超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

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創作やるモチベーションが弱くなってる。何のために作るのか?

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創作やるモチベーションが弱くなってる。何のために作るのか?

創作をやるモチベーションが弱くなっている。


ちょっと生活の方向性が色々とぶれてるなーと思って、軌道修正する必要性を感じておる。イラストを描きたいと思ってるのに、休日もスケジュールを詰め込んでしまって、手掛けている絵を完成させることが出来ない。今は玲と真輝のイラストを描いているのだけど、できれば3月いっぱいでは完成させたい。


自分は小説を書いたりイラストを描いたりして創作のエンジョイ勢なんだけど、最近、作品を作るスピードが遅くなりすぎててモチベーションを維持するのがしんどいのだなと気がついた。小説の作品完成させるのは下手したら数年掛かりで一つしか書けないし、イラストに関しても玲と真輝のイラストを仕上げるのに1月半ぐらい時間かかってるよね。


生活の中でやりたい事がたくさんあるのよ。生活の方針としては「仕事」「ブログ執筆」「イラスト」「筋トレ」を頑張ると決めてあるけど、できれば本も沢山読みたいし、プログラミングやコンピュータサイエンスなどの技術的な事も勉強したいし、英語や数学も勉強してみたい。どんなに日常生活の最適化を行っても、1日は24時間だし、与えられた時間を効率的に勉強できる時間に割り振らないと、すべての事が中途半端になってしまって結局、何も成し遂げることができない。


僕は創作をやるのは自己満足のためであるし、何か書いてる時に自分が楽しければよいかー的な甘っちょろい考え方をしているのだけど、このモチベーションの置き方をしてると結局作品をあんまり書かずに、創作の習慣自体が消えてしまいそうだなと危惧してしまう。生活の中には創作活動以外にもやりたい事がたくさんあるので、その中から創作活動をやろうと思うためには自分を駆動させるための燃料が必要となる。こりゃ、どうしたもんかと考察するために今日のブログを書く。

そもそも作った作品にレスポンスが要るのか?


僕が何か作品を作るのは、主に自分が二次創作などで好きなキャラクターを愛でるためだったりとか、頭の中で思いついたシチュエーションをどうにかして言語化したいという衝動から始まる。それで作り上げた作品は、自分が読み返してニヤニヤするための自分用のコンテンツだったりするので、これを他人に読ませて喝采を受けようだとかそういう気持ちが薄い。


ブログに関してもそうなんだけど、自分は統失のリハビリのために毎日書くと決めているから毎日書いているのであり、これによって生活リズムが整えばよかったのだ。他にも目標としては文章がうまくなることで小説で表現の幅を広げたいとかそういう思惑もあったけど、その目的はサブであってメインではない。


ブログに関しては僕は「毎日ブログを書く人」というアイデンティティを持っているのである。僕は毎日ブログで2000字書くと決めているから、PVとか収益は二の次で、自分が書いていて気持ちよくなるような文章を書くというモチベーションで書いている。


実際まぁ、習慣というのはアイデンティティを強化していく事なので、何か反響などがなくても自分は毎日書く人だと思ってる人は毎日書く。毎日書くという習慣で自分のアイデンティティは強化されていって実際に毎日書く人になってゆく。


読書猿さんがこんな事を書いていた。


diamond.jp

では自分が何故書くのか、何に駆動されて書いてきたのかといえば、承認よりもむしろ必要によってだと思います。その必要を満たしてくれるなら他の人が書いてくれてもいい(むしろその方がいい)のですが、散々遂巡した後に、自分の必要を満たすものは他の誰も書いてはくれないのだと認めざるを得なくなりました。

 私が書くのは、頭の中を掃除するため、言葉に可能なことを知りたいため等いろいろありますが、書いたものを誰かに見せるのは、自分がたくさんの先人から受け取ってきたものを、(いるかどうかも分かりませんが)「次の人」に手渡すためです。これが才能も能力もない私が、誰にも求められず/認められずに書き続けてきた理由です。

「いいね」が全くつかなくても、作品を発表し続ける意味はあるのか | 独学大全 | ダイヤモンド・オンライン


読書猿さんほど高尚な目的は僕にはないですな。僕が書くのは自分が気持ちよくなるためだし、書いた文章を公開しているのは、自分の内心を言語化して表現してできた成果物に対してレスポンスを受けることで自分の書いているものの方向性が間違ってないか確認するためである。


僕は表層的なデカイ態度ほど自分に期待はしてないので、自分みたいな色物が万人受けするとは思ってない。なので、たまにコメントをもらったりしたら凄い嬉しい。でも、バズっても間違った方向性で絶賛されて調子にのって頓珍漢な行動をしてしまっても困る。これで超新星のように燃え尽きた人達はネットで長い間ふらふらして沢山見てきた。たまに一言二言通りすがりからコメントをもらうぐらいの評価で良いやと思ってるのだ。


むしろ反応を期待してない所で良いコメントをもらったりすると、期待してないだけに超嬉しい。僕は低評価でネットで書き綴る事に慣れっこになってしまってるので、わずかな刺激でも満足できる体質になっている。ブログを長く続けられる人はそういう人多そうですけどね。

まとめ


結局ブログの話になったけど、創作でも完璧主義を辞めて、小さな作品であっても短いスパンで完成させて成果物を作るのが肝心なのかな?と思った。なんだかんだ言ってブログが続いているのは毎日細かな成果物を完成させて自分の中に「毎日更新する人」というアイデンティティを完成させたおかげだし、成果物の量を仕上げないとモチベーションも上がらない。これをネットに発表するのは、読まれなくても他人の目を意識することで自分を創作する人として駆動するための仕組みづくりだし、それで創作の腕も成長して自分の理想とする作品が作れるようになれば嬉しい。まずは今の作品を完成させることかなー。

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