2025-08-12

60年後、多職社会当事者意識の再発見

今、多様性という言葉社会のあらゆる場面で繰り返し叫ばれている。

企業理念に、政治家スピーチに、SNSプロフィール欄に。

けれども、その中身を覗いてみると、最も欠けているものがある。

それが当事者意識だ。

当事者意識とは何か。それは単に他人立場想像することではない。

安全立場から理解してあげることでもない。

文字通り、自分がその状況に身を置き、その痛みや喜びや不安を、自分生活の中で引き受けることだ。

本当の理解は、そこからしかまらない。

だが現代社会では、多様性はしばしば観客席から語られる。

講演会を聞き、記事を読み、SNSいいねを押す。

それで理解したつもりになってしまう。

こうした態度は悪意からまれるわけではない。

しかし、それは当事者意識ではないし、本物の理解もつながらない。

ここで私は、60年後の未来を思い描く。

その社会では、人々は一つの職業に縛られていない。

一週間のうち、月曜と火曜はエンジニア、水曜は介護現場、木曜と金曜は農業、土曜は演劇舞台スタッフ

そんな働き方が当たり前になっている。

AI情報共有インフラ進化が、短期間で複数の専門スキル習得し、実務に活かせる世界可能にしたからだ。

この多職制の最大の効果収入リスク分散でも、スキル多様化でもない。

それは当事者意識の獲得だ。

異なる職場に身を置けば、異なる人間関係、異なる力学、異なる問題に直面する。

同じ社会に生きていても、職場によって正しさや常識はまるで違う。

週ごとに役割を変える生活は、その多様な現実身体ごと受け入れることを強制する。

ここで重要なのは専門性の深さだけでは新しい発想は生まれにくいということだ。

今の社会は専門を深めることが革新を生むという前提に依存しているが、実際には異なる専門性立場の衝突からしか見えない知見がある。

一人の人間複数現場渡り歩くことは、その衝突を日常に埋め込むことでもある。

から未来社会多様性理解するとは、外から見てコメントすることではない。

自らが複数当事者になることだ。

農業当事者であり、都市インフラ当事者であり、医療現場当事者であり、芸術活動当事者である

そうして初めて、人は他人多様性自分のこととして語れる。

60年後、多職制の社会は、おそらく現代から見れば混沌としているように映るだろう。

しかしその混沌こそが、人類にとって本物の理解創造性をもたらす基盤になる。

多様性の声に欠けていた当事者意識は、働き方そのものの変化によって再び獲得されるのだ。

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