劇団『すきっす』参加の稽古場日記12~役者の性質・タイプ、稽古スタイル、寝不足、カラ回る気合
2月18日に書いてますが、17日の稽古場日記です。そして、ラグがあるのは、あんまり筆が進まない内容だったからです。この主に、私の心境を綴った稽古場日記は、知り合いからは、「書きすぎなんじゃないの?」と言われていて、共演者からどう思われているかは、分らないのですが…
「一つのお芝居の稽古での、一役者の心境を記録する」
事は、意味があると思っています。また、私自身にも役にたっていて、自分の心の分析、整理になっていますし、又、私は…
「同じ失敗を何度もする。」
「熱くなりすぎると周囲に迷惑をかける人間」
なので、この日記を書くことで、付き合い易い人間、稽古場に優しい役者になりたい所です。
そして、その辺が、一晩、稽古場日記を書く事から逃げていた理由だと思われます。
稽古場日記 その日、私は気が立っていたと思います。寝不足でした。理由は、あまり深く書きませんが、一晩中、稽古をしていたようなものでした。「パンドラの鐘」(参加中)ではないのですが…。
稽古は、14:00からで、16:30には稽古場を抜ける短期決戦でした。抜ける理由は、大学に戻らないと駄目で、この日、午前中は、卒業論文発表会があり、院生である私は、座長(≒司会)として参加していました。そして、16:30からは、聞いておきたい他講座の発表があったのと、19:00からは、卒業論文お疲れ飲み会があったからです。
2時間半の短期決戦でしたから、眠気も出ませんし、気合も入ってました。そして、気合の中には…
「今日は理由があって稽古時間が短いのだから、演出さんは、私に重きをおいて稽古をしてくれるはずだ。」
という、勝手な期待が入っていたと思います。
そして、実際にシーン練習に入ったのですが、その勝手な期待がネックになったのではないかと思います。
役者の性質や相性というのがあり、私は、演出さんと違うタイプだと思ってのですが、本人も連呼するので、「そんなことないのじゃないかな?極端だよ。」って、最近、思っていたのですが、実は、その思いは間違っていました。
相性と性質が違えば、稽古のスタイルも変わってきます。
私は、何度も稽古をして、そこから感じて、作っていく方なのですが、演出さんは、色々、決めてから練習するようです。そして、どうやら、今回の稽古場には演出さんのタイプの方が多いのじゃないかと思います。
つまりは、練習になる前に、色々考えたり、話したりする訳です。そして、それは舞台の詳細なサイズ等々にも及び、全く、稽古が始まりません。勿論、話している間も稽古なのですが、その話の輪に加わらなくても(話は聞いてましたが)、演出さんから、指示はなかったです。
そんな訳で、稽古をしても、シーン練習とシーン練習の間に話になります。どういう感じか列挙すると…。
・話が演出プランにも及び、演出のプランがゆらぐ。
話を聞いていると、どう考えても、「一度、やってみよう!」という事が結論なのに、どうもただの言い合いになっている。
また、その中で、私も思うことを言いましたが、全体の場として、共演者への意見なのか、演出への意見なのか、ごっちゃになりました。また、私が何か言えば言うほど、長引く感じがしたので、途中からやめました。一対一の意見の対立に私が加われば、泥沼化でしょう。そこで、必要なのは、違う次元の意見、
「ともかく、一度、やってみようぜ!」
って、事でしょう。
・演出が役者になってしまう。
私は、演出と一緒に出ているシーンばかりなのですが、演出は、演出の目をもちながら自分の役者をするという高等技術が必要なのですが、今回の演出さんは、絶対に苦手です。
だから、演出が役者になって自分の事を話す必要もあるのですが、それが結局、役者間(主演二人)のすり合わせのレベルに及んでました。それも稽古には、必要なのですが、でも、「やってみろよ」って感じでした。そして、そのすりあわせの間、他の役者は放置でした。
シーン練習は、必要な役者を拘束している訳なので、放置でした。時間が必要なら、言ってくれれば、個人練習をやります。もっとも、自分の時間を有効に使えなかったのも事実で、しかし、昨日は、まさか、シーン練習にそんな状態になるとは思ってませんでしたし、混乱していました。
そして、「早くシーン練習しようや!」という思いを外に出して、演出さんに言えば良かったのですが、それが出来ず内側に蓄積されました。その思いで、気合はドンドン、入っていくのですが、それは怒りへと昇華していきました。
