2026-03-04

超弦理論奇跡的にこの世が誕生したのと、神が「とても良い」と言ったのとで関係ある?

超弦理論では、この宇宙は非常に繊細な物理定数のバランスの上に成り立っていると考えられます

ほんのわずかでも値が違えば、星も、生命存在できなかった可能性がある。いわゆる奇跡的なfine-tuningです。

一方、創世記では

「神はお造りになったすべてのものをご覧になり、見よ、それは非常に良かった。」(創世記1:31

トーラー物理理論を教える書物ではありません。しかし、ラビ思想では、自然界の秩序そのものが神の知恵の現れと考えます

詩篇19篇2節: 「天は神の栄光を語り告げ、空は御手のわざを告げ知らせる。」

まり宇宙の精妙さや法則性は神の作品であるという見方です。

ミドラーシュ(創世記ラバ9章)では、「とても良い」とは死や困難すら含む、と説明します。なぜなら、それらも最終的には神の計画の一部だからです。

これは重要です。宇宙が単に存在しているだけでなく、

その全体像が「とても良い」なのです。

もし宇宙が極めて精妙な条件のもとに存在しているなら、それはトーラー世界観では矛盾しないと思われます

しろラビ・アキヴァの言葉を思い出せます

「すべては天から見られているが、自由意志は与えられている。」 (ピルケイ・アヴォット3:15)

宇宙構造が精妙であることは、舞台が整えられていることを示す。しかし、その舞台でどう生きるかは人間に委ねられている。

奇跡とは自然法則の破れではなく、自然法則のものが神の知恵であると見ることが多いです(ランバン見解)。

から

この二つは競合ではなく、層が違うのです。

もし宇宙奇跡的なバランス存在しているなら、それは「とても良い」と宣言できるほど整えられている、という考えと響き合います

科学は「どうやって」を探し、トーラーは「なぜ」を示します。

そしてタルムードシャバット75a)はこう言います

「天の運行を知りながら、それを観察しない者について、聖書は言う:『彼らは主の御業を見ない』」

科学を学ぶこと自体が、神の御業を観察する行為になり得るのです。

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