毎年思う事 除夜の鐘から元旦にかけ、リフレッシュされた神聖な感情が湧き出て「今年こそは」と意を固くするも、その願いもままならぬまま「来年こそは」と大晦日のあわただしい時間の合間に新しい年への思いを巡らすのである。 その繰り返しが人生の課題として、結果としてその領域を脱しえない中途半端な時間の流... 続きをみる
2020年12月のブログ記事
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孫「高3女子」が大学受験勉強に必至である。推薦で一つは決まっているようだが、第一志望校を目標に、年末年始の正月休みも返上で頑張っている姿を見ると応援したくなるのは、自身がそういう苦い経験をしてふるいに落とされ、滑り止めにやっとしがみついた経験から「一発勝負」の賭けをさせたくないからだ。偏差値73... 続きをみる
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理科系の発想は、「現実の拠ってくるところの原因」を追究し明らかにしようとする発想だ。自然科学の世界にぴったり合うが、それが社会現実の把握や統制にも用いられる。 もう一つは、文科系の発想だ。それは、科学的理解を解きほぐして、当事者の理解に差し戻すことで見えてくるところの、「ほかにも、何か可能... 続きをみる
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私が少年時代を過ごした足立区でも、子供向けの駄菓子や雑貨を商う「駄菓子屋」さんがたくさんあって、駄賃を貰うと直ぐに浮き浮きしながら飛んで行ったもの。オマケを貰ったり、10円もあれば駄菓子屋でくじ引きをして、暗くなるまで外で遊んだ。学校がおわると 駄菓子屋さんに集まるのが習慣であった。 当たりバ... 続きをみる
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若い時、容姿端麗だ、イケメンだと持て囃された人達も、私のようなそうでない人達も、年を取れば、それなりに顔や首筋にしわやシミができて、老化現象は避けられず、筋肉が緩んで垂れ下がってしまい、みんな格差のない万物平等な顔になる。 スマホで撮った自分の顔を見たら、誰が見ても年寄りの顔である、豊かだった... 続きをみる
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寒暖の差が激しく風邪をひいてしまった。37度。検査の結果、コロナではなくてやや安堵。医者からの帰り道、伊丹イオンモールにあるいつもの本屋さんが「神聖なる休息所」と様変わりする。印字の匂いが学生時代にタイムトリップしたようでなぜか懐かしい。 小学校で新学年を迎え、新しい教科書に自分の名前を書き込... 続きをみる
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タイムマシンに乗り、幼年時代や青春時代に置いてきた「大切な忘れ物」を取りに行きたいと常に思うのである。 そういえば、あの時は主観的な考えしかなく、「今が若さの最長点で大いに謳歌すべきである」ことを具体的に理解していなかったということが残念に思ってしまった。 それだけ当時は自分への客観が足らな... 続きをみる