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コラム
第8回 韓国IMF危機の「リアル」――映画『国家不渡りの日』
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050667
2019年1月
(2261字)
追記(2019年9月10日)
本記事で紹介した映画は2019年11月に日本で上映されます(邦題は「国家が破産する日」)。本記事は日本での上映が発表される前に書かれたものであり、ネタバレを含むものですのでご注意ください。
韓国の人々にとって1997年の通貨危機は、自らあるいは身近な人々の生活を一変させてしまった、決して忘れることのできない大事件である。外貨の急速な流出に直面した韓国政府は1997年11月21日、国際通貨基金(IMF)に緊急融資を申請した。これを契機に総合金融会社と呼ばれるノンバンクがすべて営業停止となり、金融システムは麻痺状態に陥った。大企業、中小・零細企業を問わず企業の倒産が相次いで、多くの人々が路頭に迷うことになった。ほとんどの国民はIMFとともに危機がやってきたと感じたことから、1997年の通貨危機は「IMF危機」「IMF事態」あるいは単に「IMF」と呼ばれたりもする。
2018年11月に公開された映画『国家不渡りの日』はIMF危機そのものを題材にした作品である。映画では3つの物語が同時に進行する。危機の1週間前、韓国銀行通貨政策チームの女性チーム長であるハン・シヒョンは危機を防ぐべく、大統領府を説得して対策を講じようとするが、経済官庁である財政局の抵抗に直面する。早く国民に事態を知らせるべきだとするハン・シヒョンに対し、財政局次官は混乱を招くだけだと強硬に反対する。そう言いながら次官は、密かに大学同窓である財閥の御曹司に会って、危機が近づいている事実を耳打ちしている。他方、総合金融会社の若手金融マンであるユン・ジョンハクは、危機の到来を察知して会社を辞め、昔の顧客の金を集めてファンドを設立して、為替と株の暴落を見越して勝負に出る。同じ頃、何も知らない、人のよい零細食器工場の社長であるカプスは、有名デパートとの契約に初めて成功して喜ぶが、支払いが手形だったことに戸惑いをみせる。
結局、危機を防ぐことができずにIMFとの交渉チームに入ることになった韓国銀行のハン・シヒョンは、IMFの融資条件は国民に多大な苦痛をもたらすとして拒否することを主張するが、受け入れられず辞職を決意する。予測が的中して巨額の利益を得たユン・ジョンハクは、今度は人々が生活苦で手放したマンションを安値で買い漁り、さらなる大もうけをもくろむ。デパートの経営破綻によって資金繰りに窮した工場社長のカプスは、デパートの手形を取引先への支払いに使ってしまう。不渡り手形を掴まされた取引先の社長が自殺したことを知ったカプスは、自責の念にかられて自らも命を絶とうとするが、子供のことを想って踏み切れない……。
韓国映画には実際に起きた社会的事件を描いた作品が多い。そこでは比較的最近の事件であっても、娯楽性、あるいはメッセージを優先して事実を大胆に脚色していることは珍しくない。本作も例外ではなく、ストーリーの多くの部分で事実と異なっている1。経済官僚と財閥、そしてIMF=米国が結託して韓国を市場万能の社会に「改革」しようと目論んだとする図式もあまりに単純であり、リアリティに欠けるというのが筆者の正直な感想である。
しかし、1960~70年代に形成された官僚と財閥による古い支配体制がそのまま維持されているとする認識は、韓国のいわゆる「進歩」系の人々に共通したものである。非正規労働の増大と格差の拡大、自殺の増加など、現在の韓国社会の多くの問題は、いずれもIMF危機時の改革以降に顕在化している。近年、経済状況が悪化しているなかで、支配体制が変わらない限り危機は再発するとする映画のメッセージは、多くの韓国の観客にはリアルに響いているようで、本作は大ヒットを記録している。
最後の7分間、映画は登場人物たちの現在を描いている。ユン・ジョンハクのファンドは大企業へと成長し、彼自身も業界の寵児となっている。カプスは零細食器工場を続けているが、就職試験に向かう息子に「自分以外は誰も信じるな」と叫びながら外国人労働者をこき使う老人に変わってしまっている。そうしたなかで、ハン・シヒョンは変わらずに孤独な戦いを続けている。韓国銀行を辞めた後、外国資本を監視するNGOを立ち上げている彼女のもとを、若い女性官僚が訪ねてきて「あなたは正しかった」と言って協力を求める場面で映画は終わる。
そう、彼女も変わらない。ハン・シヒョンを演じている女優キム・ヘス(写真)のことだ。IMF危機当時、抜群のスタイルを誇るキム・ヘスは、テレビドラマなどでその健康的な魅力を振りまいていた。それから20年、キム・ヘスは変わらずにトップ・スターの座にあって、今は実力派女優として円熟味を増しながら、スクリーンで輝きを放っている。
著者プロフィール
安倍誠(あべまこと)。アジア経済研究所地域研究センター東アジア研究グループ長。専門は韓国企業・産業論。主な編著に『低成長時代を迎えた韓国』アジア経済研究所、2017年。
写真の出典
- 『国家不渡りの日』製作発表会での主演キム・ヘス:뉴스인스타 [CC BY 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/3.0)], via Wikimedia Commons
注
- 主な事実との相違点は以下の通り:(1)政府財政部署(当時の正式名は「企画財政院」)はIMF緊急融資を積極的に推進していたが韓国銀行は反対→実際は逆、(2)IMF緊急融資直前の数日間に財閥の連鎖的な倒産が発生→実際は前後1~2年の間に発生、(3)訪韓したIMF交渉団にアメリカ財務次官が帯同→さすがにそこまではしない。
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