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コラム

文化ののぞき穴

第12回 「匈奴ロック」がやってくるヨーウェ、ヨーウェ、ヨー!
――ロックバンドThe Huが表象するモンゴル

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051769

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深井 啓

2020年6月

(6,344字)

モンゴルの雄大な大地を想起させる映像が上空から映されたのち、視点は草原に移される。草原の向こう側からハル・バルスと呼ばれる戦旗を手にした、馬にまたがる一人の戦士が現れる。チンギス・ハーンを思わせるその騎士は、一瞬馬を旋回させ、戦旗を大きく掲げる。その合図に応え、男たちは大型バイクのアクセルを入れる。次のシーンでは騎士がそれらバイクに乗った武骨な男たちをひき連れ、草原を猛々しく走る姿が描かれる。そして、馬頭琴の音が流れ始め、演者が登場する。馬頭琴を引く男は、喉から絞り出すような声で歌いはじめ、バイクから降りた男たちもその男に続いて歌い始める。
The HU - Wolf Totem (Official Music Video)

Арслан ирвээс алалдан уралдъя (Arslan irvees alaldan urald’ya)
Барс ирвээс байлдан уралдъя (Bars irvees baildan urald’ya)
Заан ирвээс жанчилдан уралдъя (Zaan irvees janchildan urald’ya)
Хүн ирвээс хүчилдэн уралдъя (Khun irvees khuchilden urald’ya)

ライオンが向かって来れば 殺しあうまで戦え
虎が向かって来れば 武具を手に取り戦え
象が向かって来れば 徹底的に殴り合って戦え
人が向かって来れば 持てる力すべてで戦え

なにやら物騒な感じだが、これはモンゴルのロックバンドThe Huが2018年11月にYouTube上で公開した“Wolf Totem”のミュージックビデオの冒頭である。

このインパクトあるミュージックビデオは話題になり、瞬く間にYouTubeでの再生回数を重ね(2020年5月現在で3100万回超)、2019年4月にはBillboard’s Hard Rock Digital Song Salesで1位を獲得した。また、冒頭に紹介した”Wolf Totem”に先んじてYouTubeで公開された、“Юу вэ, юу вэ, юу(ヨーウェ、ヨーウェ、ヨー Yu ve, yu ve, yu)(何だ、何なのだ!)”も現時点までで”Wolf Totem”を上回る4500万回以上の再生回数を誇り、“Wolf Totem”と同日にリリースされ、上述のチャートで7位を獲得している。

The Huは、ギターやベースなど一般的にロックバンドが用いる楽器を基本的に排し、馬頭琴や口琴などのモンゴルの伝統的な楽器に、ホーミーと呼ばれる独特の歌唱法1によるボーカルを合わせてロックを奏でる独創的なグループで、自らのスタイルを「匈奴ロック」と名乗る。こんな独創性に音楽ファンが魅せられ、世界的なヒットに繋がったのである。YouTubeやFacebookのオフィシャルページに寄せられるコメントからも、モンゴルの伝統的な楽器や独特の歌唱法を用いた演奏スタイルとロックのイメージの融合が人々を魅了したことが明らかである。

Who Are The Hu?

これは、アメリカのハードロック雑誌“Outburn”のオンライン版に掲載されたThe Huを紹介する記事のタイトルの一部である2。上述のとおり独創的なスタイルでYouTubeやFacebookを経由して、世界的なヒットを生み出したThe Huとは一体何者なのであろうか? ここでは、メンバーと彼らを生み出したプロデューサー、そしてプロデューサーが明かしたThe Hu誕生エピソードと共に紹介したい。

まず、メンバーは4人。担当は以下のとおりである。

Gala(ガラ)(Ts.Galbadrakh):リードボーカル、馬頭琴。リーダー
Enkush(エンクーシ)(B.Enkhsaikhan):リード馬頭琴、ボーカル
Jaya(ジャヤ)(G.Nyamjantsan):口琴、ツォール(たて笛)、リムベ(横笛)、ボーカル
Temka(テムカ)(N.Temuun):トブショール(弦楽器)、作曲・編曲担当

