2025-05-17

西暦2142年、人類はようやく血液型占い迷信を乗り越えた――と思われていた。

だが皮肉なことに、偏見を超えようとした人々が、

新しい迷信を創り上げてしまった。

それが、「心の血液型運動である

「私はB型ですが、協調性が高くて空気も読めます

から“心のA型”です。」

「私はA型だけど、何でも大雑把にこなします。

なので“心のO型”です。」

「私はAB型だけど、変人と言われるのがつらいので“型なし”を名乗ります。」

社会は寛容になった。職場の名札には血液型に加え、「心の血液型」欄が設けられた。

採用試験でも、「物理型と心の型にギャップがある方は自己申告を」と明記された。

だがその一方で、次第に異端視される人々が現れた。

それが、「ただのO型」を名乗る人々である

「え、あなた几帳面なんですよね?それって“心のA型”じゃないんですか?」

「“O型のくせに細かい”って、自己認識問題じゃないですか?」

彼らは問い詰められる。

違うのだ。彼らはただ、自分を「O型で、几帳面人間」と認識しているに過ぎない。

型と性格がズレていても、それを“別の型”で補正する必要など感じていない。

だが今や、そのような姿勢は“自己未開示”と呼ばれる。

あなた、心の型に無自覚なのはちょっと未熟ですね」

「ズレを放置してると、無自認型差別につながりますよ?」

“ただのO型”たちは、静かに怒っていた。

偏見から逃れるために、“心の型”を作るなんて、本末転倒だ。

ズレてても、そのままでいい。

几帳面O型”が“O型である自由は、どこに行った?」

その声は、社会には届きにくかった。

“心の型”は、もはや自己理解証明であり、善良さのバッジとなっていたからだ。

そこに乗らない人は、「自己無自覚な人」「進んでいない人」として扱われた。

ある日、政府は「血液型観点から多様性配慮に関するガイドライン(Ver 12.1)」を発表。

そこにはこう記されていた。

「型の自覚なき自己同一化は、社会誤読を生む可能性がある」

O型の男が新聞を閉じ、つぶやいた。

几帳面O型じゃ、いかんのか?」

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