超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

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「インサイド・ヘッド2」を観てきた。

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「インサイド・ヘッド2」を観てきた。


今日は朝は耳鼻科に行ってきて、その後、コーヒーを買うのと映画を観るためにパルコシティへ行ってきた。その間、一時間ばかし時間があったのでニュースレターを書いた。


www.ituki-yu2.net


ニュースレターは本当、自分の好き勝手書く場所に使ってるけど、あんまり私的すぎることは書かないように気をつけないとなーと思った。書いても拡散しないから比較的安全なのはいいのだが、どうも僕自身が本当こんなこと書いて流して大丈夫か? と心配になってしまうのである。基本、ビビりなんで。


ニュースレターを書いたのち、映画館で「インサイド・ヘッド2」を観てきた。それなりに面白いところもあるし、考えさせられるなと思ったが、いろいろと引っ掛かる点もあった。なんというか、多様性というのは確かに大事ではあるのだが、フィクションの中でこんなに綺麗に整理されてちゃんと結論で大団円で完結する多様性を見ていると引っ掛かりを感じるというか。


わかんない、自分の考えすぎなのかもしれないが、どうも物語が綺麗にまとまりすぎていて「公正世界仮説」とかそんなキーワードが頭に浮かぶのである。僕自身、ハッピーエンドは好きで書いてる物語は全部ハッピーエンドにするようにしてるけど、濁りがなくて綺麗にまとまりすぎてる物語というのは人為的な操作を感じてなんかダメ。


学ぶところはたくさんあった。確かに、人間の心理というのは綺麗な記憶や感情だけを残しておこうとしてもダメだよなというのは分かる。だけど、人間の心ってもっとドロドロしていて、簡単な結論では割り切れないものであり、色々な感情たちが危機に立ち向かって最後は大団円という物語に関しては、もうちょっと捻りが欲しいというか、綺麗事だけで終わりにしてほしくなかった。


しかしまー、ピクサーの作ってる作品であるし、これはおそらく子供向けも想定されてるだろう。映画の前に流れてる広告なんかも子供向け映画の紹介ばかりであったし、余計なことは考える必要がないのかもしれない。


なんか、こういう作品にイデオロギーを感じてしまうというのは、僕が随分と汚されてるんだろうな。世の中では宗教や信条の違いで戦争まで起きているのに、全てのバラバラの多様性を持った人々がわだかまりもなしに素直に理解して和解してしまうというのに、人為的な意図なんかを考えてしまう。


こういう時代での物語がなにが正解なのかは考えないとならないのだろう。僕の深読みのしすぎのせいかもしれないのであるが、どうもインサイド・ヘッド2にはなにかしらの思想が入りすぎてる気がしたというか、どうも、多様性を強く意識しすぎてる感じがした。


なんでこの作品にここまで違和感を感じたのか分かんないんだけど、どうも単純なエンタメ作品とも違った色合いを感じたというか、物語として面白く作ってもいるけどなにかしらの根底に流れてる思想性を強く感じてしまった。西洋流のポリコレというか、それとは人種がたくさん出てるとかでもないので違うのだけど、どうも予定調和を強く感じてしまう。


現実世界と心の中の世界の二重になっていて、その中でもたくさんのキャラクターが出てくるので、物語として流れを作っていくのが難しいやつだとは思う。だけど、その中で個性的なキャラクターたちにそれぞれ見せ場を作ってやり、最後には全員収まるところに収まるという感じなのは、さすがピクサーだなという感じ。


しかし、キャラクターに意外性がそんなにない感じというか、心の働きをキャラクター化したらこんな負の側面もあるよねというのが教科書通りに書かれてる感じというか、ちょっとステレオタイプを感じてしまったのである。


物事には良いことと悪いことの二面性がある。それはポジティブな感情でもネガティブな感情でもそうなのだけど、その割には物語の流れの中では結局、ポジテティブな感情の「喜び」が頑張って全ての問題を解決してしまい、ネガティブな感情の「心配」とも最後は和解しておしまい。嫌な感情や記憶も人格の形成の中では必要なことなんだよ、ということを物語のテーマとして語られてるのだけど、その割には随分と勧善懲悪っぽい綺麗事で物語が構成されてるような気がしてならんのである。


この作品の語ろうとしてるテーマでは、もっとネガティブな記憶を押し殺す危険性とかネガティブな感情の良さなどの側面をちゃんと描かないとならないかなと思うのだが、それでは物語性が成り立たないと思ったのか、そういうテーマに関しては抽象的なアイテムの扱いでまとめて綺麗事にされている。ネガティブな感情や記憶は必要なんだよというテーマを描こうとしつつも、物語全体の流れで結局最後は善性の主人公たちが混乱に打ち勝ってめでたしめでたしというのは、テーマとなる感情の暗い側面を無視してるのと一緒だと思う。


エンタメ作品だからこれでいいんだよ! って言われるかもしれないけど、おっさんの自分がこんな風に感じることというのは、子供はもっと強く感じると思うんだよね。子供は本質的なことを見抜いたりするので、こういう製作者の顔が見えすぎる物語というのはあんまハマらんと思うけどね。


小難しいことを言ってる自覚はある。どうも、僕が映画を観るときはこんな風に考えたりしながら見るのである。フツーに「喜び」たちが頑張ってる姿は可愛いもんであるし、個性豊かなキャラクターたちが活躍する物語を楽しみたいという人ならばいいかもしれない。

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