真夏の夜の夢 A Midsummer Night's Dream
見事なまでの夏の夜空に咲く大輪の花。ところは伊丹空港近く「伊丹花火大会」。
きらきらと火花が撥ね、夜のキャンバスに動的な芸術が咲き誇る。猩々緋、菖蒲色、群青色に梔子色。
草花にはないその配色は、人工物たる芸術の最たるものである。花火は”散る“と言うのだから、それはもう職人の息吹が込められ、血が通っている生命そのものだ。
まるで蝉の幼虫のように、羽化をまだかまだかと望み、そしてようやく外へと出ると、小さな心臓に鞭を打ち、生命を涸らしながら生きていく。
それであるなら、花火は生きているのではないだろうか。
花火の心臓は、誰がが作っているのか。華やかに散らしてやるのが花火職人なんだろう。
一方で花火は"消える"ものだと語る人がいる。
一瞬の花火が風情というのなら、消えた後の花火は無情だ。
花火の散り際は美しくあってほしいものだ。散るというのが生命の叫びというのなら、それを風情というのなら、快楽に溺れる人間であってはならない。打ち上げ花火を散るとみるか消えるとみるかたた私たちは芸術の一部であることを忘れてはならない。
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令和5年の猛暑の夏が終わろうとしている。