演出さんの役者のすり合わせが終った頃、色々、考えた事、「今は演出の目はおいておいて、役者としての稽古に集中して良いのじゃない?」って言ったのですが、怒りは怒髪に達していて、声は、無機質ですが、目は殺し屋の目になってたのじゃないかと。
そもそも、怒りが怒髪に達したのは、気がたっていたからだと思うのですが、普段の私なら、「ふーやれやれ、どうやらタイプが違うのね。私は、個人練習しておこう」と、時間を有効に使ったと思うのですが、それは回避行動でしかない訳で、今日のように不満が感情へ移行したのが、良かったか悪かったか分りません。そして、上記の内容は、簡潔にまとめて、演出にメールしました。メールする時に思ったのは、
「この思いを全否定されたら、俺は、一生演出さんと会わなくてよいな。」
って、事でした。ここまで、自分を追い込んでいたのは、やっぱ、気がたっていたからで、「男にも生理があれば、こんな感じかいね?」って思ってました。そういえば、ごにょごにょ…。
正直、今日は、16:30までの稽古で良かったです。正規の稽古時間いれば、多分、もたなかったでしょう。
演出に期待したら、駄目だ。 結局、「思った時に思った事を言う」という事が出来てなかったからです。しかし、全て思った事を言っていたら、演出さんが動く度に何か言うでしょう。稽古を開始する時に、「ウォーミングアップやりますよ。」という発言が「ぬる」っとしていて、場が締まらないのも文句があります。(書いてしまった。)
しかし、一般的に演出さんは、精神面で追い込まれますが、今回の演出さんは、3度の交通事故で体もボロボロです。正直、体が完治するまで稽古を休んでくれた方がありがたい時があります。
さて、上記のシーン練習に関する私の意見は、私の役者タイプもありますが、これは、私の理想とする演出の立ち振る舞いだと思います。私が演出をする時は、その理想に従うように動いているつもりです。どれくらい、完遂出来てたかは、分らないですが。その理想の条件を覚書すると…
・常に全体を見る。
・常に冷静でいる。
・締める所を締める。
・必要な時以外、場を停滞させない。
・上手に場、人を盛り上げる。
・優しさを前提とした厳しさ。
・嘘をつくなら完璧に。無理ならぶっちゃける。
って、感じでしょう。「冷静」に関しては、私には難しいので、普段から熱くなる一方で、冷静にいようと思います。常に冷静なら、こんな事も書かない訳です。書いている今は冷静です。
そして、その理想を今回の演出さんに期待していたと思うのですが、そんな勝手な期待はもったら駄目だと思いました。そもそも、演出さんは私より、3つ下で、性別も違います。年齢に関しては、子ども扱いしている訳じゃないですが、至らない事があっても仕方ないでしょう。そして、演出の理想像も違うのだと思います。
だからして、自分の意見は意見として伝え、さらに違う部分は違うと認め、力になれるところは、力になって行こうと思います。
結局は、最後の芝居ですから…。 演出さんとは、大学時代の所属サークルが一緒でした。彼女は、卒業後も働きながら、演劇に関わっていくつもりのようです。しかし、おそらく、人生の長いステージで、彼女と一緒に芝居をするのは、今回が最後でしょう。彼女と私は、先輩と後輩ではありますが、友達ではありません。だから、今回の企画が終了後は、二度と会わない可能性が高いです。
これは、前向きに考えると、「嫌われ様が憎まれ様が最後は最後」とも考えられます。嫌われるつもりも、憎まれるつもりもないのですが、言いたいことは、言っておかないと墓まで持ち込む事になります。
だから、今回の企画で、演出さんを見続け、そして見極めようと思います。極めると言っても、それで全てが分るとも思いませんが、他に適切な表現が思い浮かびません。
さて、先日送ったメールは、簡潔とは言え、自分の意見を一方的に述べただけだったので、今から、演出にメールを送ろうと思います。謝る訳じゃありませんが、「自分の意見のみを伝えてしまった」事と、「気が立っていた」事実を伝えます。気が立ってた事は、冷静さを欠いた意見、感想ともとられるので、私の意見の正当性自体がなくなりそうで、不安ですが…。
今日は、気持ちよく稽古したい所です。
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