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ザ・ベストテン追悼番組/中森明菜さんと岡田有希子

【ザ・ベストテン追悼番組/岡田有希子】…
1986年4月10日は音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS)のエンディングで黒柳徹子さんが視聴者に向けて急逝を惜しむコメントを涙ながらに語った。
動揺が続く中、4月10日のザ・ベストテンは、司会の黒柳徹子さんも小西博之さんも黒い衣装を着て登場。番組は通常どおり明るく進行したが、「DESIRE」を歌う中森明菜さんの衣装は黒と白のシックなもので、どこか喪服のよう。

トークも心ここにあらずといった様子であった。1位の少年隊が歌い終え、いつものようにスタジオで記念撮影を終えた後、黒柳徹子さんは視聴者に向けて語りだした


ザ・ベストテン追悼番組(TBS系)-黒柳徹子さん番組内で視聴者にメッセージ   ザ・ベストテン追悼番組(TBS系)-黒柳徹子さん番組内で視聴者にメッセージ


★黒柳徹子さん番組内で視聴者に思いを伝える


「このベストテンに何度も出てくださいました岡田有希子さんがお亡くなりになったんです。今日、仲の良かった歌手のお友達も、悲しみをこらえて歌ってくださったんです。18歳でした。その悩みを分かってあげられなくて本当に申し訳なく、残念に思っています。ファンの皆さん、それからご家族の皆さんにとって悲しみはどんなに大きいかと思います。元気でいきいきとしていた時の有希子さんの姿をこれから皆さんとご一緒に見て、ご冥福を心からお祈りしたいと思います。あの明るい笑顔と美しいお顔が永久に皆さんの心に残ることを祈っています。有希子さん、本当にありがとうございました」

 エンディングにわざわざ時間をとっての異例のメッセージ。黒柳さんの言葉を聞きながら、明菜さんは悲しみに耐えるようにうつむいたまま。そして、これまでの岡田有希子さんの出演場面がダイジェストで流されたのであった。悲しみを共に受け止めようとする黒柳さんの言葉に、視聴者はどんなに心救われたであろうか。黒柳さんは後年のインタビューで、ファンから後日「あの時黒い服を着てくれてありがとう」という手紙が届いたことを明かし、「番組12年間の中でいちばん悲しい思い出です」と語っている。
 あれから30年。わずか2年の活動であったが、岡田有希子さんの歌にふれたすべての人たちの中で、 あの笑顔の輝きは今も失われていない。       

 (UtaーNet:文献一部抜粋)



中森明菜さん―歌唱中涙をこらえながら歌う          中森明菜さん―歌唱中涙をこらえながら歌う


1986年4月10日のザ・ベストテンでは岡田有希子さんの訃報投身自殺により番組で追悼番組として放送。中森明菜さんは涙をこらえながらDESIREを歌い上げる。
(出典:wikipedia引用転載:中森明菜)


中森明菜、岡田有希子さんとの関係 「姉妹のような距離」が語り継がれて…

明日8日で、歌手・岡田有希子さんが亡くなって37年経つ。80年代のアイドル全盛期に数々の新人賞を受賞した彼女の歌声は今も高く評価されている。同じ歌手の中森明菜とは「特別な関係」だったようで…。


不思議な縁があった2人

ある芸能事務所関係者は、生前の岡田さんは中森と親交が深かったと話す。

「2人ともと『スター誕生!』出演を経て、ブレイクしました。岡田さんはこの番組のオーディション決勝戦で、中森さんのデビュー曲である『スローモーション』を歌いました。中森さんは、同じオーディション番組出身で、自分のデビュー曲で芸能界入りした岡田さんに親しみを持つようになったんですよ」(芸能事務所関係者)。

中森さんは82年にデビューしているので、岡田さんは後輩に当る。同じ80年代アイドルでよきライバルであると同時に、かわいい後輩でもあったのだろ。

姉妹のように仲が良かった

2人は実の姉妹のように仲が良かったという。「岡田さんのニックネームである
『ユッコ』と呼んでいたそうです。歌番組で岡田さんが歌う後ろで手拍子しながら
一緒に口ずさんだり、バラエティ番組でまだテレビ慣れしていない彼女の手を引いて、カメラに向かって一緒に笑顔を向けたりしていたといいます」
(前出・芸能事務所関係者)。


まるで、姉が妹の面倒を見るようである。それだけに、岡田さんの突然の訃報は中森にとってもショックだったに違いない。

前出の芸能事務所関係者は、「岡田さんが亡くなったことを知ると、中森さんは泣きじゃくってしまい、一時は仕事も手につかないほどだったそうです」と語る。

中森明菜、岡田有希子さんとの関係 「姉妹のような距離」が語り継がれて… 
             exciteニュースより一部抜粋(2023年4月8日(土)) 


岡田有希子さんと中森明菜さん          岡田有希子さんと中森明菜さん

『ヤンヤン歌うスタジオ』ー旅館での中居見習い修行ー岡田有希子さんと中森明菜さん        『ヤンヤン歌うスタジオ』ー旅館での中居見習い修行   
         バラエティー番組で共演する岡田有希子さんと中森明菜さん

ヤンヤン歌うスタジオーテレビ東京          岡田有希子 - 二人だけのセレモニー 1985
           ※タイトルをクリックして動画を視聴


ヤンヤン歌うスタジオーテレビ東京          ヤンヤン歌うスタジオーテレビ東京

         岡田有希子さん 中森明菜さん 高田みづえさん
         手拍子で応援をする中森明菜さんと高田みづえさん

ヤンヤン歌うスタジオーテレビ東京         ヤンヤン歌うスタジオーテレビ東京
         「二人だけのセレモニー」

         後ろの方で振り付けを一緒に披露する中森明菜さん


◉補足…
中森明菜さんは芸能界では心遣いのできる優しい方だと良く耳にします。

特に新人タレントさんは緊張やストレスなどで余裕がないので声をかけてやったり。
ユッコは引っ込み思案の所があり人よりも一歩後ろに隠れてしまう癖がありました。

遠慮してしまうユッコを優しく目立つ所まで一緒に映るように促す気遣う心が何とも優しい方だなあと思います。また明菜さんはよくユッコに「心配事はない?」
「困っている事があったらいってね」とよく声をかけて可愛がって気にかけてくれたそうです。そんな優しい明菜さんを遠い空の彼方からユッコは見守っている事でしょう。


中森明菜さんのサイトはこちら!
中森明菜 OFFICIAL WEBSITE


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FC2ブログ【岡田有希子の謎】予知夢・超能力の記事の一部が    
 愛知ライフ.comというサイトでも紹介されています!