写真1 メンバーは左からTemka, Gala, Jaya, Enkush
写真1 メンバーは左からTemka, Gala, Jaya, Enkush

それぞれが伝統音楽の専門教育を受けており、The Hu結成以前はモンゴルの伝統音楽グループで活動を行っていた。テレビのインタビューなどを見ても、それぞれが若い時からロックに親しみ、影響を受けたと語るが、リーダーであるガラを除き、当初プロデューサーから「匈奴ロック」バンド結成の話を持ちかけられた時は、少なからぬ躊躇があったようである。なかでもジャヤは当時、自らの音楽活動と並行して音楽大学での講師を本業としており、2019年のインタビューによると、プロデューサーから話を持ちかけられた時、辞退するつもりで友人のガラをプロデューサーに紹介したという3。バンドのハードなイメージに比して、メンバーは意外と堅実な伝統音楽のエリートなのである。

さて、彼らメンバーに加え、紹介を忘れてはいけないのはプロデューサーのDashdondog(ダシドンドグ、通称ダシカ)であろう。同氏は1980年代にロックバンドХөх тэнгэр (フフ・テンゲルKhukh Tenger)(青空)のメンバーとして活動し、1990年代にはソロとして Охин(オヒンOkhin)(娘)などのヒットを放った歌手としても知られる。彼は、匈奴ロックは彼が7年以上をかけて構想したプロジェクトであると明かしている4

父親の死後、スランプに陥っていた彼は、父の出身地であり、モンゴルのホーミーの故郷とも呼ばれるモンゴル西部のホブド県チャンドマニを訪れる5。同地で英気を養い、匈奴ロックを構想したダシカは、その実現に向けて様々なミュージシャンに声をかけたという。しかし、当初は全く理解を得られず、高水準のメンバーを集めるのに苦労したと語る。自らの歌手活動を制限し、車を売るなど私財を投げ打ってまでこのプロジェクトに身を投じたダシカは、徐々に周りの理解を得ていき、企業そして教育・文化・科学省から助成を受けるまでに至った。

ダシカの匈奴ロック・プロジェクトは、単にモンゴルの伝統楽器を使ってハードロックを奏でるという音楽上のスタイル以上のものだった。先にも紹介したユニークなミュージックビデオを制作しただけでなく、衣装には海外での認知が広がりつつあるモンゴル人デザイナーのブランドARIUNAA SURIを起用、また、ステージで使用する楽器は演奏中にも「馬頭琴」であることが明らかになるよう、通常正面を向く竿の先端の馬の頭部の装飾部分を横向きにしたものを特注するなど、ビジュアル面でもこだわり抜いた。屈強な男たちの世界的なヒットの背後には、メンバーの音楽的才能に加え、プロデューサー・ダシカの情熱と綿密な戦略があったのである6

写真2-1 通常の馬頭琴。馬の頭は正面を向いている。
写真2-1 通常の馬頭琴。馬の頭は正面を向いている。
写真2-2 The Huが使用する馬頭琴。正面からみても馬の頭と認識できる よう馬の頭は横を向いている。
写真2-2 The Huが使用する馬頭琴。正面からみても馬の頭と認識できる よう馬の頭は横を向いている。
The Huが表象する「モンゴル」

今や世界的なヒットを生んだThe Huは2019年11月「モンゴル帝国とその先祖の栄光と、誇り高き歴史を反映したモンゴル伝統文化および芸能の計り知れない遺産と現代音楽を融合した『匈奴ロック』という新しいジャンルを作り上げ、モンゴル語での歌詞による音楽を世界に広め、我が国と国民の良い印象を宣伝した」ことにより、モンゴル国大統領よりチンギス・ハーン勲章を授与された7

このように今やモンゴル国の文化外交でもいわば最前線に立っている彼らだが、彼らが表象する「モンゴル」のイメージについて、ここで少し補足しておきたい。

バンドが演奏に用いる伝統楽器や歌唱法はユネスコの文化遺産にも登録されていることに象徴されるように、「モンゴルの伝統文化および芸能」の一つであることは紛れもない事実だろう。しかし、それらがモンゴル国の前身であるモンゴル人民共和国において20世紀中盤に「民族音楽」として改良されあるいは「発見」され、現在の形となりモンゴルを代表する「伝統的文化」として根付いたことにも言及しておくべきだろう。馬頭琴は1960年代にバイオリンを参考に楽器に改良が加えられ現在の形となったものであり(上村2014)、ホーミーに関しては、現在のモンゴル西部のテュルク語系民族に広く見られた喉歌が、1950年代以降モンゴルの伝統として「発見」されたものである(上村2001)8

