ジュニア【junior】
読み方:じゅにあ
1 年少者。また、下級生。「—版の名作集」「—クラス」⇔シニア。
ジェー‐アール【JR】
JR
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/15 18:27 UTC 版)
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創立 | 1987年 |
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国籍 |
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中核企業 | |
主要業務 | 鉄道事業 |
標章 | JRマーク |
前身 | 日本国有鉄道(国鉄) |
JR(ジェイアール、Japan Railways)は、日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化により1987年に発足した鉄道事業者の統一的総称。6つの旅客鉄道会社と1つの貨物鉄道会社などから構成される。全体としてJRグループ(JR-GROUP)とも呼ばれる。
国鉄の英文字略称が「JNR (Japanese National Railways)」であったことから、「国有」を表すNを除いて「JR」とした、と説明されることもあるが、実際には「NR」(Nは日本=Nihon、Nipponの頭文字)などの案も検討されていた[1][注釈 1]。
JRグループ
JRグループには、6つの旅客鉄道会社と1つの貨物鉄道会社、鉄道の研究機関(公益財団法人)やコンピュータシステムを担当する会社があり、旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律(JR会社法)を設立根拠とする会社と、対象外の会社が混在している。そのうち旅客鉄道事業を担当する会社は、それぞれJRバスやJRホテルグループに属する会社のほか、駅ビルや飲食店などを運営する各種子会社・関連会社を傘下に収めている[注釈 2]。また、貨物鉄道事業を担当するJR貨物に関しても、臨海鉄道会社や物流会社などを傘下に収めている。また、幅広い鉄道網を抱えて、地域や日本の移動の足となっている。
事業領域 | 法人名 | 種別 | 通称 | コーポレートカラー | 本社 | 主な事業区域 |
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旅客鉄道 | 北海道旅客鉄道 | 株式会社 | JR北海道 | ![]() |
北海道札幌市 | 北海道、および青森県津軽地方の一部[注釈 3] |
東日本旅客鉄道 | JR東日本 | ![]() |
東京都渋谷区 | 東北・関東・甲信越、および静岡県東部の一部 | ||
東海旅客鉄道 | JR東海 | ![]() |
愛知県名古屋市 東京都港区 |
東京都から京都府を経由し大阪府までを結ぶ東海道新幹線とリニア中央新幹線、および東海[注釈 4]・長野県南部・山梨県南部・神奈川県西部 | ||
西日本旅客鉄道 | JR西日本 | ![]() |
大阪府大阪市 | 北信越[注釈 5]・三重県伊賀地区・関西・中国・福岡県[注釈 6] | ||
四国旅客鉄道 | JR四国 | ![]() |
香川県高松市 | 四国 | ||
九州旅客鉄道 | JR九州 | ![]() |
福岡県福岡市 | 九州 | ||
貨物鉄道 | 日本貨物鉄道 | JR貨物 | ![]() |
東京都渋谷区 | 日本全域 | |
情報処理 | 鉄道情報システム | JRシステム | ![]() |
東京都渋谷区 | ||
研究機関 | 鉄道総合技術研究所 | 公益財団法人 | 鉄道総研 JR総研 |
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東京都国分寺市 |
事業領域 | 法人名 | 種別 | 通称 | コーポレートカラー | 本社 | 主な事業区域 | 備考 |
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鉄道電話 | 鉄道通信 → 日本テレコム |
株式会社 | JR通信 | ![]() |
東京都港区 | 日本全域 | 2001年、JRグループとの資本関係解消。 2015年にソフトバンクモバイル(現:ソフトバンク、元は日本テレコム子会社のジェイフォン)に吸収合併された、ソフトバンクテレコムの前身(→ソフトバンクテレコム#歴史)。 |
各事業者・法人の総称としてはJRグループとも呼ばれるが、このグループは概ね以下の3種に分類される独自の資本体制に依拠した法人の総称で(次項「#民営化から現在までの状況」も参照)、なおかつ資本体制に関わらず経営はそれぞれ独立しており、グループを代表して各社を統括する持株会社および統括会社は存在しない[注釈 9]が、上場完全民営化までは鉄道建設・運輸施設整備支援機構(JRTT、分割民営化当初は、日本国有鉄道清算事業団)が株式の保有を行っている。
発足当初は会社相互間の株式持ち合い関係も存在しなかったが、後に純粋民間会社となった4社の間では株式の持ち合いが行われている。保有割合はおおむね1%未満だが、JR九州に対しての他3社からの出資は2020年以降1%を超えている[2][3]。
このような分散的なグループ体制に起因して、営業施策や経営戦略等において各社の独自性が極めて強いのが特徴であるが、一方で旧国鉄から引き継いだ鉄道ネットワークの一体性にも利用客への利便性という観点からある程度配慮されている。2社以上のJR営業エリアにまたがる列車の相互乗り入れ、運賃・乗車券制度の事実上の共通化、観光振興(国鉄時代から続くデスティネーションキャンペーン)、震災のような大規模災害時の復旧要員派遣[4]といった様々な分野で、広域的な連携・協調・協力体制も構築している。
JRの駅などに掲示されるデスティネーションキャンペーンや青春18きっぷのポスター、そして交通新聞社発行の『JR時刻表』には、「JR-GROUP」のロゴが使用されている[注釈 10]。ただし、この場合のJRグループは旅客鉄道各社を意味し、貨物・総研・システムは含まれない[要出典]。ただし、2017年12月に実施された国鉄民営化30周年記念ツアーの企画には、寝台特急「カシオペア」を牽引する機関車を提供する形でJR貨物も参加している[5][6]。
JR東日本・東海・西日本・九州が、鉄道ノウハウ(とりわけ高速鉄道)の国際進出を目的に一般社団法人国際高速鉄道協会(IHRA)を2014年(平成26年)4月1日に東京都港区に設立した。こちらは出資したJR大手4社の他、JR総研、さらにJR方式の高速鉄道を採用した台湾高速鉄路公司なども会員としている(のちにJR北海道も加盟し、四国を除くすべての旅客会社が参加している)。
JR系の社員の健康保険組合は、概ね「JRグループ健康保険組合」の加入となる。
JRグループ各社傘下の吹奏楽団が加盟する「JRグループ音楽連盟」は、JR北海道音楽クラブ(休部中)、JR東日本吹奏楽連盟(JR東日本東北吹奏楽団・JR東日本東京吹奏楽団)、JR東海音楽クラブ、JR西日本バンド連盟、JR四国吹奏楽部、JR九州吹奏楽団が会員。2016年11月から定期演奏会を開始した。各楽団は国鉄時代からの各管理局ごとの吹奏楽団が前身。
JRグループ7社のうち、JR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本の4社はACジャパン(旧・公共広告機構)の正会員である[7]。
民営化から現在までの状況
JRグループ各社は、日本国有鉄道改革法(昭和61年法律第88号)(第6条第2項(旅客会社)、第8条第2項(貨物会社))の規定により、1987年4月1日に発足した。運営等については、旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律(JR会社法)に定められた。「JR」という呼称は、同年2月20日に決められたものである。
JR発足当初は、国鉄から移行した日本国有鉄道清算事業団(JNRSC)が全株式を保有する特殊会社であった。なお、同事業団解散に伴い1998年10月22日以降日本鉄道建設公団(JRCC)国鉄清算事業本部、2003年10月1日以降独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(JRTT)が株式を継承した。
2001年6月27日にJR会社法が改正され、本州の旅客3社(JR東日本、JR東海、JR西日本)が同法の対象から外され、純粋民間会社(非特殊会社)化が実現した。それに伴い、一部経営に関する部分の認可制から解放され、いわゆる「普通の会社」になったが、その一方で、国鉄改革趣旨に則った事業運営が行われるよう「本州3社が配慮すべき指針」の公表、事業経営への指導及び助言、勧告及び命令を国土交通大臣が行うことができる旨が、改正附則に明記された。
