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コラム

文化ののぞき穴

第19回 新型コロナ感染症禍とベトナムの芸能人

Vietnamese Entertainer under the Covid-19 Pandemic

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00052921

2022年2月

(5,308字)

初めての感染例が2020年1月23日に確認されて以降、ベトナムでも新型コロナ感染症との闘いが続けられてきた。当初から同感染症を「敵」と位置付け、感染者の隔離、感染発生区域の封鎖、公共の場におけるマスク着用の義務化、手洗いの励行などを実施した結果、第1波~第3波期(~2021年4月26日)は、感染者が比較的少数に止まってきた。しかし第4波以降、新型株の登場やワクチン接種の遅れもあって、様相が変化した。本コラム執筆中の感染者総数は126万6288人(2021年12月2日現在)であるが、その約99.8%を第4波以降の感染者が占める。そうしたなかで、劇場、コンサートホール、映画館なども休業を余儀なくされ、娯楽・エンターテイメントの一翼を担う芸能人1たちの生活も、少なからず影響を受けてきた。新型コロナ感染症禍の下で生きる芸能人たちの取り組み、状況の一端を少し覗いてみたい。

支援活動で活躍

最初に、芸能人たちによる支援活動について見てみよう。芸能人による新型コロナ感染症禍の下の主な支援活動は、(1)寄付、(2)支援呼びかけ・募金集め、(3)感染拡大地における農産物の販売促進支援、(4)医療活動への参加・協力、(5)励まし・癒やし、の5つのグループに分けることができる(表1参照)2

表1 新型コロナ感染症禍の下の芸能人による支援活動

表1 新型コロナ感染症禍の下の芸能人による支援活動

(注)* 祖国戦線は、ベトナム独立同盟(ベトミン)に由来し、ベトナム共産党も構成組織のひとつであ
る政治社会組織。大衆工作などにおいて役割を担っている。
* *優秀芸人は、15年以上の芸術活動歴に加え、受賞歴があること。国家に忠実であり、道徳的に優れ、才
能を持つなど、いくつかの要件を満たした者に国から与えられる称号。
* * * カイルオンは、13世紀末にベトナムに伝えられたとされる宮廷劇トゥオン(後出)を最も大きな源
流として、20世紀初頭に創出された歌舞劇(石井監修、桜井・桃木編 1999: 95)。
(出所)Đại đoàn kết 2021年6月8日付、6月13日付、Sài gòn Giải phóng 2021年6月15日付、Nhân Dân
2021年9月24日付に基づき、筆者作成。

(1)寄付、(2)支援呼びかけ・募金集めに関連しては、新型コロナワクチン購入への支援金集めの受け皿として、2021年5月26日にファム・ミン・チン首相がワクチン基金の創設を決定した(首相決定779号)。同基金は、財政省の管理下におかれ、新型コロナワクチンの購入・輸入や国内生産に向けた取り組みなどに活用される(ベトナムで使用されているワクチンについては、表2参照)3。同基金に対し、MCクエン・リン、歌手ダーム・ヴィン・フンら多くの芸能関係者が、多額の寄付を行っている。俳優ホン・ダン、歌手ホアン・バイらは、ネットを活用して支援、協力を呼びかけた。

表2 ベトナムで認可されているワクチンの種類(2021年11月10日現在)

表2 ベトナムで認可されているワクチンの種類(2021年11月10日現在)

(注)*緊急な必要がある時という条件付きの承認。
(出所)infonetウェブサイトtienphongウェブサイト掲載記事に基づき、筆者作成。

(3)新型コロナ感染拡大地における農産物の販売促進支援では、例えば2021年5月に感染者数が急拡大したベトナム北部に位置するバクザン省支援のため、優秀芸人スアン・バックが、同省産のライチなどのオンライン販売促進イベントに出演し、売り上げの回復に貢献した4

(4)医療活動への参加・協力にも積極的な姿勢を見せており、歌手ホン・ニュンは国産ワクチンの臨床実験に参加登録した。ヴ・ドゥック・ダム副首相、Covid-19感染防止国家指導委員会委員長(役職当時。現在は副委員長)が国産ワクチンの臨床実験に参加したことを知り、参加を決めたという5。また、MCのクイン・ホア、クォック・ビン、フイン・ニュー・グエンや俳優ホアン・フィー・カーは、防護服を身につけてホーチミン市内の新型コロナ感染検査場で補助活動に従事している。

最後に、(5)励まし・癒やしについては、音楽を通じた支援活動が数多く行われている。医療従事者をはじめとする新型コロナ感染症対策に取り組む人々への感謝と慰労、行動制限で我慢を強いられている人々の心を励まし、癒やすために、多くの楽曲、音楽作品が作られている。例えば、ベトナムテレビの慈善プログラムでは、50人の芸能人が参加して「ベトナムの力」(スアン・ビン作詞、作曲)のMVを制作した(YouTube画像参照)6。同MVは「私の祖国は稀有だ。人と人が、心臓の中を流れる血液のようだ。いかに多くの人々が祖国の緊急時に用意が整っていることか……」と人々を鼓舞し、団結して困難に立ち向かおうと、呼びかけている。また、ベトナム音楽家協会は、新型コロナ感染症との闘いに向けた創作歌を募集し、200曲以上の応募を得た。そして、このうち質の高い100曲を選び、本として出版している7