愛知ライフ.com愛知県を中心に愛知の暮らしをまとめたローカルサイトです。

「岡田有希子はどんな難曲もクリアできた」・3

★"fumufumu news"第三弾の記事を引用転載しました。

今回で最終記事となる岡田有希子さんの関連記事は、小室哲哉さん
かしぶち哲郎さんによる楽曲提供の裏話を國吉美織さんが語ってくれました。



「岡田有希子はどんな難曲もクリアできた」新人時代の小室哲哉を大抜てきした元ディレクターが当時を懐古

前々回、前回と、現在海外リスナーが約7割という多さを誇ることでも話題の80年代アイドル・岡田有希子について、当時のディレクター、國吉美織とともに振り返ってきた。

 インタビュー第1弾は尾崎亜美、坂本龍一作品、第2弾は竹内まりや、売野雅勇、夏目純作品を中心に考察したが、最終回となる今回は、さらなる注目作について見ていきたい。

まだ新人だった小室哲哉を抜てき、岡田有希子は難解な小室サウンドを歌い上げた


 


まず、第8位に「Sweet Planet」、第12位に「水色プリンセス -水の精-」と、小室哲哉が渡辺美里の「My Revolution」などで作家として注目される前の提供作がランクイン。アーティスト全体では、海外リスナーが大半となっている岡田有希子だが、小室哲哉提供の2曲に限ると、国内リスナーが大半となっているようだ(Spotify調べ)。国内にいるTKサウンドのファンが、ヒットの源流を求めて注目しているということだろうか。

「(堀ちえみへの作詞提供が多かった)三浦徳子さんから、小室さんのデモテープが届いたんですが、その音があまりにも新鮮で気になったんです。私は、芸術においては新しいものを常に生み出していくことがとても大事だと思っていたので、ご本人に来てもらいました。そうしたら、まだ自分たち(TM NETWORK)以外に提供したことがないとおっしゃるので、デモテープにあった2曲を歌わせてもらいました」


國吉美織さん    「小室さんの曲がこの順位に!」と楽しそうにランキング表を眺める
    
 國吉 撮影/山田智絵


さらに驚かされるのは、そんなほぼ新人状態の作家を、アルバムの1曲目と10曲目という重要な位置で起用したこと。さらなるヒットへの重圧がある中で、かなり大胆な判断といえるだろう。

「レコーディングの段階から、“小室哲哉さんは今後、とんでもないことになるよね”とみんなで話していて、アルバム『十月の人魚』の1曲目、10曲目に迷いなく入れました。松任谷正隆さんにアレンジをお願いしたときも、“……これ作ったの、誰? すごいねー!!”って、とても感心されていました」

3rdアルバム『十月の人魚』-1985.9.18    『十月の人魚』のジャケットは、水辺にたたずむ岡田の姿が幻想的だ



そして、肝心の歌入れでも、國吉は岡田有希子の才能に驚嘆したという。

「小室哲哉さんの曲は、難しいですよね。さすがの有希子ちゃんでも歌えるかな? と、実はドキドキしていました。16分音符がたくさん入っており、それをスタッカートぎみに歌うと幼い子どもみたいになってしまいがちで、仮歌の歌い手さんに説明するのも難しく、(キーボード経験のあった)私が自分で歌っていたほどです。その少し前から、有希子ちゃんも私が歌ったものがわかりやすいと言ってくれていたこともあり、今回も難なくクリアしました。竹内まりやさんや尾崎亜美さんなどご自分で歌われる方は、レコーディングにあたって有希子ちゃんに歌唱指導をしてくれましたが、いずれも吸収が早いんです。本当に頭のいい子で、こちらが“もうちょっと、こうしてほしい”と言うと、すべてを把握してくれる子でしたね」


岡田有希子さん         1985年の岡田有希子。あどけない笑みを浮かべているが、
        その才能は類まれなるものだった 撮影/佐藤靖彦


かしぶち哲郎とのタッグは17曲も! 『Love Fair』で「新しい時代が来たなと」

 他にも、岡田有希子への楽曲提供の特徴としては、ムーンライダーズのドラマーであった、かしぶち哲郎が作詞・作曲・編曲のいずれかで参加した楽曲が17曲と、全アイドルの中でも群を抜いて多いことだ。このSpotifyランキングでも、13位に幻のシングル曲「花のイマージュ」、14位に7thシングル「Love Fair」がランクイン。

【7thシングル『LoveFair/二人のブルー・トレイン』1985.10.5:岡田有希子】         岡田のまなざしにドキッとする、「Love Fair」のジャケット写真


当時、ムーンライダーズとしても、ソロの作家としても大きなヒット実績のない中で、'85年のアルバム『FAIRY』から彼を起用し始めたのは、どういった経緯からだろうか。

「『花のイマージュ』のとき、私はすでに担当を外れていますが、かしぶちさんを岡田有希子の制作スタッフに引き寄せたのは私です。後任のディレクターも、かしぶちさんが好きだったんでしょうね。

 かしぶちさん自身、ムーンライダースの中で、メインではなく独特な味のある曲を歌っていらしたんです。メンバーのみなさんとは、依頼する前からプライベートで面識があり、有希子ちゃんのレコーディングを進めているうちに、“この子は、かなり難しい歌でも歌えるぞ”と気づいて、今こそチャンスだと思いました。アイドル時代のうちに、どんな歌でも歌えるようになっておけば、この先のアーティスト人生に生かしていけるのではと信じて、事務所や(プロデューサーである)渡辺有三さんにも提案したらOKしてもらえました」

 ムーンライダーズからは、ギタリストである白井良明がポップス系の作家として幅広く活躍し、國吉も堀ちえみの楽曲を多数依頼しているが、

「ちえみちゃんには明るい曲調が似合うので、白井良明さんメインでお願いしました。かしぶちさんの曲は、しっとりとしていて、一見シンプルなのに、歌ってみるととても難しいんですよね。まりやさんの曲を歌った人は他にもいましたが、かしぶちさんや小室さんの曲を歌ったアイドルがいなかったのと、私自身、新しいもの好きだったことから依頼を決めたんです」

 かしぶちが詞曲を手がけた中で初めてシングルとなった「Love Fair」は、歌詞も抽象的だし、メロディーも音数が少なく、アイドルポップスとはかけ離れた、当時としても前衛的なイメージのある楽曲だ。

「独特な世界観を持った、不思議な構造の歌ですよね。『Love Fair』がシングルになったときは、心の中で“バンザーイ!”って言っていました。サンミュージックの会議で、今度のシングルはコレ! って決まったと聞いて、有三さんと思わず顔を見合わせたくらい驚いて、“新しい時代が来たな”って思いましたね」