その後、本州3社の株式については順次民間への売却が行われ、2002年6月にはJR東日本、2004年3月にはJR西日本、2006年4月にはJR東海の全株式の売却が完了し、上場している本州3社は名実ともに「完全民営化」が実現した。
一方、いわゆる三島(さんとう)会社と呼ばれる本州以外の旅客3社(JR北海道、JR四国、JR九州)およびJR貨物はJRTTが全株式を保有する特殊会社であり、また、もともと採算の厳しい路線が多く、経営努力だけでは限界があることが当初より想定されていたため、固定資産税の減免および三島会社に関しては経営安定基金の運用(主にJRTTへの高金利による貸付であり、実質的な補助金)により損失補填しているが、バブル崩壊以後は低金利状態の基金運用が続いている等経営環境は厳しい状況にあった。
2015年6月10日にJR会社法が改正され、2016年4月1日よりJR九州が同法の適用から除外された。これにより同社は法令上は特殊会社から民間会社に移行した。同社の株式は2016年10月25日に東京証券取引所に上場[8]、JRTTが保有していた同社の株式は全て売却された。これにより、同社は経営が厳しいと見られていた三島会社からは初めて「完全民営化」を果たすこととなった[9]。なお、同社の経営安定基金の取り扱いについては、借入金の返済や新幹線設備使用料の一括前払いなどに充てられ、国庫に返納せずに全て取り崩された[10]。固定資産税の軽減措置は改正JR会社法の施行から3年後の2019年度に廃止された。
なお、2016年時点でその他3社(北海道、四国、貨物)については依然として厳しい経営状況が続いており、上場や民間への株式売却の目途は立っていない。
社名表記について
「鉄」の字について、ロゴ文字に限り「鉃」(金偏に矢)という字を採用した[11][注釈 11]。JR四国を除き、JRグループでは各社とも社名ロゴに「鉃」(金偏に矢、本来は「鏃(やじり)」の意)を使用している[注釈 12]。これは「金を失う」に繋がる「鉄」の字を避けるためのゲン担ぎであり、背景にはJRは国鉄の赤字が原因で発足したという経緯がある[12]。かつては、近畿日本鉄道等にも同様の例があった。
JRグループにおける各社の略称は、分割民営化前の国鉄時代に原案が作られており、それらをもとに決定され、1987年2月20日に発表された。1987年4月1日の新体制の発足に際し、呼称としての「JRグループ」・「JR○○」を前面に押し出した結果、「JR」の定着はスムーズに進んだ[注釈 13]。
コーポレートカラー
JRグループにおける各社のコーポレートカラーは、分割民営化前の国鉄時代に原案が作られており、それらを元に決定され、1987年(昭和62年)2月20日に発表された。ロゴを含むCIデザインは日本デザインセンターが手がけている(後節も参照)。
- 北海道旅客鉄道 - ライトグリーン。真白な雪の大地から一斉に芽生え、やがて野山を彩る柔らかな色。新会社のさわやかで伸びやかなイメージを表現[13]。
- 東日本旅客鉄道 - グリーン。東北・信越・関東の豊かな緑色で、力強く発展していく新会社の未来を象徴させる。また、東北・上越新幹線のカラー(緑14号)でもある[13]。
- 東海旅客鉄道 - オレンジ。かぎりなく広がる東海の海と空の彼方を染める夜明けの色。新鮮で潑剌としたオレンジのように、フレッシュな新会社を表す。また、この地域を走る湘南色の電車にあやかっている[13]。
- 西日本旅客鉄道 - ブルー。日本の文化と歴史に彩られた地域に相応しい色とされ、地域に密着した会社を表している。また、豊かな海と湖を象徴するカラーでもある[13]。
- 四国旅客鉄道 - ライトブルー。太平洋の青さより、さらに鮮やかなブルーであり、「青い国・四国」で知られる澄みきった空のブルーとして、新会社のフレッシュさを表現[13]。
- 九州旅客鉄道 - レッド。南の明るい太陽の国には、燃える熱意の色「赤」が相応しいとされた。全力で明るくスタートダッシュを切る新会社の意欲的な姿勢を表現している[13]。
- 日本貨物鉄道 - コンテナブルー。新会社のフレッシュさと信頼感を演出するカラー。国鉄末期にはC35形コンテナから始まる、2万個もの新造コンテナがイメージの一新を目指して、塗装を従来のコンテナグリーン(黄緑6号)からコンテナブルー(青22号)に変更して登場していた[13]。民営化後に設計された19A形コンテナは当初JRFレッドと黒で登場し、その後、後継形式を含めJRFレッド一色となっている。
- 鉄道情報システム - エンジ。[14][出典無効]
- 鉄道総合技術研究所 - 薄紫。[14][出典無効]
- JRグループ - 無彩色。グループ各社としての汎用性を考え、黒、グレー、白、3つの無彩色とされ、金・銀も可としている[13]
ロゴ(JRマーク)
JRマークなどのロゴデザインは、1964年東京オリンピックポスター、トヨタロゴ、アサヒビールロゴ等を考案した日本デザインセンターが製作した[13]。
JRマークは、鉄道車両は両方向に進行することが可能であるため、ロゴが描かれた車両がどちらに動いても違和感のないように作られている。高速走行時の視認性も考慮され、どこまでも繋がっているレールのように太くて横に広がるシンプルな一筆書きの形状には、スピード感も込められている。また、新会社の安定感を作り出すために「R」の斜めの支えを加えることで、大地に根を張るイメージが付与されている[13]。
JRマークはわずかな例外を除き、各社の鉄道車両に掲出されている。電車や気動車については制御車の側面・まれに前面部分、機関車の側面、客車では緩急車の側面などにこのマークがある。民営化当初、各社は車体の色合いに合わせて、白色、黒色または灰色といった無彩色のJRマークを掲出していたが、JR九州だけは一貫してコーポレートカラーである赤色のJRマークを掲出しており、ED76・EF81など、車体が赤色である交流用および交流直流両用電気機関車については、赤地に白い縁取りを加えたJRマークを使用した。また、JR東海でも1988年以降、クロ381形10番台の落成を皮切りに特急形車両を中心にコーポレートカラーであるオレンジ色のJRマークを掲出するようになった。その後、現在に至るまでに様々な色のJRマークが車両に掲出されている。
なお、JRマークは「ジェイアアル」という呼称で1999年12月3日に商標登録が完了している[15]。各社毎にロゴが商標登録されており、各JR旅客各社のロゴは、全旅客各社が共同で権利を申請し、所有している模様。
また、JR貨物では、JRマークの下に「FREIGHT」の文字を加えたロゴや、1990年代後半以降は独自の「JRF」マークを制定している[注釈 14]。所有するコンテナや機関車に使用しており、こちらも商標登録されている。
このほか1998年まで存在した日本国有鉄道清算事業団(JNRSC)では、1988年2月4日に事業団の識別用マークを制定しており[16]、JRマークを元に改変した「JNR」のマークがデザインに含まれていた。
製作の経緯
1986年11月28日に参議院本会議で国鉄改革関連8法が可決成立したことに伴い、新会社のマークと社名ロゴにコーポレートカラーなど、新会社が必要とするデザイン課題が国鉄プロジェクトチームと電通との間で話し合われていた。その製作に相応しいクリエイターということで、日本デザインセンターにデザイン製作依頼が舞い込み、チーフディレクターの梶祐輔を中心としたプロジェクトチームが立ち上げられた[13]。
マークのデザイン案は「JRグループ(Japan Railway Company)」または「NRグループ(Nippon Railway Company)」で、それ以外にも幅の広いデザイン案が求められた。各デザイナーによって起こされたデザインは100案以上を超え、「JR」「NR」を模ったもの、レールの頭文字「R」をデザインしたもの、6つの旅客会社のレールをデザインしたもの、レールを鳥がはばたくイメージで表現したものなど多様なアプローチが提案されたが、1987年1月14日には3案に絞られた。国鉄総裁の杉浦喬也はその3案を自宅に持ち帰って3日間考え抜いた末、新会社グループのJRを最もシンプルにデザインしたものに決定し、最終的には永井一正の監修を受けて完成した。デザインが決定してから民営化までは2か月半しかなく、7社の社名ロゴおよび各社カラー・アプリケーションの開発・マニュアル制作・記者発表用キット・各社の切符など膨大な制作物をこの期間で仕上げることが求められた[13]。