ベトナムの力(Sức mạnh Việt Nam)のMV
芸能人を取り巻く厳しい現実

新型コロナ感染症がベトナムを襲う前のホーチミン市内の演劇場(2019年12月19日)

新型コロナ感染症がベトナムを襲う前のホーチミン市内の演劇場(2019年12月19日)

このように、ベトナムの芸能人たちは、その知名度、アピール力、集客力を生かして、さまざまな支援活動に取り組んできた。しかし、彼らはけっして楽な状況にあったわけではない。重要な収入源である公演開催のためには、会場の確保・設営や、稽古・リハーサルなど、さまざまな物的、人的、時間的な「投資」が必要となるが、新型コロナ感染症により公演がキャンセルになり、収入を得るどころか、「投資」の回収さえも困難になるなど、厳しい事態に直面してきた。

そうしたなか、2021年5月末、グエン・ヴァン・フン文化・スポーツ・観光相と同省直属のチェオ8、トゥオン9、カイルオン、水上人形劇10、サーカス、演劇、児童演劇など12の公立劇場の代表が、新型コロナ感染症禍の下の経営状況、支援策などについて話し合いを行った。この公立劇場代表には、先述したベトナム演劇劇場長のスアン・バックも含まれる。会合に向けた大多数の公立劇場代表の共通認識は、次のようなものであった。

(1)新型コロナ感染症対策による公演数の減少、公演の中止は劇場経営に大きな打撃となっている11

(2)公演出演者のなかには、正式な職員編成に未だ入っていない多くの若手契約芸能人が含まれている。政府議定161号(2018年11月29日)12は、契約芸能人に対する給与支払いに国の給与財源を充当することはできないと定めており、公演収入が途絶えると、代々受け継がれてきた芸を未来に伝える若手芸能人の生活に影響が出る13

(3)首相決定14号(2015年5月20日)に基づき、正式な劇団員に対して20万ドン/出演/人(本コラム執筆現在1ドル約2万3000ドン)の扶助金が支払われることになっているが、不十分である。

(4)上記(1)~(3)の状況を受けて、国からの支援が必要である14

その後、政府は2021年7月1日に新型コロナ感染症禍の下の新たな支援策として、政府決議68号を出した。そのなかで、2021年5月1日~12月31日の期間に15日以上活動を休止せざるを得なかった、第四種の演出家・監督、俳優・役者、画家・美術家に対して371万ドン/1回の扶助金を支給することが決められた15。ベトナムの公的事業機関では、職責の「複雑さ」に従って、5つのレベルが定められており(政府議定115号、2020年9月25日)、第四種は下から2番目のレベルとなる。現場の声によれば、これらの人達は、デビューして間もなく、俸給表で最も低いレベルに位置する芸能人だという16。実際に対象となるのは、100の公立劇場で活動する2000人あまりである17。ちなみに、2020年のベトナムにおける1人当り平均月収は424万9000ドンとなっている18

このように、十分であるか否かは別として、公立劇場の正式な職員編成に入っている若手芸能人に対する扶助金の給付が決められた。しかし、未だ職員編成に正式に組み込まれていない契約芸能人、公立劇場で働くその他の芸能人、そして民間劇場で働く芸能人などは、支援対象に含まれていない。

新型コロナ感染症禍の下の娯楽・エンターテイメントと芸能人

2020年以降の新型コロナ感染症禍による人々の生活に対するマイナスの影響について、高卒以上の学歴を持つ全国2500人超を対象にしてベトナム社会学研究所が実施した調査(2021年3月)によると、ソーシャルディスタンスが求められることにより、娯楽・エンターテイメント(vui chơi, giải trí)、教育・学業にマイナスの影響があったとの応答が、それぞれ84.4%、84.1%と最も多かった19。この調査結果は、ベトナムの人々の生活において、娯楽・エンターテイメントが大切な役割を担っていることを示唆している。例えば、批判報道も出た2021年9月21日(旧暦の8月15日)の中秋節20の賑わいも、ベトナムの人々が人との繋がりや、楽しむことを大切にしているからこそであろう。人々は、そうした「息継ぎ」をすることで、日々を繋いでいる。娯楽・エンターテイメントは、その役割の一端を担っており、芸能人たちの存在は、新型コロナ感染症禍の下にあって、貴重な存在であるに違いない。メディアで取り上げられ、社会的注目度も高い著名な芸能人たちは、国民に対する影響力も大きい。そうした自覚に基づき、先に見たように支援活動に取り組んでいる。

