れて私のような人間は沖縄を目指す。
それがなくなったとき、リゾートなど何の役に立つ?
リゾートはどこでも同じだ。
泡瀬はハワイのハナウマ湾のような方向を目指すこともできると思う。
広大な自然環境保護区。年間100万人もの観光客が訪れるという。
リゾートはどこにでもあるが、泡瀬干潟は世界にひとつしかない。
自然はいつも独自だから。
☆環境省のがんばりにも期待しよう!
(ここまで読んでくれた人、ありがとう! 前日の記事を2つに分けました。推敲は…いまいち^^;)
- [No Tag]
カネの使い道
気になっているのですが,このところリアルのほうで絶望的に追いまくられています.
公共工事が止まりませんね.それほどカネがあるのなら,もっと別のほうに使うべきでしょう.