国鉄では、民営化初日の4月1日に特急の一部と山手線だけにでもJRマークを付けた車輌を走らせたいと考えていた。日本デザインセンターは、民営化の初日から全国の列車の機関車と運転台付きの車両にマーク展開することを提案。全国で約1万輛に及ぶ多彩な型式の車両ごとにデザインを起こし、3月31日の最終列車から翌4月1日始発までの間に職員の手でJRマークを貼付するという計画だった。そのために誰にでも短時間で作業できるよう工夫した「JRマーク車両貼付け指示書」が制作された。この指示書は110ページに及ぶものだったが、時間が切迫していたため、図面の指示は山本洋司による手書きだった[13]。
脚注
注釈
- ^ 一方で、JR東日本傘下にあった日本レストランエンタプライズ(現:JR東日本クロスステーション)の略称は「NRE(Nippon Restaurant Enterprise)」となっていた。
- ^ 一例を挙げると、羽田空港輸送を担う東京モノレールもJR東日本グループの一員である。
- ^ 1987年4月1日から1988年3月13日までは青函連絡船の青森桟橋、1988年3月13日からは海峡線の中小国駅 - 竜飛定点間、2016年3月26日からは北海道新幹線の新青森駅 - 新中小国信号場間(新中小国信号場以北は海峡線と共用)が該当。
- ^ 岐阜県・愛知県・三重県(伊賀地区を除く)・静岡県(東部の一部を除く)が該当。
- ^ 北陸(富山県・石川県・福井県・新潟県西部)と長野県北西部が該当。
- ^ 山陽新幹線の小倉駅と博多駅および博多南線の博多南駅が該当。
- ^ 国鉄時代の名称から青22号ともいう。
- ^ 当初は灰色の「JR」ロゴを使用していた。日本テレコム→ソフトバンクの商標登録第3126644号だったが、2016年3月29日で権利が消滅した。
- ^ 日本で持株会社の設立が可能となったのはJR発足から10年後の1997年である。類似事例として、2005年に日本道路公団(JH)より民営化されて発足した高速道路会社主要3社を含むNEXCO各社間でも同じくグループ全体を統括する会社は存在していない。一方、NTTグループを統括する日本電信電話(NTT)は1999年の再編成において持株会社の形式を採用した。
- ^ コーポレートカラーは黒色。
- ^ 会社登記上の文字は、いずれも「鉄」である。
- ^ 発足当初はJR四国も他のJR各社同様に金偏に矢の「鉃」を使用していた。
- ^ なお、発足当初は「○○線」「○○鉄道」「○○会社線」の呼称も存在した。
- ^ ただしJR FREIGHTのロゴやJRFマークは近年撤去が進んでいる。
出典
- ^ 「時刻表」はこうしてつくられるP.125 交通新聞社新書 ISBN 978-4-330-37713-1、2013年
- ^ “JR東・東海、トヨタ株 125億円分取得 交通問題の協業視野”. 日刊工業新聞. (2016年6月28日)
- ^ “JR上場4社、株式持ち合い拡大 九州への出資、3社1%超”. 日刊工業新聞. (2020年6月25日)
- ^ インフラ復旧 危機対応の物語(5)東日本旅客鉄道〔JR東日本〕過去の震災活かした鉄道員の一体感WEDGE REPORT(2011年5月20日)
- ^ JR発足30周年記念「JR7社共同企画 スペシャルツアー」の発売についてJR貨物プレスリリース(2017年10月17日)
- ^ “JRグループ、JR発足30周年記念「JR7社共同企画 スペシャルツアー」を発売”. 日本経済新聞. (2017-10-17日). オリジナルの2019年3月11日時点におけるアーカイブ。 2019年3月11日閲覧。
- ^ “正会員リスト”. 会員一覧. ACジャパン. 2025年1月8日閲覧。
- ^ 『九州旅客鉄道株式会社株式の売出しの実施について』(PDF)(プレスリリース)鉄道・運輸機構、2016年9月15日 。2016年9月15日閲覧。
- ^ “JR九州が完全民営化へ 「三島会社」で初、改正法成立”. 産経新聞. (2015年6月3日). オリジナルの2015年6月3日時点におけるアーカイブ。 2015年6月3日閲覧。
- ^ “JR九州の17年3月期、経常利益535億円 最高益で上場へ”. 日本経済新聞. (2016年5月27日). オリジナルの2016年5月27日時点におけるアーカイブ。 2016年5月20日閲覧。
- ^ 朝日新聞(夕刊). (1987年1月21日)
- ^ 参考リンク
- ^ a b c d e f g h i j k l m “87 JRグループ CIデザイン”. 株式会社日本デザインセンター. 2011年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月6日閲覧。
- ^ a b [1]
- ^ 登録第4323175号 - 特許情報プラットフォーム
- ^ 『国鉄清算事業団史 〜11年半のあゆみ〜』日本国有鉄道清算事業団、1998年10月21日、33頁。
関連項目
- 国鉄分割民営化
- JRTT
- JR線
- JRダイヤ改正
- 国鉄・JR線路名称一覧
- JRバス
- JRカード
- 二谷英明・白川由美
- ソフトバンクテレコム - JRが資本関係を持っていた鉄道通信および日本テレコムを主たる系譜とする企業。
- 遠くへ行きたい (テレビ番組) - 読売テレビが制作し、日本テレビ系列で放送されている紀行番組。国鉄時代からスポンサーとなっており、2022年3月までJRグループがスポンサーだった。
- 産経児童出版文化賞 - JR貨物を含むJR7社が協賛している。
外部リンク
ホセ・カンセコ
![]() 2009年1月27日 | |
基本情報 | |
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国籍 |
![]() |
出身地 |
![]() ハバナ |
生年月日 | 1964年7月2日(60歳) |
身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 250 lb =約113.4 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手、指名打者 |
プロ入り | 1982年 MLBドラフト15巡目 |
初出場 | 1985年9月2日 |
最終出場 | 2001年10月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について
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基本情報 | |
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本名 |
ホセ・カンセコ・カパス・ジュニア (José Canseco Capas, Jr.) |
通称 | メジャー最強ホームラン王 |
国籍 |
![]() |
生年月日 | 1964年7月2日(60歳) |
出身地 |
![]() ハバナ |
所属 | フリー |
身長 | 193cm |
体重 | 115kg |
階級 | ヘビー級 |
バックボーン | ムエタイ |
テーマ曲 | ワイルド・シング |
ホセ・カンセコ・カパス・ジュニア(José Canseco Capas, Jr. , 1964年7月2日 - )は、キューバ共和国ハバナ出身の元プロ野球選手(外野手、指名打者)。右投げ右打ち。メジャー通算462本塁打。1988年に二冠王とMVPに輝くなど1980年代中頃から1990年代後半にかけて活躍した。メジャー史上初のシーズン40本塁打40盗塁達成者である。
愛称は"The Chemist"(ザ・ケミスト)。
2005年に暴露本 『禁断の肉体改造』を出版してMLB選手の85%がアナボリックステロイドを使用している、もしくは使用した事があると述べ、大きな波紋を引き起こした。元MLB選手で、近鉄バファローズにも所属したオジー・カンセコは一卵性双生児の兄[2]。
経歴
プロ入り前
キューバのハバナに生まれ、両親がキューバ革命によって財産を没収された。1965年にフィデル・カストロ政権が反体制派のアメリカ合衆国への移住を認めたことに伴い、家族・従兄弟・親戚と共にフロリダ州マイアミへ移住した。マイアミにはキューバ人コミュニティが形成されており、ラファエル・パルメイロも同様にキューバから移住していた。
アスレチックス時代
1982年のMLBドラフトでオークランド・アスレチックスから15巡目に指名を受け、入団した。
映像外部リンク | |
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![]() 初めてスカイドームの5階席を直撃する本塁打(MLB.comによる動画) |
映像外部リンク | |
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![]() 飛球を頭に当てて本塁打にしてしまう珍プレー(MLB.comによる動画) |
