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コラム

アジアトイレ紀行

アジア各地のトイレ事情や文化について、個人的な体験から社会問題まで、専門家がさまざまな切り口で紹介するエッセー。トイレに関する各国語講座付き。

  • 第14回 クウェート――略奪されたトイレ / 石黒 大岳 1991年、湾岸戦争でクウェートがイラク軍の占領から解放されて、自宅に戻ることができたあるクウェート人は、驚愕の光景を目にしたという。家具や貴重品はもちろんのこと、トイレの便器までもが跡形もなく持ち去られていたのだ。国からありとあらゆるものが略奪されたことの比喩ではなく、実際に持ち去れていていたのだという。何故に便器?と、その話を聞いたときには思われたが、便器をはじめ衛生陶器は富の象徴であり、石油による莫大な富を背景に経済が大きく成長していた1980年代クウェートの繁栄の象徴であったのだ。近隣のドバイの繁栄に追い抜かれた感のある2005年以降のクウェートしか知らない筆者には想像がつかなかったが、1980年代はまさにクウェートにとっての「黄金期」であり、「現代のエルドラド」と呼ばれるほどの繁栄であったという 。1961年にクウェートが英国の保護領から独立を宣言した際、もともと自国領の一部だったと主張してそれを認めず、1980年代はイラン・イラク戦争で疲弊していた当時のイラクから占領軍としてクウェート入りした兵士たちにとって、黄金郷に白く輝く洋式トイレは羨望と妬みも相まって格好のお宝と映っていたのであろう。 2024/11/11
  • 第13回 タイ――洋式化と多様化の波 / 高橋 尚子 トイレの思い出というと、東南アジアへの旅行から帰国した大学2年生の冬のことを思い出す。成田空港のトイレの手洗い場では、冬季の間、お湯が出る仕様となっていた。暑い東南アジア帰り、手洗い場でお湯が出ることを全く想定していなかった私は、温かい手洗い水に対し、何か異常があったのではとパニックになり、叫び声をあげてしまった。居合わせた人は全員驚いてこちらを向いたが、弁明するのも恥ずかしく、そそくさとその場を後にした。毎日使用するトイレについての常識はこうも簡単に塗り替えられるものかと実感した。
    筆者はトイレ適応が早いこともあり、ありがたいことに研究対象であるタイでトイレに困ったことはない。困ったことはないと書いたが、筆者は山登りが趣味で、山中のトイレなど特殊な環境に耐性があることをお断りしておきたい。トイレの清潔さでは負けを知らない日本でも、上下水道施設が届かない山では「よし、トイレに行くぞ」と覚悟が必要な環境がほとんどである 。しかしながら、私が登山を好きな理由の一つは、無事下界 に戻ったときに普段は全く気に留めないような文明の利器に感謝できることでもある。
    2024/10/21
  • 第12回 マレーシア――「郷に従う」ことの快適さ / 谷口 友季子 マレーシアのトイレに関して、多くの日本人が話題にしてきたのは、「紙がない・床が水浸し・流れが悪い」という点であろう。いわば三難が揃っている。筆者はいささか潔癖の傾向があるため、いかにマレーシアでトイレを快適に使うかは、常に課題であった。隣国インドネシア(土佐2023)ではそんなにきれいなのかと嫉妬を覚えたほどである。 2024/08/05
  • 第11回 カンボジア──トイレは怖いところなのか / 初鹿野 直美 閉鎖空間であるトイレは、地方の片田舎で育った子どものころの筆者にとって「怖いところ」だった。昭和の終わりの幼少期、いじめっ子は筆者の長靴を薄暗い公民館のボットン便所の個室に隠した。学校のトイレの不穏な雰囲気も苦手だった。怖い話を聞いたあとのトイレは、できるだけ短い時間で済ませて、ものすごい勢いで扉を閉めてみんなのいる部屋へと戻ったものだ。ひと昔前の公衆トイレの暗くて汚い空間だと、恐怖感は倍増した。最近の近代的な公衆トイレは、「恐怖」とは無縁のこぎれいなところが多いせいか、大人になってからトイレが怖いと思うことはなくなっている。 2024/06/18
  • 第10回 中国──トイレから見える中国人の合理性 / 内藤 寛子 日本人が海外で最初に直面する困難は、トイレではないだろうか。日本のトイレは、トイレットペーパーや手洗い用のソープが完備され、便座は温かく、時にチャイルドシートや着替え台まで設けられている。最近では、駅構内の公衆トイレであってもメイク直し用のパウダールームが備え付けられているところも多く、用を足すだけではなく一息つくための施設となっている。 2024/05/10
  • 第9回 パキスタン――トイレへの(心理的)アクセスがない / 牧野 百恵 <span lang="en">SDGs</span>の目標6は「安全な水とトイレを世界中に」を掲げている。南アジア農村の貧困層では、家にトイレがないために野外排泄が珍しくない。ユニセフによると、2022年時点で、南アジアでは人口の34%、つまり6億1000万人が野外排泄をしているという。南アジアでは、安全なトイレへのアクセスがないことが、衛生面や環境面の問題にとどまらず、社会、とりわけジェンダーにまつわる問題になっている。 2024/04/11
