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 菅義偉首相が携帯大手に対する値下げ圧力を強めている。首相就任直後に携帯料金の引き下げを武田良太総務相に指示するなど、新政権の重点政策が値下げであることを改めて示した。

官房長官時代から携帯料金の引き下げに力を入れる菅義偉首相
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官房長官時代から携帯料金の引き下げに力を入れる菅義偉首相
(出所:内閣広報室)

 筆者は過去1000日にわたる官邸と携帯大手の攻防を、2020年10月8日に発売した書籍「官邸vs携帯大手 値下げを巡る1000日戦争」にまとめた。ここでは変わらない市場の奥底には、大手3社体制や膨大な月額収入の呪縛があると整理し、携帯大手はもっと顧客に真摯に向き合うべきだとした。一方で官邸主導の政策決定の危うさも指摘した。特に論理的におかしいと感じるのが、値下げが必要な根拠として菅首相が挙げる「携帯大手の営業利益率は20%に達しており、もうけすぎ」という発言だ。このような発言が国政の頂点から出てしまう状況こそ、政治の劣化を示しているのではないか。

営業利益率は料金水準と直接関係していない

 最初に筆者の立場を明確にしておきたい。筆者は多くの国民が抱く携帯大手への不信感を拭い去るために、国民が納得感を持つような料金の実現が必要と考えている。携帯大手は顧客に真摯に向き合い、分かりやすい料金プランを実現すべきだ。値下げは1つの手段であり、菅首相の求めを契機に、携帯各社がもっと顧客に向き合うきっかけになればよいと捉えている。その点で菅首相には反対していない。

 ただし菅首相が値下げの根拠として挙げることが多い、携帯大手の高い営業利益率については、論理的に危ういと考えている。

 まず政府には、携帯各社の料金水準を決める権限がない。携帯料金は04年の規制緩和によって、事前規制が完全に撤廃されている。市場競争によって適切な料金水準に導くのが携帯電話市場を所管する総務省の立場だ。総務省は、料金を引き下げる直接的な手段を持っておらず、競争を促進するしかない。これは自由主義経済の先進国では、一般的な政策スタンスだ。

 国民の代弁者である政治家が「携帯料金が高い」と発言すること自体は、もちろん同意できる。だが論理的におかしいのは「携帯料金が高い」という根拠に、携帯大手の高い営業利益率を挙げる点だ。営業利益率は、料金水準と直接関係していない。設備投資を抑え、コストを効率化することで料金水準とは関係なく営業利益率を引き上げられる。経営努力によって高められるのが営業利益率であり、「営業利益率20%は高い」という発言は、民間企業の経営努力を否定することにほかならない。資本主義国家ではありえない発言だ。

 菅首相は「国民の共有財産である電波を使っているにもかかわらず、携帯大手が過度な利益確保に走るのは不健全だ」と指摘する。確かにコロナ禍で多くの企業が苦しむ中、月額課金で安定収入を得られて利益率の高い携帯大手は「もうけすぎ」と思われても仕方がないだろう。だが資本主義国家のトップが、上記のように論理的に破綻している発言を繰り返すのはやはり危うい。

 公共の電波を安価に使っているにもかかわらず、高い利益率が問題だとすれば、電波の割当時の条件として、利益率の上限規定などを入れるべきだ。だがそれは事実上の料金規制の復活になる。そんな先進国は見たことがなく、日本は世界で笑いものになるだろう。総務省は決して同意できないはずだ。

なぜ一国のトップから論理破綻した発言が出てきてしまうのか

 筆者が危うさを感じるのは、こうした発言を菅首相が繰り返してもまかり通る状況にある。総務省は当然、「利益率20%は高い」という指摘は論理的に破綻していることを知っているだろう。だが菅首相に忖度(そんたく)して苦言を呈することができないのであれば、政策立案の体制として明らかに問題だ。