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コラム

語学汗まみれ

海外調査では、歩き、話し、時には呑む。貴重な情報を得るために、現地での濃密なコミュニケーションが不可欠です。研究者のこと、きっと語学は軽々と習得したに違いない……と思いきや、実はそうでもないんです。本連載では、山あり谷あり、研究者たちの等身大の「語学」について語ってもらいます。  

  • 第7回 ベトナム語──人見知りに自己批判を促す言語 / 坂田 正三 ベトナム語にはこれまで随分ひどい目に遭わされてきた。言い間違いや聞き間違いで恥をかかされたことは数知れず。ただ難しくてやっかいな言語である。ベトナム語は、語「学」的な観点から見るととても面白い言語なのかもしれないが、学問としてきちんと体系的に学んでいない筆者には、残念ながらその面白さがわからない。また、ベトナム語を学ぶこと、使うことで、嫌いな自分、たとえば人見知りだったり怠け者だったりという部分と向き合わされて、ずっと自己批判をさせられてきた。さらに現在は、老いという現実を突きつけられる。外国語との付き合いとは一般的にそういうものなのかもしれないが、ベトナム語の特性ゆえ、という部分があるのはまちがいない。 2024/05/27
  • 第6回 中国語(台湾)──言葉を学びながらつくる繋がり / 佐藤 幸人 中国語ははじめ、日本の大学で第二外国語として学んだ。しかし、2年間ではとても使い物にはならなかった。50名近くいた同級生のうち、実際に会話できるようになったのは瀬地山角さん(現東京大学)くらいではなかったかと思う。 2024/03/27
  • 第5回 ヒンディー語――黒い文字と水牛 / 辻田 祐子 私が紆余曲折を経てアジア経済研究所に入所したのは、もうすぐ21世紀を迎えようとする時期であった。ちょうど、1990年代後半からコンピュータの西暦2000年問題への対応で国内にインド人IT技術者が増え始めていた。今振り返ると、それまでインドといえば往々にして悠久・神秘・混沌・貧困を思い起こさせる国であったが、一転してインド式掛け算、多数のIT技術者輩出をする国へと、現在の一般的なインドへのイメージに反転し始めた時期でもあったように思う。 2023/11/02
  • 第4回 インドネシア語──および関連諸語との悪戦苦闘 / 加納 啓良 インドネシア語の勉強を始めたのは1969年、大学4年生のときである。きっかけは3年生のときに東南アジア周遊の旅をしたことだが、そのときはまだインドネシアに足を踏み入れたわけではない。シンガポールの丘の上から見えた島々がインドネシア領だと教えられ、あの先にはどんな社会が広がっているのか素朴な興味が湧いたのが発端のひとつである。語学はあまり得意ではなかったが好奇心だけは旺盛で、大学教養課程の第2外国語だったドイツ語の他にスペイン語も少しかじったことがあった。在籍していた大学にインドネシア語の授業はなかったから、語学専門の大学へもぐり聴講に出かけた。今そんなことをしたらつまみ出されるだろうが、当時は鷹揚なもので先生も学生も黙って目こぼしをしてくれた。 2023/10/11
  • 第3回 日本語──ラオス生まれの私が「世界一難しい言語」と向き合って30年 / ケオラ・スックニラン 学習することが難しい言葉のリストはたくさんあるが、どれもほぼ決まって日本語がランクインしている。アジアの言葉なのに、文法が西欧の言語のように複雑で、文字の種類が多い、漢字を覚えるのが大変、などが理由とされる。日本語がペラペラ話せるのに、ローマ字表記の辞書しか使えずに書物が読めない外国人がたくさんいるので、日本語が難しい理由は「書き言葉」にある可能性が高い。 2023/09/14
  • 第2回 ビルマ語──外部者として地域研究するということ / 長田 紀之 正直、後悔している。「語学汗まみれ」。面白そうな企画だと、軽い気持ちで執筆を引き受けてしまったものの、いざ書き始めようとすると、筆は進まず、かくのはあぶら汗と冷や汗ばかり。私は語学が嫌いではないが、苦手なのだった。自分の語学力の拙さを棚に上げて、語学上達法を講釈できるほど心が強くない。かといって、卑屈な態度に出て、下手さだけを強調しすぎるのもどうか。仕事柄、今後の職業人生に支障をきたすかもしれない。こんなことをぐるぐると考えて、にっちもさっちも行かなかった。 2023/06/14
  • 第1回 カンボジア語――出会いに支えられた語学習得への道 / 新谷 春乃 「なぜカンボジアを勉強しようと思ったの?」――。私が東京外国語大学のカンボジア語専攻に入学して以来、自己紹介をするたびに十中八九この質問が投げかけられてきた。当初はしっかり伝えたいという思いが強く、聞かれるたびに一生懸命説明していたが、あまりに頻繁に聞かれるため、疎ましい気持ちも抱きつつ答えるようになっていた。カンボジア地域研究を生業にするようになり、研究の起点にまつわるエピソードを話す機会は今後も様々な場面で求められるであろう、とようやく観念しつつある。 2022/12/20