また、チンギス・ハーン勲章の受賞理由の一つとしてあげられた「モンゴル語での歌詞」についても言及しておきたい。冒頭ではWolf Totemの歌詞を一部紹介したが、この戦闘意識丸出しに見える歌詞は、1946年公開の長編映画『ツォグト・タイジ』のなかで、主人公が自身の詩として読み上げたセリフの一部である。この映画は現代モンゴル稀代の知識人であり文学者であったB・リンチェン(1905-1977)による脚本で、モンゴル帝国最後の大ハーンであるリグデン・ハーン(日本語ではしばしばリンデン・ハーンと表記)と同盟を結んだ17世紀の貴族ツォグト・タイジの悲劇を、モンゴルの独立をかけた満洲やチベット仏教勢力との戦いとして描いたもので、20世紀中葉のモンゴルにおける民族意識高揚に大きな役割を果たしたとも言われている。海外での活動が多いにもかかわらずモンゴル語で歌うことを明言しているThe Huだが、歌詞のなかにもモンゴル人の民族意識に訴えかける要素が散りばめられているのである。

最後に彼らのバンド名The Huと「匈奴ロック」というコンセプトにも目を向けたい。彼らのバンド名Huが示すのはモンゴル語で人間を表す語根、それも匈奴の時代に由来することばであるとバンドは説明している(因みに、現代モンゴル語で匈奴はХүннү [Khunnu]、人間は хүн[khun]である)。匈奴の民族系統は不明であるが、通常モンゴルでは、自らの祖先を匈奴であると認識している。島村一平によると、近代モンゴルにおける初の歴史書である1934 年の『モンゴル簡史(Mongolyn Tovch Tuukh)』のなかでは、匈奴をモンゴル人の祖先であると比定したうえで、匈奴人が漢人とは異なる起源を持つことを主張しており、この「モンゴル=匈奴」説は、非中国系出自というアイデンティティ形成に役立っているという(島村2019)。そして興味深いのは21世紀の今日、モンゴルのファッション業界で「匈奴」というコンセプトが興隆している点である。これまでモンゴルの民族衣装と考えられてきた立襟を持つ伝統衣装を、清朝時代に中国からもたらされた文化とみなし、立襟のない衣装こそが匈奴の時代からのモンゴル伝統衣装であると主張する動きも見られるのである(島村2016; 2017)。思えばThe Huが身にまとう衣装も立襟のないもので、メンバーがかつて民族楽団でしばしば身にまとっていた伝統衣装とは異なる形となっていた。

The Huが掲げる「匈奴ロック」が反中国を明示しているわけではないが、「中国とは異なる」ことで築き上げられた近代の民族意識、ナショナリズムの高揚の流れのなかで、この「匈奴ロック」プロジェクトは成立しているのである。

「匈奴ロック」がやってくる?!

これまで見てきたように、The Huが表象する「モンゴル」は、匈奴という数千年の歴史をまといながら、近代国家としてモンゴルが建設されてきた20世紀に民族意識のアイコンとして生み出されていった数々の文化事象によって担保されている。

そして、彼らの登場はモンゴルのポピュラーカルチャーの流れとも無縁ではない。本稿では多くは述べないが、モンゴルにおいては1980年代以降、非常に多くのロックバンドが結成され、そして特に近年は、ヒップホップが人気を集めている9。ロックバンドにおいてはいわゆるモンゴル文学の正典に入る作家の詩を歌詞として歌うバンドも少なくなく(海野1999)、演奏にギターやキーボードと並んで伝統楽器が使われることもしばしばある。またヒップホップにおいては恋愛と並んでしばしば民族アイデンティティがテーマになっている(デラプラス2014)。モンゴル伝統的楽器を用い、モンゴルの民族意識をモンゴル語で歌いあげるThe Huも、こういったモンゴルのポピュラー音楽の流れを汲みつつ誕生したのである。

今やモンゴル国の文化外交の最先端を担っているとも言える彼らだが、2019年秋からワールドツアーを敢行している。残念ながら2020年3月に予定されていた日本公演は新型コロナウィルスの感染拡大により延期となり、メンバーは3月にツアーで訪れたオーストラリアから、2カ月近く帰国できなくなるという災難に見舞われた。その後、彼らは5月初旬に無事帰国し、3週間の隔離期間を経て、現在モンゴルでのチャリティコンサートそしてセカンドアルバムのレコーディングを計画しているという。セカンドアルバムのリリースとともに、一刻も早く世界的なパンデミックが収束し、日本のステージで彼らの演奏を聴くのを楽しみにしたい。