その一方、新型コロナ感染症禍による公演中止や公演回数の減少によって仕事の機会、収入源を失っても、何の保障もなく、生活に苦しむ多くの無名の芸能人がいる。先に公立劇場の事例を少し取り上げたが、例えば、歌唱喫茶店(phòng trà)のショーで一晩20~50万ドンほどの収入を得て生計を立てる市井の歌手の場合、店の休業は収入源の喪失を意味する。
今回の新型コロナ感染症禍は、ベトナムの人々の生活における芸能人の存在感を示すと共に、「芸能界」の光と影を一層鮮明に浮かび上がらせている。

写真の出典

筆者撮影

参考文献
  • 石井米雄監修、桜井由躬雄・桃木至朗編1999.『ベトナムの辞典』同朋舎。
  • Nguyễn Đức Vinh, Vũ Mạnh Lợi, Nguyễn Đức Chiện (グエン・ドゥック・ヴィン、ヴ・マン・ロイ、グエン・ドゥック・チェン)2021. “Tổng quan về tác động xã hội của đại dịch COVID-19 ở Việt Nam(ベトナムにおけるCovid-19感染蔓延の社会的作用に関する総覧).” Tạp chí Xã hội học(社会学誌) Số1 (153): 9-26.
  • Tổng cục thống kê(統計総局) 2020. Niên giám thống kê 2019(2019年統計年鑑). Nhà xuất bản thống kê(統計出版社).
著者プロフィール

寺本実(てらもとみのる) アジア経済研究所地域研究センター東南アジアⅡ研究グループ研究員。単著に『ベトナムの社会誌――ドイモイ期の記憶の断片――』風響社ブックレット(2020年)、主な編著に『現代ベトナムの国家と社会――人々と国の関係性が生み出す〈ドイモイ〉のダイナミズム――』明石書店(2011年)、最近の論考に「ベトナムにおける医療保険制度の骨格」(『健保連海外医療保障』No.125、2020年3月)など。

  1. 本コラムでは、伝統芸能も含め、演劇、舞踊、音楽などの上演、公演で生計を立てる人を芸能人と捉えている。
  2. 歌手兼俳優、俳優兼MCなど、複数の顔を持つ芸能人が多いが、本コラムでは基本的に依拠資料に従って記す。
  3. 例えば日本では、本コラム執筆現在、Pfizer/BioNTech、Moderna、AstraZenecaの三種の新型コロナ感染症ワクチンが認可されている。ベトナムで使用が認められたワクチンの種類の多さは、いかにベトナムがワクチン確保に苦労してきたかを示していると思われる。国産ワクチンの開発も進められているが、Sputnik V(ロシア)については、ベトナム国内における生産が既に始められている。
  4. Đại đoàn kết 2021年6月13日付、Sài gòn Giải phóng 2021年6月15日付。
  5. Đại đoàn kết 2021年6月13日付、2021年8月25日付。Covid-19感染防止国家指導委員会の強化のためとして、ファム・ミン・チン首相が同委員会委員長に就任することが決まった。
  6. スアン・ビンは、これ以前にこの楽曲のMVを制作している。
  7. Đại đoàn kết 2021年9月24日付。
  8. ベトナム北部、紅河デルタ地域で育まれてきた民間伝統歌舞劇。民衆の間で伝承されてきた芸能で、トゥオンよりも古い芸能とされる(石井監修、桜井・桃木編 1999: 201)。
  9. 主に宮廷で演じられてきた古典劇。特に中部・南部で愛好されてきた。13世紀末の元寇の際に、元軍の捕虜、李元吉によって伝えられたとされる(石井監修、桜井・桃木編 1999: 231)。
  10. ベトナム北部に位置する紅河デルタに伝わる伝統芸能のひとつ(石井監修、桜井・桃木編 1999: 174)
  11. 「新型コロナ感染症の感染拡大の前から、公演数、観客は少なかった。演目も何ら流行に配慮しておらず、旧来のままだった」として、元々持っていた問題点が、新型コロナ禍でより一層浮き彫りになったとする厳しい指摘もある(Đại đoàn kết 2021年6月2日付)。
  12. 政府議定は、国会で制定された法律の執行に向けた政府の基本的な指導方針などを定めた文書。
  13. 例えば、水上人形劇や曲芸などを手掛けるフォンナム芸術劇場で働く90人の芸能人のうち、中心的な若手50人が契約芸人の立場にある(Sài Gòn Giải Phóng 2021年6月27日付)。
  14. Nhân Dân 2021年5月31日付、Đại đoàn kết 2021年5月31日付。
  15. ベトナム人民軍傘下で活動する芸能人達はここでは対象となっていない。
  16. Sài Gòn Giải Phóng 2021年6月27日付。
  17. Nhân Dân 6月27日付。
  18. Tổng cục thống kê(2020: 862).
  19. Nguyễn Đức Vinh, Vũ Mạnh Lợi, Nguyễn Đức Chiện(2021: 24).
  20. 中国に由来する農暦に基づく節句の一つ。現在は「子どもの日」にもなっている。
【連載目次】

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