  • 第8回 ウズベキスタン――トイレをめぐる新米研究者の冒険記 / 土居 海斗 「お腹は強いですか?」と訊かれたのは、ウズベキスタン研修という聞き慣れない言葉に吸い寄せられるように応募した、ゼミの面接の時だった。当時大学2年生だった筆者はなぜ胃腸の状態を心配されるのだろうと訝しく思ったのだが、面接官である先輩のゼミ生達は意味ありげに含み笑いをしていた。聞けばどうやら、ウズベキスタン料理は肉が主流で香辛料や油分が全体的に多く、研修中にお腹を壊すゼミ生がいるらしかった。あるいは、バラエティに富んだ食文化ゆえ、どの料理も絶品すぎて食べ過ぎてしまうことも理由なのかもしれない。いずれにせよ、筆者は日常生活でお腹を壊すことはほとんどなかったため、お腹は弱くはないと答えて無事にゼミ選考を通過した。 2024/03/11
  • 第7回 イラン――洗え、洗え、の爽やかトイレ / 岩﨑 葉子 イランのトイレに何かこれといった特徴があるかと問われれば、ない、と言ってよい。便器はいわゆる和式(イランでは「イラン式」と呼ばれる)と洋式とがあり、その形状もしょせん人体に合わせて作られている以上、さほど奇抜なデザインがあるわけでもない。とはいえその使われ方には多少の差異がある。 2024/02/06
  • 第6回 ベトナム――奥深き農村トイレ文化 / 荒神 衣美 ベトナムの公衆トイレは、かねてより外国人観光客からの評判が悪かった。状況を改善するため、政府は観光客用トイレの設備・衛生基準を定めたり、基準に違反したトイレの設置者に罰金を課したりと、一応の対策を講じてきた。また、最近ではホーチミン市で全自動公衆トイレが導入されるという画期的な動きも出てきている。しかし、問題解決への道のりはまだまだ長そうだ。ベトナムの公衆トイレの設置数は最大都市であるホーチミン市やハノイ市においてすら諸外国の主要都市に比べて著しく少なく、また「とんでもなく汚い」という外国人観光客からの悪評も根強い。 2024/01/09
  • 第5回 トルコ──いにしえのトイレに思いを馳せつつウォシュレットの原型を体感せよ / 今井 宏平 外国とトイレの関係について初めて考えたのは、小学校6年生か中学1年生の頃に当時(現在も)好きだった『ジョジョの奇妙な冒険 第3部』でイチ押しだった登場人物、ジャン・ピエール・ポルナレフがトイレでさまざまなトラブルに見舞われるシーンを読んだ時であった。筆者の最初の海外渡航は大学1年時の米国であったが、米国=先進国と思い込んでいたのでそれほどトイレを気にすることはなかった。しかし、大学4年時に初めてトルコに旅行する際はどのようなトイレが待ち受けているのかどぎまぎした。幸運にもトルコのトイレは予想していたよりも綺麗であった。 2023/12/11
  • 第4回 韓国──紙、流すべきか、流さざるべきか / 安倍 誠 1980年代末だったか、韓国映画で主人公が用を足すシーンを観て、違和感を覚えたことがある。主人公はトイレで水を流してから、お尻を拭いたのだ。1990年代に入って仕事で韓国に頻繁に行き来するようになって、その理由を理解した。トイレの個室に入ると、便器の横には必ずゴミ箱があって、使用済みのトイレットペーパーは便器に流さずにそこに捨てることになっていた。確かに、これなら流してから拭いてもおかしくはない。 2023/11/20
  • 第3回 インドネシア――日本を超える?隙のない清潔なトイレ / 土佐 美菜実 インドネシアではトイレのことをKamar kecilと言い、直訳すると「小部屋」という意味である。一方、隣国のマレーシアではトイレはTandasという単語が一般的に使われている。インドネシア語とマレーシア語は起源を同じくする言語であり、文法や単語において多くの共通点を持ち、片方の言語を理解していればもう片方がだいたいわかるくらいの親和性を持っている。にもかかわらず、両国ではトイレというこの重要単語については何の共通事項もなく、全く異なる単語が常用されており、そのことを初めて知った時は少々驚いた。 2023/10/10
  • 第2回 日本――トイレではない。それは、便所。 / 熊谷 聡 いまや、日本ではトイレは家の中で一番落ち着く場所の一つとなっている。昔から「トイレで新聞を読むサラリーマン」はマンガやテレビでよく見かけたし、スマホ時代の今なら「トイレにこもってスマホ」というのは普通のことだと思う。あるアンケートではトイレは自宅内で居心地の良い場所ランキングで6位(7.4%)となり、書斎の6.1%を上回った。 2023/08/17
  • 第1回 中国の「トイレ革命」 / 山田 七絵 シンガポールに拠点を置く国際NPO、WTO(World Toilet Organization、世界トイレ機関)の試算によれば、人は1年に平均2500回トイレに行き、一生のうちなんと約3年間をトイレで過ごすという(シム 2019)。人間の生活のなかでこれほど長い時間が費やされる行為が、人間の行動や社会を研究対象とする社会科学や人文科学分野において重要でないはずがない。にもかかわらず、食や衣服に関する豊富な研究の蓄積に比べて、トイレや排せつに関するものは非常に少ない。日常会話のなかでも、私たちは(少なくともオトナは)「臭いものには蓋」とばかりにトイレや排せつにまつわる話題には口をつぐみがちである。 2023/06/19