写真の出典
  • Valere jelic, Le groupe de hunnu-rock, The Hu au Samar’ock Festival (CC BY-SA 4.0)
  • 2-1 Eric Pouhier "Sambuugiin Pürevjav of Altai Khairkhan (an overtone singing ensemble from Mongolia) playing a morin khuur near Centre Georges Pompidou in 2005"(CC BY-SA 2.5)
  • 2-2 Stefan Brending, "ARGO-Konzerte, Beck’s Park Stage, Konzert, Livekonzert, Livemusik, Musik, RiP, Rock I, Park 2019, The Hu" (CC-BY-SA-3.0 de)
参考文献
  • 海野未来男1999.「現代文化としてのモンゴル文学」『アジア理解講座1997 年度第1期「モンゴル文学を味わう」報告書』国際交流基金:143-149.
  • 上村明2001.「モンゴル国西部の英雄叙事詩の語りと芸能政策:語りの声と言葉のない歌」『口承文藝研究』(24):102-117.
  • 上村明2014.「伝統は単数か複数か?モンゴル馬頭琴伝統音楽」『月刊みんぱく』8月号:14-15.
  • 島村一平2016.「蘇る大モンゴル帝国の栄華?――民族衣装の祭典「デールテイ・モンゴル」『民族学』(158):3-25.
  • 島村一平2017.「『晴れ着デール』の誕生から『匈奴デール』へ――グローバル化とナショナリズムを着る」『民族学』(159):81-98.
  • 島村一平2018.「ヒップホップ・モンゴリア、あるいは世界の周縁で貧富の格差を叫ぶということ」オンライン・マガジン『シノドス』.
  • 島村一平2019.「秘教化したナショナリズム――モンゴル人民共和国におけるチンギス・ハーン表象の誕生と挫折、秘教化(1921~1953)」『日本モンゴル学会紀要』(49):19-34.
  • デラプラス, グレゴリー2014.「ヒップホップ事情――歌詞に表現された倫理と美学」小長谷有紀・前川愛編『現代モンゴルを知るための50章』明石書店: 296-302.
  • ボラク, ウラディン・E. 2015.「中国からユネスコの世界遺産に登録されたホーミー」ボルジギン・ブレンサイン編『内モンゴルを知るための60章』明石書店: 297-304.
著者プロフィール
深井啓(ふかいひろむ) 研究マネージメント職、アジア経済研究所研究推進部地域研究推進課。在モンゴル日本大使館専門調査員、独立行政法人国立文化財機構・東京文化財研究所アソシエイトフェロー等を経て2015年入所。
  1. ホーミーは一人の歌手が、2つの高さが異なる音を発する歌唱法である。
  2. OUTBURN Online "The Hu: From Mongolia to the World...Who Are The Hu?"
  3. Eguur2019年11月18日。
  4. Бизнес өрөг2019年11月2日YouTubeで公開。
  5. 1950年代までホーミーが歌われていなかったチャンドマニ郡がホーミーの故郷とされるようになった経緯についてはモンゴル民族音楽研究者J ・バドラーが1982年に制作したテレビ・ドキュメンタリーに負うところが多いという(上村2001)。
  6. 加えて、海外公演をはじめとするプロモーションは米国レーベルのEleven Seven Musicが行っていることが成功の秘訣であるとダシカは語っている。
  7. Монцамэ 2019年11月27日。
  8. ホーミーに関しては2009年、モンゴル国に先んじて中国がモンゴル族の伝統芸能としてユネスコの無形文化遺産に申請、登録された。その際に起きた「ホーミー」の帰属をめぐる争いについてはボラク(2015)を参照。
  9. モンゴルのヒップホップに関しては、ドキュメンタリー映画『モンゴリアン・ブリング(Mongolian Bling)』(オーストラリア、2012年、監督/脚本:ベンジ・ビンクス)が2018年に日本で公開され、話題となった。またモンゴル音楽シーンにおけるヒップホップ興隆前史については同映画の日本公開に合わせて発表された島村(2018)に詳しい。
【連載目次】

文化ののぞき穴