対数関数的感覚
つまり、入力 x、出力 y として、 入力 x の指数関数的に出力 y が出力されたとき、人間の感覚はちゃんと出力 y の対数的に入力 x を感じ捉えるのではないかと考えます。
面倒な表現になってしまいました。言い直すと、指数関数的自然の世界を眺める人間(や他の動物)の感覚はそれに対応するように対数関数的な感覚になっているのではないかと言う事です。
・・これでも分かりにくいでしょうか?。
じゃあ、具体例で述べてみましょう。
例えば音階。音は半音上がる毎に振動数は、2^1/12=1.059463・・・・倍になります。1オクターブなら、振動数は2倍ずつになります。つまり振動数は音階が上がる毎に指数関数的に増加します。この半音を人間は等間隔と感じるならば、まさしく音の高さに対する感覚は、対数関数的と言えるでしょう。同じ音程を同じ間隔として捉えることが対数関数的と言うことです。「同じ間隔」という感覚が曖昧と言うのなら、それが耳を通した脳に同じ差として感じさせると言うことです。転調を考えればわかりやすいでしょう。あるメロディーの音をすべて同じ高さだけ(=同じ数の半音分だけ)ずらして聞いても同じメロディーに聞こえます。また、ある和音構成音を全て同じ高さだけ(=同じ半音の数だけ)ずらしても同じ響きの和音に感じます。つまり、同じ振動数の比ならば、同じ音程に感じることは音楽の基本です。
これで、耳と脳は十分に指数関数的なものを対数関数的な感覚で捉えていると言う事になるでしょう。
音に関しては、高さだけでなく大きさも、例えば音量の単位のdb(デジベル)なども、対数関数です。確か明るさの単位も対数関数でしょう。(星の明るさの何等星と言うのも対数でしたね。)
酸性度の指標として使われているpH(ペーハー)も、何となく非常に人為的な感じは致しますが、まさに対数です。これを対数で表示しなかったらかえって分かりにくいでしょう。つまりpHは、人間の感覚にマッチした表現方法だと言うことです。
数を指数表示したときにその指数部分だけで数を表現するのは、非常に感覚的に優れた方法でしょう。それが対数関数的表示法で、対数関数的人間の感覚にマッチしているということです。
等比数列を幾何数列[Geometrical Progression]と呼ぶのは、等比数列的に大きくなっていくものを順に並べると視覚的に美しいからではないでしょうか?(これは私の推測ですので間違っていたらご指摘お願いいたします。)
以上、人間(や他の動物)は、自然界の指数関数的傾向に適応する為に、感覚が対数関数的になっていると言うのが私の主張です。
さてそこで、
成長の限界 人類の選択[Limits To Growth /the 30-year Update]
(30年アップ・デート版)
Donella H Medows , Dennis L Medows , Jorgen Randers 著
枝廣淳子 訳
の話になります。
この本自体は非常に名著だと評価致していますが、今回はこの本に多少もの申します。この本には、
「ほとんどの人は、成長とは直線的なプロセスだと思っているので、あっという間に非常に大きな数になる幾何級数的な成長に惑わされてしまう」・・・という一節があります。 確かにそう言う面は否定出来ませんが、それは人間社会が数を定義し使いはじめた時に等差数列的に使いはじめたからであって、もともとは人間の感覚は、寧ろ等比数列、指数関数に対応する頭・・対数関数的になっているのではないかと考えます。
だから、前回の記事の「池を覆う悪性のスイレン」の例も、ある日スイレンが池の水面の4分の1を覆っていて次の日に2分の1を覆っていたら、その翌日には全面を覆うと言うことは、感覚的にわかるのではないかと思います。わかると言うよりも、普通にそう感じるものでしょう。感覚的に分からないとしたら、それは人工的な線形関係に慣れてしまって頭で数値で等差数列的に考える為ではないでしょうか?少なくとも視覚的には等比数列的に感じる筈です。
直線的なプロセス的感覚と言うのは、算数教育の弊害ではないかと私は考えます。・・・だからと言って、小学校から指数関数を教えよ・・って事を主張するつもりは有りません。(私は、小学生にも分かりやすく教える自信はあります。・・上の記事のように分かりにくくはなくです・・笑)等差数列的数の取り扱いはそれはそれで非常に有効ですし・・。でも、pHなどの例にもあるように、対数的数の取り扱いが自然界を記述するときに非常に有効なのは、自然界が指数関数的世界で、それに対応する生物は対数関数的感覚を持っているからではないでしょうか。
これは客観的事実のようで、主観的捉え方の話になってしまうのですか・・
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さて、最後にこの対数関数的感覚を使った小話というか、応用・・を一つ
人間の金銭感覚も対数関数的感覚であるとすると(考えればそれは結構理に適っていると思います。)金持ちがお金を儲ける事ほど非効率な事はないという事になります。
対数関数的感覚でいえば、例えば年収が増える場合、対数の底が何であろうと(1以外の正の数・・笑)その一定の底で対数を取った時に同じ差の場合同 じ満足度の差と考えます。
具体例でいいます。年収100万円の人が、年収200万円に増えたときと、年収1億円の人が年収2億円に増えたときの満足度が同じと言うことです。・・・同じ1億円で、年収倍増という同じ程度の喜びを年収1億円の金持だったらたった1人、年収100万円の人だったら100人もかなえさせられます。
そしたら、金持ちの年収を増やすことの方が、能率は悪いですね。つまり金持ちをさらに儲けさせる事ほど達成感のないものはないと言うことになりましょう。(笑)
いや、冗談ではなく・・・この手の話は世の中にいくらでも転がってます。指数関数的世の中を対数関数的感覚で議論しないからおかしな事になっている問題が多々見受けられます。
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