映像外部リンク | |
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![]() 投手デビュー(MLB.comによる動画) |

1985年はマイナーリーグのAA級・AAA級合計で打率.333・36本塁打・127打点を記録し、9月2日の対ボルチモア・オリオールズ戦でMLB初出場。また、同年のベースボール・アメリカ・マイナーリーグ年間MVPを受賞した。
1986年はレギュラーを獲得し、前半戦で打率.274・23本塁打・78打点を記録、オールスターゲームに初選出された。後半戦は打率.196と調子を落とし、打率.240・175三振ながら33本塁打・117打点を記録。ウォーリー・ジョイナーを抑えて新人王に輝いた[3]。オフの日米野球でMLB選抜の一員として日本を訪れ、日本のファンにも強い印象を植え付けた。
1987年は31本塁打・113打点を記録し、同年に新人ながら49本塁打を放って本塁打王のタイトルを獲得した、マーク・マグワイアとのコンビはバッシュ・ブラザーズと呼ばれた。
1988年4月に「40-40(40本塁打40盗塁)を狙う」と宣言[4]。当時、この記録の達成者は皆無でメディアの反応も冷ややかだった。7月3日のトロント・ブルージェイズとの試合で1試合3本塁打。2年ぶりにオールスターゲームに選出され、初の先発出場を果たす。9月18日にはカンザスシティ・ロイヤルズのブレット・セイバーヘイゲンから40本目の本塁打を放つ。9月23日には40盗塁に到達し、史上初の40本塁打・40盗塁を達成。9月は打率.393・8本塁打で月間MVPを受賞した。最終的に打率.307・42本塁打・124打点・40盗塁、リーグトップの長打率.569を記録し、本塁打王・打点王の二冠を獲得し、チームの地区優勝に大きく貢献。ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦でロジャー・クレメンスから同点の2点本塁打を放つなど3本塁打を記録し、チームは4連勝でリーグ優勝。ロサンゼルス・ドジャースとのワールドシリーズでは第1戦の第1打席で満塁本塁打を放つが、チームは自身の頭上を越えるカーク・ギブソンの逆転サヨナラ本塁打で敗戦。その後は無安打で打率.053に終わり、チームも1勝4敗で敗退した。オフにMVPを満票で受賞し、シルバースラッガー賞も受賞した。
1989年は左手首を骨折して65試合の出場に留まるが、17本塁打・57打点を記録し、チームは地区連覇。ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第4戦で本塁打を放ち、リーグ連覇に貢献。ベイエリア・シリーズとして注目を集めたサンフランシスコ・ジャイアンツとのワールドシリーズでは、第3戦の試合開始前にロマ・プリータ地震がベイエリア一帯を襲ったため中止となり、10日間中断される。再開後の第3戦で3点本塁打を放つなど打率.357を記録し、チームは4連勝で15年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。
1990年は5月に打率.353・13本塁打と絶好調で2度目の月間MVPを受賞。途中に故障者リスト(DL)入りもあったものの37本塁打・101打点を記録するが、のちに再発する背中の違和感を覚え始める。レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.182と振るわなかったが、チームはリーグ3連覇。シンシナティ・レッズとのワールドシリーズでは安打が第2戦で放った本塁打のみと不振を極めたために第4戦では先発を外され、チームは4連敗で敗退した。2度目のシルバースラッガー賞を受賞した。
1991年は44本塁打・122打点の好成績で2度目の本塁打王のタイトルを獲得し、球団史上ジミー・フォックス以来となる2度目のシーズン40本塁打以上を記録。MVPの投票でも4位に入った。3度目のシルバースラッガー賞を受賞した。
レンジャーズ時代
1992年8月31日にジェフ・ラッセル、ルーベン・シエラ、ボビー・ウィットプラス金銭とのトレードでテキサス・レンジャーズへ移籍。
1993年5月26日の対クリーブランド・インディアンス戦でカルロス・マルティネスの放った打球を見失ってボールが頭に当たり、それがフェンスを越えて本塁打となる珍プレーを演じ、試合後にナショナル・プロフェッショナル・サッカーリーグのハリスバーグ・ヒートがプロサッカー選手としてのオファーを出した[5]。5月29日の対レッドソックス戦では1-12と大量リードを許し、ファンサービスの一環で8回に投手としてマウンドに上がったが、3失点を喫した上に肘を故障。6月23日を最後に離脱し、トミー・ジョン手術を受ける事になった。手術によりかつての強肩が衰え、翌年からは指名打者としての出場が多くなった。
1994年は6月13日の対シアトル・マリナーズ戦で3本塁打を含む5安打・8打点を記録。1994-95年のストライキでシーズンが8月に打ち切られたが、31本塁打・90打点と復活の兆しを見せ、カムバック賞を受賞。
レッドソックス時代
1994年12月9日にオーティス・ニクソン、ルイス・オルティスとのトレードでレッドソックスへ移籍した。
1995年は後半戦で打率.325・19本塁打と調子を上げ、打率.306・24本塁打・81打点を記録し、チームの地区優勝に貢献。クリーブランド・インディアンスとのリーグディビジョンシリーズでは13打数無安打と全く打てず、チームも3連敗で敗退した。
1996年は前半戦で打率.305・26本塁打・63打点と大活躍を見せるが、その後は故障で長期離脱し、96試合の出場に終わる。それでも28本塁打・82打点・出塁率.400・長打率.589の好成績だった。
古巣アスレチックス復帰
映像外部リンク | |
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![]() ヤンキー・スタジアムの3階席を直撃する本塁打(MLB.comによる動画) |
1997年1月27日にジョン・ワズディンプラス金銭とのトレードで古巣アスレチックスに復帰し、バッシュ・ブラザーズが復活したものの、マグワイアが7月末にトレードで移籍し、自身も故障で8月26日を最後に離脱して打率.235・23本塁打と期待外れに終わった。オフにフリーエージェント(FA)となった。
ブルージェイズ時代
1998年2月4日にブルージェイズと契約を結んだ。大きな故障も無くシーズンを過ごし、打率.237・リーグワーストの159三振ながら自己最高の46本塁打・29盗塁を記録した[6]。4度目のシルバースラッガー賞を受賞した。オフに再びFAとなる。
デビルレイズ時代
1998年12月11日にタンパベイ・デビルレイズと契約を結んだ。
1999年は4月14日の対ブルージェイズ戦で通算400本塁打を達成。前半戦で31本塁打・69打点を記録して7年ぶりにオールスターゲームに選出されたが、背中の故障により出場辞退。その後、椎間板ヘルニアの手術を受けて114試合の出場に留まった。
2000年は5月下旬から約2か月DL入り。ウェイバー公示された。
ヤンキース時代
2000年8月7日にニューヨーク・ヤンキースと契約を結んだが、目立った成績は残せなかった。チームはリーグ優勝を果たし、自身10年ぶりとなるニューヨーク・メッツとのワールドシリーズでは代打の1打席のみの出場で、結果は三振だった。
ベアーズ時代
2001年1月16日にアナハイム・エンゼルスと契約を結んだが、3月28日に放出された。その後に北米独立リーグ、カナディアン・アメリカンリーグのニューアーク・ベアーズで成績を残した。
ホワイトソックス時代
2001年6月21日にシカゴ・ホワイトソックスと契約を結び、16本塁打を記録。同年オフにはNPBの中日ドラゴンズが新外国人候補としてカンセコやマグワイア、アンドレス・ガララーガといった長距離打者たちをリストアップしていたが[7][8][9]、彼らには来日の意思はなく、獲得は実現しなかった[10]。
2002年2月21日にモントリオール・エクスポズと契約を結んだが、3月27日に放出された。4月24日にホワイトソックスと再び契約を結んだものの、MLB昇格はならずに10月24日に放出され、現役を引退した。
2004年にはロサンゼルス・ドジャースから現役復帰を試みたが、実現しなかった。
ステロイド疑惑
