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文化ののぞき穴

第16回 テレビドラマ「愛の不時着」の背景

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051964

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2021年2月

(5,287字)

韓国のケーブルテレビtvNが制作して2019年12月14日から2020年2月16日にかけて、同局が放映したドラマ「愛の不時着」(パク・ジウン脚本、イ・ジョンヒョ演出)は、調査会社ニールセン・コリア社の発表によると、最終回の視聴率が21.683%で、tvNの歴代ドラマ視聴率では1位、同時間帯の地上波を含めた全テレビチャンネルの視聴率でも1位を記録した。日本では動画配信サービスのネットフリックス(Netflix)社が2月から配信を始め、「第4次韓流ブーム」という呼び方も紹介されるほど話題になった1

このドラマは、ソウルの財閥令嬢がパラグライダーを楽しんでいるときに竜巻に巻き込まれ、軍事境界線の北側に不時着して、朝鮮人民軍の軍人との恋に落ちるというストーリーであるが、韓国ドラマで初めて朝鮮民主主義人民共和国の生活をリアルに描いたものであった。

韓国社会ではこのドラマに関して、2020年1月9日に保守団体の一つである基督自由党がtvNをソウル地方警察庁に国家保安法違反で告発するということがあった。また、一方で、5月14日に、韓国政府で南北の交渉や統一政策を担当する統一部は、平和教育や統一教育の行事である「統一教育週間」(5月18~24日)に際して統一運動や平和運動、教育などで活躍した人物7人を「今年の統一教育人物」として選定したが、このドラマの脚本を書いたパク・ジウンがその1人となった。ここでは、この対照的な2つの出来事から、このドラマが韓国社会に与えた影響を考察してみよう。

写真1 『愛の不時着』キャスト陣。左からヒョンビン(朝鮮人民軍将校リ・ジョンヒョク 役)、ソン・イェジン(韓国財閥令嬢ユン・セリ 役)、ソ・ジヘ(北朝鮮の音楽家ソ・ダン 役)、キム・ジョンヒョン(韓国の実業家グ・スンジュン 役)。
写真1 『愛の不時着』キャスト陣。左からヒョンビン(朝鮮人民軍将校リ・ジョンヒョク 役)、ソン・イェジン(韓国財閥令嬢ユン・セリ 役)、ソ・ジヘ(北朝鮮の音楽家ソ・ダン 役)、キム・ジョンヒョン(韓国の実業家グ・スンジュン 役)。
保守団体の告発

基督自由党は2016年3月3日に、同年4月の第20代国会議員総選挙に際して組織されたキリスト教右派の団体である。この選挙で基督自由党は議席を獲得することはできず、2020年3月6日に名称を基督自由統一党に変更して、同年4月の第21代国会議員総選挙にも挑んだが、ここでも議席を獲得することなかった。そのためこの団体はこれまでのところ政党としての機能を持つには至っていない。この団体を含めた韓国のキリスト教右派勢力は、文在寅政権が発足してから、ソウル市中心部で連日政権に反対するデモや集会を開催して、ソウル市民やマスコミに対して強い存在感を見せつけている。

2020年1月22日、ソウル地方警察庁はこの基督自由党から9日にtvNを国家保安法の容疑で訴えるという告発状を受け取ったことを発表した。基督自由党は、「愛の不時着」が北朝鮮を美化しており、北朝鮮を褒め称えることや北朝鮮に同調したりすることを禁じた国家保安法第7条1項に抵触すると主張した2

ただし、基督自由党はドラマのどこがどのように北朝鮮を美化しているのかを具体的に示さなかった。また、告発状を受け取った警察のほうもフィクションであることがはっきりしているテレビドラマに関して処罰の対象にすることは難しいとの見解を示し、捜査に入らなかったようである3。韓国のマスメディアも基督自由党の動きに同調することはなかった。むしろ、脱北者たちが「愛の不時着」を楽しんでみていることについての記事やこのドラマが北朝鮮にも持ち込まれ大きな影響を与えるであろうといった内容の記事が出たりしている4

基督自由党の告発は、1980年代半ばまでの韓国社会の感覚で行われたものである。北朝鮮の人々は共産主義という悪魔に取り込まれた人々とされ、芸術芸能の世界のみならず、人々の日常の会話のなかでも北朝鮮のことを口に出すことは憚られていた。朝鮮戦争で生き別れになった家族を探すときも、その家族が北側にいる可能性があるため、おおっぴらに探すことは控えられた。離散家族探しが韓国で公共放送KBSを通じて大々的に行われるようになったのは朝鮮戦争の停戦から30年を経た1983年のことであったし、1985年に南北対話の進展により北側の芸術団がソウルに来たとき、「北朝鮮の人に角が生えていない」といって子どもがびっくりし、その子どもの様子を見た大人がそのことに当惑するということがあったほどである。

