幕末から明治にかけて活躍した歌川貞秀(うたがわ さだひで)は、空を飛ぶ鳥の視点で描く「パノラマ地図」のような浮世絵を多く残しています。
大阪の街並みを中心に、遠くに京都や奈良、さらには富士山までを一画面に収めて描くことがあります。
これは「実際に見えるかどうか」ではなく、「日本の名所をひとつの絵に凝縮して見せる」というエンターテインメントとしての演出です。当時の人々にとって、富士山は日本の象徴であり、地図絵の中に描き入れられる特別な存在でした。
大阪港にある天保山は、もともと川の浚渫(しゅんせつ)で出た土を積み上げた人工の山です。これが「富士山に似ている」として親しまれ、浮世絵にも描かれました。
明治時代、生國魂神社の近くに「難波富士」と呼ばれる巨大な富士山型の展望台が作られました。螺旋状の通路を登って景色を楽しむアトラクションで、その様子を描いた絵も存在します。
有名な葛飾北斎の『冨嶽三十六景』の中に、大きな樽(たる)の中から富士山を覗いている「尾州不二見原(びしゅうふじみがはら)」という作品があります。
これは現在の名古屋市(中区富士見町付近)を描いたものですが、西日本の風景として大阪のイメージと重なって記憶されているケースもよくあります。名古屋(尾張)は、平地から富士山が見えるほぼ西の限界点と言われています。
もしご覧になった浮世絵が、大阪の街並みの向こうに富士山が堂々とそびえているような構図であれば、それは当時の絵師が「大阪も富士山も、日本が誇る素晴らしい景色だ!」と盛り込んで描いた、今でいう「コラージュ画」のような作品だった可能性が高いです。
まあ嘘なんだけど、なんで人類って地下じゃなくて安易に上に開拓したんだろな? そりゃ上は無限に見えるし石積み上げるだけでいいから楽なんだけど 地下に家作る方式にしてりゃもっ...
江戸時代。大阪から富士山が見えてた。証拠がある! 1. 歌川貞秀の「鳥瞰図(ちょうかんず)」の可能性 幕末から明治にかけて活躍した歌川貞秀(うたがわ さだひで)は、空を飛ぶ鳥...
銭湯の壁画にあったんじゃないかと思ってる
銭湯の富士山、大正時代からの流行だったみたい。
ちな物理的に無理らしいでw 7000m超えじゃないと山とかなしでも地球が丸いから見えないらしい
あ?江戸時代の富士山が8000メートルなかったって証拠あんのか?
ものすごい異常気象のときにみれるよね。 高度4000メートル以上がものすごく熱くて、地上が氷点下だと、光の屈折率の差が発生。富士山が蜃気楼となりゆらゆら見えるかもしれない。
富士山が見えるんは和歌山やで。 https://www.town.nachikatsuura.wakayama.jp/info/36