ちなみに、本作はあまりに斬新だったためか、ランキング番組『ザ・ベストテン』では、ラジオやハガキリクエスト部門がいつもほど伸びず、総合で4作続いていたベストテン入りを逃している。オリコンではTOP10入りを継続し、グリコ「セシルチョコレート」のCMソングとなった効果からか、累計売上も前作より伸びているものの、『ザ・ベストテン』が世間的なヒットの基準だった当時、國吉は周囲から責められなかったのだろうか。


「(ベストテンに)入らなかったんですね? 今、初めて知りました。でも、単純な曲のほうがすぐに人々に理解される反面、飽きられやすいでしょうし、こういった曲が長く愛されたらいいなと思っていましたね。実際、勢いだけで売れすぎて本人も疲弊しちゃって、やがて売れなくなるよりは、確実に及第点のセールスを維持して長く愛されるほうが、アーティストのためでもありますよね。

 でも当時は、“そんなやり方をして、いったい何枚プラスで売れるの?”と偉い人に責められてはトイレでよく泣いていました。だから、ある程度の売り上げを維持しつつ、制作費を確保するというハンドリングをいろいろ考えましたね。これ以上やったら次の制作費が厳しいな、とか。そういう点でも有三さんは優れたプロデューサーでした。さまざまな音楽の要素、ヒットの要素をいくつも考えて、最適な結論を出すというのが素晴らしかったんです」


ドラマ「禁じられたマリコ」ー岡田有希子さん、三上博史さん         岡田の主演ドラマ『禁じられたマリコ』(TBS系)のロケ現場にて 
         撮影/藤沢謙


岡田有希子の曲は「“B面用”はない。シングルのA面を張れる自信作ばかり」

 そしてSpotify第16位には、そのB面曲「二人のブルー・トレイン」がランクイン。竹内まりやの歌詞も、杉真理のメロディーも、アイドルポップスとしては実にわかりやすく優れた作品で、岡田有希子のボーカルも非の打ちどころがなく、他のアイドルならTOP10ヒットでも間違いないくらいだ。ただ、「Love Fair」や前出の小室作品と比べると、新鮮味は少なく感じるかもしれない。

「この曲も、杉さんらしいアメリカンポップス風で、難しいだろうけど大丈夫かなと思ったんですが、有希子ちゃんはこちらの希望どおりに歌えちゃいましたね。決してこの曲の出来が悪いのではなく、『Love Fair』と同時期のシングル候補だったので、必然的にこちらがB面になったんです。基本的に、有希子ちゃんの曲は“B面用”には作っておらず、シングルのA面でも大丈夫!、という自信作ばかりです。ただ、そういう曲ばかりを集めてアルバムを作ると、ちょっと“ごった煮感”が出てしまうので、同じアレンジャーの方に依頼するなど一貫性を持たせて世界観を大事にしました。松任谷正隆さんの起用は、私が大好きだったからです(笑)」


Spotify第22位には、松任谷正隆が作曲・編曲をした「あなたを忘れる魔法があれば」がランクイン。同アルバムのオリジナル曲としては最上位だ。

「これは私が大好きだった康珍化さんに歌詞をお願いしたバラードです。もしかして、この曲がいちばん難易度が高いかも? と思いましたが、これも有希子ちゃんは歌えましたね。特にアルバム曲は、3時間のあいだに4曲ほどレコーディングする必要がありましたから、今から考えてもすごいことだと思います」



國吉美織から現代のリスナーたちに、感謝を込めて伝えたいメッセージとは? 

 國吉は現在、音楽ユニット・Milly la foretとして活動しつつ、コミュニティFMのFMカオン(84.2MHz、神奈川県央エリア)でトーク番組を担当し、普段の音楽活動やディレクター時代のエピソードなども語っている。また、9月には、“水の中から見た世界”をコンセプトにしたライブを開くにあたって、その楽曲や映像制作に時間をかけているという。

 最後に、現在のリスナーに向けてメッセージをお願いすると、

「必死に作った音楽を、決して使い捨てではなく、長く大切に聴いていただけているということに、本当に感謝しています。私自身、どの曲も本当に大好きで、どれも可愛いので、お好きなものを自由に聴いてくださったらうれしいです!」

と、笑顔で語ってくれた。



國吉美織さん    「毎日忙しかったですが、制作は本当に楽しかったです」と満面の笑み
      撮影/山田智絵

 これは社会全体に言えることだが、とかく、自分が担当しているうちに数字の成果を上げようと瞬間の記録だけを追い求める傾向が、情報化社会にともなってますます顕著になっている。しかし、今回の岡田有希子作品のように、長く聴かれることを目指せば、それが当時は生まれていない世代に伝わったり、海外で聴かれるようになったり、“記憶”されるものとして残っていくものも確実に存在するのだ。こうしたヒット現象は、私たちの生き方にも大きなヒントを与えてくれることだろう。

(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)

【PROFILE】
國吉美織(くによし・みおり) ◎クリエーター。イギリス留学後、上智大学軽音楽部でバンド結成。EAST WESTなどさまざまなコンテストで最優秀キーボーディスト賞、作曲賞、バンド賞などを受賞。卒業後ミュージシャンの道を親の猛反対で断念、ポニーキャニオンに入社し
女性第一号の音楽ディレクターとなる。が、上司の「あなたらしい生き方を!」というアドバイスで退社、念願だった創作&演奏活動を再開し、現在に至る。クレジットは、 ディレクター、プロデューサー、ボーカル、コーラス、キーボード、ピアノ、リコーダー、ベース、ティンウィッスル、葦笛、ゲムスホルン、タンバリン、プログラミング、レコーディングエンジニア、ミキシングエンジニア、レタリング、イラストレーティング、フォトグラフ、映像制作、作詞、作曲、編曲、などなど。


◎國吉美織 公式HP→https://miorio.net/

◎milly la foret 公式HP→https://www.millylaforet.com/


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岡田有希子、今の10代に人気なワケ・1

★今回の記事は5月15日にヤフー記事に掲載されたfumufumu newsからの"岡田有希子さんの人気なワケ"が記事ランキングで1位に。多くの人に読んで頂きたいという思いで記事を抜粋引用転載しました。

Twitterでは多くの反応があり、当時のアイドル活動を知らずして、彼女の楽曲や歌声が支持されるということは、長年のファンや、当時のスタッフに誇りを与えてくれる。 だからこそ、“沼の入り口”にいるファンには、寛容な態度で接することが、今こそ大切。

"目まぐるしく変化する現在、過去の理屈は通用しません。 その理屈は嫉妬と独占欲だけ"… 自分はそんな人間になりたくはありません。

などいろんな感想がありました。


\デイリー記事ランキング1位/ 本日いちばん読まれた人気記事はこちら岡田有希子、今の10代に大人気のワケを元ディレクターに聞く「本当に選ばれし人。芦田愛菜ちゃんタイプかな」

5thシングル曲A面『Summer Beach』/B面『星と夜と恋人たち』ー1985.4.17  岡田有希子        白地に赤色の水玉模様と肩紐が映える、
     「Summer Beach」のジャケット写真



What's「未来へつなぐ昭和ポップス」? 今、若い世代からも、また海外からも熱い注目を浴びている昭和ポップス。昨今では、音楽を聴く手段としてサブスクリプションサービス(以下「サブスク」)がメインで使われているが、必ずしも当時ヒットした楽曲だけが大量に再生されているわけではなく、配信を通して新たなヒットが生まれていることも少なくない。

 そこで、本企画では1980年代をメインに活動した歌手・アイドルの『Spotify』(2023年5月時点で5億1500万人超の月間アクティブユーザーを抱える、世界最大手の音楽ストリーミングサービス)における楽曲ごとの再生回数をランキング化。当時のCD売り上げランキングと比べながら過去・現在のヒット曲を見つめ、さらに、今後伸びそうな“未来のヒット曲”へとつながるような考察を、本人または昭和ポップス関係者への取材を交えながら進めていく。

 今回は、1980年代の人気アイドル・岡田有希子のシングル8作中7作、オリジナルアルバム4作中3作のディレクターを担当した國吉美織とともに、岡田有希子の魅力をSpotify人気曲をもとに振り返る。ちなみに國吉は、'82年にキャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)に入社し、'85年末まで在籍。現在は、音楽ユニット“milly la foret”(ミイ・ラ・フォーレ)として活動し、歌、演奏、作詞、作曲、編曲、ミキシング、映像制作、イラストレーションなどを手がける、自称・“究極の便利屋”だそう。 「(キャニオンレコードには)4年弱の在籍ですが、とても濃厚な日々でした。当時は岡田有希子ちゃん、堀ちえみちゃんのほかに、尾崎亜美さんや、モデルだった安野とも子ちゃんも担当していましたね。他には、田原俊彦さんのアルバム『Don't disturb』の中の1曲、『愛情現象』も担当しました」  そう語る國吉は、ストリーミングサービスについては、「散歩のときに、自分用のプレイリストを作って楽しんでいる」とのこと。


國吉美織さん    國吉美織さん。「有希子ちゃん」と親しみを持って呼ぶ様子から当時の 
    信頼関係が伝わってきた 撮影/山田智絵

今回、岡田有希子のSpotifyにおける人気度をポニーキャニオンにて調べてみたところ、月間リスナー13万人前後のうち、なんと約7割が海外ということがわかった。国別に見てみると、'23年4月現在、1位は日本の約3.5万人に対し、2位のアメリカは約3.1万人と同レベル。3位以下はいずれも2000人~4000人レベルだが、高い順にメキシコ、インドネシア、カナダ、イギリス、ブラジル、フランス、フィリピンと、アジア・ヨーロッパ・南北アメリカを中心に世界中に広がっている。それゆえ、日本のリスナーはわずか3割にとどまっているのだ。 「確かにそう言われると、このランキングは日本での人気というより、ワールドワイドなものに見えてきますね。私自身、昔から洋楽が大好きだったので、そのエッセンスを随所に取り入れたかったんです。実力のあるミュージシャンやアレンジャーの方たちとまじめに音楽を作れば、この子(岡田有希子)はちゃんと応えてくれると確信していたので、そこは譲りませんでした。当時、サンミュージックの杉村昌子さんと、私の上司であるキャニオンの渡辺有三さん、そして私の3人での合言葉は、“とにかくいいものを作ろう”でしたね。コーラスやハープなど、必要なときは積極的に取り入れて、本当にぜいたくな音作りをさせてもらいました」  海外のリスナーが昭和ポップスを好きな理由として“質の高い生の演奏が聞けるから”とよく聞くが、まさに岡田有希子の海外人気はそういったニーズに真正面から応えているのだろう。  また、Webメディア『Re:minder』と雑誌『昭和40年男』(ヘリテージ刊)が共同で実施した『80年代アイドル総選挙』で岡田有希子は総合10位なのだが、注目すべきは、年代別の順位だ。リアルタイムで聴いていたであろう40代が12位、50代が9位なのに対し、彼女が活躍していたころ、まだ生まれていない10代が5位、20代が6位と、若い世代からの人気が相対的に上回っているのだ。これについて國吉は、こう分析した。 「有希子ちゃんは今のアイドルにはいないタイプでしょうね。現代には、“作られた可愛い子”はあふれていますが、素の状態で可愛くて、歌がうまくて、頭もいいという、本当に選ばれし人だったと思います。今ならば、アイドルとはちょっと違うかもしれないけれど、芦田愛菜ちゃんのようなタイプかな」


岡田有希子は「会った瞬間から可愛かった」、話し合いを重ねてコンセプトを決定

 そんな國吉が岡田有希子と初めて会ったときの印象を尋ねてみた。 「デビューすることが決まって、その半年から1年くらい前に、彼女のお母さんと一緒に会いました。普通は、デビューしてからきれいになっていくのですが、有希子ちゃんは会った瞬間から可愛くて驚きました。デビュー前は、一緒にショッピングをして洋服を買っていましたね~」  そうして、岡田有希子の制作スタッフとして、プロデューサーである前述の渡辺がシングルやアルバムのコンセプトを決め、それに基づいた作家やアレンジャーの選定を渡辺と國吉で決めた。その後、楽曲の音作りを國吉が担当してきた。 「アルバムや本人のイメージなど、いつも明確に決めていました。例えば、曲を依頼する際も、実際に作家さんとお会いして、そのコンセプトについて1~2時間は話し合いをしていました。なので、ほぼ毎回、作家の方からも期待どおりの作品が送られてきましたね」  確かに、岡田有希子の楽曲は、タイトルと曲のイメージが見事に合致するものが多い気がする。これも、丁寧な仕事ぶりの結果だろう。

1位曲「Summer Beach」は海外人気が圧倒的。尾崎亜美の手腕にも注目

(写真:fumufumu news -フムフムニュース-)



 では、ここからSpotifyのランキングを見てみよう。第1位は、'85年の5thシングルである「Summer Beach」。'23年4月下旬には200万回再生を突破し、ダントツ人気の本作は、なんと約9割が海外からのアクセスとなっている。しかも、国別で見ても1位はアメリカ、2位が日本、3位がインドネシア。確かに、オシャレで明るいサウンド、安定感のあるボーカルなどは、親しみやすいアイドルポップスというよりも、洗練されたシティポップの雰囲気が漂っている。 「ここまで海外のリスナーに支持されているのは、作詞・作曲を担当した尾崎亜美さんの音楽性も関係しているでしょうね。才能にあふれていますから。亜美さんは洋楽・邦楽問わず人の曲をあまり聴かないらしいのですが、楽器やミュージシャンを選ぶセンスが卓越しているんですよ。きっとどこかで海外の血縁があるんじゃないかって思っていました(笑)」  尾崎亜美は他にも、杏里「オリビアを聴きながら」や松田聖子「天使のウィンク」などの提供曲が国内外で人気だが、自身が歌った'81年のアルバム『Air Kiss』に収録されたポップな楽曲「純情」も再生回数190万回以上('23年4月末現在)と、こちらも海外リスナーに大人気だ。  國吉が担当を掛け持ちしていたことから、尾崎亜美への楽曲依頼自体は自然な流れだが、それにしてもこの「Summer Beach」、サウンドは爽快であるものの、今の恋人といるのに、昔の恋を忘れようとしている歌詞がどこかちょっと切ない。その微妙な状況を、岡田が絶妙なバランスで歌っている。 「有希子ちゃんには、どの作家さんからも“キャピキャピ”とか“ランラン”というイメージのアイドルソングは送られてこなかったですね。どこか翳(かげ)りがあったり、深みがあったり。みんな彼女の可愛いけれどミステリアスな部分に惹かれていたからじゃないでしょうか。ただ、コアなファンの中には、例えば第15位にある『そよ風はペパーミント』(作詞:田口俊、作曲・編曲:大村雅朗)のような全面的に明るい歌が好き、という方も多いみたいですよ」


「くちびるNetwork」で初のオリコン1位に! 当時の岡田と國吉の心境とは

【岡田有希子ーくちびるNet work/恋のエチュード】      あどけなさと大人っぽさ、どちらもあわせ持つ
     「くちびるNetwork」のジャケット写真


そしてSpotify第2位には、シングル8作目にして初のオリコン1位となった「くちびるNetwork」。作詞:Seiko×作曲:坂本龍一という強力な布陣で、当時の大型タイアップだったカネボウ化粧品のCMソングに起用され、累計売上23万枚以上、'86年のオリコン年間シングルでも第36位の大ヒットとなった。  1作前のシングル「Love Fair」まで担当していた当時の状況を、國吉が振り返る。 「1位を取るまで、プレッシャーはあったでしょうね。特に、同じサンミュージックだった松田聖子さんに“追いつけ、追い越せ”みたいな雰囲気が、本人含め全体にあったと思います。彼女は、あれだけ歌唱力抜群で、アイドル性も高いのだから、もっと売れるはず、とみんなが期待してしまうのもわかります」  そんな周囲の期待やセールス状況も岡田有希子は把握していたという。 「彼女は優等生ゆえに、わがままを言わないし、“ちょっと太ったね”などといった周りの心ない声も聞こえてしまうなど、いろいろと抱えてしまったんじゃないかな……って思います。でも私自身は、“1曲売れても仕方がない、この子は長く支持されるアーティストとして育っていってほしい”という思いのほうが強かったので、周囲の声や順位はまったく気にしていませんでした」  だからこそデビュー2年目に、さまざまな作品にトライできたのだろう。  そんな中、大ヒットした「くちびるNetwork」の感想を聞いてみると、 「坂本龍一さんが、小難しいことを取り払ってシンプルな気持ちで作られた作品だということがサビ頭などから伝わります。それが有希子ちゃんにとてもよく合っていますね。私も、それまでの道筋を作ったことが、ここでの1位につながったんだと思っていて、もう担当ではありませんでしたが、とてもうれしかったです」 ◇   ◇   ◇  今回は2曲のエピソードを紹介するにとどまったが、次回以降、“今の”人気曲をさらにひも解いていきたい。  当時は、シングルもアルバムも比較的コンスタントにヒットしていた彼女だが、このSpotifyでは「Summer Beach」と「くちびるNetwork」が突出しており、それだけ国内の若いリスナーや海外のリスナーに大きく広がっているということだろう。  その状況は、彼女を長年支えてきたコアなファンからすると、喜ばしいような歯がゆいような複雑な心境で、ともすれば“1、2曲しか知らない、にわかファンのくせに”と揶揄(やゆ)したくなるかもしれない。しかし、当時のアイドル活動を知らずして、ただ純粋に彼女の楽曲や歌声が支持されるということは、長年のファンや、國吉はじめ当時のスタッフに誇りを与えてくれているであろう。だからこそ、“沼の入り口”にいる多くのファンには、SNSやプレイリストを通して寛容な態度で接することが、今こそ大切な気がする。 (取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝) 【PROFILE】 國吉美織(くによし・みおり) ◎クリエーター。イギリス留学後、上智大学軽音楽部でバンド結成。EAST WESTなどさまざまなコンテストで最優秀キーボーディスト賞、作曲賞、バンド賞などを受賞。卒業後ミュージシャンの道を親の猛反対で断念、ポニーキャニオンに入社し 女性第一号の音楽ディレクターとなる。が、上司の「あなたらしい生き方を!」というアドバイスで退社、念願だった創作&演奏活動を再開し、現在に至る。クレジットは、 ディレクター、プロデューサー、ボーカル、コーラス、キーボード、ピアノ、リコーダー、ベース、ティンウィッスル、葦笛、ゲムスホルン、タンバリン、プログラミング、レコーディングエンジニア、ミキシングエンジニア、レタリング、イラストレーティング、フォトグラフ、映像制作、作詞、作曲、編曲、などなど。

岡田有希子、今の10代に大人気のワケを元ディレクターに聞く「本当に選ばれし人。芦田愛菜ちゃんタイプかな」(fumufumu news) - Yahoo!ニュース

岡田有希子 -Summer Beach-
作詞/作曲:尾崎亜美 編曲:松任谷正隆
https://youtu.be/8AXAUfpJBUY:引用元

岡田有希子 ♪くちびるNetwork/19860209
作詞:Seiko(松田聖子) 作曲:坂本龍一
編曲:かしぶち哲郎
https://youtu.be/hCqnR9qDAe4:引用元

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河合奈保子さんと岡田有希子

【河合奈保子さんと岡田有希子】

河合奈保子さんといえば西城秀樹さんが主宰する新人発掘コンテストの「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」に合格し「西城秀樹の妹」というフレーズでその後アイドル歌手としてデビューします。1980年代に入るとデビューが同期の松田聖子柏原芳恵とともに「三大アイドル」と呼ばれた。その後テレビやラジオ、ドラマと活躍。デビュー2年目の1981年10月5日16時頃、NHKホールでの『レッツゴーヤング』のリハーサル中、誤って4m下の迫りに転落し第一腰椎圧迫骨折の重傷を負う。約2ヶ月間の療養の後、同年11月30日放送の『夜のヒットスタジオ』より復帰を果たす。同年12月31日の第32回NHK紅白歌合戦に「スマイル・フォー・ミー」で初出場しトップバッターを務めた。
(出典:wikipedia一部引用)


◉岡田有希子さんが雑誌のインタビューで河合奈保子さんのことを語っている記事ー
よい子の歌謡曲「ベスト オブ 岡田有希子」から一部引用文言

-どういうところが、好き?

「え、なんか可愛らしそうっていうか、優しそうっていうか、ぜんぜん、こう、今でも変わらないトコがいいですね昔から、優しそうで。で、どんどん歌とかうまくなっていって、歌手としては成長してるんだけど、ぜんぜん、こう、スターにならないっていうか、スターなんだけどスターぶらないっていうか、とっても優しい雰囲気が、好きですね。」

-実際の印象としては?

「やっぱり、見てた通りの人というか、想像してた通りの人で、すごい、それがうれしかったですね。テレビで見てるのと実際が違わなくて、ホント、よかったナ、って思って。」

-NHKとかでは注意しないとね。セリ穴に落っこちちゃうから。
*「'81年11月、河合奈保子は”レッツゴーヤング”(NHK)出演中、誤ってセリ穴に転落し、重傷を負った。」

「そうですねえ。あの時、ホント、でも、すごいショックでしたね。かわいそうだな、もう、なんか替わってあげたい、とか思いましたけどね。奈保子さんがかわいそうでかわいそうで、思わず泣いた、という、あ、奈保子ちゃん、かわいそうかわいそう、とか言ってネ、もうギャアギャア叫んでました、お母さんとか一緒に。私が寝てたら起こしにきたんですよね。」

「よい子の歌謡曲」No.18 &
「よい子の歌謡曲」4月増刊号 ベスト オブ 岡田有希子より引用

※雑誌のインタビューに語っている通り岡田有希子(ユッコ)さんの中では河合奈保子さんをお手本としていたのではないかと思います。ファンに対しての優しさ、気遣いなどは河合奈保子さんを尊ぶ岡田有希子さんの芸能活動にも活かされていた

(左)岡田有希子さん (右)河合奈保子さん
           (左)岡田有希子さん (右)河合奈保子さん
           憧れの奈保子さんとも楽屋が一緒だった。

中学2年生の当時に描いたとされる河合さんの肖像。佐藤佳代作
            画像は、岡田有希子さんが中学2年生の当時に
            描いたとされる河合さんの肖像。
            『スマイル~』のリリース 画像:Twitter.com


左から岡田有希子さん 右は河合奈保子さん お辞儀をする二人。
 コンサート会場・イベントなどでファンの方に深くお辞儀をするお二人。
         左から岡田有希子さん 右は河合奈保子さん

   ◉岡田有希子さんも良くファンの方に深くお辞儀をされた方である。
    写真をご覧いただければお二人は共通している部分が多い。
    岡田さんは河合奈保子さんの事を尊敬しており河合奈保子さんの
    ファンに対する優しさやお辞儀などをみてお手本にされたのでしょう。
    マイクを持って歌う手も左手でどことなく似ている。

    このことを"ロールモデル"というそうです。
    "ロールモデル"はなんぞやということですが検索して調べて見ると
    一般的に考え方や行動の規範になる人物を意味する、とありました。
    岡田有希子さんにとって河合奈保子さんは"ロールモデル"の
    お手本となる方ですね。


『みゆき』10巻ー著書:あだち充 少年ビックコミックスより
           『みゆき』10巻ー著書:あだち充
              少年ビックコミックスより

水着姿:河合奈保子/岡田有希子
         水着姿:河合奈保子(左) 岡田有希子(右)
         ※よく見ると『みゆき』に描かれている水着姿の女性二人は
          河合奈保子さんと岡田有希子さんにも似ている。
                                  twitter.com

★他にもいくつか共通点があってお二人とも血液型は”O型"である。
"O型"どうしの女性は非常にお互いに相手にあまり気を遣わずに、 ウラオモテなく
一番気楽で気さくな関係を築けるタイプです。
まさしくこのお二人は当てはまるかと。
また、竹内まりやさんが提供してくださった楽曲にも二人は関わっている共通点。


【河合奈保子】

河合 奈保子(かわい なおこ、1963年7月24日 - )さんは、日本の女性・アイドル歌手、シンガーソングライター、アーティスト、作曲家、女優。娘は元歌手のkaho
身長160センチメートル。血液型はO型。

1980年代初頭、デビューが同期の松田聖子柏原芳恵とともに「3大アイドル」と呼ばれた。
所属事務所は芸映プロダクション、レコード会社は日本コロムビアに所属していた。1980年代の歌手・アイドルの一人である。本名は「かわい なほこ」だが、芸名では「かわい なおこ」と読ませている。

シングル売上記録は「エスカレーション」「スマイル・フォー・ミー」「夏のヒロイン」「けんかをやめて」(オリコンチャート)の順。
歌以外にもピアノギターマンドリンシンセサイザーを演奏し自作曲(作詞作曲)も発表した。雑誌のグラビアアイドル水泳大会に登場していた。

1996年2月1日、記者会見にてヘアメイクアップアーティスト金原宜保との婚約を発表。同年2月6日に婚姻届を提出。翌1997年の第一子出産を契機に芸能活動を停止する。夫との間に2児あり。このうち第二子のkahoは、2013年11月27日にソニー・ミュージックから「Every Hero/Strong Alone」でデビューし、音楽活動をしていた時期があった。
現在はオーストラリア在住。

【アイドル時代】

1979年12月、芸映プロが自社の看板スターである西城秀樹の名を冠して主催した新人発掘コンテスト「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」に応募。河合さんがオーディションを知ったのは締切の直前で、応募書類とデモテープを作成して送ったのは締切前日だった。オーディションの選考過程も紙一重で、大本恭敬の「理想の声に近づく本」によれば、大阪の地区予選も一旦は最終審査に残らず、当初の定数1名に対して特別に2人目の代表として選出された(最初に選考され、河合さんと共に決勝大会に進んだもう一人の大阪代表は後の小林千絵)。翌1980年3月16日に中野サンプラザで開催された決勝大会で優勝する。オーディション応募テープでは「オリビアを聴きながら」を、決勝大会では「春ラ!ラ!ラ!」を歌った。

同月末に上京して歌レッスンを受けた後、1980年6月1日に「大きな森の小さなお家」で「西城秀樹の妹」という触れ込みとともに、アイドル歌手としてデビュー。この過程で明治大学付属中野高校定時制に編入し、後に卒業した。

河合奈保子/デビュー曲「大きな森の小さなお家」-1980.6/1デビュー
         「大きな森の小さなお家」-1980.6/1デビュー

なお、歌手デビュー当時のキャッチフレーズは「ほほえみさわやか カナリー・ガール」であった。2枚目のシングル「ヤング・ボーイ」がヒットとなり複数の音楽祭で新人賞を受賞する。

デビュー2年目の1981年10月5日16時頃、NHKホールでの『レッツゴーヤング』のリハーサル中、誤って4m下の迫りに転落し第一腰椎圧迫骨折の重傷を負う。約2ヶ月間の療養の後、同年11月30日放送の『夜のヒットスタジオ』より復帰を果たす。同年12月31日の第32回NHK紅白歌合戦に「スマイル・フォー・ミー」で初出場しトップバッターを務めた。翌年4月頃まで療養のためにコルセットを腰に装着して芸能活動を行う。NHK紅白歌合戦に初出場した際は、転落事故からの復帰直後で、かつ事故現場のNHKホールだったが、本人によればリハーサルは恐怖感が先に立ったものの、本番の出番寸前に不安や緊張が全て消えたという。

1983年12月6日より盲腸の摘出手術で東京・渋谷病院に入院し、同年12月14日に退院した。12月18日まで休養し、翌12月19日の「夜のヒットスタジオ」で復帰を果たした。

歌唱中、マイクロフォンは左手で持つことが多かった。
ライブコンサートは1980年代の後半まで行われた。1983年から1988年まで7月24日の誕生日に東京よみうりランドのEAST野外ステージで行われたバースデイライブなどが行われ、EASTライブは6回全てが映像ソフト化されている。

【アイドル以外の仕事】

1984年発表のアルバム「DAYDREAM COAST 」では録音から制作に参加、それを契機に音楽の制作面にも関与する。
1986年には初の全作曲オリジナルアルバム「スカーレット」を発表。
1984年7月からMBSラジオMBSヤングタウン』(ヤンタン)火曜日のメインパーソナリティ。嘉門達夫らとの共演で、1989年2月まで約4年7か月にわたり出演した。

1987年4月のKBS京都の交通安全キャンペーン「かたつむり大作戦」のキャンペーンソングの歌詞募集の選考し、その詩に自ら作曲した『やさしさの贈り物』を「かたつむり大作戦」の会場KBSホールから歌唱した。またこの時期はテレビドラマミュージカルにも積極的に出演した。1985年のアニメ映画『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』では主題歌と共に声優として出演。

1989年には、ミュージカル『THE LOVER in ME 〜恋人が幽霊』に出演し、同作品では作曲も担当した。テレビドラマでは、『さすらい刑事旅情編』、『ママじゃないってば!』に出演。
1988年に岐阜市で行われた「ぎふ中部未来博」で、メインパビリオンであるスカイマックス未来館の館内環境音楽を担当した。
1989年から1990年には、ザ・ジェントル・ウインド名義のセッションアルバム「Tears of Nature」、「Gentle Voice」で全作曲を担当すると共に、キーボード奏者兼バックグランドボーカルとして参加し、ミッキー吉野らと共演したこともあった。
日本作曲家協会に所属していた。

【芸能界活動停止】

1996年2月1日、記者会見にてヘアメイクアーティスト金原宜保との婚約を発表。同年2月6日に結婚。翌1997年の第一子出産を契機に芸能活動を停止する。
(出典:wikipedia引用転載)


『エスカレーション』ー1983.6.1  日本コロムビア 河合奈保子
         『エスカレーション』ー1983.6.1  日本コロムビア
         『恋のハレーション』/B面曲
           (EP: AH-333)


エスカレーション「Escalation」- 河合奈保子「Naoko Kawai」
歌手:河合奈保子 作詞:売野雅勇 作曲:筒美京平 編曲:大村雅朗

https://youtu.be/4BsQ5fx9Kl0:引用元


岡田有希子 二人だけのセレモニー 【1985】
歌手:岡田有希子 作詞:夏目純 作曲:尾崎亜美 編曲:松任谷正隆

https://youtu.be/bflNxdH9Bpc:引用元

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尾崎亜美さんと岡田有希子『Summer Beach』

 ★今回は「尾崎亜美さんと岡田有希子(ユッコ)」について特集。
尾崎亜美さんといえばシンガーソングライター(作詞/作曲)としても活躍されており
幅広いアーティストに楽曲など提供されている。
その尾崎亜美さんが東海ラジオが主催するトリビュート番組に     
2016年6月25日放送「ドットーレ山口のドキドキラジオ’84」第13回
放送番組でゲストとして、岡田有希子(ユッコ)さんについて電話インタビューで
語ってくれた。

提供曲として制作された5thシングル曲「Summer Beach」
尾崎亜美さんにとって岡田有希子(ユッコ)さんは思い入れのある歌手で
スタジオ収録などの当時のエピソードを語ってくれました。
その模様を2回に渡って掲載。


5thシングル曲『Summer Beach』ー1985.4.17/岡田有希子
         5thシングル曲『Summer Beach』ー1985.4.17
        歌手:岡田有希子 作詞/作曲: 尾崎亜美 編曲: 松任谷正隆
          CANION-7A0481 画像は宣伝用ポスター



【尾崎亜美】…尾崎亜美さんは、本名小原美鈴。1957年3月19日生。
京都府京都市北区出身、日本の女性シンガーソングライター(作詞/作曲家)である。
多くのアーティストに楽曲提供を手掛け、松田聖子天使のウィンク」「ボーイの季節」、
杏里オリビアを聴きながら観月ありさ伝説の少女」などがある。
夫はミュージシャンの小原礼

【経歴】…8歳でクラシック・ピアノを習い始める。16歳ころからポップミュージックに
興味を持ち、アマチュアのサークルに参加、作詞/作曲をするようになる。
公式処女作は「ひとりっこカバッこ」というタイトルで、これは後にNHKのこども番組
いないいないばあっ!』に起用された。
尾崎自身によると真の処女作は「衣中音頭」(出身校:衣笠中学校)である。
中学では演劇部の創部に参加。演劇部の27年後輩に芥川賞作家の綿矢りさがいる。
京都府立山城高校時代に、地元ラジオ局・近畿放送(現・京都放送)の
公開オーディション番組「アクション大丸」に他校の男子生徒と2人組で出場、
司会の諸口あきらや審査員の東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)関係者に絶賛される。
その後一時期、やしきたかじんのバックバンドでピアノを担当したこともあった。
(出典:wikipediai一部引用転載)


【尾崎亜美】
          NEWS(2) | 尾崎亜美 オフィシャルサイト
          https://www.amii-ozaki.com/news-1



【尾崎亜美さん・岡田有希子(ユッコ)を語る】
…40周年記念記念ライブを目前に控えた尾崎亜美さん。
「ドットーレ山口のドキドキラジオ'84(東海ラジオ)」番組でパーソナリティーである山口さんが電話で岡田有希子(ユッコ)さんについてのインタビューを尾崎亜美さんに当時の岡田有希子(ユッコ)の印象やスタジオなどの模様を番組で紹介。



【公式】2016年6月25日放送「ドットーレ山口のドキドキラジオ’84」第13回
https://youtu.be/mNqMfAHmBUY:引用元


※11:21~16:22付近を掲載…
◉ドットーレ山口さん…この番組の趣旨といったら何なんですけど
           "岡田有希子"亜美さんがね

亜美さん…大好きな子だったから…

ドットーレ山口さん…僕らファンは通称ユッコと呼んでいます。
ドットーレ山口さん…まず、はじめて一つ聞きたい質問は、はじめて
           ユッコと会った時の印象は?…
           覚えていらしゃるかなあなんて…

亜美さん…あのねえー何だろ…もちろん可愛かったし、若いからねえ…
        それなりに"エネルギー"を発散してたんですけど、
        不思議なエネルギーを
        発散してた子ですねえ…

ドットーレ山口さん…不思議。それはどんな感じ何ですか?
        亜美さんほんとにいろいろ
        ものを観察する力がおありだったから

亜美さん…何かあのもうちょっとたったらめちゃめちゃおいしくなる
       くだものの感じっていうか…
       でも、あえて自分で熟す時期をあたし自分で決めます
       的な何かそんなことありっていうような感じでしたね…
       うまく伝わってます?

ドットーレ山口さん…いえ、何となく伝わってます。いえ、なんせユッコはですね
        ありとあらゆるビジネスパートナーと一緒に働いた人から
        頭がいいって言葉を聞くんですね。
        物凄く頭が良かった。

亜美さん…そうですね、それはもう伝説として何かお母様に反対されて
       どうのこうのとかいろいろあるじゃないですか。
       凄く難しい学校で一位を取りなさいとかね…
       でもね、凄く観察してましたよ、逆に彼女が…
       私観察されているのかも?
       だけど、どうもねえ、何かねえそれに叶ったみたいで
      、芽がねえ…
       もう全部投げ出す勢いでものすごく慕ってくれたもん。

ドットーレ山口さん…心を開いてくれたっていうことですかね?

 亜美さん…デレクターとかプロデューサーが一緒だったこともあるんですけれども
      スタジオが同じスタジオの上と下みたいなAスタBスタみたいなとこで
      やることも多かったんですよ…ものすごい遊びに来てくれたんですよ
      ユッコちゃん自分の仕事してきなさいって何回も怒りましたけど
      でも、何かここにいたーいとかいってすごいいてくれましたねえ… 
    
ドットーレ山口さん…提供曲がですね三曲あるんですよね、あの亜美さんがね
      つくられた曲なんですけど、作詞作曲は『Summer Beach』で
      作曲は『二人だけのセレモニー』と『風の魔法』で作詞は夏目純さん
      ですねどちらも…という感じで関われているんですけども
      やっぱりオーダーは割と早い時期に来るもんなんですか?
      ちょっとご記憶がどうかあれですけれども?

 亜美さん…そうですね…あの何せデレクターとかプロデューサーが一緒だったので
      あのユッコちゃんてすごい素敵な歌手がいるっていうのはすっごく
      聞いていてこういう声なんだよねえ…とかすごく聞いてたんですよ…
      いろんな。で、この子だったらこういう曲が合うんじゃないとか
      凄いそう言う話しを自然にしてたので、だからオファーが来た時も
      この子はこういうふうに歌ってくれるかなあとかって考えながら
      つくってましたねえ…

 ドットーレ山口さん…あーじゃ、もう割と存在はずっと知っていて…

 亜美さん…そうですね。あの、どんなに有名なというかあれですけどあの
      アイドルってねえいっぱいいらっしゃったと思うけどやっぱり
      ユッコちゃんの場合はすごく色んな情報が入ってきやすい環境に
      ありましたね。

ドットーレ山口さん…なるほど。声質だったりとかそういうことも含めてですよね

亜美さん…そう。すっごい私ね声質好きだったの。あのきゃぴきゃぴしてないんです
     あんまり、実は…それで何があの子はまあほら、きゃぴきゃぴでしか
     できないこうあのアピールの仕方ってあるじゃないですか…省略
     あの子はね、もっと違うんですね。引き込む声なんですよ…
     人を惹きこんでくる感じっていうか、可愛らい声なんだけど
     あの聴いてあげたくなるっていうか、そういうパワーのある子だなあと
     思ってたので、私はあのそういう曲をわりとこう書きたいなあと思って
     書いた覚えがありますね。…

      【尾崎亜美さん・岡田有希子(ユッコ)を語る②】へ続く…







【公式】2016年8月27日放送「ドットーレ山口のドキドキラジオ’84」第22回
https://youtu.be/7CM214B1pl0:引用元

◉初のリスナー多数参加企画。ファンミーティング公開録音。8.21日(日)に東海ラジオ本社会議室にて東京からシンガーソングライターの尾崎亜美さんをゲストに招いてユッコファンとのファンミーティングの模様を紹介。

1.シンガーソングライター尾崎亜美からユッコについてのトーク

2.尾崎亜美を交えてユッコファンとのトークコーナー

3.リスナー代表の8名が尾崎亜美さんの前でカラオケを披露

4.コンサートに行っていない方の為の歌の間に掛け声などをかけるコールと言われる

親衛隊の実体験など。



Summer Beach -1985.4.17/岡田有希子
作詞・作曲: 尾崎亜美、編曲: 松任谷正隆
https://youtu.be/RVb7khE_qtI:引用元


Summer Beach -1986.3.5/尾崎亜美(カバーソング)
・POINTS-2
・作詞・作曲: 尾崎亜美 編曲:小林信吾
https://youtu.be/dCLod8g4AjU:引用元

◉『Summer Beach』は作詞作曲いずれも尾崎亜美さんの楽曲で岡田有希子さんの
5thシングル曲として楽曲が提供された。
『Summer Beach』は1985.4.17日に岡田有希子さんの5枚目のシングル曲としてキャニオンレコード(現ポニーキャニオン)から販売リリースされた。翌年には作詞作曲でもある尾崎亜美さん自身によるアルバム『POINT-2』『SummerBeach -1986.3.5/尾崎亜美(カバーソング)としてアルバムPOINTS-2の5曲目に『Summer Beach』がカバーソングとして収録されている。


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