子どもたちの認識に変化をもたらしたのはテレビで北朝鮮の社会を取り上げた番組が放映されるようになってからである。1987年の民主化を経て韓国社会の政治的自由化が進み、KBSは北朝鮮社会に関する様々な情報を伝える番組として1989年から「南北の窓」の放映を開始した。そして1990年代に大学でも北朝鮮に関する研究や授業が「北韓学」として行われるようになった。そして、芸能界で北朝鮮に関することをすべてタブーとする雰囲気にとどめを刺したのが、2000年に封切られた映画「JSA」(パク・チャヌク監督)であった。この映画には北朝鮮の軍人に関する描写、韓国軍の軍人と酒を酌み交わすなどの場面が入っていたが、当時韓国映画史上最大の観客数を集め、保守系の朝鮮日報社が主催する青龍映画賞最優秀作品賞・監督賞を受賞した。2005年には、朝鮮戦争で南北の軍人が紛れ込んだ村で一緒になって村の爆撃を防ぐというストーリーの「トンマッコルへようこそ」(パク・クァンヒョク監督)が封切られ、同年の最大観客動員数を記録した。保守系の『朝鮮日報』もこの映画の好評ぶりを報じた5

こうして韓国社会では北朝鮮の人々を同じ人間として描くことに抵抗がなくなってきたが、映画で描かれる北朝鮮の社会や人物の考証は粗末なままであった。それは韓国で北朝鮮社会や人々の生活に関する情報があまりに不足していたせいであった。これに対して、ケーブルテレビで脱北者を出演させる番組が組まれるようになり、韓国の人々に少しずつ北朝鮮の人々の生活に関する情報が伝わるようになった。東亜日報系列のケーブルテレビ局のチャンネルAでは離散家族を取り上げた番組「今会いに行きます」を2011年に開始、2012年には「脱北美女」特集を組み、若い脱北者を出演させるようになった。また、朝鮮日報系列のケーブルテレビ局のTV朝鮮でも脱北者を出演させる番組「南男北女」を2014年に開始したのに続き、脱北者に北朝鮮での生活を語らせる「牡丹峰クラブ」を2015年に開始した。

「愛の不時着」の制作には少なからぬ脱北者が関与していた。ライターアシスタントとしてこのドラマの制作に参加したクァク・ムンワンはその代表である。BBCのインタビューでクァク・ムンワンが語ったところによると、2018年7月からこのドラマの制作活動は本格的に始まったとのことである6。2018年は文在寅=金正恩会談、北朝鮮の平昌冬季オリンピック参加、非武装地帯からの兵力引き離しなどが実現して、南北の関係改善が大きく進展し、北朝鮮に対する関心も高まった時期であった。制作する側にとって、基督自由党の告発は人気ドラマになったことの裏返しであり、勲章をもらったようなものであった。

写真2 1992年5月に撮影した開城市付近の農村住宅
写真2 1992年5月に撮影した開城市付近の農村住宅
舎宅マウルと人民班長

韓国統一部は2020年4月2日にYouTubeに、脱北者のユーチューバーに「愛の不時着」の感想を語らせるインタビュー動画を掲載した。そのなかでユーチューバーは3回にわたってドラマ関係者から北朝鮮での生活に関するインタビューを受けたことを明らかにしたほか、ドラマで描かれる軍官舎宅マウル(軍隊将校官舎の集落)などの風景や生活が北朝鮮の実際の田舎のそれと「まったく同じ」だと述べている7。統一部が脚本家のパク・ジウンを「今年の統一教育人物」に選定した理由は、「北朝鮮文化の間接的経験を提供して統一教育にも肯定的な影響を及ぼした」となっているが、ドラマのなかで「間接的経験」といえるのはこの舎宅マウルで女性主人公が生活する場面である。

ドラマでは、舎宅で桶を用意してビニルシートを吊って囲ったスペースで沐浴する場面がある。これは韓国で1980年代まで多くの家でみられた姿であった。この時代を知る世代の人々はこれを懐かしい気持ちで受け止めた。この時代の韓国の家で同じような沐浴をした経験がある筆者も同様である。筆者がこのドラマに対する所感を韓国の知人たちに訊いてみたところ、「北朝鮮の生活が思っていたほど劣悪なものではないようだという印象を持った」といっていた。韓国社会では舎宅マウルによって、北朝鮮の社会に対する親近感が生じたのである。