2005年2月13日放送、アメリカCBS放送の人気番組「60ミニッツ」のインタビューの中で、過去に筋肉増強剤のアナボリックステロイドを使用していた事を告白し[11]、MLB選手の多くが使用していると指摘して話題となった。翌14日に出版した暴露本 『禁断の肉体改造』[12] でもステロイド使用を認めた[13]。 その中でMLB選手の85%がステロイドを使用している、もしくは使用した事があると述べた。特にマグワイア、ジェイソン・ジアンビ、パルメイロ、イバン・ロドリゲス、フアン・ゴンザレスらは実名で書かれ、注射を射つ場面をカンセコが目撃したと書かれている。ほとんどの名指しされた選手はステロイド使用を否定した中、ジアンビはバルコ・スキャンダルの法廷で使用を認める供述を行った。また、この本は、暴露本として使用を告発するような内容でも自らの使用を後悔するような内容でもなく、『ステロイドって凄い薬だ! ホームランもガンガン打てるし、アレもでっかくなってモテモテで超ハッピー。副作用も全然無いね。みんなもやりなよ!』という使用を推奨する論調で、不謹慎であるとして批判を多く浴び、結果として本が有名になってしまい、ベストセラーとなった。
ステロイドで出来上がった肉体はベンチプレス270kgをマークした。これはステロイド時代においても類を見ない記録であったという。
2005年3月17日から開かれたステロイド疑惑に関する合衆国下院公聴会では、パルメイロが自身の薬物使用を否定した一方で、マグワイアは自身の使用に関する質問に対する返答を拒んだりするなど不審な答弁が目立った。なお、パルメイロは同年8月1日に薬物検査で陽性となり、10日間の出場停止処分を受けた。
カンセコ自身はステロイドの副作用を否定しているが、元妻ジェシカ・カンセコの自伝によれば、初めて性的関係を持った際に異常に巨大化した陰茎に反して萎縮した睾丸(ステロイド剤を使用すると精子が死滅し睾丸が萎縮する)を目にした事、子作りの際に精子を復活させるため一年間ステロイドの使用を止めたところ、禁断症状により躁うつ状態に陥っていたとされる。
後年日刊ゲンダイのインタビューを受けた際には薬物使用を寧ろ忌避する立場を取り、過去のステロイド使用を過ちとして述懐していた[14]。
北米独立リーグ時代


2006年6月29日にゴールデンベースボールリーグのサンディエゴ・サーフドーグズと1年契約を結んだ。6度のMLBオールスターゲーム出場経験があるカンセコだが、独立リーグでの給料はリーグで定められている最高額の月給2500ドルであった。リーグ発表によると、カンセコはドーピング検査に協力すると述べているとされている。しかし直後の7月5日にロングビーチ・アーマダへトレードされた。本人の希望によるもので、理由は「家庭内事情」と述べている。7月31日のリーグの本塁打競争では優勝を飾った。同リーグのオールスターゲームでは余興として投手も務めた(結果は3.1回を投げて3被安打・1与四球・4失点)。
2010年8月14日にユナイテッドリーグ・ベースボールのラレド・ブロンコスと指名打者兼ベンチコーチとして契約を結んだ。
2011年4月11日にノース・アメリカンリーグのユマ・スコーピオンズの選手兼任監督に就任した。
2012年2月にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのキンタナロー・タイガースと契約したが、薬物の過剰摂取から体内でテストステロンを分泌出来なくなり、「テストステロン促進薬を使用しないと生きられない」としてドーピング検査を拒否したために出場停止処分を受けた[15]。4月20日にカナディアン・アメリカンリーグのウースター・トルネードズとの契約が発表されたが[16]、給料への不満から20試合の出場に留まった。8月3日にノース・アメリカンリーグのリオグランデバレー・ホワイトウィングスと契約したが[17]、「家庭内事情」のために1試合も出場せずに終わった[18]。
2013年5月19日に選手兼任コーチとしてユナイテッドリーグ・ベースボールのフォートワース・キャッツと契約を結んだ事が発表された[19]。同年限りで退団。
2015年はパシフィック・アソシエーションのソノマ・ストンパーズとピッツバーグ・メトルでプレーした。
2018年はフロンティアリーグのノーマル・コーンベルターズで3試合に出場したが、3打席ともに三振に終わった。
人物
ボクサーとして
2008年7月12日に身長5フィート9インチ(約175cm)で元NFL選手のバイ・シカヘマとボクシングのセレブリティーマッチで対戦したが、最初のラウンドでノックアウト(KO)負けを喫した[20]。
2009年1月24日に元人気子役で俳優のダニー・ボナデュースと対戦したが、3ラウンドまで闘った末、引き分けに終わった[21]。
2009年11月6日にトッド・ポールトンと対戦し判定勝ちを収めた。
2021年2月5日には56歳にしてスポーツメディア「バースツール・スポーツ」の22歳のインターン記者、ビリー・フットボールと対戦し1回KO負けを喫した[22][23]。
総合格闘家として
大の格闘技好きであり、「私は空手、テコンドー、ムエタイの黒帯レベルに達している」と豪語している[24]。
2009年5月26日には44歳にして総合格闘技イベントのDREAMに挑戦。DREAM.9のスーパーハルクトーナメント1回戦でチェ・ホンマンと対戦し、パウンドでKO負けを喫した[25]。
お騒がせ男
スキャンダルの多さでも有名である。
1989年2月10日に州間高速道路95号線を120mph(約193km/h)で走行し、15マイル(約24km)の逃走の末に逮捕。5月に有罪判決が下り、罰金500ドルを課せられた[26]。
1989年4月11日にカリフォルニア州で半自動拳銃を不法所持していたとして逮捕[27]。2500ドルで保釈された。
1991年にマドンナと不倫関係にあった事を後年に暴露している[28]。
1992年2月13日に高速道路を走行中の元妻エッサー(1988年11月に結婚、1991年に離婚)の車にわざと自分の車をぶつけた疑いなどDVで起訴されたが、3月19日に無罪を申し立てた[29]。のちにカウンセリングを受講し、地域での奉仕活動の義務を果たした。
1996年8月27日にジェシカと再婚したが、翌1997年11月に暴行の疑いで逮捕。接見禁止とカウンセリングの受講という判決が下され、1999年に正式に離婚が成立した。
2001年10月31日に双子の兄オジー・カンセコと一緒にマイアミ・ビーチのナイトクラブでカリフォルニア州からの旅行客2人とケンカになり、1人は鼻骨折、もう1人は唇に20針の大ケガを負わせた。2002年11月5日に3年間の保護観察処遇と250時間の社会奉仕活動に同意した[30]。
2003年6月にステロイドの検査で陽性反応を示し、執行猶予違反のために自宅で逮捕された。1か月間を刑務所の中で過ごした[31]。
2008年5月には2人との離婚費用で700から800万ドルがかかり、カリフォルニア州ロサンゼルスの自宅が差し押さえられたことを明らかにした[32]。
2008年10月10日にメキシコからカリフォルニア州サンディエゴへ入る国境を車で通過する際に検問を受け、ステロイド密輸の疑いで税関に拘束された。11月4日に執行猶予1年の判決を言い渡された[33]。
2013年1月2日にカナダのトロントの次期市長選に立候補をする意思がある事を明らかにしたが、同月4日には市民権を早急に取得する手立てがないとして出馬を断念した[34]。
2013年5月22日にフィットネスクラブのインストラクターの女性に薬物を飲ませて性的暴行をした容疑が持ち上がった[35]。カンセコは潔白を主張し、激怒して女性の写真、住所、名前や職場などの個人情報をTwitterで次々と公開した。警察による調査終了後の6月7日に刑事告発が見送られる事が明らかになった[36]。
2013年11月20日にペット用に購入したヒツジ2頭にオムツを履かせ、車に乗せて家に帰る途中、職務質問を受けた事をTwitterで明かした。「途中で小便や糞をしたら大変だから履かせた」と事情を説明して、警察官に大笑いされたという[37][38]。
2014年10月28日に拳銃を掃除している最中に誤射して負傷[39]。その影響で11月には、左手中指が取れてしまったと自身のツイッターで明かし、「最悪だ。最初から切断すべきだった」などとつぶやいた[40]。同月、自身の指を奪った拳銃をネットオークションに出品する意向を明かし、「メジャー通算462本塁打を放った中指もストローとして使えるかもしれないので同梱する」とつぶやいた[41]。後日、指が取れたのは嘘で、カンセコのいたずらだったと報じられた[42]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1985 | OAK | 29 | 100 | 96 | 16 | 29 | 3 | 0 | 5 | 47 | 13 | 1 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 31 | 1 | .302 | .330 | .490 | .820 |
1986 | 157 | 682 | 600 | 85 | 144 | 29 | 1 | 33 | 274 | 117 | 15 | 7 | 0 | 9 | 65 | 1 | 8 | 175 | 12 | .240 | .318 | .457 | .775 | |
1987 | 159 | 691 | 630 | 81 | 162 | 35 | 3 | 31 | 296 | 113 | 15 | 3 | 0 | 9 | 50 | 2 | 2 | 157 | 16 | .257 | .310 | .470 | .780 | |
1988 | 158 | 705 | 610 | 120 | 187 | 34 | 0 | 42 | 347 | 124 | 40 | 16 | 1 | 6 | 78 | 10 | 10 | 128 | 15 | .307 | .391 | .569 | .959 | |
1989 | 65 | 258 | 227 | 40 | 61 | 9 | 1 | 17 | 123 | 57 | 6 | 3 | 0 | 6 | 23 | 4 | 2 | 69 | 4 | .269 | .333 | .542 | .875 | |
1990 | 131 | 563 | 481 | 83 | 132 | 14 | 2 | 37 | 261 | 101 | 19 | 10 | 0 | 5 | 72 | 8 | 5 | 158 | 9 | .274 | .371 | .543 | .914 | |
1991 | 154 | 665 | 572 | 115 | 152 | 32 | 1 | 44 | 318 | 122 | 26 | 6 | 0 | 6 | 78 | 8 | 9 | 152 | 16 | .266 | .359 | .556 | .915 | |
1992 | 97 | 421 | 366 | 66 | 90 | 11 | 0 | 22 | 167 | 72 | 5 | 7 | 0 | 4 | 48 | 1 | 3 | 104 | 15 | .246 | .335 | .456 | .791 | |
TEX | 22 | 91 | 73 | 8 | 17 | 4 | 0 | 4 | 33 | 15 | 1 | 0 | 0 | 0 | 15 | 1 | 3 | 24 | 1 | .233 | .385 | .452 | .837 | |
'92計 | 119 | 512 | 439 | 74 | 107 | 15 | 0 | 26 | 200 | 87 | 6 | 7 | 0 | 4 | 63 | 2 | 6 | 128 | 16 | .244 | .344 | .456 | .799 | |
1993 | 60 | 253 | 231 | 30 | 59 | 14 | 1 | 10 | 105 | 46 | 6 | 6 | 0 | 3 | 16 | 2 | 3 | 62 | 6 | .255 | .308 | .455 | .763 | |
1994 | 111 | 505 | 429 | 88 | 121 | 19 | 2 | 31 | 237 | 90 | 15 | 8 | 0 | 2 | 69 | 8 | 5 | 114 | 20 | .282 | .386 | .552 | .939 | |
1995 | BOS | 102 | 450 | 396 | 64 | 121 | 25 | 1 | 24 | 220 | 81 | 4 | 0 | 0 | 5 | 42 | 4 | 7 | 93 | 9 | .306 | .378 | .556 | .934 |
1996 | 96 | 432 | 360 | 68 | 104 | 22 | 1 | 28 | 212 | 82 | 3 | 1 | 0 | 3 | 63 | 3 | 6 | 82 | 7 | .289 | .400 | .589 | .989 | |
1997 | OAK | 108 | 446 | 388 | 56 | 91 | 19 | 0 | 23 | 179 | 74 | 8 | 2 | 0 | 4 | 51 | 1 | 3 | 122 | 15 | .235 | .325 | .461 | .786 |
1998 | TOR | 151 | 658 | 583 | 98 | 138 | 26 | 0 | 46 | 302 | 107 | 29 | 17 | 0 | 4 | 65 | 5 | 6 | 159 | 7 | .237 | .318 | .518 | .836 |
1999 | TB | 113 | 502 | 430 | 75 | 120 | 18 | 1 | 34 | 242 | 95 | 3 | 0 | 0 | 7 | 58 | 3 | 7 | 135 | 14 | .279 | .369 | .563 | .931 |
2000 | 61 | 264 | 218 | 31 | 56 | 15 | 0 | 9 | 98 | 30 | 2 | 0 | 0 | 1 | 41 | 1 | 4 | 65 | 5 | .257 | .383 | .450 | .832 | |
NYY | 37 | 137 | 111 | 16 | 27 | 3 | 0 | 6 | 48 | 19 | 0 | 0 | 0 | 3 | 23 | 1 | 0 | 37 | 2 | .243 | .365 | .432 | .797 | |
'00計 | 98 | 401 | 329 | 47 | 83 | 18 | 0 | 15 | 146 | 49 | 2 | 0 | 0 | 4 | 64 | 2 | 4 | 102 | 7 | .252 | .377 | .444 | .820 | |
2001 | CWS | 76 | 306 | 256 | 46 | 66 | 8 | 0 | 16 | 122 | 49 | 2 | 1 | 0 | 4 | 45 | 1 | 1 | 75 | 4 | .258 | .366 | .477 | .843 |
MLB:17年 | 1887 | 8129 | 7057 | 1186 | 1877 | 340 | 14 | 462 | 3631 | 1407 | 200 | 88 | 1 | 81 | 906 | 64 | 84 | 1942 | 178 | .266 | .353 | .515 | .867 |
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1993 | TEX | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 8 | 1.0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 27.00 | 5.00 |
MLB:1年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 8 | 1.0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 27.00 | 5.00 |
年度別守備成績
- 投手守備
年 度 |
球 団 |
投手(P) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
1993 | TEX | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
MLB | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
- 外野守備
年 度 |
球 団 |
左翼(LF) | 中堅(CF) | 右翼(RF) | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
1985 | OAK | 13 | 32 | 1 | 1 | 1 | .971 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 16 | 23 | 0 | 2 | 0 | .920 |
1986 | 124 | 236 | 4 | 10 | 1 | .960 | - | 46 | 79 | 0 | 4 | 0 | .952 | ||||||
1987 | 130 | 267 | 12 | 7 | 3 | .976 | - | - | |||||||||||
1988 | - | - | 144 | 300 | 11 | 7 | 3 | .978 | |||||||||||
1989 | - | - | 56 | 120 | 5 | 3 | 2 | .977 | |||||||||||
1990 | - | - | 88 | 183 | 5 | 1 | 2 | .995 | |||||||||||
1991 | - | - | 131 | 245 | 5 | 9 | 0 | .965 | |||||||||||
1992 | - | - | 77 | 163 | 5 | 2 | 3 | .988 | |||||||||||
TEX | - | - | 13 | 32 | 0 | 1 | 0 | .970 | |||||||||||
'92計 | - | - | 90 | 195 | 5 | 3 | 3 | .985 | |||||||||||
1993 | - | - | 49 | 96 | 4 | 3 | 2 | .971 | |||||||||||
1995 | BOS | - | - | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
1996 | 10 | 13 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | - | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||
1997 | OAK | 19 | 25 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | - | 27 | 50 | 1 | 5 | 0 | .911 | |||||
1998 | TOR | 50 | 82 | 3 | 4 | 2 | .955 | - | 26 | 35 | 1 | 1 | 0 | .973 | |||||
1999 | TB | 6 | 7 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | ||||||||||
2000 | NYY | 4 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | 1 | 3 | 0 | 2 | 0 | .600 | |||||
2001 | CWS | - | - | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
MLB | 356 | 668 | 23 | 22 | 7 | .969 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 679 | 1335 | 37 | 40 | 12 | .972 |
- 各年度の太字はリーグ最高
獲得タイトル
表彰
- シーズンMVP:1回 (1988年)
- 新人王 (1986年)
- シルバースラッガー賞:4回 (1988年、1990年、1991年、1998年)
- 月間MVP:2回 (1988年9月、1990年5月)
- カムバック賞 (1994年)
記録
- オールスターゲーム選出:6回 (1986年、1988年 - 1990年、1992年、1999年)
背番号
- 33 (1985年 - 1997年)
- 00 (1998年)
- 33 (1998年)
- 44 (1998年)
- 33 (1999年 - 2000年)
- 31 (2001年)
総合格闘技戦績
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
1 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
0 勝 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1 敗 | 1 | 0 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | チェ・ホンマン | 1R 1:17 KO(パウンド) | DREAM.9 フェザー級グランプリ2009 2nd ROUND 【スーパーハルクトーナメント 1回戦】 |
2009年5月26日 |
ボクシング戦績
プロボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
4 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
1 勝 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | |
2 敗 | 2 | 0 | 0 |
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
4 | 2021年2月5日 | 敗北 | 1R | KO | ビリー・フットボール | ![]() |
|
3 | 2009年11月6日 | 勝利 | 判定 | トッド・ポールトン | ![]() |
||
2 | 2009年1月24日 | 引分 | 3R | 判定 | ダニー・ボナデュース | ![]() |
|
1 | 2008年7月12日 | 敗北 | 1R | KO | バイ・シカヘマ | ![]() |
|
テンプレート |
脚注
- ^ “Jose Canseco says he’d be glad to replace Rob Ford as Toronto’s mayor, but what would his platform look like?” (英語). National Post. 2013年3月18日閲覧。
- ^ “Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars” (英語). Bleacherreport.com. 2012年3月25日閲覧。
- ^ ““Baseball Awards Voting for 1986” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年8月31日閲覧。
- ^ “Jose Canseco's 40-40 Vision Starting to ComeIntoFocus”. Los Angeles Timeslanguage=英語. 2013年7月13日閲覧。
- ^ “SPORTSPEOPLE:SOCCER;Unintended 'Header' Earns Canseco an Offer” (英語). TheNew York Times. 2013年7月2日閲覧。
- ^ “大谷翔平 ボンズ、カンセコらに並ぶ6人目の45本塁打25盗塁 元広島ソリアーノも”. デイリースポーツ online (2021年9月30日). 2022年8月25日閲覧。
- ^ 「中日 獲得候補にマグワイア」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2001年12月12日。オリジナルの2002年2月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「中日がマグワイア獲り? カンセコも候補」『スポーツ報知』報知新聞社、2001年12月11日。オリジナルの2001年12月14日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「中日がマグワイアを候補に/ガララーガ、カンセコも」『四国新聞』四国新聞社、2002年12月11日。オリジナルの2024年4月21日時点におけるアーカイブ。2024年4月21日閲覧。
- ^ 「第2のローズ探せ!石井編成担当を米大へ派遣」『中日スポーツ』中日新聞社、2001年12月31日。オリジナルの2002年4月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ “Canseco: Steroids made baseball career possible” (英語). USA Today. 2013年6月21日閲覧。
- ^ 日本語訳版はJose Canseco 著、ナガオ勝司 訳『禁断の肉体改造』2005年。ISBN 978-4583038735。
- ^ Jose Canseco (2006). Juiced: Wild Times, Rampant 'roids, Smash Hits, And How Baseball Got Big. ISBN 978-0060746414
- ^ メジャーの薬物禍を暴露した元強打者ホセ・カンセコは今… 日刊ゲンダイ 2015年7月2日
- ^ “カンセコ出場停止 ドーピング検査拒否で”. 日刊スポーツ. 2013年4月20日閲覧。
- ^ “Slugger Jose Canseco signs with Worcester Tornadoes” (英語). Telegram.com. 2013年4月20日閲覧。
- ^ “Jose Canseco set to play Saturday” (英語). ESPN. 2013年3月18日閲覧。
- ^ “From Canseco to 'Manseco'” (英語). The Kingston Whig-Standard. 2013年4月20日閲覧。
- ^ “Ex-Ranger Jose Canseco to play series with Fort Worth Cats at age 48, face twin brother” (英語). The Dallas Morning News. 2013年6月19日閲覧。
- ^ “元MLBホセ・カンセコ氏 1RKO負け”. AFPBB News. 2013年4月20日閲覧。
- ^ “Jose Canseco and Danny Bonaduce Fight Ruled a Draw” (英語). Larry Brown Sports. 2013年4月20日閲覧。
- ^ “Ex-baseball star Jose Canseco accused of taking a dive in boxing match after being knocked out in just TEN SECONDS”. The Irish Sun (2021年2月6日). 2021年2月9日閲覧。
- ^ “Video: Former MLB star Jose Canseco TKO’d in boxing match by some random intern”. Bloody Elbow (2021年2月5日). 2021年2月9日閲覧。
- ^ “Jose Canseco: Guardian of Truth” (英語). ESPN. 2013年6月20日閲覧。
- ^ “<格闘技>チェ・ホンマン、豪勢カンセコに1ラウンドTKO勝”. Innolife.net. 2013年4月20日閲覧。
- ^ “Broward Judge Fines Canseco $500” (英語). Sun-Sentinel. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “A's Canseco Is Arrested” (英語). The New York Times. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “【イタすぎるセレブ達】あのホセ・カンセコがマドンナとの不倫を激白!”. Techinsightjapan. 2013年3月28日閲覧。
- ^ “SPORTS PEOPLE: BASEBALL; Canseco Enters Plea” (英語). The New York Times. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “Canseco twins plead guilty to felony” (英語). CBC.ca Sports. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “Canseco Sent Back To Jail For A Month” (英語). Sun-Sentinel. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “Jose Canseco Loses Home To Foreclosure” (英語). CBSNews.com. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “Stay Away Jose Canseco” (英語). Chicagonow.com. 2013年3月19日閲覧。
- ^ “Jose Canseco wants to run for Toronto mayor, but first he needs to ‘work out the citizen thingg’” (英語). National Post. 2013年6月19日閲覧。
- ^ “Jose Canseco accused of sexual assault in Las Vegas” (英語). SportingNews.com. 2013年6月20日閲覧。
- ^ “Jose Canseco Cleared In Las Vegas Rape Case” (英語). FOXNews.com. 2013年6月20日閲覧。
- ^ JoseCansecoのツイート(403315055594176512) 2014年1月30日閲覧。
- ^ JoseCansecoのツイート(403567569149255680) 2014年1月30日閲覧。
- ^ “元MLBのカンセコ氏、誤って自身の手に発砲 米報道”. AFP通信 (2014年10月29日). 2014年11月19日閲覧。
- ^ “カンセコ氏 まさかの悲劇…拳銃誤射の影響で左手中指取れる”. スポーツニッポン (2014年11月16日). 2014年11月19日閲覧。
- ^ “ウソ?ホント?カンセコ氏がネットオークションに出品した物とは…”. スポーツニッポン (2014年11月18日). 2014年11月19日閲覧。
- ^ “拳銃誤射で指取れたカンセコ氏「ポーカー中」はうそだった”. スポーツニッポン (2014年11月22日). 2014年11月22日閲覧。
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 C
- 兄弟スポーツ選手一覧
- 双子の有名人の一覧
- キューバ出身のメジャーリーグベースボール選手一覧
- トリプルスリー
- 30-30クラブ
- メジャーリーグベースボールのドーピング問題
- ミッチェル報告書に記述された選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Jose Canseco (@JoseCanseco) - X(旧Twitter)
- ホセ・カンセコの戦績 - SHERDOG
- DREAM公式サイト(選手データ)
- ホセ・カンセコの戦績 - BoxRec
Jr.(ジュニア)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/10 01:47 UTC 版)
「旅だて!Jr.」の記事における「Jr.(ジュニア)」の解説
和樹から分離した身体の一部分。一見象の頭部のような姿形をしていて、本来は存在しない眼と口のような器官がある。
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「JR」の例文・使い方・用例・文例
- JR 東日本では新しい特急列車の愛称を募っております.
- JR のダイヤは 10 月に大幅改正の予定である.
- JRの1等の客車
- JRの長距離寝台特急列車
- グリーン周遊券という,JRの周遊割引乗車券
- 緑の窓口というJRの指定券や長距離切符を扱う窓口
- 東京23区のJR東日本と都営の両交通機関に使える乗車切符
- 10月1日,東海道新幹線の列車が,東京駅と新横浜駅の間のJR品川駅に停車するようになった。
- その上,JR東海は,のぞみの本数を増やした。
- JR東海と鉄道総合技術研究所が,共同で山梨リニア実験線に取り組んでいる。
- 列車が時速581キロで問題なく走行したので,JR東海は自信を得て,「リニアモーターカーは余裕を持って時速500キロで走行できる。実際の営業において安全であることを確信している。」と話した。
- 日本中央競馬会(JRA)のトップジョッキー,武(たけ)豊(ゆたか)騎手が,3月22日に開催されるレースで同馬に騎乗することになったのだ。
- 昨年,武騎手は,JRAの歴史上初の,年間200レースで勝利した騎手となった。
- N700系というその新型車両は,東海旅客鉄道(JR東海)と西日本旅客鉄道 (JR西日本)によって共同で開発された。
- 兵庫県尼(あまが)崎(さき)市で4月25日,西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線快速電車が脱線し,マンションに衝突した。
- この事故はJR史上最悪の鉄道惨事の1つとなった。
- 兵庫県警は,JR西日本が事故に対して刑事責任を負うかどうか詳しく調べるつもりだ。
- JR西日本はまた,事故後の職員の行動についても批判されている。
- 加えて,事故のことを知っていた参加者がいたにもかかわらず,43人のJR西日本の職員が事故当日ボウリング大会を開いていた。
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)は,3月1日,次世代新幹線の試験モデルをマスコミに披露した。
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