また、ドラマのなかに人民班長という韓国や日本の人々にはなじみのない役割の人物が登場する。人民班長は日本での町内会長に相当するが、人民班は自治組織である町内会と違って地方行政機関の「末端細胞」という位置づけである。韓国にも地方行政機関の補助組織としての「統」および「班」があるが、住民組織としては形骸化していることが多く、統長や班長は人民班長ほど住民に接することはない。

人民班長は通常20~30世帯で構成される人民班の総会で選出されるが、ほとんどが女性である。人民班長の仕事には、党委員会や地方行政機関から伝達される指示を住民に宣伝して学習させること、主婦たちを週に1度集めて政治思想学習や「生活総和」(生活反省会)を実施すること、社会活動や衛生活動に住民を動員すること、社会秩序の維持に関して保安機関に協力することなどがある(『朝鮮大百科辞典(28)』2001、伊藤2017)。まさに人民班長は住民にとって身近で怖い存在である。

舎宅マウルの人民班長ナ・ウォルスクは初めに怖い顔をして現れ、次第に優しくなり、ビールを飲んで暴れだすといった人間味のある女性である。人民班長の役をコミカルに演じたキム・ソニョンは6月5日に韓国の代表的な映画・テレビ部門の芸術賞である百想芸術大賞の助演賞を受賞した。

もう一つ、韓国や日本でなじみがないものとして「宿泊検閲」がある。これは中国での「査戸口」(住民各世帯に対する調査)に相当し、住民の家のなかを定期的にまたは抜き打ちで調査するものである。筆者は1980年代半ばの北京で、工場労働者たちが住むアパートに数日居候していたが、「査戸口」があるといわれてあわてて出て行ったことがある。こうした住民監視制度は筆者には身の毛がよだつものでしかない。ドラマでは宿泊検閲で主婦がすばやく隠した韓国製の炊飯器が見つかってしまう場面などがコミカルに描かれていた。しかし、沐浴スペースに懐かしさを覚えたり、人民班長に親しみを感じたりした視聴者もこの制度に対して親近感を持つことはないであろう。

写真の出典
参考文献
  • 『朝鮮大百科辞典(28)』(2001)平壌 百科辞典出版社。
  • 伊藤亜人(2017)『北朝鮮人民の生活』弘文堂 109~120ページ。
著者プロフィール

中川雅彦(なかがわまさひこ) アジア経済研究所地域研究センター主任調査研究員。主要著書は、『朝鮮社会主義経済の理想と現実――朝鮮民主主義人民共和国における産業構造と経済管理』アジア経済研究所 2011年、『アジアは同時テロ・戦争をどう見たか』(編著)明石書店2002年、『アジアが見たイラク戦争』(編著)明石書店2003年、『朝鮮社会主義経済の現在』(編著)アジア経済研究所 2009年、『朝鮮労働党の権力後継』(編著)アジア経済研究所2011年、『朝鮮史2』(共著)山川出版社 2017年。

  1. 『朝日新聞』2020年8月11日。
  2. 『愛の不時着』が北朝鮮美化?国家保安法に抵触の可能性」『東亜日報』ウェブサイト、2020年1月22日;「基督自由党声明書:反国家団体を美化して大韓民国を煽動する政府と放送社tvNを糾弾する」2020年1月8日付、基督自由統一党ウェブサイト、2020年2月26日掲載。
  3. 北朝鮮美化:ドラマ「愛の不時着」国家保安法違反の告発」『中央日報』ウェブサイト、2020年1月22日。
  4. 脱北者と「愛の不時着」のファクトチェック」『ハンギョレ新聞』ウェブサイト、2019年12月19日;張源宰「Covid-19休校で学生たちの間で韓流ドラマ視聴急増」『月刊朝鮮』2020年7月号。
  5. もう観客動員500万人?『トンマッコルへようこそ』」『朝鮮日報』ウェブサイト、2005年8月26日;「映画『トンマッコルへようこそ』5週目独走」同2005年9月6日。
  6. 『愛の不時着』脱北者補助作家へのインタビュー」BBCコリア・ウェブサイト、2020年2月16日。
  7. 「光化門必通」第49回、2020年4月2日掲載。
